2/1 〜 2/6 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. Evernoteでリストを管理する
  2. 情報カードと知的生産
  3. 物書きのロール・モデル
  4. アール・ティー
  5. フリーライティングについての断章
  6. 二つの島

だいたい脱稿状況でしたが、まだまだ作業が残っていたので今週はライトな投稿が多めでした。来週こそは、来週こそは!という気合いのもとで作業を続けております。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

2月2日

入ってくる情報(さまざまな刺激も含めて)が変わらなければ、環境が変わったとは言えません。

2月6日

「それって、○○みたいですよね」という表現を作り出せているかどうか。

今週のその他エントリー

note

第十九回 断片化の進行と関係性の醸造

今週触った本

消費社会の神話と構造 新装版
ジャン ボードリヤール
紀伊國屋書店 ( 2015-08-27 )
ISBN: 9784314011167
月刊群雛 (GunSu) 2016年 02月号 ~ インディーズ作家と読者を繋げるマガジン ~
藤井太洋, 晴海まどか, 波野發作, かわせひろし, 青海玻洞瑠鯉, 東方健太郎, 米田淳一, 幸田玲, 神谷依緒
NPO法人日本独立作家同盟 ( 2016-02-01 )
別冊群雛 (GunSu) 2016年 02月発売号 ~ インディーズ作家と読者を繋げるマガジン ~
藤井太洋, 林智彦, いしたにまさき, 松野美穂, かわせひろし, 淡波亮作, 神楽坂らせん, よたか, 夕凪なくも
NPO法人日本独立作家同盟 ( 2016-02-01 )

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd 「NewGTD本で変わらなかったもの」
○SS 「私は詐欺師です」
○エッセンシャルEvernote vol.02 「Evernoteとは何か?」
○今週の一冊 『変身』(フランツ・カフカ)
〜異世界を見つめる視点としての『変身』〜
○知的生産エッセイ 「文章を書くこととは」

→メルマガの過去分エッセイは「Facebookページ」にて読めます。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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二つの島

二つの島があった。そう遠くもなく、そう近くもない。そんな二つの島があった。

それぞれの島には、それぞれの住民がいた。そこには似ていながらも、確固とした固有の文化が育っていた。

住民たちは、自分たちの島で生活しながら、たまに船を使ってお互いの島を行き来していた。その交流は、夜空に浮かぶ星々のように人生に輝きを与えてくれた。自分たちとは違う生活をしている人たちがいる。その事実を知ることは、不思議な暖かさと豊かさをもたらしてくれた。交流はほそぼそとながら、連綿と続いていた。

あるとき誰かが言った。「そうだ、橋を作ろう」

若者だったのかもしれない。あるいは何かで突然大金を手にした者だったのかもしれない。それはあまりに突飛な意見だった。しかし、現実的に考えれば、それは実現可能なことであった。大変な費用はかかるものの、二つの島をつなぐ橋を架けることは可能だった。

「船があるからいいじゃないか」

そんな声も上がった。いや、ほとんど多くの住民が、声には出さないものの同じ気持ちであっただろう。

「でも、この素敵な交流がもっと盛んになるんですよ。橋を架けましょう」

声にならない声は、誰の耳にも届くことはなく、そうして橋を架ける工事が始まった。

長い時間をかけ、ようやく橋は完成した。二つの島は、船を使うことなく行き来できるようになった。

それは予想していたものよりも、遙かに素晴らしかった。単に交流が盛んになっただけではない。新しい商売も生まれ始めた。船で運んでいたんでは痛んでしまってとても売り物にならないようなものでも、橋を使えばすぐさま持って帰れる。それにコストもかからない。今までは海を渡らないと食べられなかったようなものでも、お金を余計に払えば食べられるようになった。

住民たちは皆、橋の存在をありがたがった。そして、それは徐々に当たり前のものとなっていった。今ではもう船を使って行き来するという行為自体が突飛なものになっていた。

やがて、誰かが言った。「そうだ、埋め立てよう」

橋はあくまでも橋だった。あまりに天候が酷いと行き来はできなくなるし、一度に渡れる人の数も限られてしまう。これでは不便ではないか。だったら、橋ではなく地面を作ればいい。

住民たちは誰も住んでいない島から土を運び込み、二つの島を隔てている海を埋めていった。無人島の土がほとんどなくなりかけたころ、二つの島をつなぐ地面が生まれた。そして橋はもう用済みとなった。

交流はますます盛んになった。今では気楽に散歩する気持ちで、隣の島に出かけられる。埋め立てられた地面の上にも、いろいろなものが立ち始めた。橋では到底無理なことだ。そうして、また新しい商売の可能性も生まれ始めていた。

人々はこれまでには手にできなかった豊かさを、当たり前のように手にしていた。そして、皆が等しくそれを享受している。片方の島だけでしか手にできないようなものは、もう何一つない。

そのようにして二つの島はなくなり、一つの島が生まれた。

そこには誰も使い道の分からない朽ち果てた橋と、誰も使い方を知らない船の残骸が残るばかりだ。夜空に浮かぶ星々も、今ではもうどこにも見えなくなっていた。

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フリーライティングについての断章

フリーライティングについての連載を読みました。

Free writing | gofujita notes

実に素晴らしい連載ですので、みなさんもぜひご覧ください。


第0回、あるいは番外編にあたる以下の記事には、次のようなことが書かれています。

フリーライティングで生活のアウトラインを育てる. August 8 2015

そしてフリーライティングには、それ以上の機能があることも、たぶん広く知られている。それは、気づいていないことも含めた自分の頭の中にあることを、文章を書くことをとおしてはっきりさせながら考えを進める効果、と呼べばいいだろうか。

たぶん、この効果こそが「文章を書くこと」の根源にあるのではないか、私はそんな風に考えています。


スティーブン・キングは『小説作法』(新訳は『書くことについて』)の中で、文章とはテレパシーである、と書きました。自分の頭の中に広がる風景を、他の誰かの頭の中に送り込む手段。それが文章というわけです。

書くことについて (小学館文庫)
スティーヴン キング
小学館 (2013-07-05)
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相手は、文章を通して、あなたの頭の中をのぞき込みます。そして、その視線は、文章を書いた(あるいは書いている)自分自身も共有することになるのです。


何かを文章として表現する場合、それが何なのかを自分自身の中で固める必要があります。テレパシーを使って相手に心象風景を伝える場合でも、できるだけ鮮明にその心象風景を思い浮かべる必要があるでしょう。それと同じことです。

真摯に文章を書くことは__ここが大切なポイントです__自分自身の頭の中をのぞき込むこととイコールです。頭の中にあることを文章化しようと思えば、どうしても鏡をのぞき込まなければなりません。それを避けて通ることはできないのです。

取り繕った文章の場合はそうではありません。それは借り物の言葉であり、思考であり、哲学であり、思想であり、価値感です。それを人は「薄っぺらい」と呼びます、あるいはハリボテとも。そこには表面以外何もないのです。肉だけを借りてきて、骨を作らなかった人造人間のようなものです。


思い返してみると、私の生活の中にはさまざまな形でフリーライティングが入り込んでいます。

たとえば、「ほぼ日手帳」。私はそこにその日起きたことや考えたことを書いています。たいていは、タイムラインにその時間とった行動(カフェで作業、新しい本を買った、ゲーセンに行った)を書き込んでいるときに、ふと思いついたことを書き付け、それがそのままずるずると長くなっていく。そんな形が多いでしょうか。

広い定義で捉えれば、これもフリーライティングの一つです。

それは自分の心を整理し、頭をスッキリとさせ、何かを見据えたような感覚をもたらしてくれます。精神の調律。心のメンテナンス。表現はなんでもよいのですが、他の行為では代替できない何かがそこにはあります。

こうして書いているブログの原稿一つ取ってみても、私にとってはフリーライティングの延長線です。もちろん記事にテーマはあります。それに、誤字脱字もほとんどありません(これは後から推敲しているからですが)。でも、感覚的にはこれはフリーライティングです。

なぜならR-styleにはあらかじめ準備されたテーマがないからです。「こういうことを書かなければいけない」という前提もありません。その日、私がふと思いついたことや考えたことを、掘り下げたり、広げたり、茶化したり、虚構にしたり、関連づけたりして、文章に起こしているだけです。

言うならば、フリーライティングの一部を「ブログ原稿」として切り取っている、と表現できるかもしれません。


生活の中に「文章を書くこと」を取り入れること。これには素晴らしい効果があります。

それは目を血走らせてブログを怒濤のごとく更新するようなものではなく、むしろもっと自然な形で「自分の頭を使って考えること」を日常に取り入れる、というのが近いのかもしれません。

私たちの日常は、情報に取り囲まれています。しかも、その大半が説得的情報です。これを買いなさい、これがお得ですよ、こうしないと損ですよ、これが正しいのです、あの人は間違っています、ぜひ私の壺を買ってください……。それらは、できるかぎり人が考えなくても済むように導いてくれます。

説得というのは、つまりはそういうことだからです。誰かにものを売りつける場合、相手が何も考えない人であることが望ましいのは想像に難くないでしょう。説得というのは、他者のコントロールなのです。

感情を過剰に煽るような情報も似たようなものでしょう。理知的な議論を推進するのではなく、感情的な言い合いを勃発させる。つまりは、思考を限りなく停止させる方向にメディアは推移しつつあります。少なくともその予兆めいたものはあります。

こうした流れにただ身を任せていれば、「自分の頭を使って考えることは」どんどん少なくなっていくでしょう。それはつまり、「自分」というものがどんどん少なくなっていくこととイコールです。

それで心の安定がもたらされるのであれば、それはそれで一つの選択でしょう。しかし、無意識という深い闇の奥で違和感がじわじわと増長していく可能性もあります。そしてそれは、直接見えない分だけ扱いがやっかいです。

フリーライティング__あるいはそれを含む、自分の心と向き合う技術と時間。その重要性は今後どんどん大きくなっていくのかもしれません。

ともあれ、フリーライティングについて書かれた連載をぜひお読みください。ぜひとも「本」で読んでみたい連載です。

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アール・ティー

はい、本日もTwitterリテラシー講座の時間がやってまいりました。講師の裸子羅舌らしらしたです。よろしくお願いします。

第三回となる今回では、「RT」についての講義を進めます。テキストは9ページですね。あっ、縦向きにタブレットをお使いの方は15ページ目くらいかもしれません。ややこしいので、目次リンクから「RTについて」のページを開いてくださいね。はい、よろしいですか。

ではさっそく始めましょう。「RT」とは、ReTweetの略称です。百聞は一見にしかず、ということで、さっそく実物を見てみましょう。

ツイートの下に、ウロボロスの蛇みたいな矢印がありますね。これがReTweetボタンです。

この場合、接頭辞としてのReは、「再び」のような意味を持っています。再びツイートする、もう一度ツイートする、という意味ですね。ボタン一つで簡単にお手軽に実行できるのでわかりにくいのですが、実はこれは形を変えた「ツイート」です。

第一回の講義で解説した通り、「ツイート」とは、つぶやきと表現されますが、その実体は「世界中に向けた発信」です。つまり、Publishです。そう考えると、リツイートとはすなわちRePublishなのです。

Twitterを使っていると、気に入ったツイートをリツイートしたくなります。それはそれで良いことなのでしょう。元々のツイートをした人もきっと嬉しいに違いありません。ただし、それはどういう形であれ、自分がPublishに荷担していることだけは忘れないでおきましょう。

もし、自分がそのPublishに荷担したくないというのなら、せいぜいお気に入り__ではなく、≪いいね≫にかわりましたね__に留めておくべきです。

RT=RePublishという構図に疑問を持たれるなら、自分のプロフィールページを覗いてみてください。そこには、「自分のツイート」と「自分がRTしたツイート」が並んでいます。つまり、RT=「その人の発信」なのです。これを見れば、RTが自分のPublishであることは一目瞭然です。

screenshot

「その人の発信」というのは、他人の発言を自分がパクった、ということではありません。RTした人の名前(信頼・ブランド)の元で行われた発信、ということです。Publishに貢献したと言い換えてもよいでしょう。

この点は見逃されやすいので注意してください。


気軽に行えるRTは、単に情報を右から左に流しているような感覚がするかもしれません。しかし、そうではないのです。

RTは、再びのツイートであり、基本的なレベルで言えば、自分がツイートしているのと大差はありません。つまり、その発言主体は自分自身なのです。言い方を変えれば、情報の拡散に、自分自身が手助けしている・責任を負っている、ということです。そのことの意味はよくよく考えておいた方がよいでしょう。

では、本日のTwitterリテラシー講座はここで終わりとします。また、次回。

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物書きのロール・モデル

月刊群雛の特別号、別冊群雛2016年02月号を読みました。

別冊群雛 (GunSu) 2016年 02月発売号 ~ インディーズ作家と読者を繋げるマガジン ~
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読みたかったのは、『山珍居にて』というゲスト座談会。以前いしたにまさきさんが、藤井太洋さんと楽しい時間を過ごした、みたいなことをTwitterかFacebookに投稿しておられたので、「おいおい、その組み合わせは気になるじゃないか」と思っていたのですが、どうやらこの座談会だった模様です。しかも、林智彦さんも入っての豪華メンバーな座談会。

で、内容はもちろん面白かったわけですが、その冒頭近くで、いしたにさんがこんなことを言っておられます。

いしたに:藤井さんをそのまま真似するのはやめた方がいいんじゃ……(笑)。

まあ、そりゃそうですよね、と思ったんですが、ふと疑問も思いつきました。

一体、誰ならばそのまま真似できるのだろうか?


藤井さんはなんでもこなせる人(=多彩なスキルを持っている人)なので、そうでない人がそのまま真似してもうまくいかないだろう(そもそも真似できない)という点はたしかにそうでしょう。あこがれにはなっても、汎用的ロールモデルとしては機能しにくいわけです。

だったら、私みたいな平々凡々な物書きをロールモデルにすれば良いのでしょうか。それも難しそうです。

私はブログを中心として、有料メルマガをその下支えとしながら、商業出版といわゆるセルフパブリッシングで「出版活動」を行っています。で、これと同じことをやっている人はどのくらいいるでしょうか。

細かい点で言えば、有料メルマガを活用しているライターさんはちらほらいます。ブログを使っている人も多いでしょう。セルフパブリッシングを活動の中心に据えている人も少なからずいます。しかし、それらを私と同じ割合・意図・頻度で行っている人は誰もいないはずです。

つまり、何が言いたいかというと、誰かのやり方を「そのまま真似する」というやり方は、たぶんもう通用しないのではないか、ということです。

座談会の中では、プラットフォームとそこで機能する戦略の差異についても触れられていたのですが、現代ではメディア手段が多様になり、ニーズは複雑化しています。そして、クリエーターも様々な選択が可能となっています。

そんな状況で、「こうしておけばうまくいく」といった簡単なノウハウはなかなか成立しないでしょう。誰かが「成功」していたとしても、そこにあるノウハウをアレンジなり、取捨選択していかなければ、なかなか望む結果は得られないでしょう。

で、そうした取捨選択をどのように行うのかですが、それは自分の中にある「意図」と合致するかどうかが鍵になりそうです。言葉を大きくすれば、自分の「野望」に適するのかどうかというジャッジメントです。

文章を書くことで生きていくのか、生きていくことの中に文章を書くことを組み込みたいのか、それとも単にみんなに読んで欲しいのか。文章との関わり方はさまざまあります。

それに「文章を書くことで生きていく」ことでも、個人でやりたいのか組織に属したいのか、それとも全然違う野望があるのか。その辺については、当人にしかわかりません。逆に言えば、そこをある程度クリアにできない限り、さまざまなノウハウを自分のために役立てることも難しそうです。なにせ、数あるノウハウには逆向きのベクトルを持っているものもあるはずですので。

もちろん、使えるお金や時間・持っているスキル・動かしがたい価値感といったものも、考慮すべき制約条件になるでしょう。そして、それは人それぞれ違っています。

そんな全体像を眺めてみると、結局は、自分の戦略を自分で組み立てていかなければならないことが見えてきます。

その意味で、単純なロール・モデル、言い換えれば静的なロール・モデルは、それだけでは頼りになりません。言い換えれば、物書き一人ひとりが、自分の前の道を切り開いていく必要があるのです。


ずいぶん抽象的な表現になりましたので具体的に言い換えると、

「どうやって人気を得るのか」
「どうやって読者を得るのか」
「どうやって収入を得るのか」

は、(他人のアイデアを参考にしつつも)自分で考え、ときに自分で生み出す必要がある、ということです。それは別に物書きに限ったことではなく、現代のクリエーター全般に言えることなのかもしれません。

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情報カードと知的生産

情報カードを使うことは私たちに何をもたらすのか。

カード法は、歴史を現在化する技術であり時間を物質化する方法である。

知的生産の技術 (岩波新書)
岩波書店 (2015-09-17)
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これは一体何を意味するのか。


一つには、情報を固定すること。カードという物質、それも(比較的)固定的な物質に情報を載せることで、情報そのものを固定化する。そうすることで、それらを保有できるようになる。

言い換えれば、「向こう側」にあった情報を、「こちら側」に持ってくる。それが情報カードを使うことの一つの意味。

記憶は失われやすい。しかし、トリガーがあれば思い出せる。固定化のメリットはそういうところにもある。


また、固定化することで、「一つにまとめ」ることができる。

Aという本にアイデアのメモを書き込む、Bという本に着想のメモを書き込む、自分の手持ちのノートに小説の構想を書き込む。バラバラだ。カード化し、カードボックスに集約することで、それらを一つにまとめられる。効率化もあるが、情報同士の相互作用も期待できる。

この際に、「同じサイズのカードを使う」ことによる、規格化も期待できる。規格化されていないと、扱うときに不便だ。


カード化することによって、操作が可能になる。言い換えれば、情報の操作を、カードの操作に置き換えることができる。メタファーとしての情報操作。あるいは、情報操作のアウトソーシング。

脳内で情報を組み替え、新しい構造を見出す作業は、激しい脳内エネルギーの消費をもたらす。というか、あるレベルになると特異な人でない限り脳内で完結させることはできない。カードを使うと、それが少し容易になる。

情報同士のつながりや流れを、空間配置上で表現することで、そこにある何かを見抜く。それは、私たちが文章を書くことで、はじめて自分の心の中にあるものに気づけることに少しだけ似ている。


書き留めてきたカードを、「くる」ことは、過去の自分の着想にランダムアクセスするようなものだ。そこでは、想起が促される。情報を固定したおかげで、そのようなことが可能になる。そして、それらを並び替え、配置し、入れ替えることで、過去の自分の着想がミキサーにかけられる。

その作業を行っているのは、やっぱり自分の脳だ。

私たちは、カードに情報を書き留めることで脳からその情報を一時的に出し、カードを読み返すことで再びその情報を脳に戻している。発想における、致命的な、根本的な、根源的な作業を行うのは、誰でもない自分の脳なのだ。だから、情報カードは自分の手で、目で、頭で書き留めなければいけない。


上記のようなことを満たせるツールなら、別に情報カードでなくても良い。「カード法」はカード以外にも敷衍できる。

重要なのは、情報を書き留めること、つまり「記録を作る」こと。そして、作った「記録を使うこと」。この二つに尽きる。

そのどちらの作業においても、自分の脳が関わっているのならば、そこには立派なプライベート・ライブラリが広がっているだろう。あるいは、記憶の宮殿ではなく、記録の高層タワーかもしれない。高層の構想。それを組み立てるには、記録の力が必要である。

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Evernoteでリストを管理する

少し前にやりはじめたのですが、比較的良い感じで続いているのでご紹介。

やること自体は実に簡単で、以下の3つだけです。

  • リストのノートを作る
  • そのノートに”List”タグを付ける
  • Listタグをショートカットに

screenshot

これで完了。もちろん、新しくリストのノートが増えたときは、そのノートに”List”タグを付ければ良いだけですし、「あ〜、このノート、もうリストのノートじゃないな」と感じたらタグをはぎ取れば済みます。

で、問題となってくるのが、「リストのノートって何なのさ?」ですね。

サンプル

現状、私のリストのノートには以下のようなものがあります。

screenshot

ちなみに、「必要品・買い物リスト」だとこんな感じ。

screenshot

このノートには「近いうちに購入しておくと、私の人生がスムーズに進むだろう」アイテムが並んでいます。

他にも、”List”タグが付いたノートはいろいろあり、コンテキストはさまざまに異なっていますが、傾向的には「後から情報を追加していく」ノートが集まっていると言えるでしょう。

情報の種類の差

一口に情報といっても、一度保存すればそのままの形でずっと保存し続けてOKなものもありますし、頻繁に手を加えることで使い勝手が上がっていくものもあります。で、”List”タグが付いたノートは、後者のタイプのノートなわけです。

そうしたノートにアクセスするためのルートをショートカットに置くことで、情報へのアクセシビリティーを向上させる、というのがこのテクニックの狙いです。

だいたいの形

おおよそ、

  • 追加していくノート
  • 編集していくノート
  • 改善していくノート
  • 参照しやすいノート

あたりが、”List”タグをつける対象となるでしょう。

「プレイリスト候補」のノートは、「あっ、そうだ。アニソンのプレイリストを新調しよう。どういう曲を入れたらいいかな」と思いついたことがあり、とりあえず書きだしてはみたものの曲数がまったく足りなかったので、適宜思いついたものを追加していっているのですが、こういうノートは”List”タグを付けるのにピッタリです。

「fav声優」は好きな声優さんの名前がずらりと、「追いかけている漫画リスト」は読んでいる漫画のタイトルが、「インストールしたいアプリ」「東京行ってみたいところ」なんかも似たようなものです。

一度作ったが、その後随時更新(追加・編集)される情報を列挙したもの。それがリストのノートです。

もちろん、一つの方法として≪リスト≫という名前のノートブックを作ることもできるわけですが、実際ここに含まれるノートは、恐ろしくコンテキストも粒度も違っていますので、ノートブックよりはタグの方が向いているのではないか、と思います。まあ、最終的は自分の使いやすい方法が良いわけですが。

さいごに

というわけで、Evernoteにおけるリストの管理についてご紹介しました。たいていのEvernoteの情報は、一度保存すれば後はそのままでOKな__つまりアーカイブな__ものなわけですが、そうでないものはちょっと違った管理方法を用意しておくと良いでしょう。

もちろん、Evernoteではなくて、WorkFlowyで管理するというスマートな手もあります。ええ、ありますとも。

▼こんな一冊も:

Evernote豆技50選 (Espresso Books)
倉下忠憲 (2015-03-29)
売り上げランキング: 2,001
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1/25 〜 1/30 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. 『自信を積み重ねる習慣の力』の制作をお手伝いしました
  2. どこに投稿するのか?
  3. 【書評】「無知」の技法(スティーブン・デスーザ ダイアナ・レナー)
  4. ココニイルコト
  5. 電子書籍が嫌われる理由を考えてみた
  6. 知的生産のフロー

初稿が一段落したので、ようやく溜まっていた書評ストックリストを消化していけそうです。面白い本がいくつもありますのでご期待ください。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

1月25日

それが人間の認知の宿命(さだめ)です。せいぜい振り回されすぎないように注意するしかありません。

1月27日

自分が前に進まないと、次の人にバトンを渡せませんね。

1月28日

ギリギリのところで出てくる勇気が、たぶん等身大の勇気です。

1月29日

この二つは、タスクを具体的に、かつ小さく、さらに馴染みやすくしてくれます。

1月30日

なんでもあり、って結局こだわりがないわけで、それって何もないのと同じです。

今週のその他エントリー

note

第十八回 はじまりの数字、あるいはメディアの物差し

今週触った本

ある島の可能性 (河出文庫)
ミシェル ウエルベック
河出書房新社 ( 2016-01-07 )
ISBN: 9784309464176

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd 「GTDと認知科学4」
○SS 「ウェブ世界がもしFacebookだったら」
○読み切り企画 「クウネル・ショックについて」
○知的生産エッセイ 「読書戦略」

→メルマガの過去分エッセイは「Facebookページ」にて読めます。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

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ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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知的生産のフロー

知的生産にはフローがあります。

  • 何かを読んだりする・何かを思いついたりする
  • それについて考え、発展させる
  • 発展させたものをまとめる
  • 人にわかる形で提出する

知的生産を行う主体の中に、こういう流れがあって、初めて知的生産は知的生産たりうるのです。

2016年1月29日に発売された以下の本では、そのことがWorkFlowyというクラウド・アウトライナーに絡めて書かれています。

クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門 (OnDeck Books(NextPublishing))
インプレスR&D (2016-01-29)
売り上げランキング: 923

ブログ「単純作業に心を込めて」の彩郎さん(@irodrawさん)によって書かれたこの本では、「すべてを一つのアウトラインに入れる」という特殊なWorkFlowyの思想性を踏まえながら、それを個人の知的生産にどのように活かしていくのかがまとめられています。

ようするに「知的生産の技術」と言ってよいでしょう。

いくつか考えたことがあります。今回は、それについて書いてみます。

H to H

視点を変えてみましょう。

知的生産のフローの冒頭には、インプットがあります。本を読む、とかそういったことですね。そのインプットは問題提起の触媒として、あるいは文章の素材として、後々の知的生産に活かされることになります。

では、その読んだ本は、どのように発生したのでしょうか。ジャングルの奥地に一輪だけ咲く赤い花から、一年に一度だけ吐き出される__なんてことはありませんよね。その本は誰かが書いたのです。誰かの知的生産の成果です。

知的生産にはフローがあります。

本から本、つまり人から人に流れるフローがあるのです。

value in flow

ありがたいことに、『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』では、拙著に何度か言及してもらっています。「私の知的生産」が「誰かの知的生産」の役に立ったというわけです。

ここには一つの流れがあります。
ここには一つのパスがあります。
ここには一つのギフトがあります。

なんのことはありません。それらは流れることにこそ価値があるのです。留まることではなく、渡されることに価値があるのです。

現代の知的生産

「知的生産」に関する知的生産の成果物(ややこしいですね)の源流は、やはり梅棹先生だったのでしょう。もちろん、梅棹先生だっていろいろな刺激を経て、その本を世に出したわけですが、インパクトの大きさを考えれば源流と呼んでも差し支えないでしょう。

知的生産の技術 (岩波新書)
岩波書店 (2015-09-17)
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知的生産にはフローがあります。

「知的生産の技術」は、現代にまで少しずつ流れてきました。その流れは、川が集まり少しずつ太くなっていったというよりは、むしろ数え切れないくらいの小さな川に分流していった、と表現した方がよいでしょう。研究者から知的労働者へ、そして情報化社会の市民へと、少しずつ受け継がれながらも広がっていったのです。

それは、『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』や『アウトライン・プロセッシング入門』などの「知的生産の技術」について書かれた本が、ブロガーという一市民によって著されていることからもうかがえます。これら二冊の本の存在が、現代の「知的生産の技術」の状況を端的に表しているのではないか。私はそんな風に感じます。

現代でも、知的生産はもちろん生きています。息づいています。

フローは続いているのです。

さいごに

蛇足になりますが、彩郎さんはたぶんR-styleの読者さんですし、WRMというメルマガの読者さんでもあります。だから、「このメルマガ(ブログ)を読んでいれば本が書けますよ」なんてキャッチコピーを使いたくなるのですが、もちろん本の出版は私とまったく関係ありません。

そのことは、本当に良かったと思います。

私のネームバリュー(そんなものがあれば、ですが)でなんちゃらする、というのは結局のところ、全然フローではないからです。それは続いているように見えて、先細りが確定した連鎖の鎖でしかありません。ネズミ講とかと同じですね。

勝手に活躍されて、勝手に本を出される。その本を読んだ人たちがまた勝手に活躍されて、勝手に本を出される。『知的生産の技術』が出版された1969年から連綿と続いてきたことです。いや、それは「本」という文化そのものなのかもしれません。

知的生産にはフローがあります。

私たちは、その流れの一部なのです。

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電子書籍が嫌われる理由を考えてみた

以下の記事を読みました。

まだ電子書籍で消耗してるの?–電子書籍が嫌われる3つの理由を考えてみた(前編) – CNET Japan

電子書籍が嫌われる理由と、その実体が語られています。


たぶん、「電子書籍を嫌っている」人にもいろいろなバリエーションあるんだと思います。

で、個人的にふと思いついた理由を今回は書いてみましょう。

それは、「電子書籍は便利だ」という理由です。


「本」というメディアは、音楽・映画・テレビといったメディアと比べて、読者の意識的な参加を必要とします。頭がぼーっとしているときの読書は、1行たりとも前進しませんが、映画であれば、ぼんやりと眺めているだけでシーンは進んでいきます。

つまり、本というメディア、あるいは読書という行為は、全般的に「しんどい」ものなのです。苦労を必要とすると言い換えても良いでしょう。

そしれ本を取り巻く環境も、いろいろな「しんどさ」に満ちあふれています(あるいは溢れていました)。

紙の本を買うときは__一昔前では__書店に足を運ぶ必要がありましたし、検索機のない時代では一つひとつ棚を覗いていく必要もありました。書店ごとにラインナップが違うので、書店のはしごをすることも珍しくありません。買った本は家に持って帰らなければいけませんし、しかも家に帰ったら帰ったでどこにその本を置くのかの問題にも直面します。

そのすべてが「面倒」です。「手間」と言い換えても良いでしょう。

おそらく、その環境が長く続くことによって、本の価値と「しんどさ」や「面倒さ」がリンクしてしまった、あるいは癒着してしまったということがあるのかもしれません。あるいは、実際にその「しんどさ」や「面倒さ」それ自身にたしかな価値があるのかもしれません。

どちらかはわかりませんが、ともかく「しんどさ」と価値が固く結び付いてしまっている可能性はあります。


その視点で眺めてみると、電子書籍は「しんどさ」や「面倒さ」が徹底的に排除されています。

  • 書店に行かなくても買える
  • 本を探して歩き回る必要もない
  • 重たい本を持ち運ぶ必要もない
  • 本棚はクラウドにある

圧倒的です。さらにこれが「読み放題サービス」であれば、もう完璧と言えるでしょう(品揃えが問題ですが)。

よく「手のかかる子ほどかわいい」なんて言われますが、認知心理学の知見でも、自分が手間をかけたものにより強い価値を感じる、ということが言われています。

そう考えると、紙の本を苦労しながら楽しんできた人が、電子書籍を忌み嫌うのはわからないではありません。なにせ、そこには本に付随する苦労がほとんどないのですから。


言うまでもありませんが、私は上記のようなものを「不合理だ」と切り捨てたいわけではありません。価値というのは、それぞれの人が心の内側で感じるものであって、他人がとやかくいうものではないでしょう。そういう人もいて、そうでない人もいる。ただ、それだけの話です。

もちろん、商売をしていくのであれば、どういう人をターゲットにするのかは、きちんと見極める必要があるでしょうが。


というようなことを書いてきましたが、私はやっぱり紙の本には紙の本なりの独特の良さがあるとは思います。

一つには、「物」としての価値ですが、それ以外にも情報を摂取する体験に違いがある気がします。どれだけ電子書籍で読むことに慣れたとしても、紙の本で読書するという体験とは同一にならないだろう、という予感です。

でもそれは、「どちらが優れている」という話ではありません。単に違いがある、という話です。ベートーヴェンが優れているからと言って、モーツァルトが優れていないことにはなりません。そういうことです。

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