Evernoteのノートブックの「場所」

先日、Evernoteのノートブック命名規則を変更しました。といっても、たいしたことではありません。

「進行中プロジェクト」スタックにあるノートブック名を統一したのです。カギ括弧や頭に■があったりなかったりだったので、それを整えたという感じ。

その結果、もともとスタックの一番上にあった<■00「有料メルマガ」>が一番下に移動しました。ディスプレイ上にして3cm程度の移動です。たわいない移動です。

screenshot

しかし、移動した直後は、ちょっと困ったことが起こりました。

ちがう、そこじゃない

「そうだ、メルマガを書こう。先週は何書いたかな」

そんなことを思ったとしましょう。もう、その瞬間に私はデスクトップをスワイプしEvernoteへ移動しています。で、ノートブックリストから、ノートブックを選択。<「■#SP」>……あれ? 違うノートブックだ……

ということが起きるわけです。つまり、ネーミングが変わる前に<■00「有料メルマガ」>が置いてあった「場所」を自然とクリックしてしまっているのです。

もし、この動作が意識的なものであったら、このようなミスは発生しなかったでしょう。

しかし、有料メルマガの情報が必要になったら、<■00「有料メルマガ」>を表示させるという動作は、これまで何度も何度も繰り返しているので、無意識下にまでインストールされてしまっています。で、そこでは、「場所」は変数ではなく定数的に処理されてしまっているのでしょう。だから、柔軟に変更がききません。同じ「場所」をクリックしてしまうことになります。

固有の存在

この出来事に遭遇して以来、情報の利用における「場所」の重要性に想いを馳せるようになりました。

実際、何一つ明確な結論は出ていません。問題提起すら怪しいものです。

しかし、よくパソコンユーザーが「デスクトップ」上にファイルをとっちらかしているのも、ある意味では「場所」が持つ力なのかもしれないな、とは感じます。「場所」は想起の中で(ある程度)固定的に扱われるのでしょう。だから、とりあえずデスクトップに保存してしまう。

もちろん、それはデスクトップが一番アクセスがよく、さらに付箋を画面に貼っておくようなリマインダー的機能が期待できる、という面もあるでしょう。でも、それだけではないと思います。何かを思い出すときに、「場所」というのは強いパラメータになるような気がするのです。

それは物理世界における「場所」が固有の存在である点に関係しているかもしれません。東京都千代田区千代田1-1-1は一箇所しかないのです。言い換えれば、認知的に「しっかりしている」のです。揺れが少ないと言ってもよいでしょう。その性質が、想起の際に効果を発揮するのではないか、なんて勝手に考えております。

さいごに

再度書きますが、結論めいたものは何もありません。

ただ、

あれに関連した情報が欲しい→あの場所にある

という心の動きが、意識的ではなく無意識的に発生するようになったら、ちまたでよく言われる「○○を活用できている」状態と呼べるのかもしれません。

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Evernoteのinbox整理アプリ『zen』

デフォルトノートブック(既定のノートブック)をノートの「受信箱」にしておき、そこからしかるべきノートブックに振り分けるスタイルをinbox方式と呼びます。

これは多様な情報が入り込んでくるEvernoteの整理法としては、非常にありふれたもので、個人的にもinboxは作っておいた方が良いと思います。少なくとも一度以上はノートを見返すことになるので、情報の非活用度を5%程度押し下げる効果が期待できます(数字は適当)。

で、そのinbox整理(inboxにあるノートを別のノートブックに振り分ける作業)なんですが、私としてはMacでやりたいところです。iPhoneの小さい画面でちまちま作業したくないのです。

でも、これぐらいシンプルな操作なら、iPhoneでやってもいいかな、という風には感じました。

Zen
カテゴリ: 仕事効率化, ユーティリティ

使い方

コンセプトは簡単です。

あらかじめ指定したノートブックに入っているノートを、別のあらかじめ指定したノートブック(アーカイブと呼ばれる)にスワイプ一発で振り分ける。

たとえば、こういう設定にしておいて、

20140724075508

リストから右方向にスワイプすると、スクラップのノートブックに瞬時に移動します。操作のもたもた感は一切ありません。

20140724075431

右側へのスワイプはアーカイブですが、左側へのスワイプでは、ノートブックリストの選択になります。右側に長スワイプすると、ノートの削除。私はあまり使いませんが、必要な方もいらっしゃるでしょう。

※ノートブックの選択画面
20140724075315

つまり、inboxに入っているノートを、右へ左へスワイプして、仕分け作業を行うことができます。

fcaac0c8168fdf18e3aabb83b03d1fdb

もちろん、ノートをタップすれば、中身の確認もOK。基本的なことは十分できます。

20140724075241

が、タグ付けはできません。今のところは。

あくまでノートブックの移動だけに特化したアプリになっています。

相性の良い人

と考えると、inbox方式を採用している方で、

  • 特定のノートブックへ頻繁に移動させる
  • タグを使わない

というタイプの方ならば、ベストマッチでしょう。びゅんびゅんinbox整理が進むかと思います。

逆に100個のノートを、5個ずつ20個のノートブックに移動させる、という場合どれをアーカイブに指定していいのか判断に困ります。それにこの操作感の快適性が若干いかされません(不便とまでは言えませんが)。ここら辺は整理システムとの相性があるでしょう。

さいごに

私の利用法では「スクラップ」と「象の墓場」が大半なので、わりと相性は良い方です。その部分だけをみれば、メイン使用もありえます。

が、タグとリマインダーが指定できないのが痛いところ。リマインダーに関しては危機的状況ではないものの、タグがないのはツライです。頻繁につけるものではありませんが、一回のinbox整理で数回のタグ付け作業は発生します。それができないと、いろいろ困るのです。

無茶な要求とは理解しつつも、この快適さを維持しながら、タグ付けもできるようになると、私的には超ハッピーなアプリになりそうです。

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【書評】GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代(アダム グラント)

「与える戦略?」
「そう。与える戦略だ。まず君があたえる。与えて与えて与えぬく。すると……」
「すると?」
「何かが返ってくる。必要以上に与えたその分が返ってくる」
「それが与える戦略?」
「その通り」

「与える」戦略

毎週配信しているメルマガで、「僕らの生存戦略」という企画を連載していました。

その企画では、現代で生きづらさを感じている人がいかにすれば少しでも生きやすくなるか、という「戦略」を考えていたのですが、そこで出てきたのが「与える」戦略です。

この戦略の発端は『与える人が与えられる』という本なのですが、その本では、他人に与えた人の方が結果的に多くのもの得られるというある種の<人生法則>が紹介されていました。で、その法則は私の周りを見渡しても頷けるものがあります。

たしかにそうだな、と思った反面、次のような疑問も思いつきました。

「与えたら、自分に返ってくるから、まず最初に与えよう」というのは、「自分は何を与えられるか」をまっさきに考える人と同じなのかどうか?

という疑問です。

時間平面を細切りにすれば、両者の「与える」行為は同じに見えます。であれば、問題ないのでしょうか。

本書は、その疑問に一つの答えを与えてくれました。

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代
GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 アダム・グラント 楠木 建

三笠書房 2014-01-08
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ギバーとテイカーとマッチャーと

本書の要点は、ずばっと言ってしまえば「情けは人の為ならず」の一言に尽きるわけですが、もう少し膨らませて箇条書きにすると、

  • 人の行動パターンを類型化すると、ギバー・テイカー・マッチャーに分かれる
  • 大半はマッチャーで、少数のギバーとテイカーがいる
  • ギバーは、まず相手に与える
  • テイカーは、相手からもらうのに必死
  • マッチャーは、もらったら返す
  • ものすごく成功する人はたいていギバー
  • でも、失敗する人もギバー(ギバーにも種類がある)
  • テイカーは言葉遣いなどに特徴がある(見分けられるかも)

となります。

行動パターンの類型でこの社会を眺めてみると、

ギバーは、世の中にたくさん存在するマッチャーに与える。マッチャーはそれに恩義を感じて、必要なときにギバーにそれを返す。ギバーは与えるごとに味方を増やし、テイカーは得るたびに敵を作る。長期的にみると、周囲から声援や援助を受けて、成功しやすいのは、さてどっちでしょう?

ということになるわけです。

なんだから当たり前の話のようにも思えるし、逆にキツネにつままれたような気がするかもしれません。

ともあれ、上のお話を受け入れたとすると、「成功するためには、ギバーになりましょう」という教訓が出てくるわけですが、これは冒頭に掲げた疑問にまともに正面衝突します。

だって、「自分が成功するために、誰かに与えましょう」というコンセプトならば、それはどこからどうみてもテイカーの発想です。このねじれというか、パラドックスというかに、やっかいな問題が潜んでいるわけです。

変換ミス

ある人がいたとします。その人はギバーです。その人はギバーとして振る舞い、大きな成功を収めました。

それを後ろで見ていた誰かが(偉そうに)こう言います。「ほら、あの人はギバーとして振る舞ったから、成功したんですよ。あなたたちも、成功したいのであれば、ギバーとして振る舞いなさい」

情報伝達における変換が、うまくいっていません。

ギバーな人は、成功を求めてギバーとして振る舞ったわけではありません。そうしたいから、そうしたのです。それが結果的に成功につながった、というだけのお話。

昔の言葉に、

「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」

なんてものがありますが、「ギバー」の教訓は古人の跡を求めているようなものです。

だったら、どうすればよいのでしょうか。

詳しい話は本書に譲りますが、あなたが与えたくて仕方がないものを与えればよいのです。それが真の意味での「与える」戦略です。

テイカーにはご用心

本書はギバーについての本でもありますが、実はテイカーについての本でもあります。むしろ、テイカーに食い物にされないための指南書と言えるかもしれません。

本書では、自分の写真や言葉遣いによってテイカーを見分ける方法が紹介されています。逆に言うと、そういう方法が必要なのです。なにせテイカーは、

こうされないように、テイカーはバケの皮をかぶって寛大に振る舞い、ギバーやマッチャーを装って相手のネットワークの中にまんまと入り込もうとする。

というように、最初は親切な人なのです。後からの見返りを期待した親切を、存分に振りまきます。

で、そこで信用を獲得し、のちのち「回収」にかかります。ひたすら人脈を広げたり、偉い人とコネをつなげたり、何か売りつけたりするわけです。もう、その瞬間には、相手方のメリットなど何も考えません。ただ、「どうすれば、自分の得になるか」だけがテイカーの頭の中に渦巻いています。

あまりそういう人物に近づきたくはありませんね。

本書にもありますが、「自分の利得に関係無い人をどのように扱っているか」というのがテイカー傾向を見極める一つの指標になるかもしれません。特に「回収済み」の人をどのように扱うのかが、大きなポイントになるでしょう。

面白いのは、

ドイツの心理学者トリオによれば、初対面で一番好感をもたれるのは、「権利意識が強く、人を操作したり利用したりする傾向のある人びと」だという。

というお話。

これがどのぐらい真実なのかはわかりませんが、人に対する評価を、第一印象だけで固定してしまうのは、少々危うい、ということだけは覚えておいた方がよいでしょう。

最初は親切そうに見えたのに……、みたいなことはいっぱいあります。逆にどれだけ時間が経っても、同じように与え続けている人もいます。そういう人はギバー属性の可能性大です。

さいごに

ギバー作法やテイカー注意報ももちろん大切なのですが、本書において一番重要なのは以下の一文ではないかと思います。

しかし、世の中の大半はゼロサムゲームではない。

このコンセプトというか、世界の在り方を受け入れられるかどうかで、世の中の見方・自分の立ち振る舞いがずいぶん変わってくるような気がします。

私は著者があげた「人の行動パターンを類型化」を見たときに、「そもそもどうしてギバーはギバーとして、テイカーはテイカーとして振る舞うようになったのか?」という疑問が湧いてきました。それは遺伝的な何かなのかもしれませんが、もしかしたら「世界をどのように捉えているのか」という価値観・世界観に依るものなのかもしれません。

世の中を受験や入社試験といった限定的な視野で捉えた場合、たしかにゼロサムゲームな側面はあります。でも、空間・時間的に視野を広げれば、案外そういうものではなくなります。そういうものではない世界が、雄大に広がっているのです。

▼こんな一冊も:

あたえる人があたえられる
あたえる人があたえられる ボブ・バーグ Bob Burg ジョン・デイビッド・マン John David Mann 山内 あゆ子

海と月社 2014-01-29
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熱狂的なファンを生む「成城石井」の姿勢

以下の本を読みました。

成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?
成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか? 上阪 徹 織田桂子

あさ出版 2014-06-24
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※献本ありがとうございます。

ストレートに小売業のお話としても楽しめるのですが、メディアの運営__たとえばブログについて学べることもあるような気がします。

今回はブロガー視点で、「成城石井」のエッセンスを取り出してみましょう。

味や品質はもちろん、原材料や安心安全のこだわりの食材を求めるあまり、世の中になければ自分たちで作ってしまおう、となったという。

「読みたいブログがなかったら、自分で書け」

というやつですね。これってかなり重要だと思います。だって、そこには(小さいながらも)はっきりとしたニーズがあるのですから。

もちろん、「自分たちで作ってしまおう」は面倒ではあるのですが、「やっぱり、このブログだよね」と思ってもらえるような存在になるためには、その面倒さのハードルを乗り越える必要があるのでしょう。

興味深いのは、儲けよう、という発想ではなかったことだ。本当においしいものを、こだわったものをとことん突き詰めよう、というところから、成城石井は品揃えを考えた。それが結果として、他者が真似できない仕組みや品揃えにつながったのだ。

ブログでも、「あぁ、儲けようとしているな」と感じるものは、だいたいレイアウトやら広告の貼り方やら、紹介する商品などが似てきますね。別にそれが悪いわけではありませんが、差別化という点で弱いことは確かでしょう。印象に残りにくい。

「こだわったものをとことん突き詰めよう」としていると、だんだん<歪み>が出てきて、結果的にそれが個性となります。そのグルーヴィーな<歪み>は他の人が真似をしようと思ってもできるものではありません。

「本当においしいものを提供する。それが一番大事なことだと思っています。これは私自身もそうなんですが、おいしいものを食べちゃうと、もう戻れないんですよ(笑)。成城石井のこだわりを理解してくださる方が増えたというのは、それだけおいしいものを求める方が増えたということだと思っています」

言及は避けますが、まあ、そういうこともあるのでしょう。

背景には、基本をしっかりやっていれば、結果は後からついてくる、という思いがあるという。逆に結果だけを追いかけようとすると、基本がおそろかになるというのだ。

ブログにおける「基本」って何なんだろう、と一度じっくり考えてみたくなりました。成城石井の四つの基本は、挨拶、欠品防止、鮮度管理、クリンリネスだそうですが、ブログにも似たようなものがあるでしょうか。

たぶん、あると思います。そして、その中に炎上は入ってこないとも感じます。

とりあえず華やかなテクニックに比べればまったく見栄えのしない「基本」を、どれだけしっかりやれるか、ということなのでしょう。

「自分の考え方が大きく変わりました。路面店のスーパーマーケットとは、売れるものがまったく違ったんです。その一方で、それまで成城店をはじめとして、お客様のニーズに答えようと一生懸命に取り組んできたワインやシャンパン、チーズ、総菜といった成城石井独自の品揃えが大きく活きたんです。

駅の改札口のすぐ隣にある、それほど店舗面積が広くないスーパーと、路面店のスーパーとは売れる物が当然違います。お米とか大容量のお醤油だとかは、駅なんかでは買わないわけです。

そんなことはちょっと考えてみたらわかるだろう?

たしかにそうかもしれません。でも、それと同じ考え方を用いると、きっとワインやチーズなんかも売れないに違いないと判断され、スーパーの出店そのものが無くなってしまうでしょう。でも、実際はこれらの商品は大いに売れたわけです。もちろん、そこに売れた理由もあるのでしょう。後から考えれば。

何が人気になるのかを前もって予測することはできません。

できるのは仮説を立て、実行し、結果を受けて修正することです。後は、それと止めどなく続けていくことです。これこそ「言うは易く行うは難し」の典型例かもしれません。

「(前略)最初から飲食の経験者を入れたり、コンサルタントに入ってもらったら、今ある飲食店と同じになってしまうじゃないですか。そうじゃなくて、料理にしても、給仕にしても、接客にしても、ワインの提供の仕方にしても、自分たちが築き上げてきた成城石井なりのやり方があるんです。これまでと同じような店を作っても、まったく面白くもなんともない」

あきれるぐらい非効率的なやり方であり、驚くぐらい矜持を感じるやり方でもあります。

とにもかくにも、「まあ、これでいいか」という妥協をしない。チャレンジをして、新しい価値を生み出そうとする姿勢が窺えます。

当然、上のやり方で作られた飲食店はオープン初日から大混乱だったそうです。飲食業の素人が集まって作ったお店なんですから、当然の帰結ですね。でも、そこから少しずつリカバーしていった。で、結果的に他の飲食業とは一風異なったお店ができあがった。

注目したいのは、そうした独自のお店を築き上げたという結果ではなく、そこに至るまでのプロセスの特異性です。そのプロセスの特異性抜きに結果だけに注目してしまうと、何かしらを見落としてしまうことでしょう。

さいごに

全体を通してみると、私がよく言っている「隠れ家ブログ」の作り方に通じるところがあるような気がしてきました。

もちろんこれは、ガンガンPVを集めるブログの作り方ではありません。(固定的な)ファンを生み出すための方法です。方法、というか姿勢と呼んだ方がいいかもしれませんね。

ブログというのは、基本的にどんなやり方だってできる場です。それはつまり、個人の<歪み>を存分に受け止めてくれる場でもあるということです。

「オリジナリティー溢れるブログを作ろう」、というのではなく、自分が良いと思えるものをとことん追求していくのが、結果的にオリジナリティー溢れるブログへとつながっていくのかもしれません。

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もやもやを通り抜ける、ということ

TEDの動画を見ました。

ウーリ・アロン: 真の革新的科学のために、未知の領域へ飛び込むことが不可欠な理由 (TED)

とても興味深い内容ですので、ぜひご覧ください。

「後で見ようかな」という方は、この文章にしばしお付き合いくださいませ。

「もやもや」に突入する

何かしらの目標があります。

IMG_0662

その目標に向かって歩いて行けば、それがゲットできる。こんなのは、思い込みに過ぎません。アロンは研究という文脈で言っていますが、おおよそ「新しい事柄」に関してはこれと同じことが言えるでしょう。

実際目標に向かって歩き始めると、「もやもや」(cloud)の中に突入します。

IMG_0663

何をやってもうまくいかない。うまくいく方法もわからない。何が正しくて何が間違っているのかも判然としない。そもそも前はどっちだ……。そんな状況です。

でも、たまたま運良くその「もやもや」を抜けることができると、当初は思いもよらなかった新しい発見ができるのです。

IMG_0664

上の動画でアロンが強調しているのは、「もやもや」を避けて通ることはできない、という点。

もし、当初立てた目標にそのままたどり着いたのならば、それは予定調和でしかなく、斬新な発見ではありません。つまり、すでにわかっていることを成し遂げただけです。極端な言い方をすれば、それはプログレスでしかありません。つまり、改善。イノベーションではないのです。

イノベーションというのは、事前に予想し得ないからこそイノベーションたりえます。

で、事前に予想し得ない場所にたどり着くためには、「もやもや」の中を通り抜ける必要があるのです。泥臭い試行錯誤を、忍耐図良く繰り返すしかないのです。

その発見や達成が成される前の時点では、「ここを越えればイノベーションにたどり着けます」という境界線は誰も知り得ません。繰り返しますが、誰も知り得ないからこそイノベーションなわけです。どこに行けばよいのか誰も知らないから、手当たり次第に歩き回る必要があるのです。それが「もやもや」なのです。

後から語られる物語

残念ながら、達成者が語る物語は、シンプルな形に歪められていることが多いようです。つまり、目標にまっすぐ歩いていったら、手に入った、という物語。まあ、メディアというフレームに当てはめるにはこうしたシンプルな構造がよいのでしょう。

あるいは、後から振り返る形で「あの時、あれをやっていたから今の成功があります」みたいな形でも語られます。でも、それは後知恵バイアスでしかありません。その時点では、何が鍵を握ることになるかなんて、誰もわかっていなかったのです。そして、その人は価値のわからないことを、ただただ続けていったわけです。

でも、「誰もわかっていない」という物語は、あまり好まれません。何かしらの意味づけがなされるのが大半です。

この問題をさらにやっかいにするのが、ある種のビジネスとして、この「もやもや」をパイバスしてくれる教えがあることです。つまり、いろんな人は「もやもや」の中にいるけれども、このノウハウがあれば、ほらこの通り。まっすぐに成功が手に入りますよ、と謳ってくるわけです。

たしかにそうしたバイパスには一定の効果があるのかもしれません。でも、それは既に確立された価値を手にするためのものです。シンプルに言えば、二番煎じ。もちろん二番煎じでも、価値にはちがいありません。あとは、それに見合う価格のなのかどうかのジャッジメントだけです。

一番煎じのフロントライナーが「もやもや」を通り抜けることで、その場所にたどり着いたのだとしたら、その後を追う人も、同じように(そして別の形の)「もやもや」を通り抜ける必要があるでしょう。

IMG_0665

さいごに

簡単にまとめましょう。

  • 新しい事柄にたどり着くためには「もやもや」は避けては通れない
  • 「もやもや」のショートカットは二番煎じ止まりの可能性大
  • むしろ「もやもや」に耐えられる力(あるいは仲間)が欲しい

では、お付き合いいただきありがとうございます。ぜひ、動画の方もご覧ください。

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7/14 〜 7/19 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. 【書評】ブログ飯(染谷 昌利)
  2. Evernoteユーザーミーティング@関西とかって、どうですかね?
  3. 「書きたいことを書けばいい」のか? #ブログ合宿
  4. 【書評】偶然の科学(ダンカン・ワッツ)
  5. 『アリスの物語』翻訳コンテストが始まっております
  6. CotEditorからEvernoteに送信する際、作業ログも残すスクリプト

書評ネタストックが溜まっているので、がしがし書いていきます。

あと、Evernoteイベントですが、ご興味持ってもらえる方がちらほらいるようなので、できるだけ開催の方向で動いてみたいと思います。次は、会場の問題ですね。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

7月14日

記事にも書きました。切り分けが大切です。

7月15日

好奇心がなければアイデアはない、と書こうと思ったんですが、さすがにそれは言い過ぎかなと思って改めました。とりあえず、好奇心が鍵を握っていることは間違いありません。

7月16日

面白がれる力、というのが一種の教養でもありますね。

7月17日

問題そのもの、ヒント、自分が考えていること。その他もろもろを別の言葉や表現で言い換えるようにしてみると、新しい理路が見つかることもあります。

7月18日

逆に言うと、自分は思い込みしているかもしれない、と常に思っていられるなら、どのような種類の思い込みをしていても、リカバーが可能です。

7月19日

人を導くのが、どんなときでも良いこととは限りません。

今週のその他エントリー

note

電子書籍の広がり #burningthepage
愛される端末とブック・フェロモン #burningthepage
本の地図で旅する #burningthepage
情報摂取と読書 #burningthepage
私たちはなぜ本を読むのだろうか? #burningthepage
贈り物としての本 #burningthepage

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○ブログを10年続けて、僕が考えたこと vol.06「一冊目の本と、それから」
○BNS #10
○僕らの生存戦略 vol.51 「進捗記録:01」
○知積生産エッセイ 「Evernoteユーザーの集い」
○今週の一冊 『偶然の科学』(ダンカン・ワッツ)

→メルマガの過去分エッセイは「Facebookページ」にて読めます。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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CotEditorからEvernoteに送信する際、作業ログも残すスクリプト

ほとんど全ての原稿をCotEditorで書いています。

で、それをEvernoteで保存しています。

ブログなどにアップする文章は実体ファイル(.txt)を作らずに、Evernoteのノートにしちゃうわけですね。

で、そのとき使っているのが、以下のスクリプト。

CotEditorからEvernoteに送れるようになった

この頂戴したスクリプトは、さらにカスタマイズされ、あらかじめ指定してあるタグをつけられるようになっています。

CotEditor to Evernote(ApplleScript)をタグを付けられるように改造

で、これをさらに改造しました。

文字数表示

まず最初に手をつけたのが、文字数の表示です。

書き終えた原稿をEvernoteに送った際、「文字数:○○○」という感じで、原稿の文字数をダイアログで表示させるようにしました。

screenshot

「うん。俺はこれだけ仕事したぞ!」という充実感をアップさせるための施策ですね。

しばらく使ってみた感触として、これはなかなか良いです。やっぱりフィードバックというのは重要ですね。

作業記録へ

で、気がつきました。これって作業記録になるんじゃね? と。

テキストファイルの一行目は原稿のタイトルですし、タグとして選んだ文字列はプロジェクト名です。そして文字数カウントもある。ということは、自分で何一つ記録を取らなくても、CotEditorからEvernoteに送信した際に、作業ログを残せるのではないか、と。

私は、毎日デイリータスクリストをEvernoteで作成していますので、そこにデータを追記していけばOKです。つまり、こういう感じになります。

screenshot

残念ながら、ログにおける最重要な要素である「作業時間」についてはログできませんが、今のところそれを望むのは高望みというところでしょう。でも、何かしら工夫すれば、そこもクリアできるかもしれません。

コード

コードは以下のような感じ。

残念ながらハイパー個人カスタマイズしてあるので、このままでは確実に使い勝手が悪いです。

というわけで、ご利用になりたい方は、AppleScriptをググりながら、自分用にカスタマイズしてください。まあ、このツールの需要がどこまであるのかはまったくわかりませんが。

さいごに

なんにせよ、「半自動で残るログ」というのは大切です。モチベーション的なものにも関わってくるかもしれません。

今後も、こうしたものを拡張していきたいですね。

では、すてきなEvernoteライフを!

▼こんな一冊も:

EVERNOTE「超」知的生産術
EVERNOTE「超」知的生産術 倉下忠憲

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『アリスの物語』翻訳コンテストが始まっております

以前紹介した、ララノコン受賞作の英語版を発売するためのコンテストの『アリスの物語』回が始まっております。

ライトなラノベ 日英翻訳者 大募集!

期間は昨日7月17日から7月28日まで。

この期間中にまずトライアルパートを翻訳して応募、そして優勝者に選ばれたら8月15日までに全文翻訳、という流れです。

トライアルパートは、だいたい700文字ぐらいで、ちょこっと覗いてみると主人公とマスターの会話部分でした。自分でも試しに翻訳してみようとして、改めて英語力のなさを実感しているのが今です。やっぱり「自分の仕事をする」というのが大切ですね。

というわけで、翻訳得意な方の応募お待ちしております。

アリスの物語 (impress QuickBooks)
アリスの物語 (impress QuickBooks) 倉下 忠憲 ぽよよんろっく

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【書評】偶然の科学(ダンカン・ワッツ)

大成功した企業が登場し、専門家がその成功要因を「分析」して、ノウハウ化する。

というのは、だいたい役に立たないことが実によく理解できる本である。

偶然の科学 (ハヤカワ文庫 NF 400 〈数理を愉しむ〉シリーズ)
偶然の科学 (ハヤカワ文庫 NF 400 〈数理を愉しむ〉シリーズ) ダンカン ワッツ Duncan Watts

早川書房 2014-01-10
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印象としては、タレブの『ブラック・スワン』と『まぐれ』、カーネマンの『ファスト&スロー』、ハース兄弟の『スイッチ!』あたりが好みならば、間違いなく楽しく読める本だ。

人間が抱える常識と、それに基づく予測の不確かさを検証しながら、「じゃあ、どうすればよいのか」にまで言及している意欲的な一冊である。

概要

原題は「Everything Is Obvious: *Once You Know the Answer」。すべては自明である__一度でも答えを知ってしまえば、と少々皮肉が効いている。

そしてこれは、まさに私たちの認知が頻繁に行っていることでもある。

何か事件が起きる。すると、それを引き起こした「原因」をすぐさま察知し、私たちは納得する。さも、それが起こるべくして起こったかのように。でも、本当のところ、その「原因」が正しいのかどうかはわからない。

しかし、歴史にIFはなく、それはつまり比較対照実験のしようもないわけだから、その「原因」が検証されることはない。だから、完璧な説明として成立してしまう。他の可能性など思いもつかない___つまり、自明なのだ。

その「自明である」という感覚は、控えめに言っても「真理の探究」とは真逆である。そこに科学的発展の余地はなく、同じ過ちを繰り返す結果になりかねない。

本書は、私たちの「常識」に光をあて、その常識によって建設される「推測」の塔がいかに危ういモノであるかにメスを入れていく。予測できることと、それができないことを選り分けて、できないことへの対処法も考えていく。

章題は以下の通り。

第一部 常識
 常識という神話
 考えるということを考える
 群衆の知恵(と狂気)
 特別な人々
 気まぐれな教師としての歴史
 予測という夢
 
第二部 反常識
 よく練られた計画
 万物の尺度
 公正と正義
 人間の正しい研究課題

常識が機能しない場所

第一部では、常識(コモンセンス)なるものと、それが引き起こす問題を解き明かしていく。

重要な指摘は、常識は実践的である、という点だ。

ひとつめは、基本が理論的な正規の知識体系と異なり、常識はきわめて実践的であることだ。つまり、どうすれば答が得られるかと悩むよりも、問いに答えを与えることに重きを置いている。

常識で現実の問題に対処するとき、「なぜ、そうなっているか」という考察は必要ではない。「常識だから、こうする」という反応的な対応で十分なのだ。

会社に行くときは何を着る? スーツだ。
なぜ? そういうものだから。

万事こういった感じである。そこになぜの深掘りは必要ではない。そんなことをしなくても、問題を解決できる__この場合会社で浮かなくてすむ服装を決められる__のが常識の働きである。

共通でない常識

もちろん、そこには問題もある。常識は英語で「common sense」と言うが、本当の意味での「common(共通)」ではない、という点だ。常識は時代や文化によってかわってくる。国や職業的立ち位置によっても違うだろう。

本書では最後通牒ゲームによって、その違いをわかりやすく例示している。

最後通牒ゲームとは、心理学ではお馴染みなのだが、二人一組になり、片方に一定の金額、たとえば100ドルを渡す。渡された方は、自分の取り分を決め、それをもう片方に伝える。「私は80ドル受け取るので、あなたは20ドルになりますね」。伝えられた方は、それを受諾するか拒否するかを選択する。こんなゲーム(実験)である。

あなたが最初にお金を受け取ったプレイヤーで、さらに経済合理性を最大限に追求するならば、自分99・相手1、を提示するだろう。でも、常識的に考えれば、そんな判断はしないはずである。まず自分50・相手50あたりを選択するはずだ。ちょっと色気を出して、自分60・相手40ぐらいまで突っ込んでみて、ギリギリのやりとりを楽しむかもしれない。

しかし、パプアニューギニアのアウ族とグウナ族はまったく違う。自分よりも相手の取り分を多く申し出るのだ。なんと利他精神に溢れる部族だろうか……、と驚くのはまだ早い。そうした「公正すぎる」申し出は、不公正な申し出と同じぐらい拒否されるというのだ。つまり、私は30でよいので、あなた70とってください、と言われたら、「そういう取引は受諾できません」となるということだ。

一見すると__あるいは私たちの常識から考えると__不可解な態度である。しかし、彼らの部族が「贈与」に重きを置いていると聞くと納得できる。彼らは、何かを受け取ったら、必ずそれを返さなければいけないのだ。だから、「公正すぎる」申し出を受け取ってしまうと、余計な義務を抱え込んでしまうことになるわけだ。だから、申し出は拒否される。

こうして理由を聞くと納得はできるが、それまではなんだかよくわからない、あるいは不気味な立ち振る舞いのようにも見えてしまう。著者はこう述べる。

ある人にとっては当たり前のことが、ほかの人にはばかげて見えるのなら、世界を理解する土台として常識は頼りにならないのではないだろうか。

常識のボーダー

常識は、日常的な問題を解決するにはすごく役に立つ。しかし、自分の日常を越えたものを理解するのには役に立たない。

多くの場合、その機能不全は問題にはならないが、たとえば政策立案者やグローバルな企業活動を行う経営者ならば、どうだろうか。

さらにいえば、ソーシャルネットワークの普及で、自分たちの日常的常識で「ものを言う」人が増えている問題もある。自分にとっての「当たり前」をすぐに世界レベルにまで敷衍し、言及してしまう。ときにそれが寄せ集まって大きな声になることもあるだろう。そこには、ある種の危うさすら感じられる。

そして、この話は常識とそれに基づく推論が抱える問題の一部でしかないのだ。

いくつもの問題

私たちは誰かが何かする理由を、自分自身のインセンティブにおいて理解しようとするが、そもそも自分自身のインセンティブをきちんと理解できている人はほとんどいない。だから、推測はたいてい間違う。

さらに、私たちは集団における影響を無視し、個人を原因としたがる。ものすごいCEOがいたから、あの会社は成功したんだ、というシンプルな物語を好む、というわけだ。そこでは創発現象は無視されている。本当は、個人よりもそれぞれの関係性が大切なのかもしれないが、シンプルな物語ではそうした要素は埋没してしまう。

最後に、私たちは歴史から学んでいるように感じて、その実ほとんど学べていない問題もある。これは本当によくある話で、「成功した企業10社を集めて、その特徴を分析した」という話は、だいたいにおいて意味がない。最低限、『ビジョナリー・カンパニー』シリーズのように、同じような条件下においてまったく成功しなかった企業を並べる必要がある。成功を生み出したかのように見える要因は、単にそれが目立つ要素だっただけかもしれない。

しかし、「実際に起こったこと」は大変強力なので、その説明に始終して、「起こってもおかしくはなかったが起こらなかったこと」はほぼ無視されてしまう。こうしたものから原則という名の再現性を求めるのは大変に危険だ。怪しいコンサルタントだけではなく、私たちの日常的な「出来事からの学び」や、書店にならぶビジネス書まで、似たような状況に陥っているものは多い。そういう傾向を、脳がデフォルトで持っているのかもしれない。

ともかく、常識が自分の日常的な問題対処から、一歩抜け出ようとするときさまざまな不具合が生じることになってしまう。本書の第一部では、徹底的にそれが解明されていく。

常識の外で、どう振る舞うか

常識の問題点を明らかにした上で、第二部ではもう少し踏み込んだ問題にフォーカスを当てている。

まずは、常識に基づく予測が完璧であり得ないのなら、私たちはどうすればよいのか、という問題だ。この答えはシンプルで「計画者が直感と経験のみに基づいて計画を練り上げられるといううぬぼれを捨て」て、現場の知識や情報を活かすようにすることだ。なぜそうなのかは、本書を直接ご覧頂きたい。

もう一つ、第二部で重要なのが、第九章の「公正と正義」である。

私たちがバイアスによって、偶然と必然、運と実力、会社の成功における個人の貢献と関係性の貢献、といったものをうまく切り分けられないとするならば、「公正や正義」はいかにして実現すればよいのかが問題になってくる。この章はある種の問題提起であり明示的な答えは示されていないように感じるが、マイケル・サンデルの「正義」に関する著作が思索を進める助けになってくれるだろう。

最後の「人間の正しい研究課題」では、Facebookなどの新しいツールの登場で、社会学がこれまで「実験」できなかったようなことが、__それも実験室の外で__行えるようになっている、という話が紹介されている。最近読んだ別の本にも似た話が登場していたので、個人の交流が盛んになる、以上の社会的効果がこうしたツールにはあるのだろう。

さいごに

著者は常識に基づく推論ついて、こんな風に書いている。

したがって、常識に基づく推論はただひとつの決定的な限界ではなく、複数の限界が組み合わさったものに悩まされている。そしてそれらはすべて補完関係にあり、さらには互いを覆い隠している。その結果、常識に基づく推論は世界を意味づけするのは得意だが、世界を理解するのは必ずしも得意ではない。

しかし、私たちは意味づけできると、あたかもそれを理解できたかのように勘違いする。

今の日本では、過去通用していた「常識」が、少しずつ通用しなくなってきている。その過渡期においては、一つの文化圏内に、異なる世界の意味づけが併存してしまう。きっと、そこに溝があり、その溝が軋轢を生み出してしまうのだろう。

そんな現代だからこそ、改めて「常識」について考えてみたいところである。

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「書きたいことを書けばいい」のか? #ブログ合宿

7月13日に開催された「ブログ合宿」を片隅で拝聴していて、一つ気づいたことがあります。

あっ、「ブログ合宿」については、以下のブログ記事をどうぞ。わかりやすくまとまっています。

日記は少し工夫するだけでみんなに嬉しい情報となる!「ブログ合宿 SM編 at 東京」 #ブログ合宿(め~んずスタジオ)

で、気がついたことなんですが、今日の一言でつぶやいてみました。

これ、ブログを更新していくうえで、結構大切なことだと思います。

「書きたいこと」

よく、オレオレブログ論(というかその人のブログ哲学)で、「自分の書きたいことを書けばいいんですよ。私だってそうしてきたんですから」という言説が出てきますね。

で、私もそれに強く同感を覚えるわけですが、よくよく考えてみると、これって嘘ではないにせよ、実体を正確に記述できていないような気がします。

「書きたいことを書けばいい」をストレートに実行しちゃうと、日記になっちゃうんです。別に日記は迫害の対象ではないにせよ、情報としては弱いことは間違いありません。よほどの有名人でないかぎり、アクセスは望めないし、そもそも誰かの役に立つことも少ない。

だから、読み手に向けて情報を加工する必要が出てきます。加工という言い方が悪ければ、読んでもらえるように工夫する、でもいいです。その工程に関しては、「ありのまま」ではないんですよね。

たとえばこのブログでも、文章の塊ごとにH3タグを入れていますが、こういうのは別に「書きたいこと」ではありません。読む人が、情報の塊を掴まえやすいように、後から付け加えているのです。そうした読み手に対する気配りというかなんというかは、やっぱり大切ですよね。なんといっても、文章は読まれてナンボなわけですから。

ただ、こういうのも更新を続けていけば「当たり前」のことになってきます。特別なことをしている感覚が薄れるのです。だから、自分の感覚としては「書きたいことを書いている」になるわけですが、ブログを始めたばかりの人の感覚とは少々ずれてしまっているでしょう。

二つに切り分ける

「書きたいことを書けばいい」は、テーマ選び・トピックス選び・メッセージ選びについて言えることです。

まったく興味もないのに、ただ流行しているからという理由で記事を書いたり、あるいは「この手のブログは、こういう記事を書くのが普通だ」という感覚に苛まれる必要はない、という話です。

自分のブログなのですから、自分の関心領域に重なることを書きたいですよね。というか、そうしたものを書く方が良いと思います。でも、それはそのまま「書きたいように書けばいい」という話にはなりません。読んでもらうために、手を入れる必要があります。

つまり、

「何を書くか、どう書くか」

を切り分けて考えよう、というお話です。

「何を書くか」は、自分に内在するものを選べばよいし、
「どう書くか」は、まっすぐ読者さんのことを考えなければいけません。

さいごに

「何を書くか」については、自分自身の中にあるのですから別に問題はありませんが、「どう書くか」は自分の領域を外に広げないといけません。つまり、読者さんがどのように読むのかを想定する必要があるわけです。こういうのは、他の人にきくのが手っ取り早いかもしれません。

あと、自分がよく読んでいるブログをじっくり観察・分析するのも良いです。当ブログのH3を入れる手法も、別のブログからの丸パクリです。でも、やっぱりその方が読みやすいですよね。こういう「どう書くか」については、ばんばんパクっていくとよいでしょう。芸術も模倣から始まるのですから、ブログだって同じです

とりあえず、読者さんの存在を忘れないようにすること。これが一番です。

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