ニッチなものが息できる場所

以前紹介した(※)館神龍彦さんの『ポメラ×クラウド活用術』が、売れているとのこと。喜ばしい限りです。
【レビュー】ポメラ×クラウド活用術(館神龍彦)

もちろん、目を見張るような販売数ではないでしょうが、著者には何かしらの「実感」があるかと思います。まずはそれが大切ですね。

隙間から生まれるもの

「ポメラ×クラウド」なんてテーマは、あきらかにニッチです。

ポメラのユーザー数が上限で、そこにクラウドに興味を持っている人の割合が掛かります。紙の本で企画案を通すのは難しいでしょう。でも、電子書籍__特に経費があまりかからないセルフ・パブリッシングであれば、ペイラインに乗せることは可能です。

『KDPではじめるセルフ・パブリッシング』でも触れたことですが、KDPやその他のサービスによって、低コストでの「出版」が実現されたことにより、これまで「出版」にのせられなかったコンテンツが人の目に触れる可能性が生まれています。ニッチなものが、表舞台に出てこられるようになってきているのです。

もちろんあらゆることには裏表があるので、良いことばかりではありません。玉石混淆感を加速させる事態も起こるでしょう(というか起こっている)。しかし、生まれ得なかったものが生まれた、という点はぜひとも尊重しなければなりません。

ニッチでもいいよね

人間というのは、生物学的に共通している部分もあれば、内側に抱えている個別な部分もあります。マスなメディアは、共通の部分に注目し、個別な部分を切り落とそうとします。でないと、マスにならないですからね。ニッチなコンテンツが生まれえる場というのは、「ニッチでもいいよね」というメッセージを私たちに発信しています__というのは、少々大げさかもしれませんが。

もともと日本って、多様性・細分化の文化な気がします。一億層中流なんて、本当に最近生まれた単なる幻想です。それは、もはや「ブログ」なんて一つの言葉では括りきれない日本のブログ文化を眺めていても感じるところです。

そういえばブログだって、ニッチなものが生息できる場所です。

株主からの外圧がないので、一日のPVが5のブログを運営していたって、誰に怒られるわけでもありません。それで、いいのです。もちろん、それでご飯を食べることは不可能でしょう。でも、それが唯一の目的でしょうか。人それぞれに、個人的な目的を有しているものです。多様性を排除した先に、豊かな世界は待っていません。

さいごに

マスが作り出す文化様式は、人々を鋳型にはめてしまう。というのは、さすがに大仰すぎる気もしますが、ある種の息苦しさを発生させてしまうことはあるように思います。多くのメッセージが「こうしなさい」「みんなこうしてしますよ」だったら、やっぱりしんどいですよね。でも、そうしたメッセージが生み出せる何かもあります。話は単純ではありません。

マスかニッチか、というような対立軸で考えるのではなく、「じゃあ、自分にできることって何だろう」「自分がしたいことって何だろう」「自分が求めていることって何だろう」という視点から、適切な機能とツールとその運用法を考えていくのがよろしいのでしょう。

とりあえず、少しずつではありますが、ニッチなものが息をしやすい雰囲気は生まれつつあるように感じます。感じるだけかもしれませんが。

▼こんな一冊も:

ポメラ×クラウド活用術: ポメラをクラウドエディターにする方法
ポメラ×クラウド活用術: ポメラをクラウドエディターにする方法 舘神龍彦

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KDPではじめる セルフパブリッシング
KDPではじめる セルフパブリッシング 倉下 忠憲

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のっぴきならない

人生は何のために存在するのか。

その問いに答えることは簡単ではありません。

しかし、2014年4月18日は、私にとって本を読むために存在しています。

20140418111119

というわけで本日は閉店ガラガラ。

みなさま、よい一日を。

やむにやまれぬ

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>100円>

以前「note」というサービスを紹介しました。
「note」を触ってみた雑感など

あれを使っていると、とても奇妙な気分になってきます。値段に関する感覚が揺れてくるのです。

たとえば100円あれば、小さいアプリが買えます。200円あれば、iTunesで音楽を買うこともできます。単発の情報を買う、という意味では100円のnoteは、際だって高いということはないでしょう。でも、何かのテキストに100円払うのが勿体ないような気がしてくるのです。

不思議とイラストや写真のセットなら、その感覚__つまり勿体ないような気持ち__は少し薄れます。不思議なものです。

だいたいテキストを売って生活している物書きが、テキスト買うのにもったいなさを感じるなんて妙なねじれを感じます。あるいは、逆なのかもしれません。その辺りはわかりませんが。

情報ではなく物に視線を向ければ、100円で買える物はたかがしれています。最近は消費税が上がったので、それに拍車がかかりました。駄菓子や、怪しいブランドの缶ジュースぐらいでしょうか。

で、たとえば、私とあなたが一緒に作業していて、「ちょっと、自動販売機行ってくるよ」「おっ、じゃあ、俺のコーヒーお願い」「了解」ってなったときに、コーヒー代を執拗に請求するかというと、まあしないわけです。その時は、100円ぐらいいいじゃないか、という気分になります。

方や100円が勿体なく感じられ、方や別にどうでもいいかと思う。そういう感覚が、一人の人間の中に共存しているのです。

テキストで比較すれば、cakesは一週間150円です。でnoteは単発のノートの最低価格が100円。こうして比較してしまうと、noteってすごく高く感じられます。まあ、経済学的にみれば、cakesはたくさんの人間が買い支えるから値段を抑えられるし、noteは少人数にしか届かないから値段が上がらざるを得ない、なんて考え方ができるでしょう。

でもまあ、そういう話はまるっと横に置いといて、「100円ってなんだろうな」ってことを一度考えてみるのは面白いかもしれません。それは二、三歩引いてみれば「お金を払うってなんだろうな」を考えることにもつながりそうです。

何かを買うときの100円と、何かを売るときの100円。
何を売るか、どう売るか。
売るということはどういうことか、買うということはどういうことか。

noteでもセルフパブリッシングでも、その他のサービスでもいいんですが、一度値段をつける側に回ってみると、両方の視点からいろいろ考えられるようになるのではないかと思います。

値付けって難しいですし、何かを買ってもらうのはとても嬉しくて、とても怖い気分がするものです。

なんにもまとまらないですが、今日はこの辺で一つ。

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書かないと上手くならないけど、

結構、微妙な話だとは思うんですよ。

それでも、

書かないと上手くならないけど、書いてもうまくなるとは限らない

ってことは、結構言えるのかなって気がします。

因果が非対称なんですよね。まあ、これを因果と呼んでいいのかすらわかりませんが。

これって、絶対に100%失敗したくない人にとったら、ツラい話だと思うんですよ。なにせ、自分がやっていることが、まるっと無駄になっちゃうかもしれないわけですから。ある意味では、博打みたいなものですよね。それにうまくなるにしても、どこまでうまくなるのか測りようもありません。10年続ければ、一人前にはなれるんでしょうが、それは一流になれることを意味してはいません。

もし才能という言葉が意味を持つとしたら、その10年選手同士の違い、ということになるんでしょう。

まあ、書くのが楽しければ、あるいは書く技術が向上していく感覚が楽しければ、なんとでもなるのでしょう。なんともならなくても、失敗した気分にはならないわけですので。

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Evernote×「知的生産」の記事11選

Evernote「知的生産」アンバサダーに就任して、それ以来まったくEvernoteについて書いておりませんでした。

これはいかん、と思ったものの、他に原稿やら原稿やらnoteやら原稿やらが山積みなので、早急に取りかかることはできそうもありません。

というわけで、過去記事の紹介です。

当ブログで書いてきた、Evernoteと知的生産に関係するエントリーを11個セレクトしてみました。何かしらヒントになるようなものがあるかと存じます。

Evernoteと知的生産

Evernote企画:第一回:Evernoteとは何なのか?
トータルアーカイブについて
梅棹忠夫、Evernote、Siri

メモとアイデア

Evernote企画:第三回:知的生産におけるメモの重要性
脳と「つなげる」とためのルール
Evernoteに舞い込んだ、アイデアメモの行方
アイデアのカタリストとしてのEvernote

Evernoteならではの機能

Evernoteの共有ノート、あるいはナレッジマネジメントについて
EvernoteへのWebクリップと将来の自分
Evernoteの「関連するノート」が最近面白い
Evernoteの「関連するノート」が繋げるもの

さいごに

その他のEvernote関連記事については、

Evernoteリンク集

にて確認できます。さすがに全て目を通すのは不可能でしょうが、気になる記事でもあればご覧ください。

もうちょっと落ち着いてきたら、またがっつりとEvernoteについて書いてみます。乞うご期待、ということで。

あと、(私のブログではありませんが)choiyaki出版というブログにて、「0-0 はじめに ー『Evernote × 情報カード知的生産』はじめにー」という連載が始まっております。これは楽しみですね。

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『熟慮』するということ

偉大なる書は読まれるため、そしてさらに逆からや逆さまに読まれるように作られているのだ!
――トレイリアの文書管理人、エトヴァード

Magic The Gatheringに『熟慮』 というカードがあります。冒頭に引いたのは、そのフレーバーテキスト。

screenshot

個人的に、この小回りの効くカードが大好きです。強すぎず、弱すぎず。非常に優れたカードデザインです。普通に使うとキャントリップの効果しかないので、何じゃそりゃなんですが、3マナで墓地から唱えられるので、カード1枚分のドロー効果が見込めます。

乱暴に言えば5マナ2ドローのカードと同じなのですが、2マナと3マナで分割して支払えること、インスタントで使えること、この二つによって、序盤の潤滑油として機能してくれます。おそらく、使ってみて初めて、その使い勝手の良さに気がつくタイプのカードかもしれません。

それはさておき。

この『熟慮』というカードの英名は『Think Twice』と言います。

つまり、深く考えることは、二度考えることなのです。

たとえば

私たちは、何かを考えます。あるいは何かを思いつきます。

そのあと、自然な思考の流れで行われることは、その思いつきが、正しいらしいか確かめることでしょう。検証です。しかし、たいていの場合、それは「正しい」証拠を集めることで行われます。

たとえば、(あくまでたとえばですよ)「私は文章がうまいに違いない」と思いついたとします。その後、頭に思い浮かぶのは、自分が文章がうまいことを支持してくれる記憶たちです。「ブログに多くのPVが」「文章が上手いと言ってもらえた」「たくさん文章書いてるし」……

こうしたことを想起し、ほくほくした気持ち__「やっぱり、私は文章がうまいんだ」__になるわけです。特に不自然なことではないでしょう。よくありそうな話です。

でも、これはまだ一度目の思考でしかありません。

熟慮はここから始まるのです。「いや、まてよ」という言葉と共に。

プログラミングでのたとえ

あなたがプログラミングをやってみたとしましょう。

1〜31の値を入力すると、その日の運勢を教えてくれるアプリです。

コードを書き終えたあなたは、テストに入ります。1を入力し、「大吉」が返ってくる。2を入力し、「吉」が返ってくる。3を入力し、「凶」が返ってくる。……31を入力し、「大吉」が返ってくる。無事、動作が確認できました。

いや、まてよ。

もし、31よりも大きい数字を間違って入力してしまったどうなるだろうか。あるいは0やマイナスの数字では。それに、数字じゃなくてAとかBとかの文字だったらどうなるのか。

それらを確認して、はじめてこのプログラミングをテストしたことになります。当初自分が想定した以外の入力にも対応できるなら、システムとしての強度は高いと言えるでしょう。

反証を探る

「私は文章がうまいに違いない」を支持してくれる記憶をひととおり思い出したら、次はその反証になりそうな記憶を思い出さなければいけません。

いや、まてよ。

「もっとPVが多いブログがあるじゃないか」「文章が下手だと面と向かっていう人は少ないかもしれない」「下手の横好きという言葉もあるな」

こうしたことを思い出すのは、いささか苦痛かもしれません。なにせ当初の自分の考え(ないしはアイデア)が否定されるのかもしれないのです。『熟慮』だって、一回目にカードを引くとき(2マナ)より、二回目にカードを引くとき(3マナ)の方が、コストが高くつきます。

しかし、ここを経ないと、より確からしい考えにはたどり着けません。

また、プログラミングの例であげたように、想定したフレームの「外側」に関して想いを馳せる必要があります。

時間をおいて、複数の視点から

私たちが何かを思いついたその瞬間は、一方向からスポットライトを当てているようなものです。光が当たっている場所だけが目に入るので、それが世界の全てであるような気がします。しかし、それは限定的であり、物事の一側面でしかありません。

人間の短期記憶の限界から考えれば、一瞬のうちにありとあらゆる方向からスポットライトを当てるのはほとんど不可能と言えるでしょう。同時にいろいろやろうとしてもうまくいきません。

だからこそ、二度(あるいはそれ以上)考えるのです。時間をおいて、視点を変えて。

これは個人の思考に限ったことではありません。科学だって他の人に検証されて、理論は確からしさを持ちます。批判に晒されず、閉じた世界に置き去りにされた理論は、正しいのか間違っているのかすら検証できません。取り扱い不可能なのです。

さいごに

ごく簡単に言ってしまえば、自分の考えを自分で批判すること。それが熟慮への最初の一歩です。

あまり疑り深くなってしまうのも問題ありそうですが、「いや、まてよ」という言葉は、いつでもポケットから出せるようにしておくとよいかと思います。

いま上の文章を読んで、「うん、そうだよな」と思った人は、ポケットを探ってみてください。

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4/7 〜 4/12 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. マグロの皮を舐めただけの人
  2. 「note」を触ってみた雑感など
  3. 【書評】なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか?(佐々木正悟)
  4. 【書評】無限の始まり(デイヴィッド・ドイッチュ)
  5. 再び「note」についての雑感
  6. スパロボ時間、パズドラ時間

ようやく二つ書評が書けました。まだまだストックはあるのですが、少しずつ書いていくとしましょう。

記事にもあげた通り「note」を始めました。こちらも徐々にコンテンツを拡充中です。どんな方向性に進むかはわかりませんが、R-styleでは読めないようなタイプの記事を書いていこうと思います。
※アカウントは→https://note.mu/rashita

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

4月8日

どんな視点でも、それは一方向からです。最初に捉えた風景と、違った風景を見るようにつとめることです。

4月9日

鍵がないと、困ったことになりますね。たぶん、鍵とは軸のことです。たぶん。

4月10日

結局、自分が何を考えているのか、何を持っているのか、何を感じているのか、対象をどのように理解しているのか、を探る行為ですよね。書くと言うことは。その過程の中で救われることもあれば、狂気に陥るようなこともあるかと思います。

4月12日

万全の態勢を整えてもなお、予想外のことが起きますし、それはかなり深刻なトラブルになりがちです。

だから、万全の態勢を整えても油断しないようにしましょう。また、全てに完璧に対処できなかったことに自責の念を覚えるのも止めましょう。そもそも無理な話なのです。

今週のその他エントリー

note

R-style活動募金
お気に入りの電撃文庫ライトノベルシリーズ その1
書評の解放、新しい選択肢
パチスロで負けなくなる方法
お気に入りの電撃文庫ライトノベルシリーズ その2
Medium、Frontback、そして…
My Fav.01:数学ガール

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BlogArts vol.23 書評記事の書き方 (3)
○「アリスの物語」リライティングの現場(2)
○僕らの生存戦略 vol.41 「与えるサイクル」
○今週の一冊 『無限の始まり』(デイヴィッド・ドイッチュ)
○知的生産エッセイ 「アイデアは○○から生まれる」

→メルマガの過去分エッセイは「Facebookページ」にて読めます。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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スパロボ時間、パズドラ時間

ほぼ全シリーズ購入しているので、新作のスパロボも買ってみました。

第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇
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据え置きゲームなんて、本当に久々です。一つ前に購入したゲームは、すでに思い出せません。

で、やってみると、これが楽しめないのです。

もちろんゲームがつまらないわけではありません。いつも通りのスパロボです。ただ、ゲームをプレイしながら「俺、今こんなことやっていていいのかな〜」という気分になってしまうのです。

別に本稿を、「人生を向上させたければ、ゲームなど今すぐ止めてしまいなさい」的方向に持っていきたいわけではありません。

たしかに、たとえ一日30分でも、ゲームではなく別の「生産的」なことに使えば、生み出せるものは増えるでしょう。それは間違いありません。が、工場にもメンテナンスが必要です。

そして、そんな話とはまったく関係なしに、スパロボはそわそわしてしまうのに、パズドラは何の気兼ねもなしに毎日のようにプレイしている、という事実にこそ注目する何かがありそうな気がします。

とるにたらない時間

おそらくこれは、

「やるという決断」は「やる」前に終わっている(ライフハック心理学)
100円ショップとタスク管理に関する雑考(R-style)

で語られていることに関係があるのでしょう。

30分のゲームと、5分のゲームx6回は同じではない。

何がどう同じではないか。

スパロボとパズドラによる心理的な違いから考えると、私の中で「5分ぐらいの時間は、ほとんどゼロに近い」という認識があるのかもしれません。

たとえば、パズドラで5分だけ遊ぶとき、私は一日の24時間、つまり1440分のなかの5分を消費している、というような感覚を覚えません。5/1440というような分数は頭にのぼらないのです。それは、5分:24時間という対比は、対比として用をなさないからでしょう。この並べ方をすると、あたかも5分なんて誤差のように感じます。

しかし、30分であれば、0.5時間と少しだけ「時間」寄りの幅になってきます。0.5時間:24時間であれば、さきほどよりは誤差感覚はなくなるでしょう。つまり、一日の時間を使っているような感覚がするのです。

とるにたらない金額

これはごく身近な話に置き換えられます。小銭とお札です。

100円玉なら気兼ねなく使えるが、1000円札、5000円札だと急に重みが出てくる。トータルで1000円使っていたとしても、100円玉を10回なら、さほど「お金を使っている」ような感覚は覚えない。

こういうことはよくあるのではないでしょうか。
※感想には個人差があります。

時間の使い方についても、似たようなことはありそうです。

さいごに

私は「ゲームする時間を減らしたい」といった悩みは抱えていませんので、本状況を克服するような何かを模索したりはしません。別にゲームぐらい好きにプレイすればいいじゃない、と個人的には思います。

が、それはそれとして、「時間を使っている感覚」があるのか無いのかによって、行動というのも変わってくるだろうという気がします。

それをうまく使えれば、ある種の行動を増やしたり、減らしたりできるのではないだろうか、と。

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再び「note」についての雑感

以下の記事を読みました。

「場」のないコンテンツ販売プラットフォーム「note」と、「場」としての「cakes」(見て歩く者)

そういう意味でいうと、Medium や Tumblr のようなオンラインエディタによって気軽に投稿し、そのまま販売開始までできるというのは、これまでの他のサービスとちょっと違う点だと思います。しかし、note には「場」がないので、容易には売れないという点においては、従来の他サービスと変わりません。

上の記事で引用していただいておりますが、私は「「note」を触ってみた雑感など」の中で、

noteはSNS的(というかtumblr的)なので、「ちょっと、見に行くか」ということになりやすい(可能性がある)。つまり、人がそこに集まるのだ。言い換えれば、日本語で言うところの「場」としての機能が意識されたプラットフォームなのだ。

と書きました。二つの主張はまったく異なっているように感じますが、案外そうでもないと思います。

今回は「場」についてと、それにまつわる「note」のお話を書いてみます。

「場」という言葉

私が「場」という言葉でイメージしたのは、「人が集まる場所」というシンプルなもの。あるいは「人が集う場所」でも構いません。

会社帰り。いつものように赤提灯を掲げる居酒屋に立ち寄る。女将がてきぱきとお店を仕切り、貫禄すら感じさせる女性従業員がひっきりなしにカウンターとテーブルを往復している。顔なじみの常連はすでに2杯目に入ったところ。指定席とも言えるカウンターの隅に座り、他の常連客と何でもないバカ話に花を咲かせた……

こういう風景が広がっているとすれば、この居酒屋は「場」として機能していると言えます。逆に物理的な空間があっても、そこに人が寄ってこなければ、「場」ではないのです。言い換えれば、人が定期的に集まる場所が「場」なのです。

その意味では、家庭も「場」ですし、会社も「場」です。冬コミも「場」ですし、Twitterも「場」です。ただし、それぞれが同じ特徴を有しているわけではありません。同じ機能を持っているわけでもありません。規模や構成員によって、それぞれの「場」は異なった存在になり得るでしょう。

すると、そこが「場」であるかどうかよりも、それがどんな機能を有しているかに注目した方が良さそうです。

「場」の機能

上の記事の中で、鷹野さんは次のように書かれています。

Gumroad を販売プラットフォームとして使う側の立場から改めて考えると、この「場」が用意されていない(全ては自分次第)点と、エディタ的な機能が用意されていない(別途作成したファイルをアップロード)点は、意外に Gumroad のハードルを高くしていたように思います。

文中の「全ては自分次第」が一つのポイントでしょう。「場」があれば、「自分次第」以外の何かが発生することが求められています。

私の定義に直せば、外部的な広がりを生む機能がある「場」ということです。

たとえば、noteのトップページにアクセスしたら「今日のお勧めnote」などが表示される。あるいは、他の人がスキしたnoteが表示される。そういった機能を有していれば、無名の人のコンテンツが爆発的に広がることが起こりえます。そこから知名度を獲得し、バイラルループを上昇していくことも可能でしょう。

が、noteにはそのような機能は(いまのところ)ありません。

ちなみに、Frontbackというツールでは、「staffpick」という機能でコンテンツの撹拌を行っています。名前の通り、「中の人」が面白いと感じた写真を、全体に送信しているのです。staffpickに選ばれた写真はかなりのLikeが期待できますし、それによってフォロワーを増やすこともできるでしょう。

が、noteにはそのような機能は(いまのところ)ありません。

鷹野さんが指摘されているように、「フォロワーがいなければ、何を発信しても誰にも見られることはない」ですし、「無名の新人がいきなりスターダムになることは、まずあり得ないサービスでもある」のでしょう。まったくその通りだと思います。

広げる or not?

そうすると、次に問題になってくるのは、noteにそういう機能を付けた方がよいのかどうか、ということです。また、付けるとすれば、どんな機能にするのかも考えなければならないでしょう。

これは激しく難しい問題です。カーズのようにそのうち考えるのをやめたくなるぐらいハードな問題です。

すでにブログやSNSといったものがあるから、それで補完すればいいんじゃないか、という考え方もあるでしょう。noteだけでも広がった方がよい、という考え方もありえます。

これは簡単に判断できるものではありません。大きな方向性に関する問題です。

それはまた、「容易に売れた方がいいのかどうか」に関する問題でもあります。

売る立場からすればバズるような仕組みがある方が便利なのですが、その仕組みをついてバズりを狙ったスパムが大流入してしまう可能性もあります。

何を受け入れ、何を排斥するのか。

もちろん、それは私が判断することではないでしょうが、気になるところではあります。

さいごに

私はnote全体を「場」とは考えていません。私と私をフォローしてくれる人が行う情報のやりとりが「場」だと考えています。そういう「場」を持てるだけでも、個人的には大きな意味があります。

noteでは、その「場」は自動的に提供されたりはしません。他の人とのフォロワー関係を築いていく必要があります。で、私はその方が良いと考えています。
※すくなくともnoteでは、ということですが。

ちなみに、私もnoteを販売していますが、販売数は数枚程度です(お買い上げありがとうございます)。たぶん、そんな感じでボチボチやっていくものじゃないかな、というのが今のところの感想です。

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【書評】無限の始まり(デイヴィッド・ドイッチュ)

大著である。

無限の始まり:ひとはなぜ限りない可能性をもつのか
無限の始まり:ひとはなぜ限りない可能性をもつのか デイヴィッド・ドイッチュ 熊谷 玲美

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※献本ありがとうございます。

内容的にも、物理的にも大著である。なにせ全18章で、600ページを超えている。2013年の10月に読み始めて、読了まで半年ほどかかってしまった。

が、十分その価値はあるだろう。

私たちの無限性

副題は「ひとはなぜ限りない可能性をもつのか」。人間中心主義のような雰囲気もあるが、そういった内容ではない。人間は特別な存在であることは合意しつつも、その理由を「神が私たちをそのように作られたから」とはしていない。

良い説明と、それが持つリーチを用いて、人間の特殊性を説明していく。私たちは、知識を新しく生み出せる存在である、という点で特異な存在なのだ。そして、それが無限の始まりでもある。

どれだけ理屈をこねくり回しても、私たち人類が宇宙全体からすれば塵に等しい存在であることは反論できないだろう。しかし、その塵的存在が、宇宙誕生の「説明」を探求している。煌々と輝く恒星が、どのように生まれ、どうやって死んでいくのかの理論を持っている。本書の表現を借りれば「理性は何光年先へも向かう」のだ。

この塵的存在が、宇宙へリーチする知識を持っている。この非対称性は、考えてみるとちょっとゾッとしてくる。どれだけ賢かろうがイルカはブラックホールの存在を予測したりはしないし、仮に予測したとしても彼らには観測でそれを実証する術(すべ)がない。イルカの世界に、科学は築かれないのだ。

無限につながる知識の在り方

なぜ、私たちの理性は何光年先へと向かえるのだろうか。

それは私たちが創造力と呼びうる、新しい知識を生み出せる力を持っているからだし、そこに批判や検証を加えられるからだ。この両者がないと、知識は前には進まない。

科学理論とは推測、つまり大胆な推量だ。既存のアイデアをより良いものにしようという意図をもって、人間の心がそれらを整理し直し、組み合わせ、変更し、追加することによって、科学理論は生み出される。

スタートはいつだって推量なのだ。アインシュタインは、相対性理論を体験から導き出したわけではない。経験論のリーチは、非常に限定的である。しかし、推量は翼を持つ。人が届かぬ領域へと連れていってくれる。しかしそれだけでは、空想の物語と機能する理論の見分けがつかない。批判や検証が、それらを分別するのだ。

どれほど優れた理論を有していても、批判的精神が欠如すれば、発展は止まる。もし、人類がニュートンを神格化し、それ以外の考え方をタブーとしていたら、アインシュタインは永久に陽の目を見ることは無かっただろう。人類の歴史をふり返ってみると、そういうことが起こりえた可能性も十分にあった。

閉じてはいけない。

開かれているからこそ、次々と新しいものが生まれ出てくる。

しかし、閉じている方が簡単なのだ。怪しい宗教が、いかにいろいろなものを閉じてしまうのかを持ち出すまでもない。閉じた世界は、それが崩壊する直前まで完璧な調和がある。あたかも永遠に続くかのような調和が。

本当に続くものは、絶え間ない変化に晒されている。

さいごに

あまりにも本書の内容が大きいので、完全に読み解けたとはとても言えない。

章立てを引いておくので、本書の厚みを少しでも感じてもらえればと思う。

・第1章:説明のリーチ
・第2章:実在に近づく
・第3章:われわれは口火だ
・第4章:進化と創造
・第5章:抽象概念とは何か?
・第6章:普遍性への飛躍
・第7章:人工創造力
・第8章:無限を望む窓
・第9章:楽観主義(悲観主義の終焉)
・第10章:ソクラテスの見た夢
・第11章:多宇宙
・第12章:悪い哲学、悪い科学
・第13章:選択と意思決定
・第14章:花はなぜ美しいのか?
・第15章:文化の進化
・第16章:創造力の進化
・第17章:持続不可能(「見せかけの持続可能性」の拒否)
・第18章:始まり

正直、「多宇宙」に関する話はついていけなかった。が、「ソクラテスの見た夢」は抜群に面白い。もし立ち読みするなら、第10章をお勧めする。

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