継承とフィルターと個人的

5月末に以下の本を発売してから、もう一ヶ月以上も経ちました。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
ブログを10年続けて、僕が考えたこと 倉下忠憲

倉下忠憲 2015-05-28
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たくさんの方にご紹介していただけて、実にありがたいかぎりです。以下のページに書評記事をまとめてありますので、ご興味あればどうぞ。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと | Official Website

ふだんよく知っている方から、ぜんぜん知らなかった方までいろいろな人に紹介してもらっております。それぞれの切り口も面白いので、その点についてもまとめてみたいのですが、今回は別のお話を。

[書評]ブログを10年続けて、僕が考えたこと(倉下忠憲):Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

上の書評記事を読んで、二つ考えたことを書きます。

継承

この10年の、ぼく自身の「ブログ」に関する感覚の推移は、本書に書かれたものとはずいぶん異なっている。それはたぶん、デイブ・ワイナーのブログ「Scripting News」をレファレンスにしてきたからだろう。

まったく何もないところから、突然「そうだ、ブログを始めよう」と思い立ったりはしないでしょう。何かしらの「あこがれ」や「ロールモデル」が先に立っているはずです。

その「あこがれ」の先は、ブロガーなのかもしれませんし、あるいはプロの作家やライターなのかもしれません。なんであれ、目の前に広がる風景の中から、進むべき方向を決めているような感覚があるはずです。別の言い方をすれば、自らの歩みはその目に映る風景に引っ張られているのです。

このことは、とても大きな意味を持ちえます。

私は、村上春樹やスティーブン・キングを文章を書くことの「あこがれ」にしてきました。また、ブログに関してはとあるブロガー(本には名前が書いてありますが、ここでは割愛)のことを、「この人すげーな」と見上げながら続けてきました。

自分が見てきた(あるいは見ている)いくつもの風景に引っ張られて歩んでいるのです。その風景は、ほとんど多くの人が見ている風景に近いのかもしれません。でも、やっぱり私だけが見ている風景も部分的にはあります。だからこそ、それぞれの人がたどり着く場所が違ってくるのです。

ただし、手法や作り出すものがまったく異なっていても、風景の先に「見ているもの」は同じ、ということはあるでしょう。

AはBにあこがれを感じ、そのBはCに、CはDに、DはFに……と、次々にさかのぼっていくと、A〜Zに共通する何かがあるはずです。それは、安易な言葉を使うなら志や矜持という表現になるのかもしれませんし、もっと簡単に言えば「何を大切にするのか」という優先順位や価値観に落ち着くのかもしれません。

ともあれ、それは継承ということです。何かが引き継がれているのです。

ここでは実に奇妙なことが起きています。

  • 継承ということは、全体の一部である、ということです。
  • しかし、それぞれがたどり着く場所は違っているのです。
  • あるいは、それは一つのことの裏表なのかもしれません。

この「奇妙なこと」の逆の話も想定できますが、そこに突っ込むのはやめておきましょう。

フィルター

「Scripting News」の特徴は、あらゆるものがミックスされていることだ。本業の開発はもちろん、映画も自転車も文章を書くこともメディア論もアメリカンおじさんジョークも政治についての見解も。

ただし、単なる「何でもあり」ではない。いずれもワイナーという個人のフィルターを通過した「パーソナル」なものごとだ。

マッコウクジラみたいに大きな、そして扱いづらいテーマです。なので、簡単に触れるだけにします。

まず、「個人のフィルター」というものが、おそらく「個人」そのものだ、ということ。「その人」の、その人らしさは、そのフィルターによって確立され、他者に印象づけられているといっても良いでしょう。botと、そうでない存在を切り分けるのも、このフィルターです。「機械的な応答」が機械的に感じられるのは、このフィルターの欠如によるものです。

さらにいえば、このフィルターはダイナミズムに晒されているので、還元的に解析することは(たぶん)できません。限りなく「っぽい」ものには近づけるでしょうが、限界はあります。この点には留意したいところです。あと、フィルターを通すには時間がかかる点も忘れてはいけないでしょう。


もう一つ、上の記事には「個人的(personal)であり、個人的(private)ではない」という表現が出てきます。

これはうまい表現で、日本語だけだとシンプルに言い表せないかもしれません。

個人的(private)とは、閉じていることです。対して個人的(personal)とは開いている(つながっている)ことです。

privateは、publicからの隔離ですが、personalは、むしろpublicに個を置きます。

privateは、好き勝手にバラバラにやろうですが、personalは、自分がやるべきことをやろうです。

privateは、幻想的で限定的ですが、personalは、現実的でロマンチック(≒ビジョナリー)です。

privateは、たった一人の世界で個性を主張しますが、personalは、雑多な世界でうまくやろうとします。

さいごに

『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』は、私が経験してきたことから語りを起こしています。その意味では、極限的に個人的な話です。でも、個人的な話で閉じているわけでもありません(あるいは、そのようなつもりで書いています)。ヒントはあっちこっちにあって、個人のフィルターを通して読み解けば、何かしらいろいろと見つかるでしょう。

逆に、敷衍して汎用性がある話に見えて、個人的に閉じてしまっているようなお話もありますね、みたいな話はやめておきましょう。

ちょっと時間がないので深掘りできないのですが、「個人的(personal)」と「個人的(private)」についてはもう少し考えてみたいところです。

では、では。

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Evernoteサードバーティーアプリの妄想

「Aleternote」というEvernoteのサードバーティーアプリを使っていて思ったことを少々。限りない妄想ですのであしからず。

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Aleternoteは、上記のような代替クライアントです。

当然これは、APIを使ってデータをクラウドから読み込んでいるわけです。

であれば、拡張してこんなことはできないでしょうか。

※Goolgeカレンダーも表示できるようにする。
screenshot

※WorlFlowyも表示できるようにする。
screenshot

でもって、それぞれのツール間でデータを行ったり来たりもできます。コンテキストメニューから「ノートをカレンダーに添付」とか「予定をEvernoteに転記」とか「ノートをアウトライナーで表示」とか「アウトラインをノートに保存」ができちゃうわけです。

ワンダフルですね。

で、プラグイン的に、APIを解放しているクラウドツールを、サイドバーにどんどん追加できる、みたいな・・・・・・。夢のツールですね。もちろんベースがEvernoteである、という点が個人的には重要です。

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さっそく「Apple Music」を使ってみたけれども、あんまり関係ない雑感

第一感は、「ふむ」というところ。

Apple Musicはメインストリームを狙う―ターゲットは「何を聞いたらいいかわからない」カジュアルな音楽ファン | TechCrunch Japan

音楽ファンのすべてがDJレベルの知識があるわけではない。その点が音楽ストリーミングで最大の問題だった。なるほど検索窓は設けられているが、その向こうにあるのがレコード音楽の歴史のすべてでは一般の音楽ファンは戸惑ってしまう。次に何を聞いたらいいかどうやって知ったらいいのだろう?

この記事では、Apple MusicとSpotifyの市場戦略の違いが解説されています。で、私はどちらかと言えば「一般の音楽ファン」ではなく「熱狂的な音楽ファン」に近いので、Apple Musicよりは(使ったことはありませんが)Spotifyの方が合っているのかな、という印象。

それはそれとして、”「次に何を聞いたらいいかわからない」カジュアルな音楽ファン”が、月額約1000円を支払うことに同意するのかな、というのが一点気になるところではあります。まあ、そのあたりはよくわからないのではありますが。

それはそれとして、背景に「大量の音楽」があり、そのどれにでもアクセスできる環境が登場したとき、いかにしてその音楽にアクセスするのかというアプローチが問題になるのはごく自然なことです。以前、ブログかどこかで書きましたが、「プレイリストに値段がつく時代がやってくるだろう」という予想は、実際に「厳選されたプレイリスト」がApple Musicに埋め込まれている現実が証明してしまっているように思えます。

もちろん、この「音楽」は、「本」に置き換えられますし、もっと抽象度を上げて「情報」に敷衍しても問題ないでしょう。


まずユーザーを見つめます。そこにはさまざまなコミットのグラデーションが存在しています。

コミットの中ぐらいは、「カジュアルな音楽ファン」です。大は、「熱狂的な音楽ファン」。

あるいは、コミットの小は、「一年に一冊本を買う人」で、大は、「何冊買っているのかよくわからない人」。

こうした違いは、消費金額の違いとして表面化しますが、それ以上にその分野に関する知識や発信についての意欲の違いも内包しています。だからこそ、Apple Musicはプレイリストが準備されるのですし、Spotifyはユーザー同士の交流に重きが置かれているわけです。

このような違いに注目せずに、「ユーザー」と一括りにしたり、あるいは「消費者」と呼んでそこに内在する知識や意識を無視してしまえば、あまり効果的でない戦略ができあがってしまうでしょう。


次に、摂取のアプローチについて考えます。

一つは「検索」。言うまでもなくGoogleは大変便利ですが、もちろん問題がないわけではありません。検索結果がアルゴリズムに依ってしまう点、さらにそれを逆手にとるような悪ハック(わるはっく、と読みます)が存在しうる点もありますが、それ以上に「検索ワード」を知らないと、情報にアクセスできない点が大きいでしょう。

コミットが小なユーザーは「言葉」を持ちません。あるいは、持っていたとしても解像度が高くない。「ジャズが聴きたい」とは言えても、「どんなジャズが聴きたいのか」までは言い切れないわけです。せめて、チャーリー・パーカーと似た人、ぐらいまで言えれば検索も助けてくれるかもしれませんが、その言葉がなければ何も提示してはくれません。単純な検索ではここがネックになります。

そこで、「キュレーター」が登場します。「これこれこういう情報(コンテンツ)がありますよ」と提示してくれる存在です。情報の目利きであり、選別者です。

キュレーターの価値は、その人が紡ぐコンテキストにあります。なので、キュレーターの情報を断片的に摂取しても実はあまり意味がありません。そこで、キュレーターとの接点は、プッシュ型の何かになるでしょう。そのメディアの形にはさまざまあるのでここでは深く言及しません。

さらに、「キュレーター」に近しいものとして「パッケージ」があります。コンテキストによって情報をまとめるという手法は同じですが、キュレーターが行うキュレーションは、独自のコンテキストである(あるいはでなければならない)のに対して、パッケージのコンテキストは特異なものである必要はありません。普遍性が高くでOKなのです。

キュレーションは、新しいコンテキストのもとに情報を再編するような試みですが、パッケージは、そのコンテキストに(ほとんど)自明に内在する価値によって編集する試みと言えるかもしれません。ざっくり言えば、「集中力を高めたいときに聴く音楽」と「バッハ後期セレクション」の違いのようなものです。

このような3つ(検索、キュレーター、パッケージ)のアプローチがあり__もちろん他にもあるのでしょうが__、ユーザーのコミット具合によって、利用されやすさもまた変わってきます。

さいごに

まあ、この辺の分析はまだまあ荒っぽいのですが、それはそれとして「その環境に広がりがあるのか」という点はすごく気にかかります。

たとえばですが、音楽のライトユーザーが、ディープなファンに「啓蒙」されて深みにはまってしまうようなことがあります。それがその業界の裾野を広げ、また強化していく効果もあるでしょう。

もしコミットごとにユーザーのプラットフォームが分かれてしまえば、このような交流は起こりにくくなるかもしれません(すでに、もうそんなものは起きない世界になっているという指摘もありそうですが)。

もちろん、ディープなユーザーはときとして「うっとうしい」存在なわけですが、それをノイズとして切り捨ててしまえば、変化も何もない閉じこもった世界になってしまうような気もします。その辺は別の情報交流ツールが補完する形になるのかもしれません。

とりあえず、9月まではApple Musicを使ってみようと思います。今、クラプトンのプレイリストが流れていて良い感じです。たぶん、自分のiTunesにも入ってるはずなんですが。

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ゲームをプレイする感覚

有名技術ブロガー堤修一氏に聞く、「情報発信」からキャリアをデザインする方法【特集:エンジニア育成の本質】 – エンジニアtype

とても面白い記事なので、ぜひご覧あれ。

さて、二つ思ったことがあります。どちらもたぶん「続けること」に関したことです。

その一。何かゴールがあったとしましょう。約束された成功の形と言い換えてもいいです。

現状があって、はるか彼方に約束された成功の形があります。で、「努力」してその間を進んでいく。それってどう考えてもしんどいですよね。なぜなら、その間の部分が「途中経過」でしかないからです。つまり、実質的な意味を持っていない。そんな時間が楽しいわけがありません。

その意味で、もしかしたらわかりやすい形で「成功の形」を提示してくれる人は、救世主なようでいて、案外そうではないのかもしれません。


その二。私はよく「ストイックですね」と言われます。言わんとすることは理解できないではありませんが、そんなにたいそうなことだとは思っていません。

だって、RPGをするときはプレイヤーのレベルを上げますよね。お金を貯めて強い武器も買う。ダンジョンをぐるぐる回ってスキル上げも行う。

だったら、なぜ人生というゲームでそれと同じことをしないのだろうか__そう思うわけです。

ゲームの中ではそうした行為を(ぐちぐち言いながらも)楽しんでいます。スタート時点からレベルがMAXで全ての装備品を所持しているRPGなんて楽しくもなんともありません。逆に言えば、キャラクターを育てていく要素の中に楽しさの源泉があるわけです。

それにどうやって効率良く経験値を貯めるか、アイテムを最短ルートで回収していくか。そんな探求の中にも面白さの要素はあります。

つまり、適当にやるより「ストイック」にやったほうが__もう少し言うと他人からストイックに見られるぐらいにやったほうが__楽しめるのです。で、人生だって似たようなものです。


もし、成功の形が他人から示されていて、しかもそこに至るまでのステップまで逐一準備されているとしたら……。

それはもう煉獄みたいなものかもしれません。

「僕の講演を聞いて書き始めたという人のブログを見てみたら、本当にただ毎日、内容のあまりない記事を書き続けているだけ、ということがあったんです。それでも書き慣れてくるとか多少のメリットはあるとは思うのですが、ずっと誰にも読まれないままだろうし、それだと楽しくなくて結局は続かないはず。野球にたとえるなら、どうすればもっとうまく打てるかを考えずにバットを振り続けているようなもの。筋力はついたとしても、それではバッティングが上達することはないでしょう」

これもストイックな話にきこえるかもしれませんが、ゲーム感覚で捉えれば、ごく自然な発想といえるでしょう。

enjoy your geme.

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動く歩道

ウィーン。ウィーン。

「やっぱり、動く歩道は楽だね」
「なにせ、まったく歩かなくていい」
「楽チンは正義」
「おっ、なんか門が見えてきた」
「だいじょぶじょぶ。こうして乗っておけば、自動的にくぐり抜けてくれるよ」
「だね」
「あれ、なんか門に何か書いてあるよ、≪この門をくぐる者は、≫ あっ、通り過ぎちゃった」
「問題ない、問題ない。道は続く。人生も続く」
「そうか。うん、そうだね」

ウィーン。ウィーン。

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6/22 〜 6/27 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. レシピブック
  2. 電流化する知性 あるいはゆっくり型人間の時代
  3. 【書評】日常に侵入する自己啓発(牧野智和)
  4. 共有地の悲劇 共有時間の悲劇
  5. 金融系の面白い漫画や小説なんかを紹介するぜ
  6. ステ振り

特に飛び跳ねた記事はありませんでしたが、そこそこ面白い記事が書けたのでは、と。一週間に一冊ぐらいのペースで書評を書けたらいいですね。

さて、原稿、原稿。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

6月22日

それはどちらの力にも引っ張られ過ぎないでいつづける、ということでもあります。

6月23日

ようするに「やるべき(と思う)ことをする」ということですね。

6月24日

歩きやすい道をどうしても選びたくないのなら、どうしたって皆と違う場所にたどり着いてしまいます。どうしたって。

6月25日

問題が起きてしまうことは、実はそれほど問題ではありません。そもそも問題が発生しない事柄なんぞ存在しないでしょう。一番危険なのは、問題が起きたときに、あるいは起きているときにそれと気がつけないことです。なんといっても対処できませんので。

6月27日

ある視点からみたら、全然つながっていないように思えても、別の視点から見たら、「なるほど、これとこれは同じ位置づけなんだな」とわかることがあります。その視点の切り替えは、簡単ではないわけですが。

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd #012 「アーキタイプ外」
○BNS #56
○ライフハックとプログラミング 「funciton」
○今週の巴読み 「枯れ木に火をともす」
○知的生産エッセイ 「響く言葉」

→メルマガの過去分エッセイは「Facebookページ」にて読めます。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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ステ振り

『AGI万能論なんてものは所詮、単なる幻想なんですよ!』
キーの高い男の声が、広い酒場いっぱいに響き渡った。
『確かにAGIは重要なステータスです。速射と回避、このふたつの能力が突出していれば充分に強者足り得た。これまではね』

__『ソードアート・オンライン5』
ソードアート・オンライン〈5〉ファントム・バレット (電撃文庫)
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《今週の勝ち組さん》の中で《バレット・オブ・バレッツ》の優勝者であるゼクシードは嘲笑するかのように宣言し、AGI(俊敏力)をガン上げしたプレイヤーに「ご愁傷様」と告げている。

敏捷力。敏捷力を上げれば、火器を連射でき、また回避ボーナスを得られる。一方的に打ちまくって、こちらは被弾ゼロ。You win。完璧な理屈だ。

しかし、MMOは社会と同じようにゲームバランスが変わる。変わってしまう。そして、レベル型のゲームはステータスの組み替えがきかない。一度割り振ってしまったステータスボーナスは変更できない。AGIをガン上げしてしまったら、そのボーナスを別のステータスに割り振ることはできないのだ。

だから、常に先を予想しないといけない。そうゼクシードはまくし立てる。

ゲームに新しく登場する火器は、強力な分、装備するために必要なSTR(筋力)もアップする。生半可なSTRでは装備することもできない。逆にそれが装備できれば、新しい火器は命中精度も高い。AGIが高いプレイヤーにも、ヒットさせることができる。

だから、SRT-VIT型の時代がやってくる。新しい時代に適合できるのは、SRT-VIT型だ。

そうゼクシードは言うのだ。なにせ《バレット・オブ・バレッツ》の優勝者の発言である。言葉に重みがある。説得力がある。

しかし、一部の観衆は冷めてみている。なぜなら、少し前にAGI最強説を唱えていた人物が、ゼクシードその人だったからだ。中には、誤った「理論」を流布させて、自分だけ有利なステ振りを行っていたのではないか、と疑う観衆もいる。

もし、そうだとするならば、新時代のSRT-VIT型説も疑ってかかるべきだろう。


世の中には、ポジショントークが溢れている。


「理論」は、環境を操作すれば、いくらでも正しくできる。


私たちは生きている。それはイコール時間を使うということだ。限られた人生という寿命を投じ、行動という現象を引きおこす。

何かを得れば、何かを失う。何かしらの行動を取るということは、別の何かの行動を取らないということだ。

一度上げたステータスは、もう組み替えることができない。

私たちは失敗したくない。損失はできるだけ回避したい。限られた人生なのだから、その時間を満ち足りたものにしたいと願うのは自然な流れであろう。

だから、「成功例」のステ振りを知りたくなる。それが失敗しないための最短ルートであるかのように思えてくる。

でも、それは本当だろうか。その「成功例」を支える「理論」は、充分に開かれた環境に置かれているだろうか。ごく一部の、限定的な状況で、限られた時間しか通用しないものではないだろうか。

だったら、どうすりゃいいんだ。

別になんだって構わない。AGIを上げたいと思えば上げればいいし、途中でSRT-VIT型にシフトしたければシフトしたらいい。自分がカッコイイと思うスタイルを追求すればいい。そして、その結果を引き受けたらいい。それが、ゲームを楽しむということではないだろうか。


仮に「絶対に成功できる方法」というのがあったとしよう。

もしその方法に、本当にその力があるのならば、王様の椅子に座っているのは別にあなたでなくても良いということだ。だってその方法は「絶対」なのだから。誰がやっても同じ結果となる。

それって、面白いのだろうか。


後衛が前衛より劣っているということもないし、冒険者が鍛冶屋より偉いということもない。

ゲームをするというのは、自分のゲームをするということだ。

そして、ゲームにはルールが必要である。つまり自分のゲームには、自分なりのルールが必要だ。

自由というのは、好き勝手にやることではない。

行動の理由を自らに持つことだ。そして、自分のルールを自分で定める、ということだ。だからこそ、役割というものが生じてくる。


将来なんて予想しなくてよいとは、さすがにいえない。ただ、予想したところで完璧に見通せるものはほとんどない。

なので、自分で予想し、そのリスクを自分で引き受けることだ。

幸いこの世界にはいくつものゲームがあり、新しく生み出すことすらできる。それは一つの希望と言ってもいいかもしれない。

とりあえず、レベルを上げておくことは、それなりに有効である。もちろん自分のゲームをやりながら、という前提はつくわけだが。

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金融系の面白い漫画や小説なんかを紹介するぜ

どうも、20万を三ヶ月で100万にして、半年でそれを綺麗に溶かしたことがあるRashitaです。レバレッジって怖い。

さて、今回は金融・投資系の面白い小説や漫画を紹介してみます。まずは漫画から。

漫画

銀と金 1
銀と金 1 福本 伸行

フクモトプロ/highstone, Inc. 2013-07-20
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鉄板です。3回は読みましょう。

サラリーマン金太郎 -マネーウォーズ編- プロローグ
サラリーマン金太郎 -マネーウォーズ編- プロローグ 本宮 ひろ志

サード・ライン 2012-10-13
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ベタですが、これも外せませんね。

クロサギ(1) (ヤングサンデーコミックス)
クロサギ(1) (ヤングサンデーコミックス) 黒丸 夏原武

小学館 2004-04-05
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金融というか詐欺のお話なんですが、面白いです。

インベスターZ(1) (モーニング KC)
インベスターZ(1) (モーニング KC) 三田 紀房

講談社 2013-09-20
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こちらは投資のお話。学生が主人公ですが、むろん投資に年齢は関係ありません。

ミナミの帝王 1 (ニチブンコミックス)
ミナミの帝王 1 (ニチブンコミックス) 天王寺 大 郷 力也

日本文芸社 1992-03
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映画版しか見たことない人は、ぜひとも漫画もどうぞ。結構な巻数が出ていますが、どこから読んでもだいたいOKです。

小説&ノンフィクション

新装版 ハゲタカ(上) (講談社文庫)
新装版 ハゲタカ(上) (講談社文庫) 真山仁

講談社 2013-09-13
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ベタすぎて申し訳ないのですが、外せません。テレビドラマ版&映画版もぜひ。

百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)
百万ドルをとり返せ! (新潮文庫) ジェフリー アーチャー 永井 淳

新潮社 1977-09-01
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これもベタですが、とりあえずアーチャーならこの本を。

ライアーズ・ポーカー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ライアーズ・ポーカー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) マイケル ルイス Michael Lewis

早川書房 2013-10-04
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モーゲージ積の盛衰が描かれています。

世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)
世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫) マイケル ルイス Michael Lewis

文藝春秋 2013-03-08
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サブプラムローンで儲けた人のお話。

ドル帝国の崩壊
ドル帝国の崩壊 マイケル・S. コヤマ 藤田 正美

イースト・プレス 2008-08-01
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まあ、エンタメです。

希望の国のエクソダス (文春文庫)
希望の国のエクソダス (文春文庫) 村上 龍

文藝春秋 2002-05-10
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わかりにくいですが、これも投資のお話。

WORLD END ECONOMiCA (1) (電撃文庫)
WORLD END ECONOMiCA (1) (電撃文庫) 支倉 凍砂 上月 一式

KADOKAWA/アスキー・メディアワークス 2014-12-10
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ライトノベルです。ほぼ凶器ぐらいの分厚さがありますが。

その他

株式投資これだけ心得帖 文庫増補版 (日経ビジネス人文庫)
株式投資これだけ心得帖 文庫増補版 (日経ビジネス人文庫) 東保 裕之

日本経済新聞出版社 2007-10
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本当に基本的な要素がまとまっています。複雑なチャート分析をマスターする前に。

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか ナシーム・ニコラス・タレブ 望月 衛

ダイヤモンド社 2008-02-01
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ぜひとも頭にたたき込んでおきたい本。

さいごに

とりあえずぱっと思いつくものを挙げてみました。もちろん他にもいろいろ面白い本があると思いますので、「なぜこれが入っていないんだ」という方は自分で記事にしてください。面倒ならコメント欄をご活用ください。

そうそう、『アリスの物語』も一応投資系のお話ですね。一応。

アリスの物語 (impress QuickBooks)
アリスの物語 (impress QuickBooks) 倉下 忠憲 ぽよよんろっく

インプレス 2014-05-15
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いろいろ読んでいくと、やはり鍵を握るのは「ルール」だということに気がつきます。

法律を知らないとだいたいえらい目にあいますし、また投資活動においても自分のルールを守れるかどうかが生死の分かれ目になったりします。ソロスもバフェットも、何かしらのルールを作り、それを守り続けてきたわけですから。

サブプライムローンで世間が湧き上がっている中で、それが破綻する方に賭け続ける心境を想像してみてください。周りからはバカ扱いされ、評価上のマイナスが積み上がっていくその状況でポジションをキープしつづける心境を。そこではルールと信念は一体化しています。

ともあれ、金融・投資の話は面白いものです。世界のシステムのお話と、人間の心の直接的な動きがもろに見えてきますので。

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共有地の悲劇 共有時間の悲劇

「共有地の悲劇」をご存じだろうか。「コモンズの悲劇」とも言う。

経済学の用語だが、よくある話でもある。

複数の農民が共有している土地があるとしよう。それぞれの農民はそこに牛を放牧する。牛は草をはむはむと食べる。はむはむ。それでも草はまだまだたくさんある。そこで農民の一人がもう一頭牛を購入し、放牧地に放す。はむはむ、はむはむ。気をよくした農民はさらにもう一頭牛を購入する。

それを見た他の農民も、「あっ、それいいじゃん」と牛を増やす。牛を増やす。はむはむ。はむはむ。牛の数が少ないうちは、牛が食べる草の量と、新しく生えてくる草の量はバランスしていた。しかし、牛の数が増えすぎるとそうはいかない。時間が経つにつれ、牧草地の荒廃は進んでしまう。

こうした状況は、農民が「自分勝手」だから起こる、というものではない。

たとえば、共有地ではなく、それぞれの農民が個人の土地を有していたとしよう。そこに牛を放牧する。もちろん、草が無くなっては困るから、農民は牛の数を調整するだろう。共有地の場合、なぜそれが起こらないのだろうか。

共有している場合、土地はあまりにも広くなる。だから、牛を一頭増やしたときの変化がわかりにくい。というか微量過ぎて、誤差で切り捨てられてしまう。システム的に「一体増やしても大丈夫」というフィードバックを得られるのだから、さらにもう一頭となるのは自然なことだ。個人所有の土地でも、「これはヤバイかな」と思うところまでは牛の数を増やすのだから、その点はかわりない。

ただ、そうした行動を複数人の農家が同時発生的に行った場合、誤差が誤差ではなくなってしまう。結果、フィードバックが返ってきたときには、もはや手遅れという状況に陥る。

ある状況に置かれたときの、個人の振る舞いは、同じ状況に置かれた他の個人においても発生する。だから、たとえそれが小さな振る舞いであっても全体には大きな影響を与えてしまう。いや、むしろ小さな振る舞いである方が、より大きな影響を与えるだろう。

なぜならば、大きな振る舞いであれば、その時点でフィードバックが返ってくる可能性があるからだ。「小さな」振る舞いの場合、それが返ってこない。だから、結果的により大きな影響を生んでしまう。

さて、考えたいのは「共有時間」である。ここで「分人」という考え方を参照しよう。

日記で「豆腐メンタル」を補強する | シゴタノ!

一人の人間を確固たる「私」の統一体と見るのではなく、複数の「私」の集合体として考える。それが「分人」である。

そのような視点に立つと、私が持つ一日24時間という時間は、複数の分人によって所有されていることになる。自分A、自分B、自分C……。

それぞれの分人が、それぞれに最適な行動を取ろうし、また個々の連携が分断されているとする。すると、「共有時間の悲劇」とも呼べる現象は発生しないだろうか。

自分Aは5分だけさぼる。自分Bは7分だけ息抜きする、自分Cは6分だけ動画を見る……。一日が24時間あるのだから、たいしたことはない。はむはむ。

そうして、気がついたらほとんど何もできないままに一日が終わってしまっている。荒れ果てたタスクリストだけが私の目の前に残ることになる。

さいごに

問題はフィードバックなのだ。

今の私が6分だけ何かをサボろうとも、一日24時間という大きな資源には影響を与えない(ように思える)。しかし、一日の中で、そうした分人が何人も出てくれば、誤差は誤差ではなくなる。もし、何かしらのフィードバックが機能していれば、時間の使い方強制ギブスなど使わなくても、何かが変わるかもしれない。

私が推測するにタスクシュートというシステムは、この認識(フィードバック)に関与している。ただし、他にも方法はあるだろう。どちらにせよ、肝はフィードバックである。

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【書評】日常に侵入する自己啓発(牧野智和)

何冊くらい並んでいますか? 本棚に自己啓発書。

日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ
日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ 牧野 智和

勁草書房 2015-04-09
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書店のビジネスコーナーにこれでもか、と陳列されている自己啓発書は、社会学的にどのような位置づけを持ちうるのか。それを研究した本です。

前もって書いておきますが、本書は学術書であって、ビジネス書でもましてや自己啓発書でもありません。そこをうっかり勘違いすると大ダメージを喰らいますのでご注意を。


さて、本書の内容なのですが、もちろん「自己啓発礼賛」といったものではなく、また一部のビジネス書に見受けられるような「自己啓発書なんてクズ」みたいなものでもありません。

一見内容が薄く、また本質的にはあまり代わり映えのしない内容が、装飾だけを変えて次々と発売され、しかもそれが売れているという状況に、一体何を見て取ることができるだろうか、という視点です。

この視点が非常に新鮮でした。たくさん売れている本がある以上、それを単に「愚昧なもの」として切り捨てるのではなく、そこに何らかの意義・役割があるのではないかと探る。そんな試みが行われています。

自己啓発書は、一方では「これは本当にすばらしいことなんです」と目をきらきらさせて主張する人がいて、もう一方では「こんなクズな本なんて紙くず以下だ。君たちは騙されているんだ」と主張する人がいます。たしかに、それぞれは正しいのでしょうが、棒の両極端だけを提示しているのかもしれません。

その中間には、盲信もせず、かといって全否定もせずに、自己啓発書とゆるく付き合っている人たちがいるはずです。そして、そのゆるく付き合うというスタンスが、実は現代を生きる多くの人にマッチしていて、そのニーズを満たすための装置として(大量に生み出される)自己啓発書が機能しているのではないか。著者はそんな視座を持って考察にあたっています。


自己啓発書とゆるく付き合うことで得られる「ちょっとしたこと」を、応急処置と見なし著者は次のように書いています。

このような応急処置を取るに足らないことだと考えるべきだろうか。著者はそう考えない。というのは、応急処置であっても人々の不安や混乱に対処するために用いられ、部分的であっても人々の自己定義や行動の指針としてとりいれられるような対象は、今日の社会ではかなり稀有なものではないだろうかと考えるためである。

絶対的な価値観が消失し、多様性のうずに飲み込まれながら、安定さを欠いた地面の上を歩き続けなければならない現代の私たちにとって、応急処置的なものは、ひとときのフックを提供してくれます。「あぁ、やっぱりこれが大切なんだ」というのは発見ではなく再確認でしかありませんが、その確認作業が__確信作業と言い換えてもいいです__もたらしてくれるものはたしかにあります。

そう考えるとき、「緩やかに、暫定的に、入れ換え可能なかたちで、継続的な確信なしに読まれ、とりいれられる」という自己啓発書の「薄い文化」は、価値や行為の基準がますます流動的になる現代にむしろ適合的だとさえ考えられるのである。

これはソフトウェア的にいえば、「プラグイン的」とも表現できるでしょう。OSの抜本的な入れ換えではなく、追加機能としての自己啓発。それは機能している間は、存分に使われますが、不適合になればさっさと捨てられるか、あるいは新しいバージョンが導入されます。

そのようなものを提供するメディアとして自己啓発書は機能しており、またそれが、極端に自己啓発書にはまり込んでいる人以外にも売れているという点で、社会全体に広がっているニーズでもある(と予想される)と著者はみています。

具体的な章立ては以下。

  • 第一章 ハビトゥスとしての自己啓発
  • 第二章 「ヘゲモニックな男性性」とそのハビトゥス
  • 第三章 「自分らしさ」という至上原理
  • 第四章 「今ここ」の接合可能性
  • 第五章 私的空間の接合可能性
  • 終章  自己啓発の時代のゆくえ

章題からでは見えにくいのですが、第二章では「世代本」(○○歳までにしておきたい〜〜のこと)、第三章では女性の生き方提言、第四章では手帳術、第五章では片付け術がそれぞれ分析対象となっています。

私には少々難しい内容でしたが、一人の物書きとして(しかも自己啓発書に分類される本を書く物書きとして)興味深い視点を得られました。
※ちなみに、参考文献に拙著の名前が挙がっていたのが、本書を手にとった理由でもあります。

おそらく私が目指すべきは、「プラグイン」からOSをハッキングするようなものではないか、という気がしました。「緩やかに、暫定的に、入れ換え可能なかたちで、継続的な確信なしに読まれ、とりいれられる」のどこかの部分を書き換えてしまう。それが現代のメディア特性に沿いつつも、私の為したいことを達成する手法なのかもしれません。

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