【書評】『アイデア大全』(読書猿)

「人類よ、これが発想法だ」

思わずそんなハリウッド映画的キャッチコピーを思いついてしまう本である。古今東西の発想法を俯瞰し、位置づけ、整理した上で、それぞれに解説が加えられている。

アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール
読書猿
フォレスト出版 (2017-01-22)
売り上げランキング: 78

著者は読書猿。というか実際はメルマガ「読書猿」あるいはブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」の中の人なのだが、提喩としても読者の感覚としても読書猿で間違いはないだろう。少なくとも私にとってはそうである。

さてそのブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」であるが、これはまあ、「東に千夜千冊あれば、西に読書猿あり」くらいの存在である。まあ、どちらも西なのかもしれないが、ここではそれは気にしない。ともかく、本を貪るように読み、知識を探求し、一歩間違えれば自分で概念を構築してしまいがちな人にとっては、ある種の「宝物庫」である。

本書から受ける印象も近い。「大全」の名は伊達ではなく、よくもここまで集めたなと感嘆が漏れる。まるで、アーチャーとして顕現したギルガメッシュのゲート・オブ・バビロンを眺めているようだ。もはや、その光景だけで神々しさすら感じられる。人類の知を扱う技術を辿る旅は、それだけで読み応えのあるコンテンツとなる。

しかし本書は、実用書であることからまったく逸脱していない。それは拍手を送っていいだろう。そうでなければ、この本は必要な人には届かないのだ。本書の基本は、あくまで発想法を「使う」ことにある。だからこそ、各発想法にレシピとサンプル(実際例)がついている。その意味で、本書は非常に使いやすいノウハウ書だとも言える。

同じように発想法を集めた本としては、マイケル・マハルコの『アイデア・バイブル』があるが、本書はそれよりも広く・深く発想法が収集されている点が大きく違う。ビジネスや学術の分野だけでなく、宗教や呪術の分野にまで分け入って行われるその収集(いっそ狩猟と言った方がいいかもしれない)によって、本書には非常に多様な発想法が集まっている上、それぞれの発想法の文脈的解説まで行われている。

アイデア・バイブル
アイデア・バイブル
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マイケル・マハルコ
ダイヤモンド社
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技法的解説を行う本は珍しくないが、文脈にまで踏み込んだ本は稀有であろう。その解説によって、私たちはそれぞれの発想法を一段深く理解し、他の発想法との関係性を連想できるようになる。このような仕事は、本書内でも紹介されているカイヨワの知的活動に近く、それだけで目を見張るものがある。

本書ではそのように収集された42の発想法が、

01 バグリスト/02 フォーカシング/03 TAEのマイセンテンスシート/04 エジソン・ノート/05 ノンストップ・ライティング /06 ランダム刺激/07 エクスカーション/08 セレンディピティ・カード/09 フィンケの曖昧な部品/10 ケプナー・トリゴーの状況把握/11 空間と時間のグリッド/12 事例-コード・マトリクス/13 P.K.ディックの質問/14 なぜなぜ分析/15 キプリング・メソッド/16 コンセプト・ファン/17 ケプナー・トリゴーの問題分析/18 仮定破壊/19 問題逆転/20 ルビッチならどうする?/21 ディズニーの3つの部屋/22 ヴァーチャル賢人会議/23 オズボーン・チェックリスト/24 関係アルゴリズム/25 デペイズマン/26 さくらんぼ分割法/27 属性列挙法/28 形態分析法/29 モールスのライバル学習/30 弁証法的発想法/31 対立解消図(蒸発する雲)/32 バイオニクス法/33 ゴードンの4つの類比(アナロジー)/34 等価変換法/35 NM法T型/36 源内の呪術的コピーライティング/37 カイヨワの〈対角線の科学〉/38 シソーラス・パラフレーズ/39 タルムードの弁証法/40 赤毛の猟犬/41 ポアンカレのインキュベーション/42 夢見

2つのパート、11の章に分けられている。

第I部 0 から 1 へ
 第1章 自分に尋ねる
 第2章 偶然を読む
 第3章 問題を察知する
 第4章 問題を分析する
 第5章 仮定を疑う
第II部 1から複数へ
 第6章 視点を変える
 第7章 組み合わせる
 第8章 矛盾から考える
 第9章 アナロジーで考える
 第10章 パラフレーズする
 第11章 待ち受ける

注目したいのは、二つのパート分けである。第Ⅰ部は「0から1へ」ということで、何も無いところから何かを見出すための「発想法」が紹介されている。しかし、無から有を生み出すことはできないのだから、そこで行われることは、ざっくり言えば「問題設定」である。問題が見えていないところに問題を設定(見出す、命名、たぐりよせ)したり、すでに存在している問題を再解釈したり、再定義することが「0から1へ」の発想法となる。

この発想法は、0→1であるからして創造的でもあるが、それはつまり破壊的でもある。どういうことかは後で説明するとして、次のパートに入ろう。

第II部の「1から複数へ」では、すでにある1を多様に膨らませていく発想法が紹介されている。一般的に発想法と言ってイメージされるのはこちらの方だろう。『アイデアのつくり方』で有名なヤングの定義(「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」)もこちらに属している。システマティックな方法もあり、逆に遊びに近いものもあるが、概して非常に身近な発想法(というよりも頭の使い方)と言える。

アイデアのつくり方
アイデアのつくり方
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ジェームス W.ヤング
CCCメディアハウス
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たとえば、出版社に勤めている編集者がいて、半年で6冊本を出版しなければいけないとしよう。そのとき、「アイデア出し」として活躍するのは「1から複数へ」の方だ。自分の手持ちのアイデア、書店で売れてる本、雑誌やテレビの人気の企画といったものを「既存の要素」として扱い、それらの新しい組み合わせを考えれば、企画案はいくらでも湧いてくる。

しかしそのとき、「なぜ半年で6冊も本を出版しなければならないのか?」という問いを立てることもできる。込み入った話は避けるが、出版業界の事情がそこにあるとして、「じゃあ、新しい出版のビジネスモデルを構築しよう」と思い立つかもしれない。それは、極めて創造的な行為だが、「日常」に対する破壊行為だとも言える。

以上のように、0から1を作り出すときには、たいてい別の何かを壊すことにつながるので、発想法にもTPOはある。必要とされる発想(の土俵)があり、それに適した発想法があるのだ。その意味において、本書のパート分けには好感が持てるし、実用的でもあろう。

各発想法のより細かい分類については、11の章が担当している。章題で端的に要約されているので、ここでの解説は不要だろう。ちなみに私は『ハイブリッド発想術』において、発想法を以下の4つに分類した。

  • 制約設定法
  • 自由連想法
  • メタ思考法
  • トリガーワード法

今見返しても十分機能する分け方だと思うが、本書に比べると若干実用性に欠けるかな、という印象もある。そのあたりを今後掘り下げてみるのも良さそうだ。その辺のアイデアもモクモクと刺激される本である。

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術)
倉下 忠憲
技術評論社
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さいごに

「大全」とある通り、本書は一通り読んだ後、本棚に置いておける本だ。発想の行き詰まりを感じたら、手にとってパラパラと読み返しこれまでと違った発想法を試してみる、といったハンドブック的な使い方ができるだろう。

それはそれとして、本書は発想技法の歩みとして読んでも面白い。これだけ網羅的な(トランス・ジャンル的な)知的生産の技術系の本はめったにない。その意味でも、著者の続刊には期待している。

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誰が情報を広めるのか? もちろん、あなたです。

鷹野凌さんの『出版業界気になるニュースまとめ2016』を読んでいたら、ふと目にとまる一文が出てきました。

(前略)それに対する藤井氏の”やはり誰かが褒めて、拾い上げないと作品は浮き上がってこない”という発言は、実体験に基づいている実感なのだと思います。

やはり誰かが褒めて、拾い上げないと作品は浮き上がってこない

これは、現代のソーシャルメディア時代、そして(広い意味での)電子書籍時代において大切なことだと思います。ちなみに、この文章は記事へのコメントとして書かれていて、参照元は以下の記事です。

対談「50年後の文芸はどうなっているのか?」藤谷治✕藤井太洋 « マガジン航[kɔː]

藤井 いま「エブリスタ」や「なろう」や「カクヨム」で書いている人の中から、デュマみたいに立ち上がってくる人がいないと私は思わないので、面白い作品を見つけたら広めたいなと思っています。やはり誰かが褒めて、拾い上げないと作品は浮き上がってこない。レビューをするスタイルが生まれると、日本の文学界も変わっていくと思います。

私も書き手なのでバイアスがかかっている点はあるでしょうが、それでもちょっとこのことについて書いてみたいと思います。

目にとまる場所

思考実験をしてみましょう。

何かの本が5000部印刷され、それが各店舗5冊ずつ1000店舗の書店に配本されたとします。するとその本は、1000店舗の書店に陳列され、「誰かの目に触れる機会」を得たことになります。

もちろん本当に目に触れられるかはわかりませんし、触れたからといって本が売れるとは限りませんが、たとえ数%でも、「へぇ〜」と思って手にとって、パラパラ立ち読みして、そのままレジに持っていってくれる人が生まれる可能性はたしかにあるでしょう。

で、そんなことが実現されるのは、卸があり、返本制度があり、各出版社さんの営業さんが仕事をしているからです。

では、電子書籍はどうでしょうか。

できるだけモデル化して考えてみます。何かの本が作成され、それが一番大きな電子書籍ストア1店舗に配本(アップロード)されたとします。そのストアは日本中どころか、世界中からアクセス可能で、言い換えれば世界中の人間に向けて販売することが可能ではありますが、その本は検索されるまでは存在しないのと変わりありません。

もちろん営業攻勢をかければ、特集ページなどを組んでもらえることは可能でしょう。セールを大々的に売って、影響を広めることも可能かもしれません。つまり、それは紙の本と事情は同じ、ということです。

話を逆に見れば、書店に陳列されるということは、本の情報を(お客さんに対して)シェアしている、という風にも捉えられます。

支援がない構造

上の思考実験でやりたかったのは、紙の本と電子書籍の比較ではありません。営業的バックアップがあるのかないのかの比較です。

商業出版の本が売れているのは__もちろん作品の面白さはあるにせよ__、売るための活動に予算が投じられ、誰かがそれを実行しているからです。そのような本に関しては、私たちは一読者で在り続けても問題ありません。本の価格そのものに、そのための経費が計上されているからです。そこでは本を買う=コンテンツを支援する、という構造が成りたちます。

では、セルフパブリッシング本やその他のマイナーな作品ではどうでしょうか。

あなたがAmazonストアでセルフパブリッシング本を買ったとしましょう。そして、それを読み終えました。以上、それでお終いです。基本的に、それはどこにも広がっていきません。唯一、「この本を買った人は、こんな本も」のデータ提供に貢献はしていますが、それがたいした意味を持たないのはAmazonで購入活動をしている人ならばご存じでしょう。

つまり、読んだだけでは広まらないのです。

もちろん、たくさんの人が一気に本を購入すれば、Amazonのランキングが急激に上昇し、それに伴って作品が広く知られるような現象は起こるかもしれません。しかし、その「たくさんの人が一気に本を購入する」ような動きはどうやって起こるのでしょうか。最初の誰かがその本の情報をシェアして、ではないでしょうか。

つまり、営業的バックアップが存在しないセルフパブリッシング(やマイナーな作品)において、読者の情報共有行動は営業的バックアップの代わりになるのです。というか、実質的にそれしか方法がない、という場合すらありえます。

シェアすることの価値と意義

本を読むという体験だけをみれば、大手の本でもセルフパブリッシング本でもかわりはありません。しかし、セルフパブリッシング本は、読んでいるだけでは、大手の本と同じようには広まらないのです。あるいは広まりにくい構造を持っていると表現しても良いでしょう。

それまでの一読者=お客さん気分のままでは、面白い作品はなかなか広がっていかない→自分の望むコンテンツが増えない、という状況が起こりえます。

だからそう、シェアするのです。

大げさな書評を書く必要はありません(もちろん、書いてもいいです)。TwitterやFacebookでちょっとした感想をつぶやく。なんなら感想なんてなくても、単に買った情報だけを明示してもいいでしょう。それだけでも、その人のフォロワーさんにその本の情報が広がります。正確に言い直せば、その本の情報が少し多くの人に「目に触れる」ことになるのです。

もちろん、目に触れたからと言って本が売れるとは限らないのはどんな本でも同じです。でも、触れない限りはより多くには広まらないのです。そして、その役割をしてくれる人がいない作品がいっぱいあるのです。

少しだけ本の情報をシェアすること。それで、擬似的にその本は「書店に陳列された」のと同じような効果を持ちます。それがどれだけありがたいことなのかは、自分でセルフパブリッシングしたことある人ならば共感されるでしょう。

別に、アイドルを育てるプロデューサ気分になる必要はありません。単に面白いなと思った本について少しシェアすればいいのです。もしそれが本当に広く広がるような面白さを持っているならば、(タイミング次第では)それは広がっていくでしょう。そうでないのなら、自然淘汰されるだけです。

このような「面白かったら積極的にシェアしていく」気風が広く浸透すれば、営業的バックアップを持たない作品が日の目を浴びる可能性は増えるでしょう。逆にそういうものがなければ、(お金を支払ってでも)そうした行為を獲得しようとする輩が増えていくはずです。それはあまりよろしい未来のようには思えません。

3つの変化

この話は、別にセルフパブリッシング本だけに限った話ではありません。他のメディア環境全般に敷衍できる話です。

世の中には「マイナー」なものがたくさんあり、それが日の目を浴びることなく堆積し続けています。その代わりに、「わかりやすい」「反応しやすい」「お金になりやすい」ものが広まっていきます。これは構造的必然性を持っていることでもあるのでしょう。広義の「シェア」の動機が限定的だからです。

面白いと思ったものを積極的に(ここが大切です)シェアしていくと、たぶん以下のようなことが起こるでしょう。

・マイナーなものが広く知られる土壌が生まれる
・相対的に何かをこき下ろす声が小さくなる
・自分の趣味に見合ったコンテンツが見つけやすくなる

一つ目はここまでに書いた話です。

二つ目は、あくまで相対的な話に過ぎませんが、何かを面白いと評する情報が増えれば、何かを非難する情報の存在感は少しだけ薄まります。結果的に、炎上芸でなんとかしたい人たちにとってはやりにくい土俵となるでしょう。

振り返ってみれば、私たちのウェブ的な振る舞いは、大きなものにはすぐにリアクションを取るにもかかわらず、少し面白いものにはあまり言及をしません。そのような行動の傾向が、ウェブ全体の話題を形成している点は改めて考える必要があるでしょう。小さな良いもののシェアを増やすことは、大ぶりになりがちな(そして炎上になりがちな)ウェブの情報環境を変えることにつながるかもしれません。

三つ目は、情報過多な時代ではかなり重要で、まずは私の話をしておきます。

私自身は買った本はすべて公開していますし、面白い本については程度の差はあれできるだけ紹介するようにしています。なぜか。それは私が他の人の買った本・読んだ本を参考にしているからです。自分が参考にしているのに、自分がそれを公開しないのは、わりとズルいですよね。非対称性のフリーライド。

多くの人が__すべてではないにせよ__買った本・読んだ本の情報を公開してくれれば、好みの本を見つけやすい状況が生まれます。たいていの本の情報が、マス向けかランキングという非常に偏った__そして本選びではほとんど役に立たない__提供のされ方をしている昨今において、「誰かが読んだ本の情報」は非常な価値を持っています。そしてそれが増えれば増えるほど、世の中の情報流通の形態は変わっていくのではないか、という予想もあります(予想でしかありませんが)。

でもって、それがこれからの「情報化社会」に必要なものではないかとも思います。

さいごに

「万人よ、シェアせよ!」

と、煽ればシェアする人は増えるのかもしれませんが、そうした盲目的・群衆的行為によるシェアは、結局マス向けの情報共有と何ら変わりありません。それでは同じことが繰り返されるだけです。

変えるのは少しでいいのです。面白いと思ったものをそのままにせず、少しシェアする。余裕があるなら感想を書くなり、レビューする。ただそれだけです。何もかもを褒め称えて回れなんて話ではありません。これまでなら単に摂取して「面白かった」で終わっていたことを、ちょっと共有してみる。そういうことを日常の中に増やしていく。それだけの話です。

その少しの変化が多くに広まれば、コンテンツの環境は変わっていくでしょう。あるいは、そのような期待を抱くことはできます。

そうした「ちょっとしたシェア」が、__大げさな言葉を使うことを許していただけるなら__情報化社会の市民にとって「当たり前」になれば、コンテンツを評価する指標も動いてくるでしょうし、流通するコンテンツにも変化が生まれてくるでしょう。

日々新しい情報が次々と生み出される社会においては、コンテンツは何もしなければ沈んでいきます。

それを浮上させる力を持つのは、もちろんあなたなわけです。

▼こんな一冊も:

出版業界気になるニュースまとめ2016
見て歩く者 (2017-01-20)
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ウェブ小説の衝撃 ──ネット発ヒットコンテンツのしくみ
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1/16 〜 1/21 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. 解放装置としてのブログ、あるいは「自分のメディア」について
  2. ゆっくりさをゆっくり取り戻す あるいは時間感覚の調律
  3. 『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』に大活字版が登場しました
  4. 記事広告はブログの未来なのか
  5. Inspiration-State あるいは情報カードに書けること
  6. ふつーのブロガーさんにこそ訊いてみたいアンケート

今週は、ブログや情報発信に関する記事が多かったですね。アンケートの方も、どうぞよろしくお願いいたします。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

1月16日

ということは、説得は一体化を促す作業でもありますね。

1月17日

否定的な考えのまま楽しむことはできません。おそらく人生でも同じです。

1月18日

変わりにくいものは柔軟性を欠いているので、急激な変化がやってきます。常にハードランディング。

1月19日

分かれるものでもあり、まとまるものでもある。フローをより広くとらえる視点です。

1月20日

固いように世界を認知するのですから、これは当然でしょう。

1月21日

「こう考えれば、そうは思わないかも」というのが欠落しているところから、情念は積み重なっていくものです。

今週のその他エントリー

Honkure

WRM 2017/01/16 第327号
『発想法』(川喜田二郎)
『感情化する社会』(大塚英志)
『ウェブに夢見るバカ』(ニコラス・G・カー)
『いつも「時間がない」あなたに』(センディル・ムッライナタン,エルダー・シャフィール)
『出版業界気になるニュースまとめ2016』(鷹野凌)

今週触った本

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd 「第五章 第一節 ロール」
○でんでんコンバーターで電子書籍を作る vol.5
○艱難Think 『権威とその否定に潜む幼稚さ』
○今週の一冊 『ウェブに夢見るバカ』(ニコラス・G・カー)
○物書きエッセイ 「執筆力向上委員会」

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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ふつーのブロガーさんにこそ訊いてみたいアンケート

「そうだ、アンケートをとろう」

と突然思い立ちました。ブロガーさん向けのアンケートです。

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

そもそもとして、いしたにさんの『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』というすげー面白い本があって、その本はその本でフムフムと頷けるのですが、「じゃあ、成功していない__他人から成功しているとは特に思われていない__人ってどうなんだろう」という疑問と、2010年と現在を比べたときにブロガーの裾野というのがギュンっと広がっている点を合わせて考えると、改めて今アンケートを採る意義みたいなものも見出せるんじゃないかな、なんてことを考えていました。

あと、自分が「かーそる」という電子マガジンを作っていた中で、「なんで人はこうして文章を書いているんだろう」という疑問がしみじみと湧いてきたこともあります。なにせメンバーのブロガーさんは、PVや知名度という点では、どう見ても「成功している」とは言い難いですが、それでも定期であれ不定期であれ記事を書き続けていて、しかもそのことに満足を感じておられるようなのです。これはちょっと改めて探求してみる価値がありそうじゃないですか。

というわけで、Googleスプレッドシート経由のアンケートです。以下のリンクか、このページの末に直接貼り付けてあるフォームから記入できます。

ブロガーさんに訊きたい!

ぜひぜひ普通の(あるいは自分は普通だと思っている)ブロガーさんにご回答いただければと思います。もちろん、普通じゃない自覚がある方のご参加もお待ちしております。

ただし、ただしですよ!

入力していただいた回答は、オープンにします。ええ、オープンにしますよ。

アンケート入力後に「前の回答を表示」というリンクが表示されるので、それをクリックすれば、こんな感じのページに飛びます。

screenshot

この「すべての回答を表示」をクリックすれば、回答を集計しているスプレッドシートも閲覧できます。ええ、その点だけはくれぐれもお忘れなくご回答いただければと思います。

アンケートの募集期間はとりあえず、1月いっぱいとしておきます。状況によっては延長するかもしれませんが、まずはそのくらいを目安にしておきましょう。

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Inspiration-State あるいは情報カードに書けること

IMG_7214

ここ一ヶ月ほど、積極的に情報カードを使っています。着想の書き取り用途です。

その中で、いくつかの状態に気がつきました。着想の状態です。

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まずは完璧に書ききれるもの。「豆論文」と呼べるような一つの集塊性を持った文章がそこに記述されます。これが一番わかりやすく、話が早いです。なにせ、もうそれで完成していますからね。

問題は、そうではない状態です。

IMG_7217

フレーズだけを書きつけたもの。書こうとしているものの「見出し」だけが捉まえられた状態です。完成にはほど遠いので、また時間を置いて、書けるときに記入すればよいでしょう。よって、日付の記入もそのとき用に避けておきます。

以上は、まだ扱い方が決定しやすい方です。ややこしいのは以下です。

IMG_7216

いくつかの、断片的なフレーズだけを書きつけたもの。文章にはなっておらず、かつ見出しだけでもない状態です。

これを書いたときに私の頭に浮かんでいたのは、概念というよりは、概念同士のリンクの線だけであって、それは現段階では文章化できるようなものではありません。かといって、時間が経てば言葉にできるかというと、そうではなく、おそらくこれだけでは意味を成さない着想なのだろう、という予感があります。それはたとえば、釘とかナットのようなもので、何かと何かを結び合わせるときに初めて効果を発揮する類のものです。

ステート別の管理

ごく単純に分類しても、着想メモには以上のような3つのタイプ(あるいは状態)がありえます。

完成した情報カードの管理は楽チンで、まとめて一つのボックスに入れておくか、(もしそれが作れるなら)明示的なカテゴリで分類しておけばよいでしょう。それをときどき「くって」内容を短期記憶に想起するのです。

タイトル(見出し)しかないカードは、少し難しくなります。未完成のカードをだけを集めておくのが良さそうですが、完成したカード群に混ぜておいて、記入を促す動きも考えられます。とりあえず、ここでは未完成のカードだけを別に分けておくやり方を取ったとしましょう。

そうなると、フレーズ群を書きつけたカードの扱いが、さらにやっかいになります。完成でも未完成でもないもの。中途半端な着地をしてしまったもの。そのようなものは、完成に入れても、未完成に入れても収まりは良さそうに思えません。たぶん、これは(悪い意味はいっさいなく)「失敗作」なのでしょう。つまり、しかるべきときがやってくれば、別の概念と結びつけて、新しいカードにリライトされる運命を持っている、ということです。「見出し」だけのカードは、単に追記すれば完成しますが、この状態のカードは、おそらく新しいカードとして転生させなければいけないのでしょう。

そう考えたとき、完成版と見出しだけのカードは、アナログでもデジタルでも状態管理的な視点ではまったく違いがありませんが、「中途半端なメモ」に関しては、デジタルが、それもアウトライナーが圧倒的に向いていることに思い至ります。

しかるべき転生が運命づけられたメモ。言い換えれば、被編集が約束されたメモは、アナログの固定性とは相性が悪いのです。それは、後から編集リライトすることがアプリオリに内在されていて、その置き場所はフローさを担保してくれるところが望ましいのです。

▼こんな一冊も:

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記事広告はブログの未来なのか

まずは出発点の模索です。

「良いコンテンツを出す人に、きちんと利益が還元されて欲しい」

どうでしょうか。概ね同意されるでしょうか。

だとすれば、記事広告の仕組みはたいへん良いものに思えます。それを一つのブログの未来と位置づけたくもなってきます。

でも、少し立ち止まって考えてみましょう。なぜなら、アドセンスだって仕組みだけみたらたいへん良いものだからです。

ちょっとした変化

最近は、アドセンスで一儲けするのも難しくなっているらしく、さらにPV至上主義のトリガーとしても批判されている仕組みではありますが、根本的な原理はとても素晴らしいものです。

ウェブの出発点は、書き手が書き、それを読み手が読む、というものでした。どこにでもある、ごくありふれた風景です。アドセンスはここに数滴の変化を加えました。劇薬の変化です。

書き手が書き、広告が表示され、読み手が読む。すると、書き手に利益が発生する可能性が生まれる。しかも、読み手は一銭も支払う必要はない。なんというパラダイスでしょうか。一見したところ、誰も損していません。しかし、すべての楽園がそうであるように、それは「一見」でしかありません。

アドセンスが当たり前になると、広告を表示させるために書く、という書き手が増えてきました。それも爆発的に増えてきました。さらに、その書き手はメッセージを伝えたいわけでも、日常を綴りたいわけでもなく、単に表示されて欲しい、クリックされて欲しいと願っているだけです。良い悪いではなく、もともと存在していた系の中では異質な存在なのです。

その中でも、特に異質な存在は、あえて煽る文章を書いたり、嘘でも気にせずに(むしろ得意げに)情報を流したりといったことを平然と行います。書き手が読み手に文章をおくることが主要な動機ではないのですから、そうなるのは必然でもあるでしょう。釈迦と詐欺師に倫理を説くのは無駄なのです。

もちろん功績はきちんと評価すべきでしょう。アドセンスによって、良き書き手に利益が生まれ、またその動機付けによって新しい書き手がウェブに参画した面はあると思います。しかし、それ以上に、異質な存在が一つの系になだれ込んできたことで、相対的にその功績は小さくなっています。

評価の指標

結局それは、アドセンスが「広告」であり、その効果をPVという指標を使って測定しているからこそ起こることなのでしょう。あらゆる指標(評価軸)は、その系の中に発生する行動を傾向付けます。

面白いのは、ウェブという新しいメディアの発展においてPVが盛んに喧伝される構図は、大手の新聞が発行部数を(水増ししてまでも)誇る点とまったく変わっていない点です。それが広告料に影響するからなのでしょう。逆に言えば、広告に依存したメディアは、使う媒体が何であれ、似たような構図に落ち着いてしまう、ということなのかもしれません。

注目したいのは、この点です。つまり、記事広告なるものが促進されたとして、それはこの構図から抜け出るものになるのかどうか、という点です。変わらないのであれば、歴史が繰り返されるだけでしょう。

Win-Win-Win

シンプルな状況から考えてみましょう。

何かに秀でたブロガーがいたとします。そうですね、たとえば情報カードだとしましょう。その情報カードに卓越したブロガーが、どこかのメーカーから「情報カードの新商品に関して、記事広告を書いてもらえませんか」と依頼されたとします。それは新商品のレビューなのかもしれませんし、何かの面白企画(「情報カードでパラパラ漫画を作ってみた!」)なのかもしれません。どちらにせよ、そのコンテンツは面白いものに仕上がるでしょう。
※あるいは仕上がらないのかもしれませんが、話がややこしくなるので、ここではその記事のクオリティは十分に高いと想定しておきます。

そうすれば、メーカーはプロモーションになり、読み手は面白い記事が楽しめ、書き手はそれで利益が得られる。うん、これは素晴らしい関係です。ここまではまったく問題ありません。

では、これを縦と横に拡大していけばどうなるでしょうか。縦とは、そのブロガーが一年に何個そうした記事広告を書くのか、という話で、横とは、そうしたブロガーがどれだけ増えるのか、という話です。

75%ぐらいのアウトプット

仮に、年間を通して少なくない依頼がそのブロガーにやって来たとします。それらすべてについて彼は興味を持たないかもしれません。完全に興味が0の案件は断るでしょうが、「これなら書けるかも」と思ったものは書くかもしれません。そうした記事は、せいぜい70%か80%程度の面白さとなってしまうでしょう。中にはいかにも苦しい感じの記事もあるかもしれません。

もちろん、書き手が収益を得るために、そうした苦しい感じの記事を出すこと自体はぜんぜん悪いことではありません。読み手も、多少事情を察して、ああなるほどね、とスルーする心の広さは持っておきたいところです。

しかし、何かを書けば、別の何かを書く時間が失われます。もし、彼が記事広告に関与していなければ、生まれていたはずのいくつかの(そう少なくはない)100%の記事が書かれなくなってしまうのです。

ここでそのブロガーを、書くことを通して生計を立てたいと望んでいる主体だと想定するならば、そのようなトレードオフは当然と言えるでしょう。仕事としてものを書くことは、自分の書きたいことだけを書くこととイコールにはなりません。依頼者がいてこその仕事です。

しかし、そのブロガーを、情報社会における市民として捉えた場合、その記事の偏り方はあまり望ましいとは言えません。たしかに、メーカーも、読み手も、書き手もそれぞれWinではありますが、それとは違ったWinの構図もありえるはずです。そしてそれがこれまでのマスメディアが提供できなかったWinであるはずです。

マッチング

今度は、そうしたブロガーの数が増えてきた場合を考えてみましょう。

まず問題となるのは、企業やメーカーがそうしたブロガーをどのようにして見つけるのか、という点です。数が少なければ、一つひとつ読み込んでいったり、周りの評価を確認する作業もとれるでしょうが、数が多くなれば対応できません。となると、わかりやすい指標で決定される場面が増えてくるはずです。それこそ、フォロワー数やPV数で。

もちろん、その道はこれまで歩んできた道であり、新しい構図にはまずならないでしょう。

同様の問題として、そうした広告の効果をどのように図るのか、という点もあります。とても真摯で優れた書き手なのだけれども、一日のアクセス数が50しかない、というブロガーの記事広告をどのように評価するか、もっと言えばそのブロガーに依頼がいくのかのかどうか。
※優れた書き手ならアクセス数を持っているはず、というのは単なる幻想です。

いかないならば、結局は同じ話をぐるっと一周回すだけです。

さいごに

記事広告は、限定的に見れば素晴らしいものです。しかし、限定的に見ればアドセンスや他のバナー広告だって素晴らしいものです。

それがあまりにも素晴らしすぎたため、それまでとは違った動機付けを生みだした、という点は忘れないようにしたいところです。記事広告でも同じことが起こらないとも言えませんし、単にPRをつけたくないから、という理由で記事広告がもてはやされるなら、今よりもひどい状況が待っていることすらありえます。

結局のところ、広告は、商業主体が金銭の提供主です。でもって、そこでは測定できる「効果」がないといけません。お金をドブに捨てるような行為は、商業主体ではまったく不合理だからです。その効果の測定が、単純な指標・これまでの指標で行われている限り、これまでの構図がかわることはないでしょう。

とは言え、です。

「良いコンテンツを出す人に、きちんと利益が還元されて欲しい」

と思う裏側で、「でも、自分はお金を払うつもりはない」という気持ちがあるならば、結局は広告に頼るしかない、というのも一つの真実です。

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『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』に大活字版が登場しました

タイトル通りです。

Evernoteの使い方を、ストーリーを読みながら理解しちゃえるという、意欲的な『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』に文字サイズの大きいバージョンが登場しました。

目にやさしい大活字 ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由(エクセレントブックス版)
倉下 忠憲
シーアンドアール研究所 (2017-01-18)
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内容はまったく同じです。紙のサイズと文字のサイズが大きくなりました。

どれくらい違うかというと、これくらい違います。

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ええ、デカイですね。でも、中身は同じです。

POD(プリント・オン・デマンド)なので、価格が少々(というかかなり)高くなっていますが、一応理論的には在庫切れは存在しなくなりました。あとは、電子書籍版が出れば完璧ですね。はい。

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ゆっくりさをゆっくり取り戻す あるいは時間感覚の調律

自分の時間の感覚がちょっと変になってるんじゃないか、と思う出来事がありました。

成果や達成をはかる時間軸が歪んでいる気がするのです。そろそろ、ゆっくりを取り戻すタイミングなのかもしれません。

セルパブ本の流れ

2016年は、ブロガーさんの優れたセルフパブリッシング本が何冊も出版されました。喜ばしいかぎりです。私はこういう事例がどんどん増えてくれたらいいのにな、と思いながら『KDPではじめる セルフパブリッシング』という本を書きました。2013年12月のことです。

そこから2〜3年の歳月を経て、ようやくそのような状況が現実になりつつあります。まだ出版には至っていないけど、原稿を執筆中であったり、企画を考えている方もいらっしゃるようで__その状況に拙著がどれだけ影響を与えたかは別にして__、今後の動きには非常に期待が持てます。

でも、最初に引き算して年月を計算したとき、こう思ったのです。「2年もかかったのか」と。そしてすぐさま違和感が湧いてきました。その感覚自体がおかしいんじゃないか、と。

速度=正義

もっとはやく、もっとはやく、もっとはやく。

現代社会あるいはインターネットベース社会における基本的な要請です。より多くを、より短時間で成し遂げる。速度は正義なのです。

私もそれに最適化していました。毎月一冊電子書籍の新刊を発売するなんて、尋常なことではないでしょう。そしてセルフパブリッシングの電子書籍でなければまず達成できなかったことではあります。テクノロジーとメディアの力を最大限に発揮させたわけです。

そうして出版した本が、発売日に購入してもらえ、翌日には感想がもらえる。なんと素晴らしい。『Fate/Zero』のキャスター並に愉悦に浸りそうになります。

それはとても恵まれたことであり、ありがたいことであり、素晴らしいことではあります。でも、と注釈もつきます。

時間をかけなければ作れない価値はどうなったのだろう。
長い時間の評価軸でないと見出しにくい価値はどうなったんだろう。

速度に最適化した自分という存在は、そうしたものを生み出すことができるのだろうか。スキルが向上し徐々に近づいているのか、それとも道を踏み外しつつあるのか。

だんだんわからなくなってきます。そして、私の心の声がCV.石田彰でこうつぶやきます。

「君のやりたかったことって何だい?」

人の心に残る本。時代を超えて読まれる本。価値が時間によって欠損せず、むしろ増える本。そういう本を書くこと。

そういうものを生み出す力は向上しているだろうか。そのための準備は整っているのだろうか。私は時計の針を見ます。自分の残りの人生を示す時計の針を。そんなに長くはないでしょう。速度のみに汲汲としていたら、あっという間に終わってしまいそうです。

速度の速さが問題なのではありません。物事がスピーディーに進むことは、基本的には良いことです。ただ、それに過剰に最適化し、価値を計る物差しが歪んでしまうのが問題なのです。短期的な成果を上げないから、研究開発費を削除する方針を打ち出すCEOを私はあざ笑うでしょう。問題はそれと同じことを自分がやっていないのか、という点です。

2年という年月で達成したことを「時間がかかった」と評するような人間に、4〜5年かけないと生み出せない価値は到底手が届かないでしょう。でもって、私が求めているのはまさにそのような価値なのです。そこを忘却しては、最終的には生きることがつまらなくなることは間違いありません。

実際にやっていること

具体的な話をします。

2017年の「月刊くらした」計画は、三ヶ月に一冊のペースで出版することを予定しています(月刊でもなんでもなくなってますね)。ただ、その作業は3ヶ月ごとに一冊作るのではなく、2〜3ヶ月に一冊のペースで本を作りつつ、並行して一年かけて本作りを行おうとしています。

つまり、2017年の最後に発売されるはずの四冊目の本__おそらく『僕らの生存戦略』になりそうです__を、すでに今の時点から作り始めているのです。一日に投下している作業時間はそれほど多いものではありませんが、構成を考え、コンセプトを整え、素材集めを行い、といったことをじわじわと進めています。

これまで、それほど長い期間腰を据えて「一冊」に取り組んだことがありません。でも、私もそろそろ物書き6年目に入っているので、そうした仕事のスタイルを身につけていく必要があるでしょう。

それだけではありません。もう一つ、『断片からの創造』という本の構想を考えていて、これは2018年か2019年に出版することを予定しています。で、そのための材料を集めを、今の時点からスタートしています。毎日一枚情報カードを書く、という非常に小さい進捗ではありますが、それでも1〜2年続けたら素材は大いに集まるでしょう。そこからどんな料理の腕を振るう必要があるのか。それも楽しみの一つです。

さいごに

4〜5年かけて作る価値の話をしておきながら、実際やっていることはせいぜい1〜2年かける作業の話です。でも、仕方がありません。移行というのはゆっくり進め、徐々に体を慣らしていくしかないのです。でないと、途中で挫折してしまいます。それに、ゆっくりさを取り戻すのに性急さを用いることほど愚かしいことはありません。

現時点で二つ言えることがあります。

一つは、数年かかる作業であっても、結局「毎日少しずつ何かをする」に微分できること。「構想四年!」と耳にするといかにも壮大さを感じますが、実際やっていることは一日レベルではたいしたことがありません。ただ、それをひたすら長く繰り返すだけです。

もう一つは、Evernoteの価値です。記録する期間が短ければ、Evernoteは他のツールとたいした差を持ちません。一週間単位なら大学ノートと、一年単位なら手帳と同じくらいの重さしかないのです。しかし、数年という単位で単一の事柄に向かい合うのに、これほど適したツールはありません。長らくノートと手帳を使ってきた私でも、あるいはだからこそこのツールが引き受ける時間軸の長さと、そこから生まれ出るであろう価値の大きさには唖然とします。

もちろん、ちゃんとサービスが続いたら、という前提がつきますが。

ともかく、

「ゆっくり進めること」
「ちゃっかり進めること」

それが2017年からの、私の一つのスタイルです。

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解放装置としてのブログ、あるいは「自分のメディア」について

一昔前、ブログは解放装置だった。

社会にはさまざまなしがらみがあり、個人の個性的な活動はそこでは行えなかった。ブログはそこに扉を開いた。さまざまな発信を行い、ときにはもう一つのペルソナ(=アストラル・アバター)と共に、ウェブ上に一つの居を構えることができた。

平たく言えば、そこは(社会に比較すれば)自由だった。やりたいことが、やりたいようにできたのだ。

もちろん、いくつかの禁則はあっただろう。公共の福祉を害することは褒められる行為ではなかったし、誰かの人格を攻撃する人間は、多少面白がられたとしても、話題の先端に上がることはなかった。ひらたく言えば、無視された。そんなことよりも、面白いものが他にいくらでもあったのだ。

状況は、変わりつつある。

現在のブログには、さまざまな「してはいけない」が存在している。もっと言えば「した方がいい」「すべきだ」すらある。驚きだ。

一時期は解放装置であったものが、人を束縛する装置と化している。本来__というよりも、その出発地点では、「してはいけない」や「した方がいい」から一番遠い場所にあったものが、あっというまにそれに近接し、寄り添うようになってしまった。どこでこんなことになってしまったのだろうか。


ブログは、一つのパブリッシュ・メディアであり、ブロガーはその編集長である。彼は、自分のメディアに関して最大の裁量を持つし、それを発揮しなければいけない。

CanCamの編集長が、JJの編集長に、「どうやって雑誌作ったらいいですか?」と尋ねるだろうか。あるいは、Smartの編集長が、現代思想の編集長に編集方針をコピペさせてもらうだろうか。

雑誌は、それぞれに編集方針を持つ。それが異なるからこそ、読者は雑誌を選べるのだ。他の雑誌の編集方針をコピーしていたら、まったく同じような雑誌が生まれるだけで、読者は困惑するだろう。最終的には一番人気の雑誌が、さらに人気を集めるだけかもしれない。富は、富へと集中する。

わざわざ、「自分のメディア」を「他にあるメディア」に近接させたい、もっと言えば模倣したいと願う気持ちはどこからやってきたのだろうか。

奇しくも先ほど「ウェブ上に一つの居を構えることができた」と書いた。それは自分の位置づけであり、言い換えれば自分の居場所作りでもある。そこにトラップが潜んでいたのだろう。

社会にはいろいろなしがらみがあると書いた。そのしがらみは、当然「してはいけない」や「した方がいい」という暗黙の、ときに声高な要請として表出する。

ウェブ上の人口が少なかったとき、そこは広い草原のようなもので、人々は遊牧民でいることができた。共同体のルールはあるにせよ、その範囲と影響力は非常に限定的だった。しかし、人が集まり、狩猟から農耕に移行すると、村という固定的な共同体が生まれた。社会の誕生だ。

つまり、ブログはその人口の増加と共に、社会化してしまったのだ。社会化したものの先には、しがらみが待っている。ウェブ上に一つの居を構える効果があることを考慮すれば、これは当然の帰結だったと言えるだろう。

もちろん、上記はまったくの幻想である。言い換えれば、ある種の幻想がもたらす帰結、ということだ。ウェブ上に「人口密集地」なるものは存在しないのだから、当然だろう。

すでにあるクラスタ、すでにあるブログ群に飛び込もうとするとき、そこには社会化の力学が発生する。一昔前のブログが、社会からの離脱(離反)だったのに対して、今のブログは、一つの社会から飛び出て、別の社会に飛び込む行為となっている。あるいは、そうした幻想が主流になっている。

つまりそれは、「自分のメディア」を確立する動きではなく、むしろそれを「私たちのメディア」の下位階層に位置づけようとする試みなのだ。雑誌の比喩を再び用いれば、それは新しいメディアを作ることではなく、新しい「〜〜Walker」を作ることに似ている。そこでは「してはいけない」や「した方がいい」は統一されていた方が望ましいだろう。編集方針のコピペは有用である。


一つの視点として、「お金稼ぎを目的としているから、金太郎飴みたいになる」と見ることもできるだろうが、もしそれが本当ならば、MicrosoftとAppleは似たような会社になっていないといけない。どちらもお金稼ぎを目的(ないしは目標)とした企業である。しかし、どう考えても二つの企業は似ていない。

つまり、お金稼ぎが目的であるかどうかは差異を生むかどうかの主要な条件ではないことになる。そうではなく、「自分のメディア」をどのように位置づけているのかが、差異を発現させる鍵を握るのだろう。

▼こんな一冊も:

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
倉下忠憲 (2015-05-28)
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11/9 〜 11/15 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. 断片の知識を付箋とノートで組織化する
  2. 自由についてのノート その1
  3. 自由についてのノート その2
  4. 自由についてのノート その3
  5. B6サイズの情報カードを持ち歩くソリューションをDIYで
  6. 毎日五分だけカードを読む

今週は「自由」について多く書きました。あるいは、大人にとっての勉強について書いたのかもしれません。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

11月9日

玉石混淆と言いますが、玉ばかりでも押しつぶされてしまうのでしょう。

11月10日

その曖昧さは、無限性へと敷石ともなります。

11月11日

価値には、実体がありません。共同で幻想されるからこそ、価値は価値たり得るとも言えるでしょう。

11月12日

変化のトリガーは、問いです。良いのか、悪いのかは別にして。

11月13日

問いの質が変わるような情報の増え方が、変化を促します。

11月14日

メタですね。でも、それこそが「人間」の根源なのかもしれません。

今週のその他エントリー

Honkure

WRM 2017/01/09 第326号
『転位宇宙』(A・G・リドル)
『ポピュリズムとは何か』(水島治郎)
『昭和元禄落語心中(10)』(雲田はるこ)
『アイデアのヒント』(ジャック・フォスター)
『「超」発想法』(野口悠紀雄)

今週触った本

最近読んでいます。カーらしいピリっと毒が効いたテクノロジー批評の記事が集まっています。

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd 「第五章 第一節 ロール」
○でんでんコンバーターで電子書籍を作る vol.4
○「本」を巡る冒険 「ブックガイドとしての口コミ」
○今週の一冊 『ポピュリズムとは何か』(水島 治郎)
○物書きエッセイ 「書き手にとっての価値、読み手にとっての価値」

頂いた感想など:

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