実用書と創作文、あるいは器と中身 #DrHack

さらに引き続き、新刊『Dr.Hack』について。

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今回は小説作品を書く、ということについて書いてみます。

中身と器

私は雑多な物書きです。実用書も書きますし、創作文も書きます。デュアル・オーサーというわけです。

でも、それだけではありません。

実用書っぽい創作文も書きますし、創作文っぽい実用書も書きます。実用書+創作文も書きます。だから、ハイブリッド・オーサーなわけです。

★実用書っぽい創作文

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★創作文っぽい実用書

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★実用書+創作文

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というか、そもそも私はジャンルを念頭に置いて何かを書いているわけではありません。書きたいこと・表現したいことがまず先にあり、それを適切に収める器はどれだろうと考えてものを書きます。その際、既存の器に適切なものがあればそれを使いますし、そうでなければカスタマイズしたり、器そのものを創作したりします。別にそれは奇をてらっているわけではなく、書きたいことが先にあるからこその必然です。

だから今後も実用書を書いていくでしょうし、同様に創作文も書いていくでしょう。むしろ、これまでは創作文の数が少なかったきらいすらあります。その分、今後は徐々に巻き返していくことになるでしょう。

でもって本作はそのリングでのジャブみたいなものです。いや、ジャブよりももっと弱い、ゴングが鳴ったときにボクサーが軽く拳を打ち合わせるアレみたいなものです。前哨戦、といったところでしょうか。

ある種のことがらは実用書の体裁で書いた方がうまくいきます。逆に創作文(小説)の形で表現しないと、どうしても伝えきれないこともあります。こればかりはどうしようもありません。器一つひとつには機能があり、個性があり、限界があります。物書きはそれを適切に見極めて使い分けるしかありません。繊細な板前が、料理に合わせてお皿を選ぶようなものです。

極端なことを言えば、『Dr.Hack』のエッセンスは実用書のフォーマットでも表せます。それで「知識」は伝えられるでしょう。でも、それだけではないものがこの作品には詰まっています。それが一体何なのかは、さすがに読んでもらうしかないわけですが__だからこの本を書いたわけです__、それでも『数学ガール』から物語を取り除いたら『数学ガール』ではなくなってしまうように、本作も小説であることにはきちんと意味があります。

別にキャッチーさや単なる目新しさのために「ライフハック・ライトノベル」を名乗っているわけではありません。そこには意志というか、「そうしなければならない」という切実な何かがあるのです。

とは言え、物語の形式にしてしまうと、トピックを拾って流し読みする、みたいなことはできないわけですし、解釈の違いや具体性におけるズレみたいなものも生じます。「読んだらすぐわかる」的なビジネス書読みはできません。が、こればかりはトレードオフなので仕方がないでしょう。

本の在り方、読まれ方にもいろいろあるわけです。


というわけで、今後も小説作品及びなんだかよくわからないジャンルの本を書いていくよ、というお話でした。次回は10万字というボリュームに関する話を書いてみます。

▼その他の記事:

R-style » 電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました
R-style » Dr.Hackはフルノベル
R-style » 実用書ではないけれども #Dr.Hack

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実用書ではないけれども #Dr.Hack

引き続き、新刊『Dr.Hack』について。

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本書は、小説であり、実用書ではありません。実用書成分が皆無かと言えば、そんなことはないのですが、どちらかと言えば薄めではあるでしょう。

今回の本は、私の本書きの三指針である「読みやすく、面白く、役に立つ本」の最後の一つは若干弱めです。あるいは、遠回り的、という言い方もできるでしょう。

まさしく、このような本です。

でもって、このような本でもあります。「考える」ことを大切にしている本と言えるかもしれません。対話重視の本です。その意味で源流は『ソクラテスの弁明』あたりになるでしょうが、この本で行われているのは議論ではありません。せいぜい穏やかな講義です。

Amazonのカスタマーレビューを頂きました。以下に引用します。

ライフハック本は「このようなときは,このようにしましょう」的なTIPS集が多いように思いますが,この本は違います.how toだとその用途や事柄に特化した応用が出来ない知識が増えるに留まることがあります.しかしこの本では,幾つかの事例を例題に挙げて問答形式で進むため,否応なしに一緒に考える形になります.結論だけではなく,結論に至る過程や考え方も理解出来,そして応用も効く本質的な部分まで理解が進むというわけです.

ここまで丁寧に読み取って頂いて嬉しい限りです。で、まさにこのようなことを目指した本です。

たとえば、リマインダー1つとってみても、リマインダーを使えば便利ですよ、という話で終わるのではなく、なぜそれが便利なのか、どのような理由でそれが機能するのかまでつっこんで「考え」れば、応用の範囲はぐんと広がります。少なくとも、具体的に紹介されているツールの垣根なんてあっという間に越えられます。

もちろん個々の具体的なテクニックも大切ではありますが、その分野は他の方がさんざん語り尽くされているので、私としては別の方向を開拓したい気持ちが強くあったのです。でもって、それを為すためのフォーマットが、この「ライフハック・ライトノベル」という形でした。

というのも、その手の話は、ストレートに語るとどうしても硬くなり、とっつきにくくなってしまいます。教室の一番前の席に座って、黒板を睨みながら、黙々とノートを取る眼鏡っ子くらいの話しかけにくさです。それは避けたいと思いました。気楽に読めるけども、奥にまで届く。そういう作品を目指して書いたのが本作です。

とは言え、本作もまだまだストレートさは残っています。なにせ5年も前に書いたので、使える引き出しの数が少なかったのです。この辺が第二弾、第三弾でどう変わっていくのかが楽しみですね、と他人事みたいに書いていますが、言葉通り楽しみではあるのです。だいたいにして、自分がどんな作品を書くのか、自分でもわかっていないところがあります。というか、だからこそこの仕事は飽きることがないのかもしれません。

ともかく、本作は実用書ではありません。娯楽小説とも言い難いでしょう。では、一体何なのか?

もちろん、ライフハック・ライトノベルです。これまでのどんな定義にも当てはまらないから、わざわざ新ジャンルを作ったのです。ハカセのイノベーションに関するセリフが思い出されますね。

というわけで、今回は、「実用書にあらず」について書いてみました。次回は、小説作品を書くことについて書いてみようかと思います。

▼その他の記事:

R-style » 電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました
R-style » Dr.Hackはフルノベル

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Dr.Hackはフルノベル

はい。今週は新刊についていろいろ書いていきます。

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フル・ノベル

さっそく書評記事を頂きました。爆速です。ありがとうございます。

書評: Dr.Hack僕とハカセのハック・ストーリー倉下忠憲さん – うさぼうの人生ダッシュボード化計画

日々のちょっとしたテーマ(これらに並々ならぬ興味を感じるならライフハックアンテナの感度を上げることをおすすめします)に対して、ハカセとの対話を通じて僕は悩みを解き明かしていきます。

まったくこの通りのお話です。記事もあるように、『タスク管理ゲーム化計画』と親和性は高いだろうと思います。

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そういえば僕エバはライフハックライトノベル第一弾じゃなかったのかしら?という疑問が浮かびましたがあれは解説編とセットだから違うのでしょうか。

これについてはいくつか答え方ができるのですが、第一に「書き上げた」のはDr.Hackの方が先です。

Dr.Hackは、メルマガで2012年〜2014年、約60週にわたって連載し続けたもので、一応その段階で物語は一段落ついています。そのメルマガ連載と、今回出した本は、基本的には同じ話です(細部にはかなり手を入れてありますが)。なので、2016年に出版された『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』よりも出自としては先、ということになります。

が、それはそれとして、記事でも考察されているように、僕エバはストーリーパートと解説パートがセットで一冊の本であり、ストーリーもそれを意識して書かれています。その意味で、純粋なストーリーではありません。

対して本作は、全編がストーリーで構成されております。約10万字のフル・ストーリーです。これは書き手にとっても大きな違いですが、読み手にとっても少なからぬ違いがあるのだと想像します。

とは言え、本作も起承転結的な意味でのストーリー性はそれほど強くありません。かなり対話が重視されています。スリルやサスペンスを求められるならば、物足りなさはあるでしょう。が、《そういう小説》だと位置づけていただければ幸いです。

ちなみに、第二弾として予定しているBNS(仮)は、もっとストーリー性があるので、そちらもご期待ください。

さいごに

というわけで今回は、Dr.Hackは小説(全編物語)なんだよ、ということについて書いてみました。とりあえずは準備運動みたいな原稿です。

次回はこれに関連する、実用書ではないんだよ、ということについて書こうかと思います。

感想等々も引き続きお待ちしております。

では、また。

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3/20 〜 3/25 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. point of no return
  2. メモとノートの定義
  3. 二つ+αの贈言
  4. メモの緊急性
  5. そこにないかもしれないメモツール
  6. 電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました

今週は、『Dr.hack』の最終工程に全生命力をつぎ込んでいたので(おおげさ)、短い更新が多くなりました。あと、今日の一言とHonkureもほぼ休止状態。また、来週から復帰できるかと思います。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

3月20日

既知に留まるか。既知からスタートするか。

3月25日

制度(システム)は、仕組みでは機能しません。制度が制度としてそこに定着しているのは、それを支える物語があるからです。それを書き換えないかぎり、仕組みだけを変更しても元の木阿弥です。

今週のその他エントリー

Honkure

WRM 2017/03/20 第336号

今週触った本

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事
村上 春樹
中央公論新社 ( 2017-03-17 )
ISBN: 9784120049675

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次は未定です。

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました

はい。お待たせしました。「月刊くらした」計画の三年目の第一弾です。

Dr.Hack (Lifehack Lightnovel)
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「ライフハック・ライトノベル」という私が勝手に作った新ジャンルの小説です。ライフハック+仕事術的なものをストレートに扱う小説で、リマインダーやタスクリストなどに興味がある方には、きっと楽しんで頂けるのではないかと思います。

これまで作ってきた電子書籍に比べると、やや長いのでその辺はご注意を。

ランディングページも作成しておりますが、目下制作途中なので、またおいおい情報は追加していきます。

Dr.Hack 僕とハカセのハック・ストーリー | Official Website

とりあえずここ数ヶ月かかりきりの仕事がようやく一段落しました。楽しんでいただければ良いのですが。

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そこにないかもしれないメモツール

前回:メモの緊急性

前回は、メモの緊急性について確認した。その性質によって、メモ生成装置は「いつでも、どこでも、すぐに」使えなければならない。今回は、その難しさについて考えよう。


脳は体の一部だ。脳があるところに、体もある。意識があれば脳があり、脳があれば体がある。しかし、ツールはそうではない。ツールは体の一部ではない。意識があっても、ツールがないことがありうる。

ドレスコードによってツールを持ち込めない場所がある。習慣あるいは礼儀としてツールを持ち込むべきでない場所もある。入浴中や大人の営みの最中など、なんとなく忌避される場面もある。あげくのはて、私たちがツールの存在を忘却してしまうこともある。なにせ、私たちの記憶力が心許ないからこそメモをするのだ。だから、メモ生成装置の持ち歩きを忘れてしまうことも念頭に置かなければならない。

私たちの脳にとって、真なる意味でユビキタスなのは脳だけだ。ツールがそこにないことは、可能性としては十分ありえる。

それでも一番可能性が高いのは携帯系ツールだろう。今ならスマートフォンだ。これを「体の一部」みたいに扱う人はたしかに存在する。「バッテリ切れ、即ち死」みたいな人だ。そこまで極端ではなくても、他のツールに比べれば、携帯系ツールは(その定義から言って)「いつでも、どこでも、すぐに」使える可能性は高い。

が、完璧ではない。

携帯系ツールで通話しているときに、その携帯系ツールにメモするのは難しい。バッテリーが切れたらメモはできないし、持ち歩くのを忘れてしまうことすらある。

そもそもとして完全完璧な「いつでも、どこでも、すぐに」を満たすことはできない。その上、一つのツールでそれをカバーすることも難しい。

だから適材適所で運用するしかない。分散型ネットワークで、着想を拾っていくのだ。

(つづく)

次回予告:分散型の運用指針について

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メモの緊急性

前回:R-style » メモとノートの定義

前回は、メモとノートの定義を確認した。今回はメモについて考察を深めたい。


メモは多様だが、ここでは「緊急性かつ一時性のある情報」を書き留めるためのメモに限定して話を進めよう。

まず「緊急性」だが、これはメモ生成装置の要件を規定する。

緊急的なものは、事前に発生タイミングを予測できない(だから、緊急となる)。つまり、このタイプのメモはいつ書かれるのかわからない。そのため、メモ生成装置には携帯性が求められる。「いつでもどこでも取れる」ことが必要になるわけだ。ポケットに入るミニノートや携帯電話(スマートフォン)がメモ生成装置として重宝され、かさばる大判のノートやタブレットが回避されるのはこのためだ。

また、それは緊急であるため、早い起動性を有していることも重要だ。ポケットの中には入っているが、メモを書き始めるためにブラウン管が暖まるまで待つ必要があるメモ生成装置など使いものにならないだろう。「閃き」という語感からもわかるとおり、着想は刹那である。一瞬でやってきて、一瞬で消え去る。今そのときに書き留めなければならない。
※以上は、『ハイブリッド発想術』でも論じてある。

簡単にまとめると、「いつでも、どこでも、すぐに」書き留められる機能がメモ生成装置には求められる。


しかし、「いつでも、どこでも、すぐに」を完璧に満たすのは難しい。脳内にマイクロチップがインプラントとして埋め込まれていれば(もちろん通信機能付きだ)それも可能となるが、今のところの技術では、コンビニに行って小さいノートを買ってくるような気軽さはそこにはない。

私たちは、「超知的生産生命体」を作ろうとしているわけではなく、日常の知的生産(知的生活)に僅かながらでも改善を加えようとしているだけである。視線は日常にキープしておきたい。

そこで、考え方を変える。メモ生成装置を単一に捉えるのではなく、装置群の系(システム)と捉えるのだ。

(つづく)

次回予告:なぜ「いつでも、どこでも、すぐに」の完璧な達成が難しいのか?

▼こんな一冊も:

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術)
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二つ+αの贈言

「いいか、若造。うまく立ち回りたいなら、この二つだけ覚えていればいい。〈先行者利益〉と〈レッドオーシャン〉だ。あと、〈賭場は胴元が勝つようにできている〉と〈ゴールドラッシュで儲けたければジーンズを売れ〉も大切だな。そういえば、これは知ってるか。〈人の行く裏に道あり花の山〉と〈損をして得を取れ〉だ。
 難しいことはどこにもねえよ。偉い学者さんの証明なんて必要ねえ。市場原理ってやつは学者の頭の中じゃなく、現実の俺たちの行動に存在しているからな。日常をよ〜く観察して、じっくり考えればそれで十分だ。なぜ、そんな風になっているのか、ってな。〈ただより高いものはない〉とも言うな。幸いおれらの思考ってやつはただなのさ。その価値プライスレス、なんてな。
 どうだ。やるべきことははっきりしているだろう。いや、やってはいけないことは、と言うべきか。何にせよ、頑張れよ。頭と体の使いどころだぜ。
 最後に一つ忠告を送っといてやろう。〈一寸先は闇〉だ。鬼が出てくるか、絶世の美女が出てくるか。そんなことはお天道様だって知らねーんだぜ」

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メモとノートの定義

「メモれよ、さらばメモられん」

という言葉を残したのは古代ギリシャの哲学者サンデルスであり、毎日必死にメモを取っていれば、いつかは他の人に自分の発言がメモされるような人間になるという意味が込められたありがたい言葉である。

以上はまったくの嘘なのだが(すいません)、知的生産活動においてメモは欠かせない行為であることは間違いない。それは、大雨の日の傘ようなものである。なくてもなんとかはなる。だが、そうとうに厳しい。

よって、このメモというやつといかに付き合っていくのかが、知的生産の技術では肝要となる。力技で解決できないことに取り組むのが「技術」なのであるから、これはまっとうであろう。

さて、以下の記事を読んだ。

メモがとれる人間にあこがれて~文具自分紀行・その3 | inspi

ヨシムラマリさんによるメモの考察だ。

 便宜上、ここでは「突発的に書く」ものを「メモ」、「計画的に書く」ものを「ノート」と呼ぶ。「突発的」というのは、「いつ」「どこで」それを書かなければならない状態になるか、予測できないということだ。歩きながら降ってきたアイディア、急に上司に呼び止められて頼まれた用事などがこれにあたる。逆に会議の議事録や、考えをまとめるときのように「書こうと思って書く」ものが「ノート」である。

メモとノートが区別されている。分ける基準は、作成時の状況であり、緊急性の有無という言い方もできるだろう。

自分のことを振り返ってみると、たしかにメモと呼べるものは、緊急的に作成されることが多い。閃きは突然訪れるし、そうして訪れた閃きは瞬く間に消え去ってしまう。だから、即座にその場でメモを取らなければならない。閃きの予測は困難であり、そのメモはいつだって緊急的に作成される。

で、そうではない記録がノートというわけだ。

これはたしかにその通りに思えるが、一度私の定義を確認してから、もう一回り深めてみるとしよう。

メモとノート

私のメモとノートの定義は、作成した情報の利用に着目する。簡単に言えば、一時性を帯びたものがメモであり、常駐性を帯びたものがノートである。具体例で考えよう。

電話をしている。「これから言う口座に振り込んでください」と言われる。そんなものメールで送って来いよ、と思いながら、あなたは手近な紙にでもその口座番号を書き留める。これがメモだ。そのメモは、振込用紙にきちんと番号を入力した瞬間にお役御免と成る。この「お役御免」が一度目の情報の利用のタイミングと非常に近しいところにあるものをメモと呼ぶ。

同じ口座番号でも、それが顧客リストの一部をなすものであればどうか。それはたぶんデータベース的なものに記録されるであろうし、その情報が実際にどれだけの回数参照されるかはわからないが、それでも前提としては何度も利用されることが想定されている。そして、何かしらの理由でその口座番号がデータベースから削除されることもありうるが、前提としてその情報はデータベースがある限り存続し続けることになっている。これがノート的な情報だ。

記憶と記録

メモやノートは記録である。そして、記録は記憶をサポートするために作られる。

それを考えれば、(私の定義では)メモは短期記憶をサポートするためのものであり、ノートは長期記憶をサポートするためのものとなる。つまり、筆算するときの計算式はメモであり、それをまとめた論文の作成はノートである。

この視点に立つと、ノートもさらに細分化できる。それは長期記憶の細分化と呼応する。

意味記憶は、My辞書でありセルフウィキペディアだ。虎の巻という言い方もできる。自分のノートに「データベース」を作っている人も多いだろう。論文だってそうだし、その他細かい情報を含めた「意味」を規定するものがここにあたる。

エピソード記憶は、ライフログだ。もちろん、そこには日記も含まれている。そして、手続き記憶はチェックリストであり、展望的記憶はいわゆるスケジューラーである。

これらが「ノート」というものを構成する。

ちなみに自分の「思索」を書き留めたものは、意味記憶とエピソード記憶の混合と言えるだろう。つまり自伝的記憶というわけだ。

二軸の探索

さて、ここでメモとノートに関して二つの定義が生まれた。これで二軸が作れるだろうか。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性でマトリックスを作れるかどうか、ということだ。

緊急性かつ一時性のある情報→電話口のメモ
計画性かつ常駐性のある情報→論文

これはいい。では、他はどうだろう。

緊急性かつ常駐性のある情報→?
計画性かつ一時性のある情報→?

たとえばモーツァルトか誰かは曲の全体像が一瞬で頭に浮かんで、それを楽譜の上に書き写すだけだったと言う。これは「緊急性かつ常駐性のある情報」だと言えるだろう。万人向けとは言えそうにないが、そういう行為を必要とする人がいることは一応想定できる。

また電話口で聞いた口座番号をそのまま直接データベースに入力することもある。これも「緊急性かつ常駐性のある情報」と言えるかもしれないが、そのような行為が行われるときは、たいてい「おそらくそういう状況が発生するであろう」ことが業務的に規定されているものであり、言い換えれば想定内(計画的)であるとも言える。急いで書き留めなければならない状況ではあるが、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」というシチュエーションは少ないだろう。

むしろ、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」場合は、どこかの紙に一時的に書き留めておき、それを改めてデータベースに入力し直すことが多いのではないだろうか。つまり、メモ→ノートの昇華である。記憶の比喩を続ければ、短期記憶が長期記憶に変化したわけだ。

以上のように考えると、「緊急性かつ常駐性のある情報」は概念的に想定しうるが、現実的に発生することは少ないかもしれない。

さらに、「計画性かつ一時性のある情報」となるとさらにやっかいだ。一体誰がそんなことを行うのだろうか。もちろん、忘年会でやる一発ギャグを必死に考える、ということはあるだろうが、その一発ギャグですら、コンテンツの消費的には一時的に扱われるが、来年再来年と同じことができるし、それを見た人がモノマネして別の宴会でやるかもしれない。それは常駐的な情報なのだ。

結婚式のスピーチや講演なども、たしかにそれは「たった一回しか使われない」ものであるが、文字起こしされたり、録音されたり、誰かに引用されたりすることは十分ありうる。その意味で常駐的な情報と言える。

そう考えると、「計画性かつ一時性のある情報」を見出すのはかなり難しい。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性は完全に独立したパラメータではないのだろう。往々にして、一時性のある情報は緊急的に発生するし、常駐性のある情報は計画的に作成される。そういう傾向がありそうだ。同じコインを違う角度から見ているに過ぎないとも言える。

さいごに

今回はメモとノートの定義周りについて考えてみた。

一見バカらしいかもしれないが、私たちは大人になるまで「メモとは何か?」「ノートとは何か?」といった定義について誰にも教わることはない。というか、大人になっても教わることはない。その機能や性質について無知なままで、知的生産活動に従事させられるのが我々の生きている社会なのである。これは結構辛いことだ。

今回は定義周りを押さえたので、次回はそれを踏まえてそれぞれの運用をもう少し掘り下げたい。

たぶん、つづくと思う。

※以下の二冊も参考になるだろう。

クラウド時代のハイブリッド手帳術
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超メモ術 ―ヒットを生み出す7つの習慣とメソッド (玄光社MOOK)
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point of no return

「みんな、大事なことだから、よく聞いてくれ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 もう一度言うぞ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 だって、そうだろう。
 進んだ時間は元には戻らないし、吐いた言葉を引っ込めることもできない。
 俺たちは、常に前に向かって進んでいるんだ。立ち止まっているときですら、な。
 そんな俺たちが相互に影響し合っている。わかるか。
 俺が変わり、みんなが変わり、環境が変わる。そして、それぞれが影響を与え合う。
 同じ一秒なんてありやしない。常に、新品の未来がやってくるのさ。
 といっても、そんな風には見えないだろうがな。
 それが厄介ごとの原因さ。

 そんなことはない、とお前たちは言うかもしれない。
 これまで取り返しがついたことなんていくらでもある、と。
 でもそれは違うんだ。それは単に赦されただけだ。他者からの眼差しに、赦しの波長が含まれていただけだ。
 みなが取り返せたかのように振る舞っているから、取り返せたことにしておこう。
 そういう遊戯、いや、虚構なのさ。
 そんなものは、床板が抜けちまうかのようにひっくり返ることがある。
 そこから得体もしれないものが飛び出てきて、お前たちを襲うんだ。
 そして、気付くわけさ。ああ、取り返しのつく一歩など存在しないんだな、と。
 
 でもだからどうだって言うんだ。
 取り返しのつく一歩など存在しないことを知っていても、やっぱり俺たちは前に向かって進んでいく。
 後悔や苦悩ですら、結局は一歩だ。
 何をどうあがこうが、体を操られたみたいに、俺たちは歩み続ける。止める術はない。
 よぉ〜く考えようが、思い付きで飛び込もうが、一歩は一歩だ。
 そしてそのどれも取り返しがつくことはない。
 だったら、そうだな。納得できるかどうかが大切だろう。
 リスクという概念は無意味だし、可能性なんてちゃんちゃらおかしい。
 だってそれは複数回の試行においてのみ意味を持つ概念だからだ。

 一歩。
 俺たちの目の前にあるのは、ただの一歩なんだ。
 その一歩をどう歩むか、それこそが人生のすべてであると言ってもいい。
 その一歩は、どんな一歩であってもいいし、どんな一歩でもありえる。
 何からの結果を引き起こすかもしれないし、引き起こさないかもしれない。
 が、それを憂いても、意味はない。
 そもそも取り返しのつかいなことを憂うことにどんな意味がある。
 結局その憂いですら、一歩なんだ。そのことを忘れちゃいけない。
 いいや、そういうわけじゃない。そんな極端な話はしていない。
 憂い自体に意味がないわけじゃないし、憂うなと言っているわけでもない。
 何をどう憂うのかがポイントだと言っているんだ。
 
 もし取り返しのつく一歩なんてものがあるとすれば、俺たちは延々とその一歩について考え、悩み、修繕のための手を打つだろう。
 その間は、決して誰も前には進めない。
 取り返しがつかないからこそ、慎重さが生まれ、あきらめられることがある。
 どちらにせよ、進んでいくしかない。

 いいか、もう一度言うぞ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 これは祝福でも呪いでもない。単なる事実だ」

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