Category: セルフ・ブランディング

価値のギャップと開く窓

ドラッカーは、『イノベーションと企業家精神』の中で、7つのイノベーションの機会を提示した。そして、その二つ目として提示されているのが「ギャップを探す」である。

イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】
P.F.ドラッカー
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 1,917

そのギャップにもさまざまある。

「業績ギャップ」
「認識ギャップ」
「価値感ギャップ」
「プロセス・ギャップ」

中でも、ドラッカーが最も多く見られるものとして挙げているのが「価値感ギャップ」である。何に価値を感じているのかがずれている状態。それが価値感ギャップである。

 価値感ギャップの背後には、必ず傲慢と硬直、それに独断がある。つまるところ、「貧しい人たちが何を買えるかを知っているのは、彼ら貧しい人たちではなく私である」という考え方である。

実にわかりやすい表現だ。

ドラッカーに言わせれば、「生産者や販売者は、ほとんど常にといってよいほど、顧客が本当に買っているものが何であるかを誤解している」らしい。おそらくそうした人たちは、「価値とは見出されるものである」という事実を知らなかったのであろう。価値を一つの側面(しかも自分の方からだけの側面)で考えてしまうと、このような認識が生じる。


「価値とは見出されるものである」

しかし、それは丸投げの何かではない。

 もちろん彼らは、自分たちにとっての価値が顧客にとっての価値であるという信念をもたなければならない。化粧品の生産者は化粧品の意義を信じなければいけない。さもなければ製品そのものが陳腐化し、顧客を失っていく。病院を経営する者は医療を絶対的な善として信じなければならない。さもなければ医療も看護も直ちに質が低下していく。

価値が見出されるものであるとしても、提供側が価値に無頓着であって良いはずがない。自分たちが信じる価値があり、その価値に向けて邁進するからこそ、質が保たれ、方向性が生まれるのだ。それがなければ、どこにもたどり着きようがない。

私はこのブログの一つひとつの記事を、自分では面白いと思って書いている。もちろん、読む人によって面白いと思う人もいれば、面白くないと思う人もいるだろう。面白いと思う人でも、私が考えている面白さとは違った受け止め方をしている人もいるに違いない。価値とは見出されるものだ。そこはコントロールできない。

しかし、一番最初のスタートとして、自分が面白いと思うものを投下する(あるいは面白いと思わないものは投下しない)という基準は必要である。というか、それだけが唯一私がコントロール下におけることなのだ。

手にボールを持っている状態を思い浮かべて欲しい。それを、何も考えず適当に宙に放り投げる。風がボールを運び、どこか意図しない地点に落ちるだろう。それをキャッチする人もいるかもしれない。

あるいは、どこかの方向にめがけてまっすぐボールを投げてもいい。自分の全力でその方向にボールを投げる。その先に誰がいるのかはわからない。あるいは誰もいないのかもしれない。でも、そこに誰かがいると想像して自分の最速のボールを投げることはできる。もし、それがキャッチしてもらえたとしたら。

この二つは同じだろうか。私は違うように思える。少なくとも、自分の感触としては。


しかし、それは独善や傲慢であってはいけない。

 しかしそれにもかかわらず、生産者や販売者が提供していると思っているものを買っている顧客はほとんどいない。彼らにとっての価値や期待は、供給者の考えているものとは異なるのが常である。
 そのようなとき、生産者が示す典型的な反応が「消費者は不合理であって品質に対しお金を払おうとしない」である。しかしそのようなときこそ、生産者が顧客の価値としているものと、顧客が本当に価値としているものとの間にギャップが存在すると考えるべきである。

ボールをキャッチしてもらえたとしても、その速度が良かったのか、方向が良かったのか、投げ方が良かったのか、ボールの固さが良かったのか、それはわからないのだ。投げている方としては、格好良い投げ方をしたからと思っていても、実際はボールの固さが良かったのかもしれない。そしても、もっと固いボールが求められているのかもしれない。

ドラッカーが言う「ギャップを探す」とは、そのようなことである。既存の企業が、自社が提供している「価値」や、顧客が求めている「価値」に気がついていないとき、そのギャップを埋めるように行動すれば、顧客を創造できる。


どんな価値が見出されるのかは、コントロールできない。

でも、最初に自分で価値を認めることは必要だ。それこそがスタートであり、継続的な活動をも支えてくれる。

自分のジャッジメントを丸投げし、他者評価だけに依存すると、最終的には何も作れなくなる。なぜならば、価値は多様に見出されるからだ。真逆の価値が見出されることだってある。そんな流動的なものは、ジャッジメントの役には立たない。混乱するだけである。

まず自分の価値を作り、それを開いておく。新しい価値の風が吹いたとき、部屋の中にそれを入れられるように。

Send to Kindle

Gingkoでプロフィールページを作ってみるテスト

シゴタノ!の方では何度か取り上げた「Gingko」。

新しいワードプロセッシング体験「Gingko」
Gingkoのテンプレート紹介と面白そうな使い方

あたらしいワードプロセッシング・ツールとしても興味深いものがありますが、あたらしい情報の見せ方としても可能性を秘めているかもしれません。

Gingkoでは、テキストだけでなく、画像などの表示も可能です。

そこで私は考えました。これって、プロフィールページに使えるのでは、と。

こんな感じ

さすがに百聞は一見にしかずです。画像をご覧ください。

※略歴
screenshot

※著作リスト
screenshot

※ブログ一覧
screenshot

※その他の活動
screenshot

※商業出版リスト
screenshot

※セルフパブリッシングリスト
screenshot

※寄稿リスト
screenshot

※ツイートの埋め込みからの〜〜〜
screenshot

※EPUBサンプルファイルの表示
screenshot

ついでに、動画も作成しておきました。

上記の画面だと、EPUBのサンプルファイルが表示されていますが、ページを公開して閲覧してみると、うまくいきません。私の指定が悪いのか、何かの不具合なのか、プレミアム版にせよ、ということなのかは不明です。

まあ、サンプルはテキストで普通に突っ込んでおけばよいので、そこはスルーでOKでしょう。うまくEPUBファイルを(Twitter経由で)埋め込めれば、さらに面白そうではあります。

さいごに

いちいちリンクでページを飛ぶ必要がありませんので、見る方は楽でしょう。スルスルとスクロールで進んでいけます。

こういうのは、これまであまりなかったのではないでしょうか。ただ背景エトセトラは誰が作っても同じになりますので、そこで個性を出すことは難しいかもしれません。そういう用途なら、Tumblrとかの方が手っ取り早いですね。

いまのところ「オススメ!」という感じにはほど遠いですが、こういうもあたらしい試みとして面白いのではないかと紹介してみました。

実際は、こんな感じになります。
※あくまで試運バージョンです。

https://gingkoapp.com/rashitaprofile

Send to Kindle

「無名の有名人」、サードウェイ、脱主流ブログ

長くなる話なので、短く書きます。

2011年に『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』という本を書きました。

4883377628 Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング
倉下 忠憲
ソシム 2011-05-30

by G-Tools

実はこれ、結構ブログの本なんです。

その本の中で「無名の有名人」とサードウェイという概念を提出しました。
※それほど掘り下げてはいません。

一般的に「有名人」というと、マスレベルの著名人を思い浮かべますね。テレビに登場したりする人。それとは違う、という意味で「無名の有名人」という言葉を作りました。名前が津々浦々に知れ渡っているわけではないけど、なぜだかそこそこのフォロアーがいる人。そんなイメージです。

ブログ10周年に関する記事で書いたのは、ブログで「有名人」になるのは難しくなってきた、という話です。でも、「無名の有名人」ならまだまだ道はあります。

サードウェイ

どちらが一つ目でもよいのですが、とりあえず仕事がファーストウェイで、プライベートがセカンドウェイとしておきましょう。

その間に位置するのがサードウェイです。

完全にプライベートに閉じてしまうのではなく、かといってそれを「生業」にするわけでもない。

そういう__これまでの社会からすれば__曖昧な場所に自分の活動を置けるようになってきたのが、ここ最近のネットの変化だと思います。

脱主流ブログ

たぶん、アルファブロガーという言葉は死んでしまったのでしょう。もちろん、アルファブロガーそのものは健在ですし、その影響力に陰りが生まれたわけでも(たぶん)ありません。

ただ、「アルファブロガーを目指そう」という気概、言い換えれば目標地点としてのアルファブロガーは死んでしまったかと思います。それはそれは険しい道なのです。

現状、さまざまなネーミングで提出されている新しいタイプのブログですが、それらは基本的に「アルファブロガーではないもの」を目指しているように感じます。

それがどのような形であれ、「主流」というメインストリームを目指すのではなく、「みんなまあ、好き勝手にやりましょう」という心地よい(あるいは収まりのよい)ポジショニングの模索というのが通奏低音な気がします。

さいごに

ドラッカーは、イノベーションを体系的に廃棄することを説いてくれました。

脱皮できない蛇は死ぬのです。

「あなたは、誰に、何を、どのような形で伝えたいのですか?」

基点になるのはこの問いです。

Send to Kindle

よいもののアピール、あるいは隠れ家的在り方について

以下の記事を読みました。

愛されるサービス、製品、ブログを生み出す「逆・漏斗」型の発想(Lifehacking.jp)

これって、先日のブロガーズフェスティバルで講演した「隠れ家ブログの在り方」に通じるものがあるな、と思ったわけです。

立地と在り方

隠れ家ブログと比較的に扱ったのは、「駅前立地のファストフード店」です。

ともかく人通りの多い場所に店舗を構え、その内の何%かを捕まえる。回転率が重要なので、マニュアルが整備され、対応もそれに準じたものになる。

対して隠れ家的お店は、立地的に劣った場所に店を構えながらも、そこでしか体験できないサービス(なり食事なり)を提供する。そして、「わざわざ足を運んで」もらう。

別段ビジネスの手法として、どちらが優れているわけではありません。あくまで好み(価値観)の問題です。

そして、私は私なりの価値観に基づいて、後者を選択しています。

「消費者」の変化

視点を変えて「消費者」について考えてみましょう。私はもう、この言葉自体がもはや機能していないと思うのですが、便宜的に使っておきます。

マスメディアが整備され、その機能をまっとうしていた時代では、消費者は受動的でした。マスメディアが発信した情報を受け入れ、それによって消費対象の選別を行っていたのです。
※もちろん、大ざっぱな話です。

しかし、現代の消費者の中には、そうした行動と徐々に決別する人が増えてきています。

自らで商品の情報を集めたり、詳細について分析する。あえて言えば、スマートな消費者が登場しているのです。言うまでもなくそれを支えているのは気楽に使えるインターネットの存在です。そのインターネットは、消費者を発信者にしてしまう変化ももたらしました。

日本中の消費者全てがそう変化したわけではありませんが、そういう傾向は徐々に出てきているのではないでしょうか。

納得できる在り方

こうした環境においては、これまで不利な状況にあった「隠れ家」的な在り方も、それはそれで機能するものになりつつあります。少なくとも、私はそう感じています。

このブログもなんだかんだといって読者さんが増えていますし、毎月上下するものの、有料メルマガの読者さんもジワジワとではありますが増えています。

私がメルマガを始めたとき、「大々的に宣伝するのは止めよう」と決めました。かなり偏った内容なので(別に政治的な話ではないですよ)、大勢にリーチしてもがっかりする人を増やすだけだと思ったからです。それに、無意味なプレッシャーを私自身が背負い込むことにもなりかねません。

若干、宣伝しなさすぎた感はあって、その辺は今後調整していこうと考えていますが、少なくともこれまでにおいて「こんなことになるなんて・・・」みたいな後悔は一切発生していません。冗談抜きで158号毎週欠番なしに配信していますが、たいへん楽しんでおります。

なんだかんだいって、その「楽しい」という部分は、提供する側にとっても、受け取る側にとっても大切なのではないかと思います。
※もちろん「楽しい」だけではありませんが。

傲慢は、いけない

「よいものは、必ず人気が出る」

と考えるのは、もちろん傲慢です。よいものだって、適切にアピールできなければ、誰にも知られないままひっそりと消えていってしまうでしょう。昨今の情報洪水は、生半可なものではないのです。

しかし、適切にアピールすることは、全力全開でありとあらゆる方面にアピールすることを意味してはいません。言葉通り「適切」というのは状況や環境によって変わるのです。

「よいものであれば、人気が出る可能性が高い」

平穏で無難で、身も蓋もない表現ですが、たぶんこれが一番まっとうな認識でしょう。これであれば、よいものを生み出す気概も、それを伝えようとする工夫の心も消え去ったりはしません。両方を適切なバランスで抱えておくのが良いのだと思います。

もちろん、この場合の「よいもの」をいかに定義するのか、が一番難しい問題であるわけですが。

さいごに

消費者を信頼する。

たぶんこう書いてしまうと、先ほどの傲慢さにつながっていくかもしれません。

適切に伝えなければ、やはり知ってもらうことは難しいでしょう。何が何でも探し出す、というのは現代ではなかなか難しいのです。また、全ての消費者が価値を評価できたり、あるいは自ら発信したりするわけでもありません(※)。
※これが「消費者」という言葉が死んでいると思う理由の一つです。

しかし、それはそれとして、消費者をバカにしてひたすらのスパムで何かしらを得ようとすることは、間違っている__というのではなく、私の価値観にはフィットしません。

「その行為の先に何を見据えているのか」

結局の所、これがものを言うのでしょう。

「とにかく客をさばく」・「おいしい料理を提供したい」

それぞれにおいて、適切な展開方法は違ってきます。必ず違ってきます。

だから、「著名な戦略」ではなく、「自分の目的にあった戦略」を選ばなければいけません。

Send to Kindle

二つの記事展開戦略

『ヤバい経営学』からブログの手法を学ぶ連載。

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン Freek Vermeulen

東洋経済新報社 2013-03-01
売り上げランキング : 5301

Amazonで詳しく見る by G-Tools

第一回:日の当たらない(ブログの)競争力の源泉
第二回:決してコピペできない(ブログを形作る)要素
第三回:エドおじさんを食べてはいけません
第四回:「無益」な研究の益
書評記事:【書評】ヤバい経営学(フリーク・ヴァーミューレン)

今回はノウハウシェアのスタイルについて。

シェアのトレードオフ

企業活動を続けていくと、各種情報やノウハウが蓄積されていきます。それは一種の財産であり、うまく活用できれば、活動において大きな助力となるでしょう。

であれば、情報やノウハウを溜め込めるだけ溜め込んでいけばよい、かというとそうでもありません。

現在の「知識経済」にあっては、多くの企業が内部知識の重要性を認識している。そして、社員がアクセスできる社内データベースを導入している。しかし、今起きている問題は、その情報が多すぎるということだ。

情報が多くなりすぎると、使い勝手が落ちる。そんな経験はないでしょうか。しかしながら、情報をまったく蓄積しないとなると、経験的資産も活用できません。ここに微妙なトレードオフを見て取ることができます。

(前略)もし少ない書類しかアップロードしなければ、他の社員はわずかな書類にしかアクセスできない。しかし、あまりに多くの書類をアップロードしてしまうと、本来使ってくれる可能性のある社員もうんざりしてしまう。森のなかから木を探すのを止め、他の方法で情報を探すだろう。そして、パソコンの画面に向かいながら、多すぎる情報に文句を言ったりするだろう。

さて、どうやってバランスを取ればよいのでしょうか。

本書では、それについて調査したモルテン・ハンセン教授とマーティン・ハース教授の研究結果が紹介されています。

話は実にシンプルです。

「正しいバランスはトピックの中身による」

トピック別の戦略

トピックは、大きく二つに分けられています。

一つは「他のグループでも広く扱っているトピック」。会計事務所で言えば「コスト管理、資本・資産管理、資金調達と新規株式公開」などの情報です。

もう一つは「ずっと狭い範囲でしか扱われていないトピック」。たとえば「特定のソフトウェアの使い方、限定的な業務のノウハウ」といったものです。

前者のトピック__仮にマス・トピックと呼びましょう__については、情報を厳選するほうが高評価を得られ、後者のトピック__仮にニッチ・トピックと呼びましょう__については幅広く情報を提供した方が評価が高かったそうです。

考えてみるとそんなに難しい話ではありません。

マス・トピックについては、すでに多くの情報が出回っていることでしょう。それに情報を探す人もある程度の知識がある場合が大半です。そんな環境においては、必要な情報を過不足なく提示してくれる人に評価が集まります。要点だけ適切に提示してくれるのならば、それにこしたことはありません。

対して、ニッチ・トピックはそもそもの情報量が少ない上に、情報検索者が何を探して良いのかすら分かっていないことがあります。情報を事細かく提供しておけば、そのうちの一つぐらいは何かしらのヒントになるかもしれません。そうしたことが積み重なっていけば、「この話題については、あのグループだな」なんて評判が生まれてくることでしょう。

ブログにおける記事展開戦略

この二つの戦略は、ブログにおいても活用できそうです。

マスな話題、あるいは自分以外にも情報提供者が山ほど存在するテーマについては、内容を厳選したり、あるいは整理する方向へ。逆にニッチな話、あるいは自分しか書いているような人がいない話題であれば、細かい内容でも、ともかく数をアップする方向へ。

これが一種の「差別化戦略」として機能するのではないでしょうか。

社内の情報提供者は、関連するノウハウを求めている社員の注意を引きつけようと、お互いに競っている。そして、どんなビジネスであれ、自分たちが提供している製品(情報)に合わせた市場戦略(アップロード戦略)を取る必要があるのだ。

自分が「何」を書いているのか、どんな情報を提供しているのか。それについて無関心なままで記事の展開方法を考えることはできません。

また、最初ニッチであったにもかかわらず、やがてそれがマス化していくことも考えられます。その場合は、戦略の転換が求められるでしょう。

さいごに

「どんなブログの書き方が正しいのですか?」

という問いに画一的な答えを返すことはできません。むしろ

「あなたはどんな内容について書きたいのですか?」

とこちらが問い返すことがスタートになりそうです。

それを見極めたうえで、適切な記事展開戦略を考える。というのがまっとうなアプローチでしょう。

Send to Kindle

「無益」な研究の益

『ヤバい経営学』からブログの手法を学ぶ連載。

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン Freek Vermeulen

東洋経済新報社 2013-03-01
売り上げランキング : 5124

Amazonで詳しく見る by G-Tools

第一回:日の当たらない(ブログの)競争力の源泉
第二回:決してコピペできない(ブログを形作る)要素
第三回:エドおじさんを食べてはいけません
書評記事:【書評】ヤバい経営学(フリーク・ヴァーミューレン)

今回は、「無益」な研究について。

研究開発部門と真似のコスト

多くの企業には、「研究開発部門」があります。新しい技術や製品、サービスを生み出すことを目的としたチームです。

しかし、新しい技術なんて、そうそう生み出せるものではありません。おそらく多くの研究開発部門が、それを維持しているコストに見合わない成果しか生み出せていないのではないでしょうか。

きっと、「経営合理化」が行われれば、まっさきに整理対象にあげられます。

経済学者や経営組織論の研究者は、長い間、研究開発部門は何かを創り出す場所だと見なしていた。そして、最終的に製品化されて利益を稼ぎ出すものを生み出した場合だけ、研究開発に投資した甲斐ががあったと見なされる。つまり、もし何も生み出さなければ、お金の無駄遣いだと誰もが考えている。

しかし、著者のフリークはその考え方について、ある種の欠落を指摘します。その欠落とは「真似のコスト」です。

経済学者は、いつも真似の過程はコストがかからないと考える。つまり、ただ対象を見つけて真似すれば、それでおしまい、というわけだ。

きっと経済学者の仕事では真似のコストはほとんどゼロなのでしょう。しかし、「技術」に関してはそうはいきません。

(前略)競合他社の真似は、そこまで簡単ではない。研究開発に一切投資しない企業にとっては、競合のアイディアを盗むのは難しい。そういう企業は、競合のやっていることを十分に理解できないのだ。

たとえば、プログラミングで考えてみましょう。

実際、まったく言語についての知識がなくても、公開されているコードを丸々コピーすればある種の「機能」を手にすることはできます。でも、できるのはそこまでで、自分の環境用にアレンジすることはできません。

逆に言えば、一定の言語知識があれば、自分でそのコードをゼロから書き上げることはできなくても、完成したコードを「読ん」で、自分なりに書き換えることができます。

直接成果を生み出せる技術・能力でなくても、何か他の役に立つのです。

もし、「直接的成果」しか評価していなければ、上のような能力は「意味なし」と切り捨てられるかもしれません。しかし、実際切り捨ててしまうと、想像以上に失うものが大きい、というわけです。

二つの難しさ

このことから得られるブログの教訓とはなんでしょうか。

一つは「パクること」の難しさです。

ある程度「ブログ的経験値」を積んできている人ならば、「意図」や「効果」について理解した上で、ノウハウを使うことができます。

しかし、まったくのシロウトだとそういうワケにはいきません。そういう人が、つまみ食い的にパクっていってもノウハウに振り回されるのは目に見えています。そうなるぐらいだったら、ノウハウなんか知らなかった方が良い、とまで言えるかどうかはわかりませんが、あまり面白い結果にはならないでしょう。

もう一つは、「後輩の指導」の難しさです。

すでに成果を上げている人が、後続の人に「無駄な」努力をしないように、すっきりとしたノウハウを提示してくれたりもしますが、ある部分では「おせっかい」な要素があるのかもしれません。それはつまり、その人の「研究開発部門」の育成を妨げているのに等しいからです。

特に、「この通りやっておけば間違いない」というのは、かなり危険です。

さいごに

試行錯誤というのは、その過程の中で得られるものがたくさんあります。

成果を得ることは大切ですが、それ以上に成果を得続けることの方が大切です。そして「続ける」ためには、無益に見える研究開発部門を大事にしておかなければいけません。

結局の所、何かが「無益」だと思っても、その評価軸を作っているのは__愚かしく、無知で、開発途上の__自分でしかありません。自分の視野が広がれば、また新しい評価軸が生まれてくることもあります。

「こんなこと何の役に立つんだ」

なんて疑問が湧いてきたら、「今の自分にはわからないことがあるかもしれないな」と自分で反論してみてください。そういう自己処世術はときどき役に立ちます。

Send to Kindle

エドおじさんを食べてはいけません

『ヤバい経営学』からブログの手法を学ぶ連載。

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン Freek Vermeulen

東洋経済新報社 2013-03-01
売り上げランキング : 6436

Amazonで詳しく見る by G-Tools

第一回:日の当たらない(ブログの)競争力の源泉
第二回:決してコピペできない(ブログを形作る)要素
書評記事:【書評】ヤバい経営学(フリーク・ヴァーミューレン)

今回は、人肉食とリストラについて。

フォレ族の誇る伝統

パプアニューギニアのフォレ族は、亡くなった親族を土葬する習慣があったそうです。

ある日、エドおじさんが亡くなり、彼の遺体を埋葬しようとしたとき、誰かが致命的な言葉を発してしまいました。

「なんでこんなおいしそうな肉を埋めちゃうんだい?そんなのもったいないじゃないか」

なるほど。たしかに、そこに「食料」と呼べるようなものがあります。それに法律で禁止されているわけでもありません。捨ててしまうなんて勿体ないですね。そう考えて、親族は遺体を食べてしまいました。空腹感は満たされ、弔いも無事終了です。きっと、インテリのひょろっとしたメガネフォレ族は「亡くなった方も、こうやって食べてもらった方が・・・」なんて理屈をこねくり回していたでしょう。

またたくまにその習慣が村全体に広がり、近くの村の人もそれをマネし出します。なんと言っても食料が増えるわけですから。Good Ideaです。それにメガネのお墨付きもあります。

結局、親族の脳みそまで美味しくいただくこの習慣は「フォレ族の誇る伝統」になりました。それが、クロイツフェルト・ヤコブ病の原因になっているとも知らないで。

見えない副作用

著者のフリークは、フォレ族の「誇る伝統」の問題点を以下のように指摘しています。

フォレ族の習慣は明らかに有害で、自分たちに死をもたらした。彼らの風習は、空腹をなだめ、飢餓を減らす、といった即効薬だった。しかし長期的には、ひどく悲惨な結果を生み出した。しかしここでの問題は、潜伏期間が長いため、何年もの前に始めた習慣が問題を起こしていることに気がつかない、ということだ。

ポイントは、短期的で即効性のある「効果」と、長期的な「副作用」の両面です。人間は、どうしても前者の方に視点を集めがちで、後者は無視しやすくなります。意識に上らないことだってあります。

これはまるで、悪意ある「副作用」が即効性のある「効果」をエサにして人をおびき寄せている、という風にも見えなくはありません。もちろん、そんな擬人化に意味はありませんが、人がそれに釣られているという構図は確かにあるでしょう。

経営者が行う「合理化」も、本質的にはこれと同じではないか、と著者は投げかけます。

人気のある経営施策の中には、同じような特徴を持つものがある。施策はすぐに効果を生むが、その副作用はしばらく後に現れてくる。そのため、経営者は副作用は甘く見てしまったり、全く副作用に気がつかなかったりする。

代表的な例として挙げられているのが「リストラ」です。

人員を削減すれば、近くの決算の「利益」を確実に改善することができます。しかし、それが長期的にどのような影響を与えるのかは、正しく評価されていません。特に株式市場では。人が減り、有能な人材を引きつけられなくなり、一人当たりの負担が増え、企業に対する従業員の、あるいは顧客のロイヤリティーが下がる。

「骨を切らせて肉を経つ」なんてことわざがありますが、「ダイエットしすぎて骨折しやすくなる」なんて構造がリストラにはあるのかもしれません。

もちろん、ここで企業活動におけるリストラの是非を議論したいわけではありません。

ブログにおける「短期のメリット」がもたらすものについて考えたいのです。

得る代わりに、失うもの

短期的で即効性のある「効果」と、長期的な「副作用」

と聞いて、即座に思い浮かべるのが「アクセス数アップ」です。あぁ、なんと甘美な響きの言葉でしょうか。アクセス数がアップすれば、承認欲求は瞬く間に満たされますし、金銭的にもなにがしの見返りが期待できます。

しかも親切なことに、世の中にはアクセス数アップの方法がごまんと紹介されています。その中には「短期間にぐぐーんとアップ」を謳うものあります。それを使えば、バラ色の世界が待っているでしょう。まるでエドおじさんの脳みそを口に運んだときのような。

あらかじめ書いておくと、私は「PV肯定派」であり「PV至上主義反対派」です。この二つの違いについては割愛しますが、字面からなんとなく雰囲気は伝わるでしょう。

ブログにおけるアクセス数のアップは是非ともチャレンジしたいところですが、それを「短期間にぐぐーんと」やってしまおうとすると、結構大きな副作用がやってくると思います。それも中・長期的にみて。

私も一時期、アクセス数稼ぎ(と表現するのがぴったりです)に躍起になっていたことがあります。その瞬間は、まるで難しいゲームにチャレンジしているかのように楽しいのです。でも、ある時点までくると途端に虚しくなります。私は数字を追いかけていただけであって、その心の中に読者の存在はまったくありませんでした。そんな文章に一体どんな意味があるのでしょうか。

『ヤバい経営学』の別の章にこんな言葉が出てきます。

規模とは成功の結果として現れる。

かりそめの規模だけを追い求めても、張りぼてのような虚構が出来上がるだけです。たまにその虚構が現実として力を持つこともありますが、それはあまりに危うい賭けです。ダークサイドは、人のすぐ近くに存在しているのです。

PV獲得に躍起になりすぎると、読者を失う危険性が出てきます。PV=読者、ではないのです。その違いが見えてくるのは、残念ながら長期的なスパンにおいてだけなのです。

さいごに

長期的な影響は「目に見えない」

これを受け入れるならば、デメリットだけではなくメリットの方にも適用すべきでしょう。

ブログを更新する。できれば定期的に更新する。

こんな行為は、まったくもって無意味です。少なくとも短期的には。

長期的な視点に立てば、何かしらあるかもしれません。しかし、それは残念ながら始める前には見えてこないのです。

最後の最後には「信じる」という、とても曖昧で、かつ人間にしかできない行いに身を託すしかありません。

Send to Kindle

決してコピペできない(ブログを形作る)要素

『ヤバい経営学』からブログの手法を学ぶ、という連載企画。

ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン 本木 隆一郎

東洋経済新報社 2013-03-14
売り上げランキング : 470

Amazonで詳しく見る by G-Tools

第一回はこちら→日の当たらない(ブログの)競争力の源泉
書評記事はこちら→【書評】ヤバい経営学(フリーク・ヴァーミューレン)

今回は、第一回の終わりで触れた「あるもの」について書いてみましょう。

といっても、大それたものではありません。みなさんの身近にあるものです。

時間圧縮の不経済性

第三章にて、著者がチェロのレッスンを受けていた時のお話が紹介されています。一週間のうち6日、毎日30分ピアノの練習を行い、土曜日にはレッスン。それが終わればまた6日間の練習。それを繰り返していくうちに、徐々に上達していく。習い事ではよく見られる風景です。

でも、ある週だけは違っていました。いろいろな予定が入り、日、月、火、水、木はまったく練習できなかったのです。幼い頃から聡かったであろう著者は__おそらくみんなも思いつくであろう__対策をひねり出します。

「同じように今から一気に三時間練習すればいいじゃないか。そうすれば、毎日三〇分の練習を六日間やったのと同じだ。そうすればきっと大丈夫だ。

もちろん、待っていたのは悲惨なチェロの音色でした。

「毎日30分を6日間」と、「一日三時間一気に」は同じではないのです。

新しい情報をインプットしたり、スキルを身につけたりする前には、回復期間が必要で、活動をしていない時間が練習をするのと同じぐらい重要なのだ。

つまり、ある種の情報なり行動が、脳に「なじむ」ためには、一定の時間が必要ということです。

著者はここから企業戦略の最適なペースの話へと展開します。野心的な成長のために、「新市場戦略」や「企業買収」や「雇う従業員の数」を二倍にする企業は、思ったほど効果を上げていないばかりか苦しくなっているところもある。企業の成長は、爆発的な速度ではなく、適度なペース(ゴルディロックス速度とでも呼びましょうか)で行うのが、実は長期的にみて良い結果をもたらす。

そんなお話です。

なぜそうなるのか。理由はいくつか考えられるでしょうが、やはり「理解が追いつかない」という点が大きいでしょう。次々に新市場を開拓していけば、一つ一つの市場に対する理解は浅くなります。顧客の反応や潜在的なニーズを掘り下げないまま、また新しい市場を開拓していく。それを繰り返していけば、別の企業につけいるスキを与えているだけです。

企業買収や従業員の数も似たようなもので、「機能する組織構造」についての理解を得られないまま、規模だけが大きくなっていくのでしょう。これで組織運営が成功するとしたら奇跡です。

効果的な組織には、さまざまな要素が必要だ。(中略)このような組織というのは、ただ単に「ここの部品を持っている」こととは違う。継続的な努力も要るし、一生懸命にならないといけない。そして、なにより時間がかかるのだ。

そうです。「あるもの」とは時間のことです。

あまり大きな声では言えませんが、「一瞬で○○になる」というような謳い文句はだいたい戯言か虚偽のどちらかである、と考えておいて人生損はありません。

たぶん、今「人気のブロガー」さんも、わりと「芽が出ない」時期があって、その間にさまざまな試行錯誤を繰り返されてきたのだと思います。実際のところ、その試行錯誤のなかで得られた「感触」や「経験知」(暗黙知)というのが、その人の競争力の源泉であり、また「その人らしさ」を作っているのでしょう。

「継続的な努力も要るし、一生懸命にならないといけない。そして、なにより時間がかかる」

だとすれば、はっきりしていることが一つあります。

それは

「今から始めた方がいい」

ということ。言い訳を並べている時間の分だけ、階段を上るための時間が遠ざかってしまいます。

さいごに

世の中めまぐるしいスピードで動いていますし、親切な人が特急券を渡してくれることもありますが、私なんかは鈍行で風景を楽しみたいな、と思いながらブログの更新を続けています。

みなさんはどうでしょうか。

では、また次回に続きます。

Send to Kindle

日の当たらない(ブログの)競争力の源泉

先日紹介した『ヤバい経営学』から面白い部分をピックアップしてみましょう。

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン Freek Vermeulen

東洋経済新報社 2013-03-01
売り上げランキング : 4090

Amazonで詳しく見る by G-Tools

→書評はこちら

適当に拾い上げるのもよいのですが、今回はテーマを決めて連載でやってみます。

テーマ:ブログ

ではさっそく第一回目。

今回はブログの「独自性」や「競争力」にピントを合わせてみます。

探す場所はそこじゃない

人気ブログが格好いいデザインに変えていた。便利そうなプラグインを導入していた。新しい画像処理アプリを使っていた・・・。

なんだか真似したくなりますよね。それで人気ブログに近づけるじゃないだろうか。そんな希望にも似た思惑が胸の中を駆け巡ります。

でも、そんなことをしても人気ブログが作れるわけではありません。

問題の本当の原因は見つけ出すのが難しいところにあるのに、明るく見通せる場所でばかり、解決策を探しがちだということだ。

実際のところ、デフォルトのテーマを使っているアルファーブロガーさんすらいます。カスタマイズされたものでも、「いや、背景色緑はちょっと見にくいよね・・・」みたいなブログもあります。でも、それはそれとして読まれているわけです。

デザインは確かに重要な要素かもしれませんが、それ自身が決定的な要因を持っているわけではありません。あくまで重要な要素の「一部」です。しかし、そういう部分はよく目に付くので、ついつい気になってしまう傾向はあるでしょう。

明るいところにあるものを厳密に見たところで、問題を早く解決するための鍵を見つけることはできない。また、生産能力や社員数など、数字で捉えることのできる明確なものは、競争力の源泉にはあまりならない。

そりゃそうですよね。引用部分にある「数字」は、お金を出せば買うことができます。逆に言えば、競合相手もそれを簡単に入手できるということです。そんなものが競争力になるとは思えません。

著者のフリークは以下のように述べます。

逆にお金で買うことができず、生み出すために多くの時間と労力が必要となり、数字として見えづらいものが、他社との違いを生み出すことが多い。

ブログであれば、「細部へのこだわり」や「独特な文章運び」や「読者との信頼関係」であったりするのでしょう。残念ながら、(現状では)それを数値化して表現することができません。なので、誰と誰を比べる、ということもできません。というか、比較できてしまった時点で、それは確固たる競争力としては機能しなくなるのです。

多くの場合、見ることも測ることもできないものこそ、育て、管理していかなければならないのだ。

「見ることも測ることもできないもの」を、育てて管理していくことは、明らかに不安が伴います。毎月の模試で得点が徐々に上がっているのを見てモチベーションをアップする、なんてことはできないのです。

でも、当事者の心の内側で感じられる「何か」はきっとあるでしょう。それを大切にすること、あるいはし続けていくことが「競争しないための競争力」へと繋がっていくのだと思います。

さいごに

ちょっとイメージしてみればわかることですが、好きな作家と同じ万年筆を使い、家の棚に同じ本を並べたとしても、その作家と同じ文章が紡げるようにはなりません。

結局の所、脳内のニューロンが作り上げるネットワークこそが、その作家の競争力の源泉なわけです

つまり、「あるもの」が必要なわけですね。

それについては、次回。

Send to Kindle

「なぜブログを書くのか」

こんな疑問を見かけると、天の邪鬼の私としては

「そこにブログがあるから」

なんて答えが浮かんできます。

しかし、これはでまかせではありません。実感として、この答えは実に正しいのです。虫眼鏡を持って、この答えを注視すると、

「そこに(俺の)ブログがあるから」

という姿が浮かび上がってきます。

俺のブログ、ということ

私の頭の中には、

「ブログは更新されるもの」

という認識があります。

さらに、「このR-styleは自分のブログである」という認識もあります。すると、

「R-styleは更新されるもの」

という合成認識が出てきます。うん、別に不自然なところはありませんね。

私の認識の中では、更新されてしかるべきものなので、更新できていないと微妙にマイナスの感情が湧き上がってきます。「気持ち悪い」感じがしてくるのです。別の表現を使えば「更新できないと負け」なゲームに参加している気分です。

おそらく、自分の認識の中で「片付いたキッチン像」を持っている人は、キッチンが散らかっていたら即座に片付けはじめるでしょう。そこまでいかなくても、行動のためのモチベーションは湧いてくるはずです。

私がブログを__しかも毎日__更新しているのは、それと同じなのかもしれません。

自己認識の内にあるブログ

アイデンティティを広い意味で使えば、このブログも私のアイデンティティを構成しています。

それはあなたの部屋が、本棚が、洋服が、__付けていれば__義手が、__使っていれば__杖が、アイデンティティを構成しているのと同じです。

だから、R-styleとまったく同じデザインのブログを見かけると、ひどく奇妙な感覚を受けます。見た目は同じなのに、しゃべり方がそれまでと全然違う人を見てしまった、そんな感覚に近しいかもしれません。

おそらく、ブロガーと呼べるような人は、多かれ少なかれ似たような感覚を覚えるのではないでしょうか。ブロガーの明確な定義は難しいですが、ブログが__ごく一部であれ__自己認識に組み込まれている人。そういう言い方は、面白いかもしれません。

ブログのリターン

ブログを書くことで、あるいは書き続けることで得られるメリットは、確かに存在します。

私なんかはそれでジョブチェンしたようなものですし、田舎住まいではなかなか得られない交流の幅を得てきたことも確かです。それ以外のメリットもあるでしょうが、それはすでに多くのブロガーさんが書いていることでしょうから、ここででは取り上げません。

しかし、そういうメリットは、後から乗っかってきたものでしかありません。麻雀で言えば、ドラみたいなものです。他に役があって、はじめて意味をなす。そんな位置づけです。

少なくとも私にとっては、「書きたいから書いた。後悔はしてない」というだけの話です。上記のようなメリットが一つも得られなくても、きっとブログを書き続けていたことでしょう。

いしたにまさきさんの『ネットで成功しているのは<やめない人たち>である』を見ていると、他のブロガーさんにも似たような傾向が見て取れます。

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である
ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である いしたに まさき

技術評論社 2010-11-27
売り上げランキング : 26425

Amazonで詳しく見る by G-Tools

かっこよく言えば、

「情報発信することが好き」「情報発信に意義を見いだしている」

ラフに崩せば、

「とにかく言いたい」「ここは一つ言っておきますか」

という姿勢。それが、黎明期からブログによる情報発信を続けている人の、ある種の原動力なのでしょう。

さいごに

結論として、「情報発信が好きな人でないとブロガーにはなれない」、と言いたいわけではありません。

この傾向は、あくまで黎明期の話です。今では、メリットとデメリットが解明しています(若干、デメリットへの言及は声が小さいかもしれませんが)。それを理解した上で、ブログを活用する、というのももちろんありでしょう。少なくとも、それを止めることは誰にもできません。

ただし、動機付けが違う人たちが使う「ブログ」という言葉は、意味しているものが異なっている、という点は留意が必要でしょう。

それでは、よきブログがあなたと共にありますように。

Send to Kindle

WordPress Themes