Category: セルフマネジメント

精度と複雑さ [タスク管理概論]

3時間後の天気予報と、一週間後の天気予報は、精度の点で大きく違う。10秒後と一年後ならなおさらだ。

レシートとノート

タスク管理は、規模の小さいうちならば話は簡単である。

私はコンビニのアルバイト時代、一枚のレシートの裏でタスクを管理していた。その日やるべきことを書き入れ、実行すれば横線を入れて消す。その繰り返し。それだけで十分に回っていた。10秒後の天気予報と同じようにややこしい話はどこにもない。備忘録と実行タイミングの制御が、小さな紙片の上で実現されていた。

ややこしくなったのは、店長になってからだ。

まず単純に仕事が増えた。量が増えた。それに種類も増えた。実作業、教育作業、企画・計画作業、経理作業、報告作業。レシート一枚には到底書ききれない。しかも、実行期間が長くなった。アルバイト時代では「その日」のことだけを考えていればよかったが、店長ともなると、店舗のレイアウト変更作業を数日間かけて行う段取りを立てなければならない。そして、他の人の予定を調整しなければならない。レシートにその役目を背負わせるのはあまりにもかわいそうだろう。

そこで私はノートを使った。その辺に売っている__というか、まさにコンビニで売っている__大学ノートだ。今でも大切に保管してあるそのノートは、それまでの学生業で使っていたノートの総数を余裕で上回る。やるべきことを書き、注意すべきことを書き、売上げデータを記録し、クレーム処理を書き込む。そこにはさまざまな情報が書き込まれ、「気になること」もまた保存されていく。

扱う情報が増えたのだ。タスク管理の手法もまた変化しなければいけない。

量が増えただけならばまだいい。それは線形的拡大であり、分散処理でなんとかカバーできる。しかし、種類が増え、期間が長くなったことは複雑性が増したことを意味する。線形的拡大ではないのだ。これまでと同じようにはいかない。

複数の、しかも種類のことなる「やるべきこと」があるとして、その中からどれを「今日やること」に選択するのか。

「今日やること」を選ぶ手順と同じように「一ヶ月後にやること」が選べるのか。今日はこれをして、明日はこれをして、明後日はこれをして、ということを一ヶ月先まで精緻に決定できるのか。

問題は山積みである。

可能性と限定

「今日やること」だけを管理するならば、話はすごく単純で済む。記憶力のよい人ならばツールのサポートすら必要ないかもしれない。が、「今日やること」を管理するのと同じように、「明日やること」「明後日やること」……と拡大していくことは難しい。天気予報と同じである。シミュレーションの精度が徐々に落ちてくるのだ。なぜなら、それは複雑だからである。

状況を限定すれば限定するほど、シミュレーションの精度は高くなる。「仕事で今日やること」がうまくいくのはそのためだ。でも、たとえば「今日」というフレームを外せばどうなるか。あるいは「仕事で」という限定を解除すればどうなるか。

そう考えたとき、「一年後の自分をどうにかする」というノウハウは、かなり眉唾であることを覚悟した方がいいことがわかる。あるいは、人生の可能性を著しく狭めてむりやりシミュレーションできる形に追いやっているのかもしれない。限定すれば精度が上がるのだから、それは一つの手ではあろう。ひどく息苦しい思いをするはめに陥るとは思うが。

さいごに

「できるだけ単純な方がいい」

それはその通りだろう。心理的にも脳の省エネ欲求的にも理はある。

が、問題は現実に起こる事象の総体__つまり、人生__は複雑だ、ということだ。複雑なものを単純なもので管理するためには、対象を単純化するか、手法に再帰的なものを組み込むしかない。前者はある意味での自己洗脳であり、後者はレビューだ。前者はひどくつまらないようにも感じるが、その手法でしか辿りつけない場所もあるだろうから、特に批評はしない。

でも、もう一つの手もある。単純な手法だけで管理できるものだけを管理し、そうでないものは管理しない、という方法だ。これもこれで、選択肢であるとは思う。

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誤謬と習慣 [タスク管理概論]

なぜタスク管理を行うのか。脳だ。脳に問題があるからだ。

人の記憶はあやふやで、長期的な情報管理には適していない。また、複数の要素を並べて比較し、その中から今やるべき行動を見つけ出すようなことにも適していない。

そのような弱点があるからこそ、タスクを管理する作業が必要になってくる。でもって、この意味合いにおいて、タスク管理と知的生産の技術はかなり重なる。脳の弱点をカバーする、という根源は同じなのだ。

いずれにせよ、タスク管理は脳の弱点を補うために行われるのだから、その思想に人間の弱点が織り込まれていないと、どうしても不自然なものになる。そして、私はそのようなタスク管理を基本的には信用しない。頭でっかちの経済学者が、自説に適合するデータだけを抽出して作り上げた経済モデルと同じようにみえる。

取りかかれない気持ち

タスクリストにタスクが記載されていても、なかなかそのタスクに着手できないことがある。「とりかかった方がよい」と思う自分と、とりかかれない自分が分裂するのだ。

タスクに取りかかれない理由としては、たとえば次のようなものがあげられるだろう。

  • それをすべきかどうかに確信が持てない(≒理由が腑に落ちていない)
  • それができるかどうかわからない(≒自信がない)
  • それをやる体力が残っていない

こうしたものは、基本的に感覚である。だからこそ、タスクの名前を変えたり、細分化すれば着手できるようになる。あるいは、「将来成りたいものを強く思い描けばモチベーションが湧いてきます」というプラシーボ的な力も援用できる。人の感覚は、たとえば視覚なら錯視という現象があるように、対比の力でコントロールできてしまう。そして問題はここにある。

上記のようなハックは、ようするに「とりかかった方がよい」と思う自分が、とりかかれない自分を付き従わせる、という行為である。とりかかれない自分の感覚をねじ伏せると言い換えてもよい。

ではなぜ、「とりかかった方がよい」と思う自分が正しいのだと言い切れるのだろうか。彼が、間違っている(≒誤謬性を含んでいる)可能性はないと言い切れるのだろうか。

Kaziba Power

ポモドーロテクニックというものがある。タイマーを使ったタスク実行法であり、これは単純に言って強力である。私も一時期はたいへんお世話になった。今でも、「ここぞ」というときには使っている。

そのポモドーロテクニックを使い始めたばかりのころの話だ。私はフリーランスなので、時間の裁量はほとんど完全に私にある。だから私は、「一日に何ポモドーロできるのか」という実験をしたくなった。あるいはゲーム感覚と言い換えてもよい。なにせタイマーを動かしてタスクに取りかかれば、集中できるのだ。だとすれば、あとはそのセットを増やしていけば、生産性は増大してく。楽しい感覚だ。マッチョな感覚だ。

4ポモドーロが5ポモドーロになり、それはやがて6、7、8、と増えていった。そして、燃え尽きた。一日にみっちり6時間集中して作業してしまうと、次の日にまったくモチベーションが湧かなくなってしまうのだ。

「火事場のクソ力」という言葉がある。緊急事態には、普段見せないようなすごい力が発揮される、という現象を指すわけだが、「じゃあ、四六時中火事場だったら?」と考えるのがマッチョ型の思想である。

むろん、人間の脳が普段クソ力を出していないことには理由がある。それはリミッターのようなものであって、過負荷を避けているのだ。

このことを踏まえたとき、分裂した二人の自分のうち、「とりかかった方がよい」と思う自分が本当に正しいのかには疑念が湧いてくるだろう。まっとうな疑念である。

習慣と誤謬

習慣の対義は、判断である。

何かが習慣になっているとき、そこにはどのような判断も働かないし、何かしらの判断を必要とするならば、それはまだ習慣になっているとは言えない。

何かの行動を自分に実行させる場合、「習慣にすること」は非常に強力な方法である。そして、あらゆる「非常に強力な方法」と同様に、それは取り扱いに注意が必要なものでもある。

何かが習慣になれば、そこには判断が働かない。状況がやってくれば、実行が発生する。それをノウハウとして利用することは、「とりかかった方がよい」と思う自分の天下であることを意味する。とりかかれない自分に出る幕はない。どんなサインもそこからは発せられない。

ではもし、その天下人が誤っていたらどうなるだろうか。

そのような問いかけが、習慣化には伴っていなければならない。

人の脳には弱点があるのだから。

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GTDのよいとこ、わるいとこ [タスク管理概論]

タスク管理概論なるものを書いているのは、ようは不満があるからだ。

これまでのタスク管理話は、基本的に「オレ流タスク管理術」であり、それぞれがバラバラに散らばっている。「お互いの知見を持ち寄り、互いに批判的議論を繰り返して……」みたいなものは一切存在しない。

これほど重要な分野であるにも関わらず、そうした営為が積み重ねられていないのは、いかがなものだろうか。

ようは、私は読みたいのである。「『〜〜』ではこの点が論じられているが、しかし○○の視点において不備がある。それを『××』の△△の考え方を援用することで補強しようというのが、本書の試みである」みたいな本を。『アイデア大全』的でありながら、それよりもう少し体系化に向けて一歩踏み込んだような本があれば、きっと楽しいに違いない。

誰が書くのか?

……

非常に残念ながら、風が吹き、雨が降り、太陽が燦々と輝いていれば、すくすく本が育つ、ということは想定できない。一兆個の宇宙が存在しても、そのように本が生まれることはない。誰かが、手を動かさなければいけないのだ。

まあ、そういうことである。

GTDの欠点

GTDの悪い点については、以前の記事で触れた。実行に関する要素の不足と、決定に含まれる誤謬性への配慮不足だ。このあたりは、別の考え方を用いて補強する必要があるだろう。

『七つの習慣』 VS 『仕事は楽しいかね?』
『ストレスフリーの整理術』 VS 『マニャーナの法則』

おそらく上記の構図となるだろうし__前者は『「目標」の研究』で少し踏み込んである__、この対立軸を止揚していければ、何かがあるはずである。

GTDの長所

では、GTDの良いところはどうだろうか。大きく三つあると思う。どれも大切な要素だ。

まず一つ目。頭の中の「気になること」を放置せず、それを「可視化」しようとするルールを持つこと。その際、「気になること」の重要度に区別をつけないことが大切だ。そうでないと、メモの真なる力は発揮できない。ストレスフリーにも至れない__ただし、メモをしたからと言ってストレスフリーに至れるわけではないのは言うまでもない__。とは言え、「可視化」という表現はまだまだ甘い。単に見えるようになればそれで良いわけではなく、そこにある「書き出す」というプロセスが重要だと考えているわけだが、そこはまだ言語化できる段階ではない。それは後々処理することにして、まずは「気になること」を頭の外に追いやるという姿勢がGTDにおける重要な要素である。

二つ目はなんだろうか。そうして書き出した「気になること」に、「これは何か?」を問い、出てきた答えに合わせてそれを処理する、という点だ。何度も書いているが、「これは何か?」という問いは非常に重要である。これを無視して、タスクマネジメントを行うことはできない。一見すると当たり前すぎて意味がないように思えるが、たいてい「当たり前」が機能していないときに問題が生じるという点は覚えておいた方がいい。「これは何か?」という問いは、曖昧さをそぎ落とす自問であり、それと共に、少し上に視点をずらすための問いでもある。

上記二つの要素に含まれているのは、ようするに「自己対話」だ。自分の頭の中身をあらわして、それに疑問をぶつける。自分で自分を眺めるような行為がそこにはある。そうでなければ、どうやってセルフをマネジメントできると言うのか。

最後、三つ目の要素は、レビューによるシステム化である。GTDを他の管理手法から区別するのがこのレビューの存在と言っても過言ではない。中長期的に運用するためには、「振り返りとそれに基づく行動修正」は欠かせない。あらゆるシステムにはメンテナンスが伴うのだ。しかし、まさにこのレビューこそがGTDのネックともなる。ある程度忙しくなると途端に面倒になり、放置され、システムが形骸化して、嫌になってくる。この問題は、後ろでアシストしてくれる人間がいればカバーできるかもしれないが、別のアプローチも必要だろう。

ともかく、システムの内部に、そのシステムの要素に影響を与えるもの__ようはフィードバックだ__が含まれていないと、どうしても要素同士が硬直してしまい、やがては使い物にならなくなる。

さいごに

上記のように、まずGTDの長所を確認した上で、その弱点をフォローするような別の思想を入れてみれば、「タスク管理に必要な考え方」の道具箱ができあがるのではないか、と思う。もちろん、本当にそうなるかどうかはわからないわけだが。

ちなみに、そういう難しい話はぜんぜん興味ない場合は、以下の本に簡潔にまとめてある。本当に基礎的過ぎてタスク管理マニアには物足りないだろうが、社会人一年目にはこれくらいが始めやすいようにも思う。

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理想我と誤謬 [タスク管理概論]

すべきことをこなすための技術、というのはたしかに必要だろう。

しかし、前回前々回の話を思い出して欲しい。そして、それを脳内ミキサーに入れて、グジャグジャとかき回して欲しい。

ポイントは、「すべきこと」なのだ。まさにこの表現に問題が集中している。極めて簡易に表明すれば、これは二つの疑問文に集約できる。

「すべきことは何か?」
「これはすべきことか?」

たったこれだけの疑問文に答えれば、タスク管理は達成できる。むろん、それが難しいからこそ人は管理手法を学ぶのだし、挫折もする。一体、そこにどんな難しさがあるのだろうか。

トップダウンとボトムアップについて考えてみよう。

理想我__こうありたい自分のイメージ__というものがあり、それに自分を付き従わせようとするのが、トップダウンだ。逆に、今の自分ができることをスタートとして、少しずつ改善を進めていくのがボトムアップである。トップダウンは華々しく、ボトムアップは(たいていの場合)みすぼらしい。

さて、タスク管理だ。

理想我というものが固定され、それをまるでドグマのようにして進められるタスク管理は、マッチョ型と言えよう。これはすばらしく疲れるものだ。なにせ「現状の自分がどうであるか」はまったく考慮されておらず、ただ「こうありたい自分」だけが想起され、準拠されている。「現状の自分がどうであるか」と「こうありたい自分」の乖離が大きければ大きいほど、その道のりは険しくなる。

でもって、その乖離が大きければ大きいほど、人はそれに期待を抱く。夢と言い換えてもいい。つまり、夢への道のりは常に険しい。true dream never runs smooth.

しかし、「現状の自分がどうであるか」をベースに進めると、マッチョ型が押しつけてくるような圧力は存在しないものの、そこには乖離がないので、ワクワクはあまり感じられない。茶室でお茶をすすっているような平穏さはあるものの、ドラゴンボール的な高揚感はない。

むろん、上記の二つはあくまでモデルであり、思考実験だ。現実の状況がこれにピッタリフィットすることは稀だろう。しかし、何かを考える役には立つ。

もう一度、冒頭の話に戻る。

「すべきことは何か?」
「これはすべきことか?」

あたかも簡単な問いに思える。制御し、手中におさめられる疑問に思える。たとえそのときははっきりわからなくても、人生のゴールや責任について考えれば、そしてそれを理解すれば、あとはスラスラと答えられるように思える。

本当にそうだろうか。

タスク管理の難しさは、結局のところ「すべきことなんて誰にもわからない」という点にある。もう少し言えば、それが本当にすべきことなのかどうか、言い換えればその命題に対する答えが真であるかは、誰にも答えが出せない。状況を限定し、変数のいくつかを固定すれば、それなりの答えは出せる。でも、それは「あくまで一つの状況」に対しての答えでしかなく、それは真理とはまるで関係のない答えである。

上に書いていることを実感される人もいるだろうし、なんじゃそりゃと思う人もいるだろう。しかし、タスク管理を行い、真剣にやるべきことについて考えると、「これは本当に自分がすべきことなのか」という問いに答えを出すのが非常に難しいことに気がつくはずだ。すべてをご破算にしてしまう覚悟があれば、どんなものでも「すべきこと」ではなくなってしまう。逆に、世界のすべてを抱え込めば、あらゆることが「すべきこと」に変質してしまう。そのような、曖昧で、多義的なものなのである。

その性質の厄介さに気がつかないで、「すべきことを管理すれば、それでいい」と安直に考えると、どこかでうまくいかない部分が出てくる。それは仕事がうまくまわらない、ということだけでなく、仕事を抱えすぎてしまったり、理想我に現実の自分が押しつぶされてしまったりと、影響は多方面に及ぶ。

タスク管理は技術である。マクルーハン風に言えばメディアだ。それぞれの技術は思想を持ち、使う人は無自覚にその思想に影響を受ける。「すべきこと」が自明であり、固定であり、誤謬がそこに一切存在しない、という管理技術に親しんでいると、自分の感覚もそちらに寄っていく。しかも無自覚に寄ってしまう。

古典的な経済学は、人間をエージェント的に扱った。必要な情報はすべて入手し、自分の欲求をきちんと理解して、それに適した合理的行動をとる存在だ。行動経済学は、人間をそんな風には扱わなかった。では、タスク管理はどうだろうか。旧来のタスク管理は、まさに人間をエージェント的に扱っている。やるべきことを完璧に理解し、必要なタスクであればすぐさま着手して、完了へと辿り着く。もちろん、地球は広く人類は70億人近く存在するらしいので、そういう人間も探せばどこかにいるだろう。そういう人間は、まさに仕事で成果を上げ、できるビジネスパーソンとして名前も上げ、自分の卓越したノウハウを他の人に触れ回るだろう。ハーメルンの笛吹きのように。笛の音を聞いた人々は、エージェント的な人間に最適化されたノウハウを身につけ、「望むこと」ができない自分を呪う。悲劇以外の何者でもない。

もう一度言うが、仕事を成し遂げる上で「すべきことをこなすための技術」は重要であり、必要でもある。でも、それだけでは危うい。これだけは断言できる。

タスク管理の概論の述べるならば、少なくともその点は踏み外してはいけないだろう。

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タスクの管理 [タスク管理概論]

基本的な話をしてみる。

タスク管理とは何か。タスクを管理することだ。タスクリストの作成などが、その代表的行動だろう。

では、それで十分だろうか。言い換えれば、タスクリストさえ作成すれば、仕事は円滑に進むだろうか。

もちろんそんなはずはない。たとえば、「いつそのタスクを実行するのか」について考えなければならない。「どのくらいの時間」でもいい。つまり、タスクだけでなく、時間についても管理しないとうまくいかない。

では、タスクと時間を管理すればOKだろうか。そうである場合もあるし、そうでない場合もある。

目の前にあるタスクが、「やるべきこと」であればそれでいい。しかし、そうでないとしたらどうだろう。いや、この表現は曖昧を含むし、各自の解釈に大いに委ねられてしまうので、もう少し引き締めよう。

何か成し遂げたいことがあり、そのために必要な行動があるとして、今自分の目の前にあるタスクが、その必要な行動に合致するかどうかを気にする必要があるだろう。それは、狭義の「タスク管理」ではない。実行のためのリストを作るだけでは十分ではない。もう少し、高い視点、広い視野での検討が必要だ。

仮にその視点を、タスクマネジメントと呼ぶことにしよう。ドラッカー風に言えば、タスクをして何かを成し遂げること。それがタスクマネジメントである。これは、管理とマネジメントが一見似ていながらも、基本的には別の意味を所有することを「悪用」した言葉遊びに過ぎない。それでも、二つの概念の区別だけはつけておきたい。そこにあるタスクを、いかにうまく処理するのかを考えることと、そもそも何をタスクをするのかを決めることだ。

概念的に整理すれば、タスクマネジメントは、タスク管理の上位に位置するだろう。

タスクマネジメント
・タスク管理

ざっくりまとめてしまえば、時間管理(スケジュール管理)もそこに混ぜてしまえる。

タスクマネジメント
・タスク管理
・スケジュール管理

人によっては、スケジュールを上位に置くこともありえる。その場合は、こうなる。

スケジュールマネジメント
・タスク管理
・スケジュール管理

作業をベースに思考するのか、時間をベースに思考するのかによって、この構図は変わってくるだろう。意味付け、重要度が変わってくる、ということだ。が、構成する要素は同一である。

では、このタスクマネジメント(スケジュールマネジメント)があればそれでいいだろうか。もちろん、そんなはずはない。どれだけ綿密なタスクリストが組み上がり、緻密なスケジュールが設定されていても、二日酔いではまるで作業は手につかない。体調を代表とする、ボディ資源の管理は必須である。

タスクマネジメント
・タスク管理
・スケジュール管理
ボディマネジメント
・体調管理
・メンタルヘルス管理

要素が並列に並んだ。「一つ上の階層」について考える契機だ。しかるべき名前を与えるならば、当然こうなるだろう。

セルフマネジメント
・タスクマネジメント
 ・タスク管理
 ・スケジュール管理
・ボディマネジメント
 ・体調管理
 ・メンタルヘルス管理

こうなると欲が出てくる。要素が二つあるなら、収まりよく三つ目はないだろうかと考えてしまう。「タスクマネジメント」は、何をするのか・どうするのかについての関与だ、ボディマネジメントはその行為主体についての関与だ。主体と客体が揃った。では、他には? 場だ。環境と言い換えてもいい。私たちが存在するためには、かならず場が必要である。主体と客体だけ、というのはあくまで概念上のモデルでしかない。実存には、場が必要なのだ。

セルフマネジメント
・タスクマネジメント
 ・タスク管理
 ・スケジュール管理
・ボディマネジメント
 ・体調管理
 ・メンタルヘルス管理
・フィールドマネジメント
 ・作業場管理
 ・環境管理

「作業場管理」は、作業に直接関係がある要素についての管理だ。資料の保存、エディタの設定などがここに含まれる。「環境管理」は、それ以外の自分を取り囲む要素を指す。たとえば流れるBGMや周りの人々の声、突然かかってくる電話などだ。これらの制御は、いわゆる「集中力」に影響を与える。これも作業のためにはかかせない。

さて、要素は揃った。じっくり階層を眺める。上から下まで舐めるように。「もう一つ、階層は下げられないか」。自然な発想だ。たとえば、こうなるだろう。

セルフマネジメント
・タスクマネジメント
 ・タスク管理
  ・実行制御
 ・スケジュール管理
  ・アポイントメント制御
・ボディマネジメント
 ・体調管理
  ・飲食制御
  ・睡眠制御
  ・運動制御
 ・メンタルヘルス管理
・フィールドマネジメント
 ・作業場管理
  ・デスクトップ制御
 ・環境管理

新しい階層として「制御」が加わった。これは管理を実行するための述語とも言える。これで、縦と横は一揃いしたと考えてもよいだろう。少なくとも、次に進むための道具は整った。

とは言え、検討課題も多い。タスク・ボディ・フィールド以外のマネジメント対象はないのか。制御以外の述語は存在しないのか。そして、そもそもこのツリー図ですべてを網羅できているのか。いや、これはマッチョな思想に染まっている。言い換えよう。すべてを網羅してわかった気になっていいのか、だ。この問題は軽んじてはいけない。でないと、タスク管理が抱えている問題を超克できない。

今回は、ここまでにしておこう。

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GTDと禅 [タスク管理概論]

時間がない。さっそく始めよう。

GTDは優れたタスク管理の思想である。有能な一揃えのシステムもある。しかし、問題がないわけではない。ざっくり言って二つの問題を抱えている。

一つは、タスクの整理はできても、実行についてのサポートが存在しないことだ。整理されたリストがあればどのタスクに着手するかは自ずと明らかになるらしく、また、着手すればそれは達成できることになっている。前者は定義をいじればぎりぎり納得できないこともないが、後者に同意するにはいささか厳しい。私たちはそういう風にはなっていない。

もう一つは、「水のような心」に関する問題だ。

GTDは、見通しと制御感を得ることによって、「水のような心」に至ることを目指す。それがストレスフリーの状態というわけだ。思想としてはごくまっとうである。「気になること」を心から追い出し、それらをすべて「しかるべき位置」に置けば、私たちの心は軽やかに開放されるだろう。

問題はここにある。

見通しと制御感は、容易に支配感へと移行する。「すべてをコントロールしている感覚」があれば、「水のような心」に至れる、といった思想に傾きがちなのだ。

これがどのくらい問題であるかは、だいたい20数年生きてきた人間ならばすぐに察せられるだろう。人生のすべてをコントロールすることはできない。当たり前の話だ。人が生きることは、結局はままならないことなのだ。そして、禅とは、そのままならなさを受け入れることであろう。制御できないものを制御しようとする心から距離を置くことで、心に平穏さを取り戻す。

思想の乖離がみて取れるだろうか。

どうしようもないことを、「どうしようもないこと」として支配下に置こうとするのが、マッチョ型GTDである。これは限定的な領域においては「水のような心」を得られるだろうが、生きること全般ではそうはいかない。むしろ、苦悩が増える。

禅型のGTDは、「どうしようもないこと」は制御の対象から外す。「気になること」であり、それが自分の責任の範囲に位置するとしても、対処することを放棄する。不条理を不条理として受け止め、「そういうものだ」と受け流すのだ。

このような運用方法であれば、「水のような心」はより広い領域へと広がっていくだろう。しかし、もう一度言っておくが、それはすべてを制御できたからではない。むしろ、「自分が制御しなければならない」と思っている範囲を改めたのだ。あるいは「自分が制御しうる」と思っている範囲を適正に戻したのだ。

まったく同じようにGTDを運用していても、「どうしようもないこと」への対応で、その結果はずいぶん違ってしまう可能性がある。

今回は、ここまでにしておこう。

▼参考文献:

全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術
デビッド・アレン
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読書目標からみる目標の浸蝕

「今年はもっと本を読む!」

そう決意することは、おそらくは良いことでしょう。そこで、一年で100冊読了するという目標を立てたとします。なにせ100という数字はキリがいいですからね。

すると、100を12ヶ月で割り算して、8.3という数字が出てきます。一ヶ月でまず8冊読んで、次の1冊の1/3を読む、という感じでしょうか。数字を丸めると、一ヶ月9冊、あるいは8冊という数字が月ベースの目標となります。一ヶ月を30日として計算すると、9冊目標なら、3.3日に1冊、8冊目標なら3.75日に1冊読了すればOKです。言い換えれば、一日に一冊の1/3を読めればいいわけです。

本の平均ページを仮に300とおけば、一日に100ページを読了することになりますし、一日に1時間しか読書時間がとれないのならば、その1時間で100ページを読了することになります。1ページ1分30秒くらいでしょうか。

まともな頭で考えれば、この目標を達成するためには、

1.本を早く読む技術
2.読みやすい本の選択

が必要なことはわかるでしょう。「今年はもっと本を読む!」という目標の設定から、どんな風に本を読むのかと、どんな本を読むのかが方向付けられてしまったことになります。

で、それってやりたかったことなのでしょうか。

根拠less

『「目標」の研究』で書いたことですが、人間は非常に楽観的に目標を立て、計画を立案します。

「目標」の研究
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まず1年間に100冊という最初の目標自体、何の根拠もありません。「そうあったらいいな」という理想であって、現実の何にも依拠していないのです。もしかしたら、そういうことを誇らしげに語る方がいらっしゃったのかもしれませんが、標準偏差でみれば、そのような人はかなり偏った場所におられて平均とはかなりズレているかもしれません。

たとえば、日本人の一年間の平均読了冊数が50冊だと聞いた後で、年間100冊という目標を設定できるでしょうか。あるいは平均数が12冊ならどうでしょうか。

もちろん、理想の地点を目標にすること自体は悪いことではありません。あこがれは立派な原動力となります。しかし、そうして立てられた目標を達成するために、肝心の読書の行為自体が変質してしまうなら本末転倒と言えるでしょう。そこは落ち着いて考えてみたいところです。

Re:目標

年間100冊、月間9冊という目標を立てても、実際一月を終えてみたら、4冊しか読めていなかったという事態に陥るかもしれません。それはかなりがっかりする結果ですが、少なくとも依拠できる何かが一つ確認できたことはたしかでしょう。

加えて、「4冊は読んだ」という事実も残っています。それは捨てたものではありません。あと、案外周りを見てみたときに、一ヶ月4冊も読んでいない人は大勢いるかもしれません。上と比べれば悲惨な気持ちが湧いてきますが、見上げることにキリはありません。そこで視点の切り替えが必要となります。

一ヶ月で4冊読了できたのなら、それを12倍して、48冊を年間目標に再設定するのがよいでしょう。当初の半分以下になってしまっていますが、そもそも100冊という目標自体が何の根拠もなかったのですから、そこはまるっと忘れて大丈夫です。むしろ、その48冊という目標の方を大切にしたいところです。

意欲的な人ならば、もう1冊上乗せして、60冊の目標を設定するのもありでしょう。チャレンジ精神気質が多い人ならば、その方がモチベーションが刺激されることもあります。どのように目標を再設定することも自由ですが、少なくとも当初の100冊にこだわらないようにすることだけは肝要です。それを欠いては、前には進めません。

Re:Re:

でもって、その再設定された目標ですら、通過点なのです。

一月はたまたま調子が良かったり、時間が多くとれたりして4冊読めたのかもしれません。人間生きていれば、トラブルやら不調やらに見舞われます。すると、3冊の月もあったり、0冊の月もあったりするでしょう。平均すれば、2.5冊くらいになるかもしれません。それはまたガッカリする事実ですが、それもまた依拠できる事実です。

そして、その事実を確認すると、「なるほど、読書の時間というのはなかなかとれないものなのだな」という認識が生まれてきます。そのような貴重な果実をどう使うのかという視点は、本選びに影響を与えるかもしれません。与えないかもしれません。

どちらにせよ、そこで立てる目標は、それまでの目標とは数も質も変わってくるでしょう。がむしゃらに冊数を追いかけるのを止めたり、分厚い本に長く熱中したり、一度読了した本をとことん追求したりといった行動が生まれてくるかもしれません。それはそれで、一つの読書のスタイルです。本を読むことは、ステータスを手にすることとは違うわけですから。

さいごに

もう一度確認しておきますが、別に「一年で100冊読了する」という目標を立ててはいけない、という話ではありません。人間は基本的楽観思考ですし、何も依拠するものがなければ、そのような目標が出てくるのは避けられないでしょう。それが避けられると想定してしまうこと自体がある種の楽観思考に彩られています。

ただ、最初に立てた目標を、まるで刷り込みのように(あるいは刻印のように)絶対視しない方が良い、という話です。設定した目標は、状況を踏まえて、現実を織り込んで、再設定していきましょう。

少なくとも、最初に立てた目標を絶対視するあまり、行為そのものを歪めてしまうことは避けたいところです。

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MPの5万円ルール

たとえば、財布に5000円入っているときと、5万円入っているときがあるとします。細かい条件についてはあまり考えないでください。単に手持ちのお金に差がある、という状況だけを設定します。

多くの人がそうなのかはわかりませんが、私個人の話をすれば、だいたい多くのお金を財布に入れている方が無駄遣いが発生します。今別に必要ないもの、生存にたいした役割が期待できないものを買ってしまうのです。たぶん、財布のお金を見ることで、気が大きくなったりしているのでしょう。

だからまあ、必要最低限のお金しか財布に入れておかないハックは、私のような人間には効果覿面です。

さて、翻って時間です。あるいは意志力です。わかりやすくMPと言い換えてもいいでしょう。

仮に、MPが普通の状況と、MPが多い状況の二つがあったとします。そして、先ほどの無駄遣いのメタファーから考えると、後者の方が無駄MPを使う可能性が高まることが仮説されます。でもって、それはなかなかやっかいなことです。

コマンドの選択肢を比較してみましょう。

元気なとき={作業もできる、気分転換もできる}
疲れているとき={気分転換しかできない}

この二つを比較してみれば、元気なときに作業を行い、疲れてきたら気分転換するのが明らかに合理的です。なにせその逆は成立しないのですから。ここまでは、単純な仕事術なのですが、さきほどの人間の行動の傾向を踏まえると一筋縄ではいかないことがわかります。

つまり、元気なとき(=使えるMPが多いとき)ほど、それを無駄遣いしてしまう可能性が高いのです。

だからこそ、「朝一番に重要な仕事をする」というルールが効いてきます。ルールにすることによって、いやおうなしに作業に取りかかるように仕向けてしまうのです。

もし、ここに「判断」を持ち込めば、5万円の財布と同じ状況になってしまうでしょう。つまり、ついついタイムラインをチェックしたり、ウェブを読み漁ったり、何か別のことをしてしまう可能性が高まるのです。ルールによって律しておけば、その状況を回避しやすくなります。

これは、自分のある時点の行動を、あるいはそのための判断基準をあらかじめ決めておく、ということです。なぜそんなことをしなければいけないかというと、たくさんのMPがあるときほど、それを無駄遣いしやすいからです。これを5万円ルールと呼ぶことにしましょう。

よいでしょうか。元気なときに、自由に行動を決めようとすると、無駄遣いが発生しやすくなる。この認識をベースを織り込んでおくと、MP運用がもう少しうまくなるかもしれません。

別にその時間は朝とは限りません。夜型の人ならば夜であっても良いでしょう。ともかく、元気に活動できる時間帯こそ、無駄遣いが発生しやすい、という認識はとても大切そうです。

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ルーチンのノロイ

前回:「やることを減らす」というやること


繰り返し。
繰り返しの力。

習慣化。
認知エネルギーの省力化。
素晴らしい。

毎週発行のメルマガ。
5つのコンテンツ。
月〜金で毎日一つ。

月はBizArts。
火はSS。
水は週替わり。
木はエッセイ。
金は今週の一冊。

毎週、毎週繰り返す。
学校の授業のように。
今日何をするのかをいちいち判断しない。
月曜日はこれを書く、と自然に決まる。

それならば。
それであるならば。
どこまでも繰り返していける。
いつまでも繰り返していける。

轍の上を進むのは楽なのだ。

でも。
困ることもある。

たとえば、200回目だとする。
たとえば、新年特別号だとする。
何か変わったことがやってみたい。
そんなことを思いついたとしても。

月曜日にはBizArtsを書いている。
火曜日にはSSを書いている。
水曜日には週替わりを書いている。
木曜日にはエッセイを書いている。
金曜日には今週の一冊を書いている。

気がつけば、メルマガは完成している。
そんなことがよくあった。

意識することなく取り組んで、
意識することなく完了する。

それが轍の力。
それがルーチンの呪い。

ルーチンが悪いわけではない。
むしろ、それはたしかな力を有している。
できれば、積極的に利用していきたい。

しかし、それ以外の視点もたまには持っておきたい。

部屋の空気を入れ換えるように。
クラスで席替えするように。

ルーチン以外のことも、取り組めるように。

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「やることを減らす」というやること

前回:R-style » プロジェクトを1つ1つ1つ終わらせていく


「やることがいっぱいありすぎて、どうしようもなくなってますね。そんなときは、やることを減らしましょう!」

さて、どんなイメージが頭に浮かんだでしょうか。すごく長く伸びているタスク・ゲージが、ぎゅんと減ったようなイメージが浮かんだかもしれません。非常に清々しい状態ですね。でも、それは間違っています。

すごく長く伸びているゲージが、さらにほんの僅かだけ伸びて、その後、ぎゅんと減るのが正確なイメージです。

どういうことでしょうか。

「やることを減らす」ということも、純然たる「やること」なのです。だから、やることを減らそうとすると、まずやることが一つ増えます。そして、それが実行されて、やることが減るのです。

でも、そんな風には思えませんよね。きっと、いっきにぎゅんっとゲージが減るだけのイメージしか湧かないと思います。それが「時間が見えない」ということです。

ゲージが、処理可能数範囲よりも上に伸びているのなら、その上に積まれたタスクはいつまでたっても実行には移されません。「優先順位」を上げて、無理矢理処理可能範囲に放り込むなら、別の何かを抜き出す必要があります。このトレードオフからは逃れられません。
※これはタスクシュートを使うと非常によく分かる(というより体感できる)と思います。

どれだけ具体的なノウハウがあろうとも、どれだけ意欲を刺激される言葉が並んでいても、その作業に時間がかかることだけは変わらないのです。むしろ、やる気だけが刺激されて、実際にそれができない自分が自覚されると、「やっぱり自分はダメなヤツだ……」となる可能性があります。

教訓

・できないことを自分から背負い込んでいって、「できない……」と嘆くのは避けましょう。それははじめからできないのです
・何かをやろうとするならば、そこには時間がかかることを意識しましょう
・今自分がやっていることすべてにも時間がかかっていることを意識しましょう

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