Category: 仕事をめぐる冒険

『WIRED』vol.7を読みながら「働く」について考えた

「未来の会社」

と銘打たれた企画が目に入ったので、雑誌『WIRED』のvol.7を買ってみた。Webではよくお世話になっているが、紙の雑誌バージョンを買ったのは初めてだ。
WIRED

WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊
WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊
コンデナスト・ジャパン 2013-03-11
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

存外に「天才料理人フェラン・アドリアの近未来味覚ラボラトリー」の企画も面白かったのだが、やはり「新しい時代」における労働について、思うところがいろいろ見つかる一冊であった。

ハッピーを重ね合わせる


最初に付箋を貼ったのは、”Editor’s Letter”として日本語版編集長の若林氏が書かれた「ゆとり女子を笑うな」のページだ。

会社の「ハッピー」に働き手の「ハッピー」をきちんと重ね合わせていくことは、会社の未来にとって重大な課題になりつつある。

IT大手企業では、社員にすばらしい環境を提供しているところが多いと聞く。そうでないと有能なエンジニアを引きつけておけないからだろうし、エンジニアの生産性を発揮してもらうためにも必要だからだろう。

この傾向はIT企業だけにとどまらない。お客さんと直接顔をあわせる業種でも、スタッフのケアに重点を置いている企業は少なからずある。つらい職場環境で、にっこり笑うのは難しい。

企業が技術力なり顧客満足度なりで、他社と差別化を図っていく場合、働き手の力を最大限に発揮できる環境を整えていくことは、必須の要件となっていくだろう。

それはそれで、すばらしいことのように思える。

でも、本当にそうなのだろうか。イノセントにそちらの方向に邁進していくことが善なのだろうか。

価値を提供できるということ


『ほんとうの「働く」がはじまる』というページの中で、メディアセオリストのダグラス・ラシュコフ氏が次のように語っている。

けれども産業革命以降、時計の一般化によって、人は提供した時間に対してお金をもらうようになる。つまり、自分が生み出した価値によって価値づけされるのではなく、提供した時間で価値が計られるようになるんだ。

時給にしろ、月給にしろ、基本的に「提供した時間」によって給料を得ていることには違いない。ダグラス氏は、もちろんこの言葉にネガティブなニュアンスを込めている。

「提供した時間」によって価値が計られる。そして、時間こそは万人が持っている資源だ。だから、提供する人間はいつでも替えが効く存在として扱われてしまう。

個性なき労働。人間的価値不在の仕事。

おぉ、なんと嘆かわしいシステムだ!っと大声を上げるべきなんだろうか。

「提供した時間」によって価値が計られるということは、時間さえ提供できれば価値を作れるということだ。そして、繰り返すが時間こそは万人が持つ資源だ。つまり、誰でもが価値を提供できる可能性を持つシステムとも捉えられる。それは果たして嘆かわしいことなのだろうか。

椅子の数と質


スタッフがにっこり笑える環境を提供する会社の中では、にっこり笑えるスキルを持たない人の居場所はない。未熟な技術力では、大手IT大手企業に椅子を置くことすらできないだろう。

会社が持つ資源(使えるコスト)は限られている。ある人を優遇すれば、別の人の取り分はなくなる。簡単な理屈だ。

もしかしたら、何かしらの「売り物」がない働き手は、座る椅子を見つけられないかもしれない。仮に見つけられたとしても、以前座れていた椅子よりは、ずっとショボーンな感じの椅子になるかもしれない。

そういう時に、「売り物が無いやつが悪いんだよ」と切り捨てることができるだろうか。

何が正義なのか私にはわからないが、世の中には努力ではどうしようもないことがある。それに運の存在も見逃せない。明日、自分が何の売り物もないやつになってしまうかもしれない。

そういうことを一通り想像した上でも、「売り物が無いやつが悪いんだよ」と断じることができるだろうか。

ダグラス氏は

貧しい人に食糧や住居を保障することと『働く』の問題は切り離して考えるべきだね。雇用で解決しようってのは無理がある。雇用は増えないんだから。

と書いている。

この指摘は正しい。が物足りない。

確かに、必ずしも万人が働く必要はないだろう。BI(ベーシックインカム)の制度も真剣に議論されてしかるべきだ。

ただ、この二つの問題は切り離して考えると共に、同時並行で考えられるべきだろう。保障の問題を止めたまま、「働く」だけを前に進めてしまうと、いびつな状況が生まれるかもしれない。

あなたにとってのハッピーさ


もう一つ、会社と働き手の「ハッピー」を重ね合わせることについて考えたいことがある。

それは働き手の「ハッピー」とは何か、ということだ。

会社の「ハッピー」はなんとなくわかる。利益を上げることであり、社会に貢献することであろう。

では、働き手のハッピーはどうだろうか。

給料があがることであり、社会に貢献できることなのだろうか。あるいは、すばらしい職場環境で働くことかもしれない。はたまた一ヶ月の長期休暇が余裕で取れることかもしれない。もしかしたら、365日働いていられる職場だっていう可能性もゼロではない。

会社が働き手の「ハッピー」を自らのハッピーを重ね合わせたければ、働き手にとって何がハッピーかを知る必要がある。

そして、そのためにはそれぞれの働き手が「自分にとってハッピーとは何か」を知っておく必要がある。

表面的に「理想の職場」を語ることは誰にでもできる。何かのビジネス誌を読んでいれば余裕だろう。

しかし、自分が心の奥底で望んでいること__何にハッピーさを感じるのか__を知るのは、そんなに簡単なことではない。特に、そういうものに蓋をする癖がついているならばなおさらだ。その蓋を開けるときに感じるのは、開放感ではなく、むしろ恐怖心だろう。

Q. あなたにとってハッピーとは何ですか?

A. 

すらすらとA.に答えを書き込めるだろうか。

さいごに


私が主眼に置いているのは、いつでも個人だ。

新しい働き方や雇用について、政府は何らかの動きを進めていく必要があるだろう。企業も企業で、働き手とのハッピー共存関係を模索していく必要がある。

が、それはそれとして、個人はそれらにおんぶにだっこでいい、というわけにはいかない。

一つには、時間以外の価値を提供できるようになろう、という指針がある。それは技能かもしれないし、場作りかもしれないし、何か全然違う他の何かかもしれない。もしかしたら、自分が「価値」とはまったく認識していない何かの可能性もある。

少なくとも、そうしたものがあれば自分のハッピーさを得られる可能性が高まるだろう。

それと共に、自分にとってのハッピーさとは何かを、切実に自問することも必要だろう。普段そうしたことは、あまり考えないし、考えない方が「楽」に生きられる場面も多い(一生それで貫けるかどうかはわからないが)。

ただ、それについて、知っていなければ、それを求めることはできない。

アリス:すみませんが、私はどちらに行ったらよいか教えていただけませんか。
     
チェシャ猫:そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っているかによるね。 

アリス:どこだってかまわないんですけど

チェシャ猫:それなら、どっちに行ってもいいさ。

アリス;どこかに着きさえすれば・・・

チェシャ猫:そりゃ、きっと着くさ。着くまで歩けばの話だけど。

▼こんな一冊も:

不思議の国のアリス (角川文庫)
不思議の国のアリス (角川文庫) ルイス・キャロル 河合 祥一郎

角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-02-25
売り上げランキング : 5070

Amazonで詳しく見る by G-Tools

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方
僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方 米田 智彦

ダイヤモンド社 2013-03-15
売り上げランキング : 1945

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

ゲームの選択

「働いたら負けかなと思っている」

実に有名な言葉であろう。特にネットの世界ではネタにされまくっており、知名度はMaxにも近い(かもしれない)。ネタ元やその歴史については、ニコニコ大百科にAA付きで紹介されているので、気になる方はご覧になるとよいだろう(参照)。

さて、この言葉。よく見てみると、なかなか面白い。ネタにしておくだけではもったいない気がしてくる。わりに謙虚だし、いろいろな問題の種にもなりそうだ。

すこしじっくり眺めてみよう。

まず注目したいのが、「働いたら負けです」と断定していない点だ。「働いたら負け、と思っている」ですらない。

「負けかな」と推量でワンクッション置き、「と思っている」であくまで自分の意見であることを表明している。実に謙虚だ。断定口調が説得力を強める、なんて方法論が浸透する世界では、ほとんどお目にかかれないような対象との距離感が見受けられる

この表現は言論的コレクトな態度と言えるかもしれない。だって、彼はまだ働いていないのだ。だから、実際にどうなのかを断定することはできない。自分の未経験の事柄は推量で語る。何もおかしいことはない。

が、この状態では議論も意見のすり合わせも起きないだろう。「〜と思っている」は、それ以上どこにもいかないのだ。僕には僕の考えが、あなたにはあなたの考えがありますよね、じゃあ。で会話は打ち切られてしまう。

ここに一つの世界があり、向こうに別の世界がある。その二つは永遠に交差することはない。誰も傷つけ合わないし、自分の世界が変化することもない。平和で静寂に充ちた世界だ。それもまた、一つの在り方なのかもしれない。

別の視点からも見てみよう。発言者は働いていない、ということだった。

であれば、この発言は「すっぱい葡萄」ではないか、という疑惑が立ち上がってくる。ようは「仕事」という葡萄が手に入らないから、「あんなものは美味しくもなんともがないんだよ」と価値を下げる認識を生むことで、心の中の合理化(認知的不協和の解消)が行われているのではないか、ということだ。

もしそうだとすれば、実際に働いてみることで、発言者の認識が変わる可能性はある。とりまく環境の全体を変えなくても、その部分だけアプローチすれば認識に変化を起こすことはできる。なんだかんだで葡萄を食べてみれば「美味しかった」と言うかもしれないのだ。

つまり、「働いたら負けかなと思っている」からといって、実際に働いてみたら「俺って負けてるな」と思うとは限らない、ということだ。この考え方を進めて行くと、若干パターナリズムちっくになりそうなので、とりあえずこの辺で留めておこう。

さらにまた別の視点からも探りを入れる。

発言中には「負け」という言葉が出てくる。当然、その反対側には「勝ち」がある。そして、その二つを平面に据える何かしらの「ゲーム」の存在も伺える。ゲームでなければ試合であってもよい。

「働いたら、負け」というのは、労働に参加することで、何かしらのゲームにおいて「負け」な状態に追いやられてしまう、ということだろう。発言者はそれを危惧している。

では、その「ゲーム」とは一体何なのだろうか。そして発言者はそこにどんなルールを見出し、どんな参加者の姿を認めているのだろうか。

実際の所、勝者と敗者を線引きするのは、ルールだ。ゲームを生み出すのはルールと言っても良い。同じ状況であっても、ルールが違えば勝ち負けの構図は簡単に逆転する。

また、参加者が一人のゲームには勝ち負けは存在しない。クリアかノットクリアの判定があるだけだ。疑似人格としてのCPUであれ、実際の人であれ、対戦相手が存在するからこそ、勝利と勝者が発生しうる。

彼が想定するゲームで勝っているのはどんな人なのだろうか。負けている人はどのぐらいいるのだろうか。

いや、そもそもこの社会には、そのゲームしか存在しないのだろうか。

というか、そのゲームに「勝った」らどうなるのか。何が得られるのか。天国へのパスポート?そして負けたらどうなるのか。地下で強制労働?そしてチンチロで大脱出?何も見えてこない。曖昧模糊の極みである。

究極的に開き直れば、「負けたっていいじゃん」とすら言える。確かにこのゲームでは負けてるけど、あのゲームだと勝ってるし、みたいなことが成立しうる。そうなると、ゲームとゲームの上位争いが始まり、それはまた別のゲームの始まりにもなる。実にややこしい。

それに「働いたら負け」が仮に正しいとしても、「働かなかったら勝ち」とすぐに言い切ることはできない。あくまで負けてはいないだけだ。逆に「働いたら負け」が正しくなかったとしても、「働いたら勝ち」とも断言できない。

何もはっきりしたものは立ち上がってこない。だからこそ、いつまでもそれはそこに居続けられるのかもしれない。

いろいろ考えてみたが、「はい、これが結論です」と提示できるものは何もない。J-popの歌詞風に「人生に勝ち負けなんてないんです」と言ってしまえば、それなりに格好いいのかもしれないが、それほど単純な事柄ではないような気がする。少なくとも、そういって何かが解決するような気はしない。

たぶん、人は誰しも(あるいは多くの人が)生きていく中で何かしらのゲームをプレイするのだと思う。目的を持って、ルール(規範)を定める。その中で、自分が何が出来るのかを追求していく。そういうことだ。肥大化してしまった人間の脳は、単に「生きていく」だけだと退屈を感じるようになっているのかもしれない。あるいは、取り囲まれている環境が問題なのかもしれない。そこら辺はよくわからない。

ただ、人間の欲求というのは、それなりに複雑だ、ということは言えるように思う。理解できないぐらいに入り組んでいるわけではないが、かといって「○○は〜〜です」などとセンテンスで表現できるものでもない。

人が人生の中にゲームを見てしまうのを止められないなのだとしたら、「勝ち」そのものは絶対的な価値ではない、ということを出発点にした方がよいだろう。むしろ、誰が決めた「勝ち」なのか、という方が遙かに重要な気がする。あるいは、どのように決まった「勝ち」なのか、であってもいい。

その点を抜きにして、「勝っているからどうだ」「負けているからこうだ」と話をしても、得るものは自分自身の心の強度補強ぐらいである。
※それが必要な時期があるかもしれないので全否定はしにくいのだが。

つまり、聞くべきは「あなたは勝っていますか?負けていますか?」ではなく、「あなたはどんなゲームをプレイしていますか?」ということなのだろう。もちろん自由回答欄の他に「ゲームなんてしていない」の選択肢も忘れずに付け加えないといけない。

自分のプレイしているゲームがはっきりしていたら、誰かに負け判定されても、おそらく気にならない。だって、こっちのゲームは続いているし、やることはまだまだたくさんあるんだから煩ってはいられない。周りを見渡せば、そういう人たちを何人か見つけられるだろう。
※良きにせよ悪しきにせよ。

旧来のメディアは、ゲームがあたかも一つであるかのような幻想を与えてしまうのが問題だった。逆に過剰なソーシャルメディアは複数のゲームが提示されすぎて、どのゲームを「自分のゲーム」にするのかを決めにくくしている。バランス、というのはなかなかに難しいものだ。

▼こんな一冊も:

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法 pha

技術評論社 2012-08-03
売り上げランキング : 5851

Amazonで詳しく見る by G-Tools

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
自分の仕事をつくる (ちくま文庫) 西村 佳哲

筑摩書房 2009-02
売り上げランキング : 2414

Amazonで詳しく見る by G-Tools

勤めないという生き方
勤めないという生き方 森 健

メディアファクトリー 2011-02-18
売り上げランキング : 13393

Amazonで詳しく見る by G-Tools

君たちはどう生きるか (岩波文庫)
君たちはどう生きるか (岩波文庫) 吉野 源三郎

岩波書店 1982-11-16
売り上げランキング : 1216

Amazonで詳しく見る by G-Tools

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)
僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書) 木暮 太一

講談社 2012-04-26
売り上げランキング : 2148

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

【書評】リアル30’s (毎日新聞「リアル30’s」取材班)

毎日新聞で連載されていた「リアル30’s」という連載をまとめた本。

リアル30’s
リアル30's 毎日新聞リアル30’s取材班

毎日新聞社 2012-10-31
売り上げランキング : 8711

Amazonで詳しく見る by G-Tools

この連載はウェブ誌面でも掲載されており、私はそれを読んでいた。一応全ての記事はクリップしてあるが、改めて読み返す意味と、この連載の意義に一票を投じるために本書を購入してみた。

連載中もいろいろ考えは浮かんでいたのだが、とても140字(×n)で書けるようなものではなかったので、このブログで「二つの30′sリアル」という記事を書いた。それでも全てを書けた感じはしない。

改めて本書を手に取り、記事とそれに関するツイートを並べながら読み返したことで、その書けてなさ加減はより一層強まった。

リアル30’sについて

本書のタイトルは「リアル30’s」であり、そこに「”生きづらさ”を理解するために」という副題が付いている。

この30’sはどのような人たちをさすのか。本書の「はじめに」では次のように説明されている。

78(昭和53)年〜82(昭和57)年ごろに生まれ、バブル経済が崩壊した91年には小学校高学年から中学生を迎えていた。90年代後半になって大学に入るか就職などの道を選び、大学進学者は00〜04年ごろ社会に出た。ちょうど今30歳~34歳の人たちである。

私はぴたりと当てはまる。おそらくこのブログをお読みの方も当てはまる方は多いだろう。

この30’s、一見すると「アラサー」と何が違うの?という疑問が浮かんできそうになる。30歳前後の人を示すアラウンド・サーティーの略語であるアラサーと30’sは重なる部分が多い。だったらアラサーでいいじゃん、と言いたくなってくる。

しかし、あえて「30’s」という新しい言葉が設定されているのにはもちろん意図があるのだろう。これまで語られてきた「アラサー像」とは違うものがここでは示されますよ、という意志をこの言葉からは感じる。

また、わざわざ「リアル」を頭に付けている点からは、挑戦的な雰囲気すら漂う。「リアル」なんて、明らかに反発が飛んでくるのが目に見えている言葉である。それでも、それが必要と判断されたのだろう。私はその判断は大変良かったと思う。

概要

本書は、その30’sにあたる人々がどのように「生きているのか」が紹介されている。記者がインタビューし、それを記事に起こすという形式だ。

この連載は決して「正解を探そう」という試みではない。良し悪しが語られているわけでもないし、「生き方ランキング」が発表されるわけでもないし、「この生き方は偏差値65」と識者的解説が入るわけでもない。ただ、一人一人の生き方が並べられているだけだ。

困難な状況に追い込まれている人もいるし、自ら希望になろうとする人もいる。その生き方は多様だ。

共通している点と言えば、「この社会に対する違和感」を持っていることだろう。この社会は何か違うんじゃないか、何かが間違っているんじゃないだろうか。そういう思いが根っことしてあり、それに対する手段や行動は違う。そんな印象を受けた。

『働くということ』との対比

本書を読んでいて、日本経済新聞社から発売されている『働くということ』が想起された。この本でもさまざまな人の「働きかた」「仕事との関わり合いについて」「人生と仕事について」が紹介されている。形式は似ていると言ってよいだろう。

が、いくつかの違いもある。

その一つは年齢層だ。

『働くということ』はさまざま年齢層の生き方が紹介されていたのに対し、本書は30’sに限定されている。

年齢層が違う生き方の紹介は、「いろいろな年代で、それぞれ苦労があるのだな」という視点を持てる。これはこれで長所だろう。対して、限定された年齢層では「同じ年代でも、それぞれ苦労があるのだな」と知ることができる。これもまた長所だろう。

違いの二つ目は、より根源的な違いだ。

『働くということ』では、物が豊かになった社会&構造的不況がやって来た社会の中で、人は「働くということ」あるいは「仕事」とどのように向き合えばよいのか、が模索されていた。2004年からそういう価値観の模索が必要とされていたのだろう。

が、本書からは「価値観の模索」よりももっと切実なもの、言ってみれば「どうやってサバイブするか」という視点をより強く感じる。「よりよく生きたい」というよりも「なんとか生きのびたい」という声にならない声の方が大きい気がした。2012年というのはそういう時代なのだろう。

ここで副題の「”生きづらさ”を理解するために」が響いてくる。

「生きづらさ」

本書で使われる「生きづらさ」は一つのキーワードであるが、そこに含まれているものは多様で分解しにくい。トータル的な感覚としての「生きづらさ」、あるいは「生きづらさ」としか呼びようのないものがそう呼ばれている。

本書の「はじめに」では次のように書かれている。

(前略)社会に出る時期に就職氷河期などの厳しい現実に直面した。厳しさはもちろん現在も続き、そして彼らは仕事や恋愛、結婚、出産、育児など人生の大事な選択を迫られる年齢に達している。それは、不透明な将来を眼前にした、先行世代とは比べようもないほど難しい選択であるといえる。私たちはその難しさを「生きづらさ」というキーワードでとらえようと考えた。

この試みがはたしてうまくいったのかどうか、私にはわからない。少なくとも本書を読み終えて、何かすっきりした気持にはなれなかった。心の中にはモヤモヤが溢れかえり、こうして長い書評記事を書いている。

私たちが(あるいはあなたが)抱えている「生きづらさ」とはどのようなものだろうか。それは世代的な問題なのか、「人それぞれ」な問題なのか、それとも誰しもが抱える問題なのだろうか。少なくとも、それが本書では明確には切り分けられていないし、私も切り分けられるとは思えない。

ただ、本書に登場する人々が抱える「生きづらさ」には二つの側面があるように思える。

一つ目

一つは、「”普通”に生きることの難しさ」だ。

会社に勤め、結婚し、子どもを産んで育てる。そういうことが簡単ではなくなっている。若者の非正規雇用のデータをあげるまでもないだろう。明らかに雇用環境は厳しくなっている。それに社会を維持していくための負担も大きい。会社では一人分の仕事量は増え、残業なしでは仕事が成立しないような企業もある。でもって、給料はあがらない。

なのに、昔ながらのライフスタイルが”普通”だと言われる。自分より高い年齢層からだけではない。おそらく同世代でもそれが”普通”と思っている人は多い。普通というのは、一般的に「(多くの人が)できて当たり前のこと」というニュアンスが込められているが、まったくもって普通ではなくなっているのが現状だ。
※補足するまでもないが、上のようなライフスタイルを”普通”にできるようにしようという施策は、この国の発展において重要である。

二つ目

もう一つは、「”普通”から外れて生きていくことの難しさ」だ。

一般的に、一度フリーターや派遣になったら正社員ルートに復帰するのは難しいと言われている。絶対に無理というわけではないだろうが、簡単ではないだろう。それは別にフリーターや派遣だけに限ったことではない。今勤めている職場から離職勧告を受けてしまったら、次の仕事をなかなか見つけられない人も少なからずいるだろう。ようは新卒か即戦力以外は採用されにくい雇用環境がある、という話だ。

求人情報をみると、「実務経験2年」などが必要なものが多い。つまり、一つの業界で人材をグルグル回しているだけなのだ。だから「よそ者」が入り込む余地はとても小さい。

そして、「正社員」とそれ以外の格差は驚くほど大きい。生まれてこの方「正社員」しか経験がない人にはきっと想像もつかないだろうが、ちょっと口がふさがらないの差がそこにはある。だから、今の大学生が岩にかじりつくぐらいの気持ちで「正社員」ルートを目指す気持ちはよくわかる。

「だって、ほかにどうすりゃいいんですか。生きていくためには必要なんですよ」

こういう声が聞こえてきそうだ。

幸い日本には、雇用保険やハローワークがあるし、生活保護制度も存在している。他の国に比べればまだマシと言えるかもしれない。それでも雇用保険が適用されない労働者もたくさんいるし、最近では生活保護への風当たりも冷たい。

それに周囲の理解や、自分の内側にある価値観の問題もある。”普通”から外れてしまうことが、何かいけないことのような気がしてくるのかもしれない。

本書では次のように書かれている。

だが社会は「働けばすべてが得られる」以外のモデルを示せていないから、30’sの葛藤はいっそう深まる。

現代では「働けばすべてが得られるかもしれない」である。そして、そもそもその働き口にたどり着くことすら難しい状況でもある。それに「働けば全てを失う」可能性だってある。仕事で受けた影響で自殺してしまう人の存在は決して忘却してはいけないし、それよりも僅かながらに程度が低い”被害”は目に見えない形でもっと多く広がっている。

「働けばすべてが得られる」モデルのルートに乗れている人は、その道を邁進すればいい。それは誰に否定されるものではない。

でも、それ以外のルートも必要だ。

また、そのルートを示すだけではなく、そこに至る道のり、あるいはそれぞれのルートの存在を認め合う価値観、そういうものも必要だろう。しかし、現状はそれがない、あるいはとても少ない。

こういう二つの、あるいは二重の「生きづらさ」が存在しているのではないだろうか。

さいごに

本書を読みながら、何度も何度も引っかかったのは「こんなのはリアルではない」という読者の声だ。「(私が知っている)現実とは違う」という声に共感の響きはまったくない。

では、ここに登場している人たちはフィクションの産物なのだろうか。もちろん、そんなことはない。では、レアケースだから考慮に値する必要は無いのだろうか。もちろん、そんなこともない。

自分の住んでいる地域に米軍基地がないからと言って、その存在について考えなくてよいわけではないだろう。生き方だって似たようなものだ。

おそらく「若者」が団結し、政治的な声を上げても、きっと一つにはまとまらないだろう。それぞれのリアルが乖離しすぎている。

他者の、つまり同世代の別の生き方をしている人の「生きづらさ」が理解されないとしたら、それぞれが主張する声もまた変わってしまう。「若者」VS「高齢者」という単純な構図だけの話ではないのだ。

一人一人が違った「リアル」を抱えていて、それぞれが断絶している中で共感の不足が起きているとしたら、この連載はそれをつなげる効果が多少なりともはあったといえるだろう。

もちろん、それで全てが解決するわけではない。ただ、「自分だけじゃない」「一人じゃない」「こういうのもアリかもしれない」という感覚は、何かしらの変化をうむことにつながっていくのかもしれない。

▼こんな一冊も:

働くということ (日経ビジネス人文庫)
働くということ (日経ビジネス人文庫) 日本経済新聞社

日本経済新聞社 2006-09
売り上げランキング : 139352

Amazonで詳しく見る by G-Tools

希望のつくり方 (岩波新書)
希望のつくり方 (岩波新書) 玄田 有史

岩波書店 2010-10-21
売り上げランキング : 13407

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

バカなアリと、はぐれる生き方

最近、新しい生き方・働き方に関する本をいくつか読んでいる。

そういう本には、「来るべき新しい時代とそれにフィットする生き方」という分析・提案型と、「私はこういう風に生きてきました。生きています」という実体験型の二種類がある。

そもそもの役割が違うので、「どちらの本が良いか」ということは言えない。が、どちらにしても何かしら得ることはある。

さて、今回は最近手にしたいくつかの「実体験型」の本をいくつか並べてみよう。すでに書評で紹介した本もあるが、改めて並べてみると、また違ったものが見えてくるかもしれない。

とりあえず本を並べる

「ノマドワーカーという生き方」

ノマドワーカーという生き方
ノマドワーカーという生き方 立花 岳志

東洋経済新報社 2012-06-01
売り上げランキング : 5178

Amazonで詳しく見る by G-Tools

プロブロガーとして生きることを選択した著者が、そのライフスタイルと戦略、及びいくつかのテクニックを紹介してくれている。プロブロガーというのは、つまり、プロなブロガーということだ。

「ニートの歩き方」

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法 pha

技術評論社 2012-08-03
売り上げランキング : 916

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ニートがニートらしく、充実して(暇つぶしに事欠かないでというぐらいの意味)生きていくための方法が紹介されている。本書が使うニートという言葉は、NEETと同じ問題意識を有しているのかどうかはわからないが、「会社勤め」ではない生き方が提示されていることは確かだ。

「もっと自由に働きたい」

もっと自由に働きたい (U25サバイバル・マニュアル) (U25 SURVIVAL MANUAL SERIES)
もっと自由に働きたい (U25サバイバル・マニュアル) (U25 SURVIVAL MANUAL SERIES) 家入 一真

ディスカヴァー・トゥエンティワン 2012-08-26
売り上げランキング : 1159

Amazonで詳しく見る by G-Tools

いろいろやってきた人の本。ひきこもりから社長になって、「経営には向いていない」と潔くその職を退任し、新しい会社やプロジェクトを立ち上げられている。その著者が若者向けにメッセージを綴った内容。

点と線と

この人々に共通することは一体なんだろうか。

Twitterのアカウントを持っている?→だったら今すぐTwitterのアカウントを取得しよう!

ということではない。もちろん、持っていた方がいろいろ楽しいことが増えると思うが、それはまた別の話だ。

上にあげた三人に共通しているのは、「変化」していることだ。

  • 長年の会社勤めからプロブロガーに
  • 会社員からニートへ
  • 引きこもりから社長へ

誰も一直線に今の状態にたどり着いてはいない。一度乗ればぐーっと上の方まで運んでくれるエレベーターには乗っていない。よっこらしょ、と何かしらの変化を経て、今の状態にたどり着いている。

注目されている人は、どうしてもその時の状態の「点」で捉えられやすい。しかし、その後ろに続いている「線」を忘れてはいけない。そして、その線はまっすぐ延びた直線ではないのかもしれない。

これは逆からも考えられる。

22歳のあなたがいるとして、その時の自分の状態が一生続いていくわけではないということだ。10年後の自分は、思いもよらない状態になっているかもしれない。なにせ3650日もあるのだ。何がどう変わるのか、予想することは不可能に近い。そして、それは現代においてより強い傾向として現れているような気がする。

  • 今がひどく悪くたって、変わっているかもしれない。
  • 今がそこそこ普通だって、変わっているかもしれない。
  • 今がかなり良くたって、変わっているかもしれない。

そう思うと、目の前の風景が少し変わって見えてくるのではないだろうか。

環境との付き合い方

もう一つ、注目したいのが「環境」との適応だ。

  • 「独立したい」という思いが強くなって、ブログを軸にフリーランスになる
  • 既存の「会社組織」に適応できず、ニートな生き方を(仕方なくにせよ)始める
  • 同じく会社勤めが続かず、自分で働きやすい会社を興す

人が既存の「環境」に直面したとき、そこに適応するのが一般的なやり方だ。それが一番コストがかからない場合が多い。「郷に入っては、郷に従え」の言葉は、確かに正しい。

ただ、どうしても適応できない人が存在することも確かだ。何せ日本国内でも1億人以上の人間がいるのだ。そして、それぞれに少しずつ違った個性が宿っている。誰かが決してピザを食べられないように、他の誰かは組織に馴染まない。

一つの価値観から測定すれば、それは「劣っている」ということなのだろう。社会適応性、協調性ともにゼロ。そんなハンコがバンッと押される。

それはある面では仕方がない。ただ、そういう人たちに生きる価値がない、というわけでもないのは確かなことだ。当たり前である。

既存の「環境」にどうしても馴染めない・納得感が得られないのであれば、新しい環境を自分で作るというオプションもある。それは簡単なことではないのだろうけども、生き延びるためには必要なことだ。社会不適合者が生き延びるための、たった一つの冴えたやり方。それが新しい環境を自分で作ってしまうことだ。

ある意味で、環境に働きかけ、自分なりの工夫を加えて、人生をより生きやすくする行為だとも言える。ん?ライフハックの定義っぽいな。まあ、いいや。

さいごに

私は、「日本の労働者よ、フリーランスたれ!」と仰々しく旗を振るつもりはない。そういうのはあくまで「オプション」の一つである。

問題はそういうオプションがとりやすい社会なのかどうかだ。

もしそれがとりやすいのならば、社会の中に一定数の「はぐれもの」が存在できるようになる。それは、アリ社会における、「バカな個体」のような働きをするだろう。

みんなが通っているのとは違うルートを選択してしまい、うっかりもっと効率的なルートを発見してしまう。そんなアリが存在するおかげで、__そのアリは日常的にはかなり役立たず扱いされているに違いないが__、アリ社会は常に最適化の可能性が開かれていることになる。
※「働かないアリに意義がある」参照

人生においても、社会全体においても、じっと目を近づけすぎてしまうと見えなくなってしまうものは多い。

▼こんな一冊も:

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)
働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書) 長谷川 英祐

メディアファクトリー 2010-12-21
売り上げランキング : 4561

Amazonで詳しく見る by G-Tools

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版
たったひとつの冴えたやりかた 改訳版 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 浅倉久志

早川書房 2008-08-22
売り上げランキング : 114781

Amazonで詳しく見る by G-Tools

常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」
常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」 クリス・ギレボー 中西 真雄美

講談社 2012-07-11
売り上げランキング : 11058

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

気楽な質問、自分なりの実験、世界征服

以前質問を受けたことがある。たぶん気楽な感じの質問だったのだろう。

「東京には、進出なさらないのですか?」

即座に私は、「はい。今のところそのつもりはありません」と答えた。

質問された方は、その答えよりも即答ぐあいに驚きを感じられたようだった。悩みなどは一切無く、予言のように定められた答え。たぶん、そこに強い意志を感じられたのだろう。

仕事、新しい実験

昔から、生まれた地域から動くことなく生活してきたし、今でもそれを続けられている。「一体、なぜここから動く必要があるのだろうか」。たぶんこれが私の本心だ。

たしかに、人が多い場所に出れば、仕事の可能性はググンとあがるだろう。楽しそうな会合に参加できる機会も増えるに違いない。でも、現状取り立てて不満のある生活を送っているわけではないし、なんとかこうとか仕事も続けさせていただいている。

妻の実家も車で20分ぐらいの距離にあるし、高校時代からの友人も「ちょっと、飯食いに行こうぜ」と言えば、すぐに集まれる。人は少ないし、電車も空いているし、行列は「テレビで紹介された」ラーメン屋ぐらいでしか見かけない。人混みがあまり>けっこう>かなり好きでない私としては実にありがたい。

「一体、なぜここから動く必要があるのだろうか」

仕事。

ようは仕事なのだ。仕事が住む場所に強い影響を与える。毎日従事するものなのだから、それは仕方ない。

でも、「上京して、より良い仕事を探す」というのは、私の目には古いタイプのゲームに見える。正しいか、間違っているかではない。時代遅れかどうかでもない。たんに、それはすでに実施(あるいは検証)されてきた、ということにすぎたない。

せっかく、SNSだとかクラウドだとかいろいろ目の前に広がっているのだから、何か「実験」がしてみたい。そういう気持ちが私の中のどこかにあるのだろう。

幸い物書きという仕事は場所を選ばない。大がかりな研究所もいらないし、世界中を飛び回る必要性もない。しっかりした机、キビキビ動くパソコンとインターネット、それに懐の深い本棚があれば十分だ。

そういう仕事をさせてもらうチャンスが巡ってきたのだから、是非とも「実験」を続けていきたい。だから、「今のところそのつもりはありません」なわけだ。

世界征服

クリス・ギレボーはその著書『常識からはみ出す生き方』の中で、こんなことを書いている。

自分が本当に望むものを手に入れながら、同時に独自の方法でほかの誰かを助ける。それがひとつに収束した状態を、僕は「世界征服」と呼んでいる。

「世界征服」。うん、中二っぽい響きだ。だが、それがいい。

私の「実験」も、この文脈で言えば「世界征服」の一種になるのだろう。

まず第一に私の生活を成り立たせる必要がある。これは必須。霞を食べて生きているわけではないので、「稼ぎ」はしっかりと意識しておかないといけない。世界を征服するにも、自国の領土が安定していなければいずれ立ちゆかなくなることは目に見えている。それと同じだ。

その土台があった上で、私と似たようなことを考えている人にアドバイスできるようになりたい。Blogの書き方なんかも、私ができるアドバイスの一つだと思うし、マネタイズ云々や、企画書の書き方なんかもその範疇に入ってくるだろう。知的生産の技術に関する話も、この属性に入ってくる。
※ただし、〜〜・アドバイザーになりたいわけではない。

これとはまた別の路線の思惑もある。

たとえば、私が地元でイベントをひらく。すると、わざわざ地元まで足を運んでくれる人が出てくる。人が動き、お金が回る。あるいは、私に会いたいという人が、関西までやってくる。これも同じ。まあ、それぐらい大それた人になれるかどうかはわからないが、そうなったら面白いなとは思う。「ふるさと納税」以外にも、いろいろな方法があるのだ。

とりあえずは、ここに居を構え、自分なりの仕事をし続けていくつもり、ということだ。

さいごに

「どこでも仕事ができる」というのは「田舎でも仕事ができる」ということでもある。どこで仕事をするのかは、最終的にはその人の価値観に依って決まる。流行とかはまったくもってどうでもいい話だ。

ただ、都市部に住んで仕事をしながら、「やっぱり田舎がいいよな」と思っている人が、実際に脱都会し始めて、人口密集度が5%ぐらいでも軽減したら、どちらにとってもWinなんじゃないかな、とは思う。

▼こんな一冊も:

常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」
常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」 クリス・ギレボー 中西 真雄美

講談社 2012-07-11
売り上げランキング : 5244

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

【書評】『トライブ 新しい”組織”の未来形』(セス・ゴーディン)

「ピラミッドを倒した船」の話をご存じだろうか。

以前、糸井重里さんがほぼ日の”組織論”について次のように書いておられた。
ほぼ日刊イトイ新聞 – “Unusual(変わってる)…”

昔は、てっぺんにボスがいて、
その下にたくさんの人が働いてて、
こういうヒエラルキーがあったでしょ。
ぼくは、これを倒してしまったら、
こういう船のかたちになると思った。

図にするとこんな感じだろうか。

働く人たちはみんな、フラットなところにいる。
で、かつてトップにいた人は、
上にいるんじゃなくて、いちばん前にいる。
それは、いくらフラットな組織だといっても、
みんながそれぞれに助け合うように
かみ合っていかないと仕事にならないから。
だから、全体はフラットだけど、
いちばん前で行き先を見てる人が必要なんです。

だから、ほぼ日の社員のことを「乗組員(クルー)」と呼ぶようにしている、と。

一番前で行き先を見ている人を「リーダー」、乗組員を「フォロアー」とすれば、この船を「トライブ」と呼ぶこともできそうだ。

トライブ  新しい“組織”の未来形
トライブ  新しい“組織”の未来形 セス・ゴーディン 勝間 和代

講談社 2012-07-25
売り上げランキング : 1270

Amazonで詳しく見る by G-Tools

概要

本書の著者は『パーミッション・マーケティング』で有名なセス・ゴーディン氏。

カバーそでのプロフィールによれば、”アメリカでもっとも優秀なマーケター”として知られているそうだ。その彼が、新しい”組織”の特徴について、またその作り方や必要な態度について紹介しているのが本書である。

ちなみに本書の発売は2012年7月25日だが、著者の新作というわけではない。

原著をAmazon.comで確認すると2008年・Octoberの発売になっている。すると内容的には、ほぼ4年前の事柄を扱っているわけだ。

なるほど、とそれを踏まえて本書を俯瞰してみると、確かにこういう風に動いてきているな、という実感が湧いてくる。つまり、「トライブ」的なものがちらほらと生まれつつあるな、という実感だ。

では、そもそも「トライブ」とはなんだろうか。

トライブについて

著者によれば、

互いにつながり、リーダーとつながり、アイデアとつながった人々の集団

が「トライブ」の定義である。

これまでは地理的な仕切りの中に存在する「部族」がトライブの代表例であったが、インターネットの普及がその仕切りを取り払ったことで、様々なトライブが生まれる可能性が出てきた。

著者はそれを一歩進めて、「あなたもトライブのリーダーになろうぜ」と勧めている。

その提案の是非について考える前に、トライブについてもう少し考えてみよう。

トライブに至る道

著者は普通の集団(グループ)とトライブの違いを以下のように述べている。

グループがトライブに変わるには、次の2つがあればいい。「共有する興味」と「コミュニケーションの手段」。

この2つの要素を見て、ぱっと思いつくのが「クラスタ」だ。

Twitterなどで、自分と近い興味を持っている人をフォローしている人は多くいるだろう。たとえばEvernoteが好きならば、Evernoteが好きそうな人をフォローする。フォローされた人も別のEvernote好きをフォローしている。結果として、「興味」でつながった輪が出来上がる。これがクラスタという概念だ。

そのクラスタ内では、ある程度情報が共有される。新しいEvernote系のアプリが登場すれば、一時的にそのアプリの話題でTLが埋め尽くされる、ということもあり得るだろう。また、何か気になることがあれば、クラスタ内の誰かに質問を投げかけることもできる。

つまり、SNSでのクラスタには「共有する興味」と「コミュニケーションの手段」が備わっていると言えるだろう。

では、クラスタはトライブとイコールなのか。

その答えはNoだ。クラスタにはトライブにとって肝心なもの__リーダーがいない。現状は、クラスタは多く存在するけどリーダーの数が少ない、そんな状況と言えるかもしれない。

できるかな?

これを逆から見てみよう。あるクラスタに所属しているならば、誰でもがリーダーとして名乗りを上げ、それをトライブに変えることができる、こう言えるのではないだろうか。

さて、普段使っているSNSを少し思い出してみよう。積極的にトピックスを立ち上げたり、何かの会を主催している人はいないだろうか。その人たちは「リーダー」的な存在ではないだろうか。

考えたいのはこういうことだ。その人たちはリーダーだからそうした行動を取っているのか、それともそうした行動を取っているからリーダーなのか。もし後者だとすれば、可能性的には「誰でも」リーダーになることができる。差は「やるか・やらないか」という古典的なものでしかない。

もう一つ考えてみよう。同じクラスタの人が、新しい会を立ち上げようとしたとき、あなたはどのような気持ちを感じるだろうか。「おっ、面白そうなことやっているな。応援しよう」。こう思うとすれば、自分が手を上げた場合にも同じように感じてもらえる可能性が高い。

もちろん、反対意見や批判的な声がゼロというわけではないだろうが__それはまずありえない__、「応援者がゼロではない」というのはある種の希望になり得る。

さいごに

さて、根本的な問題である「なぜ、トライブなのか」については触れないできた。

硬直的な組織構造では実現しえない変化をトライブは生み出せるから、というのが一応の答えにはなるだろう。

でも、もっとシンプルな答えでも良いのではないかと思う。つまり、「すごく楽しいから」。

私自身はリーダーではないが、SNSで見かけるリーダー的な人はすごく楽しそうだし、またそのメンバーも楽しそうにやっている。それに結果も付いてくれば言うことなしだ。

もちろん、「楽しい」ことは「楽」とはまったく違う、というのはあえて書くまでもないことだ。「楽」を追求している人は、リーダーに名乗りを上げるのは止めた方がよいだろう。

▼こんな一冊も:

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ
グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ デイヴィッド・ミーアマン・スコット ブライアン・ハリガン 糸井重里

日経BP社 2011-12-08
売り上げランキング : 10087

Amazonで詳しく見る by G-Tools

~Twitter、Ustream.TV、Facebookなど、ソーシャルメディアで世界一成功した男~ゲイリーの稼ぎ方(ソーシャルメディア時代の生き方・考え方)
~Twitter、Ustream.TV、Facebookなど、ソーシャルメディアで世界一成功した男~ゲイリーの稼ぎ方(ソーシャルメディア時代の生き方・考え方) ゲイリー・ヴェイナチャック 岩元貴久

フォレスト出版 2010-07-06
売り上げランキング : 45574

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ウェブはグループで進化する ソーシャルウェブ時代の情報伝達の鍵を握るのは「親しい仲間」
ウェブはグループで進化する  ソーシャルウェブ時代の情報伝達の鍵を握るのは「親しい仲間」 ポール・アダムス 小林啓倫

日経BP社 2012-07-26
売り上げランキング : 394

Amazonで詳しく見る by G-Tools

アイデアのちから
アイデアのちから チップ・ハース ダン・ハース 飯岡 美紀

日経BP社 2008-11-06
売り上げランキング : 9336

Amazonで詳しく見る by G-Tools

スイッチ!
スイッチ! チップ・ハース ダン・ハース 千葉敏生

早川書房 2010-08-06
売り上げランキング : 4882

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

クリス・ギレボーとの共通点

先日紹介した『常識からはみ出す生き方』を読んでいて、ふ〜〜んと驚いたことがある。

常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」
常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」 クリス・ギレボー 中西 真雄美

講談社 2012-07-11
売り上げランキング : 1420

Amazonで詳しく見る by G-Tools

著者のクリスが持っている「考え方」と私のそれが似ているのだ。

完全に重なるものではないが、かといって全然違うとは決して言い切れない。そのぐらいの「似ている」加減が本のあちらこちらから感じられた。

ドロップアウター

一番大きな類似点は、すでに存在しているルール(日本では世間という言い方もする)に対する圧倒的なまでの不信感だ。もしかしたら「不信感」は適切な言葉ではないかもしれない。皆が「当たり前」と言っていることに対して、一ミクロンたりとも賛成・共感できない、というのが本当のところだ。

きっと世間一般の評価では、「社会的適応性に欠ける」となるのだろう。もちろん、社会に適応する力がまったくないわけではない。ただ、その社会が適応するに値するものなのかについての確信が持てない。この場合の社会は、多くの人が住んでいる単なる共同体、というだけではなく、日本のムラ社会的な意味合いも込められている。

たとえば、意図的に人を傷つけたり、財産を強奪しようという気持ちは起きない。これは前者の意味での共同体を守る「社会適応性」だ。しかし、他の人がやっているからという理由だけで、「よい高校→よい大学→よい会社→よき定年退職」の道を選択しようとは思わない。

わりと昔から、自分の価値観で、自分の選択を選んできた。他の人__主にはマジョリティに属する人__が何を選択するかをほとんど気にしたことはない。というか、多くの人が選んでいるのならば、意識的にそれを避けるという天の邪鬼的気質を持っていると言ってもよい。
※残念ながら、これはブロガー・物書きになっても続いている傾向だ。

するとどうなるか。

どうも「変わった人」扱いされることが多くなる。血液型で言うとAB型のような扱いを受けるわけだ。もちろん、私の血液型はAB型である。

一度「変わった人」認定を受けると、あとはだいたい楽だ。「あぁいう人だから」と心地よい距離が置かれる。当然出世コースとかそういうものからの距離はぐぐっと遠くなるが、はなからそうしたものを求めていないので、こちらとしてはまったく気にならない。

その代わり、自分自身に何が出来るのかについては、かなり気にする。

自分のスキルアップ

私は「本を書きたい」と思ったことは本を書くようになるまで一切思ったことがなかった。ただ、「文章が上手くなりたい」とは常々考えていた。有名人になったり、それなりのお金を積めば本を書くことは__一応__誰にでも可能だ。でも、本を書いたからと言ってそれが読者の心に残る、あるいは役に立つとは限らない。

私がこれまでの人生で読書から得てきたものは相当に大きい。できれば、自分もその「本」という文化の連なりに何かしらの貢献をしたいと思う。そこで必要なのは、単に本を出すことではなく、本を出せるぐらいの文章力を持つことだ。

実際私が20代の頃から、「本」という媒体を使わなくても、自分の書いた文章を見も知らぬ他人が読む環境は出来上がっていた。後は、そこで何を展開するのか、というだけの話だ。

本の中でクリスは”1000ワード基準”なるものを紹介している。

”1000ワード基準”、つまり僕は1日に最低1000ワード書くと決めているのだ。かならずしも1000ワードすべてが、発表に値する内容でなくてもいい。この場合、最終的な成果物よりも、この規律自体が重要だ。

知っている人は知っているだろうが、このR-styleも「2000文字」というおおよその目標を持って一つの記事が書かれている。長くなったり、短くなったりすることはあるものの、毎日毎日平均2000文字の記事を書き続けてきた。ちなみに、このエントリーでR-styleの「投稿数」は3002になる。もちろん、この全てが2000文字基準をクリアしているわけではない。ただ2年以上はこの形をずっと続けてきたように思う(記憶は徐々に曖昧さを増していくものだ)。

もちろん、これにははっきりとした意図がある。ブログのアクセス数ではなく、長期的に見た場合の自分の文章力の向上だ。当たり前だが、単に2000文字の記事を書くだけでなく、2000文字でも読んでもらえる記事にしようと努めている。文章の書き方もさまざまな試行錯誤をしてきたし、きっとこれからも続けていくだろう。

これを続けてきたおかげで、最近では2000文字の「呼吸」が理解できるようになった。この文字数で何がどのぐらい書けるのか(あるいは書けないのか)、そうしたことが感覚として(表現としては曖昧だが)わかるようになった。これはもう明確なレベルアップといって良いだろう。

たぶん、こうしたレベルアップを積み重ねていかないとドロップアウターが生きていくのは結構しんどい気がする。

さいごに

類似点の最後の一つが「村上春樹が好き」という点だ。これはまあ、ある程度の価値観が似ていれば好きな作家も似てくるというだけかもしれない。それに、同じ作家から影響を受けることで、価値観も近いものになるというループが回っている可能性もある。それはまあ、どちらでもいいことだ。

クリスの本を読んでいると、私が書きたかったようなことが随分と書かれているので、肩の荷が少し下りたような気持ちと、靴の中に入った小石のような嫉妬が微妙に入り交じって湧き上がってくる。

まあ、世界中を旅して回りたい欲望と、できれば地元から出ずに読書と執筆に専心したいという欲望では、向いているベクトルの向きはまったく違う。似ている部分もあれば、大いに逆向きの部分もある。

それもまた、自分の価値観とそれに見合った生き方の問題でしかない。

▼こんな一冊も:

Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング
Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング 倉下 忠憲

ソシム 2011-05-30
売り上げランキング : 364436

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

「特にありません」と答えることについて

「ほぼ日刊イトイ新聞」の「糸井さん、僕を『面接』してください。」がなかなか面白かったです。

今、就職活動に直面している学生さんならば、何かしらのヒントが得られるかもしれません。

その第五回である「コーヒー。」の中で、次のような会話が出てきます。

糸井 これ、助言になるかわからないんだけどさ、
   僕、あなたと同じくらいの年齢のとき、
   面接試験に行って
   ケンカして帰ってきちゃったことがあって。

志谷 えっ。

糸井 面接官の人に
  「得意なことは何?」って聞かれたんだけど
   特に思い浮かばなかったから
  「特にないです」って返事したんですよ。

思わず苦笑が浮かんできました。私も似たような返事をしたことがあるからです。

残念な面接風景

メルマガに一度書いたことがあるんですが、私はこれまで、まっとうな「シューカツ」をしたことがありません。

こう書くと、今までよく生きてこれたな、と自分でも感心します。ほんとにたまたまの産物で今の仕事をしているようなものだし、振り返ってみるとそれまでの仕事も似たような経緯をたどってきました。

そんな私ですが、一度だけ「面接」を受けたことがあります。大阪にある、小さなプログラム系の会社。

別に「ここを受けたい!」という強い動機があったわけではなく、(その会社には失礼な話ですが)「まあ、しゃーなしで」といった感じで面接に臨みました。人生にはやむにやまれぬ事情で何かをしなければならないタイミングがあるのです。

その面接では、最初に業務内容の説明がなされ、そしてプログラミングに関する知識チェックが口頭で行われ、最後あたりに「この会社に就職したら、やってみたいことは何ですか?」という質問が出てきました。おきまりの質問です。

その時私は、「特にありません」と答えました。

頭の中をどれだけ精査しても、その会社でやりたいことが私には見えてこなかったので、それをそのまま答えただけです。

その答えを聞いたときの面接者のリアクションは、筆舌にしがたいものでした。さまざまな感情が複雑に絡み合っている、そんな感じです。「っえ?」「こいつバカなの?」「なんか答えておけばいいのに」・・・。その気持ちはとてもよく分かります。

こういうシチュエーションでは「こう答えておけ」という面接マニュアルがあるのでしょう。「特にありません」という答えは確実にそういうマニュアルには載っていなさそうです。むしろ面接に落ちるためのチェックリストの一番最初あたりに載っていそう気がします。

一応それらしいことを言うことはできたと思います。接客業に勤めていたので、相手が望みそうな答えを推測することは不可能ではありません。すごく気に入られる答えではなくても、「可もなく不可もなく」のラインならばキープすることはできたでしょう。

「本当に何かありませんか?」

親切な面接者の方は、私にもう一度チャンスを与えてくれました。

「いえ、特にありません」

面接は終了し、もちろん私は落ちました。個人的にはめでたしめでたし、です。

さいごに

たぶん、あのとき「可もなく不可もなく」な答えを口から出していたら、今の人生の形はけっこう変わっていたかもしれません。あるいは、なんだかんだで似たような人生を送っているのかもしれません。

そういうIFについて考えてもしかたがありませんが、あのタイミングで「特にありません」と答えたことは良かったと思っています。

だって本当に無かったんだもの。

Send to Kindle

二種類のシューカツ生

『アホ大学のバカ学生』という刺激的なタイトルの本に、就活生の二つのタイプが紹介されていた。なんとなくわかるような気がする。

アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ (光文社新書)
アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ (光文社新書) 石渡嶺司 山内太地

光文社 2012-01-17
売り上げランキング : 617

Amazonで詳しく見る by G-Tools

一つは「マジメ学生」で、もう一つは「バカ学生」。

「マジメ学生」が苦労して、「バカ学生」が案外うまくやってしまう。そういう話だ。100%当てはまるものでもないだろうし、企業によっても違うだろうが、そういう部分はあるように思う。母数こそ少ないが、前職は大学生と年単位の付き合いがあったので、私の感覚もそれほど的外れではないはずだ。

「マジメ学生」の特徴

では「マジメ学生」とはどのような学生タイプなのだろうか。著者は次のような特徴を挙げる。

例えば、適性検査(就活での筆記試験の一種)の対策が必要と聞けばそれを一生懸命勉強する。それはそれで必要なのだが、他のことに目がいかない。
例えば、自己分析で就活がうまくいった、という話を聞けば、自己分析を一生懸命やる。それはそれで必要なのだが、自己分析で失敗した話を考えない。

あぁ、あういう人ね、と頭の中で誰かのイメージが湧いたかもしれない。著者はこうした特徴を「応用力がない」とまとめている。

「マジメ学生」にはもう一つの特徴があるようだ。

やたらと効率重視、合理化を図ろうとするのもマジメ学生の特徴である。就活を学生受験に喩えて言えば、自己分析、適性検査、エントリーシート、面接という科目があり、それのみ一生懸命勉強すればどうにかなる、そうかたくなに信じていると言ってもよい。

これが本当に「効率重視」や「合理化」と呼べるのかどうかがまず疑問な訳だが、おそらくその学生の中では「効率的」で「合理的」なやり方として認知されている、という話なのだろう。著者はこれを「就活に役立ちそう」「就活のためにやっておこう」と計算高いとも表現している。まあ、その表現もわからないではない。

これは「就職活動」を著者がたとえで使っているように「学生受験」と同じような捉え方をしているのだろう。でもって、その時に使ったアプローチを同じように使っている。だって、他にどんな方法があるんですか。という感じ。

「バカ学生」の特徴

では、対する「バカ学生」はどのような学生か。この場合の「バカ」という言葉は基礎的な学力が不足している、という意味では使われていない。

バカ学生の特徴を一言でまとめると、目の前に面白いことがあれば、そこに興味を持つことだ。それが非効率なことであってもお構いなし。小学生だと、学校で宿題をやりなさいと言われて、おとなしく宿題をするのがマジメ学生、宿題をやろうとしたところに友達から遊ぼうと誘われたら宿題を放り投げるのがバカ学生である。

そういうやつのこと。ただし、この宿題は後で帳尻を合わせるようだ。「非効率的な割に要領がいい」と著者は表現している。身の回りにそういう友人が一人ぐらいいるのではないだろうか。この本ではそういうタイプは就活に強いとされている。

特徴を簡単にまとめると、

  • 非効率であっても、ちょっとでも面白そうだと思えば行動に移せること
  • 就活に無関係な行動で留年している人が多い
  • 社会との接点が多い

とこんな感じである。

こういう学生は、誰かが「有効ですよ」とした方法も試すし、自分が面白そうだと思ったことも実行する。いろいろやるなかで、レッドオーシャンではない場所が見つかり、見事に採用、ということになるのかもしれない。

この部分を読んで、私は知り合いの大学生の姿がすぐに思い浮かんだ。実際にこういうタイプの奴がいるのだ。私が面接官なら一発で受からせるだろうな、という気がする大学生である。その業界についての基本的な知識や、筆記試験の点数が足りていなくても下駄を履かせて合格、ぐらいの勢いで採用するだろう。

もちろんこれは業種による。「マジメ学生」が採用されやすい職種というのも存在するだろう。が、一般的なビジネスシーンでは、この本で「バカ学生」と呼ばれている人が面接で強い傾向はあるかもしれない。

3つの違い

二つの学生のタイプを比べると、3つの違いが見えてくる。

  • 自主的な行動力
  • 雑多な情報量
  • 複数の価値観

自主的な行動力

自分の興味があることにホイホイのってしまうというのは、「腰が軽い」とデメリット的表現もできるわけだが、自主的に行動できるというメリットとしても捉えられる。

予め「科目」が決まっていることを、それ通りにこなしていくことももちろんある種のスキルである。しかしそれは、決められていないことはできないし、しない、という可能性も含まれている。指示通りこなせることは重要だが、指示を待っていて他に何も出来ない人はなかなかやっかいである。

すくなくともマニュアルの定まっていない仕事をまかせることはできない。

雑多な情報量

興味あることに首を突っ込んだり、さまざまな人と会話ができる人は、けっこういろいろなことを知っている。専門分野を掘り下げるというのではなく、15倍ぐらいに希釈した教養を広げる、という感じだ。

専門職の人ならば、自分の好きなことをとことん知っているという場合でもOKかもしれないが、一般的な会社員の場合、他の人と普通に会話できるぐらいのスキルは欲しい。そういうときに雑多な情報はけっこう役に立つ。たとえ、専門的な会話ができなくても、相手に話題をふったりすることはできる。

また雑多な情報量は、アイデアを生み出す際にも役に立つ。

こういうのを「後知恵」するのは難しい。いろいろな人と接して、やり取りする中で地面に染みこむ雨水のように蓄積されていくものだからだ。

相対的な価値観

多くの人と積極的に関わりを持っていれば、いろいろな人の哲学や世界観に触れることになる。あるいはジャンルの異なる本を多数読むことでも同様だ。

すると、自分の持っている考えや価値観がいかに「世の中のかけらの一つ」でしかないことを思い知る。たぶん一度か二度ぐらいは挫折も通り抜けることになるだろう。

そういう人は、やっぱりちょっとだけ強い。

自己が相対化されているので、頑なになりにくいし、相手の意見を相手の意見として受け入れられる(可能性が高い)。

自分と同じ価値観の人だけしか接していない人は、他の人の価値観を受け入れられないし、自分の価値観が否定されると自己の人格が否定されたような衝撃を受けてしまう。そういうのはあんまりバランスが良くない。こういうのも、後からどうのこうのしにくい類のものである。

「マジメ学生」と「バカ学生」のどちらが優れているかは、もちろん「優れている」の評価軸によって変わってくるわけだが、個人的には「バカ学生」と一緒に仕事をしたいような気がする。

さいごに

特にこのエントリーは何かを主張したいわけではない。「学生の皆さん、バカ学生を目指そう!」なんて口が裂けても言うつもりはない。だいたい他の人に指摘されて「バカ学生」を目指してしまう「マジメ学生」は、結局「マジメ学生」だ。

いろいろな企業で欲している「人材」の形が違うだろう。人と人との関係性のように、仕事と人とも縁のようなところあある。ニーズがあり、提供できるスキルがあり、タイミングがあり、コネがある。個人の力だけではいかんともしがいたいものだ。

だから、あんまり深く考えてもしかたないんじゃないかな、と思う。ただ、自分がどっちのタイプなのかは気に掛けておいたほうが良いかもしれない。たぶん、それが自分にあった仕事を見つける一つのルートになりうる。

▼こんな一冊も:

仕事をしたつもり (星海社新書)
仕事をしたつもり (星海社新書) 海老原 嗣生

講談社 2011-09-22
売り上げランキング : 1126

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

二つの30’sリアル

以前も紹介したが毎日新聞の「リアル30’s」という企画が興味深い。

リアル30’s:働いてる?(9)理想の仕事 追い求め 「はまる何かがあるはず」(毎日新聞)

三十代の若者と仕事の関係が垣間見えてくる。ちょっと距離を置いて傍観するような態度もあり、真正面から取っ組み合っているようなものもある。

Facebookでも同じ連載が読めるようだ。

リアル30’s:働いてる?(9)理想の仕事 追い求め 「はまる何かがあるはず」(Facebookページ)

この企画の内容については、また別の機会に書いてみたい。今回はこの企画のツイッターアカウント(@real30s)に向けられた感想をみて考えたことを、まとまらないままに書いてみる。

二つの感想

30代の企画に対する感想は大きく分けると二種類に分けられる。一つは「共感できる!」というもの。もう一つは「何言ってるの?こんなの全然リアルじゃないし」というもの。両極端だ。

もちろん、どちらかが嘘をついているわけではないだろう。それぞれ共に真実なのだ。

「こんなのリアルじゃない」という意見は、ごく一部の特殊な人を取り上げて、あたかもこれが30代の現実であると語るのはいかがなものか、といったニュアンスがある。

おそらくそれは「まだ」力を持った意見なのだろう。多くの人が普通に企業に勤めて、正規雇用者として生活している。そういう人たちの周りには、同じような人が集まるだろうから、その人の視点で見れば「現実」はそういう形をしている。

しかし、そうではない形の「現実」もまた存在している。その人の視点には映らない「現実」もあるのだ。

この両極端の感想が出てくる時点で、大雑把にまとめる「若者論」が機能しないことは明らかだろう。置かれている環境によって感じている「現実」は異なる。言い換えれば、同じ世代でもリアルの位相がずれた人々が存在しているわけだ。もう一段階言い換えれば、同じ30代でも異なった「リアル」を見ていることになる。

当然、どのような社会に対して感じ方をしているのか、どんな展望を持っているのか、どういう生き方が理想的なのかもことなってくる。画一的に若者が幸福だとか、あるいは不幸だとか断じるのは、ティータイムの暇つぶし程度の意味しかない。

分離する現実と共感

『東のエデン』という作品がある。

その作品の中には「東のエデン」というシステムが登場する。詳細はばっさり割愛するが、携帯のカメラで撮影した画像をキーにして、ネット上から画像検索を行うエンジンだ。この画像にレイヤーを乗せられるのがポイントだ。そのレイヤーを使えば、画像に利用者が書き込みできるようになっている。

つまりある物(あるいは事象・人・店などカメラで撮影できるもの)に対する、意見・感想・詳細データ・関連情報エトセトラがその辺を歩いているユーザーによって追加されるわけだ。

「東のエデン」システムを使っている人は、そうでない人が見ていない現実を見ることになる。言い換えれば、現実に集合知がオーバーレイされたものを現実αとして知ることができる。このあたりは現在のソーシャルメディアに重なる部分は多い。が、この辺に突っ込むのは止めておこう。

とりあえず、境界線の「こちら」側と「むこう」側では、「現実」という言葉が意味するものが違う。

「みんなちがって、みんないい 」的発想でいけば、それぞれの層が違った現実を生きるのは別に悪いことではないように思う。しかし、そこには深刻な問題が潜んでいる気がする。それは「共感」が働きにくい、という問題だ。

私たちの共感が、どのようなメカニズムで生まれるのかという議論には立ち入らないが、コミュニティーや共同体の存在が鍵をにぎっていることは間違いないだろう。同じ人間でも、身近にいる人と世界の裏側にいるまったくの赤の他人に対する共感が同じとは言えないだろう。理念としては同じであるべきかもしれないが、やはり濃淡や強弱は出てきてしまう。

共感は、何か同じものを共有している、あるいは同じものに属している、という感覚から生まれてくるのだろう。

まったく反対の二種類の感想の存在は、片方の側からもう片方の側への共感が生まれにくいことを示しているような気がする。ようは「そういう奴らがどうなろうと、知ったことはない」という感覚だ。

以前にも少し書いたが、正社員(正規雇用)の側にいる人間はその権利を固執するように動くだろう。非常に合理的な判断だ。その結果、非正規雇用の側がどれほど苦労する結果になろうが、そんなことは彼の現実には関係のない話である。

さいごに

最近、「怒れ」とか「戦え」といったメッセージを見かける。もちろん「若者」向けのメッセージである。

でも、私はこう疑問に思うわけだ。

彼らは一体「誰と」戦えばよいのだろうか。

それを想像すると、ちょっとゾッとしてくる。

▼こんな一冊も:

Amazon限定 東のエデン 劇場版II Paradise Lost Blu-rayプレミアム・エディション【初回限定生産】(BDTVシリーズ&BD劇場版I・IIコンプリート収納BOX付きアナザージャケット仕様)
Amazon限定 東のエデン 劇場版II Paradise Lost Blu-rayプレミアム・エディション【初回限定生産】(BDTVシリーズ&BD劇場版I・IIコンプリート収納BOX付きアナザージャケット仕様)
角川映画 2010-08-04
売り上げランキング : 21487

Amazonで詳しく見る by G-Tools

小説 東のエデン (ダ・ヴィンチブックス)
小説 東のエデン (ダ・ヴィンチブックス) 神山健治 羽海野チカ

メディアファクトリー 2009-09-16
売り上げランキング : 39430

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Send to Kindle

WordPress Themes