Category: 365日の書斎

一年の読書履歴を振り返る

先日スタートした「2016年の<びっくら本>」企画。

これに取り組むためには、一年間の読書履歴を振り返る必要がありますね。私の場合は、メディアマーカーがその役割を担ってくれます。

ちなみに、私のバインダーはこちら。

rashitaのバインダー
screenshot

この一年で、私が「買った」本(および献本頂いた本)のすべてがこのバインダーには登録されています。というか、2009年以降の書籍購入履歴がまるっと残っています。これはなかなかすごいですね。

で、このバインダーを一つひとつ見ていくと、「ああ、そうだ。こんな本読んだ」と記憶が蘇ってきます。逆に言えば、書名(と表紙)を見るまでは、そんな本を読んでいたことはまったく頭に思い浮かんでいないのです。人間の記憶というのはそういうものなのだから仕方がありません。

しかし、逆に言えば書名(と表紙)さえ見れば、読んだ経験は想起され、さらに(たまに)その内容がありありと思い出されることもあります。つまり、この振り返りという行為は、再想起による記憶の強化も期待できるのです。

と、なにやらこじつけのように功利をアピールしましたが、単純に一年間で読んだ本を振り返るのは面白いのは間違いありません。きっと、再読したい本も見つかることでしょう。

もちろん、本棚を眺めても同じようなことはできるわけですが、電子書籍が混じると途端にややこしくなります。紙の本の本棚には電子書籍が並んでおらず、電子書籍の本棚には紙の本が並んでいません。ライブラリが分割されてしまっているのです。これでは「一覧」はできません。

そういう意味で、どちらもを縫合するワン・ライブラリが欲しいところで、メディアマーカーさんは見事にそれを実現してくれます。もちろん、ブクログやその他の本棚サービスもそうですし、手間が気にならないなら読書ノート__そういえば「読書手帳」というのはあまり見かけませんね。誰か作ってくれないかな__だってばっちりです。

どちらにせよ、「一年間に読んだ本を一覧できる心地よさ」は、この年末にしか体験できません。この辺が記録の難しいところで、日々記録しているときは、その「効能」が感じられず、効能が感じられないと人はなかなかその行動をとらないものです。つまり、記録の三日坊主になりがちです。

しかし、振り返り(レビュー)のためには記録はかかせませんので、少ない手間でとれる記録(デジタルツール)か、楽しんでとれる記録(アナログツール)かのどちらかを選択してみるのがよいでしょう。

もちろん、振り返りなんて一切興味が無い、という場合はその限りではありませんが。

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GTDと創造的活動

メルマガに頂いた感想ツイートなのですが、広がりがありそうなテーマだったのでブログで紹介させていただきます。あっ、メルマガは毎週月曜日にお送りしていますのでよろしくお願いします(宣伝終わり)。

二つ、問題提起があります。

  • 創造的活動を「ゆとり」でやるという考えは無理があるのでは
  • 創造的とそうでない活動を分けて考えることには無理があるのでは

同じような事柄を示してはいますが、ここでは分けておきましょう。それぞれ検討してみます。

創造的活動を「ゆとり」でやるという考え

この「ゆとり」は、おそらく二つの解釈が可能でしょう。一つは、時間的なゆとり。もう一つは、精神的なゆとり。どちらも創造的活動を行う上で必要な気がします。

では、GTDを実施すれば時間的な「ゆとり」が手にできるのか。これはいささか怪しいところです。GTDはタスク(というか自分のやるべきこと)をオーガナイズする手助けにはなりますが、その人の基本的な価値観が「もっと、仕事を!」というのであれば、タスクを効率的にこなせるようになったとしても、実施する作業が増えるだけでしょう。

また、自分ではコントロールできない要因によって大量の仕事がお邪魔ぷよのように降り注いでくることもあります。少なくとも、絶対の助けにはなりそうもありません。

しかし、精神的な「ゆとり」、言い換えれば落ち着きを手にする助けにはなるでしょう。「やるべきことはリストにある。それを見れば忘れることはない。だからこの15分はブレストに集中しよう」といった心持ちや、何か考えごとをしているときに、「あっ、そうだあれをやらなくちゃ」と思いついても、とりあえずinboxに放り込むことで心の軌道修正を行うことができます。これもまた「ゆとり」と呼べるでしょう。

かつて梅棹忠夫さんも『知的生産の技術』の中で次のように書いています。

これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、いかにしていらつきをへらすのか、というような問題なのだ。整理や事務のシステムをととのえるのは、「時間」がほしいからではなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからである。

GTDを行えば、完璧な「秩序としずけさ」が天使のように降臨する、ということはないにせよ、生活の一部分にでもそれを取り戻すことはできるでしょう。この点は重要です。

創造的とそうでない活動を分けて考えること

問題はこちらです。

「創造的な活動と、創造的ではない活動」を分けることは可能でしょうか。もちろん、分けること自体は可能です。のこぎりやハンマーを使えば、100cmの箱にだって人間は詰め込めます。でも、それはもう別のものです。だから、もう少し丁寧に考えます。

たとえば、「本の企画について考える」はどうでしょうか。これは創造的な活動です。では、「電話をかける」はどうでしょうか。創造的ではない__本当にそうでしょうか? 簡単なメッセージを伝えるときですら、相手がどう受け取るかをイメージして言葉を選ぶことができます。それを創造的でないと評するのは無理があるでしょう。

もちろん、そんなことを考えないで電話をかけることもできます。というか、その文脈で言えば、「本の企画について考える」ですら、創造的で無くすることもできます(二番煎じ、というやつですね)。つまりそれは、タスクそのものが要求するものというよりも、主体的な姿勢(関わり方)の違いに起因するのです。

さらにややこしい話があります。

「牛乳を買う」という活動について考えましょう。「近いけど高いコンビニと、遠いけど安いスーパー」のどちらかで買うのかの判断が必要ですね。それぞれのお店までの道順を考えることも必要ですし、お店に入ってからもどのルートで店内を回るのかも考えなければいけません。でも、それだけではないのです。

たとえば1.5Lの牛乳パックをみて、「細長の書籍を作ったどうだろうか」と閃くかもしれません。これはもう純然たる創造的活動です。

発想の種は遍在します。人生のあちこちに散らばっているのです。それを拾う行為は創造的活動であり、どこにでも見出すことが可能です。

さらにややこしい問題

最後に考えておきたいのが、知性の発露の仕方です。

(精神的に)落ち着いた環境で発露される知性もあれば、環境との相互作用によって発露される知性もあります。前者を象徴する場所が書斎で、後者のそれはブレスト会議です。

「ゆとり」に関係するのは書斎ですが、創造的な活動はその場所に止まるものではありません。

たとえば、「火事場のアイデア力」と呼ぶしかないようなものもあります。締切前の(あるいはちょっと過ぎてしまった)作家に舞い降りてくるあの力です。そこには「ゆとり」のかけらもありません。でも、だからこそ脳はフル回転しています。

プロ棋士の対戦では、騒がしくするのは当然厳禁ですが、それでも棋士には持ち時間があり、ぎりぎりのところでは瞬間的に一手を選ばなければいけません。そこで活きるのはいわゆる直感です。直感は、刹那に生まれるものであり、ゆとりとは無縁なのものです。

さいごに

いくつか言えることがありそうです。

  • すべての行為は創造的に行いうる
  • 創造的に行わないという判断もできる
  • 能率・効率は精神的なゆとりを得るため
  • 知性の発露には二種類あり、ゆとりを必要としないものもある

個人的に思うのは、片方の知性の発露だけではどうしても偏りが生まれるだろうな、ということです。つまり、書斎に入り、そこから出て対話することが重要なんじゃないかと思う次第です。

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365日の書斎:#16 書斎を定義づけるもの

前回:365日の書斎:#15 機能による空間の分離
これまで:Category: 365日の書斎

この連載では書斎について、特に現代における書斎について考えています。で、いろいろ考えてきたわけですが、ぐるっと回ってみた上で、ある問いが頭に浮かんできました。

「ある空間が、書斎と呼べるようになるには何が必要か」

簡単に言い直せば、「書斎を定義づけるものは何か」、になります。

わりと根本的な疑問に思えますが、いろいろ巡回してみて、そのコアとなる部分が見えてきたように思います。

書斎の条件

結論から言えば、「心理的に線引きされた特別な空間」が書斎が書斎であるための条件です。

ある境界線があって、その線からこっちはA、向こう側はB、という風に区切られている空間。

別の表現をすれば、その空間に足を踏み入れたときに、ある種の心理状態になる場所が書斎です。

もっと言い換えれば、「今、自分は書斎にいる」という風に感じられる空間が書斎です。何かトートロジーな感じもしますが、実際の所そういう側面は確かにあります。

これらはあくまで心理的な線引きなので、物理的な線引きが必ずしも必要というわけではありません。ただ、物理的な線引きがあったほうが心理的な線引きが生まれやすいことは確かです。

また、本棚や作業机は書斎で行う作業を補助・促進するもので、書斎空間に付随する装置という風に捉えることもできるでしょう。

だから、部屋の片隅に置かれているソファーだって、「書斎」としての役割を果たすことはできそうです。そのソファーに座り、膝の上で開いたノートに思索を書き付ける。時にタブレットを取り出し、参考資料を参照する。これだって十分に書斎作業と呼ぶことができるでしょう。

スイッチ・オン

要諦は、その空間に足を踏み入れたときに、何かしらのスイッチが入ることです。

日常空間から気持ちが切り離され、何かしらの対象に向けて思索を進める。そういうことをする気持ちになる場所が書斎と言えるでしょう。

だから、部屋を一つ作り、そこに本棚と作業机を導入し、書斎というルームプレートを付けても、本当の意味で書斎が生まれているわけではありません。書斎の準備が整った、と言うべきでしょう。心の中の書斎は、それをスタート地点にして生み出していくことになります。

では、そういう心理的な線引きはどのようにして生み出していくのでしょうか。

先ほども書きましたが、まず物理的な線引きを作るのが補助になります。大きな広い空間に間仕切りを入れれば、私たちの認知に部屋A、部屋Bという二つの概念が生じます。また、その空間に「書斎」に必要ないものを置かないことで、心理的な線引きを強化することもできるでしょう。

ただ、これらはあくまで補助線のようなものです。馬鹿にはできませんが、過大な期待も禁物です。

最終的にものをいうのは、実践です。実践の反復こそが、心理様式を発生させます。

ようは、その空間に入り、雑務を一旦頭の隅に追いやり、何かしらの思索を進める。思索、というと大げさな響きがありますので、何かについて考える、ぐらいでもよいでしょう。

そういうことを繰り返していけば、心のスイッチが生まれてきます。

また、「書斎」に必要ないものを置かないのと同じように、書斎空間に雑務を持ち込まないことも線引きの強化につながります。デスクを二つ持つ、というのもこれに関係することですね。

さいごに

現代の私たちは、こういう書斎(心の書斎)を一つは持っておいた方が良いのではないかと思います。

そこで行うのは、哲学的探求や飽くなき思考実験であっても良しですし、自身の専門分野を深めたり、興味ある他分野の勉強であってもよいでしょう。

あるいは、自分自身との内なる対話であってもよいはずです。

そういうことを行う空間と時間と心理状態(気持ち)を持つことが、せわしなく巡りゆく、見上げるほど高度な情報化社会では必要になってくるのではないでしょうか。

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365日の書斎:#15 機能による空間の分離

前回:365日の書斎:#14 作業机の秩序と混沌
これまで:Category: 365日の書斎

別件で読み返していたら、『知的生産の技術』に書斎についての興味深い記述を見つけた。たった2ページほどだが、大変示唆に富む内容である。

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著者の梅棹氏は、知的生産空間を以下の4つに分けよ、と提示する。

  • 仕事場
  • 「事務所」
  • 資料庫
  • 材料おき場

それぞれについては後述するが、これらは機能別に空間を切り分けていると言えよう。

その切り分けは、「この場所は○○するところ」ということを明示するだけではなく、「今自分は○○をやっている」をも無意識のうちに自覚させる効果がある。

つまり、機能における空間の整理が、心理的な整理にもつながっているということだ。

それについて書くまえに、まずは注意点から確認してみよう。

注意点:一室でも良い

梅棹氏は以下のように述べている。

こういうと、知的生産のためにはたいへんひろい空間が必要なようにおもわれるかもしれないが、そうではない。問題は、ひろさではなくて、空間の機能分化である。一室きりの書斎のなかだって、これだけの区別をつくりだすことはできる。

それぞれに一室を当てなければいけない、ということではく、「この場所は、仕事場。この場所は資料庫」という風に切り分け区画を作れということだ。もちろんそれは認識上の切り分けなのだが、それを発生させるために物理的な切り分けを作ることは重要である。

さらに梅棹氏は続ける。

仕事のための机と、事務のための机と、本棚およびオープン・ファイルの棚と、あとは材料のおき場をかんがえればよい。机は、仕事用のと事務用のと、できるだけはなして、ふたつあったほうがいいというのが、いまのわたしの意見である。

二つの机を持つこと。これが物理的な切り分けということだ。本机とサイドテーブルという分け方もできるだろう。

こうして分けておけば、本机に向き合っているときは「仕事」をしているとき、副机に向き合っているときは「事務」をしているとき、ということが非陳述的に示される。別の角度から見れば、一日一時間は仕事用の机に向かうようにする、というのを生産性の指標にすることも可能だ。

ダブルデスク方式の問題点

このダブルデスク方式は非常に有用な考え方ではあるが、問題がないわけではない。

まず第一に、そもそも二つも机を置くようなスペースがない場合があるだろう。こればかりはどうしようもない。

できるだけ広い机を確保し、左右で作業領域を切り分ければギリギリなんとかなるかもしれない。

が、この問題はそれほどゆゆしきものではない。本当に問題なのは二つ目、つまり事務作業の電子化である。

今年に入って二ヶ月ほど経つが、私が紙の書類を触ったのはプリントアウトした確定申告書だけである。それも、源泉徴収に関する書類を糊付けし、内容を確認して押印しただけだ。それ以外の事務的な処理は、ほぼパソコンの中で(あるいはiPadの中で)完結してしまっている。

このような状況で物理的な机を切り分けて何かしら意味があるのだろうか、というのが検討したい課題である。

もちろん、デスクを二台準備し、その両方にパソコンを設置すれば、ダブルデスク方式は実現できる。片方は仕事用、もう片方は事務用と使い分ければよいだろう。おそらくそれに近いことをしている人もいるはずだ。データがクラウドにあれば、いちいちあっちのパソコンからこっちのパソコンへという手間もかからない。

これはこれで良いのだが、コストがかかる点と、机を置くスペースがもう一つ必要な点は、依然として問題である。

では、もう少し踏み込んでこのダブルデスク方式の本質に迫ってみよう。

仕切りが生むもの

ダブルデスク方式の肝は、この連載で書き続けてきた「書斎」の本質に通じるものがある。

以下は、梅棹氏が仕事場について書いている部分だ。

そこがわたしの、ほんとうの聖域であり、密室である。わたしの、知的生産活動のもっとも創造的な部分は、そこで行われる。

「事務所」と切り分けることで、仕事場は執筆したり、読書したりする空間に純化される。純化され日常の雑務から切り離された空間は祝福を受けることで、自己との密談を行うのに最適な場所へと変化する。

機能特化させることによって、空間に文脈が生まれるのだ。

実はこれは、機能するチェックリストやタスクリストの要件(ノイズが入っていないこと)にも通じる話である。つまりは、統合的な整理の概念へと話はつながっていく。

上の話はやや込み入っているので、ごくごくシンプルに言ってしまうと、はっきりと線引きすると何かが生まれる、ということだ。その何かは確かな効果を持っている。逆に言えば、線引きは注意して行う必要があるとも言える。効果があれば、副作用もあるのだから。

eダブルデスク方式

さて、電子時代のダブルデスク方式はどうなるだろうか。

実はMacだとそれほど難しくはない。OSに標準装備されている「Mission Control」はまさにダブルデスク方式の体現である。
※実際二つではすまないのでxデスク方式とでも呼んだ方が適切かもしれない。

仕事用のスペースと、事務用のスペースを分けておき、それぞれの作業を行うときに使うデスクトップを分ける。壁紙でも変えておけばより一層効果的だろう。

あるいはもっとざっくりとログインするアカウントを切り替えても良い。仕事用のアカウントには、遊び的要素を一切排除しておけば、心理動線がぶれる心配もない。

私の場合であれば、ブラウザを二つ使うようにしている。一つはFirefox。もう一つはChrome。実際この二つは「仕事」と「事務」ではなく、「作業」と「遊び」という感じだが、ツールに文脈を持たせている点は共通している。

4つの部分空間

ずいぶん遠回りをしてきたが、最初に上げた4つの部分空間について簡単に紹介しておこう。

仕事場

仕事をする場所。仕事だけをする場所。物書きであれば、執筆と読書を行う空間になるだろう。

知的生産のジャンルによって、行われる業務は異なる。が、それしかしない点とその業務が何かしらの生産と結び付いている点は共通するはずだ。

「事務所」

事務仕事全般を行う場所。カギ括弧付きなのは事務場だと意味が通じにくいが、単に事務所だと専用の建物を連想してしまうからだろう。あくまで、一つの空間でよい。

たとえば、仕事場と「事務所」の空間の違いは、BGMの違いとして感じられるかもしれない。音楽を聴きながら文章を書けない人は随分多いようだが、毎月の経費の計算は好きな音楽をかけながらでもないとやっていられないだろう。

あるいはこういう視点もある。ある人が「仕事場」にいるのなら話しかけるのは遠慮したほうがいい。だが「事務所」にいる場合はそうではない。

資料庫

書庫(本棚)、及びオープン・ファイルのこと。

「オープン・ファイルってなんじゃらほい?」という方は『知的生産の技術』を読んでいただきたい。ここでは、資料を保管するもの、ぐらいの説明に留めておこう。

材料置き場

私が書斎について検討していた中で、ぽっかり抜け落ちていたのがこの材料置き場である。

材料というのは情報の材料ということではなく、情報カードや原稿用紙のストックを指している。当然それらも、必要になった際すぐに取り出せるようにしておかないと具合が悪い。

昔に比べると、電子媒体への移行でこうしたもののストックの必要性はずいぶん減っているが、まったく無用というわけでもないだろう。

さいごに

今回考えたことを大きく引いて眺めてみると、次の二つにまとめられる。

  • ある種の工程に、どのような作業が含まれているのかを見極める
  • そして、その作業に適した空間を設定する

当たり前の話だが、空間を機能ごとに分けるためには、どのような機能が必要なのかを見極めなければいけない。その自問こそが仕事効率の向上を生み出す鍵と言えるかもしれない。

もちろん、この空間は物理的な空間には限らない。私たちが認知する空間、つまり心理的なものを含む「空間」である。

蛇足として付け加えれば、ノマドのようなワークスタイルが生まれたことで、書斎の必要性が減じた、ということはなく、むしろいろいろな場所に「書斎」のような空間を持てるようになったという風に捉えた方がよいだろう。

▼元になった読書メモ:
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365日の書斎:#14 作業机の秩序と混沌

普段読まない「AERA」という雑誌をパラパラ見ていると、【片づけない「超仕事人」の机を大公開】という仕事術系の企画が載っていました。

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朧気な印象をよみがえらせると、「カオス」「地層」「ステゴザウルス」「ところてん」の4つのタイプが掲載されていたように思います。が、それぞれについては今回は触れません。

その時感じた、ちょっと複雑な心理状況を出発点にしてみます。

真逆の方向性を同時に

作業机公開というと、ほとんど物がなく、隅から隅まで整頓されているデスクの写真が紙面を飾ることがよくあります。特に、ネットで共有されるものはその傾向が強いかもしれません。

それをみて、「おぉ〜、すげぇ〜な」と関心する気持ちが湧き上がります。私も作業机に関してはなるべく整理し、機能性を担保しようと努めています。

が、AERAで紹介されている「片付けない机」にもどこかしら惹かれる要素がある点は否定できません。私の場合であれば、本棚やサイドテーブルなんかは整頓されているとは言い難い状況です。

これを一歩引いてみると、まったく方向性の違う二つのものに好感を感じていることに気がつきました。これが、ちょっと複雑な心理状況です。

いわば、メガネをかけた知的で落ち着いた女性にあこがれを感じながら、それと同時に肉感的で、いや、この喩えはやめておきましょう。ともかく、そういうことです。

(ア)シンメトリー

話を鋭角に脱線させます。

私たちは、わりと「整ったもの」が好きです。片付いた机、整然と本が並ぶ書店や図書館の本棚、シンメトリーなデザイン。こうしたものは、不思議と安心感をもたらしてくれます。

しかし、よくよく考えてみるとこの世界はシンメトリーでないもの(無秩序なもの)で溢れかえっています。植物や生物の形、地形、あるいは地球の形だってシンメトリーではありません。たぶん、だからこそ私たちはシンメトリーなものに安心感を感じるのでしょう。

これは、完璧なシンメトリーを備えたものは人の手によって作られたものである、ということを私たちは認識し、それが無慈悲に襲いかかる自然環境からの隔離を連想させる、という意味です。

が、私たちの生命そのものはアシンメトリーな世界に所属しています。根源はそこにあるわけです。

一つの視点を取れば、理性・知性と呼ばれるものがシンメトリーさを好み、それ以外の何かがアシンメトリーなものに憧れ(あるいは飢え)を感じている、と言えるでしょう。

脱線&話の飛躍終わり。

作業机に戻って

さて、整理整頓された机と、あえて片付けられていない机。それぞれについて考えてみましょう。

整理整頓された机が提供してくれるのは「秩序」です。

情報や物をすぐに取り出せる。どこに物を置けばいいのかすぐにわかる。現在必要としない情報が入ってこない。

非常に静かで秩序だった空間が整理整頓された机の上には広がっています。よりスムーズに、よりスピーディーに、より低摩擦に作業を進めることができるでしょう。達成すべき目標と、とるべき行動が明らかなとき、こうした机は最適の環境を提供してくれるはずです。

対してあえて片付けられていない机がもたらすものは「混沌」です。

連想が刺激される、想像力をかき立てる、別の物事が新しい物事へと結び付く。

そこには設計された混沌が存在しています。あるいはカオスを飼い慣らす、という言葉を使ってみても面白いかもしれません。

事務的・手順的な作業ではなく、新しい発想こそが常なる仕事の人には必要な環境と言えるでしょう。

さいごに

大変欲張りな私としては、両方の機能が欲しいところです。

だいたいこの辺で、R-styleをよくお読みの方ならば「あっ、あれが出てくるな」と想定されるでしょうが、つまりハイブリッドです。

秩序と混沌を両方活かす。そういう作業机が個人的には目指す方向性と言えそうです。

▼前回のエントリー:
#13

▼関連しそうなエントリー:
365日の書斎:#11 書斎空間が過程に与える影響

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365日の書斎:#13 書斎で椅子を回す

前回とはまったく違うお話です。しかも小ネタ。

書斎というのは閉じた空間です。線引きし、あちら側とこちら側を作ります。その線引きは、ある種のムードを作り出すことができます。雰囲気、と言ってもよいでしょう。もし、そのムードによって何かしらの行動が促されるのならば、「スイッチがある」と言えます。

簡単にいえば、気持ちを切り替える効果を空間に持たせることができる、ということです。

で、その空間の中に存在するスイッチは、必ずしも一つには限りません。

四面の効果

以下は、私の作業場所の概略図です。たぶん、縮尺はまったく正確ではありませんが、配置はまったくこの通りになっています。
※それぞれの具体的な中身はこの際気にしないでください。

desk

デスクAの前に置いてあるのは、わかりづらいですが椅子です。クルクル回る椅子。


※こういうやつです。

普段、何かしらの作業するときは、デスクAにMacBookAirを置き、それに正面から向き合います。左手付近に本棚があるので、必要な本は(ある程度)すぐに取り出せます。時にはデスクBの方にMacBookAirを移動させ、デスク一面に紙を広げて作業することもあります。

少し気分を切り替えたいときは椅子を右方向に少し回します。デスクBの上にはいろいろな「モノ」が置いてあって、思考を刺激してくれます。その時読んでいる本などもここに置かれているので、考えていることと別の情報が脳内で(たまたま)リンクするようなこともあります。

さらに椅子を右方向に回せば、二つのデスクは完全に視界から消えます。妻が話しかけてきたときなんかは、クルッと椅子を回転させて話を聞きます。「ちょっと30分ほど休憩して本を読もうか」、という場合も椅子を回転させます。

もちろん、所定位置から左向きに椅子を回転させれば、本棚が視界に広がります。適当に目に付いた本をパラパラとめくってみたり、自分のメモノート(本棚に並べてある)を読み返したりすれば、何かしら「おぉ、これは!」と思えるようなことにぶつかることもあるかもしれません。

さいごに

椅子を回せば、風景が変わります。

風景が変われば、気分も変わります。なんだかんだで、環境から目に入ってくる情報というのは、何かしらの重みがあるものです。

もちろん回る椅子の導入をお勧めしているわけではありませんし、こんな風に配置しろと言っているわけでもありません。

ただ、どんな風景が広がるのか、というのは念頭に置いておき、空間をデザインしてみるのも悪くないと思います。

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365日の書斎:#12 書斎としてのBlog

前回の記事タイトルの中で、「書斎空間」という言葉を使いました。

改めて言うまでもなく、書斎は空間です。

では、その空間は何のために作るのでしょうか。「俺んち、でっかい書斎があるんだ!」と自慢するためでしょうか。もちろん、財力がはち切れんばかりに膨れあがっているなら、自慢のために書斎を作っても何ら問題はありません。しかし、多くの場合は違うはずです。

書斎を作るのは、そこで過ごすためです。

表現を変えれば、「書斎時間」を生み出すために書斎を作る、と言ってもよいでしょう。

書く時間、考える時間

さて、視点を変えてみましょう。

今こうして私が文章を書いている(あるいはあなたが読んでいる)、このブログ。これもネット上に位置する一つの空間とよんでもよいでしょう。物理的空間と性質は異なるものの、仮想的空間もまた一つの空間です。たとえそれがメタファーにすぎなくても、そこには何か近しいものが存在しています。

私がブログを書く時、「隙間時間にちょこちょこと書き足していく」というスタイルを取りません。

一時間なら一時間しっかりと時間を確保し、その時間ずっとテキストエディタに向かい合います。現実的な場所は、自宅かもしれませんし、カフェかもしれません。あるいはファミレスとか新幹線の中ということも考えられます。

しかし、その場所がどこであれ、集中して原稿を書いているその間、私の心はどこかに行っています。

外部からのインプットを断ち切り、お気に入りの音楽を背景にして、ある事柄についてじっくりと思索を進める。書きながら考え、考えながら書く。

それはつまり「書斎時間」を過ごしている、ということです。

さいごに

Blogは「アウトプットする場所」です。その場所は、仮想的な空間であるがゆえに、自由自在でもあります。

時に書斎の一部であったり、あるいは書斎の外に飛び出たり、はたまた他の書斎とのパイプラインになったりと、さまざまな立ち振る舞いを見せてくれます。

現代の「書斎」を考える上でBlogは欠かせないものです。
※もちろんWebサイトだって全然構わないわけですが。

ともかく、空間とそれが作り出す時間、そして人とのコラボレーション、このあたりは「書斎」における大きなトピックスとなってくるでしょう。

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365日の書斎:#11 書斎空間が過程に与える影響

前回までで、書斎の二つの機能を担う装置についてざらっと眺めてみました。本棚と作業場所としての机は、それぞれインプットとアウトプットを担ってくれます。

この二つはそれぞれの人の環境によって最適なサイズが変わってくるので、カスタマイズ性はいくらでもあります。つまり、ちょっとややこしい問題です。

しかし、残された最後の一つ、「インプットとアウトプットの間にあるごちゃごちゃした過程」の方がやっかいです。なにせ、目には見えないのですから。

一つの思考実験

この問題の難しさは、次の思考実験をイメージすると掴めるかと思います。

「1000冊以上の本が並んだ本棚がある書斎と、全てがデジタル化されクラウドに収められた書斎の二つがあるとする。中で作業する人はまったく同一として、それぞれの書斎で生まれ出るアウトプットは同一になるだろうか」

どうでしょうか。あるいは、まったく何も置いていないデスクとお気に入りのフィギュアが並べられたデスク、この二つではどうでしょうか。

私たちがプログラミングされた何かで、ブラックボックスが何も存在しないのならば話は早いです。何かを入力→出力という形はすっきり捉えられます。

が、脳はそれほど単純ではありません(単純な側面もかなりありますが)。特にイマジネーションやクリエイティビティと呼ばれる何かは定量的にアウトプットを管理することはできません。

もし、BGMとして流している音楽で文体が変わるようなことがあるのならば、あるいは使っているエディタのフォントサイズで物語の展開が変わるようなことがあるのならば、私たちは書斎の環境についてより注意深くなる必要があるでしょう。

それは目に見えない分、一度失われてしまうと、二度と取り戻せない何かになってしまう恐れすらあるのです。

どんな空間か

話を簡単に組み換えれば、書斎はどのような空間であるべきなのか、という話になります。

発想をビンビン刺激する空間なのか、心落ち着かせる空間なのか。

じっくりと思考するという点では、「心落ち着かせる空間」であった方がよいでしょう。しかし、書斎はアウトプットを生み出す場所でもあります。人によっては前者の要素が必要な場合もあるでしょう。

そのバランスは、最終的なアウトプットのジャンルやカテゴリによって変わってくるのかもしれません。一つの書斎に二つの空間を同居させたってかまわないでしょう。あるいは、外部にどちらかの機能を持つ「出張所」を設けてもよいかもしれません。

これらは、単純な利便性を超えた話で、何かの物差しで測ることはできません。しいて言えば、自分がその空間にいるときの印象、というもので調整していくしかありません。これがまた難しいのです。

さいごに

ご覧の通り、私はカオスに傾いたアウトプットを好みます。ヘミングウェイの文体には一生かかってもたどり着けないでしょう。まあ、所詮は自分の好みの問題です。少なくとも、私の書斎を誰かに押しつけるようなことはしません。

それはそれとして、好きな作家の書斎を真似るというのは、ミーハーな行為と揶揄されるものばかりでもないでしょう。アウトプットの方向性を近づけるという意味では、何かしらの効果が含まれているかもしれません。

これまた明確な答えは出ていませんが、書斎について考えるべき要素はいくつか見えてきました。もう一つ、この「インプットとアウトプットの間にあるごちゃごちゃした過程」には「ひらかれた書斎」の要素も入っています。それについては次回考えてみましょう。

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365日の書斎:#10 カオスなアウトプットツール

前回はデスクトップについて考えてみました。そこに何を配置するのかを考えてみるのは、難しい側面もありますし、楽しい側面もあります。

書斎におけるデスクトップは、アウトプットを生み出すための装置として(本連載では)捉えています。そして、そのツールの一つとして「パソコン」というものを想定しています。

しかし、これはかなり大ざっぱな括りです。細かく見ていくと「パソコン」といってもいろいろ種類があることがわかりますし、また「パソコン」の中で使うツールにも多様な種類があります。

書斎論の本筋からは少し外れますが、今回はこれについて考えてみましょう。

アナログ

紙ツールの場合、最終的な成果物の媒体になるのは、「原稿用紙」でしょう。原稿の分量が把握しやすいのが特徴です。

もちろん、そうした制約がなければ、大学ノートでもレポードパッドでもA4のコピー用紙でもなんだってOKです。難しい話ではありませんね。

しかし、最終的な成果物を生み出す前の段階になると、出てくるツールは数え切れないぐらい増えてきます。たとえば、付箋がその代表例でしょう。あるいは情報カードというのもあります。

まあ、このあたりの話はインプットとアウトプットの中間地点のところで取り上げるのがよいかもしれません。

もちろん、原稿用紙とセットで語られる万年筆も机に配置されることの多いツールです。生産性にどのぐらい影響があるのかはわかりませんが、こだわってみたいツールの一つの一つでもあります。が、この辺は単に「ペン」と考えておけばよいでしょう。一度立ち入ると、相当ディープな世界が待っていますので。

デジタル

さて、ややこしいのがこちら。

書斎を使うのは物書きだけではありませんが、話の拡散を避けるために、成果物を文字情報がメインのものだけに限ってみましょう。

それでも、「テキストファイル」「docファイル」「PDFファイル」「key/pptファイル」など、さまざまなバリエーションが考えられます。もちろん、他にもバリエーションはあるでしょう。

パソコンは個人の力を拡大してくれます。つまり、一人でもいろいろ作れるようになるわけです。当然、成果物のバリエーションもまた増えてきます。

また、これらのファイルを生成するためのツールも多岐にわたっています。無料から有料のものまでバリエーションを並べることも難しいのが現状です。

さらに先ほどと同じように、アウトプットを生み出すまでの途中経過を補佐するツールとなると、もはや手を付けられない状況です。

そして、これはまだソフトウェアの話に限っていることを忘却しないでください。

ハードに視線を向けるとさらにややこしさが増してきます。デスクトップとラップトップだけなら、まだマシな方です。今ではサイズの違うタブレットやスマートフォンまでがアウトプットを生み出すツールとして活用できるようになっています。また、一昔前のワープロを彷彿とさせる、文字入力特化型ハード(ポメラですね)なんかも登場しています。

書斎のデスクに何を配置するのかは、相当にややこしい問題になっています。

大きい机に、お気に入りの原稿用紙と万年筆を置いておけば、それなりに形になる、という時代ではないのです。

さいごに

とりあえず書いてみて、何一つ整理できていないことに気がつきました。問題がいっぱいあるね、と再確認しだだけのエントリーです。

現代のアウトプット環境は__おそらく情報収集している人ほど__ややこしいことになっています。なにしろパーツが多いのです。

使えるパーツが多くなるほど、個人向けにカスタマイズされた環境を構築できる余地は増えますが、多すぎるレゴブロックのように、初心者にとって何からを付けてよいのやら、という状況もまた生み出してしまいます。

何をいまさら、という気もしますが、現代の「書斎論」は相当にタフなテーマであることに気がつかされました。

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365日の書斎:#09 デスクセッティング

前回は作業場所としてのデスクについて考えてみました。

現代では机とパソコン(デスクトップ)が主な作業場所で、両方のデスクのことを考慮する必要がある、というようなお話しだったかと思います。

手段の話になると、ついつい目的を忘れがちになるので、改めて確認しておきます。

デスクは書斎における作業場所です。つまりアウトプットを生み出すための場所です。そして、その場所は、快適に作業できる環境であるのが望ましいでしょう。つまり、アウトプットを生み出しやすい環境です。

そのためには、デスクの上に何を置けばよいのか。それについて考えてみます。

机にまつわる派閥

作業机についての思想は、大きく分けて二つの派閥が存在しています。

一つは、徹底的にものを置かないタイプ。「簡素たれ!」。これがこの派閥のポリシーです。非常に見た目が美しいデスクが出来上がるのもこちらのタイプ。

もう一つは、普段よく使う物を置いておくタイプ。「よく使う」の定義次第によっては、大変乱雑なデスクが出来上がることも珍しくありません。ただ本人にとってはそれが使いやすいのですから仕方ありません。「便利たれ!」が合図の言葉かもしれません。

似たような考え方の違いは、オフィスの机でもあるのではないでしょうか。

たとえば仕事が終わる度にきっちり机を片付けて、次の日新鮮な気持ちで取りかかれるようにしておくタイプと、作業終わりの状態のまま置いておいて、「ムード」を保存しておくタイプ。

こうしたものは、どちらに納得感を感じるのか、という感覚的なものです。逆に言えば、自分が作業に取りかかる気持ちになるのならばどちらでもOKです。

あるいはハイブリッドとして、机に二つのスペースを設け、片方は整理、もう片方は混沌、といった使い方もできます。これもセンスの問題で、何がよいかは一概に言えません。

置かれるものたち

とりあえずの派閥争いは横に置いておくとして、一般的な机には何が置かれているのでしょうか。

観察すると、「パソコン」(デスクトップorラップトップ)、「書類入れ」、「ペン立て」、「プリンタ」あたりが現代的でしょうか。

パソコンは特に説明不要でしょうから割愛します。

書類入れ

書類入れは、クリアファイルなどを立てて収納できるタイプと、横にして上に重ねていくタイプがあります。後者は書類入れというよりお書類受けと呼んだがよいかもしれません。

立てるタイプは、デスクトップというよりも、ライブラリの延長と言えるかもしれません。あるいはライブラリ出張所、のような感じです。必要な書類を入れておく、というような場所です。もちろん、ノートや手帳、あるいは雑誌や本を置いておくこともできます。

対して上に重ねるタイプは、3段の書類入れがGTDの「inbox」的に使われていることがあります。この場合はライブラリではなく、ワークフローシステムを構成する要素と言えるでしょう。話が込み入るので、このあたりはすっ飛ばしましょう。

ペン立て

「ペン立て」は、もちろんペンだけではなく、その他の文房具も合わせて置く場所です。

机に引き出しが付いているのならば、そこに入れておくこともできますが、「便利たれ!」のタイプはよく使うものをデスク上に出しておくアプローチが好みでしょう。ペン立てで足りない場合は、小物入れを置いておくこともできます。

プリンタ

最後の「プリンタ」ですが、最近ますます不必要になってきている気がします。もちろん、仕事によっては欠かせないということもあるでしょうが、私はめったに使いません。プリントが必要な場合は、ネットプリントサービスを使うようにしています。おかげで、インクカートリッジを最近買った覚えがありません。
※ちなみに、年賀状という日本の習慣からも距離を置きました。

ただ、紙の書類を扱うことがあるのならば、「プリンタ」の代わりに「スキャナ」が必要になってくるかもしれません。それはもちろんPDF化して、クラウド上に保存するためです。この変もライブラリの運用論に関わってきますが、やっておいて損はない行為だと個人的には思います。とにもかくにも不必要そうな紙を一掃できるのが魅力です。

さいごに

次に、パソコンの話に入ろうと思っていたのですが、文字数的に次回に回すことにしましょう。

机の上に置くものとして、あえて取り上げなかったのが「時計」です。書斎に時計は必要か。これはなかなか難しい問題です。もちろん、どこであれ時計があった方が便利なことには間違いありませんが、書斎は便利な事柄を追求するスペースではないので、あえて時計を置かないという選択もありそうです。

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