Category: 感想群

【書評】なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか(シェルドン・ソロモン、ジェフ・グリーンバーグ、トム・ピンジンスキー)

「恐怖管理理論」についての本。原題は『The Worm at the Core: On the Role of Death in Life』。私たちの心に住まう「虫」(バグ)がどのような振る舞いをするのか、それが3人の共同研究者によって描かれている。

なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか :  人間の心の芯に巣くう虫
シェルドン・ソロモン ジェフ・グリーンバーグ トム・ピジンスキー
インターシフト
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目次は以下の通り。

◎第1部 恐怖管理とは何か
第1章: 人間は死の恐怖管理を求める
第2章: 文化的世界観によって守られる
第3章: 自尊心が壊れるとき
◎第2部 文化の根源
第4章: 儀式・芸術・神話・宗教の成り立ち
第5章: 死を乗り越える方法(1) 文字どおりの不死
第6章: 死を乗り越える方法(2) 象徴的不死
◎第3部 人間の心理・社会を読み解く
第7章: なぜ悪と暴力が栄えるのか
第8章: 動物性を遠ざける
第9章: 二つの心理的防衛
第10章: 精神障害と恐怖管理のかかわり
第11章: 死とともに生きる

リンゴに巣くう虫

まず「恐怖管理」とは何だろうか。語感的に「恐怖政治」に近いもの__人間を恐怖によって支配する行為__だと感じられるが、そうではない。人間の心理機構が、いかに死の恐怖を管理しているのかについての理論である。

アダムとイブは知恵の実を食べた。結果、知恵やその他もろもろを抱えて楽園を追い出され、「人間」となった。ホモ・サピエンスは、他のサピエンス種に比べてかなり複雑な思考を扱えるようになり、(比較はしにくいが)強度の高い自我を持つようになった。それが、これまでの文明を発展させてきた原動力になったことはたしかである。

だがしかし、そのリンゴには虫が巣くっていた。「人間」はそれらも一緒に体内に取り込んでしまったのだ。

生と死のはざまで

「私」という意識は、死を認識できる。膨れあがった脳を持つ私たちは、単に反応的に生きるだけでなく、「私」がいずれ死に、この世界は「私」抜きで進んでいくことを想定できてしまう。想像できてしまう。どのような生物でも、本能的に死に怯えることはあるだろう。ウサギが空腹のライオンに直面したら、臨戦態勢を整えるか、身動きがとれなくなるか、ともなく何かしらの反応を示し、そこに「恐怖」と呼びうるものが含まれていることは間違いない。

しかし人は、そんな実際的な危機的状況になるはるか以前に、「死を想う」ことができてしまう。理性を持った人間は、死を想いながら、生きていくことを定められているのだ。

別の言い方をしよう。自我の機能の一つは「自己同一性」の保持である。それは「自分は自分である」という感覚の担保だ。もっと言えば「自分は自分であり続ける」ことこそが自我(という機能)の存在理由である。「死」の認識は、それに刃向かう剣である。自己同一性において、死は決定的な否認となる。

思考実験をおひとつ

空想的に思考実験してみよう。あなたがもし単一個体の自己同一性を持たず、集合的意識の一部であるとしたら。あなたは「死」を恐れるだろうか。もちろん答えはノーだ。「あなた」という感覚を生みだし、支え続けている精神機構が自己同一性を持っていないのなら、死は何の反抗にも抵抗にもならない。単なる一つの事象と見なされる。

問題は、それは思考実験に過ぎず、私たちは「わたし」という自我を有していることだ。その自我は、自らの役割を否定するものと共に歩んでいかなければならない。まるで人が影と寄り添って歩くようにだ。

装置での対抗

このような不安定とも呼べる状況に、人(あるいは人類)は、メカニズムを持って対抗してきた。それこそが人類が進んできたすべての歩みでもある。単に環境に適応するだけではなく、環境を変えてしまう「道具」を作ること。それが人類が人類たるゆえんであり、死の恐怖もまた、その対象となった。

以上が「恐怖管理理論」の前提にある。そして、中心理念は以下の二点だ。

第一に、文化的世界観に対する信念を持続する
第二に、「自尊心」を高め、維持する

簡単に言おう。人は死を免れられない。しかし、死を超越したもっと大きなもの(Greatなもの)があり、自分がその一部だと認識できたなら、どうだろうか。死を恐れる「わたし」は、その恐怖を完璧にゼロにはできないにせよ、かなりの癒しがもたらされるのではないか。自分が不死になれなくても、不死性を持つものに接続できる、あるいはその一部と見なせる。その認識は、防壁となり、私たちが持つ死の恐怖を和らげてくれる。だから、日常生活において、30分に一回死の恐怖に怯えて何も身動きがとれなくなる、といった事態に見舞われなくても済む。

人間の心理機構をこのように捉えるのが「恐怖管理理論」である。まず私たちは「文化的世界感」によって、不死性が認められるものを獲得する。基本的にそれは共同幻想であって構わない。宗教でも共同体でも靖国神社であってもなんでもござれだ。そうした死を超越しるものを仮設__『サピエンス全史』の著者ならば虚構だと呼ぶだろう__した上で、自分がそこに属している感覚を持つこと。それが一般的に「自尊心」と呼ばれるものである。

この二つの要素__文化的世界観を自尊心__によって、人は防壁を築き、死への恐怖を緩和している、というのが「恐怖管理理論」である。ずいぶん興味深い話ではないか。

たとえば、現実の世界にもインターネットワールドにも、極端に間違いを認められない、謝れない人たちがいる。そういう人たちを揶揄して「謝ったら死ぬ病」なんて呼び方をするが、恐怖管理理論に照らし合わせてみれば、それは揶揄でも誇張でもないことがわかる。

もし謝ることが、その人の自尊心を傷つけるに値することであれば、その行為は防壁の一部を壊すこととイコールなのだ。ウォール・マリアの町に住む人に、「ねえ、ちょっと壁壊してみたら?」と提案したら、気が触れたと思われるだろう。その人にとって謝ることは、まさにそれと同じ行為なのだ。謝ったら死ぬ(=不死性が棄損される)のだ。

自尊心ではなく、文化的価値観についても似た話は多い。人は自分が所属する共同体もろもろが非難されると、異様なまでに怒り出すことが多い。もちろんそれは集団的反動を伴うので、ときに血で血を争う抗争にまで発展してしまう。なにせ攻撃された側も、自らの不死性に危機が迫っているわけだから、死にものぐるいで反撃してくるだろう。こうして戦火は広がっていく。人間が経済合理性を信奉するエージェントであれば、まったく考えられない行動だ。でも、実際の人間はそのような行動をとり、歴史に血の色を刻んできた。なぜか。文化的世界観を攻撃されることに、自我が耐えられないからだ。それは不死性への叛逆なのだ。

わたしの「神」(他の何かでもいい)は正しい。私はその神に所属している。だから、別の神が正しいと良い、私の神が間違っているという人間は滅ぼさなければならない。もし、彼らの神が正しいのならば、私の神が間違っているのだから。そんなことはあってはならないし、あるべきでもない。さあ、旗を掲げよ。

こういうわけだ。

理性的に考えれば、各々が自分のうちなる神を静かに信奉していればいい。真なる信仰とはそのようなものであろう。しかし、絶対的な不死性という点を考えると、いろいろな「神」(何度も言うが別の何かでもいい)の存在は都合が悪いのだ。文化的成熟が未熟で、人が自分を依託できる文化的世界観が限られている場合、正しい「神」を競うための諍いが起こるのは、(少なくとも恐怖管理理論からすれば)ごく自然な話である。

二つの不吉な連想

本書はその恐怖管理理論をベースにして、死への恐怖がどんなメカニズムによって緩和されているのか、そしてその恐怖がどのような影響を人間の行動に与えるのかが詳しく論じられている。

いささかショックであり、行動経済学的な話でもあるのだが、判事に、死を想うような情報を与えると、売春婦に言い渡す判決(保釈金の額)が変わってしまうという実験は、考えさせられるものである。もちろん、死を想った方が、より懲罰的であったのだ。死が意識されると、自分の文化的世界観を守ろうとして、ルールから逸脱した人を攻撃してしまう。これを逆に見れば、ルールから逸脱した人を激しく攻撃している人は、必死で自分の文化的世界観を守っているのだと考えられる。

ここから二つの不吉な連想が広がる。一つは、テクノロジーの進化によって、私たちがこれまで以上にフィルターバブルに閉じ込められるとき、この文化的世界観を巡る闘争は、一層激しさを増すだろうという予想だ。フィルターバブルは、文化的世界観を多様に(あるいは多層に)するようには作用しない。むしろ単一の文化的世界観を強化するように働く。となれば、その世界観が攻撃されれば、目を覆いたくなるような反撃が始まるだろう。アメリカで生じつつある出来事は、その前兆なのかもしれない。

もう一つは、人が恐怖の示唆によってその行動を変えるのならば、そしてその変化に傾向があるのならば、虐殺のための文法というのは、存在しうる、という話である。その意味で、心に住まうその虫こそが「虐殺器官」を成り立たせているのかもしれない。

もちろん恐怖管理理論は、人の意思決定を理解し、それをより良き方向に導くために使えるはずである。しかし、そこに潜む人間の心のトラップには、恐怖を感じずにはいられない。

▼こんな一冊も:

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
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【書評】立て直す力(ブレネー・ブラウン)

後悔しないで生きていくにはどうするか?

一切の内省を排除すればいい。感情をそぎ落とせば、あらゆる苦難から解放される。ばかばかしい答えかもしれないが、ある種のポジティブ教が言っているのはそういうことである。何もかもを肯定することは、何も考えないのと同義だからだ。

本書のアプローチは違う。

※献本ありがとうございます

悲しいほどに現実的であり、それはまた人間的でもある。

概要

著者のブレネー・ブラウンはソーシャルワークについての研究者だ。以下の動画でご存じの方も多いかもしれない。

その著者が、「倒れた自分を起き上がらせる」のプロセスを開示したのが本書である。目次は以下の通り。

イントロダクション――果敢に挑み続ける価値
1章 「立て直す力」10の法則
2章 立て直すプロセスを理解する
3章 最良のストーリーをつくる
4章 自分の感情を自覚する
5章 ストーリーを整理整頓する
6章 境界線を引く方法
7章 傷つく勇気をもつ
8章 助けを求める勇気をもつ
9章 倒れた時の立て直し方
10章「恥ずかしい自分」を受け入れる
11章 立て直す力を身につける

最初に断っておくと、「倒れた自分を起き上がらせる」ことは簡単ではない。嫌悪される勇気を持てば、世界はあっという間に塗り変わる、なんてことはない。それには時間もかかるし、痛みも伴う。「楽しく」生きていくためには、無用のものだろう。なにせ、倒れた自分を自覚さえしなければ、倒れたことにはならないのだから。

人間はそういうことをよく行う。明らかに倒れているにも関わらず、それを無視するのだ。「ちくしょう。地球の方が俺にぶつかって来やがった」そう言っておけば、自分が倒れた事実はどこにも存在しない。そして他者に憤怒と憎悪をまき散らすことになる。

自分が倒れたことを認めるには本当に勇気がいる。自分の心が恥辱に染まっていると自覚することにすら恥の感覚が伴うのだ。よく言われる「弱い心」__本当は非常に強力なのだが__に自分がまみれてしまっていることを自覚しなければならない。それは辛いものだ。

しかも、である。自覚したからと言って即座にそれを克服できるわけではない。ある種の刺激に対して起こる自分の反応は、かなり強固なもので、変更を加えるにはタフな努力が必要となる。怒りでカンカンになっている人に、「あの人も別に悪気があってやったわけじゃ……」とアドバイスしたことがある人ならば、容易に理解されるだろう。「そんなわけあるか」で一蹴である。それと同じ心のメカニズムが自分に対しても起こる。考え方を変える、それも自覚的に考え方を変えるのは至難の業なのだ。

そんなことをするくらいなら、自分が倒れたことを無視すればいい。何もかもが他者のせいにして、自分はひたすらに被害者ぶっていればいい。少なくとも、それで自分が持つ心の弱さについては自覚しなくて済む。

むろん、それで状況が改善することはまずない。自覚のないところに、改善などありえない。

本書は、著者自らの体験を交えて、人がどのように倒れ、そこにどんな感情と痛みがつきまとい、そこからどのように立ち上がるのかが克明に明かされている。とは言え、本書のアプローチがどこまで有効なのかは私には判断がつかない。なにせ私は専門家でもないし、実証実験で確かめられるものでもないからだ。

それでも、自分が頭の中でこしらえた「ストーリー」を記述してみる方法は、実体験から言っても有用だと感じる。心の中にあることを書き出すのは、それを整理するために必要なプロセスである。その場所は、パブリックに共有される場所であってはいけない。本当に信頼できる人、そうでなければずっと口をつぐんで寄り添ってくれるノートが必要だ。その意味でも、ノートはあなたのパートナーとなりえるし、あなたそのものを吐露する場所だと言える。

そこに自分が感じている、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱といったものを書きだし、それが何に由来するものなのかを検討してみる。最初は、すべて他者のせいだという自分の声が聞こえるだろう。それこそがでっち上げた「ストーリー」であり、あなたの心を束縛しているものでもある。

本書で紹介されている面白い「実験」がある。これは私の体験からも頷ける実験だ。

「人は皆、最善を尽くしているか?」

この問いにノーと答える人は、他者を攻撃しがちであり、悪しき完璧主義に陥っている。そして「〜〜すべき」という言葉をよく使う。自分が最初に思いついたストーリーに固執し、他の可能性について考えることができず、攻撃的に振る舞う。もちろん、その人もまた、最善を尽くしているのだ。この話の難しいところはここにある。だから、変えるのが難しいのだ。

一つ言えることは、人の強さとは、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱を持たないことではない。それは単なるロボットであり、言ってみれば強力な自己催眠を施しているだけである。人間的でなくなれば、人間的な弱さからは開放される。それと同時に人間的な強みも失う。目指したい場所はそこだろうか。

むしろそのような感情が自分にも生じることを認め、それを受け入れた上で、克服することが強さであろう。そして、その強さは他者に向ける眼差しにも反映される。自分にだって限界があり弱さがある。だったら、他者もそうだろう。人はそれぞれに最善を尽くして生きている。どう考えてもそうはみえないときもあるだろう。が、そんなときにそう思い直すことが、一つのゆるしである。それは人の、いや人間の気高き力なのだ。

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裏NovelJamも無事終了しました

まずは、表の「NovelJam」。Twitterのハッシュタグを見る限りでは大きな盛り上がりだったようです。レポート記事も見かけました。盛況であったなら、なによりです。

しかしながら、二日間で本を仕上げ、販売にまで持っていくというハードなセッションにも関わらず、きちんと本ができあがっているのは実に素晴らしいことです。以下のサイトで完成本及び受賞作が発表されております。

NovelJam 2017 – Powered by BCCKS / ブックス

中身もそうですが、表紙作りも大変だったのではないかと推測します。この辺は自分でセルフパブリッシングしているので、しみじみと感じるところです。

ともあれ、皆様お疲れ様でした。次回の開催も心待ちにしております(参加できたら…いいな…)。

で、もって裏です。勢いで発表してしまったので、最悪誰も集まらない、集まっても2〜3人くらいかな〜と悲観的な予想をしておりましたが、結果的に9作品もの投稿が。

タグ「裏NovelJam」がついた小説一覧 – カクヨム

いやはや嬉しい限りです。こちらも二日間で小説を完成させるということで、いろいろハードだったかと思いますが、ご参加ありがとうございます。

ちなみに私は以下の作品を投稿しました。

断片的詩編(倉下忠憲) – カクヨム

ブログなら2000文字程度で1記事としていますが、今回は500文字程度で細かくビートを刻んでいく形で投稿してみました。それでも6000文字程度の作品になったのだからなかなかたいしたものです。さすがにこれを毎日やれと言われると厳しいですが、期間限定なら、ブーストをかけるのはちょうどよいかもしれません。

あと、今回初めてカクヨムを使って小説を投稿したわけですが、とても心地よくエピソードを投下していけました。ルビ振りが楽なのもいいですし、連続投稿を念頭に置いてあるUIなのでサクサク投稿していけました。また利用させていただくかもしれません。

というわけで、「NovelJam」の第二回が行われる際には、裏の方の第二回も行われる可能性が大です。乞うご期待。

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裏NovelJam開催に向けて

さて、日本独立作家同盟主催のNovelJamがいよいよ2月4日~2月5日に開催されます。

NovelJam(ノベルジャム)|NPO法人日本独立作家同盟 on Strikingly

遠方に住んでいるので直接参加するのは難しいわけですが、何かしら別の形でこのイベントを盛り上げられたらなと思い、「そうだ、裏NovelJamをやってやろう」と思いつきました。ようは、イベントには参加しないが、イベントと似たようなことをオンラインでやろう、という試みです。

とはいえ、あまり「イベントです!」と硬い形にしてしまうと、参加する敷居が高くなることは容易に予想できるので、単に「NovelJamを一つのきっかけにして小説を書いて公開しよう」ぐらいのノリに留めておきます。まあ、何かしらのきっかけは大切ですね。

というわけで、だいたいは本家NovelJamのルールを踏襲します。

  • 2月4日〜2月5日で小説を完成させる
  • テーマは「破」
  • ジャンル・形式は自由
  • 文字数も規定なし
  • 単に話を終わらせればOK
  • 公開場所は「カクヨム」とする
  • タグに「裏NovelJam」をつける

以上です。別にコンテンストでもなんでもないので、後は自由に解釈してください。というか、タグに「裏NovelJam」をつけてもらえば、あとはなんでも構わないというのが本当のところです。あっ、テーマの「破」はもちろん絡めてくださいね。

screenshot
※タグの設定

screenshot
※ここに表示される

特に賞品が出るわけでも、賞金が出るわけでもありませんが、一つの「祭り」だと思っていただければ幸いです。まあ、誰も参加しなくても、私はとりあえず書くことにします。

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【書評】『アイデア大全』(読書猿)

「人類よ、これが発想法だ」

思わずそんなハリウッド映画的キャッチコピーを思いついてしまう本である。古今東西の発想法を俯瞰し、位置づけ、整理した上で、それぞれに解説が加えられている。

アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール
読書猿
フォレスト出版 (2017-01-22)
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著者は読書猿。というか実際はメルマガ「読書猿」あるいはブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」の中の人なのだが、提喩としても読者の感覚としても読書猿で間違いはないだろう。少なくとも私にとってはそうである。

さてそのブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」であるが、これはまあ、「東に千夜千冊あれば、西に読書猿あり」くらいの存在である。まあ、どちらも西なのかもしれないが、ここではそれは気にしない。ともかく、本を貪るように読み、知識を探求し、一歩間違えれば自分で概念を構築してしまいがちな人にとっては、ある種の「宝物庫」である。

本書から受ける印象も近い。「大全」の名は伊達ではなく、よくもここまで集めたなと感嘆が漏れる。まるで、アーチャーとして顕現したギルガメッシュのゲート・オブ・バビロンを眺めているようだ。もはや、その光景だけで神々しさすら感じられる。人類の知を扱う技術を辿る旅は、それだけで読み応えのあるコンテンツとなる。

しかし本書は、実用書であることからまったく逸脱していない。それは拍手を送っていいだろう。そうでなければ、この本は必要な人には届かないのだ。本書の基本は、あくまで発想法を「使う」ことにある。だからこそ、各発想法にレシピとサンプル(実際例)がついている。その意味で、本書は非常に使いやすいノウハウ書だとも言える。

同じように発想法を集めた本としては、マイケル・マハルコの『アイデア・バイブル』があるが、本書はそれよりも広く・深く発想法が収集されている点が大きく違う。ビジネスや学術の分野だけでなく、宗教や呪術の分野にまで分け入って行われるその収集(いっそ狩猟と言った方がいいかもしれない)によって、本書には非常に多様な発想法が集まっている上、それぞれの発想法の文脈的解説まで行われている。

アイデア・バイブル
アイデア・バイブル

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マイケル・マハルコ
ダイヤモンド社
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技法的解説を行う本は珍しくないが、文脈にまで踏み込んだ本は稀有であろう。その解説によって、私たちはそれぞれの発想法を一段深く理解し、他の発想法との関係性を連想できるようになる。このような仕事は、本書内でも紹介されているカイヨワの知的活動に近く、それだけで目を見張るものがある。

本書ではそのように収集された42の発想法が、

01 バグリスト/02 フォーカシング/03 TAEのマイセンテンスシート/04 エジソン・ノート/05 ノンストップ・ライティング /06 ランダム刺激/07 エクスカーション/08 セレンディピティ・カード/09 フィンケの曖昧な部品/10 ケプナー・トリゴーの状況把握/11 空間と時間のグリッド/12 事例-コード・マトリクス/13 P.K.ディックの質問/14 なぜなぜ分析/15 キプリング・メソッド/16 コンセプト・ファン/17 ケプナー・トリゴーの問題分析/18 仮定破壊/19 問題逆転/20 ルビッチならどうする?/21 ディズニーの3つの部屋/22 ヴァーチャル賢人会議/23 オズボーン・チェックリスト/24 関係アルゴリズム/25 デペイズマン/26 さくらんぼ分割法/27 属性列挙法/28 形態分析法/29 モールスのライバル学習/30 弁証法的発想法/31 対立解消図(蒸発する雲)/32 バイオニクス法/33 ゴードンの4つの類比(アナロジー)/34 等価変換法/35 NM法T型/36 源内の呪術的コピーライティング/37 カイヨワの〈対角線の科学〉/38 シソーラス・パラフレーズ/39 タルムードの弁証法/40 赤毛の猟犬/41 ポアンカレのインキュベーション/42 夢見

2つのパート、11の章に分けられている。

第I部 0 から 1 へ
 第1章 自分に尋ねる
 第2章 偶然を読む
 第3章 問題を察知する
 第4章 問題を分析する
 第5章 仮定を疑う
第II部 1から複数へ
 第6章 視点を変える
 第7章 組み合わせる
 第8章 矛盾から考える
 第9章 アナロジーで考える
 第10章 パラフレーズする
 第11章 待ち受ける

注目したいのは、二つのパート分けである。第Ⅰ部は「0から1へ」ということで、何も無いところから何かを見出すための「発想法」が紹介されている。しかし、無から有を生み出すことはできないのだから、そこで行われることは、ざっくり言えば「問題設定」である。問題が見えていないところに問題を設定(見出す、命名、たぐりよせ)したり、すでに存在している問題を再解釈したり、再定義することが「0から1へ」の発想法となる。

この発想法は、0→1であるからして創造的でもあるが、それはつまり破壊的でもある。どういうことかは後で説明するとして、次のパートに入ろう。

第II部の「1から複数へ」では、すでにある1を多様に膨らませていく発想法が紹介されている。一般的に発想法と言ってイメージされるのはこちらの方だろう。『アイデアのつくり方』で有名なヤングの定義(「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」)もこちらに属している。システマティックな方法もあり、逆に遊びに近いものもあるが、概して非常に身近な発想法(というよりも頭の使い方)と言える。

アイデアのつくり方
アイデアのつくり方

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ジェームス W.ヤング
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たとえば、出版社に勤めている編集者がいて、半年で6冊本を出版しなければいけないとしよう。そのとき、「アイデア出し」として活躍するのは「1から複数へ」の方だ。自分の手持ちのアイデア、書店で売れてる本、雑誌やテレビの人気の企画といったものを「既存の要素」として扱い、それらの新しい組み合わせを考えれば、企画案はいくらでも湧いてくる。

しかしそのとき、「なぜ半年で6冊も本を出版しなければならないのか?」という問いを立てることもできる。込み入った話は避けるが、出版業界の事情がそこにあるとして、「じゃあ、新しい出版のビジネスモデルを構築しよう」と思い立つかもしれない。それは、極めて創造的な行為だが、「日常」に対する破壊行為だとも言える。

以上のように、0から1を作り出すときには、たいてい別の何かを壊すことにつながるので、発想法にもTPOはある。必要とされる発想(の土俵)があり、それに適した発想法があるのだ。その意味において、本書のパート分けには好感が持てるし、実用的でもあろう。

各発想法のより細かい分類については、11の章が担当している。章題で端的に要約されているので、ここでの解説は不要だろう。ちなみに私は『ハイブリッド発想術』において、発想法を以下の4つに分類した。

  • 制約設定法
  • 自由連想法
  • メタ思考法
  • トリガーワード法

今見返しても十分機能する分け方だと思うが、本書に比べると若干実用性に欠けるかな、という印象もある。そのあたりを今後掘り下げてみるのも良さそうだ。その辺のアイデアもモクモクと刺激される本である。

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術)
倉下 忠憲
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さいごに

「大全」とある通り、本書は一通り読んだ後、本棚に置いておける本だ。発想の行き詰まりを感じたら、手にとってパラパラと読み返しこれまでと違った発想法を試してみる、といったハンドブック的な使い方ができるだろう。

それはそれとして、本書は発想技法の歩みとして読んでも面白い。これだけ網羅的な(トランス・ジャンル的な)知的生産の技術系の本はめったにない。その意味でも、著者の続刊には期待している。

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2016年の<びっくら本> #mybooks2016

2016年に読んだ本で面白かった本を紹介します。

まずは総合部門というか、「とりあえず、これ読んでおけば」大賞。

………
………
………
……
……
……


はい、やっぱりこの本です!

しつこいくらいに紹介していますが、それくらいの価値がある本です。上下巻ですが、ちっとも長くは感じないと思います。

書評は以下。

【書評】サピエンス全史 -文明の構造と人類の幸福(ユヴァル・ノア・ハラリ)

あとは、個別のカテゴリに分けて紹介していきます(順番に特に意図はありません)。

セルフパブリッシング

長袖にきがえました
犬子 蓮木
もふもふ出版 ( 2016-01-09 )

犬子蓮木さんの『長袖にきがえました』は寂寥感溢れる作品。ドラマチックとか、カタルシスといった「ありがちな展開」の枠組みにはまらない世界を提供しくれます。

悪魔とドライヴ
ヘリベ マルヲ
人格OverDrive ( 2016-02-14 )

ヘリベマルヲさんの『悪魔とドライヴ』は、バイオレンスな要素のある「恋愛小説」。スピード感ある展開と、独特な描写が魅力です。

赤井五郎さんの『チョコレートの天使』は、異世界のファンタジー。それも、かなり緻密に作り込まれた独自の異世界です。非常に細かい想像力には脱帽させられます。

広橋悠さんの『IMAGO』は、ユートピア/ディストピアSF。未来の話でありながらも、現代への暗喩がしっかりきいています。

Lost in Conversation
王木亡一朗
ライトスタッフ! ( 2016-10-27 )

王木亡一朗さんの『Lost in Conversation』は、なんというかやるせない/切ない作品。構造的にも工夫がありますが、それ以上にうちに秘めた情熱(=エネルギー)が感じられます。

Lyustyleさんの『25年前からのパソコン通信』は、少し複雑な構造を持ったエッセイ集。シドニーに赴任していた時代の過去の自分の視点を掘り起こすという体裁で、世代が近い人は昔を懐かしみながら、世代が遠い人は異文化に触れるような、そんな感覚で読めそうです。

Tak.さんの『Piece shake Love』は、エッセイ集……と言っていいのかわかりませんが、何かそういったものです。本全体が独特のリズム感で構成されていて、簡単な説明を拒絶している雰囲気があるので、簡単に説明するのは諦めておきます。

メディア論

一人で雑誌を作り続け、ときの権力をそこから批判し続けた男カール・クラウス。私の月くら計画や、「かーそる」という雑誌のロールモデルというわけではありませんが、「うんうん。そうだよな。マスメディアにはできなことってあるよね」と思いを強めた本ではあります。

ネット小説が売れる、という内容よりも、メディア間の変換や、既存メディアの衰退と変化についての視点が面白かったです。

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか
ジェフ ジャービス, 茂木 崇
東洋経済新報社 ( 2016-05-27 )
ISBN: 9784492762257

ここ最近、キュレーション風メディアの話題が盛んですが、結局それは、インターネットとメディアの関係の些末な話でしかありません。ビジネスモデルをどう構築していくのか。そのときに絶対に守らなければならない価値とは何なのか。腰を据えて考える必要があるでしょう。

現代における情報環境について考える上では必読の一冊でしょう。Rashita’s Book Selection100にも入りそうな一冊です。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ, ジャン=クロード・カリエール
CCCメディアハウス ( 2010-12-17 )
ISBN: 9784484101132

紙の本の話はメディアの話でもあります。本はデジタルメディアに比べて長生きするといった言説もありますが、紙もやっぱり物質であり、いずれは風化して読めなくなります。慎重に保存しておければたしかに長持ちするでしょうが、手にとってページが捲れない本は、つまり情報を日常的に伝達しない本は、そもそも「本」としての機能を失っています。その意味で、やはりデジタルメディアについても考えて行かざるを得ないでしょう。

生き方・ライフスタイル

私も、一人で在野で生きているので、こういう本には励まされます。

科学・文化

ほんと面白いです。『サピエンス全史』では、数行で触れられているだけですが、もちろん本一冊になる内容です。

私は「意識は傍観者である」という言説には__特に「意識は完全に傍観者でしかない」という言説には__反対ですが、それでも本書の知見は非常に面白く、かつ役に立つものです。この場合の役に立つは、実利があるというよりも、人間に対する理解が深まるという意味であることは言うまでもありません。

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト ( 2016-09-05 )
ISBN: 9784772695527

上の本の内容にまっこうから反旗を翻しているのがこの本。本書で自由意志の存在が守り切れたのかどうかはわかりませんが、個人的にはこのアプローチを伸ばしていってもらいたいところです。

「常識」の研究 (文春文庫)
山本 七平
文藝春秋 ( 2015-06-10 )
ISBN: 9784167903930

古い本ですが、書いてある内容がまったく古びていない=日本文化がほとんどかわっていない、という半ば絶望にも似た気持ちが湧き上がってきます。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。
栗原一貴, 西田健志, 濱崎雅弘, 簗瀬洋平, 渡邊恵太
ビー・エヌ・エヌ新社 ( 2016-10-24 )
ISBN: 9784802510301

ライフハックの本として読めますし、学びも多いことでしょう。

情報概論

もし『サピエンス全史』がなければ、総合部門はこの本だったでしょう。私たちがいかにして「学ぶ」のか。そのエッセンスがわかりやすく紹介されています。おそらく本書で紹介されている知識の形成は、(こういう言い方は若干うっとうしいですが)ほんものの教養の形成と呼応しているでしょう。そこにはネットワークが存在するのです。

「考える」の型を、数々の文章を引きながらモデル化した本。似たようなことをやろうと思ったので参考になりました。読み物としても知的な刺激に溢れています。

思考のエンジン
奥出直人
株式会社 青土社 ( 2012-10-10 )
ISBN: 9784791726714

けっこう難しい内容なのですが、惹きつけられてしまいます。特に、「考える道具としてのコンピュータ」という視点は、今後もっと重要になっていくでしょう。

いや〜すごいですね。だってアウトライナーで一冊の本が生まれるんですよ。でも本書は、アウトライナーの本というよりも「考える」ための本です。考える道具としてのアウトライナーです。

かなり甘く見ていた本ですが、本を読むとはどういうことか、について深々と考えさせられました。いかにも哲学者という感じの内容ですが、耳を傾けるべき内容が含まれています。

思想・哲学

考える道具(ツール)
ニコラス ファーン
角川書店 ( 2003-03-18 )

著名な哲学者が、「どのように考えたのか」を振り返りながら、私たちにも使えそうな道具としてそれを提示するという内容。「何を考えた」のではなく「どのように考えたのか」にフォーカスを当てているのが面白いですね。非常にライトな哲学の歩みとしても読めないことはありません。

現代思想史入門 (ちくま新書)
船木 亨
筑摩書房 ( 2016-04-05 )
ISBN: 9784480068828

こちらはかなりディープな現代思想史。分厚いです。込み入った思想の流れを、あえて整理することなく、複雑なものは複雑なままに提示しようと試みています。

ロラン・バルトの著作は一冊も読んだことがありませんが、本書を読んでいると彼のスタンスには心惹かれるものがあります。でもって、彼の人生の歩みはまるで小説のようでもあります。

感情化する社会
大塚英志
太田出版 ( 2016-09-30 )
ISBN: 9784778315368

現代が感情化しつつある、という側面はたしかにあるでしょう。村上春樹作品への言及は、ちょっと私の理解が及びませんでしたが、現代の文学が変容しつつあるという指摘は面白かったです。

ビジネス一般

本書では短期のアテンションと持続するアテンションの違いが言及されていますが、最近インターネットで増えつつある「お手軽情報メディア」は、……まあ言わないでおきましょう。

これはもう必読の一冊でしょう。とは言え、ここまで概念が普及していると__『読んでいない本について堂々と語る方法 』の考え方に倣えば__別に読まなくてもいいと言えるかもしれません。でも、クリス・アンダーソンは文章がうまいので、面白く読めると思います。

ライトノベル

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン (電撃文庫)
宇野朴人
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス ( 2012-06-08 )
ISBN: 9784048865593

今年新しく読み始めたシリーズとしては筆頭の一冊。結構真剣に「なんでもっと早く読んでなかったんだろう」と思ったほどです。ファンタジーの戦記物ですが、若干ひねくれたヒロイックもので、さらに「科学」の扱い方がとても面白いです。

ソードアート・オンライン×渡瀬草一郎。これはもう読むしかありません。個人的には、このSAOのスピンオフが広がっていくことそのものが≪ザ・シード≫的で面白いと感じます。たぶん一人の作家の想像力をゆうにこえた世界がそこでは展開されていくことでしょう。

マネーものが好きならばオススメ。続編も出ています。いっそビジネス教養ライトノベルとすら言えるかも。

SF

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)
アンディ・ウィアー
早川書房 ( 2014-08-22 )
ISBN: 9784150119713

最近ちょいちょいSF熱が高まっていますが、これは文句なしに面白かったです。ハードなSFの「設定ごり押し」という感じはほとんどなく、主人公に絶妙に共感できる見事な作品です。

TAP (河出文庫)
グレッグ イーガン
河出書房新社 ( 2016-06-07 )
ISBN: 9784309464299

はじめて読んだグレッグ・イーガン。なんかね、もうね、すごいです。やはりSFは設定よりも、世界を見つめる視線こそが大切だと感じます。

『火星の人』はセルフパブリッシングスタートとして有名になりましたが、本書も同様です。こちらは厨二マインドをくすぐるあらゆる設定をぶちこんできたような作品。時間の行き来と視点の行き来が激しいので、若干読むのに慣れが必要ですが、それでも人類の誕生から進化までを辿っていくストーリーは『サピエンス全史』的ですらあります。

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)
フレドリック ブラウン
早川書房 ( 2016-10-21 )
ISBN: 9784150120979

私はキレの良いショートショートが大好きなのですが、本書はまさに大好物な一冊。狂気を扱った短編集で、読んでいく内に、私たちの正気と狂気の境界線が曖昧になっていきます。

コミック

今年から読み始めたシリーズとしてはやはりこの一冊。SF・ショートショート・ブラックジャック、あたりのキーワードが引っかかるなら、本シリーズも間違いなく面白いです。

さいごに

というわけで、ざざっと紹介してみました。10冊くらいにしようかなと思ったのですが、まったく絞り込めなかったですね。もちろん、他にも紹介しきれない本がいっぱいあったわけですが。

ちなみに具体的な紹介については、当ブログの書評記事かHonkureで書いてあると思いますので、また書名で検索してみてください。

では、皆様も実り多き読書ライフを。

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現代の知的生産と未来の知的生産

12月10日、rondokreantoで開催されたシンポジウム「現代の知的生産の技術」に参加してきました。

シンポジウムは二部立てで、暦本純一さんの「知的生産とは」と、堀 E. 正岳さんの「フィールドノートからエバーノートへ」。それぞれのセッションの後には、会場からの質疑応答もあり、こちらも大いに盛り上がっていたのは、さすが「知的生産」に関心を持つ人たちというところ。分野もさまざまな人が参加していたので、なかなか新鮮な体験となりました。

で、今回はちょっと考えたことをつらつらと書いてみます。

静けさとCAI

知的生産の技術 (岩波新書)

『知的生産の技術』で梅棹さんは、整理作業を行うことの意義を「能率」ではなく「秩序としずけさ」を求めるためだ、と書かれています。これを、マーク・ワイザーの「カーム・コンピューティング」(calm computing)とからめて、「意識されない技術」についての研究をいくつかご紹介くださりました。自動的に顔だけを隠す「窓」などは、いろいろ発想を刺激されます。

また、文明を人類と装置からなる一つの系(システム)だと捉えた梅棹文明論を踏まえた上で、人間と機械の新しい関係性についても触れられていました。ウィーナーのサイバネティックス的であり、現代ではもう当たり前になりつつある話でもあります。チェスプレイヤーを打ち負かすコンピュータが存在するならば、そのコンピュータを使って人間同士が対戦すれば「より良い手」を見つけられるのではないか、という発想は、案外『ヒカルの碁』で示されていた藤原佐為と進藤ヒカルの「協力プレイ」をメタファーとして捉えられるかもしれません。

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)
ヒカルの碁 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

一方で、AIの進化が行きすぎてしまうシンギュラリティなどの懸念もあるわけですが、この話は10年、20年のスパンで考えても意味がなく、もっと長い文明史全体のパースを得る必要があるでしょう。そのあたりは、2016年の傑作本と言っていい『サピエンス全史』が面白いでしょう。もちろん、ケヴィン・ケリーの著作(『テクニウム』『〈インターネット〉の次に来るもの』)も参考になりそうです。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

ここまでを踏まえた上で少し考えておきたいのが、梅棹さんが「秩序としずけさ」を求めた理由です。なぜ、それが必要だったのか。忘れてはいけないのは、彼は世界中を飛び回り、いろいろな組織に関与し、現実的にも忙しく働いておられたことです。つまり、日常生活は知的な刺激で満ちていたのです。でもだからこそ、そうして頭に(あるいは心に)溜まったものを整理する時間が必要でした。その時間は__脳が寝ている間に情報を整理するように__しずかでなければならないのです。

ここは案外重要なところで、「秩序としずけさ」が必要だというのは、その前提にその他の時間で刺激が(あるいはノイズが)たくさんあるから、という要素があって、つまりこれはハレとケのような関係性になっています。どちらかだけではダメなのです。

騒がしい日常の中に、一種の静謐な時間をいかに設定するかという視点が必要であり、つまりこれは書斎論の話でもあります。「現場」の話ではないのです。家の中の書籍や資料をすべて捨て去れば、圧倒的な「秩序としずけさ」が訪れるでしょうが、そこから何かを生産できるかはなかなか怪しいところです。人間の脳は、インプットに反応してアウトプットを生み出す点を忘れてはいけません。

もう一点、機械化人間のお話ですが、やはり気になるのはCAIの行方です。CAIとは私の造語でCAD(Computer-Aided Design)をもじった言葉です(Computer-Aided Intellectual)。

すでに現在でも私は機械と一体化してこの文章を紡いでいます。神林長平の「ワーカム」を使っているわけではなく、ただパソコンのエディタを使っているだけですが、人馬一体ならぬ人機一体の感覚がそこにはあります。私はエディタに作用して文章を紡いでいるわけですが、間違いないくエディタからも作用が返ってきていて、完成する文章に影響を与えています。ただ、その影響そのものは目には見えませんし、体感としても感じられません。比較する対象がないからです。

言壺

万年筆と原稿用紙からワープロに移行した経験を持つ世代なら、その差異には気がつかれるかもしれません。あるいは、現代でも積極的に口述筆記(Siriに話しかけてメモをとる)を行われている方ならば、タッチタイピングとの感触の違いを自覚されているでしょう。私も、たまに口述筆記は使いますが、面白いことに(あるいは恐ろしいことに)機械の仕様に合わせて口にする言葉が変わるのです。機械に受諾されやすい言葉を意識的に(つまり、いずれは無意識的に)選択するようになっています。最近はGoogle翻訳の精度も上がっていて、いずれは「機械翻訳しやすい言葉遣い」が、世界レベルの発信を見据えた人には当たり前になるかもしれません。

文体という個性が欠損する代わりに、より広範囲に広がる可能性を手にできるというトレードオフは、私たちに「守りたいものは何なのか」という問いを突きつけてきます。

もちろん、以上のような作用・反作用は、別に対機械だけで起こっているわけではなく、毎日つぶやいている人間は140字縛りの文体を手にしていきますし、ブログでも同様です。マクルーハンが予言したとおり、メディアはマッサージなのです。その作用は受信する側だけではなく、発信する側にも確実に影響を与えます。

メディア論―人間の拡張の諸相
メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

今後、機械を使った知的生産から、AIを使った知的生産に徐々に移行していく流れが生まれてくるでしょう(もう生まれているという意見もありそうです)。そこでまず考えなければならないのは、そのすべてをAIに委譲するのか、それとも新たなチェスプレイのようにコンピュータのアシストを得ながらも最終的には人間の関与を経てアウトプットを行うのか、という選択です。機械が私たちに作用を与え、それが「人間」というものを形作っていくことを考えれば、この選択は軽くありません。でもってそれは「人間とは何か」という形而上的な問いと実際的に向き合うことでもあります。

仮にAIを補佐として位置づけるCAIの道を選択したとしても、どこまでその関与を許容するかの線引きがあります。「ワーカム」は恐ろしく便利な存在ですが、そこで行われる知的生産においては人間はただの従属物でしかありません。これは、昨今のパクリメディア事件が抱える根本的な問題も明示しています。

1. 私「こういう文章が書きたい」→AI「こういう資料がありますよ」

2. AI「こういう文章を書いてください。文章の選択肢はこれとこれとこれです。選んでOKボタンを押してください」

どちらの未来を私たちは選ぶことになるのでしょうか。これは思ったほど簡単な問題ではありません。

創造(クリエイティブ)とは、ほとんど大半は決定に過ぎないのです。OKボタンを押すかどうかなのです。

私はこの文章を書いているとき、もやもやとした言いたいことがあり、それを適切に言い表せる文章を思い浮かべ、それが本当に機能するかどうかを判断し、うまく機能しそうならそれを記述し、そうでなければ破棄して新しい文章候補について検討する、ということを繰り返しています。ある種、アルゴリズム的です。

適当にボタンを押すサルを無限に集めてタイプライターを叩かせれば、そのうち一匹はシェイクスピアの「ハムレット」を書く、といった思考実験がありますが(そしれこれは、若干否定的な文脈で使われますが)、アルゴリズムを使えば同じことはできるでしょう。問題は、幾万集まった「ハムレット」っぽいものの中から、最終稿1つをどのように選択するのか、ということです。

パターンAは、ハムレットがあの台詞をつぶやくかもしれません。パターンBでは、つぶやかないかもしれません。それらを読み比べて、どちらがより人間に訴えかけるかを判断する必要があるのです。

でもってそれは、結局の所シェイクスピアが原稿を書くときにやっていたことと同じではないでしょうか。本質的に創造とは選択なのです。だから、上記で示したパターン2のような「選んであとはOKボタンを押すだけ」も、創造行為と呼べるのかもしれません。

このような言説は、クリエイティビティーに対する冒涜のように感じられるかもしれませんが、あるいは逆に人間の可能性を示しているのかもしれません。ともかく簡単な問題ではないのです。

さいごに

とは言え、まだ現代の技術はそこまでは到達していません。「ワーカム」に怯える必要はないのです。ただ、我々が技術との関係性をどう考えるかによっては、あっという間にそれは登場し、私たちの知的生産を支配下に置くでしょう。もしかしたらそれは一つの楽園の形なのかもしれませんし、何かの終着駅なのかもしれません。

もしそれが終着駅であったのならば、地球最後の哲学者は最後の気力を振り絞ってきっとこう言葉を残すでしょう。

「人間はかつて考える葦であった」

と。

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【書評】消極性デザイン宣言(消極性研究会)

「消極性研究会」とは何やら怪しい響きがするが、研究内容も負けてはいない(褒め言葉)。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。
栗原一貴 西田健志 濱崎雅弘 簗瀬洋平 渡邊恵太
ビー・エヌ・エヌ新社 (2016-10-24)
売り上げランキング: 43,423

現代はコミュニケーション過剰時代であり、そこでは積極性が評価の指標となる。「ノリ」の悪いあの人はいつも損をしてしまう。でも、それって何かおかしくない? という問題提起が本書の基底にはあるのだろう。

かといってその「ノリ」の悪さを、自己啓発的に解消しようというのでもない。結局それは形を変えた積極性でしかないからだ。当人の性格そのものではなく、むしろそれを取り巻く環境に改善を加えることによって、「消極的なまま」でそつなく暮らしていけたり、「消極的でも」それなりに参加できる形を作ろうとする。それがShy Hackだ。それこそまさにHackの名を冠するにふさわしいアプローチと言えるだろう。

目次は以下の通り。

  • 第1章 「やめて」とあなたに言えなくて 一対一もしくは一対少数のコミュニケーション[栗原一貴]
  • 第2章 考えすぎを考えすぎよう 人が集まるイベントなどにおけるコミュニケーション[西田健志]
  • 第3章 共創の輪は「自分勝手」で広がる 複数人でのコラボレーション[濱崎雅弘]
  • 第4章 スキル向上に消極的なユーザーのためのゲームシステム[簗瀬洋平]
  • 第5章 モチベーションのインタラクションデザイン[渡邊恵太]

第1章「「やめて」とあなたに言えなくて」では、何もそこまでとツッコミたくなるくらい消極的(であることに積極的な)アプローチが紹介されている。人の目を見て話せないなら、AR的なメガネをかけて向かい合う人の顔にモザイクをかければいいじゃない。すごい発想である。

第2章「考えすぎを考えすぎよう」では、なかなか声を上げにくい状況で、声を上げられるようにするためのシステムが紹介されており、これは今後Webサービスの運用などでも重要な知見になっていくだろう。

第3章「共創の輪は「自分勝手」で広がる」は、直接的な消極性の話ではなく、集合知の運用方法について語られている。ニコニコ動画を代表とするボーカロイド動画の「縦ではなく横に広がるN次創作」を例に挙げながら、それぞれのプレイヤーが個人的動機に基づいて主観的最善を尽くすことの意義が考察される。この点は恐ろしく重要で、歪められたインセンティブによって金太郎飴が発生しがちなWeb世界では真っ先に検討すべき課題でもあろう。

また、次の指摘も慧眼である。

消極的な人は「炭坑のカナリア」なのです。つまり、消極的な人は社会的負荷に対して非常に敏感で、見つけにくい社会的負荷、解決すべき問題にいち早く気づくわけです。

たしかにその通りである。「消極的な人」がスムーズに使えるなら、その他の人も低い負荷で使えるはずで、それはより活発な交流(情報的やりとり)を促すことにつながるだろう。

第4章「スキル向上に消極的なユーザーのためのゲームシステム」は、いわゆるゲーミフィケーションにまつわる話で、この分野に興味がある人なら面白く読めるはずだ。「誰でも神プレイできるゲーム」などは、タスク管理に応用されたら面白ことになるかもしれない。

次の指摘もまったくその通りであろう。

一つ言えるのは、人が行動を続けるにはそれに対して何か意味がある、意味があったと感じることが必要、ということです。

だからこそ、システムの方から「たしかに意味がありましたよ」と伝える努力が必要なのだ。この点を軽視すると、あっという間に根性論に堕してしまう。

最後の第5章「モチベーションのインタラクションデザイン」は、私が一番刺さった章で、ライフハック的な観点からも面白く読める。むしろ、本章冒頭に掲げられる「人は基本的に消極的である」という文句は、ライフハック、それも人に優しいライフハックには絶対に必要な視点である。でないと、地獄の千本ノックみたいなものがスルスルと入り込んでしまう。

唸ったのは、「使いやすさ」から「使おうとしやすさ」への視点の転換だ。どれだけ「使いやすい製品」であっても、使おうとしなければそれが使われることはない。当たり前の話だが、開発している側ではよく失われてしまう視点である。

使おうとする気持ちになりやすいこと__この機能以前の概念を、著者は「アプローチャビリティ」と呼んでいる。「使おうとしやすさ」も「アプローチャビリティ」も非常に語呂が悪い__これは「使いやすくない」になるのだろうか__のが残念だが、それでも視点の重要さは特筆すべきだろう。

その概念を支えるのは、

人は一連の行為の流れの変更点に、接続が切り替わるところに、億劫さや面倒さを感じます。

という視点である。

そもそも「一連の行動」という認識自体が、私たちの認知の中でそれらの行動がパッケージングされていることを意味する。大きな塊のスキーム、あるいは一つの心の「ロボット」が担当しているわけだ。そして、それを切り替えるときに、面倒さが発生する。

おそらくそれは、判断が生じるからだろう。「この行動をとる意味はあるか」「行為に使う労力に対してメリットはどうか」という考えが生じてしまう。その判断・計算・認識の中で、心の摩擦抵抗が生じることになる。よって、行動を促すには、この抵抗値をどれだけ下げられるかにかかっている。「使おうとしやすさ」への配慮は、ダイレクトにその判断・計算・認識に影響してくる。

ともかく言えることは、人の行動についての課題を、(曖昧模糊とした)「やる気」の問題に還元してはいけない、ということだ。それでは何も解決することはない。本書が提示するShy Hackは、「やる気を出しましょう」とはまったく逆のアプローチであり、それはLifeHackの源流ともつながっている。そんな気がする。

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【書評】サピエンス全史 -文明の構造と人類の幸福(ユヴァル・ノア・ハラリ)

圧倒的である。もうそう言うしかない。率直な感想を尋ねられたら「みんな読もうぜ」となってしまう。

360度を捉えるようなパースで「文明史」を記述し、その先の世界について問題を提示する。まずは目次をご覧いただこう。

  • 第1部 認知革命
    • 第1章 唯一生き延びた人類種
    • 第2章 虚構が協力を可能にした
    • 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
    • 第4章 史上最も危険な種
  • 第2部 農業革命
    • 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
    • 第6章 神話による社会の拡大
    • 第7章 書記体系の発明
    • 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
  • 第3部 人類の統一
    • 第9章 統一へ向かう世界
    • 第10章 最強の征服者、貨幣
    • 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
    • 第12章 宗教という超人間的秩序
    • 第13章 歴史の必然と謎めいた選択
  • 第4部 科学革命
    • 第14章 無知の発見と近代科学の成立
    • 第15章 科学と帝国の融合
    • 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
    • 第17章 産業の推進力
    • 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
    • 第19章 文明は人間を幸福にしたのか
    • 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

地球上にまだ複数の「人類」がいたころから話は始まり、そこから「文明」の歩みを辿っていく。上下巻であり、ちょっとボリュームが多いかな、と思われるかもしれないが、話はまるで逆である。よくまあ、この内容を上下巻に収めたな、というのが正直な印象だ。10冊以上の本になってもおかしくない視野の広さが本書にはある。それを一人の著者が書き上げているのだから、もう言葉が出てこない。

考え方を変えれば、ジャンルの違う教養新書を15冊くらいパッケージしたと捉えればいいかもしれない。それが一続きになって読めるのだから、これはもうお得である。なおかつ、本書は読みやすく、面白い。学術的な固さもなければ、博聞強識を誇るようなうんざりする引用の乱発もない。本当に、あっという間に読めてしまう。

そういうもろもろの感情をひと言でまとめると、「みんな読もうぜ」なのだ。

人類とサピエンス

本書のタイトルでは、人類ではなく「サピエンス」という言葉が使われている。これは別にトリッキーさを狙ったものではない。

人類__つまりひとのたぐい__には、本来我々ホモ・サピエンス以外の人類種も含まれている。よって、我々が、自分たちだけを指して「人類」と呼ぶのは、いささか傲慢なのである。その傲慢な呼称には、二つの不都合な事実が隠されていて、その一つは「我々は所詮その他の動物と同じであり、≪兄弟≫もたくさんいたのだが、なぜだか我々だけが今のところ地球上に残り、そして繁栄している」ということだ。我々は別に神の寵愛を受けて生まれたわけではないし、地球の支配者として定められているわけでもない。

本書はその名称をきちんと区分することで、(私たちが一般的に使う意味での)「人類」を相対化する。その上で、なぜそのような生物の一種でしかない存在が、ここまで地球上で猛威を振るうようになったのかを解き明かしていく。それが本書の大半を構成する要素であり、副題の「文明の構造と人類の幸福」の前半でもある。そして、副題の後半は、不都合な事実の二つ目と関わってくる。

本書は、現在(サピエンスの繁栄)を一つの点とし、人類の出発点からそこに至るまでの矢印を伸ばす。となると、次はどうなるか。現時点から未来に向けてその矢印は伸びていくだろう。

それを示すのが、第19章「文明は人間を幸福にしたのか」と続く第20章の「超ホモ・サピエンスの時代へ」である。本書において一番重要なのがこの二つの章でもある。言い換えれば、それまでの章は、「文明は人間を幸福にしたのか?」という問いに向き合うための下準備であると言ってもよい。「我々はこれからどう進めばいいのだろうか?」という問いに取り組むためには、まず「我々とは何か?」について考えなければいけない。本書は、見事にそれを達成している。

さいごに

二つ目の不都合な事実についてはあえて書かないでおく。本書を読んでいれば理解されることだろうし、一つ目の事実から自然と導き出されるものでもある。

その事実は、事実としてぽんと提示されるだけではたいして実感されないだろう。文明史の流れにのせることではじめて質感をもって感じられるようになるのだ。そして、そこで私たちは足を止めて考えることになる。非常に難しい問いについて、きわめて慎重に。

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東京ライフハック研究会vol.16に参加してきました

2016年11月20日に開催された、以下のイベントに参加してきました。

東京ライフハック研究会vol.16 – いろいろなタスク管理 – 2016年11月20日 – こくちーずプロ(告知’sプロ)

細かい話はまるっとおくとして、実に「いろいろなタスク管理」な会になったかと思います。やや普通ではないタスク管理があり、ごく普通のタスク管理があり。アプローチはさまざまであって、それでよいのでしょう。ちなみに、個人的にはLTがたいへん刺激になりました。この分野でも、知らない話はまだまだ眠っていそうです。
※そういう本があったら読みたいですね。

私は、「仕事を楽しくする」タスク管理として、フリーランスにおける「楽しさ」の維持をベースにしたタスク管理手法をお話させていただきました。使用したスライドは以下。

もしかしたら世の中には、「フリーランスになれば、自由に楽しく仕事ができる」と思っておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、それは幻想です。自由は、そのままイコール楽しい、とはなりません。

・裁量の幅があることは、悩む余地が大きいことを意味します。
・なんでも自分で決めてよいことは、なんでも自分で決めなければいけないことを意味します。
・自分らしい仕事ができることは、自分がいなければ(たとえば体を壊したら)その仕事が立ちゆかなくなることを意味します。

だから「マネジメント」が必要です。こればかりは避けて通れません。

一日ずっとHuluを眺めていても、誰にも怒られないのです。そういう「重力から解放された状態」で、24時間365日仕事をしていくのがフリーランスです。だから、自らで重力的なものを発生させないと、すぐにふわふわとどこかに流れていってしまいます。

誰からも命令されることのない自由な時間が24時間あれば、自分は成したいことが成し遂げられる、というのは虚構だと思います。人間は(あるいは少なくとも私は)そういう風には出来ていません。朝立てた予定が、午後にはまるっきり機能しなくなっている__なんてことも珍しくありません。そういう(苦々しい)経験を何度も積み重ねてきました。

そして、あるとき気がついたのです。

「タスクリストを見て、そのタスクを自分が実行できるのはなぜなのだろうか」と。

それは当たり前のように思えます。リモコンのボタンを押せば、テレビのチャンネルが変わる、みたいに自然な出来事のように思えます。しかし、どうあがいても、どれほど気力を振り絞っても、そのタスクをやろうと思えないときもあるのです。それを私たちは「異常事態」のように捉える傾向がありますが、むしろそれを「当たり前」に据え付けて、逆になぜタスクを実行する気が起こるのか、つまりリモコンが作動している原理は何なのかを考える方が、合理的なような気がしてきました。

その探求の先に辿り着いたのが、私のタスクリストの運用方法です。「タスクを実行できない駄目な自分」という視点から脱却し、「どういう状況のとき、自分はタスクを実行し、あるいはしないのか」を考えた結果、クローズドの有用性、それを担保するためのコミットメント抑制、自分の能力の平均スペックの把握、バッファーの設定などが生まれてきました。

これらは基本的にうまくいっています。5年以上物書きの仕事をしていますが、「もう今日は文章なんて書きたくない」と思ったことは片手で数えるほどしかありません。しかも、その大半は仕事を始めたばかりの頃に集中しています。つまり、最近ではまったくありません。その辺は、私が実際に文章を毎日書き続けていることからもおわかりいただけるでしょう。

理想を掲げることって、もちろん素晴らしいことなのですが、理想ばかりを見ていると、現実がおろそかになります。いっそ、現実が色あせて、価値のないもののように思えてきます。でも、私たちが存在し、息を吸い、音を聞き、誰かに触れ、何かを語るのはその現実です。理想から見れば、ごくごく些細なこと、くだらないことが一杯詰まった現実が私たちのステージなのです。

現実から始める。

これはたぶん勇気がいることなのでしょう。なんとなくそういう気がしています。なんといっても、理想はエレガントで混じりけがありません。対して現実は、混濁としていて混沌としていて混乱しています。清濁も「これでもか!」というくらいに入り乱れています。乱雑なのです。

でもまあ、仕方がありません。それが私たちのステージなのですから。

そのような状況であっても、押せばチャンネルが切り替えるスイッチを一つでも見つけていくこと。それが大切なのではないかと思います。

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