Category: アウトライナー概論

WorkFlowyにある等価性と絶対性

その1. アウトラインに存在する各項目は等価である
その2. それらすべては一つの大きな流れの下にある


その1. アウトラインに存在する各項目は等価である
 各項目に表現上の区別はない
 各項目は上位にも下位にも位置できる
 各項目はズームによってカレントになれる
 →すべては断片である
その2. それらすべては一つの大きな流れの下にある
 各項目は大きなアウトラインの一部である
 そこから逸脱することはできない
 移動しようが、ズームしようが大に位置する小の構造は動かない
 →ひとつの全体がそこにある


WorkFlowyは、一つの大きなアウトラインを持ちます。すべての要素(項目)はそのアウトラインの中に位置づけられます。原則的に「他の場所」は存在しません。まるで私たちの人生のようです。

『アウトライン・プロセッシング入門』が示すように、WorkFlowyはプロセス型アウトライナーであり、見出しと本文の区別がありません。すべての項目が同じ性質であり、いつでも見出しになれますし、本文にもなれます。その意味で、すべての項目は等価な存在です。

ときに一つの項目にズームして、その他の項目を無視することもできます。私たちが「今」という瞬間にフォーカスするかのようにです。結局の所、私たちの人生が「今」という瞬間の連続でしかないように、WorkFlowyの各項目もフラグメント(あるいはピース)な存在でしかありません。むしろ、そうであるからこそ、移動したりズームしたりが可能になります。

とは言え、すべての項目がどれだけ等価で自由であろうとも、一つの大きなアウトラインに位置していることは代わりありません。それぞれの項目は相対的自由を手にしていながらも、一つの大きなアウトラインという絶対性の中に制約されています。それを人は(もしかしたら)一貫性と呼ぶのかもしれません。自我と呼ぶ人もいるでしょう。自分の人生という呼び方だってあるはずです。

自分の人生の中に位置するもの、それらはどれだけ偉大であろうとも、あるいは愚かしくあろうとも、すべては等価で、相対的です。環境の揺らぎの中で、ズームするもの、上位に置くものは代わりえます。それを私は自由だと呼びましょう。

しかし、それらはどこまでいっても、自分の人生の中に位置するのです。どれだけズームしたってそれはかわりません。逃れられないのです。その絶対性を受け入れること。どこにも逃れられないことを、肯定的に受け入れること。

これもまた、私は自由と呼びましょう。

▼こんな一冊も:

「目標」の研究
「目標」の研究

posted with amazlet at 17.02.07
R-style (2016-12-11)
売り上げランキング: 5,228
Send to Kindle

アウトラインはなぜ目次ではないのか

inspired by アウトラインと目次:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

「これから昔話をするね。桃太郎っていう一人の勇敢な男の子の物語なんだ。その物語には、鬼が登場して、犬やら猿やら雉が大活躍するんだ……」

これは概要だ。つまり、アウトラインである。

あなたは、このアウトラインを子どもに伝え、その後、実際に物語を語り始める。

「昔々あるところに、おじいさいんとおばあさんがいました」
「名前は? 名前はなんていうの?」
「おじいさんとおばあさんは、二人だけで生活していたから、名前は必要なかったんだ。互いに、おじいさん、おばあさんと呼んでいたんだ」
「そんなのおかしいよ。だって、おじいさんはおじいさんだからおじいさんなんでしょ」
「そうだね。おじいさんとおばあさんにはたしかに昔孫がいた。でも、その孫は流行病(はやりやまい)にかかってしまったんだ。それを治療するための薬は、遠くの島にしか存在しない。しかもその島はうわさによると鬼たちによって占拠されてしまっている。とても勇敢だったおじいさんの息子(おとうさんだね)は、意を決して薬をとりに島に向かった。でも、一ヶ月経っても、一年経っても帰ってはこなかった。孫も病に負けて死んでしまった。そのようにして、おじいさんとおばあさんは二人暮らしになったんだ。二人は、できるだけ昔のことを話さないようにしているんだけど、お互いの呼び方だけは変わらなかった。わかるかい?」
「かなしいね」
「そう、だから、あまり呼び方については触れないであげよう」
「わかった」

実際の執筆とは概ねこのようなものである。ツッコミをいれるのは、たいてい自分だが、やっていることはかわりない。

執筆を始める前は、「このようなことを書こう」というイメージはできている。配置すべき要素も、話の流れも固まっている__ように思える。しかし、実際に執筆を始めてみると次から次に書くこと、書くべきことが出てくる。それらは、概要を考えているときには、まったく想像もしなかったことばかりだ。私もまさか、おじいさんに息子と孫がいたとは露も知らなかった。

ここで二つの選択がある。こうしたツッコミを無視するか、受け入れるかだ。

無視すれば、話は概要通りに流れていく。受け入れたら、上記のように追加の説明が必要になってくる。タチの悪いことに、そうした説明をしていると、単なる肉付けだけに終わらず、最初に語った概要そのものに影響が出てくることもある。フィードバック・ループだ。

どちらが「正しい」のかをここで断じることはしない。しかし、「わたし」という人間の想像力が、一瞬のうちにすべて発揮されると想定できないのであれば、後者のやり方のほうが豊かな作品が生まれてきそうな気はする。想像力を時間的に積分するのだ。

上記の追加要素を語ったことで、

・おそらく桃太郎は、亡くなった孫と瓜二つの顔をしている
・→だから二人はその子どもを育てる気になった
・→その代わりおじいさんとおばあさんの間で一悶着はあっただろう
・桃太郎は鬼ヶ島で、おじいさんの息子と再会する
・→どうなるかはわからないが物語にとって重要なイベントになる
・おじいさんの娘、つまり息子の嫁はどうなったか。伏線である

という要素が生まれた。「このようなことを書こう」と瞬間的にイメージした話にはまったくなかった要素だ。

こうして思いついた要素をすべて切り捨ててしまってもいい。瞬間的なイメージに固執して、すべてをそれに従わせる手もあるだろう。あるいは、気ままな部下に翻弄される中間管理職のように、それぞれの要素に身を任せて、自分は脱線しすぎないように流れを整えるだけの立場に立つこともできる。

どちらでもいい。どちらが好みか、という話にすぎない。

アウトラインは、目次だ。
アウトラインは、目次ではない。

どちらも正しいことがある。所詮は、物事をどのように進めていくのかのスタンスの違いなのだ。

驚くべきなのは、一見「アウトライン=目次」派のためのツールに思えるアウトライナーが、実は「アウトライン≠目次」派にとっても有用だ、という点だ。この点は、しっかりと確認しておきたい。

ちなみに、私にとってアウトラインは目次とはほど遠い。きっと、お父さんの鬼ヶ島での活躍をスピンオフで書いてしまうくらいだから。

▼こんな一冊も:

Send to Kindle

WorkFlowyを、たためるテキストエディタに

小さいところから始めるとき、大がかりな道具よりも普段使い慣れたこぢんまりした道具を手にした方がスムーズに進めやすいことがあります。

文章の構造を考えるときも、まず手書きでラフに書くようにテキストエディタに要素を書き並べていく。構造化の印(しるし)として、マークダウンの書式を置いておく。これだけでも、階層が二つぐらいならば容易に把握できます。

screenshot

あとは上から下までを見ながらちょくちょく書き足していけばいいだけです。

しかしながら、ここに大量に書き込み始めると途端に視認性・操作性が悪くなります。「下の階層の文章は表示のオン・オフを切り替えたい」。そんな願いも湧いてきます。

そうですね。アウトライナーの出番というわけです。

通常の表記では……

しかしながら、WorkFlowyにそれをポンと投げ込み、表示をたためるようにそれを下位の構想に配置してしまうと、当然のように段落が下がります。これはもう、見事に下がります。視認性においてはもちろん有用なのですが、テキストエディタ的なフラットさはなくなってしまいました。

screenshot

それがいいんだよ、という声もあるでしょうが、私としてはテキストエディタを使っている感覚の延長線上で、テキストをたたみたいのです。

そうですね。Stylishの出番です。

※Stylishについては以下の記事を参照。
R-style » 『Stylish』でWorkflowyの見た目をカスタマイズした
R-style » WorkFlowyのスタイルを「matFlow.dark」に変更
R-style » Workflowyでnoteを全文表示にしてみた
WorkFlowyでハイライトを使えるようにカスタマイズする方法 | シゴタノ!

flatOutliner

ベースは、「WorfFlowy for Writers」。左寄せにして、バレットを消してくれるスタイルです。さらにこのスタイルの子の左マージンをマイナスに指定します。

screenshot

Append

.selected>.children>.project .project{margin-left: -27px ;margin-bottom:3px;}

そうしてできあがったのが、これ。

screenshot

一見すると普通のテキストエディタですが、機能的にはちゃんと構造を有しています。だから、(下位には見えませんが)下位の項目を閉じたり、開いたりできます。

screenshot
※たとえば1を閉じた

簡易ではありますが、「たためるテキストエディタ」の完成です。

さいごに

もちろん、この表示は、アウトラインを操作したい場合には非常に使いにくいのでご注意下さい。

何事も適材適所です。

▼こんな一冊も:

クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門 (OnDeck Books(NextPublishing))
インプレスR&D (2016-01-29)
売り上げランキング: 1,476
Send to Kindle

「アウトライン操作の5つの<型>」で遊ぶ

『アウトライナー実践入門』に「アウトライン操作の5つの<型>」というのが出てくる。

  • リスティング(箇条書き)
  • ブレイクダウン(細分化)
  • グルーピング(分類)
  • レベルアップ(階層を上がる)
  • ソーティング(並び替え)

見事に箇条書きだ。これを「自分のアウトライナー」に入れてみる。

screenshot

解剖台に乗せられたカエルを眺めるみたいに、じっと見つめる。

さあ、遊ぼうじゃないか。

Let’s Play

「自分のアウトライナー」に入れると、さまざまなことが可能になる。

たとえば「リライト」だ。

screenshot

「5つの」を消してみた。これで、<型>の数はいくらでもよくなった。個数の制約から解き放たれたのだ。

なあに、気にすることはない。最終的に固まってから、はじめから個数を決めていましたよと言わんばかりに数を入力し直せばいい。あなた以外の誰もそれには気がつかない。したり顔を浮かべておけばいい。

もちろん「順番を入れ替える」こともできる。

screenshot

別に著者の並べた順番が絶対ということはない。それが絶対なのは本の中だけである。「自分のアウトライナー」に入れれば、それはあなたの支配下に置かれる。自分にとって収まりの良い順番をクルクル入れ替えながら試せばよい。

せっかくなので「下位に項目を追加」してもいい。

screenshot

言うまでもないが、「新しい項目を追加」してもいいし、「既存の項目に肉付け」することも許容されている。

screenshot

このようにして遊びは進んでいく。

さいごに

「知的生産にとって、あらゆる事象は素材となる」

と言ったのは、他の誰でもない私だが__ちなみに、今初めて言った__、「自分のアウトライナー」に入れるとこのように他の素材を使って「遊ぶ」ことができる。人はそれを探求や研究と呼ぶのかもしれないが、気分的には遊びである。とは言え、真剣に遊ぶわけだが。

もちろん「自分のアウトライナー」というのは一つの象徴である。

それは大学ノートであっても、付箋であっても、情報カードであっても、テキストエディタであっても、脳内の心的イメージであっても構わない。ただ、「アウトライン操作の5つの<型>」をお行儀良く書き写し、丸暗記して終わり、というだけでは面白くない、というだけの話だ。

というわけで、Let’s Play.

▼こんな記事も:
R-style » WorkFlowyでメルマガを読む!

Send to Kindle

『アウトライナー実践入門』考察 | アウトライナー概論 零章

「アウトライナーとは何か?」

ようやくこの問いに取り組めるようになった。足場となる書籍が発売されたからだ。

まずはこの『アウトライナー実践入門』を点検していこう。それによって、議論のアウトラインを描いてみたい。

アウトラインとは何か?

本書でいう「アウトライン」とは、ひと言でいうと「入れ子状になった箇条書き」のようなものです。

簡潔な説明だ。「入れ子状になった」は「階層構造を持つ」と言い換えてもいいだろう。

まずこの段階で、はるか彼方の「匂い」が感じられる。キーワードだけを目印代わりにおいておくと、べき乗則・自己組織化・フラクタル・臨界状態だ。地震の専門家であるクリストファー・ショルツの言葉「地震は、起こりはじめたときには、自分がどれほど大きくなっていくか知らない」も添えておいていいだろう。

ともあれアウトラインが「入れ子状になった箇条書き」であるならば、アウトライナーはそれを作成するためのツールだと言える。本書ではこう定義されている。

ここでは、アウトライナーを「アウトラインを利用し<文章を書き、考える>ためのソフト」だと定義しておきましょう。

おそらくこの定義__議論の出発点__が本書のコアである。

「アウトライナーを利用して、文章を書く」ならばイメージはたやすい。なぜなら、私たちは頻繁に「入れ子状になった箇条書き」を目にしているからだ。書籍の冒頭をパラパラめくってみるといい。ほぼ必ず「目次」があるはずだ。その本の構造が箇条書きで示されている目次は、まさに「アウトライン」であり、文章を書くときにそれが必要になることは誰でもわかる。

しかし本書はそこに「考える」をつけ加えている。それが本書の存在感と魅力の一部でもあろう。しかし、これは危うい賭けでもある。なぜなら「考える」という言葉自体が危ういからだ。これほど実体が見えない言葉もない。また、「考える」には必ず自己言及のトラップが伴う。哲学者なら指をポキポキならして戦闘態勢に入ることだろう。

しかし本書は「考える」とは何かを定義しない。むしろ、それをプロセスとして実際例を提示する。これには舌を巻くしかない。

著者は『アウトライン操作の5つの<型>』という形で、「思考」を「操作」に置き換えた。言葉通り<型>(あるいは形)を与えたのだ。さらに、章1つを使って、アウトラインが実際に操作されていく流れも明示している。「考える」を、「考え」させずに、「体験」させていると言ってよいだろう。この賭けは著者の勝ちのようだ。

ただし、『アウトライン操作の5つの<型>』はまだ検討の余地はあると思える。5つの型それぞれについての検討及び下位要素への分解、さらに他の型の検討。このあたりが課題になりそうだ。

ともかく、アウトライナーが「アウトラインを利用し<文章を書き、考える>ためのソフト」であり、「アウトラインを利用し<文章を書き、考える>こと」が、アウトライン・プロセッシングであると本書は置く。「アウトライン・プロセッシング」というのは、『思考のエンジン』で奥出直人氏も使っていた言葉だが、それほど異端な言葉ではない。

思考のエンジン
思考のエンジン

posted with amazlet at 16.07.13
奥出直人
株式会社 青土社 (2012-10-10)
売り上げランキング: 905,295

ワープロは、ワードプロセッサーの略称である。そして、ワープロを使って、言い換えればワープロの機能に最大限最適化した形で文章を書く作業は「ワード・プロセッシング」と呼びうる。そこに新しい名前を与える必要があるくらいには、「原稿用紙に文章を書く」と「ワープロで文章を書く」行為は異なっている。その点は木村泉氏が『ワープロ作文技術』などで指摘している。

ワープロ作文技術 (岩波新書)
木村 泉
岩波書店
売り上げランキング: 202,238

「アウトライン・プロセッシング」も同様に考えてよいだろう。ただし、「アウトライン・プロセッシング」をどのように位置づけるかは検討できそうだ。それはまったく新しい何かなのか、「ワード・プロセッシング」と同じ階層に置かれるのか、それともその系譜(あるいは進化)として扱われるのか。これも一つの課題である。

この課題はそのまま「アウトライナー」というジャンルが、どのように位置づけられるのかの問題と呼応している。それは独自のツールなのか、機能特化のワープロなのか、それともまだ見ぬ「文章エディタ」の萌芽なのか。この問題は、私たちの生活において「考える」という行為が、どのように位置づけられるのかにも関わってくる。言い換えれば、誰のためのツールなのか、ということだ。

なかなか複雑で大きな問題である。

さいごに

思いつくままに書いていたら、p.15までで一原稿分になってしまった。まだまだ書くことは多いのだが、とりあえずはこれまでにしておこう。

私が考えたいのは、アウトライナーというツールの役割であり、位置づけである。それは、情報・思考・知識の操作を補助するツールではあるのだが、それだけでは何の説明にもなっていない。なぜそれが有用なのか、またどう使えばその有用性を発揮できるのかを検討したい。

また、アウトライナーの思想とWorkFlowyの思想は、慎重に切り分けて検討する必要もあるだろう。本来はそれぞれ別に議論されるべきだが、重複する要素が多いのでやっかいではある。むしろ、アウトライナー概論の一章に「WorkFlowyの思想」を割り当てるのが自然なアウトラインのような気もする。

というわけで、まだ始まったばかりである。

「アイデアは、起こりはじめたときには、自分がどれほど大きくなっていくか知らない」

ともかくはエネルギーを蓄えて、振動し続けるしかない。

Send to Kindle

WordPress Themes