Category: 叛逆の仕事術

プロジェクトを1つ1つ1つ終わらせていく

前回:目標に水を差す


前々回、着手するプロジェクトを3つに限定する、と書きました。

ではなぜ3つなのでしょうか。1つでもなく、5つでもなく、3つです。

もちろん、意味はあります。

リピート化するプロジェクト

一口にプロジェクトと言っても、その粒度はまちまちです。一週間で終わるものもあれば、数ヶ月かかるものもあります。

そして、一度着手したプロジェクトは__決定的な破綻が訪れなければ__終了するまで続けることになります。つまり、リピートされるのです。今週もやり、来週もやり、その次の週もやり。完了するまで、それが繰り返されるのです。タスクリストにはほとんど似たような項目がのり続けるのです。

長期的な目標を立てるときの私たちは、この事実をよく見逃します。「一年間毎日ブログを更新するぞ!」と高らかに決意することは、毎日毎日タスクリストに「ブログを更新する」と書き加えることとイコールです。そこで生じるであろう倦怠感に、高い意欲に燃えているときの自分は気がついていません。

逆に、そのイコールが体感的に分かっているならば、その人は時間が見えていると言って差し支えないでしょう。

話を戻します。

本の執筆を進めるならば、それこそ数ヶ月は「〜〜の執筆」というプロジェクトに関わることになります。悪ければ、一週間以上同じ章にかかりっきりなんてこともあります。その間、ず〜〜〜と同じ風景(同じタスクリスト)を目にすることになるのです。これは、精神衛生的にあまりよろしくありません(もちろん、個人差はあるでしょう)。

だから、三つ選ぶのです。

リスクの分散

プロジェクトが3つあれば、1つくらい進まないものがあっても、他の何かは進んでくれます。そこで、充実感や達成感が得られるのです。

理想的には三ヶ月以上かかるプロジェクトと、二週間くらいで終了するプロジェクトが両方含まれていることです。それくらいであれば、腰を据えながらも、充実感を得て進捗していけます。

もちろん、時と場合によっては、そうはうまくいかないこともあります。結果、長期プロジェクトばかりでどうしようもない、という状況もありえます。しかし、完璧なノウハウなどこの世に存在しないのだから、それは仕方がないでしょう。ようは、全体的に見てそこそこうまく稼働しているかどうかが重要です。

プロジェクトが1つだけならば、それが行き詰まったときのリスクがあります。逆に5つや10選んでしまうと、使える時間が非常に限定されてしまいます。3つくらいが、ちょうど良いのです。それが、私がこれまで仕事をしてきた経験から得た教訓です。

着手しない勇気

3つのプロジェクトを選ぶということは、4つめのプロジェクトはやらない選択をする、ということです。

これがかなり重要であり、難しいことでもあります。

今私は、とある電子雑誌に投稿するための原稿を書いています。2000字程度の原稿ならだいたい一日で完成するのですが、今回は規模が大きく、おそらく一週間はかかるだろうと見込んで、それを一つのプロジェクトとして扱うことにしました。4つめのプロジェクトの登場です。

もちろん、4つめは存在できないので、そのプロジェクトに着手している間は、雑誌「かーそる」のno.2の原稿作業を着手プロジェクトから外す決定をしました。

理想的に言えば、両方を共に進めるのがよろしいでしょう。「進めるべきプロジェクト」をいったん「着手せず」に戻すのは、心躍る作業ではありません。人間の損失回避性に訴えかけてくるような痛みすらあります。でも、そうするしかないのです。

時間が見えない人間は、両方を同時に進められるような気がします。「プロジェクトを1つくらい追加してもなんとかやっていけるだろう」と甘い見積もりを立ててしまうのです。

それは、家に帰ったら置き場所に悩むのにも関わらず、書店では気楽に本を買ってしまうというのに似ています。書店にいるときは、圧迫されている本棚が「見えない」のです。だから、そこに本来潜むはずのトレードオフが感じられません。

ある種の「仕事術」は、理想を膨らませてくれます。能力は無限大で、時間もいくらでも湧いてくるような気にさせてくれます。時間を見たくない人にとっては最高のデザートでしょう。とは言え、目を逸らしたところで時間はそこにありますし、私たちは時間からスタートするしかありません。

「あることをやれば、別のことができなくなる」

なんの変哲もないただの事実です。でも、それが見えないのです。それを見たくないのです。それが、人間というものなのです。

プロジェクトを3つだけ選ぶ、という指針は、その忘れたい事実を否応なしに突きつけてくれます。むしろ、それが見えなくても、時間からスタートさせてくれます。

さいごに

もちろん、その雑誌原稿が書き終われば、「着手せず」にしておいたプロジェクトを、再び「着手」に戻すことになるでしょう。あるいは、そのタイミングで何か別のプロジェクトが発生しているかもしれませんし、次はそれに取りかかることになるかもしれません。ともかく、永遠に同じことをしているわけではないのです。どこかで終わりがやってきます。そして、次のプロジェクトが始まるのです。

一つのプロジェクトが終わるたびに、次のプロジェクトを選択する。そして、一つ、一つ、また一つとプロジェクトを亀のように進めていく。ただしマルチスレッドの亀なので、速度はそんなに遅くありません。これが唯一希望を抱けるポイントでしょうか。

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「やりたいこと」を管理する 〜叛逆の仕事術〜

「収入以上に浪費すれば、お金は減っていくばかり」

容易に同意できるはずだ。しかし、時間となるとそうはいかない。


「隙間時間」という考え方がある。ちょっとした待ち時間や、作業と作業の合間などを指す。

それらの「死蔵時間」を活用して、一日の時間を増やそう、というコンセプトが時間活用術には出てくる。

おおむねそれは正しいし、ある部分まではまっとうでもある。ぼけーっと過ごしている5分で読書が進むならそれにこしたことはない。

が、それはどこまで拡張できるだろうか。

5分はいい。10分もありだ。頑張れば30分は捻出できるかもしれない。しかし、せいぜい1時間がいいところだろう。頑張れば2時間ぐらいまではいけるかもしれない。しかし、どうあがいたところでそれは24時間を越えることはない。


「やりたいこと」をこなすためのあらゆるテクニックは有効である。隙間時間を使ったり、作業効率を上げれば、ほとんど間違いなく、達成できる「やりたいこと」は増えていく。

しかし、それらをどれだけマスターしたところでいずれ限界がくる。

それが問題なのだ。

右耳には、「あなたはやりたいことをやるべきだ。人生を向上させるのだ」という声が吹き込まれ、左耳には「時間を有効に使いましょう。もっともっと生産性を」という声が吹き込まれる。

「やりたいこと」が積み上がっていく一方で、それをこなすためのテクニックにも習熟するようになる。しかし、それはいつまで経っても満たされることはない。やりたいことややるべきことは、消化しきれないまま山のように積み上がっていく。

あなたの心は満たされず、自責の念に苛まれる。そしてより良いテクニックを求めて、本を読み漁りセミナーに参加する。

が、その道は袋小路である。栓をしないまま、お風呂にお湯を張っているようなものなのだから。


もう一度言うが、時間活用のあらゆるテクニックは有効であり、大切ですらある。

が、それと同じくらい、あるいはそれ以上に「やりたいこと」や「やるべきこと」そのものをコントロールすることも大切だ。

どれだけ時間効率を高めたところで、一日が24時間であることはかわりない。隙間時間の活用にも、処理速度の効率化にも限界がある。だから、どこかで「あきらめること」を引き受けなければいけない。

残念ながら、あなたをモチベートしてくれる情報にはそういった示唆は含まれていないかもしれない。「もっと、もっと」が基本テーゼだからだ(消費の基本概念でもある)。

別段、一部を「あきらめること」は、すべてを「あきらめること」ではない。やるべきことをやり、できないことは捨てる。ただそれだけの、現実的な話だ。それが残念だというならば、単に現実が残念なだけである。誰にも、どうしようもないことだ(ファンタジーに逃げ込む手はある)。


「タスクリストの項目を一つでも多くこなせるようになる」

大切なことだ。しかし、

「そもそもタスクリストに入ってくる項目を減らす」

ということも大切だ。もちろん、それは簡単にはいかないかもしれない。綱引きがあり、ネゴシエーションがあり、心の痛みがあるかもしれない。しかし、時間は増えないのだから、手を加えられるのはそこしかない。

選び、捨てる。

それが叛逆の仕事術の基本コンセプトである。

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