Category: ノート道の歩き方

そこにないかもしれないメモツール

前回:メモの緊急性

前回は、メモの緊急性について確認した。その性質によって、メモ生成装置は「いつでも、どこでも、すぐに」使えなければならない。今回は、その難しさについて考えよう。


脳は体の一部だ。脳があるところに、体もある。意識があれば脳があり、脳があれば体がある。しかし、ツールはそうではない。ツールは体の一部ではない。意識があっても、ツールがないことがありうる。

ドレスコードによってツールを持ち込めない場所がある。習慣あるいは礼儀としてツールを持ち込むべきでない場所もある。入浴中や大人の営みの最中など、なんとなく忌避される場面もある。あげくのはて、私たちがツールの存在を忘却してしまうこともある。なにせ、私たちの記憶力が心許ないからこそメモをするのだ。だから、メモ生成装置の持ち歩きを忘れてしまうことも念頭に置かなければならない。

私たちの脳にとって、真なる意味でユビキタスなのは脳だけだ。ツールがそこにないことは、可能性としては十分ありえる。

それでも一番可能性が高いのは携帯系ツールだろう。今ならスマートフォンだ。これを「体の一部」みたいに扱う人はたしかに存在する。「バッテリ切れ、即ち死」みたいな人だ。そこまで極端ではなくても、他のツールに比べれば、携帯系ツールは(その定義から言って)「いつでも、どこでも、すぐに」使える可能性は高い。

が、完璧ではない。

携帯系ツールで通話しているときに、その携帯系ツールにメモするのは難しい。バッテリーが切れたらメモはできないし、持ち歩くのを忘れてしまうことすらある。

そもそもとして完全完璧な「いつでも、どこでも、すぐに」を満たすことはできない。その上、一つのツールでそれをカバーすることも難しい。

だから適材適所で運用するしかない。分散型ネットワークで、着想を拾っていくのだ。

(つづく)

次回予告:分散型の運用指針について

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メモの緊急性

前回:R-style » メモとノートの定義

前回は、メモとノートの定義を確認した。今回はメモについて考察を深めたい。


メモは多様だが、ここでは「緊急性かつ一時性のある情報」を書き留めるためのメモに限定して話を進めよう。

まず「緊急性」だが、これはメモ生成装置の要件を規定する。

緊急的なものは、事前に発生タイミングを予測できない(だから、緊急となる)。つまり、このタイプのメモはいつ書かれるのかわからない。そのため、メモ生成装置には携帯性が求められる。「いつでもどこでも取れる」ことが必要になるわけだ。ポケットに入るミニノートや携帯電話(スマートフォン)がメモ生成装置として重宝され、かさばる大判のノートやタブレットが回避されるのはこのためだ。

また、それは緊急であるため、早い起動性を有していることも重要だ。ポケットの中には入っているが、メモを書き始めるためにブラウン管が暖まるまで待つ必要があるメモ生成装置など使いものにならないだろう。「閃き」という語感からもわかるとおり、着想は刹那である。一瞬でやってきて、一瞬で消え去る。今そのときに書き留めなければならない。
※以上は、『ハイブリッド発想術』でも論じてある。

簡単にまとめると、「いつでも、どこでも、すぐに」書き留められる機能がメモ生成装置には求められる。


しかし、「いつでも、どこでも、すぐに」を完璧に満たすのは難しい。脳内にマイクロチップがインプラントとして埋め込まれていれば(もちろん通信機能付きだ)それも可能となるが、今のところの技術では、コンビニに行って小さいノートを買ってくるような気軽さはそこにはない。

私たちは、「超知的生産生命体」を作ろうとしているわけではなく、日常の知的生産(知的生活)に僅かながらでも改善を加えようとしているだけである。視線は日常にキープしておきたい。

そこで、考え方を変える。メモ生成装置を単一に捉えるのではなく、装置群の系(システム)と捉えるのだ。

(つづく)

次回予告:なぜ「いつでも、どこでも、すぐに」の完璧な達成が難しいのか?

▼こんな一冊も:

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メモとノートの定義

「メモれよ、さらばメモられん」

という言葉を残したのは古代ギリシャの哲学者サンデルスであり、毎日必死にメモを取っていれば、いつかは他の人に自分の発言がメモされるような人間になるという意味が込められたありがたい言葉である。

以上はまったくの嘘なのだが(すいません)、知的生産活動においてメモは欠かせない行為であることは間違いない。それは、大雨の日の傘ようなものである。なくてもなんとかはなる。だが、そうとうに厳しい。

よって、このメモというやつといかに付き合っていくのかが、知的生産の技術では肝要となる。力技で解決できないことに取り組むのが「技術」なのであるから、これはまっとうであろう。

さて、以下の記事を読んだ。

メモがとれる人間にあこがれて~文具自分紀行・その3 | inspi

ヨシムラマリさんによるメモの考察だ。

 便宜上、ここでは「突発的に書く」ものを「メモ」、「計画的に書く」ものを「ノート」と呼ぶ。「突発的」というのは、「いつ」「どこで」それを書かなければならない状態になるか、予測できないということだ。歩きながら降ってきたアイディア、急に上司に呼び止められて頼まれた用事などがこれにあたる。逆に会議の議事録や、考えをまとめるときのように「書こうと思って書く」ものが「ノート」である。

メモとノートが区別されている。分ける基準は、作成時の状況であり、緊急性の有無という言い方もできるだろう。

自分のことを振り返ってみると、たしかにメモと呼べるものは、緊急的に作成されることが多い。閃きは突然訪れるし、そうして訪れた閃きは瞬く間に消え去ってしまう。だから、即座にその場でメモを取らなければならない。閃きの予測は困難であり、そのメモはいつだって緊急的に作成される。

で、そうではない記録がノートというわけだ。

これはたしかにその通りに思えるが、一度私の定義を確認してから、もう一回り深めてみるとしよう。

メモとノート

私のメモとノートの定義は、作成した情報の利用に着目する。簡単に言えば、一時性を帯びたものがメモであり、常駐性を帯びたものがノートである。具体例で考えよう。

電話をしている。「これから言う口座に振り込んでください」と言われる。そんなものメールで送って来いよ、と思いながら、あなたは手近な紙にでもその口座番号を書き留める。これがメモだ。そのメモは、振込用紙にきちんと番号を入力した瞬間にお役御免と成る。この「お役御免」が一度目の情報の利用のタイミングと非常に近しいところにあるものをメモと呼ぶ。

同じ口座番号でも、それが顧客リストの一部をなすものであればどうか。それはたぶんデータベース的なものに記録されるであろうし、その情報が実際にどれだけの回数参照されるかはわからないが、それでも前提としては何度も利用されることが想定されている。そして、何かしらの理由でその口座番号がデータベースから削除されることもありうるが、前提としてその情報はデータベースがある限り存続し続けることになっている。これがノート的な情報だ。

記憶と記録

メモやノートは記録である。そして、記録は記憶をサポートするために作られる。

それを考えれば、(私の定義では)メモは短期記憶をサポートするためのものであり、ノートは長期記憶をサポートするためのものとなる。つまり、筆算するときの計算式はメモであり、それをまとめた論文の作成はノートである。

この視点に立つと、ノートもさらに細分化できる。それは長期記憶の細分化と呼応する。

意味記憶は、My辞書でありセルフウィキペディアだ。虎の巻という言い方もできる。自分のノートに「データベース」を作っている人も多いだろう。論文だってそうだし、その他細かい情報を含めた「意味」を規定するものがここにあたる。

エピソード記憶は、ライフログだ。もちろん、そこには日記も含まれている。そして、手続き記憶はチェックリストであり、展望的記憶はいわゆるスケジューラーである。

これらが「ノート」というものを構成する。

ちなみに自分の「思索」を書き留めたものは、意味記憶とエピソード記憶の混合と言えるだろう。つまり自伝的記憶というわけだ。

二軸の探索

さて、ここでメモとノートに関して二つの定義が生まれた。これで二軸が作れるだろうか。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性でマトリックスを作れるかどうか、ということだ。

緊急性かつ一時性のある情報→電話口のメモ
計画性かつ常駐性のある情報→論文

これはいい。では、他はどうだろう。

緊急性かつ常駐性のある情報→?
計画性かつ一時性のある情報→?

たとえばモーツァルトか誰かは曲の全体像が一瞬で頭に浮かんで、それを楽譜の上に書き写すだけだったと言う。これは「緊急性かつ常駐性のある情報」だと言えるだろう。万人向けとは言えそうにないが、そういう行為を必要とする人がいることは一応想定できる。

また電話口で聞いた口座番号をそのまま直接データベースに入力することもある。これも「緊急性かつ常駐性のある情報」と言えるかもしれないが、そのような行為が行われるときは、たいてい「おそらくそういう状況が発生するであろう」ことが業務的に規定されているものであり、言い換えれば想定内(計画的)であるとも言える。急いで書き留めなければならない状況ではあるが、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」というシチュエーションは少ないだろう。

むしろ、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」場合は、どこかの紙に一時的に書き留めておき、それを改めてデータベースに入力し直すことが多いのではないだろうか。つまり、メモ→ノートの昇華である。記憶の比喩を続ければ、短期記憶が長期記憶に変化したわけだ。

以上のように考えると、「緊急性かつ常駐性のある情報」は概念的に想定しうるが、現実的に発生することは少ないかもしれない。

さらに、「計画性かつ一時性のある情報」となるとさらにやっかいだ。一体誰がそんなことを行うのだろうか。もちろん、忘年会でやる一発ギャグを必死に考える、ということはあるだろうが、その一発ギャグですら、コンテンツの消費的には一時的に扱われるが、来年再来年と同じことができるし、それを見た人がモノマネして別の宴会でやるかもしれない。それは常駐的な情報なのだ。

結婚式のスピーチや講演なども、たしかにそれは「たった一回しか使われない」ものであるが、文字起こしされたり、録音されたり、誰かに引用されたりすることは十分ありうる。その意味で常駐的な情報と言える。

そう考えると、「計画性かつ一時性のある情報」を見出すのはかなり難しい。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性は完全に独立したパラメータではないのだろう。往々にして、一時性のある情報は緊急的に発生するし、常駐性のある情報は計画的に作成される。そういう傾向がありそうだ。同じコインを違う角度から見ているに過ぎないとも言える。

さいごに

今回はメモとノートの定義周りについて考えてみた。

一見バカらしいかもしれないが、私たちは大人になるまで「メモとは何か?」「ノートとは何か?」といった定義について誰にも教わることはない。というか、大人になっても教わることはない。その機能や性質について無知なままで、知的生産活動に従事させられるのが我々の生きている社会なのである。これは結構辛いことだ。

今回は定義周りを押さえたので、次回はそれを踏まえてそれぞれの運用をもう少し掘り下げたい。

たぶん、つづくと思う。

※以下の二冊も参考になるだろう。

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