Category: 創作文

point of no return

「みんな、大事なことだから、よく聞いてくれ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 もう一度言うぞ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 だって、そうだろう。
 進んだ時間は元には戻らないし、吐いた言葉を引っ込めることもできない。
 俺たちは、常に前に向かって進んでいるんだ。立ち止まっているときですら、な。
 そんな俺たちが相互に影響し合っている。わかるか。
 俺が変わり、みんなが変わり、環境が変わる。そして、それぞれが影響を与え合う。
 同じ一秒なんてありやしない。常に、新品の未来がやってくるのさ。
 といっても、そんな風には見えないだろうがな。
 それが厄介ごとの原因さ。

 そんなことはない、とお前たちは言うかもしれない。
 これまで取り返しがついたことなんていくらでもある、と。
 でもそれは違うんだ。それは単に赦されただけだ。他者からの眼差しに、赦しの波長が含まれていただけだ。
 みなが取り返せたかのように振る舞っているから、取り返せたことにしておこう。
 そういう遊戯、いや、虚構なのさ。
 そんなものは、床板が抜けちまうかのようにひっくり返ることがある。
 そこから得体もしれないものが飛び出てきて、お前たちを襲うんだ。
 そして、気付くわけさ。ああ、取り返しのつく一歩など存在しないんだな、と。
 
 でもだからどうだって言うんだ。
 取り返しのつく一歩など存在しないことを知っていても、やっぱり俺たちは前に向かって進んでいく。
 後悔や苦悩ですら、結局は一歩だ。
 何をどうあがこうが、体を操られたみたいに、俺たちは歩み続ける。止める術はない。
 よぉ〜く考えようが、思い付きで飛び込もうが、一歩は一歩だ。
 そしてそのどれも取り返しがつくことはない。
 だったら、そうだな。納得できるかどうかが大切だろう。
 リスクという概念は無意味だし、可能性なんてちゃんちゃらおかしい。
 だってそれは複数回の試行においてのみ意味を持つ概念だからだ。

 一歩。
 俺たちの目の前にあるのは、ただの一歩なんだ。
 その一歩をどう歩むか、それこそが人生のすべてであると言ってもいい。
 その一歩は、どんな一歩であってもいいし、どんな一歩でもありえる。
 何からの結果を引き起こすかもしれないし、引き起こさないかもしれない。
 が、それを憂いても、意味はない。
 そもそも取り返しのつかいなことを憂うことにどんな意味がある。
 結局その憂いですら、一歩なんだ。そのことを忘れちゃいけない。
 いいや、そういうわけじゃない。そんな極端な話はしていない。
 憂い自体に意味がないわけじゃないし、憂うなと言っているわけでもない。
 何をどう憂うのかがポイントだと言っているんだ。
 
 もし取り返しのつく一歩なんてものがあるとすれば、俺たちは延々とその一歩について考え、悩み、修繕のための手を打つだろう。
 その間は、決して誰も前には進めない。
 取り返しがつかないからこそ、慎重さが生まれ、あきらめられることがある。
 どちらにせよ、進んでいくしかない。

 いいか、もう一度言うぞ。
 取り返しのつく一歩など存在しない。
 これは祝福でも呪いでもない。単なる事実だ」

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ハサミ

 男はハサミを弄んでいた。指かけはぬめりとした漆黒、刃は輝くような銀。それだけでどこか惹きつけられるそのハサミを、男は図書館で見つけた。奥まり、ジメジメとした空気が漂う一角に、堆く積まれた書籍。新雪のような埃。誰にも顧みられなくなった書籍たちの中にそのハサミはあった。男は何かを期待していたわけではなかった。むしろ何も期待していなかったからこそ、その一角を訪ねたのだ。絶望の散策。啓示はそこからやってきた。
 黒いハサミは、本の中に埋め込まれていた。その本のタイトルはもはや思い出せない。そもそも何でもよかったのだ。いつの時代の、どんな著者が、何の目的で書いた本なのかは関係がない。そこにハサミが埋め込まれていたことが大切なのだ。それこそが、男にとっての啓示であり、希望でもあった。
 気がつけば、そのハサミは男の手の中にあった。自分で抜き取った覚えすらない。そもそもそのハサミは、元から男の所有物であったのではないか? そんな不自然な感覚すら、ごく自然に感じられた。男は図書館を後にした。とめる人は誰もいなかった。埃は積もったままだった。
 そのハサミは、なんでも切れた。あらゆるイトを裁ち切り、あらゆるカミを切り裂き、あらゆるカラを突き破った。そうしようとさえすれば、原子と電子のリンクすら断ち切れそうだった。
 男は目に入るものを何でも切断してまわった。AとBを切り分け、光と影を切断し、贈与の連鎖を断ち切った。快感だった。愉悦だった。男は、創造の喜びに打ち震えていた。一つのものが二つになる。これが創造でなければなんだろうか
 男は切断を続け、快楽に浸り続けた。彼の欲求は止まることを知らなかった。切るためよりも、切れるかどうかを試すためにハサミを走らせた。切りたいかどうかすら関係がなかった。そこにあったのは、切断欲求ではなく、切断そのものの顕現欲求であった。ハサミ自身がそれを欲していたのだ。
 彼はあらゆるものを切り尽くした。社会はズタズタに切り刻まれ、科学と宗教信仰は紙吹雪となって散っていった。ハサミはまさに万能だった。あらゆるものの頂点に立つ存在だった。なぜ、そんなものが図書館に奥底に潜んでいたのだろう。なぜ、自分はそのハサミを手に取ることが許されたのだろう。もしかしたら、俺は選ばれた存在なのかもしれない。男は、確信を育み、その分だけ切断を増やしていった。
 もはや何も残されてはいなかった。切るものはすべて切り尽くされた。たった二つのものを除いて。そのうちの一つについて男は可能性を思い巡らせた。このハサミは、俺すらも切れるのだろうか。然り。もちろん然りだ。だったら試さなければいけない。もはや自分の意志とは無関係に、そんな欲望が立ち上がってきていた。あとは時間の問題だろう。
 では、ハサミはどうだろう。このハサミは、自らをも刻むことができるのだろうか。絶対的なハサミは、自らを持ってその絶対性を証明できるだろうか。しかし、ハサミは黙りこくっていた。ありとあらゆるものを刻むハサミは、自らを刻むことを望んではいなかった。そのことが、男にはよくわかった。長い間、いろいろなものを一緒に刻んできた男には、ハサミが発する声が聞こえたのだ。しかし、今このときは、ハサミはじっと沈黙していた。そしてただ、願っていた。俺自身が俺を切り刻むことを。そうして俺が消え去り、ハサミだけが残る。それで終幕だ。カーテンコールはない。望むものも、演じるものもいないのだ。
 男はもうハサミを捨てたかった。でも、そのハサミは彼自身の一部になっていた。彼の手が、ハサミだったのだ。彼は自分の手で、あらゆるものを刻んでいたのだ。あの本を求めて、かつて図書館だった場所にも行った。しかし、その本すらも彼は切り刻んでいた。そもそも、その本が存在していたとしても、彼のハサミは受け入れられなかっただろう。男のハサミと本のハサミはもはや形が違っていたからだ。どこにも行き場のないハサミと、どこにも行き場のない男。どちらによせ、男には何もなかった。今さらハサミを捨てたところでどうなる。しかし、時間が経てば俺は俺自身をこのハサミで刻んでしまうだろう。それはどのような苦痛だろうか。それとも、これまでに体験したことがない愉悦がやってくるのだろうか。試したい気持ちも、試したくない気持ちもあった。ハサミはそれすら切断して分離させた。
 
 そこには本があった。男はもうどこにもいなかった。その消息は誰も知ることがなかった。ただ、本だけが残されていた。その本にはハサミが収められていた。かつて男が振るったハサミであり、彼自身の一部であったハサミだ。その本は、そのハサミのためだけに作られていた。ちょうど収まるサイズに作られていた。
 本は図書館の一角に収められた。ハサミが消えた世界では、いつだって図書館は作られるのだ。そしてハサミであろうがノリであろうが構わずに収集してく。それが図書館が図書館たるゆえんでもある。
 そして、日が過ぎ、雨が降り、雪が降り、埃が積もった。
 本とハサミはまだそこにあった。

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ため息

 はあ。ため息をついた。一体何度目のため息だろうか。
 ため息をつくと幸せが逃げてしまうなんて言葉があるけど、あれは嘘だ。幸せが逃げているからため息が出てくるのだ。観測者の認識違いによって、因果関係の混乱が生じている。ばかばかしい。
 はあ。もう一度ため息をついた。ため息をついている自分の状況にため息が出てしまう。冷蔵庫は空っぽだけど、買い物に出かける気力はない。ピザの配達を受け取るのすらおっくうだ。缶ビールの空き缶が山脈を形成している。
 はあ。これまでで一番大きいため息をついた。すると、一緒に気持ちも口から出てきた。ひさびさに見た。漫画なんかでは、よくハートマークで描かれる気持ちだが、実際はあんなわかりやすい形をしていない。ドイツ職人が作ったみたいな綺麗な円形のときもあれば、子守歌を歌いたくなるほどのジグザグさを持つこともある。不定形なのだ。でも、そのときの気持ちはいやにはっきりした形をしていた。四角形で固定されている。それに、とても冷たい。
 私は口から出てきた気持ちをしげしげと眺めた。何年ぶりだろうか。大学生、いやもっと前だろう。社会人になってからは、一度も目にしたことがなかった。そんなことをしている暇もなかったし、大人がするようなことではないとも感じていた。でも、ひさびさに目にした気持ちは、どことなく再会を喜んでいる風でもあった。冷たくはあっても、それは私の中から出てきたものなのだ。
 恐れ。嗤われることへの恐れ。四角形の気持ちはそれで凝り固まっていた。なるほど、それでは形は変わりようはない。私はひとさし指で、パチンとその気持ちをはじいた。ポンと小さな音がした。それだけだった。形は変わらなかったし、消えてなくなることもなかった。
 私は口からその気持ちを飲み込んだ。置いておくわけにはいかないし、適切に捨てるゴミ箱もない。私の中だけが、私の気持ちの居場所なのだ。でも、今度ははっきりその存在が感じられるようになっていた。心臓の右下の方で、今もその気持ちは脈打っていた。消えてなくなることはない。でも、少しは柔らかさを取り戻したかもしれない。別の形になることだってあるだろう。
 気がつけば、ため息は消えていた。

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Rashita’s Christmas Story 8

 視界の端の時刻表示が23:59から00:00に切り替わる。セカンダリースペースに置いておいた動画サイトから、サービス名を高らかと宣言するPR音声が溢れてくるが、今は気にしている場合ではない。イベントの始まりだ。

 僕はずっと待機していたイベント入場画面の「開始」ボタンが、暗い背景色から、赤みがかったクリックを促すような明るい色に変わった瞬間にそれをプッシュする。すぐさまローディング画面が視界いっぱいに表示された。予想通りサーバーは混雑しているようだ。

 僕は一時的にオフスクリーンにして、体を伸ばす。疑似フルダイブ型のVRは、体の動きが画面操作に直結してしまうので、予想外の動作を避けるためにはオフスクリーンにするのが基本だ。せっかくいの一番に乗り込んだイベントを「戻る」でキャンセルしてしまっては元も子もない。なにせこのイベントは、その内容も得られる報酬も、事前にはいっさい告知されていない。「惨劇のクリスマス」という不吉なイベント名と、開始時間だけが開示されただけだ。

 今どきのゲーム運営ではずいぶんと珍しいスタイルで、プレイヤーたちは大いに戸惑った。だからこそ、ゲーム攻略情報を公開している僕にとってはまっさきに乗り込む価値があると言える。きっと、僕のような引きこもりゲーマーが画面の向こうで今か今かとローディングが終わるのを待っているだろう。さっさとイベントをクリアし、その内容と適切な攻略方法を真っ先に提示できたサイトは、著しいPVをゲットできるだろう。通常のイベントでもバカにはならないが、今回は内容が不明瞭なイベントなのでいっそう期待できる。

「ゲーム運営会社からのクリスマスプレゼントみたいなもんか」

 僕は自分の冗談につい笑ってしまう。引きこもりのゲーマーにも振る舞われるクリスマスプレゼント。サンタさんも忙しい。

 now loading……の表示が消え、Ready? の文字がでかでかと表示された。

 僕は右手の親指と人差し指で輪を作り、少しだけそれを前に伸ばす。承諾のサインが受諾され、イベントが開始された。

※ ※ ※

「なんだ、あっけねぇ〜な」
 きっと、イベントに参加したプレイヤーは皆同じことを感じただろう。「惨劇のクリスマス」は、ソロプレイ固定イベントで、必要レベルも15〜だった。チュートリアルを終了して数日でもプレイすればたどり着けるレベルだ。また、ソロプレイ固定イベントは基本的に厄介な敵は出てこない。麻痺や石化は、単独戦闘だとそのまま死に直結するし、魔法しか効かない敵キャラは、武闘僧では絶対に歯が立たない。だからどうしても、誰がやっても問題なくクリアできる難易度設定になってしまう。

 攻略組にせよ、情報組にせよ、レベル100以上はザラザラいるので、このイベントは楽勝以外の何ものでもなかった。具体的な内容は、暴走したスノーマンを討伐すること。一応三段階の難易度が設定されており、街を徘徊するスノーマン、森に潜むスノーマン、ダンジョンを彷徨うスノーマンと徐々にレベルは高くなっているが、それでもレベル100のプレイヤーが苦戦するほどでもない。ダンジョンの奥に強力なボス__ビッグ・スノーマン__がいるかと思いきや、そういったものも一切登場しなかった。

 そもそもスノーマン自体、動きが遅く、攻撃力もほとんどない。低いボイスで威圧をかけてくるが、小学生低学年くらいでないとビビることはないだろう。どこまでいっても余裕の戦闘だった。

 それでも、スノーマンは後から後から湧いてきた。街が雪に覆われているのだから、それも当然だろう。ポップの限界はどうやらなさそうだった。

 僕は一体、また一体とスノーマンを屠っていった。イベント専用のウィンドウには、スノーマン・カウンターなるものがあり、その数字が徐々にカウントアップされていく。どうやら、どのマップでスノーマンを狩っても、カウントは同じように進むらしい。どのスノーマンでも困るレベルではないし、一応経験値もそれなりにもらえるが、イチイチ帰るのも面倒なので、僕は初期配置の街でスノーマンを狩ることにした。同じように考えているプレイヤーも多いようで、街には見知った顔が余裕の表情でスノーマンを狩っていた。

 珍しくイベント中にチャットが飛んでくる。普段は、生き馬の目を抜く__スノーマンを倒すよりもはるかに難しそうだ__戦いをしているもの同士、イベント中には一切情報のやりとりを行わないのだが、今回は「ハズれ」イベントの匂いが濃厚で、僕以外のプレイヤーも毒牙を抜かれているのかもしれない。僕も、半ば無意識でスノーマンを狩りながら、チャットのウィンドウを開く。情報組の古参プレイヤーからだった。
「おい、これいつまでやるんだ」
「とりあえず、100体を目指そうと思っている。カウントが3桁までしかないから、いっても999までだろう」
「なるほどね」
 無限にスノーマンが湧いてくる上、「この弱点を突かないと負ける」といった要素も皆無なので、攻略情報などどこにもない。ソロプレイ固定ゆえに効率的なパーティーの組み方も模索しようがない。ただひたすらにスノーマンを狩るだけ。それだけだ。あきれるほど退屈だが、不思議と撤退しているプレイヤーはほとんどいないようだった。まだ報酬が明らかにされていないからなのか、そうではないのか。

 次第に僕もスノーマン狩りに夢中になっていった。目の間に出てくる敵をただ倒す。そんな単調な作業は久しく忘れていた気がする。95、96,97、98、100。あっという間にスノーマンカウンターは100に辿り着いた。鈴鳴りのジングルと共に、大きなウィンドウが開く。
≪Congratulation! You get a present!≫
 提示された報酬は、ミステリーキューブ1つ。
 ……
 ショボい。実にショボい。ガチャすら回せない。まあ、イベント自体が簡単なものだったから、当然と言えば当然だけど、待機してまでイベントに一番乗りした期待は、思いっきり空振りしてしまった。
 ふとウィンドウのスクロールに気がつく。追加の説明があるらしい。
「おめでとうございます。あなたにはミステリーキューブ1つが送られます。あるいは、ミステリーキューブ1つをもらう代わりに、他の誰か二人にミステリーキューブ1つをプレゼントすることもできます。プレゼントしますか?」
 一瞬何が書いてあるのか理解できなかった。落ちているミステリーキューブ1は、ドラゴンの根城の前でも拾っておけ、がこのゲームの鉄則である。なのに、それをもらわないなんて選択があるだろうか。
 もう一度文章を読む。ゆっくりと氷が溶けるように、意味を吟味していく。僕がミステリーキューブ1つを放棄すれば、他の誰か二人が1つもらえる。つまり、全体のミステリーキューブが1つ増える、ということだ。
 僕は想像してちょっとゾッとしてしまった。貨幣でこんなことをやれば、一気にインフレになってしまうだろう。しかし、このゲームではシステム内でミステリーキューブが完結していて、直接トレードも金銭トレードも不可能になっている。完全に運営会社の管理下に置かれているのだ。だから、システム内でミステリーキューブがどれだけ増えても、新しいガチャなりなんなりを投下すれば問題は何も起きない。それにしても大胆な内容である。誰も反応しなければ、ただのショボいイベントで終わってしまうのだから。

 僕は考えた。普通に考えれば自分でキープしておくのが良いだろう。僕が誰かにミステリーキューブを送っても、誰かから僕にキューブが送られてくるとは限らない。どうやらプレゼント相手はランダムに選ばれるようなので、どれだけ有名プレイヤーと友達であっても意味は無い。でも逆に、ある程度のキューブがプレゼントされるならば、一定の確率で僕に返ってくることになる。というか、全員がプレゼントを選択すれば、確率上は期待値は2倍になるはずなのだ。
 しかし、100人中99人がプレゼントを選択し、ひとりだけが自分のポケットに入れてしまえば、そいつだけが少し得をすることになる。そして、誰もがそのひとりになろうとすれば、結局期待値は変わらない。
 どうやら運営会社は、ゲームのイベントを使って、別のゲームを僕たちにやらせたいらしい。

 周りを見渡すと、他のプレイヤーも虚空を見つめて止まっている。ウィンドウのメッセージを「読み取って」いるのだろう。僕はふと我に返り、思わず笑ってしまった。そもそもミステリーキューブ1つなんてそれほど価値のあるものではない。入手が困難だから貴重ではあるが、かといって少なくとも5つ集めないとノーマルガチャすら回せないのだ。でも、僕たちはついつい真剣にこのイベントの攻略方法を考えてしまっている。それがゲームというものなのだろう。

 僕が≪誰か二人にプレゼントする≫を選択すると、スノーマンカウンターはゼロに戻った。それを確認した後で、先ほど声を掛けてきたプレイヤーに僕の意図を開示する。すぐさま彼は同意してくれた。なんと言っても彼もゲーマーなのだ。いったんイベントからログアウトし、情報を待ち望んでいるあまたのプレイヤーに向けて僕はシンプルな記事を書いた。きっと彼も別のテイストで記事を書いてくれているところだろう。
「今すぐイベントに参加して、みんなにプレゼントを配ろう」
 タイトルをそうつけた記事のPVなど気にすることもなく、僕は即座にイベントに戻り、そのまま夜が明けるまでスノーマンを狩り続けた。時間が経つにつれ、プレイヤーは増え続け、スノーマンは惨劇に見舞われた。
 僕たちにはミステリーキューブが見舞われた。

 メリークリスマス!

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整えられた再現性 <Dr.hack>

前回:R-style » 逆効果なエフェクティブ <Dr.hack>


「さあさあ、続けようじゃないか」
 ハカセは腕を振って、ホワイトボードをホワイトに還す。そして、≪再現性の付与≫と大きく書きつけた。
「まず確認しよう。我々人間は一人ひとり違っている。これはいいね」
 僕は頷く。
「名前、年齢、性格、技能、資金、環境、ニューロンネットワーク。これらが完全に一致することはまずない。だから、我々の人生もまた、一人ひとり違う。これもいいかな」
「まあ、生まれた人間はいつか死ぬ、という共通点はありそうですけどね」
 僕は混ぜっ返す。
「いや、それすら帰納でしかないんだよ。という話はまあいいとしよう。たしかに我々はいつかは死ぬ。しかし、そのいつかのタイミングも、その死に方も異なっている。だからまあ別のものだとしておこう」
 帰納についてちょっと気になったが、とりあえず僕は頷いておいた。
「ここで問題になってくるのが、ノウハウの再現性だ。どうして、このようにさまざまに異なった存在である我々に共通のノウハウなるものが成立するんだろう。ちょっとおかしいとは思わないかね」
 ハカセは不敵に問いかけてくる。疑問の形を取った発問だ。
「それはちょっと強引すぎませんか。たしかに僕たちは一人ひとり違ってはいますけど、共通点もそれなりにあるんじゃないですか」
「たしかに。その共通点に準拠すれば、再現性のあるノウハウは成立する」
 ハカセはホワイトボードに、「共通点に準拠」と書き足す。そして、しばらく無言の思索を続ける。
「何か科学の実験をしたことはあるかい?」
「学生時代にはやったかもしれませんが、あまり印象には残っていませんね」
「まあ、そうだろうね。やらされる実験ほどつまらないものはない。それはともかく、たとえばある科学者が何かの論文を発表したとする。そこにはデータも掲載されていて、そのデータを生み出した実験もその手順と共に紹介されている。さて、他の科学者はその論文の「たしからしさ」を確かめるために、どうすると思う?」
「同じように実験をやってみる、ですか」
「そうだね。追試というやつだ。その際注意しなければいけないのが、「まったく同じ環境に整える」ということだ。実験室の室内温度が3度違うだけで、結果が変わってしまうこともある。器材や試料だけでなく、実験に関わるもろもろを論文に揃えるんだ。そうして初めて、その実験の是非が確かめられる」
 そりゃそうだろう。たとえば、料理人が作ったレシピがあるとして、その手順通り作らないのに、「こんな料理美味しくない」と文句を言われても困ってしまう。レシピ通りに作ってはじめて味の評価ができるというものだ。
「そのように環境を整えることは、別の言い方をすれば、環境を限定するということだ。範囲を狭める、という言い方をしてもいい。ここで、ノウハウの再現性に戻ってみよう。「Excelを高速で使えるノウハウ」があるとして、それはどんなExcelでも使えると思うかね」
「まあ、だいたいのExcelなら出来そうですが、バージョンが違えばちょっとやり方は変わるかもしれませんね。あっ、あとMac版だとまったく使えないかもしれません」
「そうだね。だから、ノウハウをそのまま使おうと思えば、まったく同じパソコンで、まったく同じバージョンのExcelを使わないといけない。つまり、環境を整えるということだ。そうすれば再現性が生まれるし、そうでなければ再現性の担保はできない。ここまではいいかな」
 僕は三度頷いた。ごく当たり前の話に聞こえる。ハカセは何が言いたいのだろうか。
「さて、これを人生のノウハウにまで拡げてみよう。たとえば、「〜〜で成功する方法」というやつだよ。これはノウハウと言っていいだろうね」
「おそらく、そうだと思います」
「人間が、一人ひとり違った存在であるならば、そうしたノウハウはまったく役に立たないはずだ。一つの例外を除いてね」
「例外、ですか」
 ハカセはなかなか言葉を続けようとしなかった。僕の言葉の響きが消え去り、部屋には沈黙が居座った。思索の時間だ。
 僕はこれまでのハカセの話を思い出す。ノートは取っていないが、ホワイトボードが想起装置の代わりとなってくれる。ノウハウ、再現性、一人ひとりの違い、共通点に準拠、そして環境を整えること……。
 突然光がやってきた。僕はそれを言葉にする。
「自分の人生を、他の人の人生に揃える、ということですか?」
「ザッツグレイト」ハカセは言った。「まさに、その通りだ」
 ハカセは、「共通点に準拠」から矢印を伸ばし、「人生を揃える」と付け加えた。
「一人ひとりの人間が違っていて、再現性が得られないのなら、それを揃えてしまえいい。簡単なことだ。科学実験ほど完璧に揃えることはできないだろうが、ともかく何もかもを揃えていくんだ。道具立てや時間の使い方だけじゃない。考え方、精神の在り方、価値観、といったものも含めてね。つまり、自分であることを止めるわけさ。そうすれば、ノウハウの再現性が手に入る」
 僕は一瞬背筋が寒くなった。平べったく伸ばされたクッキー生地に金属の型が次々と押し込まれていくシーンが思い浮かぶ。
「ノウハウに自分を合わせる、ということですか」
「なかなかうまい言い方だ。そうとも言えるだろう」
 それにね、とハカセは続ける。
「歌舞伎みたいな芸能の世界だと、それこそ自分の子どもの環境を揃えることから始めるわけだ。それこそ鋳型にはめるみたいにね。そうしてやっと意味あるものを伝えることができる。それくらい再現性というのは大きな問題なのさ。だからもし、「誰でもできる」というノウハウがあり、それに再現性を求めようとすれば、自分の人生をかけがえのないものから引きずり下ろして、コモディティに揃えなきゃならなくなる。代価としては、ちょっと釣り合わない気がするね」
 ハカセはホワイトボードに「人生のノウハウ」と大きく書き、その下に「誰の人生か?」と書き加えた。
「うん、だいたいまとまってきたね。ありがとう。君のおかげで思考がうまく進んだよ。どうだい、コーヒーでも飲んでいくかね?」
 僕が喜んで頷くと、ハカセも上機嫌でキッチンへと消えていった。

(つづく)

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逆効果なエフェクティブ <Dr.hack>

「やあやあ、よく来てくれたね」
 研究所となっているマンションの一室に入ってみると、ハカセが両手を拡げて迎え入れてくれた。
「どうしたんですか。めずらしく呼び出しなんて」
 僕が問いかけると、ハカセがニンマリ頷く。「ちょっとしたアルバイトみたいなものさ。君も何かと入り用だろう」
 そう言うと、ハカセのニヤニヤが一層強まった。そうなのだ。先週はサクラさんの誕生日があって、財布の薄さがひどいことに……。
「というわけで、さっそく本題に入ろうじゃないか。二つのことを考えてくれたまえ」
 そう言ってハカセは、あらかじめ準備してあったホワイトボードに大きく書きつけた。
≪クラスで人気ものになる方法≫
≪再現性の付与≫

 

「ちょっとした思考実験だよ。こういう本があったとしよう」
 ハカセはホワイトボードに長方形を描き、その中に≪クラスで人気ものになる方法≫と小さい字で書き入れる。
「どう思うかね。仮にこういう本があって、その本には「クラスで人気ものになれる方法」がわんさか書いてあったとしよう。それをじっくり読んで、実行に移せば本当にクラスの人気ものになれると思うかね?」
 う〜ん、と僕は考え込む。「ちょっと理由はわからないですけど、なんとなくそれは無理っぽい気がしますね」
「だろうね」とハカセは頷く。「その理由について考えてみようじゃないか」
 理由? 一体何だろうか。理屈は固まらないが、なんとなくそれは道理が通らないような気がする。でも、どこにその違和感のもとがあるのかはわからない。
「まずそのノウハウに、本当に効果があるのかが問われるべきだろう」
「そりゃそうでしょうね」
「しかし、話を簡潔にするために、効果があるものだとしよう。問題はその再現性だ」
「再現性?」
「あるクラスにおいて、そのノウハウを実施した結果、人気ものになれたとしよう。素晴らしいことだ。しかし、それが別のクラスにおいて役立つことはなんら担保されていない。行きすぎた帰納だ」
「たしかに、クラスが違えばそこに属する生徒も違うわけですから、ノウハウの有用性も変わってきそうですね」
「それだけじゃない」ハカセは指を一本立てた。「実行する人間も変わっている点がある。プロゴルファーのスイングを注意してみてごらん。みなそれぞれに違った振り方をしている。もちろん、大まかには同じだよ。それでも注意深く観察すれば、リズムや腰の使い方、それに腕の振り幅なんかが違っている。それは、それぞれの体格や筋力が違うからだね」
「なるほど。つまり、人が違えば、ノウハウの細かい部分も変わってくるということですね」
「そう考えるのは何も不自然なことじゃないだろう。そういう意味で、そのノウハウには効果があるとも言えるし、ないとも言える。まずその点に留意が必要だろう」
 そう言ってハカセはホワイトボードの本の下に「効果あり」「効果なし」と書き込んだ。そして、「効果あり」から一本の矢印を伸ばす。
「では、仮にそのノウハウが普遍的に、言い換えれば汎用的に効果があるものだったとしよう。その本をAくんがウキウキしながら読んでいるところを、クラスメイトに見つかってしまう。Aくんは、さんざんからかわれたあげく、結局その本はクラス中で読み回されることになった。さて、どうなるだろう」
 う〜ん、と再び僕は考え込む。
「ややこしそうですね」
「それは間違いないね!」
 ハカセはハッハッハと声を上げて笑った。「でも、それを考えるのがこの思考実験の肝だよ。ちょっと場合分けをしてみようか」
 ハカセはホワイトボードにさらに書き足す。≪満場一致≫≪疑心暗鬼≫
「まず、そのノウハウは普遍的に効果があるんだったね。だったら、そのノウハウを読んだクラス中が「人気ものになれるノウハウ」を手にしたことになる。仮にそれを全員が行使したらどうなるだろうか。単純に考えれば、クラスの全員が人気ものになってしまう。しかし、これは定義的に少しおかしい。人気もの、というのは他と比べて突出していなければいけないからね」
「でも、人気ものにも高低があるんじゃないですか」
 僕は思いついた疑問を挟み込む。ハカセが僕に求めていることでもある。
「言いたいことはわかるよ。同じ人気ものでも、1番人気があるのと、31番目に人気がある、ということだね。でも、これは詭弁だろう。少なくとも31番目に人気があるとされた生徒にとってはね。言葉の定義を拡大して、ノウハウの効果を誤魔化しているにすぎない」
 僕は31番目に人気があると言われた生徒のことをちょっと想像してしまう。そして、心が痛くなってしまう。そんな人気ぐらいなら、いっそぜんぜんない方がいいくらいだ。
「よって、この場合は矛盾が発生する。となると、次だ」
 ハカセは≪満場一致≫にバツをつけ、≪疑心暗鬼≫からさらに矢印を伸ばす。
「クラス全員がノウハウを知っているということは、誰かがそのノウハウを使えば、「あっ、あいつ人気ものになろうとしているぞ」と察知されることを意味する。そうなると、その意図的な行動は逆の結果を引き起こしかねない」
「そういうのよくありますよね。いかにもって感じでテクニック使ってくる人間って薄っぺらい感じがします」
「それがクラス中に広がっているんだ。しかも、ごく自然な動作でそのノウハウに近しいことをしようとする生徒__きっと彼はもともと人気ものになる素質があったんだね__ですら、「作為的だ」と糾弾されることになる。彼は混乱するだろう。そうじゃないんだ、と。でも、その声は誰にも届かない。何せ、そのテクニックがあることは、彼自身も知っていたはずだからだ」
「なんだか、怖い話ですね」
「そうだね」ハカセはゆっくりと頷いた。「そうしてクラスの雰囲気はギスギスしたものになる。自然な調和はすっかり壊されてしまった。まるで、外来種によって元からあった生態系が破壊されてしまうみたいに、ね」

 

次回:整えられた再現性

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レールのおり方 [先輩と後輩シリーズ]

「せんぱーい」
「ん?」
「あのですね、ちょっと相談がありまして」
「なんだ、言ってみろ」
「私に投資してください!」
「断る」
「ちょっ! 決断が早すぎませんか。もっと熟慮してくださいよ。三日三晩悩み抜いてから重々しく答えを口にしてくださいよ」
「別に嫌がらせで言っているわけではないぞ。シンプルに投資する価値がないと判断したまでだ。というか、だいたい投資じゃなくて金を貸して欲しいだけだろ」
「いいえ、投資です。私は起業することに決めたんです」
「貴様、また何か本を読んだな」
「な、なぜそれを」
「いいから、ちょっと見せてみろ」
「ダメですよ! これは私だけの成功法則なんですから」
「仮にも出資をお願いしている人間にその態度は何だ? ん?」
「……この本です」
「『レールの外れ方』────そうか、わかった。まあ、頑張れ」
「ちょっと、逃げるように立ち去らないでくださいよ。みんなそんな調子なんですよ。最初に相談したときは、「やった方がいい」「人生はチャレンジだ」なんて言ってたのに、投資を頼みに言ったら「ちょっと現実的じゃないよね、それ」とか「もっと実績を積んでからでないと」って渋るんですよ。どういうことですか、これ」
「まあ、そうだろうな。応援するのはタダだし、言っている方も気分は良くなる。だが、お金を出すとなれば話は別だ」
「だったら、批判する人の方が正しいってことですか。そういうのはよくないって、この本に書いてありましたよ」
「どうして貴様はそんなに思考がシンプルなんだ。関係ない立場から批判するのだってタダだし、気分も良いだろう。そもそも、そんな外野から何を言われても聞く耳を持たないんじゃないか」
「それはそうかもしれませんが……」
「本当に大切なのは、信頼できる人からの厳しいアドバイスだ。誰だって親しい人には厳しいことなんて言いたくない。関係を壊してしまうかもしれないし、口から出た言葉には責任が伴うからな。でも、それでも言っておくべきことがある、という思いで紡がれる言葉には価値がある。わかるか」
「なんとなくですが……。はっ! だから今先輩は私に厳しい言葉を投げかけてくれてるんですね」
「いや、俺様は思ったことを素直に言っているだけだ」
「わかりました。私、先輩の信頼に応えられるように頑張ります!」
「ひとの話を聞いているか? まあ、そういう楽観思考が起業には必要だがな」
「だったら、投資してくれるんですよね。500万、いや100万でいいです」
「断る」
「え〜〜〜〜〜〜〜、今の話の流れだと、即決でキャッシュをポンっと投げて、「出世払いだ」とか言ってクールに立ち去るところでしょ〜〜〜〜」
「それは俺様のキャラではないし、そもそも出世払いと投資は別物だ」
「似たようなもんですよ。さあ、今こそチャレンジするときですよ」
「貴様のチャレンジに俺様を巻き込むな。あと、最低でもその区別ができるようになってから、人にお金をせびれ」
「せびってなんかいませんよ! 投資を求めているんですよ」
「その、「かっこよく言い換えたら中身もかっこよくなる」的アプローチは今すぐ捨てろ。不愉快だ」
「別に良いじゃないですか。誰にも迷惑をかけていませんよ」
「迷惑をかけなければ何をしてもいい、という発想はどこから生まれたんだ。あと、その理屈だと、迷惑をかけることは何一つしてはいけない、ということにもなるぞ。だったら息を吸うことすらできなくなる」
「よくわかりません」
「まあ、いい。ともかく人が投資する対象は二つしかない。事業か、人かだ。魅力的な事業があるなら投資を検討してもいい。あるいは、その人物に可能性を感じるなら事業プランが雑でも投資する価値はある。が、貴様にはそのどちらもない。ノーマネーでフィニッシュだ」
「可能性はありますよ。人の可能性は無限大なんです!」
「言ってて虚しくないか」
「……言わないでくださいよ」
「万が一、貴様がどうしても成し遂げたいことがあったり、やむにやまれぬ状況でその選択をしたのなら、この俺様だって冷血というわけではない。ちょっとは考えただろう。が、今の状態ではダメだ。覚悟も責任もないような人間に金を託すのは、ドブに捨てるのと同じだ」
「だったら、私はどうしたらいいんですか」
「別に普通にすればいいだろう。その本にはそういうノウハウはまとまっていないのか」
「ぜんぜん書いてませんよ。というか、レールから降りる方法しか載ってないです」
「まあ、そうだろうな。その後は高額のセミナーにご案内、というわけだ」
「どういうことですか」
「追い込み漁だ」
「だから、どういうことですか」
「ダークオブソーシャルだ」
「何ですか、その中二病感溢れるネーミングセンスは」
「貴様! 誰が深遠なる闇を称える邪眼魔導士だ」
「誰もそんなこと言ってませんよ。というかそれこそ中二病ですよね」
「まあ、いい。ようは魅力的な事業プランを考えるか、コツコツ実績を積んで人間的な信頼を得るか、そのどちらかだろう」
「それができるんなら苦労しませんよ」
「レールを降りるというのは、苦労するということだぞ」
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生きるという現象

自分とは何か。
自分ではないもの、ではないものの総体だ。
馬鹿げてる。
いや、それが事実さ。
まるで抗体だね。抗体的自我。
接することだよ。あらゆるものに。そうして反応をうかがうんだ。
自分か、そうでないか。絶え間なき自己確認。
その蓄積が自己認知、自分が自分に対して行うアイデンティファイを形作ってくれる。
シェイクなんだ。
触れること体験すること。
考えること確かめること。
それを繰り返して形成されていく何か、いや感触と言っていい。それが自分だ。
イデアではない?
イデアは幻想だよ。使い勝手のいい妄想さ。中身は単なるパターン認識に過ぎない。
でも、僕たちはそれを体験する。ありありとした事実として。
現象さ。すべては現象。錯覚だって現象には違いない。僕という自我でさえもね。
つまり、自分というクオリアなわけだ。
それが世界を構築している。
あまりに繊細でどこまでも滑稽な話だ。いつ崩れ去ってもおかしくない。
クオリアは決して交わらないし、試験管に閉じ込めておくこともできない。
世界は分断されている?
当たり前のようにね。
だからこそ、僕たちはつながりを求めて手を伸ばすんだ。
ニューロン的欲望。シナプス的デタッチメント。
プラトニックだ。
彼らは決して直接結合したりはしないだろう。情報を閾値的に伝え合うだけだ。
生き血的?
違うよ。まあ、似たようなものかもしれないけど。
自分とは何か?
そう問うている主体こそが、自分ではあるね。そして、それに答えようとする動きが生きるということでもある。
触れて確かめる。
体験して考える。
構築と脱構築の追いかけっこ。
静止は許されない?
何と言っても現象だからね。
ゼノンが放った矢だ。
瞬間的理解では、世界を見誤るのさ。

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信号機

二人の男がいた。二人は同じ道を使って出勤していた。

二人はちょうど同じ信号に引っかかった。二人は、同じものに気がついた。


「おっ、なんだ。あの信号機に木の枝が引っかかっているじゃないか。見えにくい。一体なんだ。誰が俺の邪魔をしてるんだ。そうか、俺に事故を起こさせようという陰謀だな。そうに違いない。ふっふっふ、俺はそれしきのことに負けたりはしない。願えば叶うというからな。これから毎日、「あの枝よ無くなれ」と願い続けてやる。自分に宿るフォースを信じるんだ」


「あちゃー、木の枝が引っかかってるよ。隣の街路樹が成長しすぎちゃったんだな。最近市の予算が厳しいって聞くし、たぶん整備にお金が回っていないんだろう。でも、ちょっと連絡しておくか。さすがにあの状態は危ないし」

「えっ、上司がいない。いや、それどころじゃないんですよ。とりあえず早めに対処しないと事故が起きますよ。ええ、はい。わかりました。折り返してください」

「えっ、市長に直訴してくれ。いやいや、そちらが上にあげてくださいよ。それでは予算の許可がおりない? わかりました。直接市長に言ってみます」

「そうなんですよ。木の枝が。えっ、管轄は市じゃない? じゃあどこに連絡すればいいんですか。国? また話が大きくなりましたね。わかりました、そこの電話番号は分かりますか」

「ですから、国道のですね。えっ、そこは県の管轄だ。だって、市長が。最近管轄区域が変更になった? 知りませんよ。ともかく県の道路整備局に連絡すればいいんですね」

「はい、早急に対応お願いします。こうしている間にも数百台の車があの信号を通過しているわけですから」


数日後


「おぉ、木の枝が消え去っているではないか。さすが俺のフォース。この力は広めていかないとな。はっはっは」


「やれやれ、やっと工事してくれたか。税金を払っている価値があるというものだ」

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やりたいことをやるために僕たちができること (その3)

前回:やりたいことをやるために僕たちができること (その2)


徹人 確認しておこう。何かを達成するには、「する」時間を増やすしかない。そして、そのためには優先順位を付けるだけでは十分ではない。そうだったね。

青年 ええ。その点がまだ十分に納得できていませんが。

徹人 なあに、難しい話ではないんだよ。たとえ優先順位を付けたとしても、それで行動が発生していないのであれば、それは真の意味での優先順位にはなっていない、ということだ。

青年 行動の発生、ですか。

徹人 そう。それが要なんだよ。人間はね、やりたいことができない状況だと、なぜだか「言い訳」を探そうとする。私はこれこれだから、できないんだと。不思議なことに、それで納得してしまう。状況を受け入れるといってもいいかな。それが導くものは、行動の非活性だ。それはわかるね。

青年 イメージはできます。

徹人 ライフハックとは、そこから一歩を踏み出すことだ。「じゃあ、今の状況でできることは何だろうか」、とね。これは、スタート地点を変えることでもある。一番最初は「かくあるべし」からスタートした。でも、うまくはいかない。そのときに、もう一度「かくあるべし」に戻って失敗するのではなく、諦めて歩みを止めてしまうのでもなく、その地点から何か目印を探して進むこと。それが大切なんだ。

青年 時間を作ることや、優先順位を決めることでも同じことが言えますか。

徹人 もちろんさ。むしろ、これはありとあらゆることに言える。優先順位をA〜Cで決めるやり方がうまくいかなかったとする。そのときは、考えるんだ。なぜうまくいかなかったのかを。そして、どうすればうまくいきそうかも考える。たとえば、Aが多くなりすぎて結局行動が選べていないのなら、Aをたった一つだけにするといい。そして、Aを付けたタスクをすぐさま実行する。それが終われば、またリストに戻ってどれか一つだけにAを付ける。これでタスクはぐんぐん進んでいく。

青年 そんなにうまくいくでしょうか。

徹人 そんなことはわからないさ。うまくいかなければ、また考えるんだ。いいかい。ある方法をうまくやることに懸命になりすぎて、その目的を忘れてしまってはいけない。方法は、変えていいんだ。大切なのは、目的に向かって進むことさ。

青年 それはたしかにそうですが……。結局、僕は何をすればいいんでしょうか。

徹人 やるべきことを見定めて、そのために時間を使うことだ。

青年 効率的にそれを行うわけですね。

徹人 それは違うね。効率なんていうのは、主要な目的ではありえない。目的を達成するために、たまに必要になる程度のものだ。

青年 しかし、時間を有効に活用しようとすれば、効率的であることは避けられないのではありませんか。

徹人 それは一見正しいように思えるね。でも、それを突き進めていくとどうなるだろうか。

青年 どうなる? どんどん効率的になっていくでしょう。

徹人 そういう風に思えるね。でも、本当にそうだろうか。

青年 僕にはわかりませんよ。それともあなたは、「効率すなわち非効率なり」、なんて禅問答みたいなことをおっしゃりたいんですか。

徹人 そこまでひねくれてはいないが、概ね方向は合致しているね。はじめから効率的にやろうとするから、足を止めてしまうことになる。ようは行動の非活性が起きるわけだ。

青年 また出てきましたね。行動の非活性。

徹人 効率的であろうとすれば、これまでと同じことを続けていればいい。失敗することなどに手を出さなければいい。一度やってうまくいかなかったら、別のうまくいく方法をまたどこかから借りてくればいい。無駄なことを何一つしなければいい。いや、いっそ進もうとしなければいい。最強のエネルギー効率じゃないか。

青年 それが行動の非活性というわけですね。

徹人 そうだよ。効率的であろうとすることは、効率的であらなければならないという思考の呪縛を生む。そして、効率的でないことを一切避けるようになってしまう。結局そこでは新しい行動は生まれようがない。

青年 だったら、あなたは効率なんてまったく考えなくていいと主張されるんですか。

徹人 そうではないよ。はじめから効率的であろうと考えるのではなく、徐々に効率的にしていくと考えるんだ。それはカイゼンの一つの指標であって、「かるあるべし。でなければ不要」という規範ではない。それがごっちゃになると何も身動きが取れなくなる。試すことができなくなってしまうんだ。

青年 試すこと、ですか。

徹人 そう。試すこと。考えること。修正すること。そして、また試すこと。これを繰り返して、徐々に効率的になっていくんだ。そして、同時にそれは習慣にもなっていく。そうなればしめたものだ。なにせそれは優先順位が変わったことを意味するからね。

青年 どういうことですか。

徹人 いいかい。何かが習慣になったということは、それは無意識での優先順位が最高レベルに達した、ということだ。なにせ、優先しようと意識しなくてもそれをやってしまうわけだからね。私が空き時間についつい本に手を伸ばすみたいに。

青年 その境地にまで至れば、自然と「する」時間は増えていくわけですね。

徹人 そういうことだ。これにはまあ、時間はかかるがね。


徹人と青年シリーズ
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