Category: 知的生産

実用書と創作文、あるいは器と中身 #DrHack

さらに引き続き、新刊『Dr.Hack』について。

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今回は小説作品を書く、ということについて書いてみます。

中身と器

私は雑多な物書きです。実用書も書きますし、創作文も書きます。デュアル・オーサーというわけです。

でも、それだけではありません。

実用書っぽい創作文も書きますし、創作文っぽい実用書も書きます。実用書+創作文も書きます。だから、ハイブリッド・オーサーなわけです。

★実用書っぽい創作文

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★創作文っぽい実用書

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★実用書+創作文

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というか、そもそも私はジャンルを念頭に置いて何かを書いているわけではありません。書きたいこと・表現したいことがまず先にあり、それを適切に収める器はどれだろうと考えてものを書きます。その際、既存の器に適切なものがあればそれを使いますし、そうでなければカスタマイズしたり、器そのものを創作したりします。別にそれは奇をてらっているわけではなく、書きたいことが先にあるからこその必然です。

だから今後も実用書を書いていくでしょうし、同様に創作文も書いていくでしょう。むしろ、これまでは創作文の数が少なかったきらいすらあります。その分、今後は徐々に巻き返していくことになるでしょう。

でもって本作はそのリングでのジャブみたいなものです。いや、ジャブよりももっと弱い、ゴングが鳴ったときにボクサーが軽く拳を打ち合わせるアレみたいなものです。前哨戦、といったところでしょうか。

ある種のことがらは実用書の体裁で書いた方がうまくいきます。逆に創作文(小説)の形で表現しないと、どうしても伝えきれないこともあります。こればかりはどうしようもありません。器一つひとつには機能があり、個性があり、限界があります。物書きはそれを適切に見極めて使い分けるしかありません。繊細な板前が、料理に合わせてお皿を選ぶようなものです。

極端なことを言えば、『Dr.Hack』のエッセンスは実用書のフォーマットでも表せます。それで「知識」は伝えられるでしょう。でも、それだけではないものがこの作品には詰まっています。それが一体何なのかは、さすがに読んでもらうしかないわけですが__だからこの本を書いたわけです__、それでも『数学ガール』から物語を取り除いたら『数学ガール』ではなくなってしまうように、本作も小説であることにはきちんと意味があります。

別にキャッチーさや単なる目新しさのために「ライフハック・ライトノベル」を名乗っているわけではありません。そこには意志というか、「そうしなければならない」という切実な何かがあるのです。

とは言え、物語の形式にしてしまうと、トピックを拾って流し読みする、みたいなことはできないわけですし、解釈の違いや具体性におけるズレみたいなものも生じます。「読んだらすぐわかる」的なビジネス書読みはできません。が、こればかりはトレードオフなので仕方がないでしょう。

本の在り方、読まれ方にもいろいろあるわけです。


というわけで、今後も小説作品及びなんだかよくわからないジャンルの本を書いていくよ、というお話でした。次回は10万字というボリュームに関する話を書いてみます。

▼その他の記事:

R-style » 電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました
R-style » Dr.Hackはフルノベル
R-style » 実用書ではないけれども #Dr.Hack

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実用書ではないけれども #Dr.Hack

引き続き、新刊『Dr.Hack』について。

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本書は、小説であり、実用書ではありません。実用書成分が皆無かと言えば、そんなことはないのですが、どちらかと言えば薄めではあるでしょう。

今回の本は、私の本書きの三指針である「読みやすく、面白く、役に立つ本」の最後の一つは若干弱めです。あるいは、遠回り的、という言い方もできるでしょう。

まさしく、このような本です。

でもって、このような本でもあります。「考える」ことを大切にしている本と言えるかもしれません。対話重視の本です。その意味で源流は『ソクラテスの弁明』あたりになるでしょうが、この本で行われているのは議論ではありません。せいぜい穏やかな講義です。

Amazonのカスタマーレビューを頂きました。以下に引用します。

ライフハック本は「このようなときは,このようにしましょう」的なTIPS集が多いように思いますが,この本は違います.how toだとその用途や事柄に特化した応用が出来ない知識が増えるに留まることがあります.しかしこの本では,幾つかの事例を例題に挙げて問答形式で進むため,否応なしに一緒に考える形になります.結論だけではなく,結論に至る過程や考え方も理解出来,そして応用も効く本質的な部分まで理解が進むというわけです.

ここまで丁寧に読み取って頂いて嬉しい限りです。で、まさにこのようなことを目指した本です。

たとえば、リマインダー1つとってみても、リマインダーを使えば便利ですよ、という話で終わるのではなく、なぜそれが便利なのか、どのような理由でそれが機能するのかまでつっこんで「考え」れば、応用の範囲はぐんと広がります。少なくとも、具体的に紹介されているツールの垣根なんてあっという間に越えられます。

もちろん個々の具体的なテクニックも大切ではありますが、その分野は他の方がさんざん語り尽くされているので、私としては別の方向を開拓したい気持ちが強くあったのです。でもって、それを為すためのフォーマットが、この「ライフハック・ライトノベル」という形でした。

というのも、その手の話は、ストレートに語るとどうしても硬くなり、とっつきにくくなってしまいます。教室の一番前の席に座って、黒板を睨みながら、黙々とノートを取る眼鏡っ子くらいの話しかけにくさです。それは避けたいと思いました。気楽に読めるけども、奥にまで届く。そういう作品を目指して書いたのが本作です。

とは言え、本作もまだまだストレートさは残っています。なにせ5年も前に書いたので、使える引き出しの数が少なかったのです。この辺が第二弾、第三弾でどう変わっていくのかが楽しみですね、と他人事みたいに書いていますが、言葉通り楽しみではあるのです。だいたいにして、自分がどんな作品を書くのか、自分でもわかっていないところがあります。というか、だからこそこの仕事は飽きることがないのかもしれません。

ともかく、本作は実用書ではありません。娯楽小説とも言い難いでしょう。では、一体何なのか?

もちろん、ライフハック・ライトノベルです。これまでのどんな定義にも当てはまらないから、わざわざ新ジャンルを作ったのです。ハカセのイノベーションに関するセリフが思い出されますね。

というわけで、今回は、「実用書にあらず」について書いてみました。次回は、小説作品を書くことについて書いてみようかと思います。

▼その他の記事:

R-style » 電子書籍新刊『Dr.Hack』が発売となりました
R-style » Dr.Hackはフルノベル

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そこにないかもしれないメモツール

前回:メモの緊急性

前回は、メモの緊急性について確認した。その性質によって、メモ生成装置は「いつでも、どこでも、すぐに」使えなければならない。今回は、その難しさについて考えよう。


脳は体の一部だ。脳があるところに、体もある。意識があれば脳があり、脳があれば体がある。しかし、ツールはそうではない。ツールは体の一部ではない。意識があっても、ツールがないことがありうる。

ドレスコードによってツールを持ち込めない場所がある。習慣あるいは礼儀としてツールを持ち込むべきでない場所もある。入浴中や大人の営みの最中など、なんとなく忌避される場面もある。あげくのはて、私たちがツールの存在を忘却してしまうこともある。なにせ、私たちの記憶力が心許ないからこそメモをするのだ。だから、メモ生成装置の持ち歩きを忘れてしまうことも念頭に置かなければならない。

私たちの脳にとって、真なる意味でユビキタスなのは脳だけだ。ツールがそこにないことは、可能性としては十分ありえる。

それでも一番可能性が高いのは携帯系ツールだろう。今ならスマートフォンだ。これを「体の一部」みたいに扱う人はたしかに存在する。「バッテリ切れ、即ち死」みたいな人だ。そこまで極端ではなくても、他のツールに比べれば、携帯系ツールは(その定義から言って)「いつでも、どこでも、すぐに」使える可能性は高い。

が、完璧ではない。

携帯系ツールで通話しているときに、その携帯系ツールにメモするのは難しい。バッテリーが切れたらメモはできないし、持ち歩くのを忘れてしまうことすらある。

そもそもとして完全完璧な「いつでも、どこでも、すぐに」を満たすことはできない。その上、一つのツールでそれをカバーすることも難しい。

だから適材適所で運用するしかない。分散型ネットワークで、着想を拾っていくのだ。

(つづく)

次回予告:分散型の運用指針について

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メモの緊急性

前回:R-style » メモとノートの定義

前回は、メモとノートの定義を確認した。今回はメモについて考察を深めたい。


メモは多様だが、ここでは「緊急性かつ一時性のある情報」を書き留めるためのメモに限定して話を進めよう。

まず「緊急性」だが、これはメモ生成装置の要件を規定する。

緊急的なものは、事前に発生タイミングを予測できない(だから、緊急となる)。つまり、このタイプのメモはいつ書かれるのかわからない。そのため、メモ生成装置には携帯性が求められる。「いつでもどこでも取れる」ことが必要になるわけだ。ポケットに入るミニノートや携帯電話(スマートフォン)がメモ生成装置として重宝され、かさばる大判のノートやタブレットが回避されるのはこのためだ。

また、それは緊急であるため、早い起動性を有していることも重要だ。ポケットの中には入っているが、メモを書き始めるためにブラウン管が暖まるまで待つ必要があるメモ生成装置など使いものにならないだろう。「閃き」という語感からもわかるとおり、着想は刹那である。一瞬でやってきて、一瞬で消え去る。今そのときに書き留めなければならない。
※以上は、『ハイブリッド発想術』でも論じてある。

簡単にまとめると、「いつでも、どこでも、すぐに」書き留められる機能がメモ生成装置には求められる。


しかし、「いつでも、どこでも、すぐに」を完璧に満たすのは難しい。脳内にマイクロチップがインプラントとして埋め込まれていれば(もちろん通信機能付きだ)それも可能となるが、今のところの技術では、コンビニに行って小さいノートを買ってくるような気軽さはそこにはない。

私たちは、「超知的生産生命体」を作ろうとしているわけではなく、日常の知的生産(知的生活)に僅かながらでも改善を加えようとしているだけである。視線は日常にキープしておきたい。

そこで、考え方を変える。メモ生成装置を単一に捉えるのではなく、装置群の系(システム)と捉えるのだ。

(つづく)

次回予告:なぜ「いつでも、どこでも、すぐに」の完璧な達成が難しいのか?

▼こんな一冊も:

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メモとノートの定義

「メモれよ、さらばメモられん」

という言葉を残したのは古代ギリシャの哲学者サンデルスであり、毎日必死にメモを取っていれば、いつかは他の人に自分の発言がメモされるような人間になるという意味が込められたありがたい言葉である。

以上はまったくの嘘なのだが(すいません)、知的生産活動においてメモは欠かせない行為であることは間違いない。それは、大雨の日の傘ようなものである。なくてもなんとかはなる。だが、そうとうに厳しい。

よって、このメモというやつといかに付き合っていくのかが、知的生産の技術では肝要となる。力技で解決できないことに取り組むのが「技術」なのであるから、これはまっとうであろう。

さて、以下の記事を読んだ。

メモがとれる人間にあこがれて~文具自分紀行・その3 | inspi

ヨシムラマリさんによるメモの考察だ。

 便宜上、ここでは「突発的に書く」ものを「メモ」、「計画的に書く」ものを「ノート」と呼ぶ。「突発的」というのは、「いつ」「どこで」それを書かなければならない状態になるか、予測できないということだ。歩きながら降ってきたアイディア、急に上司に呼び止められて頼まれた用事などがこれにあたる。逆に会議の議事録や、考えをまとめるときのように「書こうと思って書く」ものが「ノート」である。

メモとノートが区別されている。分ける基準は、作成時の状況であり、緊急性の有無という言い方もできるだろう。

自分のことを振り返ってみると、たしかにメモと呼べるものは、緊急的に作成されることが多い。閃きは突然訪れるし、そうして訪れた閃きは瞬く間に消え去ってしまう。だから、即座にその場でメモを取らなければならない。閃きの予測は困難であり、そのメモはいつだって緊急的に作成される。

で、そうではない記録がノートというわけだ。

これはたしかにその通りに思えるが、一度私の定義を確認してから、もう一回り深めてみるとしよう。

メモとノート

私のメモとノートの定義は、作成した情報の利用に着目する。簡単に言えば、一時性を帯びたものがメモであり、常駐性を帯びたものがノートである。具体例で考えよう。

電話をしている。「これから言う口座に振り込んでください」と言われる。そんなものメールで送って来いよ、と思いながら、あなたは手近な紙にでもその口座番号を書き留める。これがメモだ。そのメモは、振込用紙にきちんと番号を入力した瞬間にお役御免と成る。この「お役御免」が一度目の情報の利用のタイミングと非常に近しいところにあるものをメモと呼ぶ。

同じ口座番号でも、それが顧客リストの一部をなすものであればどうか。それはたぶんデータベース的なものに記録されるであろうし、その情報が実際にどれだけの回数参照されるかはわからないが、それでも前提としては何度も利用されることが想定されている。そして、何かしらの理由でその口座番号がデータベースから削除されることもありうるが、前提としてその情報はデータベースがある限り存続し続けることになっている。これがノート的な情報だ。

記憶と記録

メモやノートは記録である。そして、記録は記憶をサポートするために作られる。

それを考えれば、(私の定義では)メモは短期記憶をサポートするためのものであり、ノートは長期記憶をサポートするためのものとなる。つまり、筆算するときの計算式はメモであり、それをまとめた論文の作成はノートである。

この視点に立つと、ノートもさらに細分化できる。それは長期記憶の細分化と呼応する。

意味記憶は、My辞書でありセルフウィキペディアだ。虎の巻という言い方もできる。自分のノートに「データベース」を作っている人も多いだろう。論文だってそうだし、その他細かい情報を含めた「意味」を規定するものがここにあたる。

エピソード記憶は、ライフログだ。もちろん、そこには日記も含まれている。そして、手続き記憶はチェックリストであり、展望的記憶はいわゆるスケジューラーである。

これらが「ノート」というものを構成する。

ちなみに自分の「思索」を書き留めたものは、意味記憶とエピソード記憶の混合と言えるだろう。つまり自伝的記憶というわけだ。

二軸の探索

さて、ここでメモとノートに関して二つの定義が生まれた。これで二軸が作れるだろうか。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性でマトリックスを作れるかどうか、ということだ。

緊急性かつ一時性のある情報→電話口のメモ
計画性かつ常駐性のある情報→論文

これはいい。では、他はどうだろう。

緊急性かつ常駐性のある情報→?
計画性かつ一時性のある情報→?

たとえばモーツァルトか誰かは曲の全体像が一瞬で頭に浮かんで、それを楽譜の上に書き写すだけだったと言う。これは「緊急性かつ常駐性のある情報」だと言えるだろう。万人向けとは言えそうにないが、そういう行為を必要とする人がいることは一応想定できる。

また電話口で聞いた口座番号をそのまま直接データベースに入力することもある。これも「緊急性かつ常駐性のある情報」と言えるかもしれないが、そのような行為が行われるときは、たいてい「おそらくそういう状況が発生するであろう」ことが業務的に規定されているものであり、言い換えれば想定内(計画的)であるとも言える。急いで書き留めなければならない状況ではあるが、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」というシチュエーションは少ないだろう。

むしろ、「まさか、そんなタイミングで口座番号を言われるとは思っていなかった」場合は、どこかの紙に一時的に書き留めておき、それを改めてデータベースに入力し直すことが多いのではないだろうか。つまり、メモ→ノートの昇華である。記憶の比喩を続ければ、短期記憶が長期記憶に変化したわけだ。

以上のように考えると、「緊急性かつ常駐性のある情報」は概念的に想定しうるが、現実的に発生することは少ないかもしれない。

さらに、「計画性かつ一時性のある情報」となるとさらにやっかいだ。一体誰がそんなことを行うのだろうか。もちろん、忘年会でやる一発ギャグを必死に考える、ということはあるだろうが、その一発ギャグですら、コンテンツの消費的には一時的に扱われるが、来年再来年と同じことができるし、それを見た人がモノマネして別の宴会でやるかもしれない。それは常駐的な情報なのだ。

結婚式のスピーチや講演なども、たしかにそれは「たった一回しか使われない」ものであるが、文字起こしされたり、録音されたり、誰かに引用されたりすることは十分ありうる。その意味で常駐的な情報と言える。

そう考えると、「計画性かつ一時性のある情報」を見出すのはかなり難しい。つまり、緊急性・計画性と一時性・常駐性は完全に独立したパラメータではないのだろう。往々にして、一時性のある情報は緊急的に発生するし、常駐性のある情報は計画的に作成される。そういう傾向がありそうだ。同じコインを違う角度から見ているに過ぎないとも言える。

さいごに

今回はメモとノートの定義周りについて考えてみた。

一見バカらしいかもしれないが、私たちは大人になるまで「メモとは何か?」「ノートとは何か?」といった定義について誰にも教わることはない。というか、大人になっても教わることはない。その機能や性質について無知なままで、知的生産活動に従事させられるのが我々の生きている社会なのである。これは結構辛いことだ。

今回は定義周りを押さえたので、次回はそれを踏まえてそれぞれの運用をもう少し掘り下げたい。

たぶん、つづくと思う。

※以下の二冊も参考になるだろう。

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invisible hardship

私たちに提示されるのは、完成品であり、成功品です。『ハイブリッド発想術』にも書きましたが、欠陥品や失敗品は隠蔽され、私たちの目には止まりません。

あるもののデザイン案が10あろうが、100あろうが、1000あろうが、最終的に私たちの目に入るのは最後のただ1つのみです。どれだけエジソンがフィラメントの素材に悩もうが、完成品の電球はただ電球としてだけ存在しています。

だからそう、それはクールなのです。「失敗? そんなの知らないね」みたいな顔で澄ましています。

もちろん、それはそれで良いのでしょう。私たちは電球が点けばそれで十分であり、いちいちエジソンの苦労を想起していては身が持ちません。道具を使う、体験するという文脈においては、バックボーンは無用か、むしろ有害ですらあるでしょう。

とは言えです。何かの価値を判断するときは、また違った文脈が登場します。いわんや、自分が作り手の立場に立ったときならばなおさらです。

完成品はどれだけクールでも、そこに至るためのプロセスはまったくクールではありません。隠蔽しているヴェールを取り払い、その中に一歩踏み込んでみれば、ぐじゃぐじゃのドロドロが広がっています。そこを一歩一歩進んでいく気概、情熱、覚悟、その他いろいろがなければ、踏破は不可能でしょう。

クールなものは、クールにはできていないのです。

文章だってそうです。きらりと光るタイトルがあり、適切に内容を要約する見出しがあり、綺麗な文章の接続があり、納得できる文章の構造がそこにあったとしても、そんなものが初めから存在していたと考えるのは早計です。相当な早計です。

そうしたものは、だいたい、たいてい、後からできます。「整えられる」と表現すれば良いでしょうか。「後付け」という言い方もできます。作っては壊し、作っては壊し、部分的に改修し、ときに大手術を行う。そのようなことを繰り返して、最終的にできあがるのはクールなものです。

この場合のクールとは、「あたかもはじめからそうであった」という顔つきをしている、ということです。「ほら、この文章書くの苦労したんですよ。こことここの部分は特にですね。あと、この見出し。これって最高じゃありませんか。15パターンも考えたんですよ」みたいな注は付かない、ということです。

だから一見すると、すごく簡単に成し遂げられたように思えます。もう少し正確に言えば、そこにあったはずの苦労は意識されません。スムーズに読める文章であればあるほど、その裏にある鉋がけの工程は見えてこないのです。

これはデザインと同じでしょう。優れたデザインであれあるほど、それがデザインであることは意識されなくなります。綺麗に読める、違和感なく読める、さらっと読める文章のためには、999枚の破り捨てられた原稿用紙がゴミ箱に積まれていることすら珍しくありません。

しかしまあ、そんなことは読む人には関係ありません。必要なのはそこにある文章であって、ゴミ箱に積まれた原稿用紙ではないのです。

が、書く人となれば話は変わります。一番最初にゴミ箱に投げ捨てられた原稿用紙と、1000枚目の原稿用紙。この二つの間にあるものについて、注意を向ける必要があります。それは紛れもない現実なのです。

だからそう、問うべきは「自分はどちらの立場なのか」ということなのでしょう。

良き船旅を。

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「役に立たない本は読まない」という指針

一つの指針ではあるでしょう。人生は有限で、書物は膨大にあるのですから、何かしらの線引きは必要となります。でもって、「役に立たない」本を切り捨てるのは、有用で実際的な指針にすら思えます。

何か問題があるとすれば、その「役に立たない」という判断基準についてでしょう。

冒頭の指針をもう少し正確に表現し直せば、

「私がこの本は役に立たないと思う本は読まない」

となります。どうでしょうか。若干、危うさが漂ってくるのではないでしょうか。

読書という行為には、「何を面白いと思うか」の判断基準のアップデートが含まれています。本を読むうちに、自分の世界観が脱構築されちゃうことだってあるのです。しかし、「役に立たない本は読まない」という指針は、そのような脱構築の可能性を大幅に減少させます。ほとんど皆無になると言ってもよいのではないでしょうか。

世の中には、「頭をガツンとやられる一冊」というのがあるわけですが、それはまさに自分の情報判断基準アルゴリズム(ひらたくパラダイムと呼んでもよいでしょう)にアップデートを迫ってきます。

ここで相対主義的に、「アップデートすることにも価値があるし、しないことにも価値がある」みたいな逃げ口上を述べたくなるわけですが、そもそも「アップデート」という言葉遣いには、それが基本的には良いことであるという価値観が埋め込まれてしまっているわけですから、ここはあっさり開き直って、それは良いことだと言っておきましょう。少なくとも、アップデート後の状態に立てば、その前の状態に戻りたくなるような気持ちは湧いてこないはずです(そういう状態を「アップデート」と呼んでいるのですから、いささか欺瞞的な表現ではありますが)。

話がクレータ島の迷宮みたいに込み入ってきたので、あっさりまとめておくと、

「何かしらの判断基準を持つことは大切だが、それが検証・アップデートされない状況はマズイかもしれない」

となります。ときに、自分世界の地平を揺さぶる何か__おそらくそれはノイズと言われるもの__が必要です。

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電子書籍市場と辺境の人たち

『出版ニュース2017年3月上旬号』の「特集:2016年電子出版市場と「電子化率」の相関関係」を読んだ。鷹野さんの記事だ。

出版ニュース2017年3月上旬号 – 雑誌・電子書籍 | BookLive!

出版物の「電子化」はどれだけ進んでいるのか。それがデータを元に解説されている。で、ポイントは「売っていないものは買えない」だ。しごく当たり前の話だが、少し考えてみよう。

たとえば、とある出版主体が「電子書籍って売れないよね」と思っていたとする。その主体からした合理的判断は、「電子書籍にはあまり注力しない」となるだろう。点数を揃えず、販促にも力をそそがない。だって、売れないのだから。結果どうなるか。当然、売れない。「ほら、やっぱり売れない」。

予言の自己成就だ。

もちろん売上げがゼロということはなかろう。しかし、このような状況でキャズムを越えるような出来事が起こるとは想像しにくい。どう考えても、注力が足りていないからだ。

もし出版主体が「電子書籍は売れる。未来がある」と考え、全力で取り組んでいたら、書い手からみても好ましいラインナップになるだろうし、消費刺激施策はノンカスタマーまで広がっていく可能性がある。そうなれば、市場が広がり、活性化され、本当に売上げが増える──少なくともその可能性は生まれる。

イノベーターの出現場所

現状、電子書籍の市場は小さい。文字モノは特にそうだろう。今この市場に参加する旨味は小さい。でもって、あらゆるイノベーションは、参加する旨味が小さい段階から足を踏み入れ、投資を積み増した先駆者が実現するものだ。もちろんリターンは彼らがかっさらう。IT化によってその傾向はより強まっている。

問題はしがらみだ。しがらみはいろいろなものを束縛する。そして、その束縛を抜け出せるほどの力を持たない中小主体は、現状維持するしかない。逆に、力を持つのなら、新しいしがらみを自らで生み出していける。市場はそこから変わっていくかもしれない。

あるいは、革命は辺境から生まれることもある。中央からはほど遠い、既存の出版ビジネスと縁遠い場所から、破壊的イノベーションがもたらされることもありうる。その波が生み出すものは、これまでのビジネスモデルとはまったく違っているだろう。

どちらにせよ、変化がまったくないビジネスはほとんど考えられない。いつかは何かが変わるのだ。

今買っている人たち

電子書籍の恩恵をまっさきに受けるのは誰か。はっきりしている。大量に本を買い込んでいる人間だ。

本をたくさん買っている(=持っている)人ほど、電子書籍はありがたい。蔵書管理は、あらゆる読書家の悩みであろう。置く場所がないのだ。まるで自己増殖するみたいに本は増えていく。本棚が一杯だから買い控えよう、ということすら起こりうる。購買活動におけるボトルネックが生じているのだ。言い換えれば、消費者はその点で「困っている」のだ。

「困ったままでいいから、紙の本を買いなさい」

と言うのは、売り手として誠実だろうか。少なくとも、電子書籍として買える選択肢は用意すべきではないだろうか。仮にそうしても、紙の本で買う人は買う。売上げは分散するだけで、(単価が変わらなければ)大きく減少することはないだろう。それに、電子書籍には売り切れがなく、言葉通り全国津々浦々に流通するので、発売日に購入者がきちんと購入でき、それによってレビューも集まりやすくなる。結果、紙の本の売上げにつながることすら想定できる。

さらに言えば、ロングテールな売上げも期待でき(※)、セールなどの消費刺激策も打てるので、過去のコンテンツがそろって資産となる。もちろん、管理の手間は増えるだろうが、「情報を残し、次の世代に伝えていく」という文化的使命から考えれば、マーケットプレイスでしか手に入らない状況よりは、はるかに選択肢は広がっていると言えるだろう。
※『ゼロから始めるセルパブ戦略』にも書いた話だ。

寄りつきにくい人たち

とは言え、である。先ほども述べたように、電子書籍の恩恵をまっさきに受けるのは(定義はさておき)読書愛好家である。

でもって、現状電子書籍がリーチできているのも、読書会愛好家ぐらいしかない、という問題がある。このリーチが、読書愛好家以外にまで伸びないと、市場は絶対に大きくならないし、ロングテール的な売上げやセールの動向も規模が小さくなる。これでは先行きは暗い。

電子書籍は書いたときに買いたい本が即座に買え、大量の本を一つの端末に持ち歩ける、というメリットがある。そのメリットは、読書愛好家にとって好ましいものではあろう。

しかし、書店ごとにストアがばらつき、行われているセールやポイント還元の制度がそれぞれ違っているので、読書好きでない人が「気楽に買える」環境ではない。その点、紙の本はどこかの書店に行って、お金を出せばそれで事足りる。そういう人は、書店をくまなく探索して、私にとっての最高の一冊を探すようなことはせず、気になった本、話題になった本を買いたいだけだ。そこでは、気軽に買えることが何よりも重要となる。

その点、他の買い物サービスとアカウントが同一のAmazonと楽天は強いであろう。後は、本への動線設計だけの話だ。それ以外のストアは、やはり今のところは「本好きの人のためのサービス」であり、ノンカスタマーにまでリーチするには一ひねりした施策が必要そうである。

さいごに

「売っていないものは買えない」

これは実にその通りである。売っていないものは買えない。売上げも立たない。そこから市場が広がることもない。瞬間的な売上げも、ロングテール的な売上げも、販売してこそ生じるものである。

とは言え、売っていたからといって買われる、という話でもない。売ることは買われることの必要条件だが、十分条件ではない。

今のところ、電子書籍ががっちりリーチできているのは、本をたくさん買う人か、パソコン(あるいはネット)に親しい人かのどちらかであろう。その外にまで広がらない限り、大規模な市場拡大は望めないと想定できる。

そこで出てくるのが、やっぱり「辺境の人たち」だ。業界の中心に位置するのでもなく、ネットの最先端にいるわけでもない人たち。そういう人たちの実感に即した何かが生まれてくれば、(たとえ日本中の人が電子書籍を読むような事態が訪れることはないにせよ)今よりは市場の拡大が望めるだろう。

▼こんな一冊も:

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Take a Write

おどろくほど気軽に、この文章は書き始められている。アプリをテキストエディタに切り替え、command + nで新規ファイルを作成したら、後は冒頭の一行を書き始めるだけだ。最初は「散歩、登山」というタイトルを書き込んだが、気が変わって今のタイトルになった。改行を一つはさみ、「おどろくほど気軽に、」と打ち込んで、後は思いつくままに文章を続けている。今こうして書かれている文章もそうやって生まれている。

非常に気軽な文章だ。なんの準備もない。意気込みもない。着の身着のままの執筆といったところだ。たいていのR-styleの記事はそのように書かれている。まるで散歩のような執筆。

しかし、すべての文章をそのように書いているわけではない。しっかりと準備を整えるものもある。たとえば『かーそる 2016年11月号』に寄せた記事は、どちらも準備を整えた。特に「知的よ、サラバ」は、入念と言ってよいだろう。コピー用紙、大量の付箋、8枚の厚紙ボード、WorkFlowy、Ulysses、そしてEvernote。すべてをフル活動して、原稿を作り上げた。

アイデア出しを行い、関連して欠ける要素を膨らませ、資料を漁り読書メモをとり、順番を並び替えて一番良い流れを探す。何なら少しラフスケッチも行う。そこまでした上で、ようやく執筆に取りかかった。いや、もうその作業全体が執筆だったと言っていいだろう。そして、たいていのボリュームある文章は同じように書いている。まるで山岳登頂のような執筆。

ボリュームがあり、しかもそこに筋が通っているものを書き表そうとすれば、それなりの準備が必要となる。なぜなら、私たちの頭の中身は筋が通っていないからだ。リニアなルートというよりも、連想ネットワーク的にそれらは存在している。しかもそれは動的に再編される。され続けている。挙げ句の果てに、その全体像を「意識」としての私は捉まえきれていない。そんなものを簡単に表せると思ったら大間違いである。

人によっては、それは山に登る作業かもしれない。森の奥に分け入る作業かもしれない。あるいは、深海に潜る作業なこともありうる。どちらにせよ、それは散歩ではない。着の身着のままではなく、何かしらの準備が必要なのだ。そしてその準備を含めて、「執筆作業」なのだとも言える。

これは、「書く前にあらかじめ内容を固めておこう」という話ではない。そういうことではなく、執筆という行為の工程は、そんなに単純なものではない、ということなのだ。トラブルの起きない山登りなどないだろう。つまりは、そういうことだ。だからこそ、あらかじめの準備は必要となる。でも、どこまで準備しても、最終的には現場の判断がものをいうこともまたたしかであろう。

というような簡単な話であれば、散歩の執筆で十分間に合う。これもまた文章を書く楽しさではあるのだ。

▼こんな一冊も:

かーそる 2016年11月号
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Scrapboxの基本操作

引き続きScrapboxについて。

Scrapboxの情報構造
Scrapboxの利用方法

今回は、ごくごく基本的な操作について。

新規作成

まず、画面上の「+」マークが新規ページ作成ボタン。ちなみに、細かいメニューは右上にあるので暇なときに触ってみるのがいいだろう。ヘルプにもそこからアクセスできる。

で、ページを作成すると、こんな感じとなる。

中央がエディタで、右のアイコンが作成者、その下のファイルマークが操作メニューである。ページの複製や削除が行える。「Pin at home」を指定すると、ホーム画面の冒頭に固定表示される。冒頭は他のページよりも大きいサイズで表示されるので目立つ。他の訪問者に最初に見てもらいたいページを指定する使い方などがあるだろう。

では、中身。

一行目が自動的にタイトルとなる。URLもそこで設定される。二行目以降が本文だ。

操作について覚えておくべきことは実はそれほど多くなく、[]がいろいろ多機能である、という点だけを踏まえれば何とかなるだろう。他のページへのリンクは[ページタイトル]で作成される。wikiをイメージしてもらえばいい。空のリンク__つまり、まだ存在していないページへのリンク__も作れるのがありがたい。そういうシチュエーションは山のようにある。

あとは、ハッシュタグ。#ハッシュタグ の記法でOKだ。

おおよそ、この二つを知っておけば、Scrabpoxの基本的なパワーは活かせるのではないか。その他太字処理やらなんやらはヘルプの「記法」をご覧頂ければ、すぐにわかる。あとは実際に書いていれば慣れてくるだろう。

使い方の指針

でもって、指針だが、やはり他のページへのリンクとハッシュタグをばしばし付けていく使い方がいいだろう。ハッシュタグはページのどこに書いてもいいので(もちろんタイトル以外だ)、思いついたその瞬間に書いておける。Evernoteの場合は、本文から一度タグ入力欄に移動しなければいけないのが、若干の手間なのだが、Scrapboxでは直接本文に書けるので、実にシームレスだ。これがなかなか良い。

リンクやハッシュタグを増やせば増やすほど、ページ間のつながりが動的に生まれてくる。そうすれば、後から見たときの利便性が上がる。

この点を考えても、本ツールはやはりメモ__使い捨ての情報を留めて置くツール__ではなく、ノート__後から何度も利用することが前提のツール__であると言って良いだろう。もちろんメモを書いていけないわけではないが、後からそれを整形し、利用可能な状態に持っていくことが望ましい(あるいは、メモというページを作ってしまうか、だ)。

あと問題になってくるのは情報の粒度である。細切れ情報は使いにくいとしても、せっかくリンクがあるのだから、あまりに大量の情報を詰め込むのは合理的ではない。やはりウィキペディアのような「一つの概念」に一ページを当てるのがよいだろう、という予測は付くが、雑多な情報をEvernoteに保存してきた私には、その粒度の設定が案外難しい。これは今後の使用における課題でもある。

さいごに

ともかく、後はまあ、使ってみるしかない。

今のところ、一枚のページを一枚の情報カードに見立てるのが良さそうな気はしているが、その正否もしばらくためしてみれば判明してくるだろう。

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