春樹さんへの質問、文章を書くということ

村上春樹さんが質問サイトをオープンされていると聞いて、小躍りしているところです。

なにせ、これまではそんなコーナーがある知ったときには、すでに閉鎖されてしまっているという「ぐぬぬ」感に苛まれていました。なので、以下の本とか、以下の本とか、以下の本とか、以下の本とかをボロボロになるまで読み返していたものです。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号))
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号)) 村上 春樹

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「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 村上 春樹 安西 水丸

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「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi Original)
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ようやく今回はリアルタイムで臨めるということで、早速当日に質問のメールを送ってみたのですが、よくよく考えてみるとそれほど質問・相談したいことがありません。なぜかというと、第一に私は基本的に人に質問する性質ではない上に、第二に上記の本を読みすぎていて、すでに知っていることが多すぎるからです。

なので、すごく無難な質問をして、ごく当たり前のように無難にスルーされました。「ぐぬぬ」再来。まあ、特に悔しいという気持ちもありませんが、何かトリッキーな質問を思いついたら再チャレンジしたいと思います。

さて、早速Q&Aが公開されているわけですが、その内に以下のようなものがありました。

文章を書くのが苦手です 村上さんにおりいって質問・相談したいこと(村上さんのところ)

大学院生さんが、春樹さんに「文章読本」的な考えを質問していて、出てきた答えが以下です。

文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。

まあ、そりゃそうなお話です。たとえば、これを次のように言い換えてみたらどうでしょうか。

文章を書くというのは、短距離走と一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。

そりゃ、そうですよね。

基礎的な訓練や、具合の悪いフォームの矯正などで、ある程度早く走れるようにはなれるでしょう。でも、だからといって全ての人が短距離走選手になれるわけではありません。同じような訓練を積んでも差というのは、当たり前のように生じてくるものです。人間には個体差があるのですから、不思議な話ではありません。

文章を書くことだって、スキルの一つなんですから同じことでしょう。

もう一つは、「文章を書く」というのがある種の表現であり、ある種の翻訳である、ということです。表現である以上、伝えるべきことが頭の中に無ければ前には進めません。でもって、伝えるべきものを見つける訓練はできますが、何を伝えるべきものだと思うのかは、やっぱり当人依存なわけです。ものすごくよく見える虫眼鏡を持っていても、月の上では四つ葉のクローバーは絶対に見つけられません。こればかりはどうしようもない問題です。
※だからこそ、文章を書く行為にパーソナルな意味があるわけですが。

で、「翻訳」というのは、ようするに思念・思索・イメージ・概念はイコール言葉ではないので、それを言葉に直すときに一種の翻訳的な要素が入り込む、ということです。それは技術で(ある程度)補えるものですが、いわゆる「センス」と呼ばれるものも無視はできません。たとえば、言葉のリズム感だとか。

総じて見ると、やっぱり「もって生まれたもの」的な要素__技術という言葉には含められないもの__はどうしても出てきます。

でもって、別に文章がうまく書けなくてもいいじゃないか、という開き直りも出てきます。ある人は歌い、別の人は踊る。文章を書くのが苦手ならば、なんとかそれを乗り切って、何か得意なことに注力してリカバーする。そういうのも考え方としてありではないでしょうか。

「基本的にはもって生まれたもので決まります」という考え方は、「人は全ての可能性に向けて開かれています」という考え方に比べれば、いささか狭苦しい印象を覚えますが、やはり制約こそが力を発揮する鍵である点は留意したいところです。

▼この記事も:

才能についての雑感

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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