【書評】学びとは何か(今井むつみ)

「学びとは何か」

深淵で実用的な問いだ。なかなか珍しい。

人が学ぶとはいったいどういうことだろうか。知識を仕入れること? では、知識を仕入れるとはどういうことだろう。言い換えれば、どういう状態になれば知識を仕入れたと言えるだろうか。

何かウィキペディアで検索してみる。たとえばドイツの哲学者ニーチェのフルネームはフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェで、彼は、1844年に生まれ1900年に没していることがわかる。これで私は知識を得たことになるのだろうか。

あるいはこんなことを考える。暗記力を競うグランプリで、優勝者が100桁のランダムな数字を暗記したとしよう。そうして暗記した数字(=情報)は果たして知識と言えるだろうか。

もし、これらがNoであるなら、いったい知識とは何であり、学ぶとはどのような行為を指すのだろうか。本書はそれを探る一冊である。

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)
今井 むつみ
岩波書店
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スキーマ

本書の要点は二つある。「スキーマ」と「知識のシステム」だ。そこから「知識ドネルケバブ・モデル」の克服が導かれる。

心理学におけるスキーマは「〜〜とは○○である」という心象・認識を意味する。集まった人々が皆黒服で涙を浮かべているなら、何の説明がなくても私たちはそれを葬式だと認識する。そのようなとき、私たちには葬式のスキーマがあると言える。普段純喫茶にしかいかない人がスタバに行って戸惑うのも、スタバ的カフェのスキーマをその人が持たないからだ。

私たちは日常で起こっている何かを理解するために、常に「行間を補っている」。実際には直接言われていないことの意味を自分自身で補いながら、文章、映像、あるいは日常的に経験する様々な事象を理解しているのだ。行間を補うために使う常識的な知識、これを心理学では「スキーマ」と呼んでいる。

このスキーマは、学びにおいてどのような役割を持つのだろうか。実は大きな役割を負っている。ポイントは、スキーマは理解を助ける、という点にある。

スキーマは覚えるべき内容に意味づけをする。スキーマはまた、外界にある膨大な情報から必要な情報にのみ注意を向けさせる。

スタバ的なお店に入ったら、まず「レジっぽい場所」を探す。次にカフェのサイズ表記を確認する(ショート? Sサイズ? ノーマルサイズ?)。そうすれば、滞りなくオーダーが進むと私は知っているからだ。ここでは、注意の選択が行われていることがわかるだろう。

カフェの店内は膨大な情報を持っている。私はそのすべてを一つひとつ確認したりはしない。私のスキーマに基づいて、見るべきものを選択している。意味のあるものと意味のないものを認識的にフィルタリングしている。

スキーマの功罪

これが意味するものは何だろうか。実はシンプルだ。スキーマは私たちが受け取る情報を形作る。つまり、スキーマは次なるスキーマの形成に影響を与える。スキーマは連鎖すると言ってもいいだろう。ここにやっかいな問題がある。

まずは、知識の広がり方だ。私はスタバっぽいお店に行くたびにそれぞれのお店のサイズ表記には詳しくなるだろう。しかし、それぞれのお店のエプロンの違いについてはまったく知識は増えない。なぜなら、注意を向けていないからだ。それがスキーマのフィルタリングの効果であり、それがあるからこそ私たちは世界を「理解」していけるのだが、万能というわけでもない。

次に、スキーマの誤りがある。スキーマは別に証明された真理ではなく、あくまで人間が経験と推測から作り出した「思い込み」でしかない。単にその妥当性が高いから機能しているものにすぎないのだ。だから、間違っていることは充分にありえる。しかし、スキーマは私たちの認知を方向付けるので、それが間違っていたとしてもなかなかわからなかったりする。スキーマの妥当性を否定するような情報から目を背けるようになるわけだ。

スキーマは次のスキーマを呼び込むわけで、誤ったスキーマを持ち続けていたら、どうなるか。少し怖い話である。

知識についての知識

私たちの知識は、相互に関連性を持つ。私が「スタバっぽいお店」を認識できるのは、それと同時に「スタバっぽくないお店」を認識できるからだ。

何か新しいカフェが現れるたびに、私はそれを「スタバっぽいお店」か「スタバっぽくないお店」に割り当て、どちらにも違和感があるなら、新しい概念を生み出すことになる。新しい概念を生み出すことで、別の概念に結びつけられていたお店もそちらに移動するかもしれない。このように知識は全体的に更新されていく。つまり大きな一つのシステムを形成している。

私たちは、おおよそ何についてもスキーマを持つ。「知識」や「学び」という少しメタな概念についても同様だ。

著者は「知識ドネルケバブ・モデル」という美味しそうな名前の概念を本書で説明している。
※ドネルケバブを知らない人はグーグルで画像検索してみよう。

知識はきれいに切り取ることができる断片である「客観的事実」として存在し、その断片を人から教えてもらう。「知識=事実」のエピステモロジーでの知識モデルは、「客観的な事実」である知識片をぺたぺた表面に貼り付けていって、ひたすら大きくしていくイメージを喚起させる。そこで私はこれを「知識ドネルケバブ・モデル」と呼んでいる。

この知識ドネルケバブ・モデルが「生きた知識」の体得を阻害すると著者は説く。なぜそうなのかは本書を直接当たってもらいたい。その上で、「なぜそうなのか」を自分で考えてもらいたい。

スキーマを更新するのだ。

さいごに

たくさん本を読んでいるけど、いっこうに知識が増えた気がしない、という方は、一見遠回りに見えるがまず本書から当たってみるのが良いだろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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