阪神大震災から13年

あの日から13年…阪神大震災、各地で犠牲者追悼(読売新聞)

6434人が亡くなった阪神大震災の被災地は17日午前5時46分、発生からまる13年を迎えた。

 震災犠牲者や、震災での被災を遠因として亡くなった人たちの名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中央区の東遊園地では、市と市民団体による「1・17のつどい」が営まれ、多くの参列者が竹灯籠(とうろう)の前で、黙とうした。


あの地震から13年という年月がたった。毎年この日になるといろいろ思うことがある。
このブログも、2004年から始めて、いまはもう2008年である。3月になれば4周年ということになる。これでも結構長くやっているつもりであるがそれでも4年。13年という年月の重さを改めて思い知らされる。

この13年間でいくつかの地震があった。それもそれなりの規模の地震だ。あのときの教訓をうまく生かせて被害を少なくできたこともあっただろうし、うまく生かせなかったこともあるだろう。

とりあえず、私たちの心には震災の記憶が未だに残っている。
さすがに直接被災した人たちに比べればその記憶が色あせてしまっていることは否定できない。それでも、この日、こうやってブログを書くことで我々はつい忘れそうになることをなんとか思い出すことができる。

人間の無力さについて、人々が助け合うことの大切さについて。

13年前に比べて今の日本はどうであろうか。格差社会ということがもはや常識として受け入れられつつあるなかで、資本主義は力強く幅をきかせている。市場原理はいつまでも生き続けている。いくつかの改革がその路線に沿って進められようとして大きな障害を受けて立ち止まっているものもある。
「会社は誰のものなのか」といった問題定義からでもわかるように日本社会においては完全な市場原理主義が働いているわけではない。それはある意味で誇るべき事だと思う。
すくなくとも、あれほどの大きな震災において、困窮する人々に助けの手をさしのべてくれるのは市場では決してない。我々が他人を思いやる気持ち、それは時に完全資本主義社会においては邪魔者扱いされかねない気持ちがあるからこそ、人々は助け合うことが出来る。

我々は少なくともそういったことだけは忘れてはいけないと思う。
ありきたりな言葉ではあるが、それこそが我々が今生きている意味ではないか、とすら思ってしまう。




人々が笑顔で暮らすには、それほど大層な舞台が必要なわけではない。
自分が生きていること、そして笑顔を見せる相手がいること、それがあればとりあえずは笑って暮らせる。

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1件のコメント

  • By l^, 2008 年 1 月 20 日 @ 7:09 PM

    _k l^

    NuUNRg_kЁv RXTR??V_k??…

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