知らずに押していた背中

あまりのことに驚いた。少し涙ぐみそうにもなった。

とある飲み会の話。

東京に行ったとき数人のメンバーと夕食を共にしたのだが__僕はこっそり腹黒会と呼んでいる。他意はない__、そこに一人の若者がやってきた。別の方の知り合いらしい。大学生だと言う。電子書籍ベースの文芸誌をサークルで作っている、と言って見本誌を僕らに渡してくれた。

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電子書籍販売プラットフォームのBCCKSは、紙版を作ることもできる。すごい世の中になったものだ。パラパラとページをめくりながら話を聞いていると、突然僕の名前が出てきた。『KDPではじめるセルフ・パブリッシング』(通称赤本)を読んで、こうした活動をやってみようと思ったらしい。

僕はものすごく複雑な気持ちを味わった。

半分では、「うん、そうだ。この本(赤本)は、まさにそういう意図を持って書かれたんだから」という気持ちが、もう半分では、「まさか、そんなことが実際に起こりうるなんて」という気持ちが。なかなか天の邪鬼も忙しい。

ともかく、そう。僕は自分の書いた本で、知らないうちに知らない人の背中を押していた。そして、そうして押された背中から生まれた本もまた、別の誰かの心のスイッチを押すだろう。そのようにして、世界は回っていく。

どちらにせよ、本を書く以上は生半可なことは書けないな、と改めて強く思った。なんといってもそれはPublishingなのだ。もちろんわかってはいた。だからこそ、ヒポクラテスの誓いのように物書きになる前に心の中で宣誓したのだ。「ろくでもないことは書かない」、と。

あえて大げさに言えば、その誓いがもたらすものの受肉を僕はまざまざと目撃したことになる。それはたいへん嬉しいことであり、それと同時に怖いことでもある。

もし僕があの本を「君も一晩で有名作家になれるぜ!」なんてテイストで書いていたら__もうちょっとは数は売れていたかもしれないが__、この雑誌は生まれなかったことになる。違った世界線に突入していたのだ。

それだけの力が、本にはある。

使い方を誤れば、ひどいことにもなりうる。

一体どうしたら、これを軽く扱うことができるだろうか。


うまく本を書くのは難しい。美しい文章を紡ぐのも難しい。面白く話を展開していくことも困難だ。

でも、「ろくでもないことは書かない」は、守ろうと思ってさえいれば、守れる。ただただ、自分の信念に基づいて十全を尽くせばいいだけだ。自分の利益のために人を陥れることを是とする価値観を拒否しておけば、「ろくでもない」ことからはずいぶん遠ざかれる。

そしてそう、この短い文章ですら、僕の知らない人の背中を知らないうちに押すのかもしれない。そう考えると、「公開」ボタンを押すのがひどく恐ろしくなる。でも、そのボタンを押さない限りは、誰にも届かないのだ。

だからそう、僕は今日も書き上げた文章を上から下まで確認し、それが「ろくでもないこと」ではないことを確認して、記事を公開する。

二つの相反する気持ちを、内側に留めたまま、前に進む。

それがたぶん、真ん中を歩くということ。

▼こんな一冊も:

KDPではじめる セルフ・パブリッシング
C&R研究所 (2016-04-21)
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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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