本を「並べる」

「ああ、もうダメだ」

本棚が一杯なのである。もちろんこれまでも一杯だった。でも、だましだまし本を積んできたのだ。もはやそれも限界だ。後ろの方から「床が抜けても知らないよ」と妻の声も聞こえてくる。

いよいよ処分するときがやってきたのだ。心が痛い。ツイッターでフォローしている人のフォローを解除する以上に辛い。でも、仕方がない。なにせ、1.現状でも置き場所がない。 2.私が本を買うことを止めることはない。 この二つを合わせると、3. 旧い本を処分して置き場所を作る という解答がナチュラルに出てくる。そうだ、処分するのだ。

これまでほとんどまったく「捨てるもの」として本を見てきたことはなかった。今回は鬼の形相で本棚を眺める。すると、案外「あっ、これいらないな」という本がいくつも見つかった。読み返すことはないだろうし、読み返したいと思うこともないような本だ。小説の類は一冊もない。ほぼすべてが実用書だ。2010年くらいに買った本が多いように思う。

大きめの紙袋にどしどしそういう本を投げ込んでいく。予想していた通り、そこには背徳感を含んだ愉悦があった。たぶんダンシャリ的な面白さもこの辺にあるのではないか。

ともかく本を処分した。当然、本棚にスペースが空く。これまでサイドテーブルに積んであった本も、本棚に収納できるようになった。そうなると、配置が始まる。本を並べるのだ。

他の人がどのように本棚に本を並べているのかは知らない。でも、そこには何かしらの意図があるだろう。私の場合は、なんとなく近しい本を並べていく。「これはここ、これはあっち、これはそこだけど……そうすると、あの本も一緒に並べておいが方がいいな」といった感じで単に追加されるだけでなく、全体の構造が入れ替わっていく。実に楽しい。

そこには情報カードを並べ替えて、書籍の構成を練り込むようなタンジブルな知的操作があった。これもまたフラグメント・マネジメントである。たとえば、こんな棚ができた。

img_7006

脳の話であり、知性の話であり、人工知性の話であり、自由意志の話であり、総じてそれは「人間とは何かという話」である。これらの本は、単純なメタデータでは共通性を持たないが、私の脳の中では共通のラベルが貼られている。タグ、と言ってもいい。

他の人がこれらの本に共通のタグを見出すのかどうかはわからない。むしろ、見出さない方が情報としては面白いだろう。つまり、他人の本棚はそれだけで面白いはずなのだ。

だからそう、こうして本棚でやっている操作は、まさに私がHonkureでやろうとしていることなのだ。本を「並べる」こと。それは暗黙なるコンテキストの明確な提示であり、読書の面白さを(あるいは豊かさ)を増加させる要素でもある。

screenshot

それぞれの本はもちろん面白い。が、そうした本が「並んでいる」風景自体も面白いのだ。

とある本の題名を拝借すれば、「本はガジェットではない」。それは有機的な結びつきを欲する点なのだ。点は線を構成し、線は面を構成する。そして、立体が生まれる。それは、心理的な(認知的な)立体感とも呼応する。物の見方は世界の見方であり、世界の見方は世界そのものとなる。

いや、そんな大げさな話をしたかったわけではない。私は願うだけだ。本を紹介するだけでなく、本を並べてください、と。そういうものがたくさん集まれば、まったく新しい本の選び方ができるに違いない。

Related Posts with Thumbnails
Send to Kindle
Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です