Recursive Writing Method : 再帰的執筆技法概論

奥出直人さんの『思考のエンジン』に、面白い話が提示されていました。

思考のエンジン
思考のエンジン

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奥出直人
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ライティング・プロセスにおけるテキスト操作の分析で、そこには二つの活動があるというのです。

  • ポイントの設定
  • アーチの構築

ポイントとは、

ポイントには、思いつき・走り書き・短い文章・パラグラフ、時によってはライディングの展開を示したプロットあるいは問題を説明する「論旨」等が含まれる。

であり、アーチ(Arches)とは、

ライティングの中で示したいアイロニー・主張したいテーマ・筋書き・概念・原理・物事を説明する工夫・内容をしめす表題などといった、ライティングを組織立てて構造を与えるものである。

のことです。

でもって、

ポイントもアーチも、独立したオブジェクトとして扱うことが出来る。ポイント同士が滑らかにかつ論理的に結合できるかどうか、特定のポイントがあるアーチにうまく連結できるかどうか、といったことがライティングの際には重要となる。

とあります。

もう少し考えてみましょう。

ポイントとメモ

「ポイント」に含まれていたものを、もう一度列挙してみます。

  • 思いつき
  • 走り書き
  • 短い文章
  • パラグラフ
  • ライディングの展開を示したプロット
  • 問題を説明する「論旨」

たしかに本を書くときには、大量に上記のようなもののメモを取ります。それは本の部品となるものであり、言い換えれば、コンテンツの肉と呼べるものです。私の言葉を使えば、「断片」となるかもしれません。別の人ならばそれを「ピース」と呼ぶでしょう。

では、「アーチ」はどうでしょうか。

  • 示したいアイロニー
  • 主張したいテーマ
  • 筋書き
  • 概念
  • 原理
  • 物事を説明する工夫
  • 内容をしめす表題

たとえば、「テーマ」は、部品を組み合わせて表現するものであり、それが本文に直接姿を現すことはありません。よってこれが「ポイント」でないことはわかります。概念や原理も同様です。

しかし、「筋書き」はどうでしょうか。上のポイントには「ライディングの展開を示したプロット」という項目がありますが、これは「筋書き」とは違うのでしょうか。違うのだとしたら、何がどう違うのでしょうか。

それとも、まったく同じものでも、見方によってはポイントになったり、アーチになったりするのでしょうか。少なくとも、「ポイントもアーチも、独立したオブジェクトとして扱うことが出来る」という言葉は、その視点を支持してくれそうにも思えます。

そのあたり、少しあやふやものがあるのですが、全体として、「ポイント」は「何を書くか」、「アーチ」は「どのように書くか」についてのアイデアである、という風には捉えられるでしょう。

文章に向かう視点の高低

ここで、視点の高さを導入しましょう。ゼロイチ(0・1)からグラデーションに切り替えるのです。

「文章を書いている」とき、執筆者はさまざまなことを考慮し、配慮します。そして、そこには視点の高低を設定することが可能です。

一番高度が低いのが「単語」レベルの視点で、今使うべき単語は何なのか、てにをはをどうするのか、読点(、)をどこに打つのか、といった思索が当てはまります。

少し視点があがると、「文」レベルとなり、一文を読んで意味が通るか、リズムがいいかといった判断が立ち現れます。さらに視点が上がると、前の文や後ろの文との接続はスムーズだろうかなどに思考は広がっていきます。

どんどん高度を上げていけば、「この本は何を言いたいのか」となり、それは「主張したいテーマ」とイコールになるでしょう。つまり、アーチとなるわけです。ちなみに、さらに高度を上げて、前に書いた本や次に書く本との接続を考えることすらできますが、一冊の「本」から逸脱するので、ここでは考慮しません。

ともかくこう考えると、「ポイント」は文章における低次の視点にまつわる要素(およびそれについてのアイデア)であり、「アーチ」は高次のそれとなります。そしてこれには段階があるのですから、両者の境目が曖昧な部分もあるでしょう。そうであるならば、先ほどのポイントにもアーチにも含まれる要素がある、という点は納得できます。

図面で考えてみる

図形的に考えてみます。

広い平面の上に、点を打つとしましょう。その点からは、短めの線が延びているとしてください。別の点と接続するための線です。

平面の別の場所に、別の点を打ちます。もちろん、その点からも線が延びています。

もし、それぞれの線がうまく交わっているのならば、その接続はうまくいっていると言えるでしょう。逆に、近くに点を打ったにも関わらず、線がうまく交わっていないのならば、接続が悪い(あるいは接続できていない)ことになります。

文章に置き換えます。点は、文のひとかたまりを指します。その文と、別の文がうまく接続できているとき、読者はその内容をスムーズに読み進めることが可能です。逆に、線が交わっていないのならば、それは飛躍がある(という風に感じられる)ということです。その飛躍が文学的効果をもたらすこともありますが、説明のための文章では致命的でしょう。

が、ここではポイントとアーチの話に絞ります。

二つの点が、たとえばR15くらいの曲線で接続したとします。それ自体は素晴らしいことです。

が、アーチとして想定していた図面のどこにも、R15の曲線部分が見当たらないとします。つまり、そのアーチ(構造)には、二つの点を収めるべきポジションがありません。

こうしたとき、二つの点の内容を書き換えて、なるべくアーチとして想定していた図面にある曲線に沿うように変更するか、いっそのこと、R15の曲線を持つようにアーチを書き換えてしまうか、というアプローチがありえます。論点を検討するか、構造を検討するのです。

再帰する構造

でもって、これは再帰的です。文章に向ける視点には高低があり、点は点であり、全体(図面)でもあるのです。

どういうことかと言うと、点とそこから伸びた線は、「文」でもあり「段落」でもあり「章」でもありうるのです。

R15の曲線に沿うように「文」を書き換えることは、その「文」を全体として見なせば、アーチの変更そのものと言ってよいでしょう。視点の高度を変更すれば、ポイントとアーチは変換されます。

本を構成する一文(ポイント)があり、その本で主張したいテーマ(アーチ)があるにせよ、その一文にも、「言いたいこと」はあるでしょう。それはつまりテーマです。そのテーマに基づいて、単語やら語順やら表現を検討するわけで、そこにもポイントとアーチの存在をかぎ取ることができます。

うん、こんがらがってきましたね。

だから、大きい文章を書くのは厄介なのです。再帰的な構造が膨れあがると、脳の一機能だけではとても対応できません。

さいごに

かなり回りくどく考えてきました。

まず、ライティング・プロセスには二つのテキスト操作活動がある、という視点は適切でしょう。自分の実体験からいっても、そうした性質の異なる要素が含まれていることには頷けます。よって、その点は採用するにせよ、私はそこに再帰的構造を持ち込みたいと思います。

ポイントにもアーチがあり、アーチもまたポイントになる、といった考え方です。二つの活動があるにせよ、それは高さによって姿や立ち振る舞いを変えるのです。そして(大きい)文章を書くという行為は、その高さを自由自在・縦横無尽に変更し、ちまちまと全体の完成度を上げていく作業だと言えます。

文章(本)を書くことには、複数の工程が含まれていて、単純な解析は難しいのですが、そこに再帰的な視点を持ち込めば、話はグッと単純になります。極限的なことを言ってしまうと、「この文で何を言い表したいのか」と「この本で何言い表したいのか」の視点は(フラクタル的に)一緒、ということです。

つまり、再帰的要素を含む一つの技術さえ身につければ、あとはそれを拡大していけば、どのような規模のものであっても「話は同じ」で済みます。その技術さえあれば、あと必要なのは労力だけなのです(ただしこの労力は指数関数的に上昇します)。

もちろん、これはあまりに話を単純化しているでしょう。でも、そうすることで本を書くことが案外身近になるかもしれません。私の狙いはそこにあります。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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