労力は微分し、成果は積分する

基本的な考え方なのだが、労力は分け、成果は積み重ねた方がいい。

労力

ある本を完成させるのに10万字の原稿が必要だとしよう。

大変だ。

しかし、それを5つの章に分ければどうだろうか。2万字×5となった。少し楽になる。

その章だって、いくつかの節で構成されているだろう。たとえば、2000字×10節、みたいな感じで。もう少し楽になった。

それを突き詰めていくと、エディタに書き込む5文字の単語だって一つの進捗となる。

10万字に対して、5文字なんて誤差みたいなもので、0と変わりない。そんな風に感じられる。しかし、万里の長城だって1つの石を積むことから始まったのだ。原稿だって同じである。

時間

ある本を完成させるのに三ヶ月かかるとしよう。

漠然としている。

それを、最初の一ヶ月で1章まで、続く二ヶ月で3章まで、最後の一ヶ月で5章までと計画したらどうなるだろうか。少し明確になった。

その一ヶ月だって、30日ほどで構成されているのだから、1日あたり何時間と考えられるだろう。よりはっきりしてきた。

それを突き詰めていくと、今この瞬間に何をするのか、という話になる。その時間の使い方が全体に連なるのだ。

三ヶ月という時間からすると、10分原稿を書くなんてあってないようなものである。だから、まあいいかと思う。どうせ三ヶ月あるんだからと、持ち時間を過大評価し、実行時間を過小評価してしまう。しかし、どのような作業でも「今」の時間の積み上げによって生まれている。それは普遍的な事実だ。

成果

以上のような考え方は、成果について考える上では、むしろまったく邪魔である。

たとえば、あなたが階段を100段上ってきたとしよう。素晴らしい成果だ。しかし、それを「今」で捉えると、段を1段上ったに過ぎなくなる。ぜんぜんたいしたことがない。

そんなものは評価しようがないし、むしろ否定的な感情が出てくることもありえる。隣に一段飛ばしで階段を登っているような人間がいたとしたらなおさらだろう。たとえその人間が途中で息を上げ、50段で登るのを止めたとしても、である。

グラフを書き、その線の積分で評価すること。そうすれば傾きが小さくても、長い時間軸を取ればそこそこの面積にはなる。ひとりの不完全な人間としては十分な成果と言えるだろう。

ただし、そのためには線がつながっていないといけない。焼き畑アプローチはここが難しい。だから、承認欲求が不要に募るのかもしれない。

さいごに

最初にも述べたが、これは「考え方」の問題である。捉え方と言ってもいい。

私たちが行動を取れるのは、「今」である。だから、行動について考えるときは、ギリギリまで「今」に近づける。「今」何をするのか。それがベースだ。未来志向の計画も、言ってみれば、逆算することで「今」何をするのか(「今」何ができるのか)を見出すアプローチであって、むしろそうなっていなければただの絵空事で終わる。

また、比較の心理として、対象が大きければ大きいほど、それを過剰評価し、逆に「今」を過小評価してしまう。これは適切な行動にはまったくつながらない。「まあ、いいか」と余裕を持ちすぎる楽観思考に傾くか、「あれもやらなければ、これもやらなければ」と実現性を欠いた悲観思考(あるいは理想思考)に傾くかのどちらかだ。

行動については、面や線ではなく、点で捉えた方が良い。もちろん、途中経過として面や線を辿るのはよいだろうが、そこからさらに点に進むことが寛容である。

が、成果の評価には視点の切り替えが必要だ。そこで齷齪(あくせく)するのはよろしくない。でないと、ノイズに振り回され、フィードバックがうまく機能しなくなる。対象によっては、まったく増えていなくても、ただ現状が維持されているだけで意義あるものだってある。そうしたものは点の評価ではまず見えてこない。

  • 「今」何をするのかを考える。
  • 「期間」で何を為したのかを考える。

重要なのは、二つの視点を切り替える、という点だ。アクセルとブレーキのように、両方あって初めて機能する、という点は留意しておきたい。

Related Posts with Thumbnails
Send to Kindle
Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です