あまりにも遠くにあったもの

最初それは手の届かないものだった。
あまりにも遠く、あまりにも高い位置にあった。

手を伸ばすことなんて馬鹿げた行為であるかのように。
まともに競争するのが愚かしいことであるかのように。

あの人たちはずっとずっと高見にいた。
少なくともそういう風に見えた。

彼らもそれを否定しなかった。
特殊であること、変わっていること、
一回性のものであることを否定しなかった。

なんといっても、それは彼ら自身だったのだ。
コピーできると考えること自体が誤っている。

だから僕たちは試行錯誤するしかなかった。
何か新しいものを生み出す必要があった。

それが斬新さなのかニッチさなのかはわからない。
ともかく、自分なりのポジションを見つけるために、
いろいろな手探りを続けた。

そうして気がついたのだ。
それこそがまさに「自分らしさ」の探求であり、
自分が貢献できることを探すことであったことに。

つまり、結局は彼らも同じだったのだ。

それぞれが高い山に登っている。
でも、それはそれぞれの山だ。

彼ら同士だってお互いの山を交換できない。
僕ら同士がそうであるように。

いつまでたっても、距離は変わらない。
ただ、他の山がある、というに過ぎない。


昔から、あこがれはあった。

でも、差があまりにも大きく感じられて、
比較することは虚しかった。
蟻が恐竜の大きさに嫉妬したりしないように。

なぜだか今はその距離が縮んでいる。
あたかも手を伸ばせば届くかのように語られている。

その距離は安易な比較を生み、
止まることを知らない嫉妬を生む。

「なんで、あいつばかりが」
「どうしておれは」

その感情は、再現性の保証のもとでいっそう強化される。

特殊ではないこと。
普通であること。
誰にでもできること。

そう言われれば言われるほど、飛び抜けている存在がうとましく感じられる。
飛び抜けられない自身の存在が劣って感じられる。

だってそれは「誰にでもできること」なはずなのだ。

努力が足りないのか?
投資が足りないのか?
自信が足りないのか?

そのようにして、すべての結果は自己の責任として返ってくる。救いはどこにもない。

頑張りなさい。
もっと頑張りなさい。
もっともっと頑張りなさい。

まるで魔法の力を持つ呪文のように、「頑張れ」がささやかれる。
言う方は、なんの頑張りもなくその言葉を吐けるというのに。


たぶん、ほとんどのものは見せかけだ。

一つひとつの存在は、特殊であり、変わっていて、
一回性の中に閉じている。
そこには再現性など見出しようがない。

ただただ「再現性」があって欲しい、という欲望があるだけだ。
その欲望には値段がつく。
そして、市場が生まれる。

だからといって何ができるわけでもない。

自分は自分の山を登るしかない。

ときに他の人を励ましながら。
ときに他の人に励まされながら。

閉じてはいても、つながっている。
上下にも左右にもつながっている。

そんな不思議なものが、そこにあると信じながら。

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