5分と三ヶ月

「5分と三ヶ月」

さて、どう思っただろうか。どう感じただろうか。

二つの言葉は、どのように脳内でカテゴライズされただろうか。

ポイントはただ一つだ。それが同じカテゴリーであったのか、それとも違っていたのか。

心の会計効果に近しいものが、もしかしたら発生していたかもしれない。

変換

三ヶ月はおおよそ90日だ。90日は2160時間。2160時間は 129,600分。

「5分と129,600分」

こんどは、どうだろう。どう感じただろうか。

おそらく同じカテゴリーに感じられたのではないだろうか。そこにあるのは大きさの違いだけであって、質的には同じものを指している感覚があったのではないだろうか。

三ヶ月と129,600分は、基本的に同じもの指しているはずだ。同じ物理量を示すもののはずだ。表現の単位が違うだけであって、中身は一緒__なはずなのだが、私たちが受ける印象はどうやら違っている。

感じ方の違い

以前、こんな記事を書いた。

労力は微分し、成果は積分する

三ヶ月という時間からすると、10分原稿を書くなんてあってないようなものである。だから、まあいいかと思う。どうせ三ヶ月あるんだからと、持ち時間を過大評価し、実行時間を過小評価してしまう。しかし、どのような作業でも「今」の時間の積み上げによって生まれている。それは普遍的な事実だ。

この記事で触れなかったのが、今回のお話である。単位の違いと感覚の違いだ。

「三ヶ月で本を書く」「10分原稿を進める」

まるで違うもののように感じる。実際、それを言葉にするとき、私の心の中ではこれらは別物として扱われている。しかし、どのように考えても、「三ヶ月で本を書く」ことの中に、「10分原稿を進める」は含まれている。むしろ、(具体的な時間の違いはあるにせよ)後者の積み重ねで前者が実現するのだ。

でも、単位が違うと、そういうことが見えにくくなる。感じにくくなる。

期間と時間

「三ヶ月」は、期間である。それは感覚としては、時間ではない。でも、やっぱりそれは時間なのだ。

時間であるからには、そこにはさまざまなものが乗っかっているし、しかもそれは止まることも貯めることもできない。

しかし、「三ヶ月」と言った瞬間、あたかもそれが冷凍保存可能なように思えてくる。不思議なものだ。

「わかりました。原稿の完成まで三ヶ月ください」
「わかりました。原稿の完成まで129,600分ください」

ぜんぜん違うだろう。この違いは数字の細かさだけにあるわけではない(三ヶ月は90日プラスアルファ数日の幅がある)。私たちがそれを期間と感じるか、時間と感じるかの違いがあるのだ。

期間は動かず固定していて、時間は刻々と減っていく。そんな印象を覚える。二つの心理状況の違いは、予測や行動に少なからずの影響を与えるのではないか。きっと、与えるだろう。

さいごに

もちろん、通常の社会生活において、すべての単位を「分」で揃えて話をせよ、ということを言いたいわけではない。そんなのはぜんぜん現実的ではないし、実際的ではない。そもそも「期間」が求められている場合だってあるだろう。

ただし、自分がそれを期間と感じているのか、時間と感じているのかについては、ちょっと注意深くなった方がいいかもしれない。

もう少し言うと、5分と三ヶ月の間にはグラデーションが広がっているので、そのあたりを探求するのも面白そうだ。

Related Posts with Thumbnails
Send to Kindle

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

Leave a comment

WordPress Themes