整えられた再現性 <Dr.hack>

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「さあさあ、続けようじゃないか」
 ハカセは腕を振って、ホワイトボードをホワイトに還す。そして、≪再現性の付与≫と大きく書きつけた。
「まず確認しよう。我々人間は一人ひとり違っている。これはいいね」
 僕は頷く。
「名前、年齢、性格、技能、資金、環境、ニューロンネットワーク。これらが完全に一致することはまずない。だから、我々の人生もまた、一人ひとり違う。これもいいかな」
「まあ、生まれた人間はいつか死ぬ、という共通点はありそうですけどね」
 僕は混ぜっ返す。
「いや、それすら帰納でしかないんだよ。という話はまあいいとしよう。たしかに我々はいつかは死ぬ。しかし、そのいつかのタイミングも、その死に方も異なっている。だからまあ別のものだとしておこう」
 帰納についてちょっと気になったが、とりあえず僕は頷いておいた。
「ここで問題になってくるのが、ノウハウの再現性だ。どうして、このようにさまざまに異なった存在である我々に共通のノウハウなるものが成立するんだろう。ちょっとおかしいとは思わないかね」
 ハカセは不敵に問いかけてくる。疑問の形を取った発問だ。
「それはちょっと強引すぎませんか。たしかに僕たちは一人ひとり違ってはいますけど、共通点もそれなりにあるんじゃないですか」
「たしかに。その共通点に準拠すれば、再現性のあるノウハウは成立する」
 ハカセはホワイトボードに、「共通点に準拠」と書き足す。そして、しばらく無言の思索を続ける。
「何か科学の実験をしたことはあるかい?」
「学生時代にはやったかもしれませんが、あまり印象には残っていませんね」
「まあ、そうだろうね。やらされる実験ほどつまらないものはない。それはともかく、たとえばある科学者が何かの論文を発表したとする。そこにはデータも掲載されていて、そのデータを生み出した実験もその手順と共に紹介されている。さて、他の科学者はその論文の「たしからしさ」を確かめるために、どうすると思う?」
「同じように実験をやってみる、ですか」
「そうだね。追試というやつだ。その際注意しなければいけないのが、「まったく同じ環境に整える」ということだ。実験室の室内温度が3度違うだけで、結果が変わってしまうこともある。器材や試料だけでなく、実験に関わるもろもろを論文に揃えるんだ。そうして初めて、その実験の是非が確かめられる」
 そりゃそうだろう。たとえば、料理人が作ったレシピがあるとして、その手順通り作らないのに、「こんな料理美味しくない」と文句を言われても困ってしまう。レシピ通りに作ってはじめて味の評価ができるというものだ。
「そのように環境を整えることは、別の言い方をすれば、環境を限定するということだ。範囲を狭める、という言い方をしてもいい。ここで、ノウハウの再現性に戻ってみよう。「Excelを高速で使えるノウハウ」があるとして、それはどんなExcelでも使えると思うかね」
「まあ、だいたいのExcelなら出来そうですが、バージョンが違えばちょっとやり方は変わるかもしれませんね。あっ、あとMac版だとまったく使えないかもしれません」
「そうだね。だから、ノウハウをそのまま使おうと思えば、まったく同じパソコンで、まったく同じバージョンのExcelを使わないといけない。つまり、環境を整えるということだ。そうすれば再現性が生まれるし、そうでなければ再現性の担保はできない。ここまではいいかな」
 僕は三度頷いた。ごく当たり前の話に聞こえる。ハカセは何が言いたいのだろうか。
「さて、これを人生のノウハウにまで拡げてみよう。たとえば、「〜〜で成功する方法」というやつだよ。これはノウハウと言っていいだろうね」
「おそらく、そうだと思います」
「人間が、一人ひとり違った存在であるならば、そうしたノウハウはまったく役に立たないはずだ。一つの例外を除いてね」
「例外、ですか」
 ハカセはなかなか言葉を続けようとしなかった。僕の言葉の響きが消え去り、部屋には沈黙が居座った。思索の時間だ。
 僕はこれまでのハカセの話を思い出す。ノートは取っていないが、ホワイトボードが想起装置の代わりとなってくれる。ノウハウ、再現性、一人ひとりの違い、共通点に準拠、そして環境を整えること……。
 突然光がやってきた。僕はそれを言葉にする。
「自分の人生を、他の人の人生に揃える、ということですか?」
「ザッツグレイト」ハカセは言った。「まさに、その通りだ」
 ハカセは、「共通点に準拠」から矢印を伸ばし、「人生を揃える」と付け加えた。
「一人ひとりの人間が違っていて、再現性が得られないのなら、それを揃えてしまえいい。簡単なことだ。科学実験ほど完璧に揃えることはできないだろうが、ともかく何もかもを揃えていくんだ。道具立てや時間の使い方だけじゃない。考え方、精神の在り方、価値観、といったものも含めてね。つまり、自分であることを止めるわけさ。そうすれば、ノウハウの再現性が手に入る」
 僕は一瞬背筋が寒くなった。平べったく伸ばされたクッキー生地に金属の型が次々と押し込まれていくシーンが思い浮かぶ。
「ノウハウに自分を合わせる、ということですか」
「なかなかうまい言い方だ。そうとも言えるだろう」
 それにね、とハカセは続ける。
「歌舞伎みたいな芸能の世界だと、それこそ自分の子どもの環境を揃えることから始めるわけだ。それこそ鋳型にはめるみたいにね。そうしてやっと意味あるものを伝えることができる。それくらい再現性というのは大きな問題なのさ。だからもし、「誰でもできる」というノウハウがあり、それに再現性を求めようとすれば、自分の人生をかけがえのないものから引きずり下ろして、コモディティに揃えなきゃならなくなる。代価としては、ちょっと釣り合わない気がするね」
 ハカセはホワイトボードに「人生のノウハウ」と大きく書き、その下に「誰の人生か?」と書き加えた。
「うん、だいたいまとまってきたね。ありがとう。君のおかげで思考がうまく進んだよ。どうだい、コーヒーでも飲んでいくかね?」
 僕が喜んで頷くと、ハカセも上機嫌でキッチンへと消えていった。

(つづく)

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