一番早いギヤに合わせる

次の記事を読みました。

佐々木大輔@中の人 – 僕がスマホから8万5千文字の小説を書けた理由 – Powered by LINE

ノリ的には、僕もLINE BLOGを開設して、そこにエントリを投下するのが良さそうですが、残念ながらアカウントを持っていないので、とりあえず自分のブログで。

上記の記事にはこうあります。

文字入力のスピードを難点にあげる人がいるが、よく考えてみてほしい。文章を書くのにもっとも困難なのは、肉体的な文字入力でなく、脳内の文章作成だということを。それに必要な集中力と考える習慣を、スマホは与えてくれる。

ある側面では、これはまったくその通りです。だからこそ、タイピングの速度を少々上げても、執筆の総生産量みたいなものはほとんど変わりません。大半の時間は「考えて」いるからです。

さらに、文章作成に必要な集中力をスマホが与えてくれる、という点も頷けます。機能が多く、画面も広いパソコンは、ある意味で注意分散の宝庫のようなもの。特にいろいろな部分が目に入ってしまうエディタは、「文」以外のこと__章立てとか前後関係とか__に気を配ってしまい、結果的にその「文」に集中できない事例がたびたび発生します。

が、しかし。

それでも「スマホで執筆」には、僕は懐疑的になってしまいます。もちろん僕もスマホで何かしらの文章を書くことはありますが、その際に一番心地よいのは口述筆記(音声入力)なのです。なぜか。それは、トップスピードに関係していると思います。

平均を取ってみれば、たしかに執筆で行っていることの多くは「考えて」いることです。だから、タイピング速度の向上は生産性の向上には即座に結びつきません。でも、平均ではない瞬間はあります。簡単に言えば、「思念があふれ出てくる」ような状態があるのです。

そうしたときは、キーボードのタイピングですらもどかしいことがあります。今書いている文章の次の文章の輪郭が、もう頭の中に浮かんでいるのです。そして、その輪郭は、今すぐにでも手を伸ばさないと、跡形もなく消え去ってしまうような恐怖感があります。私は、これを捉まえたいと願います。だから、その部分ではタイピング速度はたいへん重要なのです。その点、口述筆記は単にそれを口にすればいいので楽チンです(ただし、早口だとうまく認識されていないことが多いので不完全です)。

そのような言葉があふれ出てくる瞬間は、そうそう多くはありません。文章の書き出しや書き終わりは「考える」ことが占めていて、せいぜい真ん中あたりに、「筆が乗ってくる」瞬間があります。消えそうな文章の輪郭を次々とキャッチしていく__そんな瞬間は、絶好の波を捉えたたサーフィンのように心地よいものです(サーフィンをやったことはありませんが)。その快に身を委ねたいと、自分では願っています。たとえそれが、全体からすれば僅かなひとときに過ぎないとしても、です。

おそらく1時間で6000字も書ける人は、常にこの「思念があふれ出てくる」ような状態なのでしょう。さすがにその境地に辿り着きたいとはまでは思いませんが、ある程度はキープしておきたいところです。ちなみに、この上の二段落はちょうどその「筆が乗った」状態で書きました。この一段落は、むしろ「考えて」書いています。

何か違うのか?

それはちょっとわかりません。でも、リズムの緩急はその辺からも生まれてくるのかもしれません。

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