三角の指標

指標って大切なんですよね。

どこをどんな風に評価して、どんなフィードバックを返すか。それによって、人の行動は大きく変わってきます。そういのはコンビニ店長をしているときに、切実に感じていました。

で、PVで影響力の大きさを測り、PVの大きさのみによって金銭的なフィードバックの多寡を決定するならば、人の行動もそれに最適化したものになってきます。これはもう仕方がありません。

PVを得るためにわざと過激なこと、人の感情を逆撫ですること、ツッコミどころがあることを書く。PVのみを指標とするなら、それも「正義」なのです。SEOをハッキングして、その記事の集合知的な評価とは別にランキングの上位に食い込ませることもまた同じ。PVのみを指標とするならば、このような行為はわらわらと湧いてきます。ゾンビのようにです。あるいは哲学的ゾンビのように。

でもだからといってPVなんでどうでもよい、という話にはなりません。多くの人に読まれることは大切ですし、多くの人に読まれていることはたしかに価値の一つではあります。だからこそ、先ほどから書いているように「PVのみ」という視点となるわけです。

指標が一つしかなければ、それを達成するためのあらゆる行為が「正当化」されてしまいます。そして、歪んだものが生じてしまう。そのとき、ターゲットにした指標を糾弾し、別のものにすげ替えても話は変わらないのです。独裁制の王様が死に、別の王様が椅子に座っただけ。

本当に必要なのは、そうではない制度をそこに持ち込むことです。具体的には、複数の指標を持つこと。たぶん、3つくらいあれば良さそうな予感があります。

A、B、Cの指標を目指す。すると、「Aを達成するためには○○な方法が良いが、その場合Bが棄損されてしまう。これはダメだ」といった行動の抑制が生まれ始めます。バランスというやつです。このBやCに、社会的調和の要素を入れると、それは「マナー」や「モラル」として機能するのでしょう。そうです。マナーやモラルは、何かに制限を掛けるためのハードルではなく、目指すべき一つの指標なのです。その指標が内在化されているとき、マナーやモラルはバランスをもたらすものとして機能します(だから、他人に突きつけるものではありません)。

結局のところ、PVで測れるものには限りがあります。もっと言えば、目に見える数字でわかること全般にも限りがあります。だから、それだけを指標にしていては危ないことになるだろうなと思い、『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』を書きました。これは、新しい指標を導入するための第一歩の書だと思います。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
倉下忠憲 (2015-05-28)
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とは言え、一つの指標で測っていた方が楽なことは間違いありません。「Aを得るためだったら、何をしてもいい」という考え方がいかに≪自由≫に満ちあふれているように感じられるか考えてみてください。「Aを達成するためには○○な方法が良いが、その場合Bが棄損されてしまう。これはダメだ」はあまりにも迂遠です。面倒です。

そして僕たちは、ありとあらゆるものを「一つの指標」で測ろうとしはじめます。「それって何かの役に立つんですか?」という疑問は象徴的でしょう。

だからこれは、ブログ記事(ウェブ記事)だけの問題ではありません。もっと根源的な、私たちの価値の測り方の問題なのです。「効率化され過ぎた資本主義」も、「市民が参加しない民主主義」も、根源では同じ問題を共有しています。「一つの指標」だけで測ったら、それらは簡単に正当化されます。でもそれが「正しい」かどうかは長期的に見てみないとなんとも言えません。何かをめちゃくちゃに壊してしまっている可能性すらあります。

三つの指標の綱引き。

それはなかなか面倒なことではあります。でも、ピンと張った面が生まれるのはそういう力の拮抗からでしょう。

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