ルーチンとローテーション

さあ、本を書こう、と決意する
面白い本にしようと企画案を練る
モチベーションは高まる、高まる
そうして船をこぎ出す
プロジェクトのスタートだ

船旅はルーチンだ
原稿を書く、原稿を書く、原稿を書く
同じことの繰り返し
そのあいだ、達成感は訪れない
これでいいのだろうか、と悶々と過ごす日々

それが、大きな構造物に取りかかるということ
フィードバックの足音は聞こえてこない
やる気の谷は闇よりも深い

だからこそ、2トラック・プロジェクト管理なのだ
少しでも進捗感を得るために
わずかでも達成感を得るために
谷間で彷徨い続けないための導きの明かりが必要だ

プロジェクトが複数のタスクを持ち
複数の実行日を有するのなら
必然的にそれはルーチン化の道のりを辿る
手を離したらリンゴが地面に落ちてしまうくらい自明なこと

プロジェクトを始める前にはそのことに気がつかない
「計画の誤謬」がそこにはある
それはまあ、しかたがない
はじめからうまくやれる人間はどこにもない
さいごまでいないのかもしれない

情熱には波がある
情熱だよりは波にのまれる
淡々と、が必要だ
淡々と、で進んでいく

淡々とを受け入れること
そこに道はある
そこにしか道はない
まっすぐに歩いて行ける道は

でも、どうしても気になるのならば
繰り返す毎日嫌気が指すのならば
ルーチンを回転させてしまえばいい

月曜日はこれをする
火曜日はあれをする
水曜日はそれをする

そして一週間が巡る

月曜日はこれをする
火曜日はあれをする
水曜日はそれをする

そして一週間が巡る

ローテーションだ
ルーチンをローテーションさせる

無駄なあがきかもしれない
儚い抵抗かもしれない
でも、少しは抗えるだろう
退屈な毎日という幻想に

情熱は中毒を生む
正義と同じだ
その中で、淡々とした日常の価値は棄損され続ける
快ばかりがもてはやされ、それ以外は淘汰される
不快なものを駆逐しようとして、快と不快の間にあるものまで消してしまう
達成感を得るのに時間のかかるものまで

すべては時間との付き合い方である
あらゆることがそうなのだ

だからこそ、情熱に身を焼かれる決意をしてもいい
それもまた時間との付き合い方である
誰にもとめる術はない
誰にも貶める権利はない

ただ、水を沸騰させ、それを冷ましてまた沸騰させるを繰り返すのはどうだろうか
その間にも水はどんどん蒸発していく
グラスの中にあるウィスキーのように

毎日は基本的に繰り返しだ
すべては「日常化」されてしまう
神々しい目標も、毒々しい異物も
やがては日常に取り込まれる
それが日常が持つ力でもある
私たちの精神を安定させる力なのだ

日常に嫌気が差しているならば、逃れる場所はどこにもない
すべては日常化し、すべては陳腐化し、すべては当たり前になっていく
そういう作用が働いている

しかし我々は新奇性を好む
新奇性を求める
だったらどうするのか

新しいニュースを1秒単位で求めるのもいいだろう
幸い世界はそれを満たすように成長しつつある

あるいは、自らの目で新しいものを発見するのもいい
ほとんど同じ毎日だって差異はある
電車で見かける顔、空の風景、猫のご機嫌
ちょっとした、それでいてあまたの違いが世界を満たしている

世界はルーチンであり、世界はルーチンではない
だからこそ、「私」というものが存在できる

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