ゆっくりさをゆっくり取り戻す あるいは時間感覚の調律

自分の時間の感覚がちょっと変になってるんじゃないか、と思う出来事がありました。

成果や達成をはかる時間軸が歪んでいる気がするのです。そろそろ、ゆっくりを取り戻すタイミングなのかもしれません。

セルパブ本の流れ

2016年は、ブロガーさんの優れたセルフパブリッシング本が何冊も出版されました。喜ばしいかぎりです。私はこういう事例がどんどん増えてくれたらいいのにな、と思いながら『KDPではじめる セルフパブリッシング』という本を書きました。2013年12月のことです。

そこから2〜3年の歳月を経て、ようやくそのような状況が現実になりつつあります。まだ出版には至っていないけど、原稿を執筆中であったり、企画を考えている方もいらっしゃるようで__その状況に拙著がどれだけ影響を与えたかは別にして__、今後の動きには非常に期待が持てます。

でも、最初に引き算して年月を計算したとき、こう思ったのです。「2年もかかったのか」と。そしてすぐさま違和感が湧いてきました。その感覚自体がおかしいんじゃないか、と。

速度=正義

もっとはやく、もっとはやく、もっとはやく。

現代社会あるいはインターネットベース社会における基本的な要請です。より多くを、より短時間で成し遂げる。速度は正義なのです。

私もそれに最適化していました。毎月一冊電子書籍の新刊を発売するなんて、尋常なことではないでしょう。そしてセルフパブリッシングの電子書籍でなければまず達成できなかったことではあります。テクノロジーとメディアの力を最大限に発揮させたわけです。

そうして出版した本が、発売日に購入してもらえ、翌日には感想がもらえる。なんと素晴らしい。『Fate/Zero』のキャスター並に愉悦に浸りそうになります。

それはとても恵まれたことであり、ありがたいことであり、素晴らしいことではあります。でも、と注釈もつきます。

時間をかけなければ作れない価値はどうなったのだろう。
長い時間の評価軸でないと見出しにくい価値はどうなったんだろう。

速度に最適化した自分という存在は、そうしたものを生み出すことができるのだろうか。スキルが向上し徐々に近づいているのか、それとも道を踏み外しつつあるのか。

だんだんわからなくなってきます。そして、私の心の声がCV.石田彰でこうつぶやきます。

「君のやりたかったことって何だい?」

人の心に残る本。時代を超えて読まれる本。価値が時間によって欠損せず、むしろ増える本。そういう本を書くこと。

そういうものを生み出す力は向上しているだろうか。そのための準備は整っているのだろうか。私は時計の針を見ます。自分の残りの人生を示す時計の針を。そんなに長くはないでしょう。速度のみに汲汲としていたら、あっという間に終わってしまいそうです。

速度の速さが問題なのではありません。物事がスピーディーに進むことは、基本的には良いことです。ただ、それに過剰に最適化し、価値を計る物差しが歪んでしまうのが問題なのです。短期的な成果を上げないから、研究開発費を削除する方針を打ち出すCEOを私はあざ笑うでしょう。問題はそれと同じことを自分がやっていないのか、という点です。

2年という年月で達成したことを「時間がかかった」と評するような人間に、4〜5年かけないと生み出せない価値は到底手が届かないでしょう。でもって、私が求めているのはまさにそのような価値なのです。そこを忘却しては、最終的には生きることがつまらなくなることは間違いありません。

実際にやっていること

具体的な話をします。

2017年の「月刊くらした」計画は、三ヶ月に一冊のペースで出版することを予定しています(月刊でもなんでもなくなってますね)。ただ、その作業は3ヶ月ごとに一冊作るのではなく、2〜3ヶ月に一冊のペースで本を作りつつ、並行して一年かけて本作りを行おうとしています。

つまり、2017年の最後に発売されるはずの四冊目の本__おそらく『僕らの生存戦略』になりそうです__を、すでに今の時点から作り始めているのです。一日に投下している作業時間はそれほど多いものではありませんが、構成を考え、コンセプトを整え、素材集めを行い、といったことをじわじわと進めています。

これまで、それほど長い期間腰を据えて「一冊」に取り組んだことがありません。でも、私もそろそろ物書き6年目に入っているので、そうした仕事のスタイルを身につけていく必要があるでしょう。

それだけではありません。もう一つ、『断片からの創造』という本の構想を考えていて、これは2018年か2019年に出版することを予定しています。で、そのための材料を集めを、今の時点からスタートしています。毎日一枚情報カードを書く、という非常に小さい進捗ではありますが、それでも1〜2年続けたら素材は大いに集まるでしょう。そこからどんな料理の腕を振るう必要があるのか。それも楽しみの一つです。

さいごに

4〜5年かけて作る価値の話をしておきながら、実際やっていることはせいぜい1〜2年かける作業の話です。でも、仕方がありません。移行というのはゆっくり進め、徐々に体を慣らしていくしかないのです。でないと、途中で挫折してしまいます。それに、ゆっくりさを取り戻すのに性急さを用いることほど愚かしいことはありません。

現時点で二つ言えることがあります。

一つは、数年かかる作業であっても、結局「毎日少しずつ何かをする」に微分できること。「構想四年!」と耳にするといかにも壮大さを感じますが、実際やっていることは一日レベルではたいしたことがありません。ただ、それをひたすら長く繰り返すだけです。

もう一つは、Evernoteの価値です。記録する期間が短ければ、Evernoteは他のツールとたいした差を持ちません。一週間単位なら大学ノートと、一年単位なら手帳と同じくらいの重さしかないのです。しかし、数年という単位で単一の事柄に向かい合うのに、これほど適したツールはありません。長らくノートと手帳を使ってきた私でも、あるいはだからこそこのツールが引き受ける時間軸の長さと、そこから生まれ出るであろう価値の大きさには唖然とします。

もちろん、ちゃんとサービスが続いたら、という前提がつきますが。

ともかく、

「ゆっくり進めること」
「ちゃっかり進めること」

それが2017年からの、私の一つのスタイルです。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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