バッターボックスのたとえ

バッターボックスに立つことの重要性がよく説かれます。もちろん比喩としてのバッターボックスです。

単に空想しているだけだったり、「明日から俺、本気だしちゃうもんね〜」と飲み会で盛り上がっているだけでは変化など訪れようもありません。実際に行動してみることが大切です。

その通りでしょう。

では、バッターバックスに立ちさえすれば良いのでしょうか。それで場数を踏んだことになるのでしょうか。

思考実験をしてみましょう。

まず、バッターボックスに立つ。ピッチャーが球を投げる。あなたは上の空でそれを見ていない。パターン1です。

パターン2は、バットは振らないもののピッチャーの球はじっくり見ています。

パターン3は、バットは振りますが、ただ振っているだけでピッチャーの球は気にしていません。

パターン4は、ピッチャーの球を見ながら、それに当てようとしてバットを振り続けます。

この4つ、全部同じと言えるでしょうか。仮に違うなら、バッターとして成長するのはどのパターンでしょうか。

1は論外でしょう。空想しているのと変わりありません。

2は、おそらく目は良くなります。評論家には向いているかもしれません。

3は、筋力はつきそうです。でも、ヒットが生まれる可能性は小さいでしょう。

4こそが、いわゆる「バッターボックスに立つこと」で含意される行為です。しかるべき場所に立ち、しかるべき挑戦を受け、たとえうまくいかなくても、うまくいくように注意を傾け、実践する。そこまでやって人ははじめて総合的な上達を得ます。

バットを振ることと、当てようとしてバットを振ることには違いがあります。時間が経てば経つほど大きくなる違いです。

だからそう、ブログを500記事書けば文章がうまくなる、なんてことは荒っぽすぎる意見なのです。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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