ため息

 はあ。ため息をついた。一体何度目のため息だろうか。
 ため息をつくと幸せが逃げてしまうなんて言葉があるけど、あれは嘘だ。幸せが逃げているからため息が出てくるのだ。観測者の認識違いによって、因果関係の混乱が生じている。ばかばかしい。
 はあ。もう一度ため息をついた。ため息をついている自分の状況にため息が出てしまう。冷蔵庫は空っぽだけど、買い物に出かける気力はない。ピザの配達を受け取るのすらおっくうだ。缶ビールの空き缶が山脈を形成している。
 はあ。これまでで一番大きいため息をついた。すると、一緒に気持ちも口から出てきた。ひさびさに見た。漫画なんかでは、よくハートマークで描かれる気持ちだが、実際はあんなわかりやすい形をしていない。ドイツ職人が作ったみたいな綺麗な円形のときもあれば、子守歌を歌いたくなるほどのジグザグさを持つこともある。不定形なのだ。でも、そのときの気持ちはいやにはっきりした形をしていた。四角形で固定されている。それに、とても冷たい。
 私は口から出てきた気持ちをしげしげと眺めた。何年ぶりだろうか。大学生、いやもっと前だろう。社会人になってからは、一度も目にしたことがなかった。そんなことをしている暇もなかったし、大人がするようなことではないとも感じていた。でも、ひさびさに目にした気持ちは、どことなく再会を喜んでいる風でもあった。冷たくはあっても、それは私の中から出てきたものなのだ。
 恐れ。嗤われることへの恐れ。四角形の気持ちはそれで凝り固まっていた。なるほど、それでは形は変わりようはない。私はひとさし指で、パチンとその気持ちをはじいた。ポンと小さな音がした。それだけだった。形は変わらなかったし、消えてなくなることもなかった。
 私は口からその気持ちを飲み込んだ。置いておくわけにはいかないし、適切に捨てるゴミ箱もない。私の中だけが、私の気持ちの居場所なのだ。でも、今度ははっきりその存在が感じられるようになっていた。心臓の右下の方で、今もその気持ちは脈打っていた。消えてなくなることはない。でも、少しは柔らかさを取り戻したかもしれない。別の形になることだってあるだろう。
 気がつけば、ため息は消えていた。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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