「自分らしさ」を巡る断章

自分らしさ

格好をつけるのが、自分の望みだとしよう。だったら、格好をつけることが「自分らしく」あることだろう。


「格好をつけるなんて、本当の自分じゃありませんよ」


本当の自分?

ポジティブ教の怖さ

ポジティブ教の怖さは、思考の柔軟性に欠けることではない。

その怖さは、あらゆるネガティブな要素を軽んじ、下にみることだ。まるでそれが悪魔によってもたらされたものであるかのように扱う。ネガティブな要素に浸っている人を、悪魔に誘惑された人であるかのように扱う。

その手つきのネガティブさに、自分では気がつかない。むしろ、ポジティブに扱う。「だって、それは正しいんです。人間万事塞翁が馬と言うじゃありませんか」

それも怖さの一つだ。

それはどこから生まれるのか?


本当の自分?

セルフ

自分にしか関心がない人がいる。

自分の感情には敏感で、自分が相手にどう見られているかは気にしているにもかかわらず、相手がどう思っているか、なぜそのように感じたのかには注意を払おうとしない。

相手は、コミュニケーションの対象ではなく、単に攻略要素なのだ。いかにうまく立ち回るか。

自分の間違えは決して認めない。認めるにしても、「結局のところ悪いのは私ではありません」という婉曲な認め方をする。

弱さについても同様だ。自分の弱さをそのままには受け止めない。むしろ被害者的な意識でそれを増幅させ、烙印とする。

そのズレた眼差しがあるかぎり、私=私は、いつまで経っても成立しない。


本当の自分?

end

人間には、複数の(多階層の)意識がある。自意識はその中の一部に過ぎない。

しかし、自意識は「自分」という感覚を担当する。自己同一感と呼ばれる何かだ。その「自分」は理想を掲げる。「こうありたい自分」「こうあるべき自分」という理想だ。

でも、人間を構成する要素は、そんな理想ばかりではない。吐き気がするほどの愚かしさと弱さに満ちあふれている。そして、その吐き気を催す主体もまた自分なのだ。

「自分らしく」生きることとは、どういうことだろうか。

単に「あるべき自分」に自分を寄せることだろうか。それとも、理想を踏まえつつ、その他の自分にも注意を払うことだろうか。

光を目指し、影と共に歩く。


本当の自分?

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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