【書評】立て直す力(ブレネー・ブラウン)

後悔しないで生きていくにはどうするか?

一切の内省を排除すればいい。感情をそぎ落とせば、あらゆる苦難から解放される。ばかばかしい答えかもしれないが、ある種のポジティブ教が言っているのはそういうことである。何もかもを肯定することは、何も考えないのと同義だからだ。

本書のアプローチは違う。

※献本ありがとうございます

悲しいほどに現実的であり、それはまた人間的でもある。

概要

著者のブレネー・ブラウンはソーシャルワークについての研究者だ。以下の動画でご存じの方も多いかもしれない。

その著者が、「倒れた自分を起き上がらせる」のプロセスを開示したのが本書である。目次は以下の通り。

イントロダクション――果敢に挑み続ける価値
1章 「立て直す力」10の法則
2章 立て直すプロセスを理解する
3章 最良のストーリーをつくる
4章 自分の感情を自覚する
5章 ストーリーを整理整頓する
6章 境界線を引く方法
7章 傷つく勇気をもつ
8章 助けを求める勇気をもつ
9章 倒れた時の立て直し方
10章「恥ずかしい自分」を受け入れる
11章 立て直す力を身につける

最初に断っておくと、「倒れた自分を起き上がらせる」ことは簡単ではない。嫌悪される勇気を持てば、世界はあっという間に塗り変わる、なんてことはない。それには時間もかかるし、痛みも伴う。「楽しく」生きていくためには、無用のものだろう。なにせ、倒れた自分を自覚さえしなければ、倒れたことにはならないのだから。

人間はそういうことをよく行う。明らかに倒れているにも関わらず、それを無視するのだ。「ちくしょう。地球の方が俺にぶつかって来やがった」そう言っておけば、自分が倒れた事実はどこにも存在しない。そして他者に憤怒と憎悪をまき散らすことになる。

自分が倒れたことを認めるには本当に勇気がいる。自分の心が恥辱に染まっていると自覚することにすら恥の感覚が伴うのだ。よく言われる「弱い心」__本当は非常に強力なのだが__に自分がまみれてしまっていることを自覚しなければならない。それは辛いものだ。

しかも、である。自覚したからと言って即座にそれを克服できるわけではない。ある種の刺激に対して起こる自分の反応は、かなり強固なもので、変更を加えるにはタフな努力が必要となる。怒りでカンカンになっている人に、「あの人も別に悪気があってやったわけじゃ……」とアドバイスしたことがある人ならば、容易に理解されるだろう。「そんなわけあるか」で一蹴である。それと同じ心のメカニズムが自分に対しても起こる。考え方を変える、それも自覚的に考え方を変えるのは至難の業なのだ。

そんなことをするくらいなら、自分が倒れたことを無視すればいい。何もかもが他者のせいにして、自分はひたすらに被害者ぶっていればいい。少なくとも、それで自分が持つ心の弱さについては自覚しなくて済む。

むろん、それで状況が改善することはまずない。自覚のないところに、改善などありえない。

本書は、著者自らの体験を交えて、人がどのように倒れ、そこにどんな感情と痛みがつきまとい、そこからどのように立ち上がるのかが克明に明かされている。とは言え、本書のアプローチがどこまで有効なのかは私には判断がつかない。なにせ私は専門家でもないし、実証実験で確かめられるものでもないからだ。

それでも、自分が頭の中でこしらえた「ストーリー」を記述してみる方法は、実体験から言っても有用だと感じる。心の中にあることを書き出すのは、それを整理するために必要なプロセスである。その場所は、パブリックに共有される場所であってはいけない。本当に信頼できる人、そうでなければずっと口をつぐんで寄り添ってくれるノートが必要だ。その意味でも、ノートはあなたのパートナーとなりえるし、あなたそのものを吐露する場所だと言える。

そこに自分が感じている、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱といったものを書きだし、それが何に由来するものなのかを検討してみる。最初は、すべて他者のせいだという自分の声が聞こえるだろう。それこそがでっち上げた「ストーリー」であり、あなたの心を束縛しているものでもある。

本書で紹介されている面白い「実験」がある。これは私の体験からも頷ける実験だ。

「人は皆、最善を尽くしているか?」

この問いにノーと答える人は、他者を攻撃しがちであり、悪しき完璧主義に陥っている。そして「〜〜すべき」という言葉をよく使う。自分が最初に思いついたストーリーに固執し、他の可能性について考えることができず、攻撃的に振る舞う。もちろん、その人もまた、最善を尽くしているのだ。この話の難しいところはここにある。だから、変えるのが難しいのだ。

一つ言えることは、人の強さとは、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱を持たないことではない。それは単なるロボットであり、言ってみれば強力な自己催眠を施しているだけである。人間的でなくなれば、人間的な弱さからは開放される。それと同時に人間的な強みも失う。目指したい場所はそこだろうか。

むしろそのような感情が自分にも生じることを認め、それを受け入れた上で、克服することが強さであろう。そして、その強さは他者に向ける眼差しにも反映される。自分にだって限界があり弱さがある。だったら、他者もそうだろう。人はそれぞれに最善を尽くして生きている。どう考えてもそうはみえないときもあるだろう。が、そんなときにそう思い直すことが、一つのゆるしである。それは人の、いや人間の気高き力なのだ。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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