理想我と誤謬 [タスク管理概論]

すべきことをこなすための技術、というのはたしかに必要だろう。

しかし、前回前々回の話を思い出して欲しい。そして、それを脳内ミキサーに入れて、グジャグジャとかき回して欲しい。

ポイントは、「すべきこと」なのだ。まさにこの表現に問題が集中している。極めて簡易に表明すれば、これは二つの疑問文に集約できる。

「すべきことは何か?」
「これはすべきことか?」

たったこれだけの疑問文に答えれば、タスク管理は達成できる。むろん、それが難しいからこそ人は管理手法を学ぶのだし、挫折もする。一体、そこにどんな難しさがあるのだろうか。

トップダウンとボトムアップについて考えてみよう。

理想我__こうありたい自分のイメージ__というものがあり、それに自分を付き従わせようとするのが、トップダウンだ。逆に、今の自分ができることをスタートとして、少しずつ改善を進めていくのがボトムアップである。トップダウンは華々しく、ボトムアップは(たいていの場合)みすぼらしい。

さて、タスク管理だ。

理想我というものが固定され、それをまるでドグマのようにして進められるタスク管理は、マッチョ型と言えよう。これはすばらしく疲れるものだ。なにせ「現状の自分がどうであるか」はまったく考慮されておらず、ただ「こうありたい自分」だけが想起され、準拠されている。「現状の自分がどうであるか」と「こうありたい自分」の乖離が大きければ大きいほど、その道のりは険しくなる。

でもって、その乖離が大きければ大きいほど、人はそれに期待を抱く。夢と言い換えてもいい。つまり、夢への道のりは常に険しい。true dream never runs smooth.

しかし、「現状の自分がどうであるか」をベースに進めると、マッチョ型が押しつけてくるような圧力は存在しないものの、そこには乖離がないので、ワクワクはあまり感じられない。茶室でお茶をすすっているような平穏さはあるものの、ドラゴンボール的な高揚感はない。

むろん、上記の二つはあくまでモデルであり、思考実験だ。現実の状況がこれにピッタリフィットすることは稀だろう。しかし、何かを考える役には立つ。

もう一度、冒頭の話に戻る。

「すべきことは何か?」
「これはすべきことか?」

あたかも簡単な問いに思える。制御し、手中におさめられる疑問に思える。たとえそのときははっきりわからなくても、人生のゴールや責任について考えれば、そしてそれを理解すれば、あとはスラスラと答えられるように思える。

本当にそうだろうか。

タスク管理の難しさは、結局のところ「すべきことなんて誰にもわからない」という点にある。もう少し言えば、それが本当にすべきことなのかどうか、言い換えればその命題に対する答えが真であるかは、誰にも答えが出せない。状況を限定し、変数のいくつかを固定すれば、それなりの答えは出せる。でも、それは「あくまで一つの状況」に対しての答えでしかなく、それは真理とはまるで関係のない答えである。

上に書いていることを実感される人もいるだろうし、なんじゃそりゃと思う人もいるだろう。しかし、タスク管理を行い、真剣にやるべきことについて考えると、「これは本当に自分がすべきことなのか」という問いに答えを出すのが非常に難しいことに気がつくはずだ。すべてをご破算にしてしまう覚悟があれば、どんなものでも「すべきこと」ではなくなってしまう。逆に、世界のすべてを抱え込めば、あらゆることが「すべきこと」に変質してしまう。そのような、曖昧で、多義的なものなのである。

その性質の厄介さに気がつかないで、「すべきことを管理すれば、それでいい」と安直に考えると、どこかでうまくいかない部分が出てくる。それは仕事がうまくまわらない、ということだけでなく、仕事を抱えすぎてしまったり、理想我に現実の自分が押しつぶされてしまったりと、影響は多方面に及ぶ。

タスク管理は技術である。マクルーハン風に言えばメディアだ。それぞれの技術は思想を持ち、使う人は無自覚にその思想に影響を受ける。「すべきこと」が自明であり、固定であり、誤謬がそこに一切存在しない、という管理技術に親しんでいると、自分の感覚もそちらに寄っていく。しかも無自覚に寄ってしまう。

古典的な経済学は、人間をエージェント的に扱った。必要な情報はすべて入手し、自分の欲求をきちんと理解して、それに適した合理的行動をとる存在だ。行動経済学は、人間をそんな風には扱わなかった。では、タスク管理はどうだろうか。旧来のタスク管理は、まさに人間をエージェント的に扱っている。やるべきことを完璧に理解し、必要なタスクであればすぐさま着手して、完了へと辿り着く。もちろん、地球は広く人類は70億人近く存在するらしいので、そういう人間も探せばどこかにいるだろう。そういう人間は、まさに仕事で成果を上げ、できるビジネスパーソンとして名前も上げ、自分の卓越したノウハウを他の人に触れ回るだろう。ハーメルンの笛吹きのように。笛の音を聞いた人々は、エージェント的な人間に最適化されたノウハウを身につけ、「望むこと」ができない自分を呪う。悲劇以外の何者でもない。

もう一度言うが、仕事を成し遂げる上で「すべきことをこなすための技術」は重要であり、必要でもある。でも、それだけでは危うい。これだけは断言できる。

タスク管理の概論の述べるならば、少なくともその点は踏み外してはいけないだろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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