Take a Write

おどろくほど気軽に、この文章は書き始められている。アプリをテキストエディタに切り替え、command + nで新規ファイルを作成したら、後は冒頭の一行を書き始めるだけだ。最初は「散歩、登山」というタイトルを書き込んだが、気が変わって今のタイトルになった。改行を一つはさみ、「おどろくほど気軽に、」と打ち込んで、後は思いつくままに文章を続けている。今こうして書かれている文章もそうやって生まれている。

非常に気軽な文章だ。なんの準備もない。意気込みもない。着の身着のままの執筆といったところだ。たいていのR-styleの記事はそのように書かれている。まるで散歩のような執筆。

しかし、すべての文章をそのように書いているわけではない。しっかりと準備を整えるものもある。たとえば『かーそる 2016年11月号』に寄せた記事は、どちらも準備を整えた。特に「知的よ、サラバ」は、入念と言ってよいだろう。コピー用紙、大量の付箋、8枚の厚紙ボード、WorkFlowy、Ulysses、そしてEvernote。すべてをフル活動して、原稿を作り上げた。

アイデア出しを行い、関連して欠ける要素を膨らませ、資料を漁り読書メモをとり、順番を並び替えて一番良い流れを探す。何なら少しラフスケッチも行う。そこまでした上で、ようやく執筆に取りかかった。いや、もうその作業全体が執筆だったと言っていいだろう。そして、たいていのボリュームある文章は同じように書いている。まるで山岳登頂のような執筆。

ボリュームがあり、しかもそこに筋が通っているものを書き表そうとすれば、それなりの準備が必要となる。なぜなら、私たちの頭の中身は筋が通っていないからだ。リニアなルートというよりも、連想ネットワーク的にそれらは存在している。しかもそれは動的に再編される。され続けている。挙げ句の果てに、その全体像を「意識」としての私は捉まえきれていない。そんなものを簡単に表せると思ったら大間違いである。

人によっては、それは山に登る作業かもしれない。森の奥に分け入る作業かもしれない。あるいは、深海に潜る作業なこともありうる。どちらにせよ、それは散歩ではない。着の身着のままではなく、何かしらの準備が必要なのだ。そしてその準備を含めて、「執筆作業」なのだとも言える。

これは、「書く前にあらかじめ内容を固めておこう」という話ではない。そういうことではなく、執筆という行為の工程は、そんなに単純なものではない、ということなのだ。トラブルの起きない山登りなどないだろう。つまりは、そういうことだ。だからこそ、あらかじめの準備は必要となる。でも、どこまで準備しても、最終的には現場の判断がものをいうこともまたたしかであろう。

というような簡単な話であれば、散歩の執筆で十分間に合う。これもまた文章を書く楽しさではあるのだ。

▼こんな一冊も:

かーそる 2016年11月号
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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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