【書評】なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか(シェルドン・ソロモン、ジェフ・グリーンバーグ、トム・ピンジンスキー)

「恐怖管理理論」についての本。原題は『The Worm at the Core: On the Role of Death in Life』。私たちの心に住まう「虫」(バグ)がどのような振る舞いをするのか、それが3人の共同研究者によって描かれている。

なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか :  人間の心の芯に巣くう虫
シェルドン・ソロモン ジェフ・グリーンバーグ トム・ピジンスキー
インターシフト
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目次は以下の通り。

◎第1部 恐怖管理とは何か
第1章: 人間は死の恐怖管理を求める
第2章: 文化的世界観によって守られる
第3章: 自尊心が壊れるとき
◎第2部 文化の根源
第4章: 儀式・芸術・神話・宗教の成り立ち
第5章: 死を乗り越える方法(1) 文字どおりの不死
第6章: 死を乗り越える方法(2) 象徴的不死
◎第3部 人間の心理・社会を読み解く
第7章: なぜ悪と暴力が栄えるのか
第8章: 動物性を遠ざける
第9章: 二つの心理的防衛
第10章: 精神障害と恐怖管理のかかわり
第11章: 死とともに生きる

リンゴに巣くう虫

まず「恐怖管理」とは何だろうか。語感的に「恐怖政治」に近いもの__人間を恐怖によって支配する行為__だと感じられるが、そうではない。人間の心理機構が、いかに死の恐怖を管理しているのかについての理論である。

アダムとイブは知恵の実を食べた。結果、知恵やその他もろもろを抱えて楽園を追い出され、「人間」となった。ホモ・サピエンスは、他のサピエンス種に比べてかなり複雑な思考を扱えるようになり、(比較はしにくいが)強度の高い自我を持つようになった。それが、これまでの文明を発展させてきた原動力になったことはたしかである。

だがしかし、そのリンゴには虫が巣くっていた。「人間」はそれらも一緒に体内に取り込んでしまったのだ。

生と死のはざまで

「私」という意識は、死を認識できる。膨れあがった脳を持つ私たちは、単に反応的に生きるだけでなく、「私」がいずれ死に、この世界は「私」抜きで進んでいくことを想定できてしまう。想像できてしまう。どのような生物でも、本能的に死に怯えることはあるだろう。ウサギが空腹のライオンに直面したら、臨戦態勢を整えるか、身動きがとれなくなるか、ともなく何かしらの反応を示し、そこに「恐怖」と呼びうるものが含まれていることは間違いない。

しかし人は、そんな実際的な危機的状況になるはるか以前に、「死を想う」ことができてしまう。理性を持った人間は、死を想いながら、生きていくことを定められているのだ。

別の言い方をしよう。自我の機能の一つは「自己同一性」の保持である。それは「自分は自分である」という感覚の担保だ。もっと言えば「自分は自分であり続ける」ことこそが自我(という機能)の存在理由である。「死」の認識は、それに刃向かう剣である。自己同一性において、死は決定的な否認となる。

思考実験をおひとつ

空想的に思考実験してみよう。あなたがもし単一個体の自己同一性を持たず、集合的意識の一部であるとしたら。あなたは「死」を恐れるだろうか。もちろん答えはノーだ。「あなた」という感覚を生みだし、支え続けている精神機構が自己同一性を持っていないのなら、死は何の反抗にも抵抗にもならない。単なる一つの事象と見なされる。

問題は、それは思考実験に過ぎず、私たちは「わたし」という自我を有していることだ。その自我は、自らの役割を否定するものと共に歩んでいかなければならない。まるで人が影と寄り添って歩くようにだ。

装置での対抗

このような不安定とも呼べる状況に、人(あるいは人類)は、メカニズムを持って対抗してきた。それこそが人類が進んできたすべての歩みでもある。単に環境に適応するだけではなく、環境を変えてしまう「道具」を作ること。それが人類が人類たるゆえんであり、死の恐怖もまた、その対象となった。

以上が「恐怖管理理論」の前提にある。そして、中心理念は以下の二点だ。

第一に、文化的世界観に対する信念を持続する
第二に、「自尊心」を高め、維持する

簡単に言おう。人は死を免れられない。しかし、死を超越したもっと大きなもの(Greatなもの)があり、自分がその一部だと認識できたなら、どうだろうか。死を恐れる「わたし」は、その恐怖を完璧にゼロにはできないにせよ、かなりの癒しがもたらされるのではないか。自分が不死になれなくても、不死性を持つものに接続できる、あるいはその一部と見なせる。その認識は、防壁となり、私たちが持つ死の恐怖を和らげてくれる。だから、日常生活において、30分に一回死の恐怖に怯えて何も身動きがとれなくなる、といった事態に見舞われなくても済む。

人間の心理機構をこのように捉えるのが「恐怖管理理論」である。まず私たちは「文化的世界感」によって、不死性が認められるものを獲得する。基本的にそれは共同幻想であって構わない。宗教でも共同体でも靖国神社であってもなんでもござれだ。そうした死を超越しるものを仮設__『サピエンス全史』の著者ならば虚構だと呼ぶだろう__した上で、自分がそこに属している感覚を持つこと。それが一般的に「自尊心」と呼ばれるものである。

この二つの要素__文化的世界観を自尊心__によって、人は防壁を築き、死への恐怖を緩和している、というのが「恐怖管理理論」である。ずいぶん興味深い話ではないか。

たとえば、現実の世界にもインターネットワールドにも、極端に間違いを認められない、謝れない人たちがいる。そういう人たちを揶揄して「謝ったら死ぬ病」なんて呼び方をするが、恐怖管理理論に照らし合わせてみれば、それは揶揄でも誇張でもないことがわかる。

もし謝ることが、その人の自尊心を傷つけるに値することであれば、その行為は防壁の一部を壊すこととイコールなのだ。ウォール・マリアの町に住む人に、「ねえ、ちょっと壁壊してみたら?」と提案したら、気が触れたと思われるだろう。その人にとって謝ることは、まさにそれと同じ行為なのだ。謝ったら死ぬ(=不死性が棄損される)のだ。

自尊心ではなく、文化的価値観についても似た話は多い。人は自分が所属する共同体もろもろが非難されると、異様なまでに怒り出すことが多い。もちろんそれは集団的反動を伴うので、ときに血で血を争う抗争にまで発展してしまう。なにせ攻撃された側も、自らの不死性に危機が迫っているわけだから、死にものぐるいで反撃してくるだろう。こうして戦火は広がっていく。人間が経済合理性を信奉するエージェントであれば、まったく考えられない行動だ。でも、実際の人間はそのような行動をとり、歴史に血の色を刻んできた。なぜか。文化的世界観を攻撃されることに、自我が耐えられないからだ。それは不死性への叛逆なのだ。

わたしの「神」(他の何かでもいい)は正しい。私はその神に所属している。だから、別の神が正しいと良い、私の神が間違っているという人間は滅ぼさなければならない。もし、彼らの神が正しいのならば、私の神が間違っているのだから。そんなことはあってはならないし、あるべきでもない。さあ、旗を掲げよ。

こういうわけだ。

理性的に考えれば、各々が自分のうちなる神を静かに信奉していればいい。真なる信仰とはそのようなものであろう。しかし、絶対的な不死性という点を考えると、いろいろな「神」(何度も言うが別の何かでもいい)の存在は都合が悪いのだ。文化的成熟が未熟で、人が自分を依託できる文化的世界観が限られている場合、正しい「神」を競うための諍いが起こるのは、(少なくとも恐怖管理理論からすれば)ごく自然な話である。

二つの不吉な連想

本書はその恐怖管理理論をベースにして、死への恐怖がどんなメカニズムによって緩和されているのか、そしてその恐怖がどのような影響を人間の行動に与えるのかが詳しく論じられている。

いささかショックであり、行動経済学的な話でもあるのだが、判事に、死を想うような情報を与えると、売春婦に言い渡す判決(保釈金の額)が変わってしまうという実験は、考えさせられるものである。もちろん、死を想った方が、より懲罰的であったのだ。死が意識されると、自分の文化的世界観を守ろうとして、ルールから逸脱した人を攻撃してしまう。これを逆に見れば、ルールから逸脱した人を激しく攻撃している人は、必死で自分の文化的世界観を守っているのだと考えられる。

ここから二つの不吉な連想が広がる。一つは、テクノロジーの進化によって、私たちがこれまで以上にフィルターバブルに閉じ込められるとき、この文化的世界観を巡る闘争は、一層激しさを増すだろうという予想だ。フィルターバブルは、文化的世界観を多様に(あるいは多層に)するようには作用しない。むしろ単一の文化的世界観を強化するように働く。となれば、その世界観が攻撃されれば、目を覆いたくなるような反撃が始まるだろう。アメリカで生じつつある出来事は、その前兆なのかもしれない。

もう一つは、人が恐怖の示唆によってその行動を変えるのならば、そしてその変化に傾向があるのならば、虐殺のための文法というのは、存在しうる、という話である。その意味で、心に住まうその虫こそが「虐殺器官」を成り立たせているのかもしれない。

もちろん恐怖管理理論は、人の意思決定を理解し、それをより良き方向に導くために使えるはずである。しかし、そこに潜む人間の心のトラップには、恐怖を感じずにはいられない。

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