ダンスと自律性

小学生たちが発表するダンスを見ていた。

かなりの低学年の男子四人が踊っている。振り付けを覚えているのがすごい、というくらいなのでさすがに上手くはない。リズムに合ってないし、動きもしっちゃかめっちゃかである。でも、中にはそれなりに踊れている子もいる。

踊れている子と、踊れていない子。

対比してみると、踊れている子は「ダンスを踊っている」ように見える。逆に、踊れていない子は「ダンスに踊らされている」ように見える。つまり、感じられる自律性に違いがあるのだ。もちろん、前者の方がより強い自律性を獲得しているように思える。

不思議だ。

決まり切った音楽と、あらかじめ決められた振り付けを、「その通り」にこなしているのだ。ある種の観点から見ると、そこには自由さのかけらもない。むしろ、音楽から外れている方が、「その人らしさ」を発揮しているように思える。しかし、現実的にその姿を見ると、「ダンスを踊っている」のは前者の男の子なのだ。

道徳律と自由も、もしかしたらそういうものかもしれない。

問題があるとすれば、「ダンスを踊る」ことが何に相当するのかに解釈の余地があることだろう。生きることなのか、社会参加なのか、それとも別の何かなのか。

舞台から降りる、という選択が可能であるかどうかが一番の論点になりそうだ。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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