教養と共感

口は災いの元などと言う。

山本地方創生相「いちばんのがんは学芸員」発言 きょう撤回 陳謝 | NHKニュース

山本地方創生担当大臣は16日の講演で、外国人旅行者に対する文化財の観光案内が不十分だと指摘したうえで、「いちばんのがんは学芸員で、一掃しなければならない」などと述べたことについて、発言は適切でなかったとして撤回し陳謝しました。

「いちばんのがんは学芸員で、一掃しなければならない」

さて、どうだろうか。

もしかしたら、「うん、そうだ」と共感する人もいるかもしれないし、「何言ってんだコイツ」とすぐさま罵倒の言葉を投げつける人もいるかもしれない。どちらにせよ、共感ベースの即時的な反応である。つまり、共感して鵜呑みにするか、共感せずに即刻拒絶するか。そういう反応なわけだ。

私としては、「がん」という表現もいただけないが、「一掃しなければならない」という拒絶思考・殺菌思考もいただけないな、という感覚がある。でも、それと共に、そもそもどういう場所で、どういう文脈で発言したのか、という点は気になる。もちろん、その文脈によって発言が正当化されることはないにしても、発言者が目指しているものが何なのかを知ることはできる。それを知ろうとしなければ、完全なる拒絶か完全なる許容のどちらかしか取れない。ゼロイチ(あるいはモノクロ)思考だ。

仮に発言者の発言が短絡的なものに感じられるなら、それを短絡的に返しては本末転倒だろう。ミイラ取りがミイラになっている。残った反知性主義はニンマリ笑うだけだろう。やっぱりね、と。

知的努力と時間

千葉雅也氏の『勉強の哲学』では、決断主義との距離との取り方が語られているが、象徴的なのが入門書の読み方だろう。はじめてその分野の入門書を読むときは、必ず新しい言葉づかいが登場する。私たちは、そうした新しい言葉をわからないなりに引き受けるしかない。一歩引いた視点でメタ化し、意味を保留した状態で先に進んでいく。

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そのために重要なのは、自分の実感に引きつけて理解しようとしないこと。

これが難しい。自分の実感に引きつけて理解すること。自らの語彙だけで処理してしまうこと。速度感のある対応であり、カーネマンが言うファスト&スローのファストに相当する脳の情報処理だ。カーネマンの著作によれば、こうした脳の情報処理はかなり頻繁に(しかも無意識に)顔を出すらしい。

そして、この「自分の実感に引きつけて理解する」という処理は、「共感」ベースの処理と呼応している。

共感できるかどうかだけで話が進んでいく時代に警句を発する『感情化する社会』の中で、著者の大塚英志氏は次のように書く。

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こういった「感情」は、理性的で社会的な経済学の分析や歴史学の集積というよりは、瞬時に「感情的」に理解できるものを好む。それが世界中で進行中の「反知性主義」という、かろうじての「知性」さえ凌駕する「感情」の正体である。

悪政に声を荒げることを知性だと思っている人がいるが、もちろんそれは違う。吟味し、議論し、対話することが知性であり、そこには必ず知的努力と時間が伴う。その投資によって理路を作り上げることが大切なのだ。この場合の知的努力とは、主観的に判断し結論を出しそうになる誘惑に抗う力のことであり、難しい問題をうんうん考え込むことではない。つまり、高度な学問を修めていなくても得られる力である。

理路を作らず、直感あるいは共感だけで話を進めると、とんでもなく良いこと(たとえば大量に募金が集まる)が起こることもあるし、とんでもない悪いこと(国家が戦争に向かって邁進する)が起こることもある。直感(共感)的なものは、非常に振り幅が大きい上に、抑制が利かない。そこには理性という安全弁が介入する余地がないので、一度たがが外れればあとは激突までまっしぐらだ。

直感だけでも理路だけでも

しかし、この話は「直感的なものを捨てましょう」みたいな方向には流れない。なぜならまさにその直感的なものが「人間らしさ」を支えているからだ。

ファストな思考は、ときどき論理ではまずたどり着けない場所に自分を導いてくれる。天才の逸話を読めばいくらでも、実例に遭遇できるだろう。そもそも「愛情」というものでさえ、感情的機能であり、それは理路とはまったく別のところに位置している。

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これらをすべてなくして、スローな思考だけあればうまくいく、と考えることもまたどこかにファストな成分が含まれてはいないだろうか。

とは言え、直感だけあればうまくいくとは言えないのは、上記で確認した通りである。直感はだいたいうまくいくが、たまにものすごく間違う。しかも、それが致命的だったりする。それを踏まえて対応するのが人間であろうし、そのために「議論」や「対話」というものが発明されてきた。

世の中には議論や対話がまったく必要ないばかりか、むしろない方が良いことすら存在しているが、だからといってこの世から議論や対話がなくなっていいことにはならない。どちらであっても、そういう極端に話を落ち着けたいのは、知的な努力の欠乏である。

自己啓発的メッセージの危うさ

理路を大切にすることは、感情を捨て去る(あるいはその価値を下に置く)こととは違う。

たとえば、何かと遭遇したときに、「気持ち悪い」と感じることはあるだろう。人間に感情という機能があるのだから、それは避けられない。ある意味で、「気持ち悪い」と感じることは万人に向けて開かれている。

でもそれは、その何かに向かって直接「気持ち悪い」と言って良いのとイコールにはならないし、そうした何かが軽んじて扱われたり、ひどい損害を被ることを肯定して良いことにもならない。感じることは感じることとして、その上のレイヤーでの立ち振る舞いは別に求められる。

「お前の言っていることは全然わからんが、お前がそういう気持ちを抱いていることはわかったし、尊重したいと思う」

こういう態度である。

しかしむしろ、最近の自己啓発の世界では、「自分の心」が大切だと言う。「感じるまま」が一番重要で、それに従って行動することが是だという。それは肯定的な側面では素晴らしく響くのだが、ひっくり返して裏側を見れば、「気持ち悪いと感じたものは、切り捨てても構わない」と言っているのに等しい。共感ベースの発想なのである。知的努力なんて払わなくていいよ、というメッセージなのだ。

「ノイズをゼロにする」とか「不要なものはどんどん捨てる」という自己啓発的メッセージも同様の匂いがする。そこにあるのは自分のフィールドだけであって、他者は皆無である。他者的な在り方というものを根絶したところに、「自分らしい」ものが残る。その考え方は、奇妙なほどに「いちばんのがんは学芸員で、一掃しなければならない」という発言に呼応しているように見える。

もちろん、その人の人生やパーソナルスペースの構築についてと、公共的な施策についてではあまりにも文脈が違いすぎる、という反論はあるだろう。しかし、自分の共感に反するものを理解しようとせず、そのまま切り捨てることは是である、というマインドセットが、公共の領域に絶対に浸みだしてこない、とまでは言えないのではないだろうか。

さいごに

質的社会調査の入門書である『質的社会調査の方法』は、副題が「他者の合理性の理解社会学」となっている。

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他者を他者として、つまり他者を自分の内側に取り込まずに、その合理性を理解しようとすること。それが社会学だと言うのだ。

共感ベースの社会では、その他者(あるいは他者性)が欠如している。その上、その他者を排除・廃絶することが是だという雰囲気すらある。その社会はだいたいは「心地よく」「気持ちよく」過ごせるだろうが、1%くらいは致命的な間違いをしてしまうかもしれない。そして、それを止める術はまったくないのだ。

教養とは、知識の多さでも、インテリらしく語る力でもない。共感を持つと共に(つまり感情は持ったままで)、それとは別の回路(理路)を持って事にあたれる人のことだ。その回路にこそ他者は宿ることができる。

とは言え、前述したが、この回路の構築には知的努力と時間が必要である。しかし、世の中はどんどんスピーディーになっていく。そこではもうほとんどファストな情報処理を行う余地しか残っていないのではないかと疑うぐらいである。

パソコンの速度については速さは正義と言えるのかもしれない。でも、人間の思考について同じことが言えるのかは、「時間をかけて」考えた方がよいだろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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