【書評】愛と怒りの行動経済学(エヤル・ヴィンター)

ときとして、私たちは感情を嫌う。「もっと合理的に生きていけたら」と願う。

では、ほんとうにミスター・スポックのようになったら、私たちの人生はより幸福度が増すのだろうか。あるいは、いつまで経っても食べる方を決められなかったロバのように餓死してしまうのであろうか。

愛と怒りの行動経済学 賢い人は感情で決める (早川書房)
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本書は、嫌悪されがちな「感情的判断」に新しい風を吹き込む一冊である。

感情の進化上的メリット

まず単純に考えよう。私たち人間には感情が備わっている。それも生物学的に備わっている。唯一なるものがデザインしたわけでもないし、たまたま道で拾ったわけでもない。進化の過程で、私たちはそれを獲得したのだ。進化論的に考えれば、この感情の獲得は、種の生存の上で何かしらのメリットがあったと考えられる。

それはなんだろうか。

わかりやすい例を考えよう。囚人のジレンマだ。

二組のペアを想定する。片方は合理的判断のみを行うペア。もう片方は感情的判断も行うペア。前者は計算する。「向こうがどう動こうが、自分は自白した方が得だ」。そうして二人とも自白する。後者は信じる。「あいつは絶対に自白しないに違いない」。そうして二人とも黙秘を貫く。

おどろくべきことに、「信じる」などといった何一つ担保も信頼性もない行為をした方が、結果的に得をすることになる。つまり、これが感情の機能なわけだ。

「もっと合理的に生きていけたら」と考えるとき、その主体は「自分一人の合理性」のみを焦点としている。しかし、社会は多数の個人で成立している。そして、個人の合理性の追求が全体の不合理性の結果となることは珍しくない。合成の誤謬というやつだ。個人が自分の合理性の追求のみで行動を決定している場合、合成の誤謬は決して残り越えられない。

さて、ここで二つの種を想定しよう。

片方は、合理的判断のみを行うホモサピエンスのグループだ。もう片方は、感情的判断も行うグループとする。さて、どちらが種として生き延びる可能性が高いだろうか。その結果を我々は今直接的に目にしているのではないだろうか。

合理性の見直し

ダニエル&カーネマンの『ファスト&スロー』では、どちらかと言えばファストは不遇の扱いを受けている。ドラえもんで言うところののび太くん的存在だ。スピードが求められる時代の警句としてはそれで正しいだろう。

ファスト&スロー (上)
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ダン・アエリエリーの『予想どおりに不合理』でも人間の不合理性に注目しているが、『不合理だからうまくいく』では少しだけそのメリットにも触れている。「人間らしさ」のある部分まではその不合理性が核を成しているのだ、と。

とは言え、どちらの場合でも、そうした行動は「不合理」という文脈に位置づけられている。著者はそれを合理性の定義によって退ける。

個人の行動は、その行動が選択されたときの一般的状況と照らし合わせて、進化上の利点をもっと増やす行動がほかにない場合に、合理的となる。

ここでの「合理性」は、個人の利得(効用でも幸福でもいい)にフォーカスしていない。もちろん、結果として個人の利得が含まれることはあるだろう。その利得によって個体が生き延びる可能性があるのなら、それは上記の合理性にもフィットする。しかし、個人の利得が種としての進化上の利点を増やさないならば、それは合理的ではないとされる。

むろん、逆もある。

たとえば、誰かに怒りを感じる、というのはあまり褒められたことではない。自己啓発の文脈でも怒りを抑制することが推奨されている。ストレスばかりが上がって、いいことはない、と個人の利得に焦点が定められている。しかし、である。自分の目の前で共同体の一員がなぶり殺しにされているのを目撃したときに、怒りをまったく感じないことは、人と人との連帯(言い換えれば、共同体の強度)において、どのような効果をもたらすだろうか。

同様に共同体を維持するための信頼を壊してしまうような酷い扱いを自分が受けたときに、相手に対して怒りを表明しないのならば、その共同体はどういう方向に向かって進んでいくだろうか。

そう考えると、一見原始的なものに思える感情も、実は社会というネットワークを(一定の規範内で)維持する役割を有していることがうかがえる。

だから、誰かを愛したり、信じたり、怒りを感じたりすることには、きちんとした意義があるのだ。

さいごに

とは言え、である。

感情だけがあればうまくいく、というわけでもない。そういう「感じるままに行動せよ」みたいなのは自己啓発メディアだけでお腹いっぱいなのだ。行動経済学の知見からわかるように、直観的判断・感情的判断は大いに誤る可能性がある。それを無視して、「感じるままに行動せよ」などと言うのは、21世紀で終わりにしたいものである。

人間の人間らしさというのは、感情と共に合理的判断を有していることだ。その一見相反する二つの要素は、うまく協調すると意思決定を素晴らしいものにしてくれる。むしろ、感情なしの意思決定はいつまで経っても答えが出せないだろう。認知能力が拡大すればするほど、私たちは答えが出せなくなる。だからこそ、感情の助けが必要なのだ。

感情を切り捨てるのでもなく、かといって感情のみに従うのでもなく。そういうマインドセットの在り方が必要なのだろう。真ん中を歩くためには。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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