アイデアの捨て方 〜デジタル編〜

前回:アイデアの捨て方 〜アナログ編〜

まず確認しよう。デジタルツールでは、メモの作成は容易で、複製も容易で、編集も容易である。さらに、数百、数千のメモですら軽々と保存できてしまう。すぐに机の上が(あるいはノートの書き込みが)一杯になってしまうアナログツールとは、その点に大きな差異がある。

アナログツールは、記述・保管の限界性を抱えていた。それは一面では弱点であろう。しかし、その特性によって「仕方なしに整理」が促されていた点は見逃せない。これがアイデアの活用に一石を投じていたのだと推測できる。

仕方なしであろうがなかろうが、(一番広い意味においての)整理作業が行われるからこそ、蔵の奥深くに格納されていたアイデアに日の目があたった、というわけだ。

かといって、我々は単純に過去に回帰すればいい、というものではないだろう。つまり、デジタルツールのメリットをわざわざ削ぐようなことをする必要はない。そこはハイブリッドな思考で臨みたい。

アナログツールが、物理的制約によって「仕方なしに整理」を促すというのであれば、デジタルツールでも同種の整理活動を、むしろ自発的に取り入れれば良いだけである。

準・廃棄

まず、廃棄についてだが、デジタルツールでは廃棄する必要はない。保存コストが安価であることがデジタルツールの特性であるのだから、その点は活かしたいところだ。

ポイントは「見えるか・見えないか」にある。情報が保存されていても、それが「見えな」ければ、実質的に捨ててあることと同義である。つまり、(デネット風に言えば)準・廃棄だ。

たとえば、OSやアプリケーションに設定された「ゴミ箱」ではなく、〈ゴミ箱〉というノートブック・フォルダ・項目を作り、そこに入れてしまう。普段の探索・検索行為において、その〈ゴミ箱〉を対象にしないのならば、そこに移動することは「捨てた」とほぼイコールである。しかし、ひょんなことから、そこからアイデアが発掘できる可能性も保持できている。これが準・廃棄だ。

アナログツール的発想で比喩すれば、部屋の奥の押し入れに突っ込んでおくようなものだが、デジタルツールは検索が効くので、そうやって雑多に放り込んでも活用の可能性は残される。「あってないようなもの」「ないのに実はある」という状況を作れるわけだ。

じわじわ触る

では、廃棄以外はどうだろうか。前回PoICで紹介したような再生産だ。

大きく二つの手法があるように思える。一つは〈じわじわ型〉、もう一つは〈祭り型〉である。

まず、〈じわじわ型〉だが、これはたとえば、アイデアを一元保存した場所を毎日のようにチェックし、そこに少しずつ手を加えていくやり方である。この手法には、アウトライナーが適しているだろうし、以下の本も参考になる。

アウトライナーに思いついたことを書き込んでいき、それらを見返しながら、書き足したり、くっつけたり、書き換えたりして、アイデア系のエントロピーを毎日少しずつ減少させる。こういうやり方だ。

とは言え、毎日毎日綺麗に整理されたアウトラインがそこに残るわけではない。ときには混乱したり、中途半端だったりと、逆にエントロピーが増加しているようなこともあるだろう。それでも、日々アウトラインを触ることで、そこに何かしらの秩序(関連づけ・構造化)を与えようとする、という姿勢が、通時的にみたときにエントロピーの減少に貢献する。

また、準・廃棄の手法も活用できる。日々の整理で、「これ、いらないかな」と思ったものは、〈ゴミ箱〉に移動させておけばいい。それはたしかに残ってはいるが、日々の検討からは剥離される。たまに〈ゴミ箱〉を覗いて、中身を戻すことも可能だ。
※中身をエクスポートして、完全にアウトラインから取り除く、より強度の強い準・廃棄もありえる。

祭りで一気に

毎日じわじわ進めるのではなく、ある程度を期間をおいて、アイデアのストックが一定量になったら、一気に整理(秩序化・関連づけ・構造化)を行う、という手法もありえる。前回紹介したPoICがまさにそれであるし、拙著『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』で紹介しているのも、おおむねこちらの方向である。

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問題は、その祭り的な「一気に整理」をいつ行うのか、という点である。「仕事の依頼があったので」というのはわかりやすいトリガーだが、それに頼りっきりであれば、仕事の依頼がなければ、整理(という名の再生産)は行われなくなる。そして、この点が、情報整理(アイデア整理)術が抱える根本的な問題ともなる。

情報整理術の発信者は、たいていは著名人であり、依頼があったり、締切を持っていたりする。学者さんなら定期的に論文を書かないとまずいだろう。トリガーが常態的に発生しているのだ。しかし、情報整理術の受信者は、これから発信者になろうとする人であり、そのようなトリガーを持っていないことが多い。つまり、「自然な状態」が両者で違うのだ。片方では「必要に迫られてやる」ことがいくつもあるのだが、もう片方ではそれがない。その点を考慮しないと、大きなものを見逃すことになる。

PoICのサイクル

他者からのトリガーが存在しないのであれば、一定の周期を設定して整理作業を自発的に行うか、あるいは蓄積したアイデアがまとめるように要求してきた段階(言い直せば、自分でアイデアをまとめたくなる状況)で行うのか、の二つのやり方があるだろう。前者は、祝祭的な意味での「祭り」、後者はネット的盛り上がりな意味での「祭り」と言える。

ここでPoICについて、もう一度その説明を確認したい。

まずカードを保存しておくドックには、1500枚ほどのカードが保存できるらしい。そのドックを「机の上の常に目に入るところ、手の届く範囲に置いてお」くのがポイントのようだ。

さらに、このような記述もある。

ドックの中のエントロピーは、数ヶ月から数年のスケールで、このようなサイクルを繰り返します。
PoIC を通じて見えたこと – PoICより

「このようなサイクル」とは、ドック内のエントロピーが上昇し、再生産によって減少するサイクルを指す。つまり、ドックのカードが減る(カードを整理する)タイミングは、短くても数ヶ月、長い場合は数年のスパンを必要とする、ということだ(もちろん、平均的に見てということであるが)。

つまり、周期を設定するならば、数ヶ月程度が短めの目安になるだろうし、気分が盛り上がるのを待つ場合でも、1500個ほどのストックが出来てから、ということになる。それまでの間は、ドック内のエントロピーは拡大していくし、それを放置することになる。〈祭り型〉で対応する場合、そのことは重々承知しておいた方がよいだろう。道程は、混乱するのだ。

ブログという混合場所

現代であれば、アマチュアであっても、ブログやセルフパブリッシングというアウトプットの場がある。自分で本を創らなくても、「かーそる」のような共同雑誌も生まれつつある。よって、依頼がなくても、発信することを自分の生活に織り込むことができる。アイデアを貯め込みっぱなしで終わらせなくて済む環境が整っているのだ。

とは言え、私のように2〜3個ほどのアイデアで一記事を毎日ブログに書いてしまうような人間は、実はアイデア・エントロピーの点で言うと、あまりよろしくないかもしれない。私がやっているのは、ようは〈じわじわ型〉と〈祭り型〉の混合である。毎日小さい祭りを行っているのだ。

それはドック(私で言えばEvernote)のエントロピーを少し減少させることにつながるが、再生産先のブログが時間と共にとっちらかっていくだけである。だから、今度はブログ記事をベースとした再生産で、より大きなアウトプットを作り、さらにエントロピーを減少させる必要があるだろう。

簡単に言えば、「それについては、この記事と、あの記事と、あの記事を読めばわかりますよ」ではなく、「それについては、この本を読めばわかります」と言えるようになるのが望ましい、ということだ。それは他者にとっても、私にとっても有用な状況であろう。

さいごに

アイデアを整理するためには、アウトプットが必要なのであるが、アウトプットの必要性がないとそれは行われない、という問題を抱えている。よって、どうであれ、それを設定することが二回目の始まりとなる(一回目の始まりは、言うまでもなくアイデアを書き留めるところだ)。

とは言え、道程は、混乱する。途中までは、収拾がついていないような、これって本当に大丈夫かよ、という状態が続く。1500ものストックを生みだそうと思えば、(ごく普通に生活している限りにおいては)数ヶ月〜半年ほどはかかるだろう。その期間は、整理がついていなくても仕方がないとわりきることが大切である。

混乱状態のまま、少しずつ手を加えていくか、あるいは期間をおいて、一気に祭りを行うか。それは、その人の環境や好みによってわかれるだろう。おそらく正解はないはずである。

というところで、次回はもう少しそれぞれの手法について考えてみたい。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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