差異がもたらす、本質的価値への問い

「その物の価値は、失ってみたときはじめてわかる」

なんて、言葉もありますが物事の本質的価値というのは確かに見えにくいものがあります。何が価値で何が価値でないのか、という言葉の定義すらも難しい問題ですが、それよりも「その物しか持ち得ない価値」というのは何か、というのは対照実験をしてみないと見えてきません。

例えば、「宇多田ヒカルライブUstreamの感想 あるいは代用がきかない何か」というエントリーでUstreamとリアルのライブの対比について考えてみました。Ustreamによるライブ配信は、いわば劣化版のライブコピーです。その二つを比べてみることで、「人はライブに何を求めているのか」という事がより深く認識できることになります。

振り返ってみると、TwitterというSNSツールの出現もそういった対象実験的な意味合いがありました。Twitterが普及し始めた頃はBlogとの使い分けに悩まれる方もおられたでしょう。日常的にTwitter・Blogをやっている人は、おそらく「あえてなぜBlogをやっているのか」という問いにさらされたはずです。その問いがあるからこそ「わざわざBlogを書くこと」の本質的価値にたどり着く事ができます。

もっと振り返れば、アシモフが提示した人間と共存する「ロボット」もこれまでの文学とは違った視点からの「人間とは何か?」という問いとして捉えることもできるでしょう。

技術の進歩で、古い物が新しい物に置き換わろうとしています。

しかし、全てが置き換わっている状況ではありません。古い物と新しい物が共存している分野は未だ多くあります。それは単に過渡期的な状況なだけなのか、それとも新しい物では、古い物が持つ本質的価値を代用しきれないのかはわかりません。

しかし、似た存在が共存している状況は、それぞれの存在がもつ本質的価値を見定め得るのにはよい環境です。

本と電子書籍

今もっとも熱い分野かもしれない電子書籍。この新しい「本」の登場は「紙の本とは一体なんなのだ?」という問いを突きつけます。これに明示的な答えは返せないかもしれません、しかし今の時代に紙で本をだすならば、なぜそれが紙の本であるべきなのかという事は一度自問する必要があるでしょう。

また、それは電子書籍をどのように作っていくかという考えの基盤にもなるはずです。

電子書籍について言えることは、紙の本の代用ではいけないだろうという事です。
進む方向性としては、「紙の本ではできない事を実現する」というのがまっとうな考えでしょう。例えば、

  • 音楽や動画といったアクティブな要素の提供する
  • 検索・コピー&ペースト機能の拡充
  • ネットを介したソーシャルメディアへの接続
  • 即効性の高い情報をわかりやすい形で提供
  • 需要が著しく低いコンテンツの開発

といった方向性があれば明示的に紙との差別化はできるはずです。

今の日本で語られているプラットフォームの不整備の話などは電子書籍メディアうんぬん以前の話です。こういうのは整備されていて当然というぐらいの前提の話で、そういった環境が出来た上でどのようなコンテンツが「電子書籍」として成立していくのかを考えて行く必要があります。

コンテンツを囲い込んで商売する旧来の出版社的発想で「電子書籍」を考えたとしても、それは既存の「本」をベースにした発想にしかならないでしょう。そこには差異は生まれ得ません。

考えるべきは「なぜ、紙の本なのか」という事。そして「電子書籍は紙とはどう違うのか」という事。この二つを徹底的に考えていく必要があるでしょう。この差異について考えなければ、パイの奪い合いしか生まれない事は簡単にわかります。

おそらく今後この業界は、

「紙の本と電子書籍を同一に扱う」
「電子書籍を紙の本の宣伝に使う」
「電子書籍ならではのコンテンツを作る」

この3つの方向性が生まれてくるでしょう。

どのような方向性であれ「読み手」の視点をキープできるところが圧倒的に有利になってくるはずです。マスからソーシャルにメディアの軸が移動しつつある中で、実際の利用者の声は徐々に大きくなってきています。ユーザーの利便性を無視して提供すれば、失う物はとてつもなく大きいものになってしまうはずです。

紙の手帳とスマートフォン

おそらく、去年から今年にかけてその差異が鮮明になってきたのがこの二つの存在です。

手帳の機能は、すでにスマートフォンでほぼ代用できます。しかしスマートフォンユーザーでも紙の手帳を携帯している人は多くいます。そういった人は、スマートフォンを持たずに紙の手帳にこだわっているユーザーとは違い、それぞれのツールに「役割分担」をさせているはずです。

今まで紙の手帳に詰め込まれていた機能が、スマートフォンというツールで代用できるようになって、始めて「紙の手帳ならでは」の機能とは何なのかが明確になってきた、という事だと思います。このあたりも突き詰めて考えていくといろいろ面白いことが発見できそうです。おそらく今後は

「手帳あるいはスマートフォンだけを使う」
「それぞれのツールを連携させて使う」
「独自性のあるツールの使い方をする」

という3種類ぐらいの利用のされ方になっていくのではないかと思います。もちろん正解みたいなものはありません。

TwitterとBlog

先ほども書きました。TwitterとBlog。おそらくTwitterとBlogの両方をやられている方の中にはある程度明示的な理由があると思います。もし無い方は一度考えてみてください。自分にとっては当然に思えても、明文化するとなかなか難しかったりします。

すくなくともブランディングにおいては、この二つはまったく別の機能を持っていると思います。最近はFacebookが入ってきてよりややこしい形になっていますが、それも合わせてなぜそのツールなのかというのは、自分自身でじっくり考えてみるのもよいかもしれません。

SNSとリアル

最近痛烈に感じるのが、この二つの差異。

SNS(というかTwitter)での交流をしていることによって、よりリアルで合いたくなってくるという心理的現象が起こります。日常的にSNSやっているからそれでいいじゃん、という風にはなりません。

Twitterを始めるまでは、他の人のBlogを読んでいてもそのような感覚になることはほとんど稀でした。この感覚はどこから来ているのだろうか、と考えていたところダン・アリエリーの新刊です。

『不合理だからすべてがうまくいく』の第8章「市場が失敗するとき」では、海外のオンラインデートサービスの「失敗例」が紹介されています。自分の顔写真とプロフィールを登録した男女がやりとりをする、という例のアレです。このようなサービスは、実際にリアルでデートしても成功率があまり高くないというあまりありがたくない実績があるようです。

著者はそれにアレンジを加え「バーチャルデート」という実験を行っています。バーチャルデートとはバーチャル空間でお互いに同じものを見て、感想を交換したり、他の人と会話する、というような行為です。著者の言葉を引けば「一緒に空間を探検し、いろいろなものを見ながら、テキストチャットをする」となります。

このようなバーチャルデートをした後で実際にリアルのデート相手を選んだ人はオンラインデートのサービスを使った場合に比べて満足度が高かった、という結果でました。これについて、ダンは

わたしたちのバーチャル世界を体験した人は、そこでふだん日常生活で下しているのと同じような判断を下した。その判断は、わたしたちが実生活で自然に情報を処理する方法に合っていた。だからこそ、バーチャルデートでのやりとりの方が充実していたし、情報価値が高かったのだ。

と書いています。確かにプロフィール情報をいくら詳細に書いたとしても、「その人自身の人柄」までは見えてきません。

人柄というのは、例えばどんな趣味をどの程度のはまり具合で持っているのか。何に興味があり何に興味がないのだ。どのような方向性の価値観を持っているのか。人に悪態をつかれたときどんな反応をするか。誰かを褒めるときどんな言葉遣いをするのか、といったもろもろの要素です。特に意識していなくても、こういうさまざまな行為の総体としてその人の「人柄」というものを判断しているわけです。

で、翻って考えてみます。Twitterはまさにこのバーチャルデートと同じような構造を持っています。その人が日常的に何を体験し、それをどう考え、実際にどのようなリアクションを取っているのか、というのがつぶやきによってつぶさに明らかにされているわけです。

ということは、Twitter上で好感が持てる人はリアルで合ったとしても好感が持てる可能性が高いという事になるでしょう。たぶん、直感的に私たちの脳はそれを理解しているのかもしれません。

結局の所、SNSがリアルに取ってかわるとか、リアルの良さを無視してSNSを使うなんて、みたいな話はあまりにも視野が狭いということになります。リアルには物理的場所や時間的制約による限界性があります。しかし、リアルで交換される情報量はSNSの比ではありません。優れているとか優れていないという議論をするのは無意味です。

おそらく今後は

「SNSだけで閉じていく人、あるいはSNSを全く無視する人」
「SNSをリアルとの架け橋に使う人」
「SNSとリアルとは完全に分ける人」

の3つの方向性に進んでいくのではないかと思います。たぶんそれぞれの人が見る「世界」の形は随分違ったものになってくるだろうな、という気がします。

さいごに

だらだらと最近考えている「差異」について書いてみました。あと「手書きとタイプ」「ノートとiPad」「Evernoteと情報カード」についても書きたかったのですが、すでに2エントリー分ぐらいの量になっているので、自重しておきます。

何にせよ新しい物事が出てくることで、古い物事についてより具体的に考える事ができる状況が生まれているというのは確かです。

「新しい物しか使わない」「古い物にこだわり続ける」というのならば、それぞれの差異について考える必要はありませんが、両者の良いところを引き出して使うのならば、それぞれの物が持つ本質的な価値について一度考える必要があります。

来年は今回のエントリーで上げたものについてももう少し踏み込んで考えて行きたいな、と思います。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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