9/12 〜 9/17 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. トラックバックとMedium
  2. 生きるという現象
  3. 【書評】あなたの知らない脳(デイヴィッド・イーグルマン)
  4. アウトラインはなぜ目次ではないのか
  5. わたしがえらぶ本についての本ベスト10
  6. レールのおり方 [先輩と後輩シリーズ]

最近Mediumに入れ込んではおりますが、もちろんR-styleはR-styleです。さすがに「R-styleは永遠です!」と高らかに宣言することはできませんが、一番最後までやめないメディアではあるでしょう。

あと、みなさんの「勝手に本ベスト10」も期待しております。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

9月12日

誰かが繰り返して使う言葉。自分が繰り返し行ってしまうこと。何かが潜んでいるかもしれません。

9月13日

ここ最近強く実感するんですが、わずかな進捗を軽んじて、あたかも0のように扱う気持ちは危険です。最終的に「すぐにできること」しかやらなくなります。

9月14日

だから良いことも、悪いことも、何が起こるかわかりません。

9月15日

分解する道具と、組み立てる道具は表裏一体です。

9月16日

やはり読まないと、書けないです。

9月17日

他人事のかぎりにおいては、いくらでも好き勝手に、自由なことを言えます。そういう言葉は、当事者にとってはたいした意味はないでしょう。

今週のその他エントリー

Honkure

WRM 2016/09/12 第309号
『魔法科高校の劣等生 20』(佐島勤)
『不可能、不確定、不完全』(ジェイムズ・D.・スタイン)
『知性誕生』(ジョン・ダンカン)
すごくベタなライトノベル10選
ロングテールとリトル・ピープル (3)

今週触った本

明日のメルマガ告知

毎週月曜日に配信しているメルマガ。来週号の目次はこんな感じです。

○BizArts 3rd 「第一章 第七節 リストの変換」
○SSS 「タイトル未定」
○あたらしい知的生産の技術 「知識の理解という知識の理解」
○今週の一冊 『あなたの知らない脳──意識は傍観者である』(デイヴィッド・イーグルマン)
○物書きエッセイ 「著者と読者」

頂いた感想など:

Weekly R-style Magazineは、毎週月曜日の朝7時に配信されているメルマガです。

Weeky R-style Magazine
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~(まぐまぐ)

ブログに書けないテーマ、長期的な連載、日々考えていることなどをお送りしています。

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レールのおり方 [先輩と後輩シリーズ]

「せんぱーい」
「ん?」
「あのですね、ちょっと相談がありまして」
「なんだ、言ってみろ」
「私に投資してください!」
「断る」
「ちょっ! 決断が早すぎませんか。もっと熟慮してくださいよ。三日三晩悩み抜いてから重々しく答えを口にしてくださいよ」
「別に嫌がらせで言っているわけではないぞ。シンプルに投資する価値がないと判断したまでだ。というか、だいたい投資じゃなくて金を貸して欲しいだけだろ」
「いいえ、投資です。私は起業することに決めたんです」
「貴様、また何か本を読んだな」
「な、なぜそれを」
「いいから、ちょっと見せてみろ」
「ダメですよ! これは私だけの成功法則なんですから」
「仮にも出資をお願いしている人間にその態度は何だ? ん?」
「……この本です」
「『レールの外れ方』────そうか、わかった。まあ、頑張れ」
「ちょっと、逃げるように立ち去らないでくださいよ。みんなそんな調子なんですよ。最初に相談したときは、「やった方がいい」「人生はチャレンジだ」なんて言ってたのに、投資を頼みに言ったら「ちょっと現実的じゃないよね、それ」とか「もっと実績を積んでからでないと」って渋るんですよ。どういうことですか、これ」
「まあ、そうだろうな。応援するのはタダだし、言っている方も気分は良くなる。だが、お金を出すとなれば話は別だ」
「だったら、批判する人の方が正しいってことですか。そういうのはよくないって、この本に書いてありましたよ」
「どうして貴様はそんなに思考がシンプルなんだ。関係ない立場から批判するのだってタダだし、気分も良いだろう。そもそも、そんな外野から何を言われても聞く耳を持たないんじゃないか」
「それはそうかもしれませんが……」
「本当に大切なのは、信頼できる人からの厳しいアドバイスだ。誰だって親しい人には厳しいことなんて言いたくない。関係を壊してしまうかもしれないし、口から出た言葉には責任が伴うからな。でも、それでも言っておくべきことがある、という思いで紡がれる言葉には価値がある。わかるか」
「なんとなくですが……。はっ! だから今先輩は私に厳しい言葉を投げかけてくれてるんですね」
「いや、俺様は思ったことを素直に言っているだけだ」
「わかりました。私、先輩の信頼に応えられるように頑張ります!」
「ひとの話を聞いているか? まあ、そういう楽観思考が起業には必要だがな」
「だったら、投資してくれるんですよね。500万、いや100万でいいです」
「断る」
「え〜〜〜〜〜〜〜、今の話の流れだと、即決でキャッシュをポンっと投げて、「出世払いだ」とか言ってクールに立ち去るところでしょ〜〜〜〜」
「それは俺様のキャラではないし、そもそも出世払いと投資は別物だ」
「似たようなもんですよ。さあ、今こそチャレンジするときですよ」
「貴様のチャレンジに俺様を巻き込むな。あと、最低でもその区別ができるようになってから、人にお金をせびれ」
「せびってなんかいませんよ! 投資を求めているんですよ」
「その、「かっこよく言い換えたら中身もかっこよくなる」的アプローチは今すぐ捨てろ。不愉快だ」
「別に良いじゃないですか。誰にも迷惑をかけていませんよ」
「迷惑をかけなければ何をしてもいい、という発想はどこから生まれたんだ。あと、その理屈だと、迷惑をかけることは何一つしてはいけない、ということにもなるぞ。だったら息を吸うことすらできなくなる」
「よくわかりません」
「まあ、いい。ともかく人が投資する対象は二つしかない。事業か、人かだ。魅力的な事業があるなら投資を検討してもいい。あるいは、その人物に可能性を感じるなら事業プランが雑でも投資する価値はある。が、貴様にはそのどちらもない。ノーマネーでフィニッシュだ」
「可能性はありますよ。人の可能性は無限大なんです!」
「言ってて虚しくないか」
「……言わないでくださいよ」
「万が一、貴様がどうしても成し遂げたいことがあったり、やむにやまれぬ状況でその選択をしたのなら、この俺様だって冷血というわけではない。ちょっとは考えただろう。が、今の状態ではダメだ。覚悟も責任もないような人間に金を託すのは、ドブに捨てるのと同じだ」
「だったら、私はどうしたらいいんですか」
「別に普通にすればいいだろう。その本にはそういうノウハウはまとまっていないのか」
「ぜんぜん書いてませんよ。というか、レールから降りる方法しか載ってないです」
「まあ、そうだろうな。その後は高額のセミナーにご案内、というわけだ」
「どういうことですか」
「追い込み漁だ」
「だから、どういうことですか」
「ダークオブソーシャルだ」
「何ですか、その中二病感溢れるネーミングセンスは」
「貴様! 誰が深遠なる闇を称える邪眼魔導士だ」
「誰もそんなこと言ってませんよ。というかそれこそ中二病ですよね」
「まあ、いい。ようは魅力的な事業プランを考えるか、コツコツ実績を積んで人間的な信頼を得るか、そのどちらかだろう」
「それができるんなら苦労しませんよ」
「レールを降りるというのは、苦労するということだぞ」
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わたしがえらぶ本についての本ベスト10

以下の記事を読みました。

わたしがえらぶ梅棹忠夫さんのベスト10: 鷹の爪団の吉田くんはなぜいつもおこったような顔をしているのか

いいですね。楽しそうな企画です。私もやってみましょう。

「本について」の本ベスト10です。

読書について 他二篇

読書について 他二篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル
岩波書店
売り上げランキング: 7,413

定番中の定番ですね。かなりガツンとやられる本です。若干教養主義的きらいはありますが、言っていることはごもっとも。「本を読むとはどういうことか」を考えさせてくれる一冊です。あと、とても短いのですぐに読めるのも高ポイント。

本を読む本

本を読む本 (講談社学術文庫)
J・モーティマー・アドラー V・チャールズ・ドーレン
講談社
売り上げランキング: 2,131

こちらも定番。ある程度本を読む力があるなら、読書についてはこの本を抑えておけば大丈夫でしょう。特に、知的生産における読書の基礎が徹底的に固められています。

本はどう読むか

本はどう読むか (講談社現代新書)
清水 幾太郎
講談社
売り上げランキング: 69,274

著者個人の読書体験が紹介されていて、普遍的なノウハウではないものの参考になる部分はたくさんあります。ポイントは読み手としての成長でしょう。誰しも最初は初心者であり、その後だんだんと熟達していきます。当然そこにはノウハウの乖離があるわけです。そうした遍歴をたどれるのも、一人の人間の体験を掘り下げるからこそと言えるでしょう。

それでも、読書をやめない理由

それでも、読書をやめない理由
デヴィッド・L. ユーリン
柏書房
売り上げランキング: 654,780

こちらも著者の読書体験を掘り下げた一冊。ただし視点は、ぐっと現代に置かれています。インターネット、ソーシャルメディア、スマートフォン。そうしたものが登場し、情報がお手軽に摂取できる時代になったとしても、「それでも」読書をやめない理由とは何なのか。面白いお話です。

プルーストとイカ

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?
メアリアン・ウルフ
インターシフト
売り上げランキング: 62,723

以上のお話を、神経学的に掘り下げたのがこの一冊。読書という体験を重ねれば重ねるほど、私たちの脳はそれに最適化していきます。本を読む脳と、本を読まない脳は、貴賎は別にして違うものなのです。その点は、結構しっかりと考えておきたいところです。

そのとき、本がうまれた

そのとき、本が生まれた
アレッサンドロ・マルツォ マーニョ
柏書房
売り上げランキング: 121,006

グーテンベルク以降の「本」の歴史が語られる一冊。これはもう、すごく面白いです。私たちが今、自然と「本」と呼んでいるプロダクトがどのようにして生まれたのか。それは自明なものではなかったのです。「本」の歴史はただそれだけで面白いものがあります。

ベストセラーの世界史

ベストセラーの世界史 (ヒストリカル・スタディーズ)
フレデリック・ルヴィロワ
太田出版
売り上げランキング: 604,353

さらにプロダクトとしての「本」を掘り下げたのがこの一冊。ベストセラーがいかに「作られるのか」という逸話が数々紹介されています。当然、本書を読んでもベストセラーの「作り方」はわかりませんのであしからず。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について
CCCメディアハウス (2013-08-16)
売り上げランキング: 68,671

プロダクトではなく、カルチャー・スタッフ(culture stuff)としての本にフォーカスした本。本好きのおっさん(というかおじいちゃん)の二人の対談形式です。含蓄とユーモアに溢れた、非常に心躍る時間が楽しめます。

本は死なない

本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」
講談社 (2014-06-20)
売り上げランキング: 92,934

で、プロダクトとしての紙の本はもしかしたら役割を終えるのかもしれませんが、カルチャー・スタッフとしての「本」は、姿を変えて文化の中に息づいていくだろうね、と感じさせてくれるのがこの本です。

ぼくらの時代の本

ぼくらの時代の本
ぼくらの時代の本

posted with amazlet at 16.09.16
株式会社ボイジャー (2015-10-01)
売り上げランキング: 157,377

というようなことをたくさん読んで、頭の中で攪拌した後に出てくるのが、「じゃあ、ぼくらの時代の「本」ってなんだろう」という疑問で、モドは、グッズとしての本、プロダクトしての本、カルチャー・スタッフとしての本に多方向から光を当てています。

変化を受け入れるべきなのは何か。
あくまで残していきたいのは何か。

しっかりと考える必要があるのでしょう。

さいごに

というわけで、本(&読書)について書かれた本を10個セレクトしてみました。特にランキングではありませんので、どれも面白いです。

みなさんも、ぜひ好き勝手なベスト10を作ってみてくださいませ。

それはそれとして、私も「わたしがえらぶ倉下忠憲さんのベスト10」みたいなものが作れるくらいにたくさんの良い本を書いていきたい所存はあります。

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アウトラインはなぜ目次ではないのか

inspired by アウトラインと目次:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

「これから昔話をするね。桃太郎っていう一人の勇敢な男の子の物語なんだ。その物語には、鬼が登場して、犬やら猿やら雉が大活躍するんだ……」

これは概要だ。つまり、アウトラインである。

あなたは、このアウトラインを子どもに伝え、その後、実際に物語を語り始める。

「昔々あるところに、おじいさいんとおばあさんがいました」
「名前は? 名前はなんていうの?」
「おじいさんとおばあさんは、二人だけで生活していたから、名前は必要なかったんだ。互いに、おじいさん、おばあさんと呼んでいたんだ」
「そんなのおかしいよ。だって、おじいさんはおじいさんだからおじいさんなんでしょ」
「そうだね。おじいさんとおばあさんにはたしかに昔孫がいた。でも、その孫は流行病(はやりやまい)にかかってしまったんだ。それを治療するための薬は、遠くの島にしか存在しない。しかもその島はうわさによると鬼たちによって占拠されてしまっている。とても勇敢だったおじいさんの息子(おとうさんだね)は、意を決して薬をとりに島に向かった。でも、一ヶ月経っても、一年経っても帰ってはこなかった。孫も病に負けて死んでしまった。そのようにして、おじいさんとおばあさんは二人暮らしになったんだ。二人は、できるだけ昔のことを話さないようにしているんだけど、お互いの呼び方だけは変わらなかった。わかるかい?」
「かなしいね」
「そう、だから、あまり呼び方については触れないであげよう」
「わかった」

実際の執筆とは概ねこのようなものである。ツッコミをいれるのは、たいてい自分だが、やっていることはかわりない。

執筆を始める前は、「このようなことを書こう」というイメージはできている。配置すべき要素も、話の流れも固まっている__ように思える。しかし、実際に執筆を始めてみると次から次に書くこと、書くべきことが出てくる。それらは、概要を考えているときには、まったく想像もしなかったことばかりだ。私もまさか、おじいさんに息子と孫がいたとは露も知らなかった。

ここで二つの選択がある。こうしたツッコミを無視するか、受け入れるかだ。

無視すれば、話は概要通りに流れていく。受け入れたら、上記のように追加の説明が必要になってくる。タチの悪いことに、そうした説明をしていると、単なる肉付けだけに終わらず、最初に語った概要そのものに影響が出てくることもある。フィードバック・ループだ。

どちらが「正しい」のかをここで断じることはしない。しかし、「わたし」という人間の想像力が、一瞬のうちにすべて発揮されると想定できないのであれば、後者のやり方のほうが豊かな作品が生まれてきそうな気はする。想像力を時間的に積分するのだ。

上記の追加要素を語ったことで、

・おそらく桃太郎は、亡くなった孫と瓜二つの顔をしている
・→だから二人はその子どもを育てる気になった
・→その代わりおじいさんとおばあさんの間で一悶着はあっただろう
・桃太郎は鬼ヶ島で、おじいさんの息子と再会する
・→どうなるかはわからないが物語にとって重要なイベントになる
・おじいさんの娘、つまり息子の嫁はどうなったか。伏線である

という要素が生まれた。「このようなことを書こう」と瞬間的にイメージした話にはまったくなかった要素だ。

こうして思いついた要素をすべて切り捨ててしまってもいい。瞬間的なイメージに固執して、すべてをそれに従わせる手もあるだろう。あるいは、気ままな部下に翻弄される中間管理職のように、それぞれの要素に身を任せて、自分は脱線しすぎないように流れを整えるだけの立場に立つこともできる。

どちらでもいい。どちらが好みか、という話にすぎない。

アウトラインは、目次だ。
アウトラインは、目次ではない。

どちらも正しいことがある。所詮は、物事をどのように進めていくのかのスタンスの違いなのだ。

驚くべきなのは、一見「アウトライン=目次」派のためのツールに思えるアウトライナーが、実は「アウトライン≠目次」派にとっても有用だ、という点だ。この点は、しっかりと確認しておきたい。

ちなみに、私にとってアウトラインは目次とはほど遠い。きっと、お父さんの鬼ヶ島での活躍をスピンオフで書いてしまうくらいだから。

▼こんな一冊も:

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【書評】あなたの知らない脳(デイヴィッド・イーグルマン)

思っているほど、「わたし」は、自分をコントロールできてはいない。

氷山の一角、という言葉があるが、「わたし」という意識はまさにそれと同じである。

ややもすると「わたし」は自分の中心であるような気がしてくるが、実際は地下の工場から上がってくる報告を聞いて、「へぇ〜そうなんだ」と頷くだけの中間管理職である。ときどき悪さをして、「これって、俺の手柄だよね」と主張したりもする。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
デイヴィッド・イーグルマン
早川書房
売り上げランキング: 3,365

本書は、脳が世界を知覚するメカニズムを説き明かしながら、「意識」の役割を再定義し、その上で新しい刑罰の制度にまで言及している。非常に興味深い。

概要

目次は以下の通り。

第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
第2章 五感の証言―経験とは本当はどんなふうなのか
第3章 脳と心の隙間に注意
第4章 考えられる考えの種類
第5章 脳はライバルからなるチーム
第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
第7章 君主制後の世界

第1章から第4章までは脳がいかに世界を捉えているかという話で、ポイントは脳は受動的な存在ではない、という点にある。光を受信したら、それに対応する光を「見る」といったことではなく、もっと能動的に世界を推論し、シミュレーションしている。その結果と、外部からの刺激をうまく整合させて、私たちの知覚は創造されているのだ。

そして、そうしたメカニズムに「わたし」(という意識)はほとんど関与も参画もしていない。そういうメカニズムが働いていることを一切気にすることなく「わたし」は王様のような振る舞いをしているのだ。この手のお話は脳神経学や心理学ではごく一般的で、『<わたし>は脳に操られているのか』や『意識はいつ生まれのか』あたりでも類似の話が紹介されている。V・S・ラマチャンドランや、オリバー・サックスの著作も合わせて読むと面白い。

さらに第五章では、そうしたバックグラウンドで発生しているメカニズムが複数あり、競合していることを提示する。ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』では、わかりやすく二つのシステム(システム1、システム2)に代表されていたが、実際はもっと多様な切り口がありうるだろう。どちらにせよ、単一の反応ではなく、複数の反応の可能性があり、そのうちのどれかが一つ選ばれる(勝つ)ことによって表面に出てくる、という考え方だ。著者はこれを政党のようなものだと表現している。わかりやすいたとえだ。

著者は続く第6章で、かなり踏み込んだ提言をしている。私が一番興味深く読み、一番反論したくなったのもこの章である。

社会適応トレーニング

著者は、「自由意志」なるものは存在しないか、存在しても因子として小さすぎてたいした影響はないと言う。その場合、行為者に対して行為の「責任」を問うことは難しくなる。行動が選べないような状況では、責任は発生しようがないからだ。しかし、著者は別に犯罪者を牢獄から解放しようと意図しているわけではない。単に犯罪を「非難に値するかどうか」という基準から裁定するのを止めるべきだ、と述べているだけだ。

自由意志が存在しないか、存在してもたいして力がない状況であれば、言い換えれば脳の状態によって人の行動がほとんど決まってしまうのであれば、著者の主張はすんなりと飲み込める。むしろまっとうな話に聞こえる。

私が言いたいのは、どんな場合も犯罪者は、ほかの行動をとることができなかったものとして扱われるべきである、ということだ。

こういう物の見方は、おそらく社会に寛容性をもたらすだろう。たしかに、非常に追い詰められた人や環境的に劣悪な状態にいる人は、そうでない人よりもはるかに犯罪を犯しやすい。ノーマルな状態から見れば、「そんなことやりっこない。やるやつは悪意があるからだ」と思ってしまうが、人は簡単に道を踏み外すものなのだ。周りが暗闇であれば。

だからといって「どんな場合も」とまで言えるのかは私にはわからない。少なくとも私は自由意志の存在を否定しきれていないので、より強くそう思う。

が、それ以上に気に掛かるのは、そのような犯罪者の「非選択性」を認めた上での、対処方法である。

市民の社会復帰を助けるために目指すべき倫理にかなった目標は、本人をできるだけ変えずに、その行動が社会のニーズに合うようにすることだ。

非常に素晴らしい理念に聞こえる。著者は、そのためのリアルタイム・フィードバックによる行動改善の方法も提唱している。人間にさまざまな衝動や欲求が発生することそのものは止めようがない。しかし、それを抑止するための力を増強させることはできるかもしれない。政党のたとえで言えば、きちんとした国会運営ができるように法律を変えたり議員を訓練したりするわけだ。

しごくもっとものように思える。しかしこれは、パターナリズムではないだろうか。一見そんな風には見えないが、実際はこれは個人に強いメッセージを発している。「社会に適応する人になりなさい。でなければ、私たちはあなたを認めません」。PSYCHO-PASS的世界である。

著者が提唱しているのはリアルタイム・フィードバックによるトレーニングだが、もし「社会適応できるようになる薬」が開発されたらどうなるのであろうか。あるいは脳に埋め込むナノマシンだったらどうか。それは男性にポルノ欲求を強いた脳腫瘍と何が違うのだろうか。それがある種の犯罪を犯した「対処」として(つまり刑罰ですらない)施されるのである。そこにおぞましさはないのだろうか。

そもそもなぜ人は、人を罰するのか。共同体を守るためであろう。「ルールを破るやつは、この共同体にはいらない」__社会的秩序とは概ねそのようなものである。それは世界における真なる善によって裁定されているわけはない。その社会のルールに合致する人と、そうでない人を線引きしているだけなのだ。だから、その所行は基本的には傲慢なものである。

人に罰を課すという行為について考える場合、私たちはその行為が持つ傲慢性について常に頭に止めておくべきではないだろうか。「社会をよくすること」ことが「社会がよいと思う人だけを認める」「社会がよいと思う人を意図的に作り出す」となってしまうのが、本当によいと言えるのかは__多様性がもつ強靱性(ロバスト)も考慮して__、足を止めて熟考したい。

さいごに

ともあれ、脳の状態によって「やむにやまれぬ犯罪をしてしまう」ことが、想像以上にあり得ることを認識した方が良い、という著者の主張は非常に頷ける。主体的意志は強いコントロール主ではないのだ。

その視点は、他人や自分を「理解」する上で大いに役立ってくれるだろう。本書はそうした知見を非常にわかりやすくまとめてくれている。

▼こんな一冊も:

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト
売り上げランキング: 13,536
意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論
亜紀書房 (2016-06-10)
売り上げランキング: 4,966
脳のなかの幽霊 (角川文庫)
V・S・ラマチャンドラン サンドラ・ブレイクスリー
角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-03-25)
売り上げランキング: 9,139
妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
オリヴァー サックス Oliver Sacks
早川書房
売り上げランキング: 13,510
ファスト&スロー (上)
早川書房 (2012-12-28)
売り上げランキング: 2,113
ファスト&スロー (下)
早川書房 (2012-12-28)
売り上げランキング: 5,439
PSYCHO-PASS サイコパス Blu-ray BOX 6枚組
東宝 (2014-10-15)
売り上げランキング: 6,218
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生きるという現象

自分とは何か。
自分ではないもの、ではないものの総体だ。
馬鹿げてる。
いや、それが事実さ。
まるで抗体だね。抗体的自我。
接することだよ。あらゆるものに。そうして反応をうかがうんだ。
自分か、そうでないか。絶え間なき自己確認。
その蓄積が自己認知、自分が自分に対して行うアイデンティファイを形作ってくれる。
シェイクなんだ。
触れること体験すること。
考えること確かめること。
それを繰り返して形成されていく何か、いや感触と言っていい。それが自分だ。
イデアではない?
イデアは幻想だよ。使い勝手のいい妄想さ。中身は単なるパターン認識に過ぎない。
でも、僕たちはそれを体験する。ありありとした事実として。
現象さ。すべては現象。錯覚だって現象には違いない。僕という自我でさえもね。
つまり、自分というクオリアなわけだ。
それが世界を構築している。
あまりに繊細でどこまでも滑稽な話だ。いつ崩れ去ってもおかしくない。
クオリアは決して交わらないし、試験管に閉じ込めておくこともできない。
世界は分断されている?
当たり前のようにね。
だからこそ、僕たちはつながりを求めて手を伸ばすんだ。
ニューロン的欲望。シナプス的デタッチメント。
プラトニックだ。
彼らは決して直接結合したりはしないだろう。情報を閾値的に伝え合うだけだ。
生き血的?
違うよ。まあ、似たようなものかもしれないけど。
自分とは何か?
そう問うている主体こそが、自分ではあるね。そして、それに答えようとする動きが生きるということでもある。
触れて確かめる。
体験して考える。
構築と脱構築の追いかけっこ。
静止は許されない?
何と言っても現象だからね。
ゼノンが放った矢だ。
瞬間的理解では、世界を見誤るのさ。

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トラックバックとMedium

たとえば自分が何か記事を書いたとして。

しばらくしたら、トラックバックが送られてくることがある。
※少なくとも昔は結構あった。

自分の書いた記事を読んだ人が、何かしら関係あることを書いたのだ。そして、それを通知してきているのだ。

トラックバックにより、私はその記事の存在を知ることができる。自分の記事が言及されたり、インスパイア元になったことを知る。これはアウトプッターにとってはたいへん嬉しいことだ。単純に面白い記事を読める喜びもある。

さらに、そうした記事へのリンクが自動的に自分の記事に追加される(埋め込まれると言ってもいい)。自分の記事のコンテキストが豊かになったのだ。

とりあえずは、そう。良いことだらけである。スパムの標的になるまでは、ということだが。

同じレイヤーで語る

「自分の考えがあるならば、自分でブログを書いたらいいんじゃないですか」

と、ときどき思う。

この社会は個人が主張を持つことを禁じていないし、それをPublishするためのツールは無料で開放されている。誤解を生むような断片的なつぶやきではなく、ひとまとまりの文章を、自分の文責で展開すればいい。特に、他人のブログ記事に対して思うところがあるならば、余計にそうだ。

トラックバック経由でやってくる「反論」や「意見」は、もちろんどこかのブログからである。つまり構図はこうだ。

ブログ VS ブログ

極めてわかりやすい。対等ですらある。一つのブログがあり、それに言及する別のブログがある。両者はそれぞれ「自分のブログ」という領域において発言している。それをお互いが見ている。対話が可能な条件がそこにはある。

一方ソーシャルブックマークにおけるコメントはどうだろうか。

あるブログへのコメントは、そのソーシャルブックマークサービスのレイヤーに載っている。ソーシャルブックマークサービスは、コンテンツに対するメタコンテンツなので、いわばレイヤーが一つ上である。つまり、先ほどのような平面な構図にはならない。

    ソーシャルブックマークサービス
ブログ

最悪、一方的に批判され、一方的に嘲笑され、一方的に誤解されて終わってしまう。反論とそれに対する反論が同じレイヤー上で展開することもない。

別にソーシャルブックマークサービスが悪いという話をしたいわけではない。単に、議論を行うためのツールではない、という役割分担を確認しただけだ。

そこでMediumは

Mediumには、ハイライト、コメント、ハート(recommend)、レスポンスがある。それぞれに機微があるのだが、その解説については今回は割愛する。

ともかくこれらのリアクションを行えるのはMediumユーザーである。つまりアカウントがあり、その人も(おそらくは)何かしらの発信をしている。だとすれば、自分の記事にハイライトをつけた人がどんな人なのかを私は確認しに行けるし、他の人が私の記事を読んだ場合でも同様だ。つまり、構図は常にこうなる。

Mediumユーザー VS Mediumユーザー

さらに今のところ、スパムが飛んでくることもない。その点は、すこぶる素晴らしい。

また、リアクションはすべて公開されているので、Facebook的な「仲間たちのたまり場」的雰囲気を帯びることも少ない。

総じて言えば、これは一つの理想的な形ではないだろうか、という気がしてくる。

さいごに

Googleのアドセンスとさまざまなアフィリエイトよって生まれた新しい「指標」が、ブログの未来という線路の切り替えスイッチを押してしまったことはもはや明白である。さらにソーシャルブックマークサービスによるアクセス数の増加に対する最適化が、そのアクセルを目一杯に踏み込んでしまった。パクりブログや、役に立たないキュレーションメディアの存在はそこから発生した枝葉のようなものである。根源はもっともっと深いところにあるのだ。

Mediumが目指しているのは、どうやらそれとは違った未来らしい。

だからそう、Mediumの価値は、これまでとは違う指標で評価する必要があるだろう。あるいはそれは、昔ながらの指標かもしれない。

▼こんな一冊も:

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
倉下忠憲 (2015-05-28)
売り上げランキング: 22,825
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9/5 〜 9/10 今週のまとめ

今週のまとめエントリーです。

  1. Evernoteのデイリータスクリストノートをさらにバージョンアップ
  2. 理想と現実のadjusting
  3. WorkFlowyを、たためるテキストエディタに
  4. MediumのPublicationsについて
  5. MacのEvernoteで、思いついた概念をすぐさま書き留める荒技
  6. 【書評】〈わたし〉は脳に操られているのか(エリエザー・スタンバーグ)

今週はノウハウ系がちょっと多かったかもしれません。まあ、その辺をいったりきたりするのがR-styleです。Mediumについては、たぶんまた書くことになるでしょう。「ブログの未来とは?」__難しい問題です。

今日の一言

今日の一言はこちらでつぶやいております。

9月5日

そうすれば慌てふためくことはかなり避けられます。

9月6日

両方が必要です。

9月7日

どこにつながるのか分かっているなら、たぶんそれはこれまでの線を延ばしているだけです。

9月8日

ものすごく良いタイミングがあるということは、ものすごく悪いタイミングもあるということです。備えが役立つのはそういうときです。

9月9日

熟慮が、反応ではない何かを引き出せる人間的行為なのでしょう。

9月10日

他の人の考えを鵜呑みにするまずさはよく語られますが、自分の考えでも同じですね。しっかり吟味しないと。

今週のその他エントリー

Honkure

WRM 2016/09/05 第308号
脳と「わたし」のネジれた関係
才能という幻想、卓越へと至る道
『ロボットの時代』(アイザック・アシモフ)
カテゴリのずれ
映画『ズートピア』

今週触った本

バッド・カントリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)
C・B・マッケンジー
早川書房 ( 2016-08-24 )
ISBN: 9784151820519

魔法科高校の劣等生 (20) 南海騒擾編 (電撃文庫)
佐島勤
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス ( 2016-09-10 )
ISBN: 9784048923187

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○SSS 「タイトル未定」
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○今週の一冊 『意識はいつ生まれるのか』(マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ)
○物書きエッセイ 「その名は?」

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【書評】〈わたし〉は脳に操られているのか(エリエザー・スタンバーグ)

重要な問題は明らかだ。

「自由意志は存在するのか」

これは致命的な問題である。もし自由意志が存在しないなら、あらゆる行為から道徳的責任が消失する。となれば、社会のルールを一から書き換えなければならない。

仮に自由意志が存在しないとしよう。ある脳の状態Aがあり、そこに環境的刺激Bが注ぎ込まれれば、行為Cが必ず発生するとする。〈わたし〉はそれをただ眺めるだけの存在で、行為Cについて何一つ関与できない。だとすれば、その行為Cが強盗であろうと、殺人であろうと、〈わたし〉は罪には問われない。心神喪失とはまさにそういう状況のことだからだ。

これがいかに危うい話なのかはご理解頂けるだろう。おそらく「人間」と「AI」との線引き以上に火薬が仕込まれている問題である。

しかしながら、神経科学の世界では、どうやら自由意志の存在は否定的に扱われているようだ。〈わたし〉は行為の決定に参画できない、すべては無意識のうちに決まってしまっている。そういう話を最近よく耳にする。

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト
売り上げランキング: 5,250

本書はそれらの議論をさらいつつ、それぞれに検討を加えながらも、最終的にはそれらに反旗を翻す。つまり、「自由意志はある」と主張するわけだ。

概要

目次は以下の通り。

  • はじめに: 人間に自由な意志はあるのか
  • 第1章: 人を殺したのは脳のせい?
  • 第2章: 意志はころがり落ちる石なのか
  • 第3章: 二つの対立する答え
  • 第4章: 頭のなかの嵐
  • 第5章: 抑えられない衝動
  • 第6章: 神経科学者の見解は間違っている
  • 第7章: 理性は情動に依存する
  • 第8章: 決断の引き金が明らかに
  • 第9章: マジシャンとしての脳
  • 第10章: 心や体の動きを予測する
  • 第11章: 人間はプログラムされたマシンか
  • 第12章: 悪徳の種が脳に植えられている?
  • 第13章: 倫理の終わり
  • 第14章: 意識の深さを探る
  • 第15章: アルゴリズムは「限りのない問題」を解けない
  • 第16章: 内面世界を意識的に旅する
  • 第17章: 道徳的行為主体はいかに生まれるか
  • 第18章: 心の宮殿

第1章から第4章では、自由意志にまつわる問題を取り上げ、第5章から第13章までで、自由意志の存在を脅かす神経科学の状況を俯瞰する。続く第14章から第18章は、それらを踏まえた上での著者の主張が展開されていく。

正直に言うと、著者の主張は「その通りだ」と強く頷けるようなものではない。脆い印象すら受ける。それでも、本書は非常にスリリングだ。これまでなかったものに接近しようという姿勢を感じる。少なくとも、片方で自由意志の不存在を吹聴しながら、もう片方では内面でそれを信じているような、奇妙なダブルスタンダードよりもはるかに意欲的な態度と言えるだろう。

著者は背理法的なアプローチを取る。

  • 脳の状態と行動が決定的であれば、それは方程式として記述できる(アルゴリズムとして表現できる)
  • アルゴリズムは、限られた問題(状態)にしか対応できない
  • しかし、現実の私たちは限りない問題(状況)に対応できている
  • つまり私たちの行動は決定されてはいない(≒決定する主体がどこかにある)

たしかに私たちはさまざまな状況に対応できる。ルンバは平らなところしか掃除できないが、私たちはデコボコな地面の上でも、ふかふかのフトンの上でも掃除できる。行動だけではない。私たちは、あらゆる状況に対して、手に入る情報を総動員し、それらを重み付けし、ときに関連づけて答えを出す。「知性」の最大の特徴は、その汎用性にあると言われるが、まさに私たちとアルゴリズムを分けるものは、限りない問題に(言い換えれば事前にプログラミングされていない問題に)対応できる能力にあると言えるだろう。

しかしながら、上の論理展開は少しあやふやな部分が残る。「アルゴリズムは、限られた問題にしか対応できない」は本当だろうか。「現実の私たちは限りない問題(状況)に対応できている」はどうだろうか。単に私たちは、「自分に対応できる状況にしか対応していない」可能性もある。つまりパターン認識で「限りない状況」を「限りある状況」に変換しているわけだ。

このように少し危なっかしい部分もあるのだが、それでも著者の主張は新鮮であり、検討に値する。少なくとも、「自由意志は存在しないが、道徳的責任は(なぜか)存在する」という欺瞞的な状態に留まっているよりも、進歩的だと言えるだろう。

さいごに

〈わたし〉という意識主体の感覚はあまりにも強烈で、それが自分の全体を支配・コントロールしているような感覚を覚える。神経科学が示すように、その感覚はたしかに錯覚だ。〈わたし>という意識の領分は非常に狭い。人間の行動の大半は無意識で行われるし、フレーミングなどのバイアスも存在する。薬物で気分が良くなることもあるし、首を縦に振らせながら質問すれば、肯定的な返事が返ってくる可能性が高い。もしかしたら、腕を動かすと決める前にもう腕を動かすための準備電位が発生しているのかもしれない。

しかし、これらのことを総合としたとしても、まだ「自由意志は存在しない」とまでは言い切れない。「自由意志は、思っているほど自由ではない」と言えるだけだ。

本書が提示するように、さんざんの熟慮を経て出てくる決断が、本当は無意識が決めていたり、状況が発生したときにもう決定していると言われると、どうしても違和感がぬぐえない。

手を動かしたり、点を目で追ったりすることは、たしかに無意識的反応かもしれない。そこには自由意志は介在していないかもしれない。その領分については、もう自由意志が自らの領土だと宣言しても、誰も耳を傾けないであろう。

しかし、「人間」の決断や行動は、それだけなのであろうか。むしろ、そうでない決断や行動こそが「人間」を「人間」たらしめているのではないだろうか。本書は、その基本的かつ重要なことを再確認させてくれる。

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あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論
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MacのEvernoteで、思いついた概念をすぐさま書き留める荒技

残念ながら、MacのEvernoteには「手書きノート」機能がありません。

ちょちょっと思いついた概念図があっても、ぱぱっとEvernoteには書き込めないわけです。

すると解決策は二つあって、

  • 紙に書いてスキャンしてEvernoteに放り込む
  • 他のアプリケーションで作図してEvernoteに放り込む

のどちらかを選択すれば丸く収まります。

でも、ちょっとした荒技もあります。

下準備

まず、以下のような画像を準備します。白紙のキャンバス風の画像です。

screenshot

何でも構いませんが、私はKeynoteの白紙のスライドをスクリーンキャプチャしました。で、それをEvernoteのノートに添付。これで準備はOK。

あとは必要に応じて、このノートそのものを複製するか、あるいは単に画像をコピーするかを選択してください。つまりこのノートは原本です。

!、そのときに

頭の中に何かしらの概念図が思いついたとします。テキストだけではうまく書けない、関係性を明示するような図です。

そうしたとき、先ほどの画像(原本)をコピーし、本来であれば注釈を描き込むための機能である「この画像に描き込み」を使います。

screenshot

できました。概念図の書き留めに成功です。アナログツールを使うこともなく、他のアプリケーションを用いることもありません。Evernote単体で概念図の書き留めに成功したのです。

はい、もちろんわかっています。ぜんぜん綺麗じゃありませんね。それに、結構作業的にも面倒さはあります。なにせ注釈を描き込むためのツールなのですから、いろいろ足りないところはあるわけです。

それでもなお、あえて「この画像に描き込み」機能を使うメリットがあるとすれば、それは「再編集が可能」という点にあります。

書き終えた画像を選択し、もう一度「この画像に描き込み」を実行してみましょう。

screenshot
※すべてのオブジェクトが操作可能。

このように、単なる画像データではなくきちんとオブジェクトとしての情報を持っています。だから、文字サイズや色や配置を再操作できるのです。

screenshot
※再操作を確定したノート。きちんと反映されている。

これが何を意味するのかというと、とりあえずざっと概念形だけを描き込んでおき、その他の見栄えについては後々時間を掛けて整えていくことができる、ということです。それもEvernoteだけで。これはなかなか素晴らしいことではないでしょうか。

片方ではメモ的であり、もう片方ではノート的でもあるのです。

さいごに

ちなみに、画像を書き換えると、カードビューのサムネイルもちゃんと書き換えられます。

screenshot

screenshot

これはアイデア次第で、何か別のことにも使えそうな気がしてきますね。

それでは、皆様も楽しいEvernoteライフを!

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ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由
倉下 忠憲
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