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【書評】立て直す力(ブレネー・ブラウン)

後悔しないで生きていくにはどうするか?

一切の内省を排除すればいい。感情をそぎ落とせば、あらゆる苦難から解放される。ばかばかしい答えかもしれないが、ある種のポジティブ教が言っているのはそういうことである。何もかもを肯定することは、何も考えないのと同義だからだ。

本書のアプローチは違う。

※献本ありがとうございます

悲しいほどに現実的であり、それはまた人間的でもある。

概要

著者のブレネー・ブラウンはソーシャルワークについての研究者だ。以下の動画でご存じの方も多いかもしれない。

その著者が、「倒れた自分を起き上がらせる」のプロセスを開示したのが本書である。目次は以下の通り。

イントロダクション――果敢に挑み続ける価値
1章 「立て直す力」10の法則
2章 立て直すプロセスを理解する
3章 最良のストーリーをつくる
4章 自分の感情を自覚する
5章 ストーリーを整理整頓する
6章 境界線を引く方法
7章 傷つく勇気をもつ
8章 助けを求める勇気をもつ
9章 倒れた時の立て直し方
10章「恥ずかしい自分」を受け入れる
11章 立て直す力を身につける

最初に断っておくと、「倒れた自分を起き上がらせる」ことは簡単ではない。嫌悪される勇気を持てば、世界はあっという間に塗り変わる、なんてことはない。それには時間もかかるし、痛みも伴う。「楽しく」生きていくためには、無用のものだろう。なにせ、倒れた自分を自覚さえしなければ、倒れたことにはならないのだから。

人間はそういうことをよく行う。明らかに倒れているにも関わらず、それを無視するのだ。「ちくしょう。地球の方が俺にぶつかって来やがった」そう言っておけば、自分が倒れた事実はどこにも存在しない。そして他者に憤怒と憎悪をまき散らすことになる。

自分が倒れたことを認めるには本当に勇気がいる。自分の心が恥辱に染まっていると自覚することにすら恥の感覚が伴うのだ。よく言われる「弱い心」__本当は非常に強力なのだが__に自分がまみれてしまっていることを自覚しなければならない。それは辛いものだ。

しかも、である。自覚したからと言って即座にそれを克服できるわけではない。ある種の刺激に対して起こる自分の反応は、かなり強固なもので、変更を加えるにはタフな努力が必要となる。怒りでカンカンになっている人に、「あの人も別に悪気があってやったわけじゃ……」とアドバイスしたことがある人ならば、容易に理解されるだろう。「そんなわけあるか」で一蹴である。それと同じ心のメカニズムが自分に対しても起こる。考え方を変える、それも自覚的に考え方を変えるのは至難の業なのだ。

そんなことをするくらいなら、自分が倒れたことを無視すればいい。何もかもが他者のせいにして、自分はひたすらに被害者ぶっていればいい。少なくとも、それで自分が持つ心の弱さについては自覚しなくて済む。

むろん、それで状況が改善することはまずない。自覚のないところに、改善などありえない。

本書は、著者自らの体験を交えて、人がどのように倒れ、そこにどんな感情と痛みがつきまとい、そこからどのように立ち上がるのかが克明に明かされている。とは言え、本書のアプローチがどこまで有効なのかは私には判断がつかない。なにせ私は専門家でもないし、実証実験で確かめられるものでもないからだ。

それでも、自分が頭の中でこしらえた「ストーリー」を記述してみる方法は、実体験から言っても有用だと感じる。心の中にあることを書き出すのは、それを整理するために必要なプロセスである。その場所は、パブリックに共有される場所であってはいけない。本当に信頼できる人、そうでなければずっと口をつぐんで寄り添ってくれるノートが必要だ。その意味でも、ノートはあなたのパートナーとなりえるし、あなたそのものを吐露する場所だと言える。

そこに自分が感じている、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱といったものを書きだし、それが何に由来するものなのかを検討してみる。最初は、すべて他者のせいだという自分の声が聞こえるだろう。それこそがでっち上げた「ストーリー」であり、あなたの心を束縛しているものでもある。

本書で紹介されている面白い「実験」がある。これは私の体験からも頷ける実験だ。

「人は皆、最善を尽くしているか?」

この問いにノーと答える人は、他者を攻撃しがちであり、悪しき完璧主義に陥っている。そして「〜〜すべき」という言葉をよく使う。自分が最初に思いついたストーリーに固執し、他の可能性について考えることができず、攻撃的に振る舞う。もちろん、その人もまた、最善を尽くしているのだ。この話の難しいところはここにある。だから、変えるのが難しいのだ。

一つ言えることは、人の強さとは、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、混乱を持たないことではない。それは単なるロボットであり、言ってみれば強力な自己催眠を施しているだけである。人間的でなくなれば、人間的な弱さからは開放される。それと同時に人間的な強みも失う。目指したい場所はそこだろうか。

むしろそのような感情が自分にも生じることを認め、それを受け入れた上で、克服することが強さであろう。そして、その強さは他者に向ける眼差しにも反映される。自分にだって限界があり弱さがある。だったら、他者もそうだろう。人はそれぞれに最善を尽くして生きている。どう考えてもそうはみえないときもあるだろう。が、そんなときにそう思い直すことが、一つのゆるしである。それは人の、いや人間の気高き力なのだ。

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【書評】『アイデア大全』(読書猿)

「人類よ、これが発想法だ」

思わずそんなハリウッド映画的キャッチコピーを思いついてしまう本である。古今東西の発想法を俯瞰し、位置づけ、整理した上で、それぞれに解説が加えられている。

アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール
読書猿
フォレスト出版 (2017-01-22)
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著者は読書猿。というか実際はメルマガ「読書猿」あるいはブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」の中の人なのだが、提喩としても読者の感覚としても読書猿で間違いはないだろう。少なくとも私にとってはそうである。

さてそのブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」であるが、これはまあ、「東に千夜千冊あれば、西に読書猿あり」くらいの存在である。まあ、どちらも西なのかもしれないが、ここではそれは気にしない。ともかく、本を貪るように読み、知識を探求し、一歩間違えれば自分で概念を構築してしまいがちな人にとっては、ある種の「宝物庫」である。

本書から受ける印象も近い。「大全」の名は伊達ではなく、よくもここまで集めたなと感嘆が漏れる。まるで、アーチャーとして顕現したギルガメッシュのゲート・オブ・バビロンを眺めているようだ。もはや、その光景だけで神々しさすら感じられる。人類の知を扱う技術を辿る旅は、それだけで読み応えのあるコンテンツとなる。

しかし本書は、実用書であることからまったく逸脱していない。それは拍手を送っていいだろう。そうでなければ、この本は必要な人には届かないのだ。本書の基本は、あくまで発想法を「使う」ことにある。だからこそ、各発想法にレシピとサンプル(実際例)がついている。その意味で、本書は非常に使いやすいノウハウ書だとも言える。

同じように発想法を集めた本としては、マイケル・マハルコの『アイデア・バイブル』があるが、本書はそれよりも広く・深く発想法が収集されている点が大きく違う。ビジネスや学術の分野だけでなく、宗教や呪術の分野にまで分け入って行われるその収集(いっそ狩猟と言った方がいいかもしれない)によって、本書には非常に多様な発想法が集まっている上、それぞれの発想法の文脈的解説まで行われている。

アイデア・バイブル
アイデア・バイブル

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マイケル・マハルコ
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 25,809

技法的解説を行う本は珍しくないが、文脈にまで踏み込んだ本は稀有であろう。その解説によって、私たちはそれぞれの発想法を一段深く理解し、他の発想法との関係性を連想できるようになる。このような仕事は、本書内でも紹介されているカイヨワの知的活動に近く、それだけで目を見張るものがある。

本書ではそのように収集された42の発想法が、

01 バグリスト/02 フォーカシング/03 TAEのマイセンテンスシート/04 エジソン・ノート/05 ノンストップ・ライティング /06 ランダム刺激/07 エクスカーション/08 セレンディピティ・カード/09 フィンケの曖昧な部品/10 ケプナー・トリゴーの状況把握/11 空間と時間のグリッド/12 事例-コード・マトリクス/13 P.K.ディックの質問/14 なぜなぜ分析/15 キプリング・メソッド/16 コンセプト・ファン/17 ケプナー・トリゴーの問題分析/18 仮定破壊/19 問題逆転/20 ルビッチならどうする?/21 ディズニーの3つの部屋/22 ヴァーチャル賢人会議/23 オズボーン・チェックリスト/24 関係アルゴリズム/25 デペイズマン/26 さくらんぼ分割法/27 属性列挙法/28 形態分析法/29 モールスのライバル学習/30 弁証法的発想法/31 対立解消図(蒸発する雲)/32 バイオニクス法/33 ゴードンの4つの類比(アナロジー)/34 等価変換法/35 NM法T型/36 源内の呪術的コピーライティング/37 カイヨワの〈対角線の科学〉/38 シソーラス・パラフレーズ/39 タルムードの弁証法/40 赤毛の猟犬/41 ポアンカレのインキュベーション/42 夢見

2つのパート、11の章に分けられている。

第I部 0 から 1 へ
 第1章 自分に尋ねる
 第2章 偶然を読む
 第3章 問題を察知する
 第4章 問題を分析する
 第5章 仮定を疑う
第II部 1から複数へ
 第6章 視点を変える
 第7章 組み合わせる
 第8章 矛盾から考える
 第9章 アナロジーで考える
 第10章 パラフレーズする
 第11章 待ち受ける

注目したいのは、二つのパート分けである。第Ⅰ部は「0から1へ」ということで、何も無いところから何かを見出すための「発想法」が紹介されている。しかし、無から有を生み出すことはできないのだから、そこで行われることは、ざっくり言えば「問題設定」である。問題が見えていないところに問題を設定(見出す、命名、たぐりよせ)したり、すでに存在している問題を再解釈したり、再定義することが「0から1へ」の発想法となる。

この発想法は、0→1であるからして創造的でもあるが、それはつまり破壊的でもある。どういうことかは後で説明するとして、次のパートに入ろう。

第II部の「1から複数へ」では、すでにある1を多様に膨らませていく発想法が紹介されている。一般的に発想法と言ってイメージされるのはこちらの方だろう。『アイデアのつくり方』で有名なヤングの定義(「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」)もこちらに属している。システマティックな方法もあり、逆に遊びに近いものもあるが、概して非常に身近な発想法(というよりも頭の使い方)と言える。

アイデアのつくり方
アイデアのつくり方

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ジェームス W.ヤング
CCCメディアハウス
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たとえば、出版社に勤めている編集者がいて、半年で6冊本を出版しなければいけないとしよう。そのとき、「アイデア出し」として活躍するのは「1から複数へ」の方だ。自分の手持ちのアイデア、書店で売れてる本、雑誌やテレビの人気の企画といったものを「既存の要素」として扱い、それらの新しい組み合わせを考えれば、企画案はいくらでも湧いてくる。

しかしそのとき、「なぜ半年で6冊も本を出版しなければならないのか?」という問いを立てることもできる。込み入った話は避けるが、出版業界の事情がそこにあるとして、「じゃあ、新しい出版のビジネスモデルを構築しよう」と思い立つかもしれない。それは、極めて創造的な行為だが、「日常」に対する破壊行為だとも言える。

以上のように、0から1を作り出すときには、たいてい別の何かを壊すことにつながるので、発想法にもTPOはある。必要とされる発想(の土俵)があり、それに適した発想法があるのだ。その意味において、本書のパート分けには好感が持てるし、実用的でもあろう。

各発想法のより細かい分類については、11の章が担当している。章題で端的に要約されているので、ここでの解説は不要だろう。ちなみに私は『ハイブリッド発想術』において、発想法を以下の4つに分類した。

  • 制約設定法
  • 自由連想法
  • メタ思考法
  • トリガーワード法

今見返しても十分機能する分け方だと思うが、本書に比べると若干実用性に欠けるかな、という印象もある。そのあたりを今後掘り下げてみるのも良さそうだ。その辺のアイデアもモクモクと刺激される本である。

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術)
倉下 忠憲
技術評論社
売り上げランキング: 84,767

さいごに

「大全」とある通り、本書は一通り読んだ後、本棚に置いておける本だ。発想の行き詰まりを感じたら、手にとってパラパラと読み返しこれまでと違った発想法を試してみる、といったハンドブック的な使い方ができるだろう。

それはそれとして、本書は発想技法の歩みとして読んでも面白い。これだけ網羅的な(トランス・ジャンル的な)知的生産の技術系の本はめったにない。その意味でも、著者の続刊には期待している。

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2016年の<びっくら本> #mybooks2016

2016年に読んだ本で面白かった本を紹介します。

まずは総合部門というか、「とりあえず、これ読んでおけば」大賞。

………
………
………
……
……
……


はい、やっぱりこの本です!

しつこいくらいに紹介していますが、それくらいの価値がある本です。上下巻ですが、ちっとも長くは感じないと思います。

書評は以下。

【書評】サピエンス全史 -文明の構造と人類の幸福(ユヴァル・ノア・ハラリ)

あとは、個別のカテゴリに分けて紹介していきます(順番に特に意図はありません)。

セルフパブリッシング

長袖にきがえました
犬子 蓮木
もふもふ出版 ( 2016-01-09 )

犬子蓮木さんの『長袖にきがえました』は寂寥感溢れる作品。ドラマチックとか、カタルシスといった「ありがちな展開」の枠組みにはまらない世界を提供しくれます。

悪魔とドライヴ
ヘリベ マルヲ
人格OverDrive ( 2016-02-14 )

ヘリベマルヲさんの『悪魔とドライヴ』は、バイオレンスな要素のある「恋愛小説」。スピード感ある展開と、独特な描写が魅力です。

赤井五郎さんの『チョコレートの天使』は、異世界のファンタジー。それも、かなり緻密に作り込まれた独自の異世界です。非常に細かい想像力には脱帽させられます。

広橋悠さんの『IMAGO』は、ユートピア/ディストピアSF。未来の話でありながらも、現代への暗喩がしっかりきいています。

Lost in Conversation
王木亡一朗
ライトスタッフ! ( 2016-10-27 )

王木亡一朗さんの『Lost in Conversation』は、なんというかやるせない/切ない作品。構造的にも工夫がありますが、それ以上にうちに秘めた情熱(=エネルギー)が感じられます。

Lyustyleさんの『25年前からのパソコン通信』は、少し複雑な構造を持ったエッセイ集。シドニーに赴任していた時代の過去の自分の視点を掘り起こすという体裁で、世代が近い人は昔を懐かしみながら、世代が遠い人は異文化に触れるような、そんな感覚で読めそうです。

Tak.さんの『Piece shake Love』は、エッセイ集……と言っていいのかわかりませんが、何かそういったものです。本全体が独特のリズム感で構成されていて、簡単な説明を拒絶している雰囲気があるので、簡単に説明するのは諦めておきます。

メディア論

一人で雑誌を作り続け、ときの権力をそこから批判し続けた男カール・クラウス。私の月くら計画や、「かーそる」という雑誌のロールモデルというわけではありませんが、「うんうん。そうだよな。マスメディアにはできなことってあるよね」と思いを強めた本ではあります。

ネット小説が売れる、という内容よりも、メディア間の変換や、既存メディアの衰退と変化についての視点が面白かったです。

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか
ジェフ ジャービス, 茂木 崇
東洋経済新報社 ( 2016-05-27 )
ISBN: 9784492762257

ここ最近、キュレーション風メディアの話題が盛んですが、結局それは、インターネットとメディアの関係の些末な話でしかありません。ビジネスモデルをどう構築していくのか。そのときに絶対に守らなければならない価値とは何なのか。腰を据えて考える必要があるでしょう。

現代における情報環境について考える上では必読の一冊でしょう。Rashita’s Book Selection100にも入りそうな一冊です。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ, ジャン=クロード・カリエール
CCCメディアハウス ( 2010-12-17 )
ISBN: 9784484101132

紙の本の話はメディアの話でもあります。本はデジタルメディアに比べて長生きするといった言説もありますが、紙もやっぱり物質であり、いずれは風化して読めなくなります。慎重に保存しておければたしかに長持ちするでしょうが、手にとってページが捲れない本は、つまり情報を日常的に伝達しない本は、そもそも「本」としての機能を失っています。その意味で、やはりデジタルメディアについても考えて行かざるを得ないでしょう。

生き方・ライフスタイル

私も、一人で在野で生きているので、こういう本には励まされます。

科学・文化

ほんと面白いです。『サピエンス全史』では、数行で触れられているだけですが、もちろん本一冊になる内容です。

私は「意識は傍観者である」という言説には__特に「意識は完全に傍観者でしかない」という言説には__反対ですが、それでも本書の知見は非常に面白く、かつ役に立つものです。この場合の役に立つは、実利があるというよりも、人間に対する理解が深まるという意味であることは言うまでもありません。

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト ( 2016-09-05 )
ISBN: 9784772695527

上の本の内容にまっこうから反旗を翻しているのがこの本。本書で自由意志の存在が守り切れたのかどうかはわかりませんが、個人的にはこのアプローチを伸ばしていってもらいたいところです。

「常識」の研究 (文春文庫)
山本 七平
文藝春秋 ( 2015-06-10 )
ISBN: 9784167903930

古い本ですが、書いてある内容がまったく古びていない=日本文化がほとんどかわっていない、という半ば絶望にも似た気持ちが湧き上がってきます。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。
栗原一貴, 西田健志, 濱崎雅弘, 簗瀬洋平, 渡邊恵太
ビー・エヌ・エヌ新社 ( 2016-10-24 )
ISBN: 9784802510301

ライフハックの本として読めますし、学びも多いことでしょう。

情報概論

もし『サピエンス全史』がなければ、総合部門はこの本だったでしょう。私たちがいかにして「学ぶ」のか。そのエッセンスがわかりやすく紹介されています。おそらく本書で紹介されている知識の形成は、(こういう言い方は若干うっとうしいですが)ほんものの教養の形成と呼応しているでしょう。そこにはネットワークが存在するのです。

「考える」の型を、数々の文章を引きながらモデル化した本。似たようなことをやろうと思ったので参考になりました。読み物としても知的な刺激に溢れています。

思考のエンジン
奥出直人
株式会社 青土社 ( 2012-10-10 )
ISBN: 9784791726714

けっこう難しい内容なのですが、惹きつけられてしまいます。特に、「考える道具としてのコンピュータ」という視点は、今後もっと重要になっていくでしょう。

いや〜すごいですね。だってアウトライナーで一冊の本が生まれるんですよ。でも本書は、アウトライナーの本というよりも「考える」ための本です。考える道具としてのアウトライナーです。

かなり甘く見ていた本ですが、本を読むとはどういうことか、について深々と考えさせられました。いかにも哲学者という感じの内容ですが、耳を傾けるべき内容が含まれています。

思想・哲学

考える道具(ツール)
ニコラス ファーン
角川書店 ( 2003-03-18 )

著名な哲学者が、「どのように考えたのか」を振り返りながら、私たちにも使えそうな道具としてそれを提示するという内容。「何を考えた」のではなく「どのように考えたのか」にフォーカスを当てているのが面白いですね。非常にライトな哲学の歩みとしても読めないことはありません。

現代思想史入門 (ちくま新書)
船木 亨
筑摩書房 ( 2016-04-05 )
ISBN: 9784480068828

こちらはかなりディープな現代思想史。分厚いです。込み入った思想の流れを、あえて整理することなく、複雑なものは複雑なままに提示しようと試みています。

ロラン・バルトの著作は一冊も読んだことがありませんが、本書を読んでいると彼のスタンスには心惹かれるものがあります。でもって、彼の人生の歩みはまるで小説のようでもあります。

感情化する社会
大塚英志
太田出版 ( 2016-09-30 )
ISBN: 9784778315368

現代が感情化しつつある、という側面はたしかにあるでしょう。村上春樹作品への言及は、ちょっと私の理解が及びませんでしたが、現代の文学が変容しつつあるという指摘は面白かったです。

ビジネス一般

本書では短期のアテンションと持続するアテンションの違いが言及されていますが、最近インターネットで増えつつある「お手軽情報メディア」は、……まあ言わないでおきましょう。

これはもう必読の一冊でしょう。とは言え、ここまで概念が普及していると__『読んでいない本について堂々と語る方法 』の考え方に倣えば__別に読まなくてもいいと言えるかもしれません。でも、クリス・アンダーソンは文章がうまいので、面白く読めると思います。

ライトノベル

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン (電撃文庫)
宇野朴人
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス ( 2012-06-08 )
ISBN: 9784048865593

今年新しく読み始めたシリーズとしては筆頭の一冊。結構真剣に「なんでもっと早く読んでなかったんだろう」と思ったほどです。ファンタジーの戦記物ですが、若干ひねくれたヒロイックもので、さらに「科学」の扱い方がとても面白いです。

ソードアート・オンライン×渡瀬草一郎。これはもう読むしかありません。個人的には、このSAOのスピンオフが広がっていくことそのものが≪ザ・シード≫的で面白いと感じます。たぶん一人の作家の想像力をゆうにこえた世界がそこでは展開されていくことでしょう。

マネーものが好きならばオススメ。続編も出ています。いっそビジネス教養ライトノベルとすら言えるかも。

SF

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)
アンディ・ウィアー
早川書房 ( 2014-08-22 )
ISBN: 9784150119713

最近ちょいちょいSF熱が高まっていますが、これは文句なしに面白かったです。ハードなSFの「設定ごり押し」という感じはほとんどなく、主人公に絶妙に共感できる見事な作品です。

TAP (河出文庫)
グレッグ イーガン
河出書房新社 ( 2016-06-07 )
ISBN: 9784309464299

はじめて読んだグレッグ・イーガン。なんかね、もうね、すごいです。やはりSFは設定よりも、世界を見つめる視線こそが大切だと感じます。

『火星の人』はセルフパブリッシングスタートとして有名になりましたが、本書も同様です。こちらは厨二マインドをくすぐるあらゆる設定をぶちこんできたような作品。時間の行き来と視点の行き来が激しいので、若干読むのに慣れが必要ですが、それでも人類の誕生から進化までを辿っていくストーリーは『サピエンス全史』的ですらあります。

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)
フレドリック ブラウン
早川書房 ( 2016-10-21 )
ISBN: 9784150120979

私はキレの良いショートショートが大好きなのですが、本書はまさに大好物な一冊。狂気を扱った短編集で、読んでいく内に、私たちの正気と狂気の境界線が曖昧になっていきます。

コミック

今年から読み始めたシリーズとしてはやはりこの一冊。SF・ショートショート・ブラックジャック、あたりのキーワードが引っかかるなら、本シリーズも間違いなく面白いです。

さいごに

というわけで、ざざっと紹介してみました。10冊くらいにしようかなと思ったのですが、まったく絞り込めなかったですね。もちろん、他にも紹介しきれない本がいっぱいあったわけですが。

ちなみに具体的な紹介については、当ブログの書評記事かHonkureで書いてあると思いますので、また書名で検索してみてください。

では、皆様も実り多き読書ライフを。

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【書評】消極性デザイン宣言(消極性研究会)

「消極性研究会」とは何やら怪しい響きがするが、研究内容も負けてはいない(褒め言葉)。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。
栗原一貴 西田健志 濱崎雅弘 簗瀬洋平 渡邊恵太
ビー・エヌ・エヌ新社 (2016-10-24)
売り上げランキング: 43,423

現代はコミュニケーション過剰時代であり、そこでは積極性が評価の指標となる。「ノリ」の悪いあの人はいつも損をしてしまう。でも、それって何かおかしくない? という問題提起が本書の基底にはあるのだろう。

かといってその「ノリ」の悪さを、自己啓発的に解消しようというのでもない。結局それは形を変えた積極性でしかないからだ。当人の性格そのものではなく、むしろそれを取り巻く環境に改善を加えることによって、「消極的なまま」でそつなく暮らしていけたり、「消極的でも」それなりに参加できる形を作ろうとする。それがShy Hackだ。それこそまさにHackの名を冠するにふさわしいアプローチと言えるだろう。

目次は以下の通り。

  • 第1章 「やめて」とあなたに言えなくて 一対一もしくは一対少数のコミュニケーション[栗原一貴]
  • 第2章 考えすぎを考えすぎよう 人が集まるイベントなどにおけるコミュニケーション[西田健志]
  • 第3章 共創の輪は「自分勝手」で広がる 複数人でのコラボレーション[濱崎雅弘]
  • 第4章 スキル向上に消極的なユーザーのためのゲームシステム[簗瀬洋平]
  • 第5章 モチベーションのインタラクションデザイン[渡邊恵太]

第1章「「やめて」とあなたに言えなくて」では、何もそこまでとツッコミたくなるくらい消極的(であることに積極的な)アプローチが紹介されている。人の目を見て話せないなら、AR的なメガネをかけて向かい合う人の顔にモザイクをかければいいじゃない。すごい発想である。

第2章「考えすぎを考えすぎよう」では、なかなか声を上げにくい状況で、声を上げられるようにするためのシステムが紹介されており、これは今後Webサービスの運用などでも重要な知見になっていくだろう。

第3章「共創の輪は「自分勝手」で広がる」は、直接的な消極性の話ではなく、集合知の運用方法について語られている。ニコニコ動画を代表とするボーカロイド動画の「縦ではなく横に広がるN次創作」を例に挙げながら、それぞれのプレイヤーが個人的動機に基づいて主観的最善を尽くすことの意義が考察される。この点は恐ろしく重要で、歪められたインセンティブによって金太郎飴が発生しがちなWeb世界では真っ先に検討すべき課題でもあろう。

また、次の指摘も慧眼である。

消極的な人は「炭坑のカナリア」なのです。つまり、消極的な人は社会的負荷に対して非常に敏感で、見つけにくい社会的負荷、解決すべき問題にいち早く気づくわけです。

たしかにその通りである。「消極的な人」がスムーズに使えるなら、その他の人も低い負荷で使えるはずで、それはより活発な交流(情報的やりとり)を促すことにつながるだろう。

第4章「スキル向上に消極的なユーザーのためのゲームシステム」は、いわゆるゲーミフィケーションにまつわる話で、この分野に興味がある人なら面白く読めるはずだ。「誰でも神プレイできるゲーム」などは、タスク管理に応用されたら面白ことになるかもしれない。

次の指摘もまったくその通りであろう。

一つ言えるのは、人が行動を続けるにはそれに対して何か意味がある、意味があったと感じることが必要、ということです。

だからこそ、システムの方から「たしかに意味がありましたよ」と伝える努力が必要なのだ。この点を軽視すると、あっという間に根性論に堕してしまう。

最後の第5章「モチベーションのインタラクションデザイン」は、私が一番刺さった章で、ライフハック的な観点からも面白く読める。むしろ、本章冒頭に掲げられる「人は基本的に消極的である」という文句は、ライフハック、それも人に優しいライフハックには絶対に必要な視点である。でないと、地獄の千本ノックみたいなものがスルスルと入り込んでしまう。

唸ったのは、「使いやすさ」から「使おうとしやすさ」への視点の転換だ。どれだけ「使いやすい製品」であっても、使おうとしなければそれが使われることはない。当たり前の話だが、開発している側ではよく失われてしまう視点である。

使おうとする気持ちになりやすいこと__この機能以前の概念を、著者は「アプローチャビリティ」と呼んでいる。「使おうとしやすさ」も「アプローチャビリティ」も非常に語呂が悪い__これは「使いやすくない」になるのだろうか__のが残念だが、それでも視点の重要さは特筆すべきだろう。

その概念を支えるのは、

人は一連の行為の流れの変更点に、接続が切り替わるところに、億劫さや面倒さを感じます。

という視点である。

そもそも「一連の行動」という認識自体が、私たちの認知の中でそれらの行動がパッケージングされていることを意味する。大きな塊のスキーム、あるいは一つの心の「ロボット」が担当しているわけだ。そして、それを切り替えるときに、面倒さが発生する。

おそらくそれは、判断が生じるからだろう。「この行動をとる意味はあるか」「行為に使う労力に対してメリットはどうか」という考えが生じてしまう。その判断・計算・認識の中で、心の摩擦抵抗が生じることになる。よって、行動を促すには、この抵抗値をどれだけ下げられるかにかかっている。「使おうとしやすさ」への配慮は、ダイレクトにその判断・計算・認識に影響してくる。

ともかく言えることは、人の行動についての課題を、(曖昧模糊とした)「やる気」の問題に還元してはいけない、ということだ。それでは何も解決することはない。本書が提示するShy Hackは、「やる気を出しましょう」とはまったく逆のアプローチであり、それはLifeHackの源流ともつながっている。そんな気がする。

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【書評】サピエンス全史 -文明の構造と人類の幸福(ユヴァル・ノア・ハラリ)

圧倒的である。もうそう言うしかない。率直な感想を尋ねられたら「みんな読もうぜ」となってしまう。

360度を捉えるようなパースで「文明史」を記述し、その先の世界について問題を提示する。まずは目次をご覧いただこう。

  • 第1部 認知革命
    • 第1章 唯一生き延びた人類種
    • 第2章 虚構が協力を可能にした
    • 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
    • 第4章 史上最も危険な種
  • 第2部 農業革命
    • 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
    • 第6章 神話による社会の拡大
    • 第7章 書記体系の発明
    • 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
  • 第3部 人類の統一
    • 第9章 統一へ向かう世界
    • 第10章 最強の征服者、貨幣
    • 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
    • 第12章 宗教という超人間的秩序
    • 第13章 歴史の必然と謎めいた選択
  • 第4部 科学革命
    • 第14章 無知の発見と近代科学の成立
    • 第15章 科学と帝国の融合
    • 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
    • 第17章 産業の推進力
    • 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
    • 第19章 文明は人間を幸福にしたのか
    • 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

地球上にまだ複数の「人類」がいたころから話は始まり、そこから「文明」の歩みを辿っていく。上下巻であり、ちょっとボリュームが多いかな、と思われるかもしれないが、話はまるで逆である。よくまあ、この内容を上下巻に収めたな、というのが正直な印象だ。10冊以上の本になってもおかしくない視野の広さが本書にはある。それを一人の著者が書き上げているのだから、もう言葉が出てこない。

考え方を変えれば、ジャンルの違う教養新書を15冊くらいパッケージしたと捉えればいいかもしれない。それが一続きになって読めるのだから、これはもうお得である。なおかつ、本書は読みやすく、面白い。学術的な固さもなければ、博聞強識を誇るようなうんざりする引用の乱発もない。本当に、あっという間に読めてしまう。

そういうもろもろの感情をひと言でまとめると、「みんな読もうぜ」なのだ。

人類とサピエンス

本書のタイトルでは、人類ではなく「サピエンス」という言葉が使われている。これは別にトリッキーさを狙ったものではない。

人類__つまりひとのたぐい__には、本来我々ホモ・サピエンス以外の人類種も含まれている。よって、我々が、自分たちだけを指して「人類」と呼ぶのは、いささか傲慢なのである。その傲慢な呼称には、二つの不都合な事実が隠されていて、その一つは「我々は所詮その他の動物と同じであり、≪兄弟≫もたくさんいたのだが、なぜだか我々だけが今のところ地球上に残り、そして繁栄している」ということだ。我々は別に神の寵愛を受けて生まれたわけではないし、地球の支配者として定められているわけでもない。

本書はその名称をきちんと区分することで、(私たちが一般的に使う意味での)「人類」を相対化する。その上で、なぜそのような生物の一種でしかない存在が、ここまで地球上で猛威を振るうようになったのかを解き明かしていく。それが本書の大半を構成する要素であり、副題の「文明の構造と人類の幸福」の前半でもある。そして、副題の後半は、不都合な事実の二つ目と関わってくる。

本書は、現在(サピエンスの繁栄)を一つの点とし、人類の出発点からそこに至るまでの矢印を伸ばす。となると、次はどうなるか。現時点から未来に向けてその矢印は伸びていくだろう。

それを示すのが、第19章「文明は人間を幸福にしたのか」と続く第20章の「超ホモ・サピエンスの時代へ」である。本書において一番重要なのがこの二つの章でもある。言い換えれば、それまでの章は、「文明は人間を幸福にしたのか?」という問いに向き合うための下準備であると言ってもよい。「我々はこれからどう進めばいいのだろうか?」という問いに取り組むためには、まず「我々とは何か?」について考えなければいけない。本書は、見事にそれを達成している。

さいごに

二つ目の不都合な事実についてはあえて書かないでおく。本書を読んでいれば理解されることだろうし、一つ目の事実から自然と導き出されるものでもある。

その事実は、事実としてぽんと提示されるだけではたいして実感されないだろう。文明史の流れにのせることではじめて質感をもって感じられるようになるのだ。そして、そこで私たちは足を止めて考えることになる。非常に難しい問いについて、きわめて慎重に。

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【書評】読んでいない本について堂々と語る本(ピエール・バイヤール)

世の中には、タイトルだけで毛嫌いする本というのがあって、そういう本は目次の確認すらしない。読まず嫌い、というやつだ。

しかし、思い切って手にとってみると、その期待が裏切られることがある。もちろん、良い意味でだ。私はそういう経験を二回していて、一回目は『ベストセラー小説の書き方』だった。「へっ、小説っていうのは売るために書くもんじゃねーだろ」と思っていたのだが、内容はちゃんと「読者のことを考えて書こう」という話ですごく納得してしまった。

もう一回が、この『読んでいない本について堂々と語る方法』である。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)
ピエール バイヤール
筑摩書房
売り上げランキング: 3,573

「いやいや、曲がりなりにも本について語るなら、ちゃんと読みましょうよ」と思ってしまうわけだが、著者は「ちょっと待てよ」と問いを投げかける。「そもそも、本を読むってどういうことよ?」、と。

概要

目次は以下の通り。

  • 1 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
    • ぜんぜん読んだことのない本
    • ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
    • 人から聞いたことがある本
    • 読んだことはあるが忘れてしまった本
  • 2 どんな状況でコメントするのか
    • 大勢の人の前で
    • 教師の面前で
    • 作家を前にして
    • 愛する人の前で
  • 3 心がまえ
    • 気後れしない
    • 自分の考えを押しつける
    • 本をでっち上げる
    • 自分自身について語る
  • 結び

本書は大きく3つのパートに分かれている。

第1のパートでは、「未読の諸段階」として、読んだことがない本の程度について整理してある。続く第2のパート「どんな状況でコメントするのか」では、本について言及するシチュエーションを腑分けする。最後の第3パートでは、実際にコメントする際の注意点が「心がまえ」としてまとめられている。

基本的には順番通り目を通すのがよいだろう。

鏡像の読書論

タイトルに「方法」とあるが、単純なノウハウ本ではない。むしろ本書は、鏡に映した読書論と言えるだろう。

著者が、ほとんど詭弁気味に持ち出すのは、「読んでいない本についてコメントするのは不遜だと言うけれども、じゃあ読んでいないってどういうことよ?」という問いである。

読んでいない本とそれにたいするコメントについて考えることは容易ではない。そもそも「読んでいない」とはどういうことなのかよく分からないからだ。「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別できるということを前提としているが、テクストの出会いというものは、往々にして、両者のあいだに位置づけられるものなのである。

この視点が非常にラディカルだ。「読んだ」と「読んでいない」を単純に区別できないとするならば、「読んでいない」がはっきりしなくなるだけでなく、「読んだ」もはっきりしないことになる。

いやいや、そんなことはないだろうと思われるかもしれない。

表紙を眺めただけの本と、目次だけを読んだ本と、一行目から最終行までちゃんと目を通した本。こんなものは明らかに違うだろう、と。しかし、そうして「ちゃんと」読んだ本も、時間が経てばすっかり内容を忘れているのではないか。だとしたら、それは他の「読んでいない」と何がどう違うのだろうか。

これは詭弁に聞こえるだろう。しかし、著者の視点はさらに先にある。

本の外に出る

著者は、読んでいない本についてコメントするのは全然ありだし、むしろ読まないでコメントした方がいい場合すらあると提示する。ここまでくると開き直り以上に、倒錯すら感じられるのだが、そこにあるのは「読書」という行為の本質的な意味づけの変更である。

三つだけ要点を示す。

  • 読書は、本の文章を脳にコピー&ペーストする行為ではない
  • 読書は、解釈であり、改変であり、ある種の創造である
  • 本を知ることは、一冊の本の中身を知ることではなく、その本の「位置づけ」を知ることだ

これが何を意味するのかは本書を直接当たってもらうとして、ともかく著者は、本の中身に「入れ込み」すぎることを警戒している。それは二つの意味で、「木を見て、森を見ず」な状況になりかねない。一つ目は、些末なことに囚われて本全体のメッセージを読み損なうこと。二つ目は、一冊の本に注目するばかり、その他の本との関係に目配せできなくなること。

それは、一冊の本を「神聖化」してしまい、読者をその本の中に閉じ込めることになってしまう。そこから抜け出るためには、「本を読むとはどういうことか?」を改めて考え直す必要があるのだ。

さいごに

「鏡像の読書論」とは、本を読んでいない状態について考察することで、そもそも読書するとはどういう行為なのかをあぶり出す、という意味である。

建前としては、一冊の本はちゃんと読むべきだろうし、幻想としては、人が一冊の本について語るとき、それは同じ「本」について言及しているように感じるものだが、実体はおそらくそうではない。

本書が指し示すのは、ある本を読んでいるかどうかなんて些末なことよりも、他に目を向けるべきことがあるのではないか、という至極健全な提案である。実際にその通りなのだ。

えっ、お前はこの本をちゃんと読んでからこの書評を書いているのか?

それはもう、ちゃんと読んでいる。「ちゃんと」の定義しだいではあるが。

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【書評】あなたの知らない脳(デイヴィッド・イーグルマン)

思っているほど、「わたし」は、自分をコントロールできてはいない。

氷山の一角、という言葉があるが、「わたし」という意識はまさにそれと同じである。

ややもすると「わたし」は自分の中心であるような気がしてくるが、実際は地下の工場から上がってくる報告を聞いて、「へぇ〜そうなんだ」と頷くだけの中間管理職である。ときどき悪さをして、「これって、俺の手柄だよね」と主張したりもする。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
デイヴィッド・イーグルマン
早川書房
売り上げランキング: 3,365

本書は、脳が世界を知覚するメカニズムを説き明かしながら、「意識」の役割を再定義し、その上で新しい刑罰の制度にまで言及している。非常に興味深い。

概要

目次は以下の通り。

第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
第2章 五感の証言―経験とは本当はどんなふうなのか
第3章 脳と心の隙間に注意
第4章 考えられる考えの種類
第5章 脳はライバルからなるチーム
第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
第7章 君主制後の世界

第1章から第4章までは脳がいかに世界を捉えているかという話で、ポイントは脳は受動的な存在ではない、という点にある。光を受信したら、それに対応する光を「見る」といったことではなく、もっと能動的に世界を推論し、シミュレーションしている。その結果と、外部からの刺激をうまく整合させて、私たちの知覚は創造されているのだ。

そして、そうしたメカニズムに「わたし」(という意識)はほとんど関与も参画もしていない。そういうメカニズムが働いていることを一切気にすることなく「わたし」は王様のような振る舞いをしているのだ。この手のお話は脳神経学や心理学ではごく一般的で、『<わたし>は脳に操られているのか』や『意識はいつ生まれのか』あたりでも類似の話が紹介されている。V・S・ラマチャンドランや、オリバー・サックスの著作も合わせて読むと面白い。

さらに第五章では、そうしたバックグラウンドで発生しているメカニズムが複数あり、競合していることを提示する。ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』では、わかりやすく二つのシステム(システム1、システム2)に代表されていたが、実際はもっと多様な切り口がありうるだろう。どちらにせよ、単一の反応ではなく、複数の反応の可能性があり、そのうちのどれかが一つ選ばれる(勝つ)ことによって表面に出てくる、という考え方だ。著者はこれを政党のようなものだと表現している。わかりやすいたとえだ。

著者は続く第6章で、かなり踏み込んだ提言をしている。私が一番興味深く読み、一番反論したくなったのもこの章である。

社会適応トレーニング

著者は、「自由意志」なるものは存在しないか、存在しても因子として小さすぎてたいした影響はないと言う。その場合、行為者に対して行為の「責任」を問うことは難しくなる。行動が選べないような状況では、責任は発生しようがないからだ。しかし、著者は別に犯罪者を牢獄から解放しようと意図しているわけではない。単に犯罪を「非難に値するかどうか」という基準から裁定するのを止めるべきだ、と述べているだけだ。

自由意志が存在しないか、存在してもたいして力がない状況であれば、言い換えれば脳の状態によって人の行動がほとんど決まってしまうのであれば、著者の主張はすんなりと飲み込める。むしろまっとうな話に聞こえる。

私が言いたいのは、どんな場合も犯罪者は、ほかの行動をとることができなかったものとして扱われるべきである、ということだ。

こういう物の見方は、おそらく社会に寛容性をもたらすだろう。たしかに、非常に追い詰められた人や環境的に劣悪な状態にいる人は、そうでない人よりもはるかに犯罪を犯しやすい。ノーマルな状態から見れば、「そんなことやりっこない。やるやつは悪意があるからだ」と思ってしまうが、人は簡単に道を踏み外すものなのだ。周りが暗闇であれば。

だからといって「どんな場合も」とまで言えるのかは私にはわからない。少なくとも私は自由意志の存在を否定しきれていないので、より強くそう思う。

が、それ以上に気に掛かるのは、そのような犯罪者の「非選択性」を認めた上での、対処方法である。

市民の社会復帰を助けるために目指すべき倫理にかなった目標は、本人をできるだけ変えずに、その行動が社会のニーズに合うようにすることだ。

非常に素晴らしい理念に聞こえる。著者は、そのためのリアルタイム・フィードバックによる行動改善の方法も提唱している。人間にさまざまな衝動や欲求が発生することそのものは止めようがない。しかし、それを抑止するための力を増強させることはできるかもしれない。政党のたとえで言えば、きちんとした国会運営ができるように法律を変えたり議員を訓練したりするわけだ。

しごくもっとものように思える。しかしこれは、パターナリズムではないだろうか。一見そんな風には見えないが、実際はこれは個人に強いメッセージを発している。「社会に適応する人になりなさい。でなければ、私たちはあなたを認めません」。PSYCHO-PASS的世界である。

著者が提唱しているのはリアルタイム・フィードバックによるトレーニングだが、もし「社会適応できるようになる薬」が開発されたらどうなるのであろうか。あるいは脳に埋め込むナノマシンだったらどうか。それは男性にポルノ欲求を強いた脳腫瘍と何が違うのだろうか。それがある種の犯罪を犯した「対処」として(つまり刑罰ですらない)施されるのである。そこにおぞましさはないのだろうか。

そもそもなぜ人は、人を罰するのか。共同体を守るためであろう。「ルールを破るやつは、この共同体にはいらない」__社会的秩序とは概ねそのようなものである。それは世界における真なる善によって裁定されているわけはない。その社会のルールに合致する人と、そうでない人を線引きしているだけなのだ。だから、その所行は基本的には傲慢なものである。

人に罰を課すという行為について考える場合、私たちはその行為が持つ傲慢性について常に頭に止めておくべきではないだろうか。「社会をよくすること」ことが「社会がよいと思う人だけを認める」「社会がよいと思う人を意図的に作り出す」となってしまうのが、本当によいと言えるのかは__多様性がもつ強靱性(ロバスト)も考慮して__、足を止めて熟考したい。

さいごに

ともあれ、脳の状態によって「やむにやまれぬ犯罪をしてしまう」ことが、想像以上にあり得ることを認識した方が良い、という著者の主張は非常に頷ける。主体的意志は強いコントロール主ではないのだ。

その視点は、他人や自分を「理解」する上で大いに役立ってくれるだろう。本書はそうした知見を非常にわかりやすくまとめてくれている。

▼こんな一冊も:

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト
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意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論
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妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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【書評】〈わたし〉は脳に操られているのか(エリエザー・スタンバーグ)

重要な問題は明らかだ。

「自由意志は存在するのか」

これは致命的な問題である。もし自由意志が存在しないなら、あらゆる行為から道徳的責任が消失する。となれば、社会のルールを一から書き換えなければならない。

仮に自由意志が存在しないとしよう。ある脳の状態Aがあり、そこに環境的刺激Bが注ぎ込まれれば、行為Cが必ず発生するとする。〈わたし〉はそれをただ眺めるだけの存在で、行為Cについて何一つ関与できない。だとすれば、その行為Cが強盗であろうと、殺人であろうと、〈わたし〉は罪には問われない。心神喪失とはまさにそういう状況のことだからだ。

これがいかに危うい話なのかはご理解頂けるだろう。おそらく「人間」と「AI」との線引き以上に火薬が仕込まれている問題である。

しかしながら、神経科学の世界では、どうやら自由意志の存在は否定的に扱われているようだ。〈わたし〉は行為の決定に参画できない、すべては無意識のうちに決まってしまっている。そういう話を最近よく耳にする。

〈わたし〉は脳に操られているのか : 意識がアルゴリズムで解けないわけ
エリエザー・スタンバーグ
インターシフト
売り上げランキング: 5,250

本書はそれらの議論をさらいつつ、それぞれに検討を加えながらも、最終的にはそれらに反旗を翻す。つまり、「自由意志はある」と主張するわけだ。

概要

目次は以下の通り。

  • はじめに: 人間に自由な意志はあるのか
  • 第1章: 人を殺したのは脳のせい?
  • 第2章: 意志はころがり落ちる石なのか
  • 第3章: 二つの対立する答え
  • 第4章: 頭のなかの嵐
  • 第5章: 抑えられない衝動
  • 第6章: 神経科学者の見解は間違っている
  • 第7章: 理性は情動に依存する
  • 第8章: 決断の引き金が明らかに
  • 第9章: マジシャンとしての脳
  • 第10章: 心や体の動きを予測する
  • 第11章: 人間はプログラムされたマシンか
  • 第12章: 悪徳の種が脳に植えられている?
  • 第13章: 倫理の終わり
  • 第14章: 意識の深さを探る
  • 第15章: アルゴリズムは「限りのない問題」を解けない
  • 第16章: 内面世界を意識的に旅する
  • 第17章: 道徳的行為主体はいかに生まれるか
  • 第18章: 心の宮殿

第1章から第4章では、自由意志にまつわる問題を取り上げ、第5章から第13章までで、自由意志の存在を脅かす神経科学の状況を俯瞰する。続く第14章から第18章は、それらを踏まえた上での著者の主張が展開されていく。

正直に言うと、著者の主張は「その通りだ」と強く頷けるようなものではない。脆い印象すら受ける。それでも、本書は非常にスリリングだ。これまでなかったものに接近しようという姿勢を感じる。少なくとも、片方で自由意志の不存在を吹聴しながら、もう片方では内面でそれを信じているような、奇妙なダブルスタンダードよりもはるかに意欲的な態度と言えるだろう。

著者は背理法的なアプローチを取る。

  • 脳の状態と行動が決定的であれば、それは方程式として記述できる(アルゴリズムとして表現できる)
  • アルゴリズムは、限られた問題(状態)にしか対応できない
  • しかし、現実の私たちは限りない問題(状況)に対応できている
  • つまり私たちの行動は決定されてはいない(≒決定する主体がどこかにある)

たしかに私たちはさまざまな状況に対応できる。ルンバは平らなところしか掃除できないが、私たちはデコボコな地面の上でも、ふかふかのフトンの上でも掃除できる。行動だけではない。私たちは、あらゆる状況に対して、手に入る情報を総動員し、それらを重み付けし、ときに関連づけて答えを出す。「知性」の最大の特徴は、その汎用性にあると言われるが、まさに私たちとアルゴリズムを分けるものは、限りない問題に(言い換えれば事前にプログラミングされていない問題に)対応できる能力にあると言えるだろう。

しかしながら、上の論理展開は少しあやふやな部分が残る。「アルゴリズムは、限られた問題にしか対応できない」は本当だろうか。「現実の私たちは限りない問題(状況)に対応できている」はどうだろうか。単に私たちは、「自分に対応できる状況にしか対応していない」可能性もある。つまりパターン認識で「限りない状況」を「限りある状況」に変換しているわけだ。

このように少し危なっかしい部分もあるのだが、それでも著者の主張は新鮮であり、検討に値する。少なくとも、「自由意志は存在しないが、道徳的責任は(なぜか)存在する」という欺瞞的な状態に留まっているよりも、進歩的だと言えるだろう。

さいごに

〈わたし〉という意識主体の感覚はあまりにも強烈で、それが自分の全体を支配・コントロールしているような感覚を覚える。神経科学が示すように、その感覚はたしかに錯覚だ。〈わたし>という意識の領分は非常に狭い。人間の行動の大半は無意識で行われるし、フレーミングなどのバイアスも存在する。薬物で気分が良くなることもあるし、首を縦に振らせながら質問すれば、肯定的な返事が返ってくる可能性が高い。もしかしたら、腕を動かすと決める前にもう腕を動かすための準備電位が発生しているのかもしれない。

しかし、これらのことを総合としたとしても、まだ「自由意志は存在しない」とまでは言い切れない。「自由意志は、思っているほど自由ではない」と言えるだけだ。

本書が提示するように、さんざんの熟慮を経て出てくる決断が、本当は無意識が決めていたり、状況が発生したときにもう決定していると言われると、どうしても違和感がぬぐえない。

手を動かしたり、点を目で追ったりすることは、たしかに無意識的反応かもしれない。そこには自由意志は介在していないかもしれない。その領分については、もう自由意志が自らの領土だと宣言しても、誰も耳を傾けないであろう。

しかし、「人間」の決断や行動は、それだけなのであろうか。むしろ、そうでない決断や行動こそが「人間」を「人間」たらしめているのではないだろうか。本書は、その基本的かつ重要なことを再確認させてくれる。

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ジュリオ・トノーニ マルチェッロ・マッスィミーニ
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【書評】超一流になるのは才能か努力か?(アンダース・エリクソン、ロバート・プール)

もちろん、そう。答えは分かりきっている。努力だ。

超一流になるのは才能か努力か? (文春e-book)
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マルコム・グラッドウェルが『天才! 成功する人々の法則』でぶち上げ、ジョフ・コルヴァンが『究極の鍛錬』で補足したように、圧倒的な成果を出す人々は、圧倒的なトレーニングをしている。以上。

天才! 成功する人々の法則
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究極の鍛錬
究極の鍛錬

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脳の可塑性を考えてみれば当たり前のことだ。私たちはあらゆるものに慣れる。言い換えれば適応する。つまり、変化するのだ。技能においても、それは同じである。だから、鍛錬を積み、脳を変化させていけば、新しい技能が手に入る。超一流の人々は、そうしたことを欠かすことなく行っているから、その舞台に立てているのだ。これ以上もないほどシンプルな話だろう。

本書では、圧倒的な成果における遺伝子の貢献をおおよそ否定し、トレーニングの重要性を説いている。ただのトレーニングではない。「限界的練習」と呼ばれる常に高い負荷をかけるトレーニングだ。その「限界的練習」には、前段階ともいえる「目的のある練習」がある。以下の四つのポイントを持つトレーニングだ。

  1. 目的のある練習には、はっきりと定義された具体的目標がある
  2. 目的のある練習は集中して行う
  3. 目的のある練習にはフィードバックが不可欠
  4. 目的のある練習には、居心地の良い領域から飛び出すことが必要

これだけでもなかなかタフというかストイックな匂いが漂ってくるが、限界的練習はもう一段階難しい要求をしてくる。が、その詳細は本書に譲るとしよう。以上の四つのポイントだけでも、いくつか大切なことがわかる。

まず、何かを漠然と繰り返していても、私たちの技能が向上することはない。

皆さんは、ブラインドタッチができるだろうか。できるとして、それを何年続けているだろうか。はじめて練習したときはジワジワとでもタイピングのスピードが上がってきただろう。では、数年それを続けてその速度は向上しただろうか。まあ、そんなことはないだろう。ミスタイプの率も、ある程度タイピングに慣れた当時と変わっていないはずだ。

無意識にタイピングしているときは__つまり「aはどこかな〜」と意識的に探さずにそれを押せているときは__、一種のルーチン(ロボット)が働いている。まったくブラインドタッチができない状態から、できる状態に移行するということは、そのルーチン(ロボット)を脳内に確立する作業だとも言える。しかし、ひとたびそのルーチンができあがってしまえば、それ以降は脳は常にそのルーチンを走らせてことにあたる。そのような状況では、ルーチンの改善は見込めない。ただただ、ルーチンが繰り返し呼び出されるだけである。

ここで、折れ線グラフが思い浮かぶ。

私たちの脳は適応性があり、ある状況にそつなく適応しようとする。私たちは日常的に「日常」という状況に接しているのだから、私たちの脳は「日常」に適応するだろう。だから、「日常」に慣れない何かが侵入してきても、それに対処できる技能を身につけるようになる。折れ線グラフは右上に伸びていくのだ。

しかし、それは止まってしまう。しかも、かなり早い段階で止まるだろう。なぜなら「日常」が要求するものは、それほど過酷ではないからだ。「棒高跳びで130cm飛べるようにならないと、食料が確保できない」__ということはほとんどない。ブラインドタッチでミスタイプを連発しても、私が物書きとして失業することもない。だから、今のレベル以上になることはないわけだ。

脳は面倒くさがりやなので、必要がなければ能力は伸ばさない__という言い方もできるが、ようは適応の問題と捉えれば良い。必要なければ適応しない。簡単な話である。理に叶ってすらいる。だから、超一流と呼ばれる人たちは、ある種の「理」を捨てなければならない。「何もそんなにしなくても……」というところに自分の身を置く必要があるわけだ。そして、そこの環境から脳の適応を引き出して、新しい技能・高度な技能を身につける。そうして折れ線グラフを着実に右上へと伸ばしていくのだ。なんともまあ、過酷な人々であることよ。

とは言え、そこまで視野を高くしなくても、日常的な範囲においてもこの考え方は有効である。

ブログ記事を100個書いても、それをルーチン(ロボット)で処理してしまえば、文章力の向上は望めない。文章力の向上とは、表現できなかったものを表現できるようになるということであり、それは表現できないものを表現しようと鍛錬する中でしか生まれてこない。つまり、何もかもを「楽」で埋め尽くしている間は、技能の向上は発生しない。自分の限界に近づく「チャレンジ」が必要なのである。

本書では、技能の向上が「心的イメージ」を用いて説明されている。これは重要なことだ。ページをめくり、どれだけ知識を蓄えても、心的イメージが生成されなければ、技能の向上にはつながらない。文章読本と文章力の関係性と同じだ。だからそう、文章を書くことが必要なのである。目的ある練習を行うのだ。

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【書評】ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (アダム・グラント)

GIVE & TAKE』のアダム・グラントの新刊。

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代
三笠書房 (2016-07-01)
売り上げランキング: 247

オリジナリティー、創造性、リスクテイク、締切、チームメイキング、子育て……と、話題は豊富だが、代わりに『GIVE & TAKE』に見られたような全体をまっすぐ貫く軸はない。悪く言えば、散漫である。

それでも、著者の表現はいちいち腑に落ちる。比喩が巧妙なのだ。それに、「なるほど」を頷く話も多かった。その意味で、読み応えのある本ではある。

概要

本書は「オリジナルな人」になるための本なのだが、そもそも「オリジナルな人」とはどのような人であろうか。

著者は、本当の意味で完全にオリジナルなものなど存在しないと断った上で、オリジナリティーを「ある特定の分野において、その分野の改善に役立つアイデアを導入し、発展させること」と定義している。

たとえば、アガサ・クリスティーの小説のネタを、ライトノベルに持ち込んで一つの作品を書き上げ、それで新しい需要を喚起したのならば、それはオリジナリティーがあった、ということになる。高尚さはないが実際的な定義であろう。

その上で、著者は「オリジナルな人」を次のように定義する。

みずからのビジョンを率先して実現させていく人

その上で、すべての人がこの「オリジナルな人」になりうることを論じていく。

目次は以下の通り。

1 変化を生み出す「創造的破壊」―「最初の一歩」をどう考えるか
2 大胆に発想し、緻密に進める―キラリと光るアイデアとは
3 “無関心”を“情熱”へ変える法―まわりを巻き込むタフな説得力
4 賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐ―チャンスを最大化するタイミング
5 「誰と組むか」が勝敗を決める―パワフルな結束をつくる人の見分け方
6 「はみ出す人」こそ時代をつくる―どこに可能性が隠されているか
7 ダメになる組織、飛躍する組織―風通しよく、進化を遂げるしくみづくり
8 どんな「荒波」も、しなやかに乗りこなせ―あらゆるものをエネルギーにする方法

発想・創造性に関しては、「傑作を生み出す可能性を高めるには、多くのアイデアを生み出すこと」と身も蓋もないことが書いてあるが、これは私が『ハイブリッド発想術』で書いたことでもある。やはり基本は基本なのだ。

その他も、わりと「うん、そうだよな」と頷ける話が多いのだが、二つ興味深いことがあった。それを紹介してみよう。

臆病なリスクテイカー

前々から何かおかしいな〜と思っていたのだ。その違和感が本書ではっきりした。

リスクを嫌い、アイデアの実現可能性に疑問をもっている人が起こした会社のほうが、存続する可能性が高い。そして、大胆なギャンブラーが起こした会社のほうがずっともろいのである。

インターネットで「リスクを恐れるな!」と息巻いている人が、なんだかんだでどこかに消えてしまう。でも、起業においてはリスクテイクは必須である。だから、その言説は間違っているようには感じない。が、現実にはどこかに消えてしまっている。

この奇妙にねじれた現象に首をかしげていたのだが、なんのことはない。息巻いていた人たちはリスクを取りすぎていたのだ。FXで言えばレバレッジをかけ過ぎていた。だから、ちょっとした足の踏み外しでポシャッてしまう。

ビジネス書の文脈では、社会的成功者(大企業のCEOをイメージしてくれればいい)は、積極的にリスクを取った勇者として描かれる。おそらく本人も、要請に合わせてそのように振る舞うのだろう。しかし、実体はそうでないとしたら……。

虚像のカリスマに憧れて、「成功するためには積極的にリスクをとることが必要」だと信じてしまえば、当初はうまくいっても、結局どこかで転けるだろう。それも大きく転けるだろう。

ドラッカーが言っているように、リスクマネジメントとは、リスクを回避することではなくリスクを取ることである。正確に言えば、リスクを取っても大丈夫なのように全体を管理することだ。ある部分で失敗しても、会社の経営が傾かないようにコントロールすることだ。「リスクを取りさえすれば、うまくいく」という発想では、そのような考え方は出てこない。

リスクとは、むしろいやいや取るものだ。あるいは、仕方がなく取るものだ。喜んでリスクを取ったり、無防備にリスクを取るのは、結局ギャンブラーに過ぎない。それでは、長期的な持続は望みようもない。

先延ばしと創造性

ある種の人の胃を痛烈に痛めるような話もある。

実は、私はその話にこっそりと喜んだ。なにせ、「先延ばし」はクリエイティブな仕事に有益だと言うのだ。

先延ばしは「生産性の敵」かもしれないが、「創造性の源」にはなる。

ようはちゃっちゃと終わらせるのはよいのだが、そうすると多様な可能性への目配せが無くなってしまう、ということだ。もちろん、異論はあるだろう。でも、その前に少し聞いて欲しい。

今週配信したメルマガに、「執筆観察日記」を添付した。自分の執筆作業の記録を綴った日記だ。

その日記によると、5月25日に原稿の依頼を受け、その時点でだいたいの方向性は決めていた。で、実際の原稿の下書きに着手したのはいつかというと、6月6日である。6月10日が締切なので、わりとギリギリだ。

書こうと思えば、5月25日の時点でも書き始められたことは間違いない。でも、私は5月25日〜6月6日の間に、タイトルはどうしようとか、紹介するエピソードには何があるだろうかと考えていた。最終的にそこで思いついたアイデアをすべて原稿に盛り込めたわけではない。むしろ、大幅に削り取った。

とはいえ、じゃあこの間の作業が無駄だったと言えるかというと難しいだろう。テキストファイルを4000文字埋めることは5月25日の時点でもできたが、それでは(自分でも)満足行く結果にはならなかったに違いない。

だからそう。早く終わればいいというものではない。
※もちろん、締切を守ることも必要だ。

もう一つ、この話に関連する希望の話があるのだが、それはまた回を改めて紹介しよう。

さいごに

冒頭にも書いたが、本書は全体的に話題が散漫である。

最後まで読み終えても、「そうか!こうやってオリジナルな人になればいいんだ」という指針なようなものも得られないし、一つの大きな軸が腹おちするようなこともない。

それでもいくつかのパートは、結構面白く読める。なんなら目から鱗すら落ちるかもしれない。特に、過激なビジネス書に当てられている人にはよい団扇となってくれるだろう。

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