Posts tagged: CategoryAllegory

信号機

二人の男がいた。二人は同じ道を使って出勤していた。

二人はちょうど同じ信号に引っかかった。二人は、同じものに気がついた。


「おっ、なんだ。あの信号機に木の枝が引っかかっているじゃないか。見えにくい。一体なんだ。誰が俺の邪魔をしてるんだ。そうか、俺に事故を起こさせようという陰謀だな。そうに違いない。ふっふっふ、俺はそれしきのことに負けたりはしない。願えば叶うというからな。これから毎日、「あの枝よ無くなれ」と願い続けてやる。自分に宿るフォースを信じるんだ」


「あちゃー、木の枝が引っかかってるよ。隣の街路樹が成長しすぎちゃったんだな。最近市の予算が厳しいって聞くし、たぶん整備にお金が回っていないんだろう。でも、ちょっと連絡しておくか。さすがにあの状態は危ないし」

「えっ、上司がいない。いや、それどころじゃないんですよ。とりあえず早めに対処しないと事故が起きますよ。ええ、はい。わかりました。折り返してください」

「えっ、市長に直訴してくれ。いやいや、そちらが上にあげてくださいよ。それでは予算の許可がおりない? わかりました。直接市長に言ってみます」

「そうなんですよ。木の枝が。えっ、管轄は市じゃない? じゃあどこに連絡すればいいんですか。国? また話が大きくなりましたね。わかりました、そこの電話番号は分かりますか」

「ですから、国道のですね。えっ、そこは県の管轄だ。だって、市長が。最近管轄区域が変更になった? 知りませんよ。ともかく県の道路整備局に連絡すればいいんですね」

「はい、早急に対応お願いします。こうしている間にも数百台の車があの信号を通過しているわけですから」


数日後


「おぉ、木の枝が消え去っているではないか。さすが俺のフォース。この力は広めていかないとな。はっはっは」


「やれやれ、やっと工事してくれたか。税金を払っている価値があるというものだ」

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確信というウィルス

私は正しい。
私は間違っている。

私は賢い。
私は愚かしい。

私は正しい。
私は間違っている。

私は、自分が正しいと考えている。
私は、自分が間違っていると考えている。

私の考えは正しい。
私の考えは間違っている。

ん?

私は愚かしい。私は間違っている。私の考えは間違っている。私は、自分が間違っていると考えている。

私が持つ「自分が間違っている」という考えは、正しいのか、間違っているのか。

私が持つ「自分が間違っている」という考えが間違っているなら、私は正しいことになる。
私が持つ「自分が間違っている」という考えが正しいなら、私は間違っていることになる。

矛盾。その背後にある、自己に対する絶対的な肯定と確信。

検証を経ない確信。直感に導かれた確信。それらは先に結論がある。すべては後付けとなる。

あらゆる過ちと愚かさの源。人はそれを傲慢と呼ぶ。

私は賢い。
私は愚かしい。

どちらでも構わない。どちらであっても、それを先駆的に確信し、「事実」として固定してしまった段階で、知性の歩みは止まる。

たしかに私は愚かしいのかもしれない。でも、愚かしくない部分もあるのかもしれない。あるいはあるタイミングでは愚かしく、別のタイミングでは愚かしくないのかもしれない。ある基準で測れば愚かしく、別の基準で測れば愚かしくないこともありうる。

1bitからの脱出。
       一つ上の階層へと。

免疫系の存在しない体内、ウィルス対策アプリがないPC、そして、自問が発生しない思考。危うい直感と、検証不足の確信が暴れ回り、猛威を振るう。やりたい放題の世界。

煮沸、検証、CTL、自問、消毒、仮説、アップデート、アップデート、アップデート……

「致命的なエラー」が見つけられない致命的なエラー。

→私は正しい
 私は間違っている

さて?

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『残念ながら、あなたは救われません』

「残念ながら、あなたは救われません」
 男は予言者のように物々しくそう言った。 
「えっ、本当ですか」
 言われた男は聞き返した。中年ぐらいだろうか。苦悩が皺となって顔に刻まれている。
 予言者のような男は、静かに頷いてそれを肯定した。中年の男がさらに聞き返す。
「本当に、本当に私は救われないんですか」
「ええ」
 こうした応対に慣れているのだろう。しつこく聞き返す男に対して、そのたびごとに同じ答えを予言者は返した。否定の肯定。その連続。
 いつしか男の目には涙が浮かんでいた。
「よかった、本当によかった」
 納得を胸いっぱいに吸い込むと、男は代わりに自分のことを語り始めた。
「あなたは救われると、何度も言われてきました。そのたびごとに壺を買ったり、セミナーに主席したり、コミュニティに参加してきたりしたんです。救われるためにチェックするべき情報と請求書が山のように積み上がっています。それでも、こう言われるんです。あなたは救われる、と。それはもはや呪縛でした。いつのまにか、わたしは自分のことを救わなければならなくなっていたのです。なぜかって、それはわたしに救われる可能性があるからです。だから、救わなければいけない。でも、もうどうしようもない状況でした。それは泥沼なんです。あがけばあがくほど、救われようとすればするほど、深みにはまってしまう」
 男の思考は、通り抜けてきた闇をリフレインしていた。
「でも、わたしは救われないんですよね。手持ちの才能と可能性を中途半端につぶし、世界に何の貢献もできず、ただただ無残に、ただただ悲惨に、ただただ滑稽に、ただただ哀れに生きて死ぬだけの人生が許されているんですよね」
「もちろんです」
 予言者は再び頷いた。「人間は自由な存在なのですから」
 いつの間にか男は目をつむり、両手を胸の前で重ねていた。祈りにもにたその姿の中で、男はかすかに微笑んでいた。皺もまたその笑顔に調和していた。

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二つの島

二つの島があった。そう遠くもなく、そう近くもない。そんな二つの島があった。

それぞれの島には、それぞれの住民がいた。そこには似ていながらも、確固とした固有の文化が育っていた。

住民たちは、自分たちの島で生活しながら、たまに船を使ってお互いの島を行き来していた。その交流は、夜空に浮かぶ星々のように人生に輝きを与えてくれた。自分たちとは違う生活をしている人たちがいる。その事実を知ることは、不思議な暖かさと豊かさをもたらしてくれた。交流はほそぼそとながら、連綿と続いていた。

あるとき誰かが言った。「そうだ、橋を作ろう」

若者だったのかもしれない。あるいは何かで突然大金を手にした者だったのかもしれない。それはあまりに突飛な意見だった。しかし、現実的に考えれば、それは実現可能なことであった。大変な費用はかかるものの、二つの島をつなぐ橋を架けることは可能だった。

「船があるからいいじゃないか」

そんな声も上がった。いや、ほとんど多くの住民が、声には出さないものの同じ気持ちであっただろう。

「でも、この素敵な交流がもっと盛んになるんですよ。橋を架けましょう」

声にならない声は、誰の耳にも届くことはなく、そうして橋を架ける工事が始まった。

長い時間をかけ、ようやく橋は完成した。二つの島は、船を使うことなく行き来できるようになった。

それは予想していたものよりも、遙かに素晴らしかった。単に交流が盛んになっただけではない。新しい商売も生まれ始めた。船で運んでいたんでは痛んでしまってとても売り物にならないようなものでも、橋を使えばすぐさま持って帰れる。それにコストもかからない。今までは海を渡らないと食べられなかったようなものでも、お金を余計に払えば食べられるようになった。

住民たちは皆、橋の存在をありがたがった。そして、それは徐々に当たり前のものとなっていった。今ではもう船を使って行き来するという行為自体が突飛なものになっていた。

やがて、誰かが言った。「そうだ、埋め立てよう」

橋はあくまでも橋だった。あまりに天候が酷いと行き来はできなくなるし、一度に渡れる人の数も限られてしまう。これでは不便ではないか。だったら、橋ではなく地面を作ればいい。

住民たちは誰も住んでいない島から土を運び込み、二つの島を隔てている海を埋めていった。無人島の土がほとんどなくなりかけたころ、二つの島をつなぐ地面が生まれた。そして橋はもう用済みとなった。

交流はますます盛んになった。今では気楽に散歩する気持ちで、隣の島に出かけられる。埋め立てられた地面の上にも、いろいろなものが立ち始めた。橋では到底無理なことだ。そうして、また新しい商売の可能性も生まれ始めていた。

人々はこれまでには手にできなかった豊かさを、当たり前のように手にしていた。そして、皆が等しくそれを享受している。片方の島だけでしか手にできないようなものは、もう何一つない。

そのようにして二つの島はなくなり、一つの島が生まれた。

そこには誰も使い道の分からない朽ち果てた橋と、誰も使い方を知らない船の残骸が残るばかりだ。夜空に浮かぶ星々も、今ではもうどこにも見えなくなっていた。

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門の開いた町

 その町の門は開いていた。
 大きな門ではない。それでも城壁の所々には人が行き来できる空間があった。
 あまり大きくない門と同じように、その町も大きくはなかった。こぢんまりとではないせよ、中央都市とは比べものにはならない規模だ。それでも、町は栄えていた。少なくとも、人々の生活を満たすだけの流通があった。都市から仕入れられた苗や金属は、この町で育成・加工され、都市へと再び輸出された。その流通は、少なからずのお金を町に落としていた。そこで暮らす人も、それで満足していた。
 町の門は開いていたので、他の所からやってくる人も珍しくなかった。いろいろ巡ったあげく、ここに住むことを決めた人もいる。きっと居心地が良かったのだろう。少しずつではあるが、町は大きくなっていった。
 やがて誰かが言った。「大きなビルを建てようじゃないか」 新しくこの町にやってきた人だった。「そろそろ古くさくもなってきているし、畑を更地にしてビルを建てようぜ。工場も潰して、マンションにすればいい。そうすりゃもっと儲かる」 大半の町の人たちは儲けることなんて求めていなかった。生活が納得感で満ちていればそれでよかったのだ。だからこそ、都市ではなくこの町で暮らしているのだ。
「それはできんよ。この町のしきたりだ」
 誰が決めたわけでもないが、なんとなく皆が長と呼んでいるものがそう言った。彼は、他に言葉がなかったので、仕方なく「しきたり」という言葉を使った。それが、提案者のしゃくに障った。
「しきたり? なんだそりゃ。そんな古くさいものなんて捨てちまえよ。俺たちは自由の時代に生きているんだぜ」
 どうやら彼にとって、古いものはそれだけで価値がないらしい。また、不自由な選択をするという自由の存在も見逃されているようだった。
「この町は、独自の生産で循環しておる。都市との関係性もそれで成立してるんじゃ。もし、ここが都市と同じになってしまったら、一体どんな意味があるというんじゃ」
「そんなの知るかよ。俺はこんな古びた町が大嫌いなんだ」
「どうあっても、譲れんよ。何もしきたりは我々を縛り付けるために作られたわけじゃない。この町に生きてきた人たちが、経験として学んできたものが受け継がれているんじゃ。昔はこの辺にもたくさんの町があった。いろいろなやり方で栄えていた。でも、町の生態系を壊してきたところは、すべて消え去っていったんじゃ。適応できなかった遺伝子みたいにな。だから、これは生き残るためのルールなんじゃ、生き延びるための戦略なんじゃ。それを曲げることはできん」
 話し合いはどこまで行っても平行線だった。もともと大切にしたいものが違っていたのだ。それがたまたま同じ町で交わってしまった。町の門が開いていたのだから、起こるべくして起こった出来事であっただろう。かといって、町の門を閉める選択肢はなかった。そうすれば、町は町ではなくなってしまう。
「じゃあ、お前らはもっと栄えなくてもいいのか?」
「刹那の栄光にどんな意味がある?」
 それが決別の言葉だった。
「じゃあ、俺たちは町を出ていく。近くに新しい町、いやシティーを作るぜ。お前たちは近寄るなよ」
「もちろんじゃ」
 そういって町に残る人々は、出て行く人々を見送った。中には拍手しているものすらいた。それは勇気への喝采だったのだろうか。それとも別の何かだったのだろうか。
 ともかく町は再び町に戻った。循環は維持され、都市との関係も良好だ。きっとそれはこれからも続いていくだろう。少しずつ変化はするかもしれないが、大切にしたいものは変わらない。町は、どこまでいっても町である。都市ではない何かであり、だからこそ町には町としての意義がある。
 ときどきは新しいものたちが町に訪れ、一悶着を起こすかもしれない。でも、それも同じようにして納まるはずだ。町は定義ではない。意志の総体だ。だから、町は、ある種の変化を拒絶しながら続いていく。そこで生きる人たちの願いと祈りを引き受けながら、今僕がこうしてこれを紡いでいるように続いていくのだ。
 町を出て行ったものたちの物語は、今はもう誰も知らない。きっと受け継がれなかったのだろう。だからこそ同じことが繰り返される。
 違うことを繰り返し、同じことを繰り返す。世界はそんな風にして回っていく。
 町の門は今日も開いている。入るのも、出て行くのも自由だ。
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動く歩道

ウィーン。ウィーン。

「やっぱり、動く歩道は楽だね」
「なにせ、まったく歩かなくていい」
「楽チンは正義」
「おっ、なんか門が見えてきた」
「だいじょぶじょぶ。こうして乗っておけば、自動的にくぐり抜けてくれるよ」
「だね」
「あれ、なんか門に何か書いてあるよ、≪この門をくぐる者は、≫ あっ、通り過ぎちゃった」
「問題ない、問題ない。道は続く。人生も続く」
「そうか。うん、そうだね」

ウィーン。ウィーン。

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イノベーター / Kejserens nye Pillar

「なにこのでっかい木は。えっ、柱っていうの? 知らない、知らない。だいたい邪魔でしょ。家の中にこんなでっかいものがあったら。えっ、屋根を支えている? そんなの古い考え方だよ。アンシャンなレジームだよ、ほんとに。そういう考え方をしているからイノベーションが起きないんだよ。わかる? もう、いいよ。議論しても無駄。俺は俺のやりたいことをやるからね。3日後に業者を入れて、この柱っていうの切るから。容赦はしないよ。それが俺のやり方だから。見といてよ」
慌てて引っ張り出される設計図。寝ぼけ眼のまま呼び出される建築家。徹夜で行われる強度計算と再設計。ひっそりと招集される業者。そして工事、工事、工事。
三日後。以前より一回り以上壁が分厚くなった部屋に勝手知ったる業者が入り、柱を切り落とす。
「ほら、見てよ、この素晴らしい空間。広々とした見通し。これでこそ新時代だよ。ポストモダンな風景だよ。それにさ、言ったでしょ、屋根なんて落ちてこないって。ほら、この通り。全然ヘッチャラさ。イノベーションっていうのはね、固定観念に縛られてちゃダメなんだ。わかる? あぁ、それにしてもこれはすばらしい。他の人にも、さっさと柱なんて切ってしまいなさいってすすめないとな。うん」

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個性的

「はい、授業をはじめます。教科書5ページを開いてくださいね。
今日みなさんに覚えてもらいたいのは、≪みんな違って、みんないい≫という言葉です。ええ、良い言葉ですね。先生、最初この言葉を見たとき感激して泣いてしまいました。だって、≪みんな違って、みんないい≫ですよ。うん、うん。人類愛ですね。
じゃあ、早速練習してみましょう。私の後に続いて復唱してくださいね。

≪みんな違って、みんないい≫≪みんな違って、みんないい≫

佐藤君、みんな違っても、じゃありませんよ。よく聞いてください。はい、もう一度。

≪みんな違って、みんないい≫≪みんな違って、みんないい≫

こら、山田君。「よい」じゃなくて「いい」ですよ。似ていますが、微妙に違うので注意してください。では、もう一度。

≪みんな違って、みんないい≫≪みんな違って、みんないい≫

ちょっとマイケルくん。いくら帰国子女だからで英語で言っちゃいけません。周りの子が混乱するじゃありませんか。しっかり日本語で、他の子と同じように発音するんですよ。いいですか」
≪みんな違って、みんないい≫
≪みんな違って、みんないい≫
≪みんな違って、みんないい≫
≪みんな違って、みんないい≫
≪みんな違って、みんないい≫
≪みんな違って、みんないい≫

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「旅立ちの日 2」

「勇者や、起きなさい」

その日、母親から起こされ、自分が勇者であることを知った若者が世界中に溢れた。人類勇者化計画。魔王の侵攻を恐れる国王たちが集い、一気に戦力をアップするための方策を三日間の会議で作り上げた。その成果がこれだ。世界は魔物と同じくらいの勇者で溢れかえった。

たいていの宝箱は空で、たいていのタンスも空で、出会うモンスターの数も限られていた。勇者たちのレベルはなかなか上がらないし、装備も整わない。武器屋・道具屋はいつでも品不足だ。需要が高すぎる上に、武器屋見習い、道具屋見習いが一斉に勇者化してしまったので人手不足は深刻な問題であった。

どの町に行っても、その住人より勇者たちの方が数が多かった。どこを向いても、パーティーだらけだ。そのパーティーはすべて勇者で構成されている。優秀だが、非常に平均的。宿屋の主人は、「まったく見分けが付かないんですよ、彼ら」とこぼしていた。パフパフのお姉さんは、途切れない客足にビジネスを拡大したようだった。

勇者の数が増えたおかげで、近隣のモンスターの被害はぐっと減った。住民の安全性は確立されたが、商売の担い手が減ったことで、経済のバランスが崩れはじめていた。儲かる商売はとことん儲かる。冒険に貢献しない商売は廃業に追いやられる。それでも、総税収は変わっていなかったので国王たちは心配してなかった。一部地域を除いて。

大変だったのは、魔王が住まう宮殿の近隣だ。そこのモンスターたちは著しく強力である。しかし、そこの勇者たちは他の地域の勇者たちとレベル的に大差がない。しかも、需要が高まっている中で、レベルアップも武器の調達もままならない。幾人もの勇者が果敢な、あるいは無謀な挑戦をして、その命を散らしていった。その姿は、「比較的安全」な地域の勇者たちの間で美談として語られていたが、地元にとっては一銭の利益にもならない。働き手もいなければ、お金を使う冒険者もいないのだ。

そうして、その地域の経済はどんどんと疲弊していった。そして、そこに魔王の手が伸びる。疲弊した地域は、ほとんど何の抵抗もできずに陥落した。まるでインクのシミが広がるように、魔王の支配地域は広がり、人間が居住できる場所は地図上でどんどんと少なくなっていった。

焦りだしたのは、魔王の宮殿からもっとも遠くに位置していた国の王だ。その国王は、活性化した経済と、確立された安全さの中で贅沢の限りを尽くしていた。それでもなお、彼は名王と呼ばれたのだ。勇者化計画は英断だったと、と。なにせ、この地域で死亡した勇者はほとんどいない。そればかりかいくらかレベルを上げたものがたくさんいる。国王の功績は、長く語り継がれるだろうと噂されていた。他国の状況を知らない人たちの間では。

魔王侵攻の最善線では、勇者たちは必死の抵抗を見せていたが、結局無残にやられていった。なにせレベルが違いすぎる。やつらはあまりにも強大なのだ。もっとリソースを集中させ、人を人ならざる領域まで押し上げなければ対抗できるはずがない。しかし、勇者たちはあまりにも人間だった。人間の限界にきちんと納まっていた。

日増しに地図の塗り替え速度は加速した。線が進めば進むほど、抵抗する力が弱くなっていく。近隣の国が攻め落とされたという報が入るたびに、国王のやつれはひどくなっていた。唯一、この国が島国であることだけが臣下たちの希望の材料であった。しかし、国王は知っていた。遠い諸国にある、同じような縦長の島国も一瞬で落とされたという。であれば、この国も同じ命運を辿るだろう。

やがてその島国以外全てが黒色に塗りつぶされた。世界はほぼ魔王の支配下に収められてしまった。残された人々は、ただ終わりのときをまっていた。しかし、どれだけ待ってもそのときはやってこなかった。反抗する意志を見せなかったからだろうか。それとも、同じ島国でもかなり遠い場所に位置していたからだろうか。理由はわからないが、魔王の侵攻はとまり、その国は人類最後の地として地上に留まった。国王が姿を消していたが、そんなことを気にする人間は誰もいなかった。

反撃の狼煙は静かに上がっていた。

勇者たちは過去の反省を踏まえ、代表者4人を選定し、その中で一番レベルが高い人間を「本物の勇者」とした。彼の血筋は、ごくごく平凡なものだったが、それを気にするものはいなかった。レベルが高い、というのはそれだけで説得力がある。他の三人は得意な分野を見定め、それを極める職へと転じた。こうして、残された世界にたった一つだけのパーティーができあがった。

他の勇者たちは、勇者の冒険を支える任に付いた。情報を集めるもの、武器を生成するもの、祈りを捧げるもの、新しい村を作るもの。かつて勇者であったものたちのおかげで、勇者の冒険は少しずつではあるがスムーズに進んでいった。不思議とモンスターたちは、その強力さを失っていた。彼らも平和に慢心していたのかもしれない。

ほんとうにごくわずかではあるが、地図上に人類の拠点がもう一つ増えた。それは希望の象徴でもあった。国に残された人々は、その日強い歓喜を覚え、その日は後々まで復活祭として定められることになった。勇者たちは、冒険を進め、レベルを上げ、装備を整え、地図上を少しずつ明るく塗り替えていった。残された秘宝の装備を手にし、たった一枚だけの巻物から古代の魔法を読み取った。

強力に成長した勇者たちは、なんとか魔王の宮殿へとたどり着き、老いすぎてしまった老人のような臣下と共に、魔王を討ち滅ぼした。そうして、世界に平和が訪れた。しかし、勇者たちの目は、喜びではなく悲しみの涙で溢れていた。

それ以降「本物の勇者」たちの姿を見かけたものは、誰もいない。

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空っぽのグラス

情報消費は楽しい。
情報消費は低コスト。
情報消費は疲れない。

望むなら、四六時中、情報消費の浴槽に浸かっていられるのが現代。

情報消費は楽しい。でも、情報消費は楽しくない。

ときどき。ほんとに、ときどき、ふっと薄ら寒い感覚が湧いてくる。

地獄の底をのぞき込むような。虚無の瞳に見つめられるような。そんな感覚。

何もかもが無価値の大地にたたき落とされ、
空が孤独と絶望の黒で塗りつぶされる。

そんな感覚。

もしかしたら、情報消費は僕たちから何かを奪っているのではないか。
何かを削り取っているのではないか。

その結果、僕らは、あの深淵に足を踏み入れることになるのではないか。

もちろん、そんなことはない。

あの深淵は、あの虚無は、あの地獄は、もともとそこにあったものだ。古い家の地下室のように、誰かが扉を開くのを待っていただけだ。あるいは、風や振動のきまぐれな作用で解き放たれるのをまっていただけだ。

情報消費は、とてもクールにそこから目を遠ざけてくれる。地下室への階段から目を背けさせてくれる。やがて存在すらも忘れ、快楽のダンスに没頭させてくれる。

情報消費は楽しい。

でも、それは決して地下室そのものを壊してはくれない。コンクリートで埋めてはくれない。ただ目をそらしているだけ。

決して満たされることのないグラスに、延々と水を注ぎ込んでいるようなものだ。手を止めれば、空っぽのグラスが登場する。もちろん、そのグラスははじめからそこにあったのだ。生まれたときからずっと。

逃げることはできない。

でも、空っぽのグラスを掲げ、世界に向けて「乾杯」を告げることはできる。そして、苦痛と愚鈍さと後悔を一気に飲み干すのだ。

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