物書き生活と道具箱

書きたいことを探す旅・書くことを選ぶ鍵

ついに明日が新刊の発売日です。

ソーシャル時代のハイブリッド読書術
ソーシャル時代のハイブリッド読書術 倉下 忠憲

シーアンドアール研究所 2013-03-26
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もしかしたら早い書店さんでは今日辺りに並んでいるかもしれません。お見かけになった方は@rashita2までお知らせいただけるとありがたいです。

次なる一歩は?

さて、この本でとうとう7冊目。拙著を並べている家の本棚も、少しずつボリューム感が出てきました。これだけ書いてきたんだから達成感みたいなものがあるかというと、むしろまったく逆です。あれも書きたい、これも書きたいという気分が増すばかりです。

しかし、現実にその全てを書くことなどできないでしょう。企画案として出版社に通らないものは、KDPを使えば「書きたいこと」を「本」に変えることはできます。しかし、どう考えたところで時間が足りません。「あれ」や「これ」やと書いているうちに、「それ」や「どれ」やを書く時間が失われてしまうのです。

今まで好き勝手に書き散らかしてきましたが、そろそろ方向性について地盤を固めた方がいいかもしれないな、ということを感じています。それは本だけではなく、メルマガやこのブログに関しても同様です。

セルフマネジメントの延長線上にコンテンツマネジメントというのも位置づけるタイミングがやってきたのかもしれません。あるいは、単にそれは物書きの職務の一つなのかもしれません。

書かないことはすぐにわかる

これまでは、「こういうことは書かない」というタブーめいたものは持っていました。でも、それだけでは足りないのかもしれません。「こういうことを積極的に(あるいは優先的に)書いていこう」という指針がないと、うまく選択できないような気がしています。なにしろ、書きたいことがA4のマインドマップに収まり切らなくなっているのです。

このBlogも基本的にはテーマを持たず、その時の自分の関心事に合わせて記事を書いています。一日一記事という縛りの中で、最近は「何を書こうか」と考えることも増えました。「このテーマはR-style向きだ(あるいは向きではない)」ということは判断できるのですが、R-style向きなテーマの中から何を優先するのかはまた別の問題です。そして、それはなかなか難しい問題なのです。

発想の二段階

発想には、発散過程と収束過程の二段階があります。

マインドマップでこれから書きたいことを広げていくのは発散過程です。そこで出てくる数が少ないうちは、発散だけで済みました。チェックリストのように上から順番に片付けていけば良いだけです。しかし、数が増え、また時間の制約が目に付くようになってくると、選択を加える必要がでてきます。つまり収束過程です。

で、収束過程を進める場合、何かしらの基準が必要になります。

それは、時間なのかもしれませんし、予算なのかもしれませんし、潜在的可能性なのかもしれませんし、失敗率の低さなのかもしれません。どのような基準であれ、その基準が鍵になります。10人の優れた部下、1人の愚かな上司。ボトルネックはどちらでしょうか。

見えない動機

おそらくですが、自分なりの基準を見つけるには「自分が書きたいことは何なのか」という問いに真摯に向き合う必要があるのだと思います。もちろんそれは「物書き」として、ということです。

この問いを少し変形すれば「自分が書くことを通して伝えたいものは何なのか」になるかもしれません。

しかし、この問いに答えるのはなかなか難しいものがあります。一見してすぐ答えられるような気もするのですが、その答えが正確なものなのかは微妙なところです。人間の「心理」なんてものは、内部観察においてすら明確につかみ取れるものではありません。

99人の賛成者に囲まれている時に、自分も「賛成」の札を上げる。自分の心の中では明確な理由があったとしても、その”明確な理由”が本当に自分の行動の動機であったのかは判然としません。99人の賛成者がいなければ、もしかしたら別の行動を取っていたことも考えられます。

通奏テーマの発見

こういう時には、やっぱり記録が役に立ちます。

一日や二日ではなく、数年というタームでの自分の足跡を見返すと、やはり何かしらの傾向があります。時々ぶれているにはせよ、全体としての方向性はどこかの地点を向いているはずです。あるいはぐるぐると同じ所を回っているかもしれません。それだって一つの基準にはなりえます。

片方に自分が書いてきたもの、もう片方に自分が書こうとしているもの。その両者を眺めてみると、なんとなく次の二つの要素が浮かび上がってきました。

一つは、「いかにして”よりよく”生きるのか」ということ。
もう一つは、「個人をエンパワーメントする」ということ。

この二つは関係している部分もありますし、そうでない部分もあります。

”よりよく”の「よく」は、良くであり、好くであり、善くであり、能くであり、克くでもあります。

エンパワーメントは響きが格好いいので使いましたが、つまりは個人が個人として生きていけるようになるということ。現代に視点をおけば、「個人が生き延びられるようにする」と言い換えられるかもしれません。

基本的にこの二つの要素が私の通奏のテーマな気がします。これ以外の要素は、この下位に従属するか、あるいは「その他」のカテゴリーに分類されるものです。

さいごに

なんとなく基準めいたものが見えてきました。これでもまだ漠然としていますが、何も無いよりはマシでしょう。

おそらくこれらを基準にして、書く本とかメルマガのコンテンツとかBlogのエントリーとかを収束させていくことになるかと思います。

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