7-本の紹介

【書評】知の逆転(吉成真由美 インタビュー・編)

新刊発売記念書評第二弾。

ソーシャル時代のハイブリッド読書術
ソーシャル時代のハイブリッド読書術 倉下 忠憲

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今回は以下の一冊。

知の逆転 (NHK出版新書 395)
知の逆転 (NHK出版新書 395) ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美

NHK出版 2012-12-06
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知の最先端を走る人々へのインタビュー集です。

概要

インタビューされているのは以下の6人。

ジャレド・ダイアモンド
ノーム・チョムスキー
オリバー・サックス
マービン・ミンスキー
トム・レイトン
ジェームズ・ワトソン

ダイアモンド氏の著作は、日本でも話題に上がっているのでご存知の方も多いでしょう。少し前にほぼ日でも糸井重里さんとの対談が公開されています。
http://www.1101.com/j_diamond/2013-03-04.html

その他の方々も、言語学の大家、脳神経科医、人工知能の父、数学者でありインターネットを支える大企業の取締役、DNA二重らせん構造の発見者などそうそうたるメンバーです。

どのインタビューも知的な刺激で満ち溢れていますが、ジェームズ・ワトソン氏がつむきだす率直な言葉たちは、少し刺激が強すぎるのではないかと心配してしまうぐらいです。しかし、辛口のスープがそうであるように、ついつい惹きつけられてしまいます。

逆転

本書を通読しながら、気になっていたのがタイトルです。

「知の逆転」

逆転というのは、何かしらのベクトルが逆向きになる状況を指します。何かがひっくりかえるような状態です。

各分野で大きな業績を残している人たちのインタビュー集のタイトルが「知の逆転」というのは少々違和感を感じないでしょうか。

果たしてこの「逆転」とは何を意味しているのでしょうか。どういうベクトルがあり、それがどのように逆転しようとしているのでしょうか。

それは、各インタビューを俯瞰すれば見えてきます。それぞれのインタビューでは違った話題が切り込まれていますが、いくつか共通する質問もあります。その質問が考える手がかりになるでしょう。

眺めてみると、大きく二つの質問が見つかります。一つは「個人と集団の知」、もう一つが「科学と宗教」です。

個人と集団

ほぼすべてのインタビューで登場するのが、「集合知能」がもたらす影響への質問です。

インターネットの普及によって、多くの人がそこに参加するようになりました。日本でも三人寄れば文殊の知恵という言葉がありますが、多くの人が参加するネットの世界では、これまでなし得なかった「成果」を生み出せるのではないか、という期待が高まっています。

その成果が期待されているのは、科学技術の進歩、あるいはより成熟した政治制度など、私たちの生活に密着する分野であり、決して無視できるものではありません。

しかし、インタビューの中では、安易な集合知能への期待は見られません。むしろ、否定的な意見の方が多いぐらいです。人によっては、「個人知能」の開花こそが本当に重要なことだと一蹴しているものもあります。

前述した辛口のジェームズ・ワトソンは

総意というのは往々にして間違っているものです。

と紫電一閃に切り捨てています。

おそらくこれが「逆転」が意味するものなのでしょう。

人々がつながることで、ハッピーな結果がもたらされる。その中では、個人の力よりも、集まりの大きさが評価される。という傾向はではなく、自立した個、個人的才能の開花こそが本当にに優先されるべきことなんだ、という傾向です。

これまでの歴史において、偉大な科学的貢献をなしてきたのが100人程度の天才であったこと、そして多くの人がその方向性の決定に関与した民主主義において、あまり喜ばしくない政策決定が下されてきた事実などが、その傾向の正当性を補強します。

しかし、、わたしはまるっとその考え方に賛同できるものではありません。ただ、インターネットがもたらす、ウィキパラダイスの夢はわりと儚いものではあるだろうな、という部分には強く同意できます。

おそらく集合知能が無意味なのではなく、「集団」の作り方こそが重要な鍵なのでしょう。つながり方や、構成要素によって、集団知能が発揮されることもあるし、そうでないこともある。集団知能を生み出すデザインについて考えていく必要があるのでしょう。

科学と宗教

宗教についての質問も多くのインタビューで登場しています。科学の最先端を走る人々は宗教とどのように付き合っているのかはなかなか興味深いものです。

基本的には、自分は宗教を持っていないが、他人のそれを否定するものではない、というスタンスの方が多かったです。宗教がもたらすプラスの影響についても理解しながら、それがもたらすかもしれない悪影響についても言及されています。

薬だって飲み過ぎれば毒になりますし、歩くのを補助してくれる杖も人を殴打する道具になるのです。

科学は私たちの生活をより便利に、より快適に、より豊かにしてくれます。しかし、どこまで科学技術が進んでも、「私たちのはなぜ生きるのか」という問いには答えてくれません。そんな問いに科学的な答えなどないからです。

宗教、芸術、文学などは、その問いに対する答えを、あるいはそれを自分で考えるためのヒントを提供してくれます。

しかし、科学があまりにも進歩し、科学以外のものが切り捨てられる世界では、そのようなものは隅の方に追いやられてしまいます。実利、効能、成果といった物差ししかない世界は実に息苦しく、生きぐるしいものではないでしょうか。

現代の日本で、「宗教的」というとネガティブなニュアンスが込められていますが、科学的なものだけで世界のすべてをフォローするのには無理があるでしょうし、そうしようとすればどこかにひずみが生まれてきます。

そのひずみに飲み込まれてしまった人は、藁でも、高価な壺でも、毒のヤリでも掴んでしまうものです。

科学は科学としてその進歩に邁進するとして、どこかの部分ではその限界を理解し、「科学的なでないもの」を心の中にとどめておきながら、うまく付き合えるような余裕も必要がではないでしょうか。

これもある種の「逆転」と言えるかもしれません。

さいごに

こうした人々に肩を並べるには、どんな本を読めばよいのか。推薦図書をあげてくれている人もいますが、ノーム・チョムスキー氏の次の言葉が私にはしっくりきます。

一番いいのは、自分で探して、驚くようなこと、予想もしなかったような本を発見するということでしょう。リストを提供することは、その予想外の驚きや探し当てる喜びというものを、多少なりとも奪うことになる。自分で発見する喜びというものは、指示に従った場合よりも、はるかにエキサイティングで価値の高いものです。

おそらく上にあげた誰ひとりとして、いやいや強制されて本を読んでいる人はいないでしょう。つまりは、そういうことです。

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