7-本の紹介

【書評】集合知とは何か?(西垣通)

前回のエントリーで「集合知能」について少し触れました。

ある部分では、以下の新刊に関係する「集合知能」(ないし集合知)。

ソーシャル時代のハイブリッド読書術
ソーシャル時代のハイブリッド読書術 倉下 忠憲

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それについて解説してくれるのが次の一冊です。

集合知とは何か – ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)
集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書) 西垣 通

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副題として、”ネット時代の「知」のゆくえ”というフレーズが添えられています。メディアがマスからソーシャルへ(あるいは、マスとソーシャルの共生へ)と動いていく時代において、改めて「知」について考えるのは決して無意味ではないでしょう。

概要

本書では、「集合知」を考える上で、「そもそも知とは何だろうか?」という基本的な問いかけをじっくりと追いかけていきます。

個人的にはこういうアプローチは好みです。知が定義できないまま、集合知を議論しても、あまり益のある答えは出てきません。あらためて「知」とは何かを問うことで、集合知に必要とされる機能、あるいは集合知ならではの機能が見えてくるでしょう。

本書は大きく6つの章立てで、その構成は以下の通りです。

第一章 ネット集合知への期待
第二章 個人と社会が学ぶ
第三章 主観知から出発しよう
第四章 システム環境ハイブリッドSEHSとは?
第五章 望ましい集合地をもとめて
第六章 人間=機械複合系のつくる知

個人的には第三章、第四章がすこし取っ付きにくく感じましたが、「知」を捉える様々な視点が得られました。

あらためて「知」とは何か?という問いかけは本書に譲るとして、本稿では、集合知を機能させるために必要なことがらを取り上げてみます。

それは、おそらくソーシャルリーディング__これも集合知の一種の現れ__に何かしらの効果を与える要件になるでしょう。

専門知と集合知

本書において、集合知に対比されるのは専門知です。

いわゆる有識者が、ご神託のように民衆に授け与える知。それが専門知です。

なにせその分野に人生の時間を投資している専門家が提供する知です。私たち素人からみればご信託といっても過言ではないでしょう。と言い切れなくなったことがよくわかったのが震災でした。

全員ではないにしろ、一部の専門家の発言がまったく信用に値しない、そんな場面に遭遇した人も少なからずいたのではないでしょうか。実際それは、ずっと前から起こっていた現象なのですが、私たちの生活においてリアルな影響を与えてなこなかったので、それほど注目されていなかっただけの話です。

専門家の意見は当てにならない、だからネットの集合知だ、とまるで引きすぎたゴムが強く反発するように逆方向のベクトルに向かっていきたくなる気持ちがわからないではありません。しかし、それは思考停止の両極端な現れでしかありません。もう少し、落ち着いて考える必要がありそうです。

ネットの日常化によって明らかになったのは、専門家だからといって必ずしも正しい意見を出せているわけではないということ。また、その分野をプロとはしていない人でも専門家に肩を並べるだけの知識を有する場合もあるということ。この二つです。
※話がややこしくなるので、ここでは「〜〜村」といったものは取り上げません。

とりあえず純粋な専門家であっても間違いはあり得るし、プロでなくても専門家に比類する人は少なからず存在する、ということだけを取り上げておきましょう。

数ではなく、多様性

ソーシャルメディアは、普通マスメディアでは取り上げられない人の意見が流通するというのがポイントです。それが起きることによって、専門知が相対化され、必要ならば検証され、有用ならば広く伝播していきます。

ここで重要なのが「多様性」というキーワードです。

もし、仮に世界が100人の村だとして、一人の専門家が「AはXである」といったとしましょう。残りの99人が、「そうだ、そうに違いない」と合意したとします。ここには集合知なるものは存在しません。言葉は悪いですが、烏合の衆が見えてくるだけです。もちろん、三人寄っても文殊の知恵には届きません。

たった一つの知識が、相対化もされず、ご神託のように崇められる。

どれだけ多くの人がつながっていようとも、これは専門知の別の形での表出でしかありません。

必要なのは多様性です。まったく異なったアプローチ、異なった結論、異なった判断基準、そうしたものが抑圧されずに、別の知識と並べられること。そうしたときに、はじめて総合として集合知が立ち上がってきます。

これは、ものすごく乱暴にまとめればブレストに必要な要件と重なってくるのですが、そこには立ち入らないようにしましょう。

ともかく、多様性を有していることが、集合知が何かしらの効果を持つためには必要です。

さいごに

そう考えると、本の読み方は「個人的でかまわない」、ということになります。むしろ、個人的であることが望ましいといってよいでしょう。

「この時、作者はどんなことを考えていたでしょう」

という問いに絶対の正解はないかもしれません。しかし、それぞれの人がそれを考えて、出た答えをずらっと並べてみたときに、何かしら見えてくるものがあるでしょう。おそらくはその総合こそが文章の(あるいは文学の)効果と呼びうるものです。

ソーシャルメディアの面白いところは、これまでのメディアでは決して取り上げられることのなかった、それぞれの人の読み方、意見が、ごくごく普通に並列的に並べられることではないかと思います。集合知というものは、そこから立ち上がっていくのでしょう。

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