「目標」の研究

目標が持つ力と副作用 〜『戦場にかける橋』を観て〜

とある方のオススメで『戦場にかける橋』という映画をみた。

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1957年に公開された古い映画である。当然、映像も古くさい。最近の映画を見慣れていると、チープさが画面全体から漂ってくる。

が、見終わった後、どうにも不思議な印象が胃の中に残る映画であった。ザラザラとした手触りの、適切に収まる場所がない小石のような感触だ。

※以下はネタバレ要素を含むのでご注意。

概要


第二次世界大戦のまっただ中、イギリス軍兵士たちの「行進」から物語は始まる。彼らは、とある場所へと向かっている。あるいは、運ばれている。ビルマ国境付近にある日本軍の捕虜収容所だ。

その収容所を統括しているのは斎藤大佐。ちょびヒゲで、始終しかめっ面を浮かべている日本人だ。漫画で「貴様なんぞに、娘がやれるか!」と主人公に怒り出す父親をイメージするとよいだろう。

彼は、捕虜であるイギリス軍兵士たちに橋造りの労役を命ずる。それは、「ルール」的に問題がない。しかし、作業を急ぐ斎藤大佐はイギリス軍将校たちにも労役を命じた。将校とは、普通の兵士よりも階級が高い軍人のこと。とにかく全員働け、というわけだ。

将校への労役が命じられたとき、イギリス軍をとりまとめるニコルスン大佐はきっぱりとそれを断る。「ジュネーブ協定に反する」と。ジュネーブ協定では、戦争時のルールとして捕虜になった将校に労役を命じてはいけないことになっているのだ。

もちろん、見た目からして頑固者の斎藤大佐は聞く耳を持たない。むしろ怒りを露わにする。命令を聞かない__そしてニコルスン大佐の命令はきちっと聞く__イギリス軍将校たちに機関銃を向けたりもする。しかし、頑として彼らは動こうとしない。

両者は対立し、意見は平行線のまま、ただ時間だけが過ぎていく。橋の完成予定日は迫っているのに、将校によるとりまとめを欠いたイギリス軍の兵士たちは、労働力としてほとんど当てにならない。完成への見通しは絶望的である。

最終的に匙を投げたのは斎藤大佐だ。

独房に閉じ込めていたニコルスン大佐を解放し、イギリス軍兵士の指揮を将校に委譲する。大佐は、大音量の歓声と共に帰還する。

ここまではいいのだ。

悪役を担う斎藤大佐。彼からの迫害にもめげずに、ジュネーブ協定という「ルール」を遵守するために命を張ったニコルスン大佐。そして、ニコルスン大佐の勝利。

わかりやすいストーリーだ。この映画を見た人は皆、まず斎藤大佐を憎み(あるいは嘲り)、ニコルスン大佐に心情を寄せるだろう。彼の勝利は、わかりやすいカタルシスをもたらしてくれる。

しかし、物語はここでは終わらない。希望が輝く空のむこうには、黒い雷雲の影が見え始める。

兵士に士気を取り戻す


兵士たちへの指揮を取り戻したニコルスン大佐は、さっそく「組織化」に取りかかる。すでに兵士たちは、兵隊としてはまったく機能していなかった。

大佐は部下の将校たちに以下のような言葉を投げかける。

「兵隊には自分の仕事に誇りを持たせる事が肝心だ」
「兵隊には目標が必要だ」
「ない場合は我々が考え出す」
「むずかしい仕事だが幸い橋という良い手段がある」

仕事に対する「誇り」と「目標」。この二つは現代組織においても重要な要素を持っている。

「誇り」は自尊心や自己肯定感を生み出すと共に、その仕事に全力を出すことを促す。誇りがあるからこそ、プロはプロとして研鑽し、成果を出し続ける。これはアイデンティティーの問題でもあるし、企業文化の問題でもある。

「目標」の重要性は改めて指摘するまでもない。バラバラの個性を持つ人々は、共通の目標が無ければ、自由気ままに力を発揮するだけになる。円の中に小さな点がいくつも集まっていて、それぞれが好き勝手な方向に矢印を伸ばしているのをイメージするとよいだろう。これでは力が分散するだけではなく、時に逆向きの力同士が打ち消し合ったりもしてしまう。

ある方向、ある点を指し示すことで、その人々が同じ方向を向くことができる。当然、発揮される力も同じ方向を向くことになる。出てくる成果は大きいものになるだろうし、また同じ方向を向いているという一体感が、「誇り」を生み出すという副次的な効果もある。

ニコルスン大佐は、「橋を完成させる」という目標を手段として使い、なまりきったイギリス軍兵士たちを再び兵隊にしようと考えたわけだ。そして、彼は実際にそれをやりとげた。期限までに間に合わないと思われていた橋を、しっかりと完成させた。しかも当初予定していた以上にしっかりとした橋を。兵士たちにも士気が戻り、兵士たちは再び兵隊になった。

実に素晴らしい。

それほど長い部分ではないが、この下りはプロジェクトマネジメントについて学べる要素が多いだろう。

しかし、私は「大佐の帰還」ほどストレートにカタルシスを感じることはできなかった。むしろ、そこにはある種の危うさが感じられる。

目的に飲み込まれる


ニコルスン大佐は、「橋の完成」を手段として意図していた。その目的は「イギリス軍兵士たちの士気をあげ、規律と健康を取り戻すこと」だった。その大佐の目的を達成するために、橋の完成を兵士たちの目標にしていたわけだ。

しかし、橋の工事が進むにつれ、どうにも雲行きが怪しくなってくる。見るからに大佐の目標が「橋の完成」になっているのだ。彼は、完璧な計画を練り上げ、イギリス軍兵士たちの労働量をギリギリまで上げたうえ、病気やけがで倒れたものたちの手を借りようとする。将校すら人手である。

この橋はきっと400年以上も残るものになるだろうと想像し、そのことに非常な満足感を感じている。明らかに彼の中の優先順位は「橋の完成」がトップにきている。

そもそも、その橋は敵軍が使用する橋なのだ。敵軍に利する行為を全力でまっとうしようとする大佐の姿は、英雄というよりも、強迫症のそれに近い。しかし、大佐は自分の目標がすり替わっていることにまったく気がついていない。だからこそ、よりいっそうタチが悪い。

が、現実の世界をみれば、こういうことは実によくある。

当初の大きな目的が失われ、手段そのものが目的へと変容してしまうことが。

たとえば、「組織」。ありとあらゆる組織は、何かしら達成したい目標があったはずなのだが、いつのまにか組織の存続そのものがその組織の目的となってしまう。最初の目標が達成されていたり、あるいは組織の存在が目標の達成において邪魔になっても、その慣性の力は強く働き続ける。

あるいは、「整理」。物事を(あるいは情報を)、適切に使いやすくするために行う整理のはずが、整理そのものが目的になってしまう。使いやすさとはまったく関係ない整理が行われたり、あるいは整理することに没頭しすぎて、物事(あるいは情報)を使う時間を削ってしまう。

目的(ないし目標)は、人を動機づける強い力を持っている。であるが故に、人はそれにすぐに飲み込まれてしまう。そして、飲み込まれている間は、より大きな目的が何であったのかは注意されない。

それほどまでに、目的というのは強力かつ甘美で、吸引力があるものなのだ。

さいごに


人を助ける薬であっても、量を間違えれば毒になる。目的(ないし目標)も同様だ。

「目的」に飲み込まれたくないから、そんなものは一切立てない。

そんなスタンスをとる人もいるだろう。医者だってミスをする可能性があるのだから、病院には一切行かない。そんなスタンスだ。

しかし、目的や目標はうまく使えば大きな力を発揮することも間違いない。

組織はバラバラの個人の集合体だが、一人の人間だってそれとフラクタルな構造を持っている。四六時中まったく同一の「自分」が存在している、という感覚は単なる幻想である。

いろいろな場面で、いろいろな「自分」が登場する。それらを同一の方向に向けることができれば、確かに大きな成果を残すことができるだろう。その役割を目的や目標が担ってくれる。

が、そうした目的や目標は、大きな目的を達成するための手段であることを忘れてはいけない。

大きな目的とは、「生きる」(ないし「よく生きる」)ことだ。人生を充実するための手段を実行しているうちに、人生が空虚に近づいていってしまう、なんてことはないようにしたいものである。

※ちなみに、橋の完成後もこの物語は続いていく。オチに興味があるかたはウィキらずに直接映画をご覧になることをオススメする。

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