思考ツールとしてのEvernote、ということをよく考える。
すると、「思考とは何か?」という疑問が連鎖的に浮かんでくる。だって、思考が何かを理解していなければ、思考ツールが何かを考えられるはずもない。
しかし、この疑問は危険である。表現をかえれば「考えるとは何かを考える」ということだ。自己言及は慎重に扱わなければいけない。
Evernote?アウトライナー?
さて、以下の記事を読んだ。とても面白い考察だ。
アウトライナー・フリーク的Evernote論(Word Piece)
少し引用させていただく。
良くできたアウトライナーに入れたテキストの断片は、互いに結合・離反しながら成長していく感覚があるんだけど、Evernoteはそうならない。作ったノートが育たず死蔵されてしまうケースがアウトライナーよりも多い。
それはやはり、ノートの記述内容がノート内で完結していること、そしてノート自体の並び順を意思を持って変えることができないことと無関係ではないと思う。
私は、本の執筆において、Evernoteとアウトライナーの両方を使う。さらに言えばScrivenerという高機能エディタも使う。
別にツールをたくさん使うのが好きだからではない。むしろ、私はアプリに関してはダンシャリ派である。できるだけ少ない方がいいと思っているわけだ。
複数のアプリを併用しているのは、それが必要だからだ。つまり、Evernoteだけでもアウトライナーだけでも「不足」があるのだ。
本の執筆において、Evernoteが欠かせないツールであることは私の中では確定事項である。しかし、Evernoteだけでは章立てや構成を完成させられない。もちろん、それにトライすることはできる。ただ、スムーズに進められるかというと、否である。
「ノート自体の並び順を意思を持って変えることができないこと」
たしかに、これは大きな機能不足だ。
しかし、実際のところ、任意の順番にノートを並び替えることは可能である。ノートを「題名」順に表示させ、ノートのタイトルの頭に1、2、3といった数字を割り振ればよい。
しかし、それは唖然とするほど面倒な作業だ。で、操作が面倒な作業は思考ツールとしては致命的な弱点である。思考に必要な脳内のリソースが別の作業に割り振られてしまうのだ。それに時間もかかる。
※このあたりは『ハイブリッド発想術』でも少し触れた。
構造の視覚的表現
仮に、Evernoteにおいて、任意の順番でノートを並び替えられるようになったとしよう。であれば、アウトライナーは必要なくなるか。これもまた、否である。
ノートブック内のノートの順番を任意に並び替えたとしても、それだけでは立体的な「構造」を表現できない。Evernoteは、見た目では「縦と横」にノートが並んでいるが、あれは見せかけである。実際は、横にずらーっと並んでいるのを折りたたんでいるだけだ。つまり、軸は1つしかない。
これは、ノートブック内だけでは、章や節といった構造を視覚的に表現できない、ということだ。この「視覚的に」というのは非常に重要な要素である。それはKJ法がどれほど効果的であるかを考えてみてもわかる。
※これについてはまた別の記事で考えてみよう。
複数のノートブックとノートブック・スタックを使えば、一応「構造」を表現することはできる。
「第一章」というノートブックスタックを作り、その下に、節にあたるノートブックをぶら下げていく。ノートブックの中身が本文だ。
もし、必要としている構造がこの3段階ぐらいで済むのならば、こういう運用法でアウトライナーを省くことができるだろう。ただし、それ以上大きいものは無理である。
さらに言えば、仮に3段階の構造でも、Evernoteではアウトライナーほど簡単には作業を進められない。ノートブック・スタックやノートブックの作成や、その名前の変更がアウトライナーほどお手軽ではないのだ。つまり、手間がかかる。これは発想の力を阻害する。
もし構成が完成しているのであれば、それをEvernote上で「再現」するのは難しくない。しかし、構成を作り上げる、という作業においてはEvernoteは力不足である。もちろん、意図されている使い方とは違うのだから、それは当然と言えるだろう。
さいごに
Evernoteは、記録を蓄積していくツールである。そして、それを引き出し、活用するためのツールである。その一連の作業を行うために、いくつかは「情報の操作」(※)の要素が加わっている。
※なにかしら陰謀論めいた響きのある言葉であるが、ストレートに受け取って欲しい。
しかし、Evernoteは情報を操作するために特化されたツールではない。
もう一度、最初にあげた記事から引用してみる。
現実世界で細かい記憶のピースを有効に利用するためには、何らかのロジックまたはレトリックの中にそのピースを組み込み、位置づける必要がある。どれだけ検索が優れていても、それだけでは不足なのだ。
そして「ロジックやレトリックの中にピースを位置づける」作業こそ、アウトライナーが最も得意とする作業だ。
本当に、その通りである。
さて、次回は「 」(※)について書こう。
※どちらか読みたい方をツイートください。多数決で決まります。0票なら、私が書きたい方を書きます。
「アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ」
「記録の蓄積と生産について」
次:アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ(上)
▼こんな一冊も:
Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術) |
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倉下 忠憲
技術評論社 2012-06-30 |
EVERNOTE「超」知的生産術 |
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![]() |
倉下忠憲
シーアンドアール研究所 2011-02-26 |
4 thoughts on “Evernoteフリーク的アウトライナー論(1)”