0-知的生産の技術

アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ(上) 

圧倒的な票が集まったので、こちらの分岐ルートに入った。
※詳細はEvernoteフリーク的アウトライナー論(1)

あらかじめお断りしておくが、本稿の副題は「Evernoteフリーク的アウトライナー論(2)」である。

では、では。

あこがれの手法

僕は、アウトライナーが嫌いだった。

いや、正確にいうと「アウトライン」を嫌っていた。だから、それを作成するためのツール「アウトライナー」には興味や関心を持っていなかったのだ。

発端は、もしかしたら『「知」のソフトウェア』にあるのかもしれない。立花隆さんの知的生産術を公開した本だ。

この本の中に、「コンテ型」と「閃き型」という二つのタイプが紹介されている。この場合のコンテは、アウトラインとほぼイコールと捉えてもらってもかまわない。

多少ともまとまりのあるものを書こうと思うなら、まずしっかりしたコンテを作るのが最初の作業手順であると一般には教えられている。一般論としては、それが正しいのだろうと思う。

しかし、と立花氏は続ける。彼はコンテをまったく作らずに本を書いているのだ、と。作ろうとはチャレンジしてみたものの、役には立たなかったのだ、と。

役に立たなかったというのは、コンテがあるのに、どうしてもコンテ通りに筆が運んでいかなかったということである。仕方なく、途中でコンテを書き直してみる。するとまたコンテから脱線して話がすすんでいく。終わってみたら、コンテを書いたり書き直したりしただけ、コンテをはじめから作らなかった場合より余計な労力を費やしただけだった。

結局、立花氏は1000枚を超えるような長編でもコンテを作らず、本を執筆していると言う。仰天である。立花氏は「人にあまりすすめられないこと」と断りを入れている。確かに、達人の方法はシロウトが真似してもうまくいかないだろう。

しかし。

しかしである。「一般的でない方法」に、心惹かれる時期が誰しもあるだろう。尾崎豊的反抗心から、他の人とは違うことを求めてしまう時期だ。僕は、ちょうどそういう時期にこの本に出会い、「なるほど!」と強い感銘を受けた。陶酔してしまったのだ。

結局、僕は「コンテ型」から距離を置き、「閃き型」へと歩みを進めていった。

流れに筆を任せる

コンテ無しの「閃き型」は、いかにして文章を紡ぐのか。

それは「流れ」である。

まず一行書き、その一行に連なる一行を書く。さらにその一行に連なる一行を書き重ねていく。そうやって一つの段落が出来たら、その段落に連なる別の段落の一行目を書き出す。これを繰り返していくわけだ。

これはわりと疲れる作業だ。それに時間もかかる。脳の奥からゴリゴリという音が聞こえてくるような気がする。

でも、できあがった文章は、確かに「流れ」ている。そこに不自然さは__少なくとも自分にとっては__感じられない。

コンテを作ろうが作るまいが、流れるものはそれまでに集めた材料である。よいものが書けるか書けないかという問題は、自分が集めた材料に最適の流れを発見してやれるかどうかという問題と同義である。

この文章に続いて、立花氏は「コンテ型」と「閃き型」の手法の違いを以下のように分析している。

コンテ型:文章を書き始める前に、思弁によって意識的に「流れ」を策定する
閃き型:水をしてながれるにまかせるが如く、材料が「流れ」るのにまかせる

こんな風に分類されれば、なんとなく「閃き型」の方が良さそうに思えるではないか。

それに、実際にやってみると、「コンテ」を作ってそれを埋めるように文章を書いていくのは「つまらない」のだ。あまりにも作業的に感じられてしまう。

が、一行に一行を重ねていくように文章を書いていくと__かなり疲れる代わりに__自分でも思ってもみなかったような文章の展開が生まれる。書いている間中、ずっとワクワクし続けられるのだ。まるで、自分の家のほこりをかぶった地下室へ足を踏み入れるような感覚がする。

コンテに頼るか、頼らないのかの問題は、意識上層部の構成力と、意識下の無意識層の構成力と、どちらを評価するかの問題であるともいえる

というわけで、僕は「無意識層の構成力」と手をつなぎ、コンテにさよならを告げた。数年後、再会するとも知らずに。

補助としてのメモ

Blogを書き始めてから今に至るまで、記事を書く際に、コンテは一切作っていない。

この記事だって「閃き型」で書き進めている。それでも、たしかに文章を書くことはできるのだ。慣れというのは、実に素晴らしい人間の特性である。脳の可塑性に感謝だ。

しかし、コンテを作らないからといって、まったく補助装置を使わないわけではない。「閃きメモ」にご登場願う時は多々ある。

普通は簡単なメモを事前に作る。メモには二つの目的がある。一つは手持ちの材料の心覚え。もう一つは、閃きの心覚えである。前者は事前に作り、後者は随時書きとめる。

ようは、こういうメモである。

20130509090507

この記事を書く直前に、さらさらとNuBoard クリアに書き出してみたものだ。

すでにいくかの材料がこの文章で使われているのがわかるだろう。文字数が結構進んでいるのに、残っている材料も多い。どうやら、前後編に分ける必要がありそうだ、ということもわかる。

少々込み入った記事を書く場合は、こうしたメモを作る。ハードカバーの書評では必須である。

エディタを立ち上げ、一行に一行を重ねながら、時折このメモをのぞき、次なる文章を思い浮かべる。そうやって文章作成を続けていく。

わりとうまくいくスタイルである。

少なくとも、当ブログはこのスタイルで運営されてきた。もちろん、「人にあまりすすめられないこと」かもしれないが。

to be Continue

長く続いていたアウトライナーとの疎遠疎遠生活に、一つの転機が訪れたのは2010年である。

つまり、一冊目の本を執筆したときだ。

そのとき感じたのは「やっぱりアウトラインなんて役立たずだ」という思いと、「あぁ、アウトライナーって便利だな」という思いだ。

矛盾してる?

いやいや、そうでもないのだ。それについては後編に譲ろう。

後編アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ(下)

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