0-知的生産の技術

アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ(下) 

アウトライナー嫌いだった僕が、今ではそれを愛用しているワケ(上)の続き。

前回は、アウトライナーと疎遠になった経緯を紹介した。

その状況を変えたのは、書籍の執筆という一大プロジェクトとの遭遇である。

さて、さて。

執筆の開始に必要なもの

書籍の執筆にあたって、一番最初に必要なものは何だろうか。

やる気?高い教養?山積みの資料?コネクション?高性能のエディタ?

これらは確かにあった方がいいのかもしれないが、正解ではない。答えは「章立て」だ。目次案と言い換えてもよい。

つまり、「こういう風な本になりますよ」という構成を作るわけだ。それを提示して「これならOKです」という了承をもらい、本文の執筆に取りかかる。出版業界ではごく当たり前の風景だろう。

その風景に直面したとき、私がどれほど困ったかが想像できるだろうか。

なにせ、それまでの私はアウトライン(目次のようなもの)を作らずに執筆を進めていたのだ。もちろん、それはブログ程度の小さな文章の現場の話だ。

さすがに「本」という数万字に及ぶアウトプットならば、アウトラインも必要だろう。それに、まったく中身が分からないのでは、了承する側もGoサインは出しにくい。それはとてもよくわかる。

かくして、私は生まれて初めて「目次案」を作り、章を立てて、執筆に取りかかった。

で、どうなったか?

立花隆氏の、次の言葉に深く共感を覚えることになった。

役に立たなかったというのは、コンテがあるのに、どうしてもコンテ通りに筆が運んでいかなかったということである。仕方なく、途中でコンテを書き直してみる。するとまたコンテから脱線して話がすすんでいく。終わってみたら、コンテを書いたり書き直したりしただけ、コンテをはじめから作らなかった場合より余計な労力を費やしただけだった。

そう、思った通りに進まないのだ。正確に言うと、事前に思った通りには進まない。

書き進めているうちに、小さな発見があり、それを付け足したくなる。あるいは書いているうちに、本当に重要なことがなんなのかが見えてくる。すると、章立てそのもの構成がずれてくる。事前に立てた章立て通りに進めれば、どうにもつまらない内容になりそうな気がするのだ。

また、普段から脱線に任せるままに文章を書いているので、脱線ができないと、筆の進みがとても遅い。筋力養成ギブスをつけているかのようだ。

結局、一つの章を書いて、イチから書き直して、さらに書き直して、なんてことをした。

なんてことだ!

これならはじめから、章立てなんか作らずに、思うままに書いた方がずっと完成は早かったんじゃないか、などと不遜な考えが頭に湧いてきたこともある。

あるいは、もしかして私は物書きとしての能力に大きな欠損があるのではないかと疑ったこともある。『ワープロ作文技術』という本を読むまでは。

たゆたう目次案

木村泉氏が著された『ワープロ作文技術』には、大いに助けられた。

いくつか引用してみよう。

目次案というものがある。第一章何々、第二章何々、第二章第一節はああで、第二章第二節はこう、というようなことを、原稿が影も形もないうちからまことしやかに書き出したもののことをいう。

原文では、「まことしやか」に傍点が振られている。そう、目次案とは「まことしやか」な存在なのだ。

もっとも、目次案さえ適当に書いてしまえば、あとは各章の各節を順に言葉で埋めるだけでよい、原稿書きなどちょろいものじゃ、などと高を括ってはならない。世の中にはそう信じ込んでいる人が結構いるようだが、迷信というほかはない。

そして、「迷信」。

(前略)目次案がそのままの形で最終原稿の目次として残るのは、むしろきわめて稀なことである。よほど小規模であるか、またはありふれていてあまり工夫を要しない場合に限られる。

このあたりで、私は「アウトラインの呪縛」から解かれた。私が陥っていたのは、それほど珍しい事態ではなかったのだ。

本書の言葉を借りれば、目次案は「書こうとしているもののイメージを表現するもの」なのだ。つまり、純粋な設計図というよりも、ミニチュア模型に近い。だから、必ずしもその通りに作る必要はない。

模型をそのまま現実世界で再現しようと思っても、地面に水道管が埋まっていて、建物の場所を移動しなければならないことはあるだろう。むしろ、それが普通だ。

そう腑に落ちたところで、立花隆氏が感じたイライラと、アウトライナーのメリットが見事に私の中で融合した。

アウトライナーのアウトライナーたるゆえん

私が得た結論は、

「アウトラインは、修正するためにある」

ということだ。

アウトラインは、事前に方向を示すために作る。それは他者に提示するためかもしれないし、自分自身の覚え書きかもしれない。どちらにせよ、大まかな方向を示しておけば、進みやすくなることは間違いない。

しかし、実際に歩いてみると、事前の想定が大きくずれる事態に遭遇する。そういう時は、ずれた方にシフトし、事前の計画そのものを修正する。現実主義だ。

ここで、「修正するなら、計画なんて必要ないんじゃないか?」という疑問が持ち上がるだろう。しかし、話はむしろ逆なのだ。

修正した後に、「本当に必要な要素は落としていないか」「その他の要素とのバランスはどうか」「ダブりはないだろうか」「文章量的にはどうか」といったことを検討しなければならない。アウトラインがあれば、それがやりやすい。一つ一つ文章を確認しなくても、全体を俯瞰できるからだ。

新しい話を追加したことで、話の順番を入れ替える必要が出てくるかもしれない。アウトラインがあれば、その構成を考え直すのも簡単である。

だからこそ「アウトライナー」なのだ。

単純に目次を手書きで書いて並べているだけならば、それをイチイチ書き換える作業はおそろしく面倒だろう。立花氏がコンテに別れを告げた気持ちもよくわかる。しかし、アウトライナーを使っていれば、そんな手間は極小で済む。

つまり、修正されるものという前提に立ち、デジタルでの手軽な修正の恩恵を意識すると、「アウトライン」が本当に役に立つものに見えてくるわけだ。

さいごに

私はずっと「アウトライン」を組み立てたら、その通りに進めなければならないものだと認識していた。その認識では、私の執筆スタイルとアウトラインの相性はすごく悪い。

しかし、「アウトライン」は一度組み立てられ、進めながら徐々に変更していくものだと認識したら話は180度変わってくる。特に数万字の原稿を扱う場合は、見出しだけを操作できるアウトライナーは強力なツールである。

かくして、私の執筆ツールに、アウトライナーが仲間入りした。それと共に脳内に「アウトラインの扱い方」もインストールされた。

アウトライナーは、ある種の思考プロセスを補助・促進してくれる役割を持っている。もしかしたら、脳内でこれらの作業を完結させられる知の巨人も存在するのかもしれないが、凡人たる私は便利なツールを有効に使わせていただいている。

というわけで、私とアウトライナーの馴れ初め話はここで終わりにしよう。

また時間があれば、「マインドマップとアウトライナーの違い」や「思考における記億の役割」といったことも書いてみたいし、

アウトライナー・フリーク的Evernote論で提示されていた、

どうして同じ知的活動であるはずの〈記憶〉と〈思考〉とで道具のカタチが違うんだろう? 〈記憶〉は〈思考〉を誘発し、〈思考〉した結果は〈記憶〉されるはず。

の疑問についても考えてみたい。

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