5-創作文

空っぽのグラス

情報消費は楽しい。
情報消費は低コスト。
情報消費は疲れない。

望むなら、四六時中、情報消費の浴槽に浸かっていられるのが現代。

情報消費は楽しい。でも、情報消費は楽しくない。

ときどき。ほんとに、ときどき、ふっと薄ら寒い感覚が湧いてくる。

地獄の底をのぞき込むような。虚無の瞳に見つめられるような。そんな感覚。

何もかもが無価値の大地にたたき落とされ、
空が孤独と絶望の黒で塗りつぶされる。

そんな感覚。

もしかしたら、情報消費は僕たちから何かを奪っているのではないか。
何かを削り取っているのではないか。

その結果、僕らは、あの深淵に足を踏み入れることになるのではないか。

もちろん、そんなことはない。

あの深淵は、あの虚無は、あの地獄は、もともとそこにあったものだ。古い家の地下室のように、誰かが扉を開くのを待っていただけだ。あるいは、風や振動のきまぐれな作用で解き放たれるのをまっていただけだ。

情報消費は、とてもクールにそこから目を遠ざけてくれる。地下室への階段から目を背けさせてくれる。やがて存在すらも忘れ、快楽のダンスに没頭させてくれる。

情報消費は楽しい。

でも、それは決して地下室そのものを壊してはくれない。コンクリートで埋めてはくれない。ただ目をそらしているだけ。

決して満たされることのないグラスに、延々と水を注ぎ込んでいるようなものだ。手を止めれば、空っぽのグラスが登場する。もちろん、そのグラスははじめからそこにあったのだ。生まれたときからずっと。

逃げることはできない。

でも、空っぽのグラスを掲げ、世界に向けて「乾杯」を告げることはできる。そして、苦痛と愚鈍さと後悔を一気に飲み干すのだ。

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