「メモが人生を変える!」
まるで、怪しげな宗教家の発言ですが、ある側面では真実を切り取っています。
人生=自分が認識したもの、と捉えるならば、つまり、客観的存在ではなく、自分が知覚したものが人生の有り様だと定義付ければ、メモは人生を変えます。
メモする習慣は、自分の知覚を変えるのです。
めざとい効果
「めざとくなる」メモ習慣の効用を、簡単に表現すればこうなるでしょう。
めざといは、若干ネガティブな響きを持って使われていますが、漢字で表現すれば「目敏い」あるいは「目聡い」です。
敏いは、「敏感」といったニュアンス
聡いは、「聡明」といったニュアンス
どちらも、悪い意味ではありませんね。目がよく働くようになる、そんな感触です。
カメラが変えるもの
カメラを首からぶらさげて、街に出かけてみましょう。「綺麗な風景を撮影しよう」
そんなことを考えながら歩き回っていると、当然、シャッターチャンスに敏感になります。良いと思える風景を意識が(あるいは無意識が)積極的に探そうとするのです。
すると、目に入る風景の印象は、写真を撮影する習慣を持っていなかった時とは、確実に変わってきます。風景そのものは同じでも、目に入ってくるものが変化してしまうのです。
つまり、めざとくなっているのです。
発見のメモ
もっとも重要なメモはなんでしょうか。
それは「発見」のメモです。
梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』を引きましょう。
まいにちの経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着雄を記録するのである。それも、心おぼえのために、みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、ちゃんとした文章でかくのである。
これが貯まっていくと、自分の「知的活動の記録」というようなものになる。そう梅棹氏は書かれています。
私たち人間とロボットを分けるものは何か。いろいろな答えがあり得るでしょうが、「知的活動」はそう悪くなさそうな答えです。それを全てはぎ取られてしまったら、少し無味乾燥な人生が待っていることでしょう。もちろん、それを無味乾燥と感じることすらできないかもしれませんが。
4つのカード
「PoIC」という情報管理システムがあります。情報カードを使ったシステムです。
そのPoICでは、4種類のカードを書き残していきます。
一つは、記録
一つは、発見
一つは、参照
一つは、GTD
ここにも「発見」が登場します。
重要なのは「発見」かもしれませんが、それはコンビニのレジ操作のように簡単に扱えるものではありません。慣れていない人には「発見の手帳」は難しいものです。
しかし、「記録」と「参照」は簡単に始められます。
「記録」は自分の身の回りの事実や現象を、「参照」は自分以外の誰かのアイディアを記すカードです。
毎日の食事および体重の記録を残すことは、それほど難しくありません。少なくとも、ある程度は事務的にこなせます。気になった本からの書き抜きも同様です。そこには、はっきりとした「やるべきこと」が見えています。
それに対して、「発見」を書き留めていくのは、少々難易度が高いと言えるでしょう。頭の中にある間は、それはもやもやとした形をしているものです。それを文章化するには、ある種の変換作業が必要です。その作業に慣れていないと、うまくメモがとれません。もちろん、自分が「発見」に接触したことに気がつかない場合もあります。
だからこそ、「記録」や「参照」から始めるのです。
毎日の食事および体重の記録を黙々と書き記し続けていると、ふと、「あっ、月曜日に体重が増えていることが多い」なんて気がつくかもしれません。たぶん、土日に飲み会が多く、うまく運動できていないのでしょう。その気づきが「発見」です。そう、「記録」から「発見」が生まれたのです。似たようなことは「参照」にでも起こりえます。
あとは、それをカードの上に記していくだけです。「記録」や「参照」が目の前にあれば、「発見」を書き記すのはそう難しいことではないでしょう。それが慣れへの第一歩です。
さいごに
メモすることに慣れてきたら、何が変わるのか。「自分の心の動きに敏感になる」
そう答えてもよいでしょう。自身の精神活動にめざとくなるのです。
カメラが目に入る風景を変えるように、メモも自分自身についての__もっといえば自分の心についての__知覚を変えます。
偉大な科学者や研究者や哲学者を目指していないとしても、メモする習慣は、なかなか悪くないと思います。なかなかに。
▼こんな一冊も:
知的生産の技術 (岩波新書) |
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梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |
Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術) |
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![]() |
倉下 忠憲
技術評論社 2012-06-30 |
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